アブソリュート・デュオ if 〜もう一人の双刃〜
妹を殺した男を追って、焔牙使いの名門・昊陵学園に入学した九重透流。しかし彼が顕現させた焔牙は、攻撃能力を持たない「楯」だった。入学式の会場に響く嘲笑。それでも透流は耐える。守るために強くなる、と。たとえその力が、復讐のためだけに研ぎ澄まされていたとしても。
これは、武器にならない楯を抱えた少年が、それでも前に進もうとする物語。資格の儀で対峙する明るい少女・永倉伊万里。不気味な笑みを浮かべる幼き理事長・九十九朔夜。そして、胸の奥に沈めた妹の記憶。彼の楯が、やがて多くの少女たちの運命を狂わせていく——。
これは、もう一つの「双刃」の物語。復讐と守護の狭間で揺れる少年の、静かな幕開けです。
アブソリュート・デュオ if 〜もう一人の双刃〜 - 復讐者の入学式 ― 楯は武器にならない?
「楯なんて、武器にならないじゃない」
入学式の会場に、誰かの嘲笑が落ちた。
九重透流は、右手に浮かんだ自分の焔牙を見つめていた。黒い短髪の癖っ毛が、体育館の空調でそっと揺れる。意志の強さを宿した深緑の瞳が、その光景を静かに映し出す。
掌の上に顕現したのは、鈍く光る一枚の盾だった。いや、盾と呼ぶにはあまりにも小さく、頼りない。両手で抱えられるほどの大きさしかない。周囲の新入生たちが振るう剣や槍、弓といった煌めく武器たちと比べれば、それはまるで、戦場に迷い込んだ食器のようだった。
「なにあれ、楯? 攻撃できんの?」
「知らね。でもダサくね?」
くすくすと、抑えきれない笑い声がそこかしこから湧き上がる。
透流は唇を引き結んだ。
(……笑いたきゃ笑え)
心の中で吐き捨てる。慣れていた。この楯が、どれだけ人と違うか。どれだけ役に立たないか。何度も、何度も、思い知らされてきた。
――いいんだ。武器にならなくても。
透流は楯を握りしめる。左手首に巻いた黒いリストバンドが、制服の袖の下で肌に食い込む。これは妹の形見だ。二年前、あの日、あの瞬間から、このリストバンドだけが彼の支えだった。
――俺は、守るために強くなる。
そのためなら、楯で十分だ。
昊陵学園。
日本最高峰の焔牙教育機関。碧霞山脈の麓、天都から北西へ六十キロ。広大な敷地に、約三千人の生徒が集う学園都市だ。ここでは、魂を具現化する力「焔牙」を持つ者たちが、戦闘技術を学ぶ。
透流はこの学園に、たった一つの目的のために入学した。
――鳴皇榊を、殺す。
二年前、妹の音羽を斬り殺した男。同じ道場で学んでいた、あの男を。
そのためなら、どんな屈辱も耐えられる。楯しか出せない自分を笑う奴らも、どうでもいい。
「……おい、見ろよ。あいつ、楯だって」
「マジ? 焔牙って武器じゃねーの?」
「異能ってやつか? レアじゃん」
「レアって、役に立たなきゃ意味ないだろ」
透流は深く息を吐いた。
周囲の声が、遠い。
頭の中に、あの日の光景が蘇る。
夕暮れの道場。血の匂い。倒れている音羽。彼女の背中から広がる赤。そして、白い刀身に黒い刃を持つ刀を振り抜いた、鳴皇榊の冷たい横顔。
心臓が、嫌な音を立てる。
透流は目を閉じ、その記憶を無理やり押し込めた。
今はまだ、思い出すな。
入学式の直後、伝統行事「資格の儀」が始まった。
新入生同士が一対一で模擬戦を行い、実力を示す。焔牙使いとしての適性を、学園に認めさせるための通過儀礼だ。勝てば正式に入学資格を得る。負ければ、その場で学園を去ることになる。
透流の対戦相手は、永倉伊万里という少女だった。
