男子高校生の日常・真田北スクランブル
真田北高校2年A組、放課後の教室は今日も平和に騒がしい。炭酸が飲めないだけで人類の分岐点を語り出す友人、意味もなく眼鏡をかける親友、そしてツッコミに追われる俺・タダクニ。そんな日常に舞い込んだのは、妹からの一通のメール――「お兄ちゃんの下着、自販機に詰めといたから☆」。校門前の古い自販機に駆けつければ、そこにはなぜか下着を排出する謎の改造自販機と、下顎が突き出た変人・化学部元部長の姿が。次々と転がり出るブリーフ、集まる野次馬、笑いをこらえない友人たち。そして妹は、なぜか生徒会の唐沢さんに相談しているらしく……。下着と自販機と下顎が交錯する、男子高校生のシュールで騒がしい日常コメディ。笑いのあとに、ほんの少し昔の記憶がよぎる――。
男子高校生の日常・真田北スクランブル - 下顎野郎の確率実験と、妹のヒミツ
「つまり、妹がお前の下着を自販機に詰めた翌日ってことだよな」
真田北高校、2年A組の教室。放課後の空気は昨日と同じように、窓から差し込む西日でオレンジ色に染まっていた。タダクニは机の上でペンをくるくると回しながら、金髪を逆立てた友人を半目で見る。
「お前、その言い方やめろよ。昨日のことを蒸し返すな」
「蒸し返すも何も、あれは歴史的大事件だっただろ。自販機から男の下着が出てくるんだぜ。シュールすぎる」
ヨシタケが大げさに両手を広げる。身長178センチの体が、夕日に照らされてやけに大きく見えた。タダクニはペンを机に置いて、深いため息をついた。
「でもさ、あの後、妹ちゃんからメール来てたじゃん。大事な話があるって。今日、生徒会室に来てってやつ」
茶髪で眼鏡をかけたヒデノリが、窓枠に寄りかかったまま、にやにやと笑いながら言った。視力は2.0のはずなのに、なぜかいつも眼鏡をかけている男だ。
「ああ、それがどうかしたか」
「いや、どうかしたかって、お前、妹さんとまともに話すの、月に一度あるかないかだろ。それがわざわざ生徒会室に来てくれって、絶対なんかあるじゃん」
「知るかよ。俺にだって分からん」
タダクニはポケットから携帯を取り出した。画面を開くと、昨夜届いた妹からのメールが目に入る。
『お兄ちゃん、明日の放課後、生徒会室に来て。大事な話があるから。絶対来てね。』
大事な話。あの妹が、そんなことを言うなんて。タダクニは眉をひそめた。昨日の今日で、また何かやらかしたのか。いや、やらかしたのは俺の下着を自販機に詰めたことだが。
「なあ、タダクニ。妹さん、最近、生徒会と何かあったの?」
ヒデノリが眼鏡の奥の明るい茶色の目をこちらに向ける。好奇心でキラキラしている。こういう時のこいつは、絶対に話を聞くまで離れない。
「いや、なんか唐沢さんに相談してるらしくて……」
タダクニは歯切れ悪く答えた。自分でも、なぜこんなに言いづらいのか分からない。妹が、実の兄ではなく、生徒会の唐沢としゆきを頼っている。その事実が、胸のどこかに引っかかっていた。
「唐沢さんに? あの人、人望あるからなあ。妹ちゃんも懐いてるんだろ」
「懐いてるっていうか、あいつ、俺より唐沢さんの方を信頼してるからな」
「お前、それ、兄としてどうなんだよ」
「うるさい。俺だって好きでそうなったわけじゃない」
タダクニはもう一度ため息をついた。昨日、校門前の自販機から自分の下着が次々と出てくるという地獄のような光景。あの後、妹はケロッとした顔で「お兄ちゃんがだらしないからでしょ」と逆に説教してきたのだ。
そして、その夜、妹からのメール。『今日はごめんね。でも、本当に大事な話があるの。明日、生徒会室に来てくれる?』
あの妹が、謝るなんて。
「まあ、行ってみれば分かるだろ。それより、今日はどうするんだ?」
タダクニは話を変えようと、わざと明るい声を出した。
「あ、そうだ! 今日こそ、下顎野郎の自販機、もっとすごいことできるか試そうぜ!」
ヒデノリがパッと顔を輝かせて言った。
「お前、まだ懲りてないのかよ。昨日、あれだけの騒ぎになったのに」
「昨日は昨日。今日は今日。科学は進歩するんだよ」
「科学じゃなくて、お前の思いつきだろ」
「思いつきこそ科学の母だろ」
「なんでそうなるんだよ」
タダクニはツッコミを入れつつも、心のどこかで、今日はヒデノリたちと騒いでいたい気分だった。妹のことが気にならないと言えば嘘になる。でも、考えたところで答えは出ない。それなら、いつものようにバカをやっていた方がマシだ。
