この素晴らしい世界に祝福を! if カズマが復讐のダークヒーローになるルート
冒険者サトウ・カズマは、パーティーメンバーのアクア、めぐみん、ダクネスと共に魔王軍幹部ベルディアと戦っていた。
しかし最終決戦直前、アクアの失態により作戦が敵に漏洩。ついにカズマはブチ切れ、「お前ら、最低だ!」と叫び、パーティーを追放し、一人で戦うことを決意する。
「もう二度と誰も信じない」
その誓いと共に、カズマは闇ギルド『シャドウストーカー』に加入。そこで出会ったのは、かつてアクアに騙された元女神の闇神官マリア。彼女から、怒りと恨みを力に変える禁断スキル『怨念武装』を教わる。
カズマは怒りを武器に変え、ベルディアを一撃で撃破。しかしその姿は、もはや英雄のそれではなかった。
一方、アクアたちはカズマの本当の大切さに気づく。ダクネスは「私が彼を連れ戻す!」と宣言し、めぐみんは「私の爆裂魔法だけが彼を救える!」と誓い、アクアは……おにぎりを食べながら泣いていた。
カズマは魔王軍幹部を次々と倒し、ついに単身魔王城へ突入する。待ち受ける魔王は言う。「お前の本当の敵は俺ではない。お前自身の憎しみだ」
その言葉に、カズマは気づく。自分はただ、アクアたちに「ごめん」と言いたかっただけ
この素晴らしい世界に祝福を! if カズマが復讐のダークヒーローになるルート - 闇の刻印 ― 怨念武器化と駄女神の後悔
地下水路の空気は、ひんやりと湿っていた。
石段を下りるたびに、カビと土と、何かもっと古いもの——血のような、鉄のような、そんな匂いが濃くなっていく。壁には苔がびっしりと貼りついていて、ところどころから水滴が垂れ、闇の中にコツン、コツン、と小さな音を響かせていた。
「ふん……思ったより立派な隠れ家だな」
小さく呟いてみる。声はすぐに暗闇に吸い込まれて、消えた。
右手に握りしめた羊皮紙には、昨日の夜にあのフードの男から渡された地下水路の地図が描かれている。商業地区の枯れ井戸から地下へ潜り、第七区画を目指せ——そう書いてあった。地図の端に走り書きされた『怒りを力に変えろ』の文字が、カンテラの揺れる灯りの中でぼんやりと浮かび上がる。
(怒りを、力に……か)
昨日のことを思い出すと、胸の奥にどす黒いものが込み上げてくる。
アクアのヘラヘラした謝り方。めぐみんの爆裂バカ。ダクネスの変態的な笑み。せっかく立てた作戦が全部パアになって、借金30万エリスは返せずじまい——いや、そもそも俺たちのパーティがこれまでどれだけの借金を重ねてきたか。あいつらのせいで。
5万エリスを川に落とした。爆裂魔法で街灯をいくつも吹き飛ばした。敵の攻撃をわざと受けて鎧を毎回ダメにした。
「ふざけんなよ……」
声が震えた。
怒りじゃない。悔しさだ。
本当はわかってる。あいつらがいなきゃ、俺はたぶん、とっくにこの世界で野垂れ死んでた。でも——それでも。今回ばかりは、どうしても許せなかった。
(お前らは、俺の信頼をなんだと思ってたんだ)
カンテラの灯りを右手に持ち替える。左手の指が、無意識にあの場所——これから呪印が刻まれる場所をなぞっていた。
やがて、目の前に石の壁が現れた。
地図によれば、ここが第七区画の入り口だ。壁には目印なんてない。けど、カンテラの灯りを近づけると、壁の一部がほんの少しだけ紫色に光っているのが見えた。認識阻害の結界——そういえば、闇ギルドの本部には魔法の隠蔽がかけられているって噂を聞いたことがある。
「……ここか」
壁に手を触れる。ひんやりとした石の感触。
《パスワードを》
頭の中に、突然、声が響いた。低く、機械的な女の声だ。
「なっ……」
(パスワード? 聞いてねえぞ、そんなの!)
