悪い子はお仕置き
鈴木陸斗は、秘密の趣味を持つ高校二年生。門限を破った娘を母親がお仕置きする音声記録を密かに聴くのが癖で、叩かれる音と泣き声に心臓が高鳴る。自分はおかしいと思うけれど、やめられない。
ある日の帰り道、陸斗は路地裏で古びたボタンを見つける。押してみると、幼馴染の水無月ひなたが突然現れ、クラスメイトの柊るなのお尻を叩き始めた。パシン! るなが悲鳴を上げ、陸斗の頭は真っ白になる。ボタンには『お仕置き実行ボタン』と書かれていた。
押すたびに、女の子たちが勝手にお仕置きし合う。止められない。でも陸斗は気づく——叩かれている子も、どこか安堵した顔をしていることに。罪悪感と好奇心がぶつかり合う。
一方、校内一厳しい風紀委員長・白河真冬が陸斗をマーク。『校内の風紀の乱れ』を調査し始める。陸斗は必死に隠そうとするが、ボタンの力はお構いなしに暴走していく。
陸斗の秘密を知る謎の少女・柊るなが問い詰める。「そのボタンは危険よ。私に渡しなさい」。るなは、お仕置きされる女の子たちを操れる力のことを知っていた。
陸斗は葛藤する。ボタンを使うたび、誰かが傷つく。でも、涙目の女の子が「許してください」と言いな
悪い子はお仕置き - 贖いの石の光 ―暴走を止める、四人の代償―
御影神社の境内に足を踏み入れた瞬間、世界の色が変わった。
雨はやんでいた。でも、空はまだ厚い雲の下にある。境内のあちこちから、青白い光が立ち上っている。光は柱のように空へ伸び、雲の底をぼんやりと照らしていた。
鈴木陸斗は、その光景に足を止めた。
(なんだ、これ……)
地面の石畳が、呼吸するように明滅している。目地の一本一本が、血管のように青白く脈打っていた。光は本殿の奥から流れ出し、境内を満たし、鳥居の外の代償坂へと続いている。
そして、街のあちこちから聞こえてくる。
パァン。パァン。パァン。
乾いた音。悲鳴。泣き声。それらが雨上がりの空気を震わせ、遠くから波のように押し寄せてくる。
「リクくん……これ、全部……」
隣に立つひなたの声が震えていた。明るい茶色のセミロングは雨に濡れて重く垂れ、サイドのお団子も崩れかけている。琥珀色の大きな瞳が、青白い光の中で不安げに揺れていた。
「まだ止まってない。むしろ、さっきより強くなってるわ」
真冬が、右手の黒い風紀記録帳を胸の前で握りしめながら言った。銀色がかったプラチナブロンドから、雫が一滴、頬を伝って落ちる。氷のような水色の瞳が、境内の光景を冷静に観察していた。左耳の銀のピアスが、青白い光を反射して瞬く。
「鈴木くん。ボタンは」
るなの声は、いつも通り静かだった。でも、その声の奥に、かすかな緊張が混じっている。腰まで届く黒髪は雨でしっとりと濡れ、紫色の毛先が白い肌に張りついていた。切れ長の瞳が、陸斗のポケットを見つめている。
陸斗は、ポケットの中のボタンを握った。
熱い。さっきよりも、ずっと熱い。真鍮の縁が掌に食い込むほどの熱さだった。振動も激しくなっている。まるで、陸斗の心臓と同期しているかのように、ドクンドクンと脈打っていた。
「……ああ、持ってる」
声が掠れる。喉が渇いていた。
四人は、本殿へと続く石段の前で立ち止まった。
青白い光の柱が、本殿の真上から空へ伸びている。光は雨雲を貫き、天へと吸い込まれていくようだった。
その光の根元に、あった。
石段を上がった先、本殿の正面。
大きな石が、鎮座していた。
高さは陸斗の腰ほど。表面はつるりと滑らかで、雨に濡れて黒く光っている。でも、その石の周囲だけ、空気が違った。青白い光が、石の表面を這うように流れ、内側から何かが透けて見えるような、不思議な輝きを放っている。
「あれが……贖いの石」
陸斗は呟いた。
御影神社の奥に、触れると心が軽くなるという古い石がある。そんな話を、昔、誰かから聞いたことがある。たぶん、小学生の頃の社会科見学で、神主が話していたのかもしれない。
まさか、それがこれだったのか。
「そう。贖いの石。この街の代償の理の、中心にある石よ」
るなが、陸斗の隣に立った。
