男子高校生の日常・真田北スクランブル
真田北高校2年A組、放課後の教室は今日も平和に騒がしい。炭酸が飲めないだけで人類の分岐点を語り出す友人、意味もなく眼鏡をかける親友、そしてツッコミに追われる俺・タダクニ。そんな日常に舞い込んだのは、妹からの一通のメール――「お兄ちゃんの下着、自販機に詰めといたから☆」。校門前の古い自販機に駆けつければ、そこにはなぜか下着を排出する謎の改造自販機と、下顎が突き出た変人・化学部元部長の姿が。次々と転がり出るブリーフ、集まる野次馬、笑いをこらえない友人たち。そして妹は、なぜか生徒会の唐沢さんに相談しているらしく……。下着と自販機と下顎が交錯する、男子高校生のシュールで騒がしい日常コメディ。笑いのあとに、ほんの少し昔の記憶がよぎる――。
男子高校生の日常・真田北スクランブル - 文学少女の妄想小説と、消えた日記帳
放課後の2年A組教室。窓の外はまだ明るく、グラウンドから部活の掛け声が遠く聞こえてくる。黒髪を軽く流したタダクニは、机の上でペンをくるくると回しながら、金髪を逆立てた友人を半目で見ていた。
「でさ、あのラスト、マジで意味わかんなくなかった? 宇宙が実は全部カレーの具だったって」
ヨシタケが大げさに両手を広げる。身長178センチの体が、夕日に照らされてやけに大きく見えた。タダクニはペンを机に置いて、深いため息をついた。
「お前、あれ見てないだろ。あらすじサイトのネタバレだけで語るなよ」
「いや、見たって! レンタルで借りたって! ……最初の30分だけな」
「やっぱり見てないんじゃねえか」
茶髪で眼鏡をかけたヒデノリが、窓枠に寄りかかったまま、にやにやと笑いながら口を挟んだ。視力は2.0のはずなのに、なぜかいつも眼鏡をかけている男だ。
「ヨシタケ、お前それ、あらすじサイトの方が面白いって結論だろ」
「だって、あの映画、説明が長すぎるんだよ。カレーの具の宇宙とか、意味わかんねえし」
「お前が寝てたからだろ。あの映画のテーマは、宇宙のすべてがつながってるってことなんだよ」
「カレーの具がつながってんのかよ」
「そう。ニンジンもジャガイモも、もとは同じ宇宙のカレーなんだよ」
「お前、今ので理解した顔してるの、すげえな」
「理解したっていうか、もうどうでもよくなってきた」
「それ、映画見た意味ないだろ」
ヨシタケが突然、思い出したように手を叩いた。
「そういえばヒデノリ、お前さ、文学少女にまた小説のネタにされてたぞ」
一瞬、空気が変わった。
ヒデノリの笑顔が、ほんのわずかだけ固まる。タダクニはそれを見逃さなかった。眼鏡の奥の明るい茶色の目が、一瞬だけ、笑っていなかった。
「あー、ラバーシューターのやつね」
ヒデノリはすぐにいつもの調子で笑った。でも、タダクニには分かった。今、こいつの目は笑っていなかった。
「ラバーシューターって、なんだ?」
「お前、知らねえの? 文学少女が書いてる小説の主人公だよ。ゴム鉄砲で悪を倒すヒーロー」
「ゴム鉄砲で悪を倒すって、それ、悪が弱すぎるだろ」
「そこはほら、ゴム鉄砲が特殊な力を持ってる設定で」
「どんな力だよ」
「撃ったゴムが、なぜか美少女のスカートの中に吸い込まれていく力」
「なんでそうなるんだよ」
「知らねえよ。俺が書いたんじゃねえし」
「でも、お前がモデルなんだろ? ラバーシューターって」
「だから、俺はラバーシューターじゃないし」
ヒデノリは笑いながら言った。でも、その声には、ほんの少しだけ棘があった。タダクニは、ペンを指で弾いた。
(ラバーシューター、か)
タダクニは、幼い頃の記憶を思い出していた。指鉄砲から輪ゴムを飛ばす、ヒーローのお面とマフラーを纏った少年。パッヘルベルのカノンを口ずさみながら、いじめられっ子だったヒデノリを助けた。
あれは、俺だ。
でも、ヒデノリは、そのことを、もう覚えていない。いや、覚えていないふりをしている。