動揺して、一歩後ずさる。でも、次の瞬間。
《パスワードを》
もう一度、同じ声。待ってる。
俺は、頭が真っ白になりながらも、とっさに叫んでいた。
「怒りを、力に変えろ!」
——ゴゴゴゴゴ。
石壁が、横にスライドして開いていく。重々しい音を立てて。
中から、むわりとした空気が流れ出てきた。カビとも血とも違う、何か、胸の奥がざわつくような匂い。
「……入るぞ」
一歩、踏み出した。
内部は、思ったよりも明るかった。壁一面に紫色の燐光が走り、ぼんやりと空間を照らしている。天井の高さは三メートルくらいか。思ったより広い——ざっと学校の教室二つ分はあるんじゃないか。
壁には、無数の棚。そこに並んでいるのは——
「……なんだ、これ」
黒く濁ったガラス瓶。中で何かがうごめいている。古びた巻物。人間の手の形をした燭台。刃こぼれした剣が十数本、無造作に積まれている。どれもこれも、見るからにヤバそうなものばかりだ。
(ここが、シャドウストーカーの本部……)
噂には聞いていた。約70年前、正規の冒険者ギルドから追放された連中が作った闇ギルド。禁忌スキルの売買、暗殺依頼、呪具の取引——構成員はたった40人ほどだが、その戦闘力は正規ギルドも手を出せないほど高いっていう。
入会条件は一つ。『正規ギルドまたは仲間から裏切られた経験があること』。
「お前が、サトウ・カズマか」
声がして、振り返る。
奥の暗がりから、一人の男が歩み出てきた。
年の頃は四十代か五十代。灰色の髪をオールバックにして、左目に縦に走る古い傷跡がある。服装は黒尽くめのコート。右手に持った杖は、先端に紫色の宝石が埋め込まれていて、さっきまで壁に走っていた燐光と同じ色に鈍く輝いている。
「ああ、俺は——」
「聞いてる。お前は仲間に裏切られた。借金の原因を作られ、命懸けの作戦も台無しにされた」
男は淡々とした口調で言うと、杖で床をコツンと叩いた。
「話してくれ。お前の口から」
——その目が、値踏みするように俺を見ている。
(こいつ、面接官か)
俺は唾を飲み込んで、話し始めた。
「……アクアのやつが、酔った勢いで敵に作戦をバラしたんです。俺たちが五日間かけて準備した、ベルディア討伐の作戦を。借金30万エリスを返すための、命懸けの大勝負だったのに」
言葉にしたら、怒りがぶり返してきた。
「それだけじゃねえ。めぐみんの爆裂魔法はいつも一発だけ。撃ったら動けなくなるから、毎回俺が背負って帰るハメになる。ダクネスは攻撃をわざと受けて悦んでる変態女。鎧がダメになるからそのたびに借金が増える。俺は、ただ必死にみんなをまとめようとしてただけなのに——」
息が切れた。拳を握りしめたまま、肩で息をする。
男は、じっと聞いていた。
そして——口元を、わずかに歪めた。
「合格だ」
「……え?」
「その怒り。その悔しさ。それが、ここでは力になる」
男はくるりと背を向け、奥の通路へと歩き出した。
「入れ。奥で幹部のマリア様が待っている」
——マリア。
聞いたことのない名前だ。
面接官の後を追いながら、俺はさらに奥へと進んだ。通路の壁には相変わらず、気味の悪い呪具の数々が並んでいる。棚の一つには『怨念の短剣(試作品)——使用者三名、全員精神崩壊』と書かれたラベルが貼ってある。
思わず足を止める。
「……精神崩壊?」
「気にするな。お前には、もっと上等なものを用意してある」
面接官が振り返らずに言う。杖の先の宝石がチカチカと瞬いた。
やがて通路の先に、一枚の黒い扉が現れた。
「ここだ」
面接官が一礼して去っていく。
「……入れ」
中から声がした。女の声だ。
「ふふ……怖がらなくていいわよ」
手をかける。ギィ、と蝶番が軋んだ。
部屋の中は、意外なほど、何もなかった。
壁一面にびっしりと本棚が並んでいるだけで、机も椅子もない。床には円形の魔法陣が描かれていて、それが紫色にぼんやりと光っている。
