シェリン探偵と呪いの女体化事件簿〜チューリップ組の謎解きはパニックの香り〜
シェリン・バーガンディは世界中の謎を追いかける探偵VTuber。今日も今日とて依頼人はゼロ。チューリップ組の仲間たちとだらだら過ごしていた事務所に、一通の謎の手紙が届く。「呪いの花を探せ」。差出人不明、報酬は金貨百枚。シェリンの目が輝く。「これは怪盗の仕業かもしれない」と、彼はその事件に飛びついた。
手紙が導く先は、町はずれにあるノクターン庭園。そこには夜だけ咲く不思議な花があった。シェリンは相棒のエリーゼとルカを連れて庭園へ。奥深くで、黒いバラのような花を見つける。シェリンがそれに触れた瞬間、まばゆい光が爆発した!
「うわ、なんだこれ!?」
光が消えると、シェリンの体は女の子になっていた。それだけじゃない——エリーゼは男の子に、ルカは……なぜか猫になっていた。チューリップ組はパニックに陥る。「声が高すぎる!」「このスカート、スースーする!」「ニャー!」
呪いを解く方法を探すうち、三人は呪いの花を育てた犯人を追うことになる。怪盗のライバルの助けを借りて、シェリンは手がかりを集めていく。しかし、呪いは一つだけではなかった。町中で人々が入れ替わっている——花屋の店主、パン屋のおばさ
シェリン探偵と呪いの女体化事件簿〜チューリップ組の謎解きはパニックの香り〜 - 女の子になった探偵と、呪いを広める影
「……どうして、こうなった」
シェリン・バーガンディは、古びた鏡の前でため息をついた。
鏡に映るのは、見慣れない顔。ワインレッドの髪は相変わらず後ろでひとつに束ねているが、輪郭は丸みを帯び、肌は心なしか白い。琥珀色の瞳と左目の下の泣きぼくろだけが、確かに自分のものだった。
昨夜、ノクターン庭園で黒いバラに触れた瞬間、体が女の子に変わってしまった。相棒のエリーゼは男の子に、ルカは猫に。三人まとめて、とんでもない呪いを食らってしまったのだ。
「スカートって、こんなに落ち着かないものだったのか……」
シェリンは鏡の前で、ぶかぶかのシャツとスカートの裾を引っ張った。男だった頃の服はどれもサイズが合わない。特にスカートは、歩くたびに風が入り込む感覚が気持ち悪い。
「その格好で外を歩くのは、色々と危険だと思うわよ」
後ろから、低い声がした。
振り返ると、銀色の短髪を手でかき上げる、長身の青年が立っていた。切れ長の紫の瞳。左耳には銀の花のイヤリング。男物のシャツを着ているのに、どこか中性的な雰囲気が残っている。
エリーゼ・ノクターン。花唄術師で、チューリップ組の参謀。昨夜までは銀の長い髪を三つ編みにした、小柄な女性だった。
「……やっぱり、自分の声が気持ち悪い」
エリーゼは喉に手を当てて、小さく咳払いをした。
「気持ち悪いって言うなよ。似合ってるぜ、その声」
「褒めても何も出ないわよ。……それに、『わよ』って、語尾が変なの。男の体で『わよ』はおかしいでしょ」
「確かに、ちょっと変だな」
シェリンは笑った。自分の声も、昨日までよりずっと高い。笑うと、鈴が転がるような音がする。
「あーあ。今月も家賃が払えないのに、こんなことになるなんて」
シェリンは天井を見上げた。蜘蛛の巣が、昨日と同じ場所で揺れている。
ここはヴェルクライン下町、パン屋街の裏手にあるチューリップ組探偵事務所。家賃は月に銀貨8枚。古びた二階建てで、床板は踏むたびにぎしぎし鳴る。
ヴェルクラインは、ルミナスフェルト大陸の中央に位置する商業都市国家だ。三百年前の魔獣戦争を経て、人間と獣人が共存する文化圏が形成された。魔法技術は「花唄魔術」と呼ばれる植物由来の魔力体系が主流で、花や植物に宿る魔力を歌で引き出す。
「兄貴! 見てくれよ、この棚の上、気持ちいいにゃ!」