「鈴木くん。祖母の遺言の、最後の部分を話すわ」
るなは、陸斗の目をまっすぐに見た。紫色の瞳が、青白い光の中で、吸い込まれそうなほど澄んでいる。左目の下の泣きぼくろが、雨に濡れた肌の上で、小さく影を落としていた。
「聞かせて」
陸斗は、拳を握りしめた。
るなは、一度だけ深く息を吸い込んだ。
「——『ボタンの主が己の歪みを認め、守りたいと願ったとき、ボタンは本来の姿に戻る』。これが、祖母が遺した最後の言葉よ」
るなの声が、静かな境内に染み込んでいく。
己の歪みを認め。
守りたいと願ったとき。
陸斗の胸の奥で、言葉が反響する。
(俺の、歪み)
陸斗は、ポケットからボタンを取り出した。
真鍮のボタン。緑青の吹いた、古びたボタン。表面に刻まれた「お仕置き執行」の文字が、青白い光の中で浮かび上がる。
手のひらの上で、ボタンは燃えるように熱く、激しく振動していた。
「ボタンは、あなたの深層心理に反応する。あなたが押した覚えのないお仕置きも、全部、あなたの心のどこかが望んだこと。それが、あなたの一部なの」
るなの言葉が、胸に突き刺さる。
でも、不思議と、痛くなかった。
(ああ、そうだ)
陸斗は、ゆっくりと目を閉じた。
(俺は、ずっと気づいてた。誰かを罰したいって思う自分がいること。お尻を叩かれる女の子の動画を見て、心臓が高鳴る自分がいること。それが、おかしいってことも。最低だってことも)
(ずっと、全部、知ってた)
(でも、目を背けてた。知らないふりをしてた)
目を開ける。
ボタンの光が、陸斗の顔を青白く照らしていた。
「……ひなた」
陸斗は、震える手でボタンを握りしめたまま、ひなたの方を向いた。
ひなたが、びくりと肩を揺らす。琥珀色の瞳が、不安そうに陸斗を見上げていた。
「俺、言わなきゃいけないことがある」
声が震える。膝が笑っている。
でも、もう逃げない。
陸斗は、ひなたの目をまっすぐに見た。
「俺、お尻ペンペンの動画、ずっと見てた。小さい時から。女の子が叩かれて泣いてる動画を、何度も何度も、繰り返し見てた。自分の趣味が異常だって、ずっと自分を最低だって思ってた」
声が、涙で濡れていく。
「ひなたが、そのことを知ったら、きっと嫌われる。そう思って、言えなかった。でも、もう隠せない。俺の中に、そういう気持ちがある。誰かを罰したいって思う、汚い気持ちが、ずっと俺の中にあるんだ」
涙が、止まらなかった。
視界が歪む。ひなたの顔が、ぼやけて見える。
(言ってしまった)
(もう、終わりだ)
陸斗は、目を閉じた。
でも、その瞬間だった。
「リクくん」
ひなたの声が、すぐ近くで聞こえた。
顔を上げると、ひなたが、一歩、陸斗に近づいていた。
「リクくんがリクくんであることに、変わりはないよ」
ひなたは、まっすぐに陸斗を見つめていた。
その大きな琥珀色の瞳は、涙でいっぱいだった。でも、その奥には、陸斗を突き放す色はなかった。
「あたしね、お尻を叩かれるのが、すごく怖いの。小さい頃、親に叩かれた記憶があって、今でも、あの音を聞くと、体が固まっちゃう」
ひなたの声が、震えている。
「でも、リクくんのそういう部分も、リクくんの一部なんでしょ? だったら、あたし、知りたい。リクくんの全部を知りたいの。知って、それでも、リクくんの隣にいたい」
ひなたは、涙で濡れた顔で、笑った。
「リクくんが自分を最低だって思ってるなら、あたしは、そんなリクくんを、世界で一番えらいと思うよ。だって、リクくんは、自分の弱さと向き合おうとしてる。それって、すごく、すごく、勇気がいることだよ」
ひなたの言葉が、胸の奥の、冷たくなっていた場所に、じんわりと染み込んでいく。
(ひなた……)
陸斗は、声を出せなかった。
代わりに、涙が、止めどなく溢れた。
「……私も、話すわ」
真冬の声が、静かに響いた。
振り返ると、真冬が、風紀記録帳を胸に抱いたまま、青白い光の中で立っていた。
「私にも、罰を与えたいという衝動がある。秩序を守るためじゃない。誰かに痛みを与えたいという気持ちが、ずっと私の中にあった」