そして部屋の中央に、彼女は立っていた。
銀色——いや、薄紫色の髪を腰まで伸ばし、片側だけを編み込んでいる。細い身体を包むのは黒いローブ。襟元から覗く鎖骨のあたりに、いくつもの呪印の痕が這っているのが見えた。
何より目を引くのは、その目だった。
金色の瞳が、じっと俺を見つめている。冷たい——けれど、どこか吸い込まれそうな深さのある目だった。
「あなたが、アクアに裏切られたっていう子ね」
声は、静かだった。
でも、その口元には薄笑いが浮かんでいる。
「私はマリア。元・女神。今はこうして、ダークプリーストをやってるわ」
「元女神?」
「アクアと同じよ。私は天界にいた女神だった」
淡々と、感情のこもらない口調で彼女は続ける。
「でも、アクアに騙された。あいつの嘘で、私は人間界に落とされた。女神としての資格も、力も、全部取り上げられて——私はただの人間に堕ちたの」
金色の目が、わずかに揺れた。
「あなた、アクアの『ごめん〜』を見たんでしょ? あの、何も考えてなさそうな笑顔を」
「……ああ」
「あれよ。あれが、アクアの本性。人を傷つけて、自分は何も悪くないと思ってる。謝れば許されると思ってる。——私は、それを許せなかった」
彼女は一歩、俺に近づいた。
ふわりと、花のような、でもどこか冷たい匂いが鼻をかすめる。
「だから、あなたに教えてあげる。怒りを無駄にしない方法を」
マリアの左手が、俺の右手をそっと持ち上げた。
ひやりとした指先。冷たい——まるで氷みたいだ。
「——『怨念武器化(ヴェンジェンス・アームズ)』。仲間への恨み、怒り、失望——そういう負の感情を、物理的な武器に変換する禁断スキルよ」
「怒りを……武器に?」
「ええ。感情が強ければ強いほど、武器の威力は増すわ。実際の戦闘力で言えば、魔王軍幹部にも匹敵する——あなたが今倒したいのは、デュラハンのベルディアだったわよね? あのくらいなら、あなたの怒りの量があれば一撃よ」
「一撃……」
心臓が、ドクンと鳴った。
あの首なし騎士を、一撃で倒せる。そしたら借金は返せる。そしたら——
「でも、代償がある」
マリアの声が、急に冷たくなった。
「怨念武器化を使い続けると、負の感情が精神を侵食する。最初はちょっとした苛立ちが、やがて誰彼構わず憎しみを向けたくなって、最終的には自我を完全に失う。——過去、このスキルを習得した者は五人。全員、例外なく暴走して自滅したわ」
呼吸が止まった。
「そんな……」
「怖い? もちろん、逃げてもいいわよ」
彼女は、初めて微かに口元を緩めた。
「でも——あなた、このまま逃げて、何ができるの? 借金を返せるの? ベルディアを倒せるの? あの、あなたのすべてを台無しにした最低な女神に、仕返しができるの?」
言葉が、胸に突き刺さる。
違う。何もできない。
あいつらなしじゃ、俺はただのヘタレで、幸運値だけが取り柄の中途半端な冒険者だ。この世界にチート能力もなく、戦闘でも役立たず扱いされてきた。唯一の拠り所だった『仲間をまとめること』すらも、アクアのドジで奪われた。
(じゃあ……どうしろっていうんだ)
「憎みなさい」
耳元で囁く声。
「アクアを。めぐみんを。ダクネスを。——お前を裏切った、最低な仲間たちを」
マリアの指が、俺の右手の甲をなぞる。
「そうすれば、あなたは強くなれる」
《契約を受理しました》
頭の中に、さっき壁で聞いたのと同じ機械的な声が響いた。
同時に、右手の甲が——焼けるように熱くなった。
「——痛ッ!!」
肉が焼ける匂い。皮膚の上で黒いインクのようなものが、生き物みたいにうねりながら形を作っていく。幾何学模様。古代文字——いや、呪いの紋章だ。
「がっ……あああっ!!」
焼ける。焼ける。焼ける。
右手の甲が、熱した鉄を押し当てられたみたいに激痛を発している。視界がチカチカして、膝から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。