「よし、行くか。下顎野郎のところ」
ヨシタケが立ち上がり、背伸びをした。
「お前まで乗り気かよ」
「だって、あの自販機、コーラ押したらオレンジジュース出てくるんだぜ。あれ、普通に考えておかしいだろ。面白そうじゃん」
「まあ、確かに面白いけどよ……」
「よし、全員一致! 出発!」
ヒデノリが勢いよく教室を飛び出していく。ヨシタケがその後を追う。タダクニは小さく息をついて、二人の後を追いかけた。
廊下には、部活に向かう生徒たちの姿がまばらにあった。窓の外では、野球部がグラウンドを走っている。遠くから、吹奏楽部の音が聞こえてくる。真田北高校の放課後は、いつも通りの賑やかさだ。
校門へ向かう途中、タダクニは何気なく生徒会室の方を見た。2階の端にあるあの部屋。今日の放課後、あそこに妹が来る。大事な話って、なんだろう。
「おーい、タダクニ、早く来いよ!」
ヨシタケが校門のところで手を振っている。タダクニは小さく首を振って、足を速めた。
校門前には、古い自販機が一台、夕日を浴びて立っていた。昭和の時代から使われているという、年季の入った機械だ。そして、その前に、一人の男が仁王立ちしていた。
下顎の突き出た、妙に自信満々な顔の男。元化学部部長、通称・下顎野郎だ。
「おお、来たか。待っていたぞ、諸君」
下顎野郎が、腕を組んで言った。その姿は、まるで世紀の大発明を発表する学者のようだった。
「なんでお前が待ち構えてるんだよ」
「昨日の続きだ。今日は、人類の確率認識を揺るがす実演をしようと思ってな」
「おお! 聞いたか、タダクニ! 人類の確率認識だってよ!」
「聞いたよ。だから、なんでお前が興奮してるんだ」
下顎野郎は、ゆっくりと自販機に近づいた。そして、コーラのボタンの前に立つ。
「いいか、よく見ていろ。私が今から、このコーラのボタンを押す」
下顎野郎が、人差し指をゆっくりとボタンに伸ばす。
「押すぞ」
「早く押せよ」
「静粛に。今、歴史が動こうとしている」
下顎野郎は、まるで儀式のように、ゆっくりとボタンを押した。
ガコン。
自販機が音を立てる。取り出し口から出てきたのは——
オレンジジュースだった。
「どうだ! コーラを押したのに、出てきたのはオレンジジュース! これが、私の研究の成果だ!」
下顎野郎が、誇らしげに胸を張った。その顔は、まるでノーベル賞でも受賞したかのような輝きだった。
「いや、昨日も見たけどよ、それの何がすごいんだ?」
「何がすごいだと? 君は分かっていない。これは、人間の『押せば出てくる』という確率認識を、根本から覆す発明なんだ。コーラを押せばコーラが出る。それが当たり前だと思っているだろう? だが、この自販機は違う。コーラを押しても、オレンジジュースが出る。つまり、原因と結果の関係性を、人為的に操作できるということだ」
下顎野郎は、真顔でそう言った。その真剣さが、逆におかしかった。
「へえ、それはすごいな。で、それが何の役に立つんだ?」
「役に立つかどうかではない。これは純粋な知の探求だ。人類の確率認識を揺るがす第一歩なのだ」
下顎野郎は、胸を張ったまま言った。
その時、後ろから声がした。
「部室を爆破した人が、何を言っても説得力がないですよ」
振り返ると、オールバックの黒髪をきっちりと整えた男子生徒が立っていた。真田北高校生徒会役員、モトハルだ。繊細そうな顔つきで、腕を組んで下顎野郎を見ている。
「おお、モトハルか。あれは実験の失敗であって、爆破ではない。科学には失敗がつきものだ」
「化学室が半焼したのに、失敗で済ませるんですか。あの後、始末書を書いたのは生徒会なんですけど」
モトハルが、ため息混じりに言った。
「だから、今日はその借りを返すために、こうして実演をしているんだ。見たまえ、この素晴らしい成果を」
「コーラ押してオレンジジュースが出るのが、素晴らしい成果なんですか」
「そうだ。これが、確率操作の第一歩なのだ」
モトハルは、額に手を当てて、深いため息をついた。
「はあ……また面倒なことになりそうだ」
モトハルはそう呟くと、観念したように自販機の前に歩み寄った。
「で、今日は何をするんですか。まさか、また実演だけじゃないですよね」
「今日は、この自販機の配線を調べて、確率操作の範囲を拡大しようと思う」
「お、それ、俺も手伝う!」
ヒデノリが、目を輝かせて飛び込んできた。
「お前、やめとけって。また爆破されるぞ」