「なあ、タダクニ。お前、なんか変な顔してるぞ」
「別に。お前の顔よりマシだろ」
「ひでえ! 俺の顔、そんなに変か!?」
「変っていうか、シュールだな」
「お前、今、俺の真似しただろ! シュールって言った!」
「言ってない。気のせいだろ」
「言った! 絶対言った! ヒデノリ、聞いたよな!?」
「聞いた聞いた。タダクニ、今、確かにシュールって言った」
「お前まで嘘つくなよ」
「嘘じゃねえよ。タダクニがシュールって言うなんて、明日は雪が降るな」
「真田市で雪かよ。温暖化が進んでるのに」
「温暖化と雪は関係あるのか?」
「知らねえよ。気象予報士に聞け」
三人で、他愛もない話を続ける。窓の外では、野球部がグラウンドを走っている。その声が、遠く、聞こえてくる。
「そういえば、今日も生徒会室に行くのか?」
「いや、今日は行かない」
「妹ちゃん、なんか言ってた?」
「何も。昨日の夜、部屋の前で『日記帳見た?』って聞かれただけだ」
「日記帳?」
「ああ。俺は見てないって言ったら、なんでもないって、部屋に閉じこもった」
「タダクニ、お前、妹さんとちゃんと話した方がいいぞ。前にも言ったけど、行動力のあるやつは、一人で抱え込みやすいから」
ヒデノリの眼鏡の奥の目が、真剣だった。タダクニは、小さく頷いた。
「……そうだな」
「なんだよ、素直じゃん。気持ち悪いな」
「うるさい。お前、さっきから人のことばっか言ってるけど、自分の心配しろよ」
「俺の心配? なんで?」
「お前、昨日の小テスト、赤点だっただろ」
「なんで知ってんだよ!」
「担任が廊下で叫んでた。『ヨシタケ、お前、名前だけ書いて寝たのか!』って」
「マジかよ! ヨシタケ、お前、名前だけ書いて寝たのか!」
「だって、眠かったんだよ。仕方ないだろ」
「いや、仕方なくない。お前、テスト中に寝るなよ」
「だって、あの問題、意味わかんねえんだもん。『次の文章を読んで、筆者の主張を述べよ』って、筆者に聞けよって話だろ」
「お前、それ、国語のテストなのに、筆者に聞けって、どういう理屈だよ」
「だって、筆者が一番正しい答えを知ってるんだから、聞くのが一番早いだろ」
「お前、天才だな。俺、今、ちょっと感動したわ」
「だろ? 俺、たまに冴えるんだよ」
「冴えてない。お前の頭は、いつも通りだ」
「ひでえ! でも、お前、今、天才って言ったじゃん!」
「皮肉だよ。皮肉」
「皮肉って、褒めてるんじゃないの?」
「ヨシタケ、お前、国語のテストで名前だけ書いて寝たのに、皮肉の意味を聞くのかよ」
「うるせえ! 俺は、知ってるけど、確認しただけだ!」
「確認するなよ。恥ずかしいから」
その時、教室の扉が開いた。
「ヒデノリ、いた」
声の方を振り返る。そこに立っていたのは、長い黒髪を三つ編みにした、小柄な女子高生だった。真田西高校の制服を着ている。手には、分厚い原稿用紙の束を抱えている。
「げっ」
ヒデノリが、小さく声を漏らした。タダクニとヨシタケは、顔を見合わせる。
「げっ、じゃないでしょ。今日は、新作の朗読会をするから、来て」
「え、ちょっと待って。俺、今日は用事が……」
「ないでしょ。知ってるんだから。放課後、いつもフラフラしてるじゃない」
「フラフラしてない。俺は、充実した放課後を送ってる」
「どこが? ゲームセンターでクレーンゲームに千円使って、何も取れなかったくせに」
「なんで知ってんだよ!」
「昨日、見てたから。あんた、あのぬいぐるみ、欲しかったの?」
「違う! あれは、その、妹が欲しいって言うから」
「あんた、妹いないでしょ」
「……なんで知ってんだよ」
「あんたのことは、なんでも知ってるの。小説のネタだから」
文学少女は、にこりと笑った。タダクニは、その笑顔を見て、背筋がひんやりするのを感じた。
「なあ、タダクニ。あの人、やばくないか?」
