血の学園ライフ〜毒親ママと秘密のカレシ〜
母に支配された息子と、彼を溺愛する毒親ママ。毎朝髪を整えられ、弁当を持たされ、連絡帳の予定まで消される日々。自由のない学園生活に息苦しさを感じながらも、母の笑顔を裏切れない静一。そんな彼の日常が、ある日を境に音を立てて崩れ始める——。秘密のカレシとの出会いが、静一の運命を大きく変えていくラブコメディ。
血の学園ライフ〜毒親ママと秘密のカレシ〜 - 鍵をかけたのは、ママのほう
荒らされた花壇の土は、前日の雨でぐちゃぐちゃに固まっていた。踏みにじられた苗の残骸が、泥の中に黒く沈んでいる。静一は、その光景をまぶたの裏に焼き付けながら、二人の顔を見た。
「……ごめん」
声が、かすれた。
「え?」
しおりが、泥だらけの手を止めて顔を上げる。大きな瞳が、まっすぐに静一を見つめた。
「もう、花壇はやめよう」
静一は、制服の袖口をぎゅっと握った。指先が震えている。
「長部くん、なんで……?」
「僕のせいなんだ。僕が、ママに黙ってたから」
静一の頭の中に、母の笑顔が浮かぶ。あの、目だけが笑っていない笑顔。花壇を壊したのは、きっとママだ。確信はない。でも、確信に近い何かが、胸の奥で黒く渦巻いていた。
「だから、もう……やめよう」
静一は、二人の顔を見られなかった。うつむいたまま、泥に濡れた地面を見つめる。
「やめてよ、そんなこと言わないで!」
しおりの声が、裏庭に響いた。
静一は、顔を上げた。
しおりが、泣きそうな顔で、静一をにらんでいた。
「長部くんのせいじゃないよ! 長部くんは何も悪くない! なんで、やめなきゃいけないの!?」
しおりの拳が、小さく震えている。泥だらけの手で、涙をぬぐった。頬に、黒い筋が残る。
「水野さん……」
「私、長部くんと一緒に花壇を作りたい! シゲルくんと三人で、また笑いたい! なのに、なんで……なんで、ダメなの……?」
しおりの声が、最後は涙でぐちゃぐちゃに崩れた。それでも、しおりは静一から目を離さない。
静一の胸が、ぎゅうっと締め付けられた。
(僕のせいで、水野さんが泣いてる)
(やっぱり、僕が悪いんだ)
「せーいち」
低い声が、隣から聞こえた。
シゲルが、静一の肩を掴んだ。
「お前は何も悪くねぇ」
シゲルの声は、いつもの明るさが消えていた。
「でも……」
「悪いのは、お前じゃねぇ。お前を、こんな風にさせてる奴だ」
シゲルの黒い瞳が、静一をまっすぐに見つめる。その奥に、怒りの炎が揺れていた。
「せーいち、お前、気づいてるんだろ。誰がやったのか」
静一は、答えられなかった。
言えるわけがない。
「……俺は、あの人だと思う」
シゲルが、静一にだけ聞こえる声で言った。
静一の体が、硬直した。
「あの笑顔、おかしいよ。お前のママは、笑いながら人を壊す」
シゲルの手が、静一の肩に食い込む。
「やめて……やめてよ、シゲルくん……」
しおりが、二人の間に割って入った。
「長部くんのママは、優しい人だもん。そんなこと、するわけないよ……」
しおりの声は、震えていた。自分で言った言葉を、自分で信じられないような声だった。
静一は、しおりを見た。
しおりは、泥と涙でぐちゃぐちゃの顔で、それでも静一を守ろうとしていた。
「水野さん、ありがとう」
静一の口から、自然と出た言葉だった。
しおりが、驚いたように目を見開く。
「長部くん……」
「でも、もういいんだ。僕が、ちゃんとするから」
静一は、シゲルの手を、そっと外した。
「せーいち、お前……」
「今日、ママに話すよ。花壇を作りたいって、僕の時間がほしいって」
静一の声は、まだ震えていた。でも、さっきよりは、はっきりしていた。
しおりとシゲルが、静一を見つめる。
「だから、待ってて。花壇、また三人で作ろう」
静一は、二人に笑いかけた。
心からの笑顔ではなかった。でも、作り笑いでもなかった。
しおりの目から、また涙があふれた。
「うん……待ってる! 絶対、待ってるから!」
しおりが、泥だらけの手で、静一の手を握った。温かい手だった。
「せーいち、無理すんなよ。でも、やるって決めたなら、最後までやれ」
シゲルが、静一の背中を、ぽんと叩いた。
「ありがとう、シゲル」
静一は、うなずいた。
夕日が、裏庭をオレンジ色に染めていた。荒らされた花壇の土が、夕日に照らされて、血のように赤く見えた。
長部家の居間。
カチ、カチ、カチ。
柱時計の音だけが、静かな部屋に響いていた。
