血の学園ライフ〜毒親ママと秘密のカレシ〜
母に支配された息子と、彼を溺愛する毒親ママ。毎朝髪を整えられ、弁当を持たされ、連絡帳の予定まで消される日々。自由のない学園生活に息苦しさを感じながらも、母の笑顔を裏切れない静一。そんな彼の日常が、ある日を境に音を立てて崩れ始める——。秘密のカレシとの出会いが、静一の運命を大きく変えていくラブコメディ。
血の学園ライフ〜毒親ママと秘密のカレシ〜 - 花壇と、ママのポケットの中の鍵
教室の窓から差し込む朝の光が、机の上のノートを白く照らしていた。静一は、自分の指先を見つめていた。制服の袖口が、昨夜からずっと気になっている。何度も引っ張ったせいで、糸が少しほつれていた。
(ちゃんと、言わなきゃ)
胸の奥が、じくじく痛む。昨日の夜のことを思い出すと、呼吸が浅くなった。鍵のかかった部屋。ドアの向こうで、母が笑っていた。あの静かな笑い声が、まだ耳の奥に残っている。
「長部くん、おはよう!」
しおりの声が、教室の入り口から飛び込んできた。栗色のポニーテールが、朝日に透けて金色に光っている。大きな茶色い瞳が、静一を見つけて、ぱっと輝いた。
「おはよう、水野さん」
静一は、口元を上げた。糸のほつれた袖口を、もう一度引っ張る。指先が、かすかに震えていた。
しおりが、静一の席まで駆けてくる。小さな花のヘアピンが、彼女の動きに合わせて揺れた。
「ねえ、長部くん。今日、放課後、裏庭に行こうよ。花壇、また作れるかも!」
しおりの声は、弾んでいた。あの荒らされた花壇のことを、彼女はもう乗り越えようとしている。いや、乗り越えようと、無理に明るく振る舞っているのかもしれない。
静一は、しおりの顔を見た。彼女の笑顔の奥に、ほんの少しだけ、影がある。
(水野さんは、僕のために笑ってる)
そう思うと、胸がきゅっと締め付けられた。
「うん。でも、その前に」
静一は、言葉を切った。喉が、からからに乾いている。
「どうしたの? 顔色、悪いよ?」
しおりが、心配そうに静一の顔を覗き込んだ。彼女の前髪から、柑橘系のシャンプーの香りがした。
「僕、今日、ママにちゃんと話すんだ」
静一は、震える声で言った。
しおりの目が、大きく見開かれた。
「ママに……?」
「花壇を作りたいって。しおりさんと、シゲルと、三人で。それが、僕のしたいことなんだって」
静一は、自分の声が震えているのが分かった。でも、言葉は止まらなかった。
「昨日、ママと話したんだ。でも、まだちゃんと伝えられてなくて。だから、今日、放課後、もう一度、ちゃんと話す」
静一は、しおりの目を見た。
しおりは、一瞬だけ黙って、それから、ふわりと笑った。
「うん。待ってる。絶対、待ってるから」
しおりの声は、温かかった。
「おー、せーいち。朝からいい雰囲気じゃん」
後ろから、明るい声が聞こえた。
振り返ると、シゲルが立っていた。明るい茶色の髪が、無造作に跳ねている。首から下げた年代物のラジオのイヤホンが、肩の上で揺れていた。
「シゲルくん、からかわないでよ」
しおりが、頬を膨らませた。
シゲルが、にやっと笑った。八重歯がのぞく。
「で、何の話してたんだ?」
「長部くんが、今日、ママに話すって」
しおりが、静一の代わりに答えた。
シゲルの笑顔が、少しだけ真剣なものに変わった。
「せーいち」
シゲルが、静一の肩に手を置いた。
「なに?」
「お前は一人じゃないぜ」
シゲルの声は、低く、はっきりしていた。
「俺も、しおりも、お前の味方だ。だから、無理すんなよ。言いたいことがあるなら、ちゃんと言え。お前の言葉は、お前のものだ」
シゲルの黒い瞳が、静一をまっすぐに見つめていた。
静一は、肩に置かれた手の重みを、ゆっくりと噛みしめるように、息を吐いた。
「ありがとう、シゲル」
静一は、小さくうなずいた。
「私も、ずっと待ってるからね。長部くんの言葉、聞きたい」
しおりが、静一の手に、そっと触れた。
彼女の指先は、温かかった。
静一は、二人の顔を見た。
しおりの笑顔。シゲルの真剣な目。
(一人じゃない)
その言葉が、体の中に染み込んでいく。
「うん。ちゃんと、話してくる」
静一は、自分の声で、そう言った。
