アブソリュート・デュオ if 〜もう一人の双刃〜
妹を殺した男を追って、焔牙使いの名門・昊陵学園に入学した九重透流。しかし彼が顕現させた焔牙は、攻撃能力を持たない「楯」だった。入学式の会場に響く嘲笑。それでも透流は耐える。守るために強くなる、と。たとえその力が、復讐のためだけに研ぎ澄まされていたとしても。
これは、武器にならない楯を抱えた少年が、それでも前に進もうとする物語。資格の儀で対峙する明るい少女・永倉伊万里。不気味な笑みを浮かべる幼き理事長・九十九朔夜。そして、胸の奥に沈めた妹の記憶。彼の楯が、やがて多くの少女たちの運命を狂わせていく——。
これは、もう一つの「双刃」の物語。復讐と守護の狭間で揺れる少年の、静かな幕開けです。
アブソリュート・デュオ if 〜もう一人の双刃〜 - 新たな誓い ― 楯が光る時、恋の波乱がやってくる
朝の光が、病室のカーテンを透かして白く差し込んでいた。
九重透流はベッドの上で体を起こすと、左肩から先がない自分の腕を、ゆっくりと見下ろした。
包帯は取れている。傷口はもう塞がっていた。焔牙使いの回復力は常人よりずっと高い。それでも、失われたものは戻らない。
(……違和感には、もう慣れた)
榊に斬られた日から、何度もそう自分に言い聞かせてきた。
窓の外では、碧霞山脈の稜線がくっきりと見える。空は高く、雲ひとつない。
――コンコン。
「透流、起きてるわよね」
扉の向こうから、聞き慣れた声。
「……起きてる」
透流が短く答えると、巴が静かに扉を開けて入ってきた。
ストレートロングの黒髪を、今日は後ろで一つに結んでいる。稽古の時の髪型だ。凛とした漆黒の瞳が、透流の顔をまっすぐに見つめる。
「今日は、焔武館を使える手配をしておいたわ。リハビリ、続けるんでしょ」
透流は小さく頷いた。
「……ああ。迷惑かける」
「何言ってるのよ。あんたのリハビリに付き合うのは、絆双刃として当然のことじゃない」
巴の口調はきっぱりとしていた。
透流は、巴のその真っ直ぐさに、何度救われただろうと思う。
でも、それを口にすることはできない。
「……行くか」
透流はベッドから降りた。
昊陵学園の敷地内にある屋内訓練施設、焔武館。
広さ五千平方メートルの大空間には、模擬戦用の結界が張られている。壁も床も、焔鉄を含んだ特殊な素材でできていて、少々の攻撃ではびくともしない。
透流と巴は、その中央に立っていた。
「無理はしないで。あんた、まだ本調子じゃないんだから」
巴が、透流の左肩に視線を向ける。
「無理はしない。……でも、やらなきゃ強くなれない」
透流は右手を前に突き出した。
集中する。
胸の奥に、熱のようなものを感じる。それを右手の先へ、押し出すように――。
パァン、と光が弾けた。
透流の右手の前に、青白い光の板が浮かび上がる。
楯。
透流の焔牙だ。
以前は両手で支えるようにして展開していた。今は、片腕だけで、それを維持しなければならない。
「……くっ」
光が、わずかに揺らぐ。
片腕で焔牙を安定させるのは、想像以上に難しい。バランスが悪い。精神力の消費も、以前よりずっと大きい。
「大丈夫?」
巴が一歩、近づく。
「……まだ、いける」
透流は歯を食いしばった。
「じゃあ、行くわよ」
巴が、右手を振るった。
彼女の手首から、銀色の鎖が伸びる。焔牙、鉄鎖。橘流十八芸の跡継ぎである巴が操る、しなやかで鋭い武器だ。
鎖が、空気を裂いて透流に迫る。
透流は、楯を動かした。
ガギン!
鎖が楯に弾かれる。火花が散った。
「次は、もっと速いわよ」
巴の鎖が、二方向から同時に襲いかかる。
透流は、楯を傾けて、一本目を受け流す。二本目を、楯の面で受ける。
ガン! ガギン!