灰色の猫が、本棚の一番上から声をかけてきた。金色の大きな目が、きらきらと輝いている。
ルカ・ストーン。18歳の獣人の戦士。茶色の髪に犬の耳がついていたはずだが、今は全身が灰色の毛で覆われた猫だ。尻尾は長くしなやかで、感情に合わせてゆらゆら動く。
「ルカ、お前、猫のくせに高い所が好きなのか」
「猫だからにゃ! それに、この体、すごく身軽で楽しいにゃ! でも、言葉がうまく出ないのが困るにゃ」
ルカは前足で自分の口元をこすった。話そうとするたびに「にゃ」が混じってしまうらしい。
「大丈夫よ。慣れれば、もっとうまく話せるようになるわ」
「姉貴、優しいにゃ……でも、やっぱり元の体に戻りたいにゃ」
ルカが本棚から飛び降り、シェリンの足元にすり寄った。
シェリンはしゃがみ込み、ルカの頭を撫でた。毛並みは柔らかく、温かい。
「ああ、絶対に戻ろう。三人で、元の体に」
シェリンは立ち上がり、机の上に置かれた手紙を見つめた。
昨夜、事務所のドアの下に滑り込んでいた封筒。差出人不明、報酬は金貨百枚。呪いの花を探してほしい、という依頼だった。
金貨百枚。ヴェルクラインでは家一軒が買える額だ。探偵ライバーとして登録して五年、依頼ゼロの自分には、夢のような金額だった。
だが、その手紙が、全ての始まりだった。
「まずは、状況を整理しよう。俺たちが今、何を知っていて、何を知らないのか」
シェリンは椅子に座り、机の上に紙を広げた。
「分かっているのは、ノクターン庭園の黒いバラに触れたら、体が入れ替わったってことだ。あの花は『夜咲きの花』の一種で、触れた者の魂の器を交換する呪いを持つ」
「ええ。私が花精の血を引いているから、あの花の魔力は感じ取れたわ。とても古い、強い呪いだった」
エリーゼが机の反対側に座った。長い脚を組み、顎に手を当てる。男の体になっても、考える時の仕草は同じだ。
花精。人口の約5%を占める、植物から生まれたとされる種族。光合成で栄養を得て、花唄魔術の適性が高い。エリーゼはその血を引いている。
「それと、あの手紙。差出人が、俺の秘密を知っていた」
シェリンの声が、少し低くなった。
「秘密って、何にゃ?」
ルカが机の上に飛び乗り、首を傾げた。
「……いや、それは、今はまだ言えない」
シェリンは目を逸らした。
体内に、唄の種が宿っていること。花唄術師でもないのに、普通の人間ではありえないこと。
それは、誰にも言えない秘密だった。
「無理に聞かないわ。でも、話したくなったら、いつでも聞くから」
エリーゼの紫の瞳が、シェリンをまっすぐ見つめた。
その視線に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
「……ありがとう」
シェリンは小さく頷いた。
「とにかく、元に戻る方法を探すにゃ! あたしの鼻が、何か手がかりを見つけるにゃ!」
ルカが鼻をひくひくさせた。
「そうだな。まずは、俺の叔母のところに行こう。パン屋『小麦の歌』。あそこなら、何か知っているかもしれない」
シェリンは立ち上がった。
スカートの裾が、椅子の脚に引っかかった。
「うわっ!」
バランスを崩し、前のめりに倒れそうになる。
「危ない!」
エリーゼが素早く手を伸ばし、シェリンの腕を掴んだ。
男の手。大きくて、骨ばっていて、力強い。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫だ。ありがとう」
シェリンは顔が熱くなるのを感じた。
エリーゼの手が、まだ腕に触れている。
「……スカート、慣れないなら、ズボンを穿いたらどう? 私の昔の服なら、少しはマシだと思うけど」
エリーゼが手を離し、事務所の奥にあるクローゼットを指さした。