真冬の声は、いつもの凛とした調子だった。でも、その声の奥に、かすかな震えがあった。
「風紀委員長として、違反者を取り締まるたびに、心のどこかで、もっと厳しく罰してやればいいのに、と思ってしまう自分がいた。そうすれば、あの子はもっと泣くだろう、と。そう考えている自分が、恐ろしかった」
真冬は、水色の瞳を、贖いの石に向けた。
「でも、今、わかったの。その気持ちを、なかったことにはできない。私の一部なの。なら、それを認めた上で、私は風紀委員長でいる。罰を与えたい気持ちを、誰かを守るために使う。それが、私にできることだと思うから」
真冬は、そう言うと、小さく笑った。
右頬に、えくぼができる。
初めて見る、真冬の笑顔だった。
「……代償の理は、罰を否定するための理じゃない」
るなが、静かに口を開いた。
「人の暗い部分を抱えたまま、他者の痛みを引き受けるための理なんだ。祖母は、そう言ってた。罰を与えたい気持ちも、罰を受けたい気持ちも、どちらも人の一部。それを否定せず、抱えたまま、それでも誰かを守るために手を差し伸べる。それが、代償の理の本当の意味なんだって」
るなの声は、雨上がりの空気のように、澄んでいた。
陸斗は、三人の顔を順番に見た。
ひなた。真冬。るな。
みんな、それぞれの歪みを抱えて、それでも、ここに立っている。
自分だけがおかしいんじゃない。
そう、思えた。
陸斗は、ボタンを握りしめた手を、胸の前に持ってきた。
ボタンは、まだ熱い。まだ振動している。
でも、さっきまで感じていた恐怖は、なかった。
「俺は、歪んでる。最低だ。それは、変えられない」
陸斗は、声を振り絞った。
「でも、それでも——誰かを傷つけたいんじゃない。誰かの痛みを、本当の意味で分かりたいんだ。俺と同じように、苦しんでる誰かの、痛みを、分かりたい」
涙が、ボタンの上に落ちた。
真鍮の表面で、涙が弾ける。
「俺は、このボタンで、誰も傷つけたくない。誰かを守るために、この力を使いたい。それが、俺の願いだ!」
叫んだ瞬間だった。
ボタンの熱が、急速に収まっていく。
燃えるようだった熱が、氷を握ったかのように冷たくなり、そして、人肌の温かさへと戻っていく。振動も、ゆっくりと、静まっていった。
そして。
御影神社の境内を満たしていた青白い光の柱が、音もなく崩れた。
光が、無数の粒子となって、空へ舞い上がる。
まるで、無数の蛍が、一斉に飛び立ったかのように。
光の粒子は、雨上がりの夜空に溶けていき、やがて、消えた。
同時に、代償坂一帯に響いていたお仕置きの音が、ぴたりと止んだ。
パァン、パァン、と連鎖していた乾いた音が、一つ残らず、消えた。
悲鳴も、泣き声も、何もかも。
街に、静寂が戻った。
深い、深い静寂。
雨の匂いだけが、境内に残っていた。
四人は、しばらく、動けなかった。
陸斗は、その場に膝をついた。
力が、抜けた。
全身の力が、音を立てて崩れていくようだった。
「……終わった、の?」
ひなたが、小さく呟いた。
「……ええ、たぶん」
るなが、静かに答えた。
「……これが、代償の理の本当の意味かもしれないね」
るなの声は、どこか遠くを見ているようだった。
「監視対象が自ら動くなら、これからも目を離さないから」
真冬が、照れくさそうに、そう言った。
「リクくん、これからもよろしくね!」
ひなたが、陸斗の腕に抱きついた。
濡れた制服越しに、ひなたの体温が伝わってくる。
「……ああ、よろしく」
陸斗は、涙でぐしゃぐしゃの顔で、笑った。
ポケットに、ボタンをしまった。
その重みが、以前とは違う。
誰かを傷つけるための重みじゃない。
誰かを守るための重みに、変わった。
そう、感じた。
——その時だった。
「よくぞ、ここまで辿り着いた」
低く、穏やかな声が、本殿の奥から聞こえた。
四人は、同時に声のした方を見た。
本殿の影から、一人の老人が現れた。
白い神官装束を身にまとい、白髪を後ろで束ねている。顔には深い皺が刻まれ、その瞳は、年齢を感じさせないほど鋭く、四人を見渡していた。