放課後。
静一は、まっすぐ家に帰った。
寄り道は、しなかった。
青葉ヶ丘中学の校門を出て、桐生ヶ丘の住宅街を歩く。駅から徒歩二十分ほどの場所にある、静かな一軒家。庭には、母が丁寧に手入れした花々が咲いている。
静一は、家の前に立った。
二階建ての、白い壁の家。
(ママが、待ってる)
そう思うと、足がすくんだ。
昨日の夜のことが、頭の中をぐるぐる回る。
鍵のかかったドア。
母の静かな笑い声。
「悪い子になるなら、ママは鍵をかけなきゃいけないのよ」
あの言葉が、耳の奥で、何度も繰り返される。
静一は、深呼吸した。
(逃げちゃダメだ)
(しおりさんも、シゲルも、待ってる)
静一は、玄関のドアを開けた。
「ただいま」
声が、少し裏返った。
「おかえりなさい、静一」
居間から、母の声がした。
静一は、靴を脱いで、廊下を進んだ。
居間の入り口に、静子が立っていた。
手入れの行き届いた黒髪。切れ長の涼しげな目。いつものように、にこにこと笑っている。
「今日は、まっすぐ帰ってきたのね。えらいわ」
静子の声は、柔らかかった。
「うん」
静一は、うつむいた。
「おやつ、食べる? 今日は、マドレーヌを焼いたのよ」
静子が、キッチンの方へ歩いていく。
「ママ」
静一は、静子の背中に呼びかけた。
静子が、足を止めた。
「なあに?」
静子が、振り返った。
その笑顔は、完璧だった。
静一は、拳を握りしめた。
「話したいことがあるんだ」
静一の声は、震えていた。
静子は、ゆっくりと、居間のソファに座った。
「どうぞ。座って」
静子が、隣の席を、ぽんぽんと叩いた。
静一は、静子の隣に座った。
距離は、五十センチもない。
母の香水の香りが、静一の鼻をくすぐった。
「それで、お話って?」
静子が、静一の顔を覗き込んだ。
静一は、膝の上で、制服の袖口をいじっていた。
(言わなきゃ)
(ちゃんと、自分の言葉で)
静一は、口を開いた。
「ママ、僕は、しおりさんとシゲルと、花壇を作りたい」
声が、かすれた。
静子の笑顔が、一瞬だけ、止まった。
「花壇?」
「うん。裏庭に、三人で。それが、僕のしたいことなんだ」
静一は、静子の目を見た。
静子の目は、笑っていた。
でも、その奥が、少しだけ揺れている。
「ママは、静一が幸せなら、それでいいのよ」
静子が、微笑んだ。
「だから、花壇を作りたいなら、作ればいいの。ママは、静一のしたいことを、応援するわ」
静子の声は、優しかった。
でも、静一は、その言葉に、違和感を感じた。
(応援する?)
(ママが?)
静一の胸の奥で、何かが、ちりちりと痛んだ。
「ママ」
静一は、もう一度、静子の名を呼んだ。
「なあに?」
「僕が幸せになる方法は、ママが決めることじゃないんだ」
静一は、震えながら、言った。
居間の空気が、凍りついた。
静子の笑顔が、ゆっくりと、消えていった。
「……そう」
静子の声は、今までで一番、静かだった。
静一は、静子の顔を見た。
静子は、笑っていた。
でも、その笑顔は、今まで見た中で、一番、静かで、一番、不穏だった。
目だけが、笑っていない。
口元だけが、笑っている。
能面のような笑顔。
「静一は、ママのことを、そう思っていたのね」
静子の声は、氷のように冷たかった。
「ち、違う。そうじゃなくて……」
静一は、慌てて言いかけた。
「いいのよ。分かったわ。静一は、ママの言うことを聞きたくないのね」
静子が、静一の手を、そっと握った。
その手は、冷たかった。
「ママは、静一のためを思って、言ってるのよ。でも、静一がそう言うなら、ママは何も言わないわ」
静子の指が、静一の手の甲を、ゆっくりとなぞった。
背筋が、すっと冷たくなった。逃げたいのに、手が動かない。
「じゃあ、花壇、また作ればいいわ。ママも、手伝うから」
静一は、目を見開いた。
「ママが……?」
「ええ。静一のしたいことなら、ママも一緒にやるわ。ママは、静一の味方だもの」
静子は、にっこりと笑った。
さっきまでの不穏な笑顔は、消えていた。
いつもの、優しい母の笑顔に戻っている。
でも、静一は、その笑顔が、かえって怖かった。
(ママが、花壇を?)