「え、いいのか? 悪いな」
「いいのよ。その格好で階段を降りたら、絶対に転ぶわ」
エリーゼはクローゼットから、生成りのシャツと、濃紺のズボンを取り出した。
「これなら、動きやすいでしょ」
「助かるよ。……でも、女物のズボンって、なんだか変な感じだな」
シェリンは服を受け取り、奥の部屋で着替えた。
鏡を見ると、そこには、男物のシャツとズボンを着た、若い女の子が立っていた。
「……やっぱり、違和感がすごい」
シェリンは苦笑いした。
だが、スカートよりははるかに動きやすい。
「兄貴、準備できたにゃ! 早く行くにゃ!」
ルカがドアの前で、尻尾を立てて待っていた。
「お前、猫になってもせっかちだな」
三人は、事務所を出た。
外は、朝の光で満ちていた。パン屋街からは、焼きたてのパンの匂いが漂ってくる。
「いい匂いにゃ! お腹すいたにゃ!」
ルカがシェリンの肩に飛び乗った。
「叔母さんの店で、何かもらえるかもな」
シェリンは、懐かしい匂いのする方へ歩き出した。
パン屋「小麦の歌」は、パン屋街の角にある小さな店だ。レンガ造りの建物に、花の絵が描かれた看板がかかっている。
店の前まで来ると、焼きたての花唄パンの香りが、いっそう強くなった。
「マリーおばさん! いるか?」
シェリンは店の扉を開けた。
カランカラン、と鈴の音が響く。
「はーい、いらっしゃい……って、あら?」
店の奥から、白いエプロンをつけた女性が出てきた。
マリー・バーガンディ。52歳。シェリンの叔母で、この店の店主だ。ふくよかな体つきで、茶色の髪を後ろでまとめている。笑うと目が細くなる、優しい顔立ち。
「あんた……シェリン?」
マリーは目を丸くした。
「え、なんで分かったんだ?」
シェリンは驚いた。
体は女の子になっている。声も高い。なのに、一瞬で見抜かれた。
「分かるわよ。あんたのその寝癖と、左目の下の泣きぼくろ。それに、そのだらしない歩き方。あたしが誰だと思ってるのさ」
マリーは腰に手を当てて、声を上げて笑った。
「だらしない歩き方って……」
シェリンは肩を落とした。
「それで、その猫はルカかい? 後ろの男の子は……エリーゼちゃん?」
マリーが、シェリンの肩に乗ったルカと、後ろに立つエリーゼを交互に見た。
「あたしまで分かるにゃ?」
ルカが目を丸くした。
「当たり前だよ。ルカのその金色の目と、元気な声は、猫になっても変わらないねえ」
「マリーさん、お久しぶりです。……この通り、少し事情がありまして」
エリーゼが、少し照れくさそうに頭をかいた。
「呪いだね。夜咲きの花の呪いだ」
マリーの表情が、急に真剣になった。
「知ってるのか?」
「ああ。あたしの若い頃にも、似たようなことがあった。夜咲きの花に触れて、体が入れ替わった人が、この街に何人も出たんだよ」
マリーは、店の奥から温かい花唄パンを三つ持ってきた。
「ほら、まずは食べな。話はそれからだ」
花唄パンは、ふわふわで、ほんのり甘い香りがした。
「うまそうにゃ! いただきますにゃ!」
ルカがパンに飛びついた。
「猫になっても、食欲は変わらないな」
シェリンもパンをかじった。
温かい。柔らかい。小麦の甘みと、花の香りが口いっぱいに広がる。
「……うまい」
シェリンは、じんわりと胸が熱くなるのを感じた。
この味は、子供の頃から変わらない。
「あんたが誰であろうと、あたしの甥っ子よ。それは、体が変わっても、何があっても、変わらない」
マリーが、シェリンの頭を優しく撫でた。
「……おばさん」
シェリンの視界が、急にぼやけた。
涙が、こぼれそうになる。
「私、自分が自分じゃなくなったみたいで、すごく怖かった」
シェリンは、素直な気持ちを口にした。