「お前、今さらかよ。前からやばいだろ」
「いや、前よりやばくなってる気がする」
「気のせいだろ。……たぶん」
文学少女が、タダクニとヨシタケの方を向いた。
「あんたたちも来る? タダクニの妹ちゃんが、今回、結構いい役で出てるから」
「は? 俺の妹?」
タダクニは、思わず声を上げた。
「そう。怪力の妹ちゃん。ラバーシューターを助ける、大事な役」
「なんで、俺の妹が、お前の小説に出てくるんだよ」
「だって、面白いじゃない。お兄ちゃんの下着を自販機に詰める妹って、最高のキャラでしょ」
「最悪だよ。あの話、もう蒸し返すな」
「蒸し返してない。新作のネタにしただけ」
「余計にタチが悪いわ」
「それで、どうする? 来る? 来ない?」
「俺は行かない。絶対に行かない」
「あら、残念。妹ちゃんの活躍、見たかったのに」
「見なくていい。俺の妹を、お前の妄想に巻き込むな」
「妄想じゃない。文学よ」
「どこが文学だよ。ゴム鉄砲で美少女のスカートの中に……」
タダクニは、言いかけて、やめた。これ以上、この女のペースに乗るのは危険だ。
「ヒデノリ、行くわよ。今日は、喫茶ポエムの2階で、特別朗読会を開くから」
「ちょっと待って。俺、まだ行くって言ってない」
「あんた、前回の朗読会、途中で逃げたでしょ。今回は、逃がさないから」
文学少女は、ヒデノリの腕を掴んだ。
「ちょ、やめ、離せ! 俺は、まだ、あの物語の続きを聞く心の準備が……」
「準備は、いらない。物語は、待ってくれないの」
「なんだよ、その名言みたいなの! お前、今、自分で言ってて恥ずかしくないの!?」
「恥ずかしくない。だって、文学だもの」
「だから、どこが文学だよ!」
ヒデノリが、文学少女に引きずられていく。タダクニとヨシタケは、その様子を、ただ見送ることしかできなかった。
「シュールだな」
「お前、今、自分から言ったな」
「だって、シュールだろ。あの二人、付き合ってるの?」
「知らねえよ。でも、ヒデノリは、あれを面倒くさがってるように見えて、実は、まんざらでもないんだろ」
「え? そうなの?」
「さあな。俺にも分からん。でも、あの文学少女、ヒデノリのことを、よく見てるよ。クレーンゲームの話とか、俺たちも知らなかったのに」
「たしかに。あれ、ちょっと怖かったな」
「まあ、ヒデノリのフラグは、いつも通り、立っては折れるだろ」
「たしかに。あいつ、フラグ乱立しては、自分でへし折るからな」
「ああ。今回も、どうせ、ろくなことにならない」
タダクニは、窓の外を見た。夕日が、校舎の影を、長く伸ばしている。
(それにしても、なんで、あの文学少女の小説に、俺の妹が出てくるんだ)
タダクニは、心の中で、そう呟いた。
──
喫茶ポエム。真田中央商店街の入口から、少し奥まった場所にある、純喫茶だ。1階がカフェで、2階が貸しスペースになっている。文学少女は、その2階を、朗読会の会場にしていた。
「それでは、新作『ラバーシューターと美少女の恋、そして怪力の妹』の朗読を始めます!」
文学少女が、原稿用紙を掲げて、高らかに宣言した。ヒデノリは、椅子に座らされ、逃げ出せないように、入り口の近くに文学少女のカバンが置かれている。
「タイトルからして、もう、色々とおかしいんだが」
「おかしくない。これは、愛と勇気と怪力の物語よ」
「怪力、混ざってるし」
「いいから、聞きなさい。始めるわよ」
文学少女は、深呼吸をして、朗読を始めた。
「『夜の闇が、街を包み込む。その中を、一つの影が駆け抜けていく。彼の名は、ラバーシューター。指鉄砲から輪ゴムを放つ、謎のヒーローである』」
「おい、タダクニ。これ、マジで聞くのか?」
ヨシタケが、タダクニの耳元で囁いた。タダクニたちは、結局、喫茶ポエムの2階に来ていた。ヨシタケが「シュールなものを見たい」と言い出したからだ。
