男子高校生の日常・真田北スクランブル
真田北高校2年A組、放課後の教室は今日も平和に騒がしい。炭酸が飲めないだけで人類の分岐点を語り出す友人、意味もなく眼鏡をかける親友、そしてツッコミに追われる俺・タダクニ。そんな日常に舞い込んだのは、妹からの一通のメール――「お兄ちゃんの下着、自販機に詰めといたから☆」。校門前の古い自販機に駆けつければ、そこにはなぜか下着を排出する謎の改造自販機と、下顎が突き出た変人・化学部元部長の姿が。次々と転がり出るブリーフ、集まる野次馬、笑いをこらえない友人たち。そして妹は、なぜか生徒会の唐沢さんに相談しているらしく……。下着と自販機と下顎が交錯する、男子高校生のシュールで騒がしい日常コメディ。笑いのあとに、ほんの少し昔の記憶がよぎる――。
男子高校生の日常・真田北スクランブル - 夜の校舎、決着と、明日のたこ焼き
夜の校舎は、昼間とはまったく別の生き物みたいだった。
廊下に響くのは、俺たちの足音だけ。蛍光灯は消えていて、窓から差し込む月明かりが、床に青白い四角形をいくつも並べている。教室のドアというドアは全部閉じていて、どの教室も、中に誰もいないことを隠すように黙り込んでいた。
「……なあ、タダクニ。本当にここにいるのかよ」
金髪のヨシタケが、俺の背中にくっつくようにして囁いた。身長178センチのくせに、今はやけに小さく見える。
「副会長の情報だ。間違いないだろ」
俺は前を向いたまま答えた。声が震えないように、腹に力を込める。
「でもよ、夜の学校って、マジでシュールだぜ。昼間あんなにうるさいのに、今は墓場みたいだ」
「お前、墓場行ったことあんのかよ」
「いや、行ったことないけど、イメージだよ、イメージ」
「イメージで言うな。……静かにしろ。着くぞ」
俺は足を止めた。
廊下の突き当たり、理科室の前。非常口の緑のランプだけが、ぼんやりと浮かび上がっている。その薄暗い光の中に、二つの人影があった。
一人は、眼つきの悪いメガネをかけた少女。黒い髪を後ろで一つにまとめて、中央高校の制服のスカートの裾を短く折り曲げている。ヤナギンだ。
もう一人は、ツインテールの少女。真田東女子高校の紺のブレザーを着て、にこにこと笑っている。見た目は可愛いが、その笑顔には毒がある。生島だ。
二人は、俺たちの足音に気づいていたのか、振り返りもせずに、ただ立っていた。
「遅かったじゃない。待ちくたびれたわ」
ヤナギンが、眼鏡の奥の鋭い目を、こちらに向けた。
「夜の学校に忍び込むなんて、北高の生徒会も随分と不良になっちゃったね」
生島が、くすくすと笑った。
俺の後ろから、ヒデノリが一歩前に出た。茶髪の眼鏡が、月明かりに白く光る。
「お前らこそ、こんな時間に何してんだよ。不法侵入だぞ」
「あら、人のこと言えるの? あんたたちも同じでしょ」
「俺たちは、妹の日記帳を取り返しに来ただけだ」
俺は、ヤナギンの目をまっすぐに見た。
「日記帳を返せ。あれは、俺の妹のものだ」
ヤナギンは、ふん、と鼻で笑った。
「あれはあたしが盗ったものよ。返す義務なんてないわ」
「ふざけるな! お前が盗んだんだろ! 返すのが当たり前だ!」
俺の声が、廊下に響いた。
その時だった。
「——待て、タダクニ」
低い声が、俺の後ろから聞こえた。
振り返ると、黒い帽子を被った唐沢としゆきが、壁にもたれて立っていた。帽子の下から、鋭い黒い目が、ヤナギンを見据えている。その後ろには、生徒会長、副会長、モトハルもいた。
「ヤナギン。お前の言いたいことは分かっている。だが、その前に、一つ確認させてくれ」
唐沢が、一歩前に出た。
「お前は、校内掲示板に、あの日記の内容を投稿したのか?」
ヤナギンの顔色が、一瞬で変わった。
「……は? 何言ってんの? 投稿者はあたしじゃない。あんたたちの誰かよ!」
ヤナギンが、声を張り上げた。
「……え?」
ヒデノリが、眼鏡の奥の目を丸くした。
「どういうことだよ、それ」