金属音が、焔武館に響き渡る。
(……重い)
透流の額に、汗が浮かぶ。
片腕では、楯を支えるので精一杯だ。攻撃を防ぐことはできても、反撃の隙を作れない。
でも。
(守ることは、できてる)
透流は、巴の攻撃を防ぎながら、自分の内側に集中した。
楯が、ほんの少しだけ、光を増したような気がした。
「……ふぅ」
一通り打ち込みを終えた巴が、息を整えながら鎖を引いた。
透流も、楯を消して、その場に膝をつく。
「……まだまだだな」
「でも、前よりずっと良くなってるわ。あんたの楯、前より温かい気がするわ」
巴が、透流の隣にしゃがみ込んだ。
「……温かい?」
透流は、巴の顔を見た。
「ええ。前は、ただ硬いだけの壁って感じだった。でも今は……なんだか、あんたの気持ちが伝わってくるっていうか。守ろうとしてるのが、わかるのよ」
巴の言葉に、透流は自分の右手を見つめた。
楯は、もう消えている。でも、掌には、まだ温もりが残っている気がした。
(守りたいものがある限り、楯は強くなる)
あの夜、理事長の九十九朔夜が病室で言った言葉が、透流の脳裏に浮かぶ。
最初は、意味が分からなかった。
楯は、復讐のための道具だと思っていた。
榊を倒すための、ただの手段。
でも、今は違う。
音羽を取り戻す。
それが、透流の新しい戦う理由だ。
そして、そのために、巴が隣にいてくれる。
「……なあ、巴」
透流は、ゆっくりと立ち上がった。
「何?」
巴も立ち上がり、透流を見上げる。
透流は、深く息を吸った。
「……俺は、音羽を取り戻す」
自分の声が、やけに静かに響く。
「榊を倒す。あいつから、音羽を助け出す。……だから」
透流は、巴の漆黒の瞳を、まっすぐに見つめた。
「お前も、一緒に来てくれ」
巴の目が、わずかに見開かれた。
一瞬、沈黙が流れる。
遠くで、焔武館の空調の音だけが聞こえていた。
「……あんた、今、なんて言ったの?」
巴の声が、少しだけ震えている。
「お前も、一緒に来てくれ。……俺一人じゃ、音羽を守れない。お前の力が、必要なんだ」
透流は、もう一度、はっきりと言った。
巴は、しばらく透流の顔をじっと見つめていた。
それから、ふっと、笑った。
「当然でしょ」
巴の笑顔は、焔武館の照明の下で、やけに眩しく見えた。
「私は、あんたの相棒なんだから。あんたが行くなら、どこにだって行くわ」
巴は、透流の右腕に、自分の手をそっと添えた。
温かい手だった。
「一人で背負わないで。……あんたの背中は、私が守るから」
透流は、巴の手の温もりを、腕全体で感じていた。
「……ああ。頼りにしてる」
透流の声は、少しだけかすれていた。
その夜。
透流は病室のベッドに戻り、天井を見つめていた。
昼間のリハビリの疲れが、体の芯に残っている。
でも、心は不思議と軽かった。
巴に、全部話した。
音羽のこと。榊のこと。復讐のことを。
一人で抱え込むのは、もうやめると決めた。
(あいつが、相棒でよかった)
透流は、心の中でそう呟いた。
――コンコン。
病室の扉がノックされた。
「透流くん、起きてますか?」
聞き慣れた、柔らかな声。
「……みやびか。入れよ」
透流が答えると、扉が開いて、穂高みやびが入ってきた。
ふんわりとした栗色のセミロング。大きなリボンが、彼女のトレードマークだ。優しげな琥珀色の瞳が、透流を見つめる。
「お加減はいかがですか? 今日は、リハビリをしたって巴ちゃんから聞きました」
みやびは、手に小さな紙袋を持っている。
「あの、これ、よかったら。購買の蓬萊堂で、透流くんが好きそうなアップルティーを見つけたんです」
みやびは、紙袋を透流に差し出した。
「……悪いな。気を遣わせて」
透流は、紙袋を受け取った。中には、粉末タイプのアップルティーが入っている。
「いえ、私が勝手に……あの、透流くん」
みやびは、胸元で手を組んだ。
照れる時の、彼女の癖だ。
「私も、透流くんの力になりたいです。……私にできることなら、何でもするから」
みやびの琥珀色の瞳が、真剣に透流を見つめる。
「……ありがとう。でも、みやびは無理するなよ」
透流は、みやびの気持ちが嬉しかった。
でも、彼女を危険に巻き込むわけにはいかない。
「……私、足手まといですよね」
みやびの声が、小さくなる。
「そういう意味じゃない。……お前は、巴のパートナーだろ。巴のことを、支えてやってくれ」
透流の言葉に、みやびは小さく頷いた。
「……はい。私、巴ちゃんのことは、誰よりも大切に思ってますから」
みやびの笑顔は、少しだけ切なげだった。
その時だった。
――ドンドンドン!