「お前が来たいって言ったんだろ」
「いや、来たいとは言ったけど、ここまでシュールだとは思わなかった」
「黙って聞け。あの女、途中で話しかけると、倍の長さでやり直すから」
「マジかよ。怖えな」
文学少女の朗読は、続く。
「『ラバーシューターは、今日も、悪の組織と戦っていた。しかし、敵は強く、ラバーシューターは、絶体絶命のピンチに陥る。その時——』」
「『待たせたわね! 怪力の妹、参上よ!』」
タダクニは、頭を抱えた。
(俺の妹が、こんなところで、ラバーシューターを助けてる……)
「おい、なんで、俺の妹が、『待たせたわね!』とか言ってるんだよ」
「だって、怪力の妹は、そういうキャラだから」
「お前が決めたキャラだろ! 俺の妹は、そんなこと言わない!」
「でも、お兄ちゃんの下着を自販機に詰める妹なら、これくらい言うでしょ」
「言わない! あれは、あいつの中では、正義の行動だったんだ!」
「正義の行動? お兄ちゃんの下着を自販機に詰めるのが?」
「……今のは、俺が悪かった。忘れてくれ」
「忘れない。新作のネタにするから」
「やめろ! これ以上、俺の妹を、お前の小説に出すな!」
「タダクニ、お前、妹さんのことで、意外と熱くなるんだな」
「当たり前だろ。俺の妹だぞ」
「でも、普段は、妹さんと、あんまり話してないじゃん」
「……それは、そうだけど」
タダクニは、言葉に詰まった。たしかに、俺は、妹と、月に一度ほどしか、まともに話していない。
でも、それでも、妹は、俺の妹だ。
「それでは、続きを読みます。怪力の妹は、ラバーシューターを助けるために、悪の組織の戦闘員を、次々と投げ飛ばしていきます」
「『えいっ! やあっ! とうっ! 怪力の妹は、戦闘員を、まるで紙くずのように、軽々と投げ飛ばしていく。その力は、まさに、人間の限界を超えていた』」
「なあ、タダクニ。お前の妹さん、実際にあれくらい強いの?」
「……あいつは、小学生の頃、同級生の男の子を、片手で持ち上げて、校庭の木の上に置いたことがある」
「マジで!? それ、怪力っていうか、もう、怪獣だろ!」
「だから、俺は、あいつに逆らえない」
「お前、兄として、情けなくないの?」
「情けないよ。でも、命には代えられない」
「命って、そこまで!?」
文学少女の朗読は、さらに続く。ラバーシューターと美少女の恋。怪力の妹の活躍。そして、なぜか、最後は、宇宙のすべてが、カレーの具だったという展開に繋がる。
「『こうして、ラバーシューターと美少女、そして怪力の妹は、宇宙の真実を知る。宇宙のすべては、カレーの具だったのだ』」
「おい、それ、昨日の映画のパクリだろ」
「パクリじゃない。オマージュよ」
「オマージュって、言えば何でも許されると思うなよ」
「許される。だって、文学だもの」
「だから、どこが文学だよ!」
「いや、でも、面白かったよ。ラバーシューターが、カレーの具になる展開は、予想外だった」
「お前、あれで面白いって、感性おかしいだろ」
「だって、シュールじゃん。宇宙がカレーの具って」
「お前、なんでもシュールって言えばいいと思ってるだろ」
「思ってない。でも、シュールなものは、シュールなんだよ」
文学少女が、原稿用紙を閉じて、満足げに笑った。
「ふう、今日の朗読会は、大成功ね。次の小説のネタ、もらったわ」
「何をもらったんだよ。俺の妹のことを、これ以上、ネタにするな」
「でも、怪力の妹は、人気キャラになるわよ。きっと」
「なるな。俺の妹は、お前の小説の人気キャラにならなくていい」
「つれないわね。せっかく、妹ちゃんを、物語の中で輝かせてあげようと思ったのに」
「余計なお世話だ。あいつは、現実で、十分、輝いてる」
タダクニは、そう言って、立ち上がった。
「帰るぞ、ヨシタケ」
「え? もう? まだ、なんか、お茶でも……」
