アブソリュート・デュオ if 〜もう一人の双刃〜
妹を殺した男を追って、焔牙使いの名門・昊陵学園に入学した九重透流。しかし彼が顕現させた焔牙は、攻撃能力を持たない「楯」だった。入学式の会場に響く嘲笑。それでも透流は耐える。守るために強くなる、と。たとえその力が、復讐のためだけに研ぎ澄まされていたとしても。
これは、武器にならない楯を抱えた少年が、それでも前に進もうとする物語。資格の儀で対峙する明るい少女・永倉伊万里。不気味な笑みを浮かべる幼き理事長・九十九朔夜。そして、胸の奥に沈めた妹の記憶。彼の楯が、やがて多くの少女たちの運命を狂わせていく——。
これは、もう一つの「双刃」の物語。復讐と守護の狭間で揺れる少年の、静かな幕開けです。
アブソリュート・デュオ if 〜もう一人の双刃〜 - 鉄鎖の少女 ― 相性がいいに決まってるわ!
朝の空気が、少しだけ変わった気がした。
九重透流は、寮の窓から差し込む光の中で、ぼんやりと外を見ていた。あの入学式から、数日が経っている。資格の儀で永倉伊万里に勝ったこと。理事長の九十九朔夜に呼び出されたこと。そして、まだ決まっていない絆双刃のパートナーのこと。
――退学になるだけよ。簡単でしょ?
朔夜の言葉が、耳の奥で繰り返される。
透流は深く息を吐いた。左手首に巻いた黒いリストバンドを、右手の指でそっと撫でる。妹の形見。この感触だけが、自分を現実に繋ぎ止めている。
(……パートナー、か)
心の中で呟く。
昊陵学園では、二人一組の「絆双刃」を組むことが義務付けられている。互いの焔牙を補完し合い、相部屋で生活しながら任務にあたる。パートナーが決まらなければ、学園にはいられない。復讐の道が、断たれる。
(誰でもいい。俺の邪魔さえしなければ)
透流は、そう割り切ることにした。
だが、この日の昼下がり、彼のその打算は、たった一人の少女によって粉々に砕かれることになる。
絆双刃のパートナー選びは、第一訓練場で行われた。
広大な屋内施設。床には白線が引かれ、天井は高く、声がよく響く。新入生たちが、ざわざわと集まっていた。みな、これから自分の半身となる相手を探している。期待と不安が入り混じった空気が、場を満たしていた。
透流は壁際に一人で立ち、その光景を眺めていた。
(……面倒だな)
心の中で呟く。
周囲では、すでに意気投合した者同士が話を始めている。焔牙の形を見せ合い、相性を確かめ合う者もいる。透流の焔牙は楯だ。攻撃力のない、異端の焔牙。誰も、自分と組もうとは思わないだろう。
(まあ、それでいい)
透流は目を閉じた。
――その時だった。
ざわめきが、波のように広がった。
「ねえ、見て。橘巴よ、橘巴」
「えっ、あの橘流道場の? すごく強いんでしょ?」
「でも、パートナーは穂高みやびがいるじゃない。何しに来たのかしら」
周囲の生徒たちが、一斉に同じ方向を見ている。
透流も、つられて顔を上げた。
訓練場の入り口に、一人の少女が立っていた。
ストレートロングの黒髪。凛とした漆黒の瞳。背筋をぴんと伸ばし、まるで道場に立つ剣士のような、清々しいまでの立ち姿。制服の袖口からは、時折、手甲の跡がのぞいている。真剣な表情のせいか、眉間にうっすらと皺が寄っていた。
橘巴。
透流は、その名前を知っていた。実家が橘流十八芸の道場で、自身も焔牙使いとして高い実力を持つ、この学年でも有名な少女だ。
巴は、訓練場の中をまっすぐに見渡した。
その視線が、何かを探している。
――そして、止まった。
透流の上で。
(……何だ?)