(あの花壇を壊したのは、ママじゃないの?)
静一の頭の中で、疑念が渦巻いた。
でも、静一は、その疑念を口にできなかった。
「明日から、一緒に裏庭に行きましょうね」
静子が、静一の頭を、そっと撫でた。
指が、髪の間を、ゆっくりと梳いていく。静一は、何も言えなかった。
翌日。
放課後の裏庭。
フェンス越しに、午後の日差しが差し込んでいた。
荒らされた花壇の跡が、まだ生々しく残っている。
掘り返された土。踏みにじられた苗の残骸。
静一は、その光景を見て、胸が痛んだ。
「長部くん!」
しおりが、裏庭の入り口から駆けてきた。
「ママと、ちゃんと話せた?」
しおりが、静一の顔を覗き込んだ。
「うん。花壇、また作っていいって」
静一は、うなずいた。
「本当!? よかった!」
しおりが、飛び跳ねて喜んだ。
「やったじゃん、せーいち!」
シゲルが、静一の背中を、ばしっと叩いた。
「でも、その……」
静一は、言いにくそうに、言葉を濁した。
「どうしたの?」
「ママも、手伝うって」
静一が、そう言うと、しおりの顔が、ぱっと輝いた。
「長部くんのママが!? やっぱり優しいんだね!」
しおりが、無邪気に喜んだ。
「長部くんのママ、前から優しそうだと思ってたんだ。お弁当も、いつもおいしそうだし」
しおりの言葉に、静一は、複雑な気持ちになった。
(優しい? ママが?)
(確かに、優しい。でも、その優しさは……)
静一は、考えを打ち消した。
「おばさん、土いじり、大丈夫なんですか?」
シゲルが、笑顔のまま、探るように言った。
「せっかくのきれいな服、汚れちゃいますよ」
シゲルの声は、明るかった。
でも、その目は、笑っていなかった。
「まあ、シゲルくん。気遣ってくれて、ありがとう」
後ろから、声がした。
三人が、振り返る。
裏庭の入り口に、静子が立っていた。
手に、園芸用の小さなスコップと、軍手を持っている。
「静一のためですもの。ママ、頑張るわ」
静子は、にこやかに笑った。
しおりが、静子に駆け寄った。
「長部くんのママ! 一緒に花壇を作ってくれるんですね! 嬉しいです!」
しおりが、静子の手を取った。
静子の笑顔が、ほんの一瞬だけ、硬くなった。
でも、すぐに、いつもの笑顔に戻った。
「ええ。よろしくね、しおりさん」
静子が、しおりの手を、優しく握り返した。
シゲルが、その様子を、じっと見ていた。
静一は、シゲルの視線に気づいた。
(シゲルは、ママを警戒してる)
静一の胸が、ざわついた。
花壇の作り直しが始まった。
静子は、本当に土をいじった。
手入れの行き届いた指先が、黒い土に触れる。
「土は、ふかふかにしないと、苗が根を張れないのよ」
静子が、スコップで土を耕しながら言った。
「ママ、詳しいんだね」
静一が、驚いて言った。
「おばあちゃんの家で、よく手伝ってたから」
静子が、微笑んだ。
「すごい! 長部くんのママ、花壇の先生だ!」
しおりが、目を輝かせた。
「先生は言い過ぎだよ」
静一が、苦笑いした。
「せーいち、お前のママ、マジで器用だな」
シゲルが、感心したように言った。
でも、その目は、静子の手元を、じっと観察していた。
静子が、顔を上げた。
シゲルと目が合う。
静子は、にっこりと笑った。
シゲルも、にっこりと笑い返した。
二人の笑顔が、裏庭で交差する。
静一は、その光景を見て、背中に冷たいものが走るのを感じた。
花壇の土が、少しずつ、整っていく。
しおりと静一が、並んで苗を植える作業を始めた。
「長部くん、この苗、ここに植えよう」
しおりが、小さな苗を手に取った。
「うん。深さは、これくらいでいいかな」
静一が、土に穴を掘った。
「うん、ちょうどいいと思う! 長部くん、前よりずっと上手だね」
しおりが、静一の手元を見て、笑った。
「しおりさんこそ、苗の扱い、すごく丁寧だよ」
静一が、照れながら言った。
しおりの頬が、ほんのり赤くなった。
「そ、そうかな?」
しおりが、うつむいた。
二人の指先が、土の中で、かすかに触れた。
しおりが、びくっと手を引っ込めた。