「帰る。ここにいたら、俺の妹が、どんどん、おかしなキャラにされる」
「たしかに。じゃあ、帰るか」
タダクニとヨシタケは、喫茶ポエムの2階を後にした。ヒデノリは、まだ、文学少女に捕まっている。
「ヒデノリ、置いてきちゃったけど、大丈夫かな」
「大丈夫だろ。あいつは、あれで、文学少女の相手を、なんだかんだで楽しんでるから」
「そうか? あれ、楽しんでるように見えた?」
「見えない。でも、逃げようと思えば、逃げられるだろ。あいつ、身体能力だけは高いから」
「たしかに。あいつ、助走なしで5メートル跳び移るもんな」
「ああ。なのに、逃げないってことは、まあ、そういうことだ」
「なんだよ、それ。やっぱり、まんざらでもないんじゃん」
「さあな。俺には分からん」
商店街を歩く。たこ焼き屋「たこ八」の前を通りかかると、店主の八田源蔵が、威勢のいい声を上げていた。
「らっしゃい! 焼きたてのたこ焼き、1パック8個300円だよ!」
「あ、たこ焼き、うまそうだな。買って帰ろうかな」
「お前、昨日も食ってたろ。太るぞ」
「大丈夫。俺は、太らない体質なんだ」
「その根拠のない自信、どこから来るんだよ」
「俺の腹を見ろ。この割れた腹筋を」
「割れてない。むしろ、たこ焼きで、さらに丸くなるぞ」
「ひでえ! でも、今日は、やめとく。姉貴が、なんか、うるせえから」
「お前の姉貴、また、なんかやらかしたのか?」
「あいつは、いつも、なんかやらかしてる。昨日も、俺の部屋に勝手に入って、漫画を全部、順番をバラバラにして並べやがった」
「それは、なかなかの嫌がらせだな」
「だろ!? しかも、俺が怒ったら、『あんたの漫画、どうせ、順番に並べてるだけでしょ』って、逆ギレされた」
「お前の姉貴、相変わらずだな」
「ああ。俺は、あいつのせいで、どんどん、人間として、ダメになっていく」
「お前は、姉貴がいなくても、十分、ダメだろ」
「うるせえ! ……まあ、たしかに、そうだけど」
「認めるなよ。そこは、反論しろ」
「反論できる要素が、一個もないんだよ。それが、悲しい」
二人で、商店街を抜けて、住宅街に入る。空は、もう、すっかり暗くなっていた。
「じゃあ、俺、こっちだから」
「おう。また明日な」
「タダクニ、お前の妹さん、なんか、悩んでるなら、ちゃんと話聞いてやれよ」
ヨシタケが、急に真面目な顔で言った。
「なんだよ、急に」
「いや、なんとなく。お前、妹さんのこと、あんまり知らないだろ。俺も、姉貴のこと、あんまり知らないけど、でも、家族だから、気になるだろ」
「……そうだな」
「じゃあな。また明日」
「おう」
ヨシタケと別れて、タダクニは、自宅に向かって歩き出した。真田北高校から徒歩10分の、2階建ての一軒家。タダクニの家は、もうすぐそこだ。
──
その夜。
タダクニは、自室で、ベッドに寝転がって、天井を見つめていた。
(妹、大丈夫かな)
昨日の夜、妹が「日記帳、見た?」と聞いてきたことを思い出す。あの時の妹は、いつもの強気な態度とは、明らかに違っていた。
(何か、あったのか?)
タダクニは、起き上がって、机の上のスマホを手に取った。妹にメッセージを送ろうか、迷う。
(いや、やめとこう。あいつ、今、なんか言ったら、逆ギレする)
タダクニは、スマホを置いて、再び、ベッドに横になった。
その時だった。
ガタン。
家のどこかで、物音がした。
「……ん?」
タダクニは、体を起こした。耳を澄ます。
……シーン。
静かだ。
(気のせいか?)
タダクニは、再び、横になろうとした。
ガタン。
また、物音。今度は、はっきりと聞こえた。
(今度は、どこだ?)
タダクニは、ベッドから降りて、部屋のドアを開けた。廊下に出る。
「……誰かいるのか?」
返事はない。
タダクニは、廊下を歩いた。妹の部屋の前で、足を止める。
ドアの下から、光が漏れている。
(まだ、起きてるのか?)