茶髪をライトグリーンの大きなリボンでポニーテールに結えた、明るい印象の少女。
「永倉伊万里です! よろしくねっ」
彼女はぺこりと頭を下げた。誰にでも物怖じせず話しかける、社交的な性格なのだろう。その声には緊張よりも好奇心が勝っている。
「九重透流だ」
透流は短く返した。
「君の焔牙、楯なんだって? 面白いね。私、楯の人と戦うの初めてかも」
伊万里はにこりと笑った。悪意はない。ただ純粋に興味があるだけだ。
「……そうか」
透流はそれ以上何も言わなかった。
試合が始まる。
伊万里の焔牙は刀だった。彼女はそれを華麗に振るう。足さばきも、剣筋も、明らかに場数を踏んでいる。透流の楯を嘲笑っていた観客たちも、彼女の動きには息を呑んだ。
「いくよっ」
伊万里の刀が、鋭く振り下ろされる。
透流は楯で受けた。
ガキン、と重い衝撃が腕に走る。焔牙同士の衝突が、火花を散らした。
(……重い)
透流は歯を食いしばった。
刀は、楯の表面を滑り、透流の肩をかすめる。制服が裂け、薄く血が滲んだ。
「あ、ごめん! 大丈夫?」
伊万里が一瞬、動きを止めた。
透流はその隙を突いて、距離を取る。
「試合中に、心配するな」
透流の声は低く、冷たかった。
伊万里は少しだけ眉を下げた。
「……そっか。じゃあ、遠慮なく」
再び、刀が迫る。
透流は受け続けた。ただ、ひたすらに。
右からの斬撃。左からの薙ぎ。上段からの振り下ろし。伊万里の攻撃は、どれも正確で速い。だが、透流は楯を動かし、最小限の動きで全てを受け流した。
観客席から、声が飛ぶ。
「楯なんて、武器にならないじゃない」
嘲笑。
「攻撃しろよ、楯男!」
野次。
透流は反応しなかった。
(武器にならなくていい。俺は、守るために強くなるんだ)
心の中で、何度も繰り返す。
だが、現実は厳しい。
伊万里の猛攻は、止まらない。
刀が楯を叩くたびに、腕が痺れる。焔牙は精神力と連動する。相手の攻撃を受け続ければ、それだけで精神が削られていく。
(……でも、まだだ)
透流は耐えた。
伊万里の動きが、少しずつ鈍ってきている。
彼女は攻撃に全力を注いでいる。だから、体力の消耗が激しい。刀を振るたびに、呼吸が荒くなっていく。
「し、しぶとい……っ!」
伊万里の額に、汗が光る。
透流は、その瞬間を待っていた。
(あと、少し……)
伊万里の剣筋が、わずかにぶれた。
透流は楯で刀を受け流し、初めて前に出た。
一歩。
たった一歩。
だが、疲労の蓄積した伊万里には、その一歩が重い。
透流は楯を構えたまま、伊万里の懐に飛び込んだ。
「えっ」
伊万里が目を見開く。
透流は、楯の側面を伊万里の刀に叩きつけた。
ガキン。
伊万里の手から、刀が弾け飛んだ。
焔牙は、持ち主の精神と繋がっている。破壊されれば、その反動で気絶することもある。だが、透流は破壊したわけではない。ただ、手放させただけだ。
伊万里は、呆然と自分の手を見つめた。
そして、がくりと膝をついた。
息が、上がっている。肩で息をしている。
「……そこまで」
審判の声が響いた。
透流の勝利だった。
会場が、静まり返る。
誰もが、この結果を予想していなかった。
楯しか出せない男が、刀の使い手に勝った。
「……あんた、しぶといね」
伊万里は、息を切らしながら、それでも笑った。悔しさを滲ませながらも、その瞳は透流を認めていた。
「……お前こそ、強かった」
透流は短く答えた。
伊万里は、ふっと笑った。
「負けたのに、慰められるとか。……ま、いっか。またやろうね、九重くん」