「大丈夫。あんたはあんた。何も変わってないよ」
マリーの手は、温かくて、優しかった。
シェリンは、涙をぬぐって、笑った。
「……ありがとう、おばさん。元気が出たよ」
「よしよし。それで、その呪いの話だけどね」
マリーは、カウンターに肘をついた。
「夜咲きの花の呪いは、花の種類によって強さが違う。黒薔薇、白百合、紅牡丹……どれも、触れた者の魂の器を交換する。性別、種族、年齢、全部が入れ替わるんだ」
「魂の器……つまり、体のことだな」
「そう。魂はそのまま、器だけが入れ替わる。あんたたちの場合、シェリンは女の子の器に、エリーゼちゃんは男の子の器に、ルカは猫の器に入っちまったってわけさ」
「元に戻る方法は?」
エリーゼが身を乗り出した。
「……あたしも、はっきりとは知らないんだ。ただ、昔、この街で呪いが流行った時は、花唄術師たちが総出で、呪いの根源を浄化したって聞いたよ」
「呪いの根源……」
シェリンは、顎に手を当てた。
「そう。多分、ノクターン庭園の奥深くに、呪いの花の親玉みたいなものがあるんだろうね。あんたたちが触った黒いバラも、その一つかもしれない」
「……あの庭園、子供の頃に迷い込んだことがある」
シェリンは、ふと呟いた。
「え? そうだったのかい?」
「ああ。まだ小さかった頃、庭園で迷子になって、黒いバラに触れたんだ。その後、熱を出して寝込んだ。……おばさん、覚えてないか?」
「……うーん、そういえば、そんなことがあったような、なかったような」
マリーは首を傾げた。
「あたしも歳だからねえ。細かいことは覚えてないんだよ。ごめんね」
「いいんだ。私も、ぼんやりとしか覚えてない」
シェリンは、パンの最後の一口を食べた。
「とにかく、呪いの根源を探す必要がありそうだな。エリーゼ、庭園から持ち帰った花びら、まだ持ってるか?」
「ええ。これよ」
エリーゼが、胸ポケットから小さな布袋を取り出した。
中には、黒い花びらが一枚。
「これを、花唄魔術で分析してみるわ。少し時間を頂戴」
エリーゼは、花びらを手のひらに乗せた。
そして、目を閉じ、静かに歌い始めた。
「♪——」
低い、男の声。
だが、その旋律は、紛れもなく花唄魔術のものだった。
エリーゼの指先から、淡い光が溢れ出し、花びらを包み込む。
「……!」
シェリンは、息を呑んだ。
花びらが、空中に浮かび上がり、細かい光の粒を放ち始めた。
「……分かったわ。これは、夜咲きの花の一種、黒薔薇。触れた者の魂の器を交換する、非常に強力な呪いを持つ」
エリーゼが、目を開けた。
「それだけじゃない。この花びらに宿る呪いの残り香が、ノクターン庭園だけでなく、街の複数の場所から検出される」
「なんだと?」
「花屋、市場、宿屋街……あちこちに、同じ呪いの残り香があるわ。つまり、呪いはノクターン庭園で完結していない。街に広がっている」
エリーゼの紫の瞳が、鋭く光った。
「……まさか、俺たちだけじゃないってことか?」
「ええ。おそらく、他にも呪われた人がいる。それも、一人や二人じゃない」
「あたしの鼻で、残り香を追跡するにゃ! 猫の嗅覚、すごいのにゃ!」
ルカが、鼻をひくひくさせながら、店の外に飛び出した。
「おい、ルカ! 待て!」
シェリンとエリーゼは、ルカの後を追った。
「こっちにゃ! この匂い、すごく濃いにゃ!」
ルカは、パン屋街を駆け抜け、花屋の前で立ち止まった。
「……あれ、あの店の店主、おじいさんじゃなかったか?」
シェリンは、花屋の店内を覗き込んだ。
そこには、若い娘の姿をした店主が、花に水をやっていた。
「おじいさんが、若い娘になってる……」
「間違いないわ。あの人も、呪われてる」
「兄貴、あっちにも、変な匂いがするにゃ!」
ルカは、さらに走り出した。