「大丈夫だって、今日はちゃんとやるから」
「前回もそう言って、部室が焦げたんだろ」
「あれは想定外の出来事だったんだよ。今回は想定内に収める」
「想定内に収めるって、お前、何を想定してるんだ」
タダクニは、また深いため息をついた。だが、ヒデノリはもう、自販機の裏側に回り込んでいる。下顎野郎が、嬉しそうにヒデノリに何かを説明し始めた。
「なあ、タダクニ。あいつら、またなんかやらかすんじゃねえか?」
ヨシタケが、心配そうに言った。いや、心配そうに見えて、目は笑っている。
「やらかすだろうな。間違いなく」
「でもよ、止めないのか?」
「止められるかよ。あの二人、もう科学者モードに入ってるぞ」
タダクニが指さす先では、ヒデノリと下顎野郎が、自販機の裏のパネルを開けて、配線をいじり始めていた。
「おお、この配線、ここをこう繋ぎ替えたら、もっと面白いことできるんじゃない?」
「うむ、君はなかなかセンスがあるな。その発想はなかった」
「やめろ、ヒデノリ! それ以上いじるな!」
タダクニが叫んだ。しかし、もう遅かった。
ヒデノリが、配線を引き抜いた。
その瞬間——
ブオオオオオオオオン!!!
自販機が、異様な音を立てて震え始めた。
「な、なんだ!?」
「だから言っただろ!」
次の瞬間、自販機の全てのボタンが、同時に光った。
そして——
ドドドドドドドドドド!!!
全ボタンが、一斉にジュースを吐き出し始めた。コーラ、オレンジジュース、スポーツドリンク、謎の茶色い液体——ありとあらゆる飲み物が、勢いよく噴出する。
「うわああああああ!」
「ちょ、待て、止まれ!」
「無理だ! 止まらない!」
タダクニは、その場に立ちすくんだ。目の前で、ジュースの洪水が起きている。コーラが顔にかかる。オレンジジュースが服に染みる。スポーツドリンクが靴を濡らす。謎の茶色い液体が——いや、あれは本当に何なんだ。
「お前ら、何やってんだああああ!」
モトハルが、ずぶ濡れになりながら叫んだ。
「だから言ったでしょう! 配線いじりは危険だって!」
「すまん、モトハル! でも、これは予想外の結果だ!」
「予想外じゃなくて、予想できたでしょう!」
モトハルが、頭を抱えた。その髪から、コーラが滴り落ちている。
数分後、ようやく自販機は静かになった。校門前は、ジュースの海と化していた。地面には、空き缶や紙パックが散乱し、甘い匂いが辺りに立ち込めている。
「はあ……最悪だ」
タダクニは、びしょ濡れの制服を見下ろした。白いシャツに、コーラとオレンジジュースが混ざった染みが広がっている。ベタベタする。最悪の気分だ。
「いやー、でも、これはこれで面白かったな!」
「どこが面白いんだよ! お前もずぶ濡れだろ!」
「でもよ、全ボタン同時にジュースが出るなんて、なかなか見られるもんじゃねえだろ。シュールだわ」
ヨシタケは、びしょ濡れの金髪をかき上げながら、けらけらと笑った。
「ふむ、これは予想外だが、確率操作の研究としては興味深いデータだ。全ボタン同時出力……これは、確率が収束せずに発散した状態だな。メモメモ」
下顎野郎は、真面目な顔で、どこからか取り出したノートに何かを書き始めた。その姿に、タダクニはもはやツッコむ気力も湧かなかった。
「お前、本当に懲りないな……」
「科学者とは、失敗から学ぶものだ。今回の失敗は、次の成功への糧となる」
「その失敗で、俺たちはジュースまみれなんだけどな」
タダクニは、シャツの裾を絞った。コーラが、ぽたぽたと地面に落ちる。
「あーあ、これ、洗濯しても匂い残るかなあ」
「大丈夫だって、コーラの染みはすぐ落ちるって」
ヒデノリが、眼鏡を外して、ハンカチで拭きながら言った。その眼鏡も、オレンジジュースまみれだ。
「お前のせいだろ! なんで配線抜いたんだよ!」
「だって、あの配線、明らかに怪しかったんだもん。ちょっと触ったら、なんか光ったし」
「だから触るなって言っただろ!」
「まあまあ、結果オーライだって。ほら、下顎野郎も喜んでるし」
ヒデノリが指さす先では、下顎野郎が、自販機から噴出したジュースの缶を集めて、嬉しそうに並べていた。
「これはコーラ、これはオレンジ、これは……なんだ、この茶色いのは。ウーロン茶か? いや、これは新種の飲み物かもしれない。分析が必要だ」
「あいつ、ほんとに楽しそうだな」
「楽しそうっていうか、頭がおかしいんだよ」