透流が眉をひそめる。
巴は、迷いのない足取りで、透流の前に歩いてきた。周囲の生徒たちが、息を呑む。
そして、巴は透流の目の前でぴたりと止まった。
漆黒の瞳が、透流をまっすぐに見上げる。
「あなた、九重透流ね」
透流は、少しだけ身構えた。
「……そうだが」
巴は、こくりと頷いた。
そして、周囲の誰にでも聞こえる声で、はっきりと言い放った。
「あなた、私と組みなさい」
一瞬、時間が止まった。
訓練場中の視線が、透流と巴に突き刺さる。
「は……?」
透流は、間の抜けた声を出した。
巴は、まったく動じていない。
「絆双刃よ。あなたの楯と、私の鉄鎖。相性がいいに決まってるわ」
根拠不明の断言だった。
透流は、思わず反論した。
「ちょっと待て。何でそうなる。俺の焔牙は楯だぞ。攻撃力なんてない」
「だからよ」
巴は、透流の言葉をぴしゃりと遮った。
「私の鉄鎖は、攻撃に特化している。でも、防御は苦手。あなたの楯があれば、私の弱点は完全に補える。私の攻撃と、あなたの防御。これ以上ない組み合わせじゃない」
巴の声は、自信に満ちていた。
透流は、言葉を失った。
(こいつ、本気で言ってるのか?)
楯と鉄鎖。確かに、理屈の上では補完関係にあるのかもしれない。だが、焔牙の相性は、そんな単純なものではないはずだ。
「……お前、俺の焔牙がどんなものか、ちゃんと知ってるのか?」
透流は、低い声で尋ねた。
巴は、透流の目をじっと見つめた。
「知ってるわ。資格の儀で、楯だけで刀に勝った。攻撃せずに、相手の体力を削り切った。あれは、並大抵のことじゃない」
透流は、目を丸くした。
「……見てたのか」
「ええ。あなたの戦い方、興味があったから」
巴は、少しだけ口元を緩めた。
「あなたの楯は、武器にならない。でも、守る力は本物よ。私は、そういう人と組みたい」
透流の胸の奥で、何かが小さく震えた。
――守る力は本物。
その言葉が、予想以上に深く、心に刺さった。
周囲が、ざわざわと騒ぎ始める。
「ねえ、橘巴が楯の奴と組むって」
「穂高みやびはどうするのよ。パートナーがいるじゃない」
「楯なんて、足手まといになるだけじゃない?」
聞こえよがしな声が、透流の耳にも届く。
透流は、唇を噛んだ。
(……やっぱり、そうだ)
自分と組めば、巴にまで悪評がつく。
「……お前、俺と組んだら、周りから何を言われるか分かってるのか?」
透流は、巴にだけ聞こえる声で言った。
巴は、きょとんとした顔をした。
「何を言われるの?」
「……楯の足手まといと組んでるって、笑われるんだよ」
巴は、少しだけ眉をひそめた。
そして、はっきりと言った。
「そんなの、気にする必要ないわ。私は橘流道場の跡継ぎよ。決めたことは曲げない。あなたが楯でも、武器でも、関係ない。私が、あなたと組むと決めたの」
巴の声は、訓練場中に響き渡った。
ざわめきが、ぴたりと止む。
透流は、巴の漆黒の瞳を見つめた。
そこには、一点の曇りもなかった。
真っ直ぐすぎるほど、真っ直ぐな目。
(……この少女は、本気だ)
透流は、そう確信した。
巴は、一歩も引かない。
透流は、深く息を吐いた。
「……わかった」
巴の表情が、ぱっと明るくなった。
「本当? ありがとう!」
巴は、透流の手を両手で握った。
「これからよろしくね、透流。あ、私のことは巴でいいわ。私も、透流って呼ぶから」
透流は、その勢いに押されて、たじろいだ。
「……ああ、よろしく」
こうして、九重透流と橘巴の絆双刃が、唐突に、そして一方的に、結成された。
パートナー選びの後、透流は、学園の廊下を歩いていた。
巴は、手続きのために職員室へ行っている。
(……本当に、あいつと組むことになるとは)
透流は、少しだけ現実感がなかった。
――その時だった。
「……あの」
透流の背後から、小さな声がした。