タダクニは、妹の部屋のドアを、軽くノックした。
「おい、今、物音しなかったか?」
返事がない。
「おい、聞こえてるか?」
それでも、返事がない。
タダクニは、ドアノブに手をかけた。
「開けるぞ」
ドアを開ける。
部屋の中は、電気がついていた。でも、妹の姿がない。
「……おい、どこだ?」
部屋の中を見回す。ベッドの上は、乱れている。机の上は、散らかっている。そして、窓が、開いている。
カーテンが、風で、ゆらゆらと揺れている。
「なんで、窓が開いてるんだ……」
タダクニは、窓に近づいた。
外は、暗い。風が、生ぬるく吹いている。
その時、階下から、叫び声が聞こえた。
「お兄ちゃん!! 私の下着がない!!」
タダクニは、階段を駆け下りた。
リビングに、妹が立っていた。顔は青ざめ、目に涙を浮かべている。
「どうした!? 何があった!?」
「私の部屋、荒らされてる! 下着が、全部、ないの!」
「なに!?」
タダクニは、再び、妹の部屋に駆け上がった。
部屋の中は、さっき見た時よりも、さらに荒れている。タンスの引き出しが、全部、開けられている。床には、服が散乱している。
そして、床に、泥の足跡があった。
「……誰かが、窓から入ったんだ」
タダクニは、足跡をじっと見つめた。見覚えのない、大人の足跡。
「お兄ちゃん、どうしよう……私の下着、全部、盗まれちゃった……」
妹が、タダクニの背中に、しがみついてきた。タダクニは、妹の震えを、背中に感じた。
「大丈夫だ。警察に……いや、その前に、唐沢さんに連絡する」
タダクニは、スマホを取り出して、唐沢としゆきに電話をかけた。
──
30分後。
タダクニの家に、唐沢がやってきた。いつもの帽子を被り、鋭い黒い目が、帽子のつばの下から、部屋の中をじっと観察している。体のあちこちに古い傷がある、生徒会の影の実力者だ。
「……なるほどな。泥の足跡、窓の鍵。計画的にやったんだろう」
「計画的って、誰が、こんなことを」
「お前、心当たりはないか?」
「ない。俺も、妹も、誰かに恨まれるようなことは……」
タダクニは、言いかけて、口を閉じた。
(妹は、俺の下着を自販機に詰めた。でも、それは、校内の話だ)
「……ヤナギンと生島、か」
唐沢が、ぽつりと呟いた。
「ヤナギンと生島?」
「ああ。中央高校のヤナギンと、真田東女子高校の生島。二人とも、俺と、過去に因縁がある」
「因縁って、どんな?」
「……話すと長くなる。今は、それどころじゃない。とにかく、あの二人なら、こういうことをやりかねない」
唐沢の声は、いつも通り、淡々としていた。でも、その目は、鋭く光っていた。
「お兄ちゃん、私の下着、どうなっちゃうの……?」
妹が、涙声で言った。
「大丈夫だ。必ず、取り返す」
タダクニは、妹の頭を、そっと撫でた。
「お兄ちゃんが、だらしないから、こんなことになるんだよ!」
妹が、突然、タダクニの手を振り払って、怒鳴った。
「は? なんで、俺のせいになるんだよ!」
「だって、お兄ちゃんが、ちゃんと、家の戸締まりを確認しないから! お兄ちゃんが、だらしないから、泥棒に入られたんだよ!」
「いや、俺は、ちゃんと、戸締まりしてたし! つうか、窓の鍵を開けっ放しにしてたのは、お前だろ!」
「私は、開けっ放しにしてない! 閉めたもん!」
「でも、実際、開いてたんだろ! 泥棒は、開いてる窓から入ったんだ!」
「うるさい! お兄ちゃんのせい! 全部、お兄ちゃんのせい!」
妹は、そう叫ぶと、部屋に閉じこもってしまった。バタン、とドアが閉まる。
「……俺のせいかよ」
タダクニは、廊下にしゃがみ込んだ。
「妹さんは、動揺してる。八つ当たりは、仕方ないさ」
「分かってます。でも、やっぱり、兄としては、堪えるものがある」
「そうか。……お前、妹さんに、聞いたか? 下着以外に、何か盗まれてないか」
「いや、まだ。下着がないって、それだけで、パニックになってて」
「確認した方がいい。盗まれたものが、下着だけとは限らない」
「……そうですね」
タダクニは、立ち上がって、妹の部屋のドアをノックした。
「おい、下着以外に、何か、なくなってるものはないか?」
しばらく、沈黙。
「……日記帳」
小さな声が、ドアの向こうから聞こえた。
「日記帳? お前、日記帳なんて、持ってたのか?」