透流は、何も言わずに頷いた。
資格の儀の後、透流は理事長室に呼び出された。
昊陵学園の理事長は、九十九朔夜という。
外見は、十歳くらいの少女だった。小柄で、華奢で、大きな瞳をした、愛らしい子供。だが、その瞳の奥には、底知れない何かが潜んでいる。
「九重透流くん、だね。……ふぅん、思ったより、普通の顔してる」
朔夜は、にこりと笑った。
透流は、背筋に冷たいものを感じた。
(……このガキ、何者だ)
外見に騙されるな。
直感がそう告げていた。
「それで、何の用ですか」
透流は、感情を押し殺して尋ねた。
朔夜は、机の上に置かれた資料を、指先でつついた。
「君の焔牙は、異能。通常の入学試験では、合格できないもの。だから、私の権限で、特例として入学させてあげたの」
透流は、目を細めた。
「……知ってたのか」
「当たり前でしょ? 私は理事長よ。学園に来る生徒のことは、全部知ってるわ」
朔夜は、椅子の上で足をぶらぶらさせた。
「あなたには、価値がある。……でも、それはまだ、原石のまま。磨かなければ、ただの石ころよ」
朔夜の声が、少しだけ低くなった。
「……何が言いたい」
透流は、朔夜の目をまっすぐ見た。
朔夜は、にっこりと笑った。
「絆双刃のパートナーを、次の任務までに決めなさい。それが、あなたに与えられた最初の課題よ」
絆双刃。
昊陵学園のパートナー制度。二人一組で絆を結び、互いの焔牙を補完し合い、共に戦う。
「……もし、決められなかったら?」
透流は、低い声で尋ねた。
朔夜は、首をかしげた。
「退学になるだけよ。簡単でしょ?」
透流は、唇を噛んだ。
退学。
それは、復讐の道が断たれることを意味する。
「……わかった」
透流は、短く答えた。
朔夜は、満足そうに頷いた。
「よろしい。……ああ、それと、これは忠告だけど」
朔夜は、透流の左手首に巻かれた黒いリストバンドを見た。
「復讐に、心を奪われすぎないことね。あなたの焔牙は、あなたの心を映す。憎しみに染まれば、楯は、あなた自身を守れなくなるわ」
透流は、何も言わなかった。
ただ、朔夜の言葉が、心の奥底に突き刺さった。
寮の部屋に戻った透流は、一人だった。
相部屋になるはずのパートナーは、まだ決まっていない。だから、この部屋には、透流以外の誰もいない。
静かな部屋。
窓の外では、夕日が沈もうとしていた。
透流は、机の上に置いた一枚の写真を手に取った。
笑っている音羽。
二年前まで、隣にいた妹。
「……必ず、仇を取るからな」
透流の声は、震えていた。
写真を握りしめる。
力が入りすぎて、写真が少し折れた。
「……ごめん」
透流は、折れた写真を、そっと伸ばした。
涙は、出なかった。
もう、泣き尽くした。
あの日から、透流の涙は、枯れてしまった。
だから、代わりに、心の中で誓う。
――音羽。俺は、お前の仇を取る。
――そのためなら、何だってする。
窓の外、遠くに見える理事長室の灯り。
九十九朔夜は、透流の資料を眺めていた。
その唇が、不気味に歪む。
「九重透流……あなたの楯が、どんな風に世界を変えるか、楽しみだわ」
朔夜の瞳が、暗く輝いた。
透流は、まだ知らない。
この学園で、彼は一人ではないということを。
そして、彼の楯が、やがて多くの少女たちの運命を、大きく狂わせていくということを。
夕日が、完全に沈んだ。
夜が、昊陵学園を包み込む。
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