振り返ると、そこに立っていたのは、ふんわりとした栗色のセミロングの髪を、大きなリボンで結んだ少女だった。優しげな琥珀色の瞳が、今にも泣き出しそうに潤んでいる。胸元で、小さな手帳をぎゅっと握りしめていた。
穂高みやび。
透流は、彼女の名前を知っていた。学園のマドンナと呼ばれる、人気者の少女だ。そして、つい先ほどまで、巴のパートナーだった。
「……穂高さん、だよな。何か用か?」
透流は、できるだけ柔らかい声で尋ねた。
みやびは、びくりと肩を震わせた。
「あの、その……九重くん、ですよね」
「ああ」
みやびは、胸元で手を組み、うつむいた。
「……私の、巴ちゃんを、取らないでください」
透流は、一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「……え?」
みやびの大きな瞳から、涙がこぼれ落ちた。
「巴ちゃんは、私のパートナーなんです。ずっと、一緒に頑張ってきたんです。だから……お願いです。巴ちゃんを、返してください」
透流は、混乱した。
(返すって……俺が無理やり奪ったわけじゃないんだが)
だが、みやびの悲しみは、本物だった。
「……穂高さん。誤解しないでほしい。俺は、橘巴に一方的に組むと言われただけだ。奪ったわけじゃない」
透流は、正直に言った。
みやびは、涙で濡れた顔を上げた。
「でも……巴ちゃんは、九重くんと組むって決めたんです。私のことを、置いていくって」
みやびの声が、震えている。
透流は、何と声をかけていいか分からなかった。
恋愛ごとには鈍感な透流でも、みやびが巴に対して、パートナー以上の強い感情を持っていることは理解できた。
「……穂高さん。お前の気持ちは、橘巴に直接言った方がいい。俺に言われても、どうにもできない」
透流は、そう言うのが精一杯だった。
みやびは、首を振った。
「言いました。でも、巴ちゃんは、私の話を聞いてくれなくて……」
そして、みやびは、透流の顔をじっと見つめた。
「それに……私、九重くんのことも……」
そこまで言って、みやびは、はっと口を押さえた。
「……え?」
透流は、聞き返した。
みやびの頬が、一瞬で真っ赤に染まる。
「な、なんでもないです! ごめんなさい!」
みやびは、そう叫ぶと、くるりと背を向けて、走り去ってしまった。
透流は、呆然とその背中を見送った。
(……何だったんだ?)
心の中で呟く。
――その時だった。
「みやび、どうしたのよ?」
いつの間にか、巴が透流の隣に立っていた。
きょとんとした顔で、走り去るみやびの背中を見つめている。
「……お前、今の聞いてなかったのか?」
透流は、信じられない気持ちで尋ねた。
巴は、首をかしげた。
「今の? みやびが、あなたと何か話してたの?」
透流は、深いため息をついた。
(……この女、恋愛ごとに関しては、本当に何も分かってないんだな)
透流は、巴の恋愛への鈍さを、この日、身をもって知ることになった。
その夜。
透流と巴は、学園の寮の一室にいた。
絆双刃を組んだ二人には、相部屋が与えられる。
部屋は、思ったよりも広かった。二段ベッドが二つ、机が二つ、小さなクローゼットが二つ。シンプルな造りだが、清潔で、居心地は悪くなさそうだ。
「ここが、今日から私たちの部屋ね」
巴は、荷物を抱えたまま、部屋の中を見渡した。
「……ああ」
透流は、短く返した。
女の子と同じ部屋。
いくら制度とはいえ、やはり落ち着かない。
巴は、てきぱきと荷物を片付け始めた。その動きは、無駄がなく、武道家らしい。
透流は、自分の荷物を、ベッドの上に置いた。
「なあ、巴。一つ、確認したいことがあるんだが」
透流は、意を決して切り出した。
巴は、手を止めて振り返った。
「何?」
「……同じ部屋で生活するってことは、そういう、男女のあれこれが、あるんじゃないかって、思うだろ」
透流は、言葉を選びながら言った。
巴は、きょとんとした。
「あれこれ?」
「……だから、その、恋愛的な意味での」