病室の扉が、激しくノックされた。
「九重透流! いらっしゃるんでしょう!? 開けなさい!」
聞き覚えのない、高飛車な声。
「……なんだ?」
透流が眉をひそめると、扉が勢いよく開かれた。
そこに立っていたのは、黄金色のストレートロングを揺らす少女だった。
蒼玉のように澄んだ青い瞳。丁寧に手入れされた長い髪。背筋を伸ばし、誇らしげに顎を上げている。
「初めまして、九重透流。私の名前はリーリス・ブリストル。セント・アーガス・アカデミーからの交換留学生ですわ」
リーリスと名乗った少女は、透流をまっすぐに見下ろした。
「……交換留学生?」
「ええ。特別枠、エクセプションとして、この昊陵学園に転入してきたの。あなたの噂は、海を越えて英国校にまで届いていましたわ。異能の楯――イレギュラーの焔牙を持つ少年、九重透流」
リーリスは、透流のベッドに近づいてきた。
「特別な私にふさわしいのは、あなたのような異能の焔牙を持つ者だけよ。九重透流、あなたを私の婚約者候補に認定しますわ」
一瞬、病室が静まり返った。
「……は?」
透流の口から、間の抜けた声が漏れる。
「だから、婚約者候補ですわ。光栄に思いなさい。特別な私が、あなたを選んであげたんですのよ」
リーリスは、当然と言わんばかりの表情で胸を張った。
「……何言ってんだ、このお嬢様」
透流は、呆れて言葉を失った。
「あの、あの……!」
みやびが、おろおろと透流とリーリスの間で視線を泳がせる。
「あら、あなたは?」
リーリスが、みやびを見た。
「わ、私は、穂高みやびです。透流くんの、クラスメイトで……」
「ふうん。まあ、誰でもいいわ。九重透流、あなた、私の婚約者になるのよ。異能の楯と、特別な銃。これほど相性のいい組み合わせはないわ」
リーリスは、透流の手を取ろうと手を伸ばした。
「……ちょっと待て。勝手に話を進めるな」
透流は、リーリスの手を避けた。
「あら、なぜ避けますの? 私の手を取るのは、そんなに嫌?」
「嫌とかそういう問題じゃない。……だいたい、なんで俺なんだ。お前、俺のことを何も知らないだろ」
「知ってるわ。あなたは、異能の楯を持つ唯一無二の存在。それだけで十分よ。私の隣に立つ資格があるのは、私と同じ、特別な力を持つ者だけですもの」
リーリスは、透流の言葉に全く動じない。
「あの……透流くんは、困ってます……」
みやびが、勇気を振り絞って口を挟んだ。
「あなたには聞いていませんわ。……九重透流、返事は?」
リーリスが、透流に迫る。
「……断る」
透流は、きっぱりと言った。
「……断る?」
リーリスの青い瞳が、大きく見開かれた。
「ああ。俺は、お前の婚約者になる気はない。……俺には、やることがあるんだ」
透流の声は、静かだが、強い意志が込められていた。
その時、病室の扉が、再び開いた。
「……透流、何を騒いでるのよ」
巴が、洗面道具を持って戻ってきた。
巴の漆黒の瞳が、リーリスの姿を捉える。
「……誰、この人」
巴の声が、少しだけ低くなる。
「私はリーリス・ブリストル。九重透流の婚約者候補ですわ」
リーリスが、巴を見下すように言った。
「……婚約者候補?」
巴の眉間に、深い皺が寄る。
「ええ。あなた、九重透流の何?」
「私は、透流の絆双刃よ。……横からかっさらわないでちょうだい」
巴が、リーリスの前に立った。
二人の視線が、病室の空気を切り裂く。
「絆双刃? たかがパートナーごときが、私に楯突く気?」
リーリスが、鼻で笑った。
「たかがパートナーですって? 絆双刃を何だと思ってるのよ」
巴が、一歩も引かずに言い返す。
「絆双刃なんて、ただの制度でしょ。私と九重透流の間にあるのは、もっと特別な運命よ」
「運命? 笑わせないで。透流は、私が守るの。あなたに渡すつもりはないわ」
巴の声が、病室に響き渡る。
「巴ちゃん……落ち着いて……」
みやびが、巴の腕にしがみつく。
「……みやびは黙ってて。これは私とあの女の問題よ」
巴は、リーリスを睨みつけたまま動かない。