ヨシタケが、大げさに首を傾げた。
「……つまり、投稿者は、お前たちの中にいる、ということか」
唐沢が、淡々とした声で言った。
「そうよ。あたしは、日記を公開するって予約投稿しただけ。でも、その予約は、誰かに取り消されてた。それで、あたしのアカウントから、勝手に投稿されたのよ」
ヤナギンが、悔しそうに唇を噛んだ。
「……副会長」
唐沢が、後ろを振り返った。
顔は怖いが、中身は紳士的な副会長が、一歩前に出た。元ヤンキーらしい鋭い目つきだが、今は真剣な表情をしている。
「はい。今、掲示板の管理画面を確認しました」
副会長が、スマホの画面をこちらに向けた。
「投稿予約は、すべて取り消されています。そして、日記帳のデータも、すべて削除済みです」
「……なんだと?」
俺は、思わず声を漏らした。
「……実は、私が、投稿予約を取り消し、データを削除しました。公開予定時刻の直前に、管理権限で強制削除したのです」
副会長が、静かに言った。
「お前が……?」
ヤナギンが、目を見開いた。
「はい。私は、あなたたちの行動を、ある程度予測していました。なので、公開される前に、すべて消去したのです」
「あんた、いつから……! あんた、そんなことできる立場だったの!?」
ヤナギンが、声を震わせた。
「私は、生徒会の副会長です。掲示板の管理権限は、元々持っています。それに、あなたたちが、日記帳を盗んだことも、投稿を予約したことも、すべて把握していました」
「……じゃあ、なんで、今まで黙ってたんだよ」
ヒデノリが、不思議そうに聞いた。
「……確実に、投稿を止められるタイミングを、待っていたのです。あなたたちが、ここに来ることも、計算のうちでした」
「……はっ、やるじゃない。北高の副会長サマは、随分と頭が切れるのね」
ヤナギンが、皮肉っぽく笑った。でも、その声は、明らかに動揺していた。
「……さて、ヤナギン。これで、お前の手札は、全部なくなった。日記帳を、返してもらおうか」
唐沢が、一歩、ヤナギンに近づいた。
「……嫌よ。返さない。これは、あたしの復讐の道具なんだから」
ヤナギンが、日記帳を胸に抱きしめた。
「……そうか。なら、俺の話を聞いてくれ」
唐沢が、帽子のつばに手を当てた。
「俺の、額の傷の話だ」
ヤナギンの体が、びくりと震えた。
「……やめて。あんたに、その話をされる資格はない」
ヤナギンが、絞り出すような声で言った。
「ああ、分かっている。俺に、お前に何かを言う資格はない。だが、それでも、言わせてくれ」
唐沢は、深く息を吸った。
「俺の過去のせいで、お前が傷ついたのは、事実だ。それは、俺が一番よく分かっている。だから、謝る。すまなかった」
唐沢が、深々と頭を下げた。
夜の校舎に、沈黙が落ちた。
誰も、何も言わなかった。
俺も、ヒデノリも、ヨシタケも、会長も、副会長も、モトハルも。
そして、ヤナギンも、生島も。
全員が、唐沢の頭を見ていた。
あの、いつも冷静で、頭が切れて、誰にも弱みを見せない唐沢が。
今、頭を下げている。
「……唐沢さん」
モトハルが、小さく呟いた。
ヤナギンは、唇を噛みしめていた。
眼鏡の奥の目が、月明かりに濡れているように見えた。
「……だから、妹さんは関係ない。返してやってくれ。頼む」
唐沢は、頭を下げたまま、もう一度言った。
ヤナギンは、しばらく、黙っていた。
それから、ゆっくりと、日記帳を差し出した。
いや、差し出した、というより、投げ渡した。
「……もう、いいわよ。こんなもの!」
日記帳が、放物線を描いて、俺の胸に飛び込んできた。
俺は、反射的に、両手で受け止めた。
ずしりと、重い。
これが、妹の日記帳だ。
妹が、毎日、少しずつ書いていた、あの日記帳だ。
「次やったら、ただじゃおかないからね! 覚えてなさいよ!」
ヤナギンが、涙声で叫んだ。
「……ヤナギン、もういいでしょ。行こう」
生島が、苦笑いしながら、ヤナギンの腕を引いた。