透流は、声が小さくなった。
巴は、透流の言葉を理解したのか、こくりと頷いた。
そして、真顔で、透流の目をまっすぐ見つめた。
「私は、恋愛とか、よく分からないから。そういうのは、期待しないで」
透流は、一瞬、何を言われたのか分からなかった。
そして、次の瞬間。
――吹き出した。
「……っ、ははっ」
透流は、腹を抱えて笑った。
「な、何がおかしいのよ!」
巴は、頬を膨らませて抗議した。
「いや、悪い。お前、本当に真顔で言うから」
透流は、涙が出るほど笑った。
「失礼ね。私は、真剣に言ってるのよ」
巴は、ぷいっと横を向いた。
透流は、笑いすぎて痛くなった腹を押さえながら、言った。
「……いや、なんか、安心した」
巴は、透流の方をちらりと見た。
「安心?」
「ああ。変に気を使わなくていいって、分かったから」
透流は、素直な気持ちを言った。
巴は、意味が分からない、という顔をした。
だが、その頬が、ほんの少しだけ赤くなっていることに、透流は気づいていなかった。
翌朝。
透流と巴の部屋に、一通の封筒が届けられた。
差出人は、昊陵学園理事長、九十九朔夜。
透流は、封筒を開け、中身を読んだ。
「……初任務、か」
透流の声が、低くなる。
巴が、透流の手元を覗き込んだ。
「本当? どんな任務?」
「製鉄所跡地の不審者調査。危険度は、それなりに高いらしい」
透流は、任務の内容を巴に伝えた。
巴は、ふむ、と頷いた。
「製鉄所跡地ね。分かったわ。行きましょう」
透流は、巴の顔をじっと見た。
「……巴。任務の危険度、ちゃんと分かってるか? 不審者ってのは、場合によっては、焔牙使いの犯罪者かもしれないんだぞ」
透流は、真剣な表情で言った。
巴は、透流の目をまっすぐ見返した。
「分かってるわ。でも、大丈夫」
そして、巴は、透流にしか聞こえない声で、はっきりと言った。
「あんたの楯、私が守ってみせるわ。だって私は、跡継ぎなんだから」
透流は、不意を突かれて、言葉を失った。
(……こいつ、今、何て言った?)
守るのは、楯の役目のはずだ。
なのに、巴は、透流の楯を守ると言った。
透流の胸の奥で、何かが、熱くなった。
「……お前、たまに、すごいこと言うな」
透流は、照れ隠しのように、そう呟いた。
巴は、きょとんとした。
「何が?」
「……何でもない」
透流は、顔を背けた。
その夜。
巴は、部屋の片隅で、一枚の古い写真を見つめていた。
そこには、若い頃の巴と、その隣に立つ、優しそうな女性が写っていた。
巴の表情は、昼間とは打って変わって、複雑な影を落としていた。
「……母さん」
巴は、小さく呟いた。
写真の中の女性は、巴と同じ、凛とした黒髪の女性だった。
巴は、写真を胸に抱きしめた。
その肩が、わずかに震えている。
巴の過去に、何かがあった。
鉄鎖にまつわる、巴の過去。
それは、まだ、誰にも語られていない。
学園の屋上。
夜風が、静かに吹いていた。
九十九朔夜は、手すりにもたれかかり、眼下に広がる学園を見下ろしていた。
その隣には、月見璃兎が立っている。
「透流と巴の絆双刃……絶対双刃に至る可能性はあるわ」
朔夜は、ぽつりと呟いた。
月見璃兎は、肩をすくめた。
「でも、あの二人はまだ何も知らないぜ」
朔夜は、不気味な笑みを浮かべた。
「だからこそ、面白いのよ」
朔夜の視線の先には、学園の食堂があった。
そこでは、透流と巴が、ぎこちなく向かい合って、昼食をとっていた。
透流は、巴のペースに戸惑いながらも、少しだけ、笑っていた。
「九重透流。あなたの楯が、どこまで私たちを楽しませてくれるのか……期待しているわ」
朔夜の瞳が、暗く、妖しく輝いた。
夜風が、朔夜の髪を、ふわりと揺らした。
復讐に生きる少年と、恋を知らない少女。
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