「……持ってた。小学校の頃から、ずっと、書いてた。それが、ない」
「日記帳か。それは、まずいな」
唐沢が、険しい顔で言った。
「どういうことですか?」
「下着だけなら、単なる変質者の犯行で済む。でも、日記帳まで盗まれたとなると、目的は、別にある。おそらく、妹さんの日記の内容を、何かに利用するつもりだ」
「利用って、まさか……」
「ああ。脅迫か、あるいは、晒すか」
タダクニは、拳を握りしめた。
「お兄ちゃん……あの日記、誰にも見られたくない……」
ドアの向こうから、妹の泣き声が聞こえる。
タダクニは、初めて、妹の弱さを目の当たりにした。
いつもは、強気で、怪力で、俺に説教ばかりしてくる妹。
でも、今は、泣いている。
(俺は、何もできないのか)
タダクニは、ドアに手を当てた。
「大丈夫だ。俺が、必ず、取り返す。だから、泣くな」
「……お兄ちゃんには、関係ない」
「関係なくない。お前は、俺の妹だろ」
「……お兄ちゃんは、何も知らないくせに」
妹の声が、震えている。
「何も知らないから、今、知ろうとしてるんだ。お前が、何を抱えてるのか、俺に教えてくれ」
沈黙。
「……もういい。お兄ちゃんには、関係ないから」
妹は、それっきり、何も言わなくなった。
タダクニは、ドアの前に、しばらく立ち尽くしていた。
──
翌朝。
真田北高校の校内ネット掲示板に、一通の書き込みが投稿された。
タイトルは、『真田北の恥さらし』。
タダクニは、教室で、ヒデノリとヨシタケと共に、その書き込みを、スマホの画面で見ていた。
「なんだよ、これ……」
書き込みの内容は、こうだった。
『真田北高校2年A組、タダクニの妹は、日記に、とんでもないことを書いている。その内容を、今夜、公開する。楽しみにしていろ』
「タダクニ、これ、お前の妹さんのことか!?」
「ああ。昨日の夜、妹の部屋に、泥棒が入ったんだ。下着と、日記帳を盗まれた」
「なんで、そんなことが! 誰が、こんなことを!」
ヒデノリが、珍しく、声を荒げた。
「唐沢さんは、ヤナギンと生島の仕業だって言ってた」
「ヤナギンと生島って、中央高校のヤナギンと、真田東女子の生島か?」
「お前、知ってるのか?」
「名前だけは。唐沢さんと、昔、何かあったらしいって、噂で聞いたことがある」
「そうなのか」
「ああ。詳しいことは、俺も知らない。でも、あの二人は、かなり、危ないって話だ」
「タダクニ、これ、放っておいたら、妹さんの日記が、学校中に晒されるぞ」
ヨシタケが、真顔で言った。
「分かってる。でも、どうすればいい。投稿者は匿名だ。手がかりがない」
「唐沢さんに、相談したのか?」
「した。でも、証拠がないから、動けないって」
「くそ……なんとか、ならないのか」
ヒデノリが、スマホの画面を、食い入るように見つめている。
「タダクニの妹は、俺たちの妹みたいなもんだろ! こんなこと、許せるわけがない!」
ヒデノリが、怒りを露わにした。
「シュールじゃねえ。これは、本気だ。本気で、妹さんを助けなきゃいけない」
ヨシタケも、珍しく、真剣な表情で言った。
タダクニは、二人の顔を見た。
(こいつら、本気で、俺の妹のことを、心配してくれてる)
タダクニは、胸の奥が、じわりと温かくなるのを感じた。
「……ありがとう。でも、これは、俺の問題だ。お前らを、巻き込むわけにはいかない」
「何言ってんだよ! 俺たちは、友達だろ! 友達の妹が、ピンチなんだ。巻き込まれないわけがないだろ!」
「そうだぜ。俺たち、こう見えて、義侠心は強いんだ」
「お前ら……」
タダクニは、言葉に詰まった。
「絶対に、止める。俺が、絶対に、妹の日記を、守る」
タダクニは、拳を握りしめた。
(でも、どうやって?)
具体的な手立ては、まだ、何も見つかっていない。
脅迫文は、今夜、日記の内容を公開すると言っている。
時間がない。
タダクニは、スマホの画面を、もう一度、見つめた。
『真田北の恥さらし』
その文字が、目に焼き付く。
(俺は、絶対に、お前を守る)
タダクニは、心の中で、妹に誓った。
窓の外では、朝の光が、校舎を照らしていた。
でも、タダクニの心は、暗い雲に覆われていた。Noveliaとは?
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