「我慢して。刻印が定着するまで、あと少し」
彼女の声は、どこまでも冷静だった。
やがて——十秒か、二十秒か、もっと長く感じられた時間が過ぎて——痛みが、すっと引いていった。
「……はぁ、はぁ」
右手の甲を見る。
そこには、黒い呪印の刻印がくっきりと刻まれていた。渦を巻くような模様の中心に、何かの目玉のような文様が浮かんでいる。
《怨念武器化(ヴェンジェンス・アームズ)——スキル習得》
《現在の怨念強度:中》
《対象:アクア、めぐみん、ダクネス》
「成功ね」
マリアが小さく息をつく。
「ふふ……あなたの右手、綺麗に刻まれたわ。私のよりずっと力強い」
彼女は自分の左手を持ち上げた。そこにも、同じような呪印の刻印がいくつも重ねて刻まれている。
「あなたは特別。この私が、そう感じるのは初めてよ」
マリアは初めて——本当に、初めて——確かな感情を込めて微笑んだ。
「さあ、訓練場へ行くわ。試し斬りをしましょう」
——同じ頃。
アクセルの街、ポカポカ荘。
二階の一番奥の部屋から、くぐもった泣き声が漏れていた。
「うぅ……ひっく……カズマのバカぁ……」
布団を頭からかぶったまま、アクアはおにぎりを握りしめて泣いていた。水色のポニーテールはぼさぼさに乱れて、大きな青い瞳からは止めどなく涙がこぼれ落ちている。
床には、空になったおにぎりの包み紙が十枚以上、ぐしゃぐしゃに丸められて散乱していた。女将のミーナが気を利かせて持ってきてくれたらしい梅干しおにぎりの最後の一つを、彼女は今、泣きながらかじっている。
「だって、だって……私、ただちょっとおしゃべりが楽しくなっちゃっただけで……パーティ追放ってひどくない……?」
ぐしゃぐしゃの顔で、おにぎりにかぶりつく。
米粒がほっぺたにくっつく。涙のしょっぱさと梅干しのしょっぱさが混ざって、口の中が大変なことになっている。
「私、最高の女神なのに……宴会芸だって達人級なのに……なんでみんな、私のこと置いてっちゃうのぉ……」
廊下では、めぐみんとダクネスが、扉の前に突っ立っていた。
ダクネスが閉じた扉をじっと見つめながら、深いため息をつく。腰まであるブロンドのポニーテールが、だらりと垂れている。
「……アクアは、あれで結構、堪えているようだな」
「それはそうだろう。カズマにあそこまで怒鳴られたのだからな」
めぐみんも、いつもの芝居がかった口調が影を潜めている。腰まである長い黒髪を指でいじりながら、深紅の目が不安そうに揺れた。右目の包帯——『封印されし魔眼』の設定のための、あの痛々しい包帯——の端を、無意識に引っ張っている。
「我は……我はな、ダクネス」
「なんだ」
「我はまだ、カズマに爆裂魔法の素晴らしさを伝えきっていなかったのだ」
めぐみんの声が、かすかに震える。
「爆裂魔法は、この世で最も美しく、最も無駄がなく、最もロマンに溢れた攻撃魔法だ。それを、なぜあいつは――」
「……あいつにとっては、ロマンより実用性だったんだろうな」
ダクネスがぽつりと返す。自分でも驚くほど冷静な声が出た。
「でも、それだけじゃない」
彼女は腕を組み、うつむいた。
「カズマは……私たちに、ずっと我慢してくれていたんだろう。アクアのミスを毎回フォローして、めぐみんの爆裂バカに付き合って、私の変態的な……その、性癖にまで」
「お前のそれは、流石にカズマも限界だったのではないか」
「うっ……!」
ダクネスは一瞬、むせた。でもすぐに、青い目をぎゅっと閉じて、首を振る。
「でも、私は——」
「私が彼を取り戻す」
めぐみんが、小さく息を呑む。
「本気か」
「本気だ。こんな終わり方、あまりにも惨めすぎる。カズマにはまだ、ちゃんと言ってないことがある」
ダクネスが顔を上げた。青い瞳に、強い光が宿っている。
「ちゃんと……感謝していると。伝えてない」