静一は、ソファに浅く腰掛けていた。目の前のテーブルには、静子が入れた麦茶が置かれている。手をつけていない。
静子が、キッチンから戻ってきた。エプロンを外し、静一の隣に座る。
「どうしたの? 静一。そんな難しい顔をして」
静子の声は、いつも通り、柔らかく優しい。
静一は、膝の上で、制服の袖口をいじっていた。
「ママ」
「なあに?」
静子が、静一の顔を覗き込む。
静一は、唾を飲み込んだ。喉が、からからに渇いている。
「ぼく、花壇を作りたいんだ」
言った。
言ってしまった。
静子の笑顔が、ぴたりと止まった。
「……花壇?」
静子の声は、さっきと変わらない。でも、空気が、一瞬で凍りついた。
「学校の裏庭で、水野さんとシゲルと、三人で作ってたんだ。でも、壊されちゃって……」
静一は、言葉を続けた。
「それでも、また作りたいんだ。ぼく、あの時間が、好きだったから」
静子は、黙っていた。
にこにこと、笑っていた。
でも、目は笑っていない。
「どうして?」
静子の声が、一段、低くなった。
「ママといるのが、つまらないの?」
静子の顔から、笑みが消えた。
能面のような、無表情。
静一の背筋に、冷たいものが走った。
「そうじゃない。そうじゃないよ、ママ」
静一は、首を振った。
「でも、ぼくには、ぼくの時間がほしいんだ」
静一の声は、震えていた。それでも、言わなければならなかった。
「あなたの時間?」
静子が、静一の言葉を繰り返した。
「ママと一緒にいる時間は、あなたの時間じゃないの?」
静子の声は、静かだった。静かすぎて、逆に怖かった。
「そういうことじゃ、ないんだ……」
「じゃあ、どういうこと?」
静子が、静一に詰め寄る。
「ママは、あなたのために、全部やってきたのよ。ご飯も、お弁当も、送り迎えも、全部。なのに、ママ以外の人と過ごす時間がほしいの?」
静子の声が、わずかに震えていた。
「あの女の子と、あの男の子と、三人で、こそこそと。ママに隠れて。……それが、あなたの時間?」
静一は、何も言えなかった。
言い返せる言葉が、見つからなかった。
「ママは、あなたを守りたいだけなの。あなたが、悪い道に進まないように。悪い友達に、引っ張られないように」
静子の手が、静一の手に伸びた。
冷たい手。
「あの二人は、あなたにふさわしくないわ。ママには、わかるの」
「ちがう! 二人は、悪い人なんかじゃない!」
静一は、初めて、声を張り上げた。
静子の目が、見開かれた。
「……静一、ママに、そんな声を出すの?」
静子の声が、震えた。
「ママは、悲しいわ。あなたが、ママの知らないところで、どんどん変わっていくのが」
静子の目に、涙が浮かんだ。
「ママは、あなたのことが、世界で一番大切なのよ。なのに、あなたは……」
静子の涙が、頬を伝った。
静一は、胸が張り裂けそうだった。
(ママを泣かせてしまった)
(僕が、悪い子になったから)
「ママ、ごめん……」
謝ろうとした。
でも、その前に、静子が立ち上がった。
「静一、ちょっと、待っててね」
静子は、涙を指先でぬぐい、静一に背を向けた。
そのまま、キッチンへ消える。
静一は、ソファに座ったまま、動けなかった。
数分後。
静子が、戻ってきた。
手に、何かを持っている。
銀色に光る、小さな鍵。
静一の部屋の、ドアの鍵だった。
「静一」
静子が、静一の正面に立った。
「あなたが、悪い子になるなら」
静子の口元が、ゆっくりと、笑みの形を作った。
「ママは、鍵をかけなきゃいけないのよ」
静子は、そう言って、微笑んだ。
さっきまで涙を流していた女とは、思えないほど、完璧な笑顔だった。
「やめて……ママ、やめてよ!」
静一は、ソファから立ち上がった。
「大丈夫よ。ママが、ちゃんと守ってあげるから」
静子は、静一の手首を、ぎゅっと掴んだ。
細い指なのに、信じられない力だった。
「はなして! ママ、お願い!」
静一は、抵抗した。
でも、静子の手は、びくともしない。
静子は、静一を、自室へと引きずっていった。
ドアの前で、静一を押し込む。
「やめて! ママ! お願いだから!」
静一は、ドアにしがみついた。
「静一、いい子にしていてね。明日になったら、また、いつもの静一に戻ってるから」
静子は、静一の指を、一本一本、ドアから剥がしていった。
そして、ドアを閉めた。
ガチャ。
鍵が回る音。
「ママ! 開けて! お願い! 開けてよ!」