「……うるさい! あんたは黙ってて!」
ヤナギンが、生島の手を振り払った。
でも、生島は、また、ヤナギンの腕を優しく掴んだ。
「ほら、行くよ。夜の学校に、いつまでもいられないでしょ」
生島が、ヤナギンを引っ張っていく。
ヤナギンは、俺たちを、一度だけ振り返った。
その顔は、怒りと、悔しさと、そして、ほんの少しの悲しみが混ざっていた。
それから、二人は、廊下の向こうへ消えていった。
足音が、遠ざかっていく。
やがて、聞こえなくなった。
「……ありがとう、唐沢さん」
俺は、日記帳を胸に抱きしめながら、唐沢に言った。
「……礼を言われるようなことは、していない。むしろ、俺のせいで、お前の妹を巻き込んだ。すまなかった」
唐沢は、帽子を深く被り直した。
「……いや、そんなことないです。唐沢さんが、頭を下げてくれたから、日記帳が返ってきた。本当に、ありがとうございます」
俺は、もう一度、頭を下げた。
「……そうか。なら、いい。それより、早く帰って、妹さんに、日記帳を渡してやれ」
唐沢が、静かに言った。
「……はい」
俺は、頷いた。
「よっしゃあ! これで一件落着だな!」
ノリと勢いで生きている生徒会長が、突然、大声を出した。
「……会長、声が大きいです。夜ですよ」
副会長が、呆れたように言った。
「いやー、だってよ、緊張してたから、肩の力が抜けたんだよ! いやー、よかったよかった!」
会長が、ガハハと笑った。
「……会長、もう少し静かにしてください。警備員が来ます」
オールバックの黒髪のモトハルが、ため息をつきながら言った。
「大丈夫だって! 俺たちは正義の味方なんだから!」
「不法侵入してる正義の味方って、初めて聞いたわ」
モトハルが、冷めた目で会長を見た。
「細かいことは気にすんなよ! さあ、帰ろうぜ! 腹減ったし、どっかでラーメンでも食って帰ろう!」
「……会長、今日はもう遅いです。ラーメンはまた今度にしてください」
副会長が、会長を諌めた。
「えー、せっかくの打ち上げなのにー」
会長が、しょんぼりした。
「打ち上げは、明日でもできます。今日は、タダクニ君を早く家に帰してあげてください」
副会長が、俺を見た。
「……そうだな。タダクニ、お前は先に帰れ。妹さんが待ってる」
唐沢が、俺の肩を軽く叩いた。
「……分かりました。本当に、みなさん、ありがとうございました」
俺は、みんなに頭を下げた。
「いいってことよ。困った時は、お互い様だろ」
ヒデノリが、にっと笑った。
「そうだぜ! 義侠心ってやつだ!」
ヨシタケが、胸を張った。
「お前、義侠心って言葉、まだ使ってたのかよ」
俺は、思わずツッコんだ。
「だって、かっこいいだろ!」
「使いどころが、微妙にずれてるんだよな」
「まあまあ、いいじゃねえか。細かいことは」
ヒデノリが、俺とヨシタケの肩を組んだ。
「……そうだな。細かいことは、明日考えよう」
俺は、小さく笑った。
心の奥で、何かが、じわりと温かくなっていた。
(俺の日常、悪くないな)
そう、思った。
——
家に帰ると、妹の部屋の明かりが、まだついていた。
「おい、ただいま」
俺は、妹の部屋の前で、声をかけた。
返事は、なかった。
「……入るぞ」
俺は、ゆっくりと、ドアを開けた。
妹は、ベッドの上で、布団にくるまっていた。
顔は、見えない。
でも、布団が、小さく震えていた。
「……おい、日記帳、取り返してきたぞ」
俺は、妹の枕元に、日記帳を置いた。
布団が、ぴくりと動いた。
「……お兄ちゃんが、取り戻してくれたの?」
妹の、かすれた声が聞こえた。
「……ああ。でも、俺一人じゃ無理だった。みんなが、協力してくれたんだ。唐沢さんも、副会長も、ヒデノリも、ヨシタケも、会長も、モトハルも。みんなが、お前の日記帳を取り返すために、動いてくれたんだ」
俺は、正直に言った。
「……そっか」
妹が、小さく呟いた。
布団が、ゆっくりと、めくられた。
妹が、顔を出した。
目が、赤く腫れていた。