しん、と廊下が静まり返った。
アクアの泣き声だけが、部屋の中から漏れてくる。
「……具体的な手立ては、あるのか?」
「ない」
「ないのか」
「ない。でも、探す。絶対に」
ダクネスが拳を握りしめる。
「今回ばかりは……私のこの変態的な性癖も、役に立つかもしれん。だって私は、どんなに傷ついても、前に進めるんだ」
「それはちょっと違う気がするぞ」
「違わない!」
ダクネスが声を張り上げて、すぐに「あっ」と口を押さえた。
めぐみんが、呆れた顔で彼女を見る。
「……ふふ」
めぐみんが、小さく笑った。
「な、なにがおかしい」
「いや、お前がそんなに素直にカズマを想っているのを聞くのは、初めてだと思ってな」
めぐみんの言葉に、ダクネスの頬がほんの少し赤くなる。
「だ、だってあいつは——」
「わかっている。我も同じだ」
めぐみんが、深紅の目をまっすぐにダクネスに向けた。
「我も、まだカズマに伝えたいことがある。——爆裂魔法を、ちゃんと見せたいのだ。あいつに」
小さな体が、ぎゅっと拳を握る。
「だから我も探すぞ。あいつがどこにいるのか」
ふたりは、顔を見合わせた。
と、その時。
ドアがバタンと開いて、アクアが飛び出してきた。
「わ、私も探す! 私もカズマにもう一回謝る!」
顔中が涙と米粒でぐちゃぐちゃだ。水色のポニーテールは乱れて、前髪は汗で張り付いている。
「……アクア、お前、ちゃんと反省しているのか?」
「してるもん! ちゃんと反省してるもん!」
アクアが拳を握って、叫ぶ。
「私、カズマがいないと、また引きこもり女神に逆戻りだもん! それに、それに——」
彼女は、ぐしゃぐしゃの顔で、それでも必死に言った。
「——カズマがいないと、おにぎり、おいしくないんだもん……」
廊下に、沈黙が落ちた。
「……お前の反省は、結局それか」
めぐみんが深いため息をつく。
ダクネスも苦笑いした。
「まあ、アクアらしいといえば、アクアらしいがな」
「なによ、なによー! 大事なことなんだからね!」
アクアが、涙をぬぐいながら騒ぐ。
三人は顔を見合わせた。
そして、めぐみんが口を開く。
「……まずは情報を集めるのだ。我の爆裂魔法で、この空気を吹き飛ばし——」
「建物ごと吹き飛ぶからやめろ!!」
ダクネスが素早く突っ込む。
少しだけ——ほんの少しだけ、三人の口元が、緩んだ。
——地下水路、訓練場。
石造りの天井が高く、床には古い剣の傷跡が無数に刻まれている。壁際にはボロボロの訓練用人形が転がっていて、どれもこれも何か鋭利なもので切り裂かれた跡があった。
「ここは、ギルド構成員がスキルの練習に使う部屋よ」
マリアが、壁に寄りかかりながら言う。
「さあ、やってみて。アクアへの怒りを、右手に集中させるの」
「……わかった」
俺は、右手を持ち上げた。
甲の刻印が——じわり、と熱を帯び始める。
(アクア。お前を……許さねえ)
心の中で、アクアの顔を思い浮かべる。
あの、何も考えてなさそうな笑顔。
『えへへ、ごめん~』
謝って済むと思ってやがる。お前のせいで、俺たちはいつも借金まみれだった。お前のせいで、今回の作戦も——
——刻印が、疼いた。
「う……!」
右手のひらの上に、黒いモヤが集まり始める。空気がひんやりと冷え込んで、かすかな腐臭が漂った。
モヤはみるみるうちに形を変え、不安定に揺らめきながら、短剣の形になろうとしている。
「もっとよ。憎みなさい」
マリアの冷たい声が、背中越しに聞こえる。
「お前を裏切った、最低な仲間たちを。思い出して」
「……めぐみん! てめえの爆裂バカのせいで、俺は何回森の中をおんぶして歩いたと思ってんだ!」
黒い短剣の輪郭が、はっきりとしてきた。
「ダクネス!! お前のドMがなければ、どれだけ鎧の修理費が浮いたと思ってる!!」
刃の部分が、鋭く尖っていく。
「アクアアアアアア!!!」
最後に、心の底から叫んだ。
瞬間——ブワッ!!