タダクニは、ため息をつきながら、散乱したジュースの缶を拾い始めた。このまま放置するわけにもいかない。
しばらくして、モトハルがタダクニの隣にしゃがみ込んだ。
「お前も大変だな、あいつらに付き合わされて」
「お前もだろ。生徒会なのに、なんでここにいるんだよ」
「下顎野郎が、今日も自販機をいじるって言うから、見張りに来たんだよ。昨日のこともあるし」
モトハルが、缶を拾いながら言った。
「昨日のこともあるし、ね。本当に、色々あったよな」
タダクニは、昨日のことを思い出した。自分の下着が、自販機から出てきたあの光景。クラスメイトの視線。そして、妹の開き直り。
「そういえば」
モトハルが、何かを思い出したように言った。
「お前の妹、最近よく生徒会室に来て、唐沢さんに何か相談してるみたいだぞ」
タダクニの手が、一瞬止まった。
「……相談?」
「ああ。詳しくは知らないけど、なんか、真剣な話をしてるみたいだ。唐沢さんも、真面目に聞いてるし」
タダクニは、拾った缶を袋に入れた。手が、少し震えている。
「そうなのか」
タダクニは、それだけ言って、黙った。妹が、唐沢に相談している。それは、昨日から薄々感じていたことだ。でも、改めて他人から聞かされると、胸の奥がざわつく。
何を相談しているんだ。どうして、俺には言わないんだ。
「まあ、お前も気になるなら、直接聞いてみたらいいんじゃないか。妹さんだろ」
「……そうだな」
タダクニは、曖昧に答えた。直接聞く。それができたら、どんなに楽か。でも、あの妹は、俺には話してくれない。それは、長年の経験で分かっていた。
ジュースの山を片付け終えた頃には、空はすっかり暗くなっていた。校門前の街灯が、オレンジ色の光を地面に落としている。
「はあ、疲れた。もう帰ろうぜ」
ヨシタケが、伸びをしながら言った。
「そうだな。お前ら、明日もここで片付けの続きな」
「え、まだ残ってるの?」
「残ってるだろ。あの謎の茶色い液体、地面に染み込んでるぞ」
「あれは、地面が吸収したから、もう大丈夫だって」
「大丈夫なわけないだろ。明日、ちゃんと掃除しろよ」
タダクニは、二人にそう言い残すと、校舎の方へ歩き出した。
「お、タダクニ、どこ行くんだよ?」
「ちょっと、生徒会室に用事があるんだ」
タダクニは、振り返らずに答えた。
「生徒会室? ああ、妹ちゃんの話か。頑張れよ、お兄ちゃん」
「うるさい」
タダクニは、足早に校舎へ向かった。心臓が、ドキドキと音を立てている。妹が、生徒会室で待っている。大事な話があると言った。何を言われるんだろう。
校舎に入り、階段を上がる。2階の端にある生徒会室。扉の前まで来た。
タダクニは、深呼吸をした。
その時だった。
中から、声が聞こえた。
「お兄ちゃんには、言わないでほしいの。お願い、唐沢さん」
タダクニは、足を止めた。
今のは、妹の声だ。
お兄ちゃんには、言わないでほしい。
タダクニは、扉の前で立ちすくんだ。手を伸ばしかけて、止める。心臓が、さっきよりも速く脈打っている。
言わないでほしい。俺に。
妹が、俺に隠し事をしている。
タダクニは、ゆっくりと手を下ろした。扉を開ける勇気が、どうしても出なかった。
しばらく、その場に立っていた。中の声は、もう聞こえない。
タダクニは、音を立てないように、その場を離れた。
家に帰る道すがら、頭の中は妹の言葉でいっぱいだった。お兄ちゃんには、言わないでほしい。お願い、唐沢さん。あの声は、いつもの強気な妹とは違って、どこか弱々しかった。
何かあったんだ。絶対に。
タダクニは、空を見上げた。星が、ぽつぽつと瞬いている。
家に着くと、リビングには誰もいなかった。両親はまだ仕事らしい。タダクニは、自室に上がり、ベッドに倒れ込んだ。
天井を見つめる。
妹は、今、何をしているんだろう。自分の部屋で、一人で何かを考えているんだろうか。
タダクニは、携帯を手に取った。妹にメールを打とうとして、やめる。何て送ればいいんだ。
その時、ドアが、コンコン、と鳴った。
「……お兄ちゃん、起きてる?」
妹の声だった。いつもより、ずっと小さな声。
「ああ、起きてるぞ」
タダクニは、体を起こした。
ドアが、少しだけ開いた。隙間から、妹が顔を覗かせている。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだよ」
「……私の日記、見た?」
タダクニは、一瞬、言葉に詰まった。
日記? 妹の日記?