静一は、ドアを叩いた。
「おやすみ、静一」
ドアの向こうから、静子の声が聞こえた。
優しく、柔らかな、いつもの声。
「ママ……!」
静一は、ドアの前で、崩れ落ちた。
鍵のかかった部屋。
外は、もう真っ暗だった。
静一は、床に座り込み、膝を抱えた。
ドアの向こうに、静子の気配を感じる。
ドアの向こうに、母が立っている。
すぐそこにいるのに、遠い。
一枚のドアが、母と自分を、世界ごと分断していた。
静一は、声を殺して、泣いた。
涙が、床に落ちて、黒い染みを作った。
朝が来た。
カーテンの隙間から、朝日が差し込んで、静一の顔を照らした。
静一は、床に座ったまま、一晩を過ごしていた。
目は、腫れていた。喉は、からからだった。
ガチャ。
鍵が開く音。
ドアが、ゆっくりと開いた。
「静一、おはよう。朝ごはん、できてるわよ」
静子が、にこにこと笑いながら、立っていた。
エプロンを着けて、手に、おたまを持っている。
昨夜のことは、何もなかったかのように。
「……ママ」
静一の声は、かすれていた。
「さあ、顔を洗って、いらっしゃい。今日は、あなたの好きな、だし巻き卵を焼いたのよ」
静子の声は、弾んでいた。
静一は、ゆっくりと立ち上がった。
足が、震える。
一晩中、冷たい床に座っていたせいだ。
いや、違う。
恐怖で、震えているのだ。
洗面所で顔を洗い、居間へ行く。
テーブルの上には、温かな朝食が並んでいた。
ご飯、味噌汁、焼き鮭、だし巻き卵。
完璧な朝食。
静子が、静一の正面に座った。
「今日は、学校、休みましょうね」
静子が、にこにこと言った。
「え?」
「昨日、遅くまで起きてたでしょう? 疲れてるわよ。今日は、ママと一緒に、お家でゆっくりしましょう」
静子の声は、優しかった。
でも、その目は、静一を試すように、じっと見つめていた。
静一は、箸を置いた。
「行くよ」
静一は、小さく、でも、はっきりと言った。
静子の笑顔が、ほんの少し、歪んだ。
「……静一?」
「学校に行く。しおりさんと、シゲルに、ちゃんと話すんだ」
静一は、静子の目を見た。
こわかった。
足が、震えていた。
でも、目をそらさなかった。
「……そう」
静子は、ゆっくりと、微笑んだ。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
静子の声は、優しかった。
でも、その笑顔は、どこか、壊れた人形のようだった。
静一は、立ち上がった。
震える足で、玄関へ向かう。
靴を履く。
後ろから、静子の視線を感じる。
「行ってきます」
静一は、振り返らずに、そう言った。
「いってらっしゃい」
静子の声が、背中に張り付いた。
静一は、ドアを開けた。
外の空気が、冷たかった。
一歩、踏み出す。
朝日が、まぶしかった。
教室に入ると、しおりとシゲルが、すぐに駆け寄ってきた。
「長部くん!」
しおりが、静一の顔を覗き込む。
「大丈夫? 顔色、悪いよ」
「大丈夫だよ。ちょっと、寝不足なだけ」
静一は、笑おうとした。でも、うまく笑えなかった。
シゲルが、静一の肩に手を置いた。
「せーいち、話したのか? ママと」
静一は、うなずいた。
「話した。でも、まだ、ちゃんと話せてない」
「どういうことだよ」
「今日、放課後、また話すんだ。ちゃんと、向き合って」
静一の声は、震えていた。
しおりが、静一の手を握った。
「うん、待ってる。私も、シゲルくんも、ずっと待ってるから」
しおりの手は、温かかった。
「せーいち、お前は一人じゃないぜ。俺たちが、ついてる」
シゲルが、静一の背中を、ぽんと押した。
「ありがとう。二人とも」
静一は、うつむいた。
涙が出そうだった。
でも、ここでは、泣けなかった。
放課後。
静一は、まっすぐ家に帰った。
寄り道は、しなかった。
家の前に立つ。
静かな、二階建ての一軒家。
母が待っている。
静一は、深呼吸した。
胸が、痛い。
足が、震える。
それでも、玄関のドアに手をかけた。
ドアを開ける。
「ただいま」
静一は、家の中へ、一歩踏み入れた。
静子の気配が、奥から近づいてくる。
「おかえりなさい、静一」
静子が、にこにこと笑いながら、立っていた。
夕日が、廊下に長い影を落としていた。
静一は、母と向き合った。
これから、始まるのだ。
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