「ご、ごめん!」
「だ、大丈夫」
静一も、顔が熱くなった。
(しおりさんと、こんなに近くで)
静一の胸の奥が、どきどきと脈打った。
「お前ら、何してんの? 苗植える手が止まってるぞ」
シゲルが、からかうように言った。
「シゲルくん、うるさいなあ!」
しおりが、顔を真っ赤にして怒った。
静一は、笑った。
自然に、笑えた。
(ああ、楽しい)
(三人で、土に触れて、笑って)
静一は、この時間が、宝物のように感じられた。
でも、そのすぐ後ろで、静子が、じっと二人を見つめている。
静子の視線が、しおりの背中に、突き刺さっていた。
シゲルは、その視線を、見逃さなかった。
花壇が、完成した。
整えられた土の上に、小さな苗が、等間隔で並んでいる。
しおりが、じょうろで水をやった。
細い水の筋が、夕日に照らされて、きらきらと光った。
「やったね、長部くん!」
しおりが、静一に飛びつきそうな勢いで言った。
「うん。やっと、できたね」
静一が、しおりを見て、笑った。
「せーいち、お前、やっと笑ったな」
シゲルが、静一の肩を組んだ。
「な、なに言ってるんだよ。僕は、いつも笑ってるよ」
静一が、照れながら言った。
「いや、今の笑顔は、マジでいい顔してる。なあ、しおり?」
「うん。長部くん、すごくいい笑顔だよ」
しおりが、静一の顔を、じっと見つめた。
静一は、二人の視線に耐えきれず、うつむいた。
「……ありがとう、二人とも」
静一は、小さく、でも、はっきりと言った。
「僕、二人と花壇を作れて、本当に嬉しい」
静一の声は、震えていた。
でも、それは、悲しみの震えではなかった。
「長部くん……」
しおりの目が、うるんだ。
「おいおい、泣くなよ。せっかく花壇が完成したのに」
シゲルが、しおりの頭を、ぽんぽんと叩いた。
「泣いてないもん!」
しおりが、目をこすった。
「本当、いい花壇になったわね」
静子が、三人の輪の外から、にこにこと言った。
「静一、よかったわね。お友達と、こんなに素敵な花壇ができて」
静子の声は、優しかった。
「うん。ママも、手伝ってくれて、ありがとう」
静一が、静子に言った。
「どういたしまして。ママは、静一の味方だもの」
静子が、静一の頭を、そっと撫でた。
その手は、温かかった。
でも、静一は、その温かさが、少しだけ怖かった。
その夜。
長部家の台所。
静一は、二階の自室で、ベッドに横になっていた。
今日のことを思い出す。
しおりの笑顔。シゲルの言葉。土の感触。
(楽しかった)
(ママも、手伝ってくれた)
(もしかしたら、これで、うまくいくのかもしれない)
静一は、そんな淡い期待を抱いていた。
台所では、静子が、一人で立っていた。
手に、静一の連絡帳を持っている。
静子は、連絡帳を開いた。
ページをめくる。
友達の連絡先が、びっしりと書かれたページ。
静子の指が、ゆっくりと動いた。
「水野 しおり」
その名前の上に、静子の指が止まった。
静子は、微笑んでいた。
そして、ボールペンを手に取ると、しおりの連絡先に、そっと線を引いた。
一本の、黒い線。
静子は、その線を、じっと見つめた。
「静一のためよ」
静子は、小さく呟いた。
「静一を、守らなきゃ」
静子の手が、ポケットに伸びた。
ポケットの中から、小さな鍵が、音を立てて出てきた。
静一の部屋のドアの鍵。
静子は、その鍵を、手のひらで、ぎゅっと握りしめた。
「ママが、ずっと守ってあげるからね」
静子は、台所の明かりを消した。
家の中が、静かな闇に包まれた。
二階の静一の部屋。
静一は、ベッドの中で、しおりとシゲルの顔を思い浮かべていた。
(明日も、花壇の水やりをしよう)
(しおりさんが、喜ぶ顔が見たい)
静一は、笑っていた。
母の愛の形が、これからもっと深くねじれていくことを、まだ知らない。
静一の部屋のドアの鍵は、まだ、静子のポケットの中にある。Noveliaとは?
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