三人が次に見つけたのは、パン屋の常連のお姉さん。
彼女は、大男の体になっていた。
「……マジか」
シェリンは、絶句した。
「性別も年齢も種族も、めちゃくちゃに入れ替わってる。これは、一人の呪いじゃない。意図的に、街に広められている」
「兄貴! 広場に、すごい人だかりがあるにゃ!」
ルカが、広場の方を指さした。
三人が広場に行くと、人だかりの中心に、小さな子供が立っていた。
「……あれ、もしかして」
「街の英雄、ガルド・ランベール。老騎士のはずよ。なのに、あの姿は……」
ガルド・ランベール。かつて魔獣戦争で活躍した、伝説の老騎士。
その英雄が、今は、十歳ほどの子供の姿になっていた。
「わしは、ガルドじゃ! 信じてくれ!」
子供の姿の老騎士が、声を張り上げた。
だが、周りの人々は、困惑した表情で彼を見ているだけだった。
「……これは、思ったより深刻だな」
シェリンは、唇を噛んだ。
「ええ。呪いは、街全体に広がっている。しかも、誰かが意図的に、呪いの花を街中にばら撒いている」
「……犯人がいる。そういうことだな」
シェリンの琥珀色の瞳が、キラリと光った。
「兄貴、また別の匂いがするにゃ! こっちにゃ!」
ルカは、街中を駆け回り、呪いの残り香を追跡した。
花屋、市場、宿屋街。
至る所で、体の入れ替わり事件が起きていた。
「ルカの嗅覚は、本当にすごいな。猫の体になって、逆に良かったかもしれない」
「にゃ! 任せろにゃ! でも、やっぱり、言葉がうまく出ないのは不便にゃ」
ルカは、少し困ったように耳を伏せた。
「大丈夫。私が通訳するわ。ルカが何を伝えたいか、大体分かるから」
エリーゼが、ルカの頭を優しく撫でた。
「姉貴、ありがとにゃ!」
ルカが、エリーゼの手にすり寄った。
「さて、被害者たちに話を聞いてみよう。何か手がかりがあるかもしれない」
シェリンは、花屋の若い娘の姿になった店主に近づいた。
「あの、少しお話を伺ってもいいですか?」
「……あんた、誰だい?」
若い娘の姿の店主は、警戒したようにシェリンを見た。
「俺は、探偵のシェリン・バーガンディです。今、この街で起きている、体の入れ替わり事件を調べています」
「探偵? あんた、女の子なのに、男みたいな喋り方をするんだね」
「……まあ、色々ありまして」
シェリンは、苦笑いした。
「それで、いつから、その体になったんですか?」
「分からないんだよ。気づいたら、こうなってた。昨日の夜までは、普通のじいさんだったのに」
「気づいたら? 花に触れたとか、そういう記憶は?」
「ないね。何も覚えてないんだ。朝起きたら、鏡に知らない娘が映ってて、腰が抜けるかと思ったよ」
「……なるほど」
シェリンは、顎に手を当てた。
その後、他の被害者たちにも話を聞いたが、皆、口を揃えて同じことを言った。
「気づいたら変わっていた」
「呪われた覚えはない」
「記憶がない」
「不自然だ。全員、記憶がないなんて」
「ええ。誰かが、意図的に記憶を操作している可能性があるわ」
「……犯人は、かなりの手練れだ。花唄魔術で、人の記憶まで消せるなんて」
シェリンの表情が、引き締まった。
「エリーゼ、被害者の体に残る魔力を調べられるか?」
「やってみるわ」
エリーゼは、花屋の店主の手を取った。
そして、静かに歌い始めた。
「♪——」
低い声が、空気を震わせる。
「……!」
エリーゼの顔色が変わった。
「どうした?」
「……この魔力パターン、桁違いに強力よ。私やシェリンのものとは、比べ物にならない。呪いをかけた人物は、少なくとも、私たちより遥かに熟練した花唄術師だわ」
「……そんなやつが、この街に?」
「ええ。それも、一人じゃないかもしれない」