「見てないよ。なんで?」
「……そっか。なら、いいの」
妹は、それだけ言うと、ドアを閉めた。
タダクニは、閉まったドアを見つめた。
今の声。今の言い方。
いつもの妹なら、「あんた、私の日記盗んだでしょ!」と怒鳴り込んでくるはずだ。なのに、今日は違う。弱々しくて、不安そうで。
妹が、何かを抱え込んでいる。
それは、確かだった。
タダクニは、再びベッドに倒れ込んだ。胸の奥が、ざわざわと騒いでいる。
日記。妹の日記が、どうかしたのか。
見た? と聞いてきた。つまり、妹は、日記を探している。いや、もしかしたら、日記がなくなったのか。
タダクニは、目を閉じた。
眠れそうになかった。
翌朝。
タダクニは、重い体を引きずって登校した。昨夜は、ほとんど眠れなかった。妹のことが、頭から離れなかった。
校門前に着くと、昨日のジュースの山が、まだ残っていた。いや、正確には、下顎野郎とモトハルが、すでに片付けを始めていた。
「おはよう、タダクニ。遅いぞ」
「お前ら、朝からご苦労なこったな」
タダクニは、ため息混じりに言った。
「昨日の後始末は、我々の責任だからな。それに、このジュースの山を分析すれば、確率操作の新たなデータが得られるかもしれん」
「あんたは、ほんとに懲りないんですね」
モトハルが、疲れた顔で言った。
しばらくして、ヒデノリとヨシタケも登校してきた。
「おはよう。お、もう片付け始めてるのか」
「お前も手伝えよ。お前が原因なんだから」
「分かってるって。ほら、ヨシタケもやろうぜ」
「えー、朝からジュース拾いとか、シュールだな」
「うるさい。やれ」
四人で、黙々とジュースの缶を拾い集める。朝の空気は冷たくて、昨日の甘い匂いが、まだかすかに残っていた。
その時、ヒデノリが、ぽつりと言った。
「タダクニの妹って、昔から行動力あるよな」
タダクニは、顔を上げた。
「なんだ、急に」
「いや、昨日の下着の件もそうだけどさ。思いついたら、すぐに行動に移すっていうか。あの自販機に下着詰めるって発想、普通は思いついても実行しないだろ」
「まあ、それはそうだな」
「でもさ、行動力があるやつって、一人で抱え込みやすいんだよな」
ヒデノリが、缶を袋に入れながら言った。その声は、いつもの軽い調子ではなかった。
「一人で抱え込む?」
「うん。行動力があるから、人に頼らずに、自分でなんとかしようとしちゃうんだよ。でも、それで限界が来ると、今度は誰にも言えなくなって、一人で苦しむことになる」
タダクニは、ヒデノリの横顔を見た。眼鏡の奥の目が、真剣だった。
「……なんで、そんなこと言うんだよ」
「別に、深い意味はないよ。ただ、なんとなく、そう思っただけ」
ヒデノリは、そう言って、笑った。でも、その笑顔は、どこか寂しげだった。
「シュールだけど、なんかいいこと言ったな、ヒデノリ」
ヨシタケが、感心したように言った。
「お前、今の話のどこがシュールなんだよ」
「だって、普段あんなバカなことばっかり言ってるやつが、急に真面目なこと言うから、ギャップがシュールだろ」
「まあ、それは分からんでもない」
タダクニは、小さく笑った。
でも、心の中では、ヒデノリの言葉が、ずっと響いていた。
行動力があるやつは、一人で抱え込みやすい。
妹のことだ。
あの妹は、確かに行動力がある。思いついたら、すぐに実行する。そして、人に頼るのが下手だ。特に、俺には。
だから、唐沢さんに相談したんだ。俺には言わないで、一人で。
タダクニは、袋の口を縛った。
決めた。
今日、もう一度、生徒会室に行こう。今度は、扉の前で立ち止まらずに、ちゃんと中に入ろう。
そして、妹に聞くんだ。
何を抱え込んでいるんだ、と。
タダクニは、校舎を見上げた。
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