「あらあら、ずいぶんと熱心なのね。……まあいいわ。九重透流、返事は保留にしておいてあげる。でも、覚えておきなさい。特別な私にふさわしいのは、あなただけよ」
リーリスは、透流にウインクを送ると、優雅に身を翻した。
「……おい、待てよ」
透流が呼び止めるが、リーリスは振り返らない。
「また来ますわ。……次に会う時までに、心の準備をしておいてね、九重透流」
リーリスは、そう言い残して病室を出ていった。
病室に、重い沈黙が残った。
「……何よ、あの女」
巴が、小さく呟く。
「……透流くん、大丈夫ですか?」
みやびが、心配そうに透流を見つめる。
「……ああ。俺は、何もされてない」
透流は、ため息をついた。
「あんた、あんな女に、なんであんなこと言われてるのよ。……もしかして、心当たりがあるの?」
巴が、透流をじとっと見た。
「あるわけないだろ。……今日初めて会ったんだ」
「本当に?」
「本当だって。……ったく、なんなんだよ」
透流は、頭を掻いた。
「……でも、透流くん、モテますね」
みやびが、寂しそうに笑った。
「……モテてない。これは、モテてるとは言わない」
透流は、断言した。
「……私は、透流くんのこと、ずっと前から……」
みやびが、何かを言いかけた。
「……みやび」
透流は、みやびの言葉を遮った。
「……ごめんなさい。今は、何でもないです」
みやびは、胸元で手を組み、うつむいた。
「……みやび、あんたは帰りなさい。透流も、もう休んだほうがいいわ」
巴が、静かに言った。
「……はい。透流くん、お大事に。巴ちゃん、また明日」
みやびは、名残惜しそうに病室を後にした。
巴と透流が、二人きりになる。
「……あんた、本当に、あの女と初対面なの?」
巴が、透流の隣に座った。
「ああ。……あんなやつ、初めて見た」
「……ふうん」
巴は、何かを考え込むように、窓の外を見た。
「……でも、まあ、いいわ。あんたの楯は、私が守るって決めたから」
巴の横顔は、月明かりに照らされて、白く浮かび上がっていた。
「あんたが、誰に何を言われても。……私が、あんたの隣にいる」
透流は、巴の横顔を見つめた。
胸の奥が、じわりと温かくなる。
「……ありがとう」
透流は、素直にそう言えた。
学園の理事長室。
大きな窓から、夜の学園が見渡せる。
九十九朔夜は、その窓の前に立っていた。
幼い外見とは裏腹に、その瞳は、すべてを見通すかのように冷たく光っている。
「絶対双刃に、一歩近づいたわね」
朔夜の唇が、不気味に歪む。
「でも、まだ彼らは何も知らない」
部屋の隅の影から、月見璃兎が現れた。
昊陵学園の卒業生であり、透流たちのクラス担任でもある女性教師。
普段は陽気でハイテンションな彼女だが、今は、その表情から一切の感情が消えている。
「あの二人が、本当の意味で絶対双刃に至るかどうかは、これからよ」
「だからこそ、面白いのよ」
朔夜は、窓の外を見つめたまま、小さく笑った。
「七曜が、動き出すわ。……あの子たちの絆が、試される時が来る」
朔夜の言葉が、静かな理事長室に、ゆっくりと溶けていく。
その時。
学園の上空。
夜空に、何かが浮かび上がった。
七つの星を象った、不気味な紋章。
七曜の紋章が、昊陵学園の空に、静かに、しかし確実に、その姿を現していた。
病室の窓から、透流は、その紋章を見た。
「……なんだ、あれ」
透流の声が、震える。
「……七曜の紋章よ」
巴も、透流の隣で、空を見上げていた。
「……来るのか」
透流は、失った左腕の感触を、右手で確かめるように、肩を握りしめた。
(守るために、戦う)
透流の心に、強い決意が宿る。
まだ、戦いは始まったばかりだ。
片腕を失っても、守りたいものは、確かにある。
巴が隣にいる。
みやびもいる。
音羽を取り戻すまで、絶対に、止まらない。
透流は、夜空に浮かぶ七曜の紋章を、まっすぐに見据えた。Noveliaとは?
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