エリーゼの紫の瞳が、不安げに揺れた。
「……とにかく、今日はもう遅い。事務所に戻って、情報を整理しよう」
三人は、夕暮れの街を歩いて、事務所に戻った。
「あーあ、疲れたにゃ」
ルカが、机の上で伸びをした。
「猫のくせに、疲れるのか?」
「猫だから、疲れるにゃ。あたしの体、小さいから、走り回るとすぐ息が切れるにゃ」
「お疲れ様。ルカのおかげで、たくさん手がかりが見つかったわ」
エリーゼが、ルカの喉を撫でた。
「にゃ! 姉貴、気持ちいいにゃ!」
ルカが、ゴロゴロと喉を鳴らした。
「すっかり猫だな」
シェリンは笑いながら、机の引き出しから紙とペンを取り出した。
「さて、今日分かったことを整理するぞ。一つ、呪いは黒薔薇による魂器交換。二つ、呪いは街の複数箇所に広がっている。三つ、被害者は皆、記憶を失っている。四つ、犯人は、非常に強力な花唄術師」
シェリンは、紙に書き出しながら、早口でまくし立てた。
「……謎が解けた! これは面白くなってきたぞ」
シェリンの琥珀色の瞳が、キラリと光った。
「また無茶を考えてる顔だわ」
エリーゼが、呆れたように言った。
「大丈夫だって。今回は、ちゃんと慎重にやるから」
「その言葉、何度聞いたかしら」
エリーゼが、ため息をついた。
「兄貴、あたしも、もっと手伝うにゃ!」
ルカが、机の上で前足を突き出した。
「ああ、頼りにしてるよ」
シェリンは、ルカの頭を撫でた。
その時だった。
カサッ。
事務所のドアの下から、白い封筒が滑り込んできた。
「……また手紙だ」
シェリンは、封筒を拾い上げた。
差出人は、書かれていない。
だが、筆跡は、最初の依頼の手紙と、まったく同じだった。
シェリンは、封を切った。
中の紙を開いた瞬間、シェリンの顔から、血の気が引いた。
「……なんで」
紙には、こう書かれていた。
『これ以上調べるのをやめろ。さもなければ、お前の秘密——体内に宿す唄の種のことをばらす』
「……」
シェリンは、手紙を握りしめたまま、震えた。
「シェリン? どうしたの? 顔色が真っ青よ」
エリーゼが、心配そうに覗き込んだ。
「……何でもない」
シェリンは、手紙を背中に隠した。
「何か隠してるでしょ。その手紙、見せて」
エリーゼが、手を差し出した。
「……これは、私の問題だ。二人には、関係ない」
シェリンは、エリーゼの手を振り払った。
「シェリン……」
エリーゼが、傷ついたような顔をした。
「兄貴、どうしたにゃ? 喧嘩はダメにゃ」
ルカが、二人の間に入った。
「……ごめん。少し、一人にしてくれ」
シェリンは、手紙を握りしめたまま、奥の部屋に消えた。
部屋に閉じこもり、ベッドに倒れ込む。
「……なんで、あいつが、私の秘密を知ってるんだ」
シェリンは、唇を噛んだ。
体内に宿る唄の種。
それは、花唄術師でもない自分が、唯一持っている特別な力。
誰にも言ったことのない、最も大切な秘密。
「……ばらされたら、どうなる? エリーゼに、ルカに、知られたら……」
シェリンは、体を丸めた。
女の子の体は、男だった頃より、ずっと小さく感じる。
心細くて、怖くて、涙が止まらなかった。
「……でも、ここで調査をやめたら、街の人たちは、ずっと呪われたままじゃないか」
シェリンは、手紙を握りしめた。
紙の感触が、やけに冷たい。
「……どうすれば、いいんだ」
シェリンは、一睡もできずに、朝を迎えた。
窓の外では、小鳥が鳴いていた。
新しい一日が、始まろうとしている。
だが、シェリンの心は、深い闇の中に沈んでいた。
呪いを解くために、調査を続けるか。
それとも、秘密を守るために、調査をやめるか。
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