右手の中に、黒い短剣が完全に形を成した。
ずっしりとした重み。刃渡りは三十センチほどか。表面は黒く濁っていて、見ているだけで目がチカチカする。刃の根本には、俺の手の甲と同じ呪印の模様が浮かんでいた。
「成功だ……できたぞ、武器が!」
「ふふ。やっぱり、あなたは特別だわ」
マリアが、後ろで小さく拍手をした。
「その短剣なら、そのへんの鉄の剣よりずっと切れるわよ。試してみる?」
彼女が顎で指した先には、壁際の訓練用人形がある。
俺は、短剣を構えた。
一歩踏み込んで——振り下ろす!!
ザシュッ!!
嫌な音がした。
人形の胴体が、まるで豆腐みたいに簡単に両断される。断面は焦げたように黒くなっていて、ジュウジュウと煙を上げている。
「これ……すげえな」
《怨念強度が上昇しました。現在:中→高》
頭の中に、またあの機械的な声が響く。
同時に——
(ざまあみろ、あいつら……最低な奴らだ。全部、あいつらのせいだ)
心の奥底で、何かが囁いた。
自分の声じゃない。もっと低く、どろどろとした、別の 誰か の声。
「……今の、なんだ?」
「怨念の声よ」
マリアが、静かに言う。
「怨念武器化を使うたびに、あなたの精神は少しずつ侵食される。最初はこんなふうに、小さな囁きから始まって、いつか——あなたのすべてを飲み込む」
彼女の金色の目が、じっと俺を見つめる。
「それでも、構わないのね?」
俺は、短剣を見下ろした。
右手の中で、それは確かな重みを持って存在している。
これがあれば——ベルディアを、倒せる。
「……構わねえよ」
顔が、自分でもわかるくらい、歪んでいた。
笑っているのか、怒っているのか。
「どうせ、俺はもう誰も信じねえ。あいつらをぶっ倒して、借金返して——それで終わりだ」
「いい目だわ」
マリアが、一歩近づく。
彼女の指が、そっと俺の右手の刻印に触れた。
「三日後、実戦で試すわよ。場所はトワイラの森。ちょうどいい練習相手がいるの」
「練習相手?」
「ふふ……お楽しみに」
彼女は、それだけ言うと、くるりと背を向けて部屋を出て行った。
残された俺は、一人、訓練場に立ち尽くす。
右手の刻印が——まだ熱い。
(あいつらは最低だ……)
さっきの囁きが、まだ耳の奥に残っている。
頭を振って、短剣を手放す。
ブワッと黒い霧が散って、短剣は消えた。
でも、刻印の疼きだけは消えない。
ずっと、じんじんと痛んでいる。
(これでいい。これでいいんだ)
俺は、もう一度、強く拳を握りしめた。
——ポカポカ荘では。
「決めたぞ。まずは風見鶏亭で情報を集める」
ダクネスが、廊下で宣言した。
「カズマが最後に目撃されたのは、商業地区の枯れ井戸の近くだ。そこから地下水路に潜ったとすれば——」
「シャドウストーカーの仕業かもしれんな」
めぐみんが腕を組んだ。黒髪がさらりと揺れる。
「闇ギルドだ。正規の冒険者ギルドが手を出せない相手だが——我は構わん。爆裂魔法で全部吹き飛ばしてでも、カズマを取り戻す」
「だから建物ごと吹き飛ばすなと——」
「私も行く!私も行くったら行く!」
アクアが、顔に米粒をつけたまま飛び出してくる。
三人は、顔を見合わせた。
「よし」
ダクネスが、拳を握る。
「私が、必ずカズマを見つけ出す。そして——今度こそ、ちゃんと伝えるんだ。お前が必要だと」
彼女の青い目が、まっすぐに前を見据えている。
そこには、変態的な妄想に耽る時のだらしない光はなかった。
本物の決意の光だけが、静かに燃えていた。
——しかし、三人はまだ知らない。
カズマが地下水路の奥で、何を手に入れたのかを。
あの黒い刻印が、右手の甲で、どす黒く輝き始めていることを。Noveliaとは?
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