涙の跡が、頬に、くっきりと残っていた。
でも、その顔は、少しだけ、笑っていた。
「……お兄ちゃん、ありがとう」
妹が、小さく、そう言った。
それから、妹は、照れ隠しのように、俺の脛を蹴った。
「いってーな! なんで蹴るんだよ!」
俺は、思わず叫んだ。
「……だって、お兄ちゃんが、かっこつけるから」
妹が、くすっと笑った。
「かっこつけてないだろ。事実を言っただけだ」
「はいはい。……でも、本当に、ありがとう。お兄ちゃん」
妹が、もう一度、言った。
「……おう。……それと、ごめんな。俺、お前の日記、守れなかった」
俺は、妹の頭を、ポンと撫でた。
「……ううん。お兄ちゃんは、守ってくれたよ。だから、もう、謝らないで」
妹が、俺の手を、そっと握った。
「……そうか。……じゃあ、もう、泣くなよ。お前の泣き顔は、見たくない」
「……うん。もう、泣かない。……多分」
妹が、いたずらっぽく笑った。
「多分、ってなんだよ。そこは、泣かない、って言い切れよ」
「だって、お兄ちゃんが、また何かしたら、泣いちゃうかもしれないし」
「俺は、もう何もしないよ。お前の下着を、自販機に詰め込んだりも、もうしない」
「あれは、私がやったんじゃなくて、お兄ちゃんの下着を、私が詰め込んだの!」
「どっちにしても、俺は被害者だろ」
「……まあ、そうなんだけどね」
妹が、笑った。
久しぶりに、妹の笑い声を聞いた気がした。
(やっぱり、妹は、笑ってる方がいい)
俺は、心の中で、そう思った。
——
翌日の放課後。
教室の窓から、夕日が差し込んでいた。
俺とヒデノリとヨシタケは、いつものように、教室の後ろの方で、だらだらとしていた。
「なあ、タダクニ。あのさ、ラバーシューターって、本当にいたのかな」
ヒデノリが、窓の外を見ながら、ぽつりと呟いた。
「……なんだよ、急に」
俺は、ヒデノリの顔を見た。
「いや、昨日の夜、色々あって、ふと思い出したんだよ。俺、小学生の頃、いじめられてた時、ラバーシューターに助けてもらったんだ。あれって、本当にいたのかな、って」
ヒデノリが、眼鏡を押し上げながら、遠くを見た。
「……さあな。でも、そういうやつがいてもいいんじゃないか」
俺は、少しだけ間を置いてから、答えた。
「……お前、それ、どういう意味だよ」
ヒデノリが、俺を見た。
「……そのまんまの意味だよ。ラバーシューターが、本当にいたかどうかは、分からない。でも、困ってるやつを助けるやつが、この世の中に、本当にいる。それで、十分だろ」
「……お前、たまに、いいこと言うよな」
ヒデノリが、小さく笑った。
「たまに、ってなんだよ。いつもだろ」
「いや、たまにだ。本当に、たまに」
「お前、それ、褒めてないだろ」
「褒めてる褒めてる。……シュールだな」
ヨシタケが、突然、口を挟んだ。
「……お前、今、会話に入ってきた?」
「入ってきたぜ。……いや、でも、なんか、いい話だな。ラバーシューターって、なんか、夢があるよな」
ヨシタケが、しみじみと言った。
「……お前、今日、なんか変だぞ。熱でもあるんじゃないか?」
「失礼な! 俺だって、たまには、いい話の一つや二つ、するんだぜ!」
「たまに、か。……まあ、確かに、今日のヨシタケは、いつもより、ちょっとだけ、賢いな」
ヒデノリが、笑った。
「ちょっとだけ、ってなんだよ! すごく賢いだろ!」
「いや、ちょっとだけだ」
「ちょっとだけだな」
「お前ら、ひどくない!?」
三人で、笑い合った。
夕日が、教室を、オレンジ色に染めていた。
(ああ、これが、俺の日常だ)
(やっぱり、これが、一番いい)
俺は、心の中で、そう思った。
その時、スマホが震えた。
画面を見ると、りんごちゃんからメールだった。
『今度、たこ焼きおごりなさいよ! 妹の件、水に流してあげたんだからね!』
「……なんでだよ!」
俺は、思わず、声に出してツッコんだ。
「どうした、タダクニ?」
ヒデノリが、俺のスマホを覗き込んだ。