御影静馬。御影神社の神主だ。
「静馬さん……」
陸斗は、声を上げた。
以前、この神社を訪れた時に、一度だけ会ったことがある。
静馬は、ゆっくりと四人に近づいてきた。
「これは、贖いの第一段階に過ぎない」
静馬の声は、静かだった。でも、その言葉は、四人の胸に、重く響いた。
「どういう、ことですか」
真冬が、一歩前に出た。
静馬は、真冬を見た。
「常世宿の盟約の全貌は、まだ君たちの前には現れていない。ボタンの暴走は止まった。だが、それは通過点に過ぎない。この街の闇は、もっと深い」
静馬は、そう言うと、本殿の祭壇の奥へと歩いていった。
四人は、顔を見合わせた。
静馬は、祭壇の奥から、古い木箱を取り出した。
木箱は、黒ずんでいて、時代を感じさせる。静馬は、その箱を、四人の前に置いた。
「見なさい」
静馬が、箱の蓋を開けた。
中には、古びた巻物と、一冊の帳面が入っていた。
「これは、常世宿の盟約の原本と、代償衆の名簿だ」
陸斗の胸が、ドキリと鳴った。
代償衆。江戸時代末期に常世宿の有力者たちが結んだとされる秘密の互助組織。
「代償衆……本当に、存在したんですね」
るなが、静かに言った。
「存在する。いや、存在し続けている。盟約を結んだ七人の末裔が、この街にはまだいる」
静馬は、四人の顔を順番に見た。
「ボタンが再び暴走する前に、君たちは真実を知らねばならない」
静馬は、そう言うと、木箱の底から、一枚の古い写真を取り出した。
セピア色に褪せた、古い写真。
「これを持っていきなさい」
静馬は、陸斗に写真を手渡した。
陸斗は、写真を見た。
そこには、三人の若い女性が並んで写っていた。
真ん中に立つのは、着物姿の女性。切れ長の瞳と、左目の下の泣きぼくろ。
(るなに、似てる)
その隣に立つのは、制服のような服を着た女性。銀色がかった髪と、凛とした表情。
(真冬さんに、似てる)
そして、もう一人。
明るい笑顔の女性。ふわふわした髪と、大きな瞳。
(ひなたに、似てる)
「うちの曾おばあちゃん……?」
ひなたが、震える声で呟いた。
「私の祖母と、あなたの家系と、白河さんの家系。この三人が、ボタンと盟約をめぐる何かを知っていたのね」
るなが、静かに言った。
「風紀委員長の家系だけでなく、柊家と水無月家も代償の理に関わっている……なら、私の監視対象は陸斗だけじゃない」
真冬が、水色の瞳を鋭く光らせた。
陸斗は、写真を握りしめた。
「俺の秘密を全部話した。でも、街の秘密はまだ始まったばかりなんだな」
陸斗は、そう呟いた。
写真の中の三人の女性が、微笑んでいる。
その微笑みが、どこか、悲しげに見えた。
四人は、神社を後にした。
鳥居をくぐり、代償坂の入り口まで来た時、陸斗のポケットの中で、ボタンがほんの一瞬だけ、冷たく光った。
陸斗は、足を止めた。
ポケットからボタンを取り出す。
真鍮のボタンは、静かに、冷たい光を放っていた。
「ボタンはまだ、あなたの手にある。代償の理の真の意味を探す旅は、これからよ」
るなが、陸斗の隣で言った。
「明日からまた学校だね! リクくん、朝、迎えに行くからね!」
ひなたが、明るく言った。
「月曜の朝、風紀委員会で話がある。全員出席しなさい」
真冬が、風紀委員長としての顔に戻って、そう言った。
陸斗は、三人の背中を見送りながら、自分の胸に手を当てた。
心臓が、静かに、しかし確かに、脈打っている。
自分の秘密が完全に受け入れられたわけではない。
でも、一人ではない。
初めて、そう思えた。
夜空を見上げる。
雲が、ゆっくりと流れている。
雲の切れ間から、月明かりが、代償坂の石畳を照らした。
陸斗は、代償坂の方角へ目をやった。
石畳の目地が、ほんのり青く灯っている。
ほんの一瞬。
月明かりの反射かもしれない。
でも、陸斗には、そうは見えなかった。
(物語は、まだ終わらない)
陸斗は、ボタンをポケットにしまい、夜の街へと歩き出した。Noveliaとは?
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