「……りんごちゃんからだ。たこ焼きおごれって」
「お、それはいいじゃねえか! 俺も行くぜ!」
ヨシタケが、目を輝かせた。
「お前は、呼ばれてないだろ」
「えー、いいだろ、別に。たこ焼き、みんなで食った方が、美味いんだぜ」
「まあまあ、そう言うなよ。俺も行くし、ヨシタケも連れて行こうぜ」
ヒデノリが、俺の肩を組んだ。
「……なんで、お前らまで来るんだよ。りんごちゃんに、余計に怒られるだろ」
「大丈夫大丈夫! たこ焼きの力は、偉大だぜ!」
「そうだそうだ! たこ焼きは、世界を平和にするんだ!」
「……お前ら、たこ焼きを何だと思ってるんだよ」
俺は、呆れた。
でも、口元は、笑っていた。
(まあ、いいか。たこ焼き、久しぶりに食いたいし)
(それに、こういうのが、日常ってやつなんだろうな)
俺は、窓の外の夕焼けを見ながら、そう思った。
——
夕焼けの校門前。
俺は、一人で、あの自販機を眺めていた。
古い自販機。
あの騒動の、始まりの場所。
今は、静かに、そこに立っている。
「……何をしている」
後ろから、声がした。
振り返ると、唐沢が立っていた。
黒い帽子を被り、鋭い目をしている。
「……唐沢さん。いや、別に、何もしてないです。ただ、ぼーっと、自販機を見てただけです」
「……そうか。……妹さん、元気になったか」
唐沢が、静かに聞いた。
「……はい。おかげさまで、いつも通りです。今朝も、俺の脛を蹴ってきました」
「……そうか。それは、何よりだ」
唐沢が、小さく笑った。
「……あの、本当に、ありがとうございました。唐沢さんが、頭を下げてくれなかったら、日記帳は返ってこなかったと思います」
俺は、唐沢に頭を下げた。
「……礼は、もういい。……それと、あの日記帳、俺は見てない。お前の妹さんの、大切なものだろ」
唐沢が、静かに言った。
「……はい。……でも、唐沢さんなら、見ても、誰にも言わないって、信じてます」
「……そうか。……ありがとう」
唐沢が、少しだけ、口元を緩めた。
それから、唐沢は、背を向けて、歩き出した。
「……気をつけて帰れよ」
「……はい。唐沢さんも」
俺は、唐沢の背中を見送った。
夕日が、唐沢の影を、長く伸ばしていた。
(あの人は、本当に、何も知らないままでいいのか)
俺は、ふと、そう思った。
唐沢の過去。
ヤナギンとの因縁。
額の傷の秘密。
俺たちは、まだ、何も知らない。
でも、唐沢は、それを、俺たちに話すつもりは、ないのだろう。
(……まあ、いいか。あの人なりに、色々あるんだろ)
俺は、そう思って、自販機から目を離した。
——
その夜。
俺が部屋でゴロゴロしていると、妹が、部屋に入ってきた。
「……ねえ、お兄ちゃん。唐沢さんって、なんかあったの? 最近、元気ないみたいだけど」
妹が、小さな声で聞いてきた。
「……お前、唐沢さんと、そんなに仲良かったっけ?」
「……仲良いっていうか、前に、相談に乗ってもらったことがあって。それから、時々、話すの」
「……そうか。……さあな。俺にも、よく分からない。でも、あの人なりに、色々あるんだろ」
俺は、天井を見ながら、答えた。
「……ふーん」
妹が、首をかしげた。
「……お前、あんまり、唐沢さんのこと、詮索するなよ。あの人には、あの人の、色々があるんだから」
「……うん。分かってる。……おやすみ、お兄ちゃん」
妹が、部屋を出て行った。
俺は、一人、天井を見つめていた。
唐沢の過去。
ヤナギンの因縁。
まだ、俺たちの知らないところで、何かが、続いている。
(……まあ、今は、考えても仕方ないか)
俺は、目を閉じた。
明日は、りんごちゃんと、たこ焼きだ。
ヒデノリとヨシタケも、来るらしい。
きっと、また、騒がしくなる。
でも、それが、俺の日常だ。
俺は、静かに、眠りについた。Noveliaとは?
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