シェリン探偵と呪いの女体化事件簿〜チューリップ組の謎解きはパニックの香り〜
シェリン・バーガンディは世界中の謎を追いかける探偵VTuber。今日も今日とて依頼人はゼロ。チューリップ組の仲間たちとだらだら過ごしていた事務所に、一通の謎の手紙が届く。「呪いの花を探せ」。差出人不明、報酬は金貨百枚。シェリンの目が輝く。「これは怪盗の仕業かもしれない」と、彼はその事件に飛びついた。
手紙が導く先は、町はずれにあるノクターン庭園。そこには夜だけ咲く不思議な花があった。シェリンは相棒のエリーゼとルカを連れて庭園へ。奥深くで、黒いバラのような花を見つける。シェリンがそれに触れた瞬間、まばゆい光が爆発した!
「うわ、なんだこれ!?」
光が消えると、シェリンの体は女の子になっていた。それだけじゃない——エリーゼは男の子に、ルカは……なぜか猫になっていた。チューリップ組はパニックに陥る。「声が高すぎる!」「このスカート、スースーする!」「ニャー!」
呪いを解く方法を探すうち、三人は呪いの花を育てた犯人を追うことになる。怪盗のライバルの助けを借りて、シェリンは手がかりを集めていく。しかし、呪いは一つだけではなかった。町中で人々が入れ替わっている——花屋の店主、パン屋のおばさ
シェリン探偵と呪いの女体化事件簿〜チューリップ組の謎解きはパニックの香り〜 - どん底の夜 ~それでも、あなたは私を見つけてくれる~
夕暮れのヴェルクラインは、いつもと違う色をしていた。
下町のパン屋街を抜ける風が、生ぬるく、ねっとりと肌にまとわりつく。石畳の隙間からは、昼間の熱がまだ立ち上っていた。遠くの市場では、商人たちが店じまいの支度を始めている。木箱を積む音、荷車の車輪が軋む音。それらが全部、耳の奥でくぐもって聞こえた。
シェリン・バーガンディは、古びた二階建ての窓から、その景色をぼんやりと眺めていた。
ワインレッドの髪は、いつものように後ろでひとつに束ねている。けれど今日は、寝癖が二本、三本と飛び出したままだった。琥珀色の瞳は、何かを見るともなく、ただ街の輪郭をなぞっている。左目の下の小さな泣きぼくろが、疲れた肌の上で、やけにはっきりと見えた。
「……あーあ。今日も依頼ゼロか」
机の上には、朝から開きっぱなしの依頼ノート。真っ白なページが、電気石のランプの薄明かりを受けて、ぼんやりと浮かんでいた。
あの庭園で黒いバラに触れてから、体が女の子になって、もうずいぶん経つ。スカートの感触にも、細くなった指にも、声の高さにも、少しずつ慣れてきた。慣れてきたけれど——。
「今月も家賃が払えない……」
銀貨八枚。チューリップ組事務所の家賃。それが、いまのシェリンには遠い数字だった。
「兄貴! 配信の準備できたにゃ!」
灰色の猫が、階段を駆け下りてきた。茶色だったはずの毛並みはすっかり灰色に変わり、金色の目だけが昔のままだ。長い尻尾をぴんと立てて、シェリンの足元にすり寄る。
ルカ・ストーン。十八歳の獣人の戦士。呪いで猫になってからも、その明るさだけは、一ミリも減っていない。
「お前、本当に元気だな。猫の体、疲れないのか?」
「にゃはは! 猫の体、意外と悪くないにゃ! 高いところに登れるし、狭いところも通れるし!」
「……それ、戦士としてどうなのよ」
低い声が、奥の部屋から聞こえた。
銀色の短髪。切れ長の紫の瞳。左耳にだけ、銀の花のイヤリングが光っている。長身の青年が、腕を組みながら壁にもたれていた。
エリーゼ・ノクターン。二十二歳。花唄術師で、チューリップ組の参謀。もとは銀の三つ編みが美しい女性だったが、呪いで男の子の体になっている。
「……男の体、まだ慣れないわ。声が低すぎて、自分が自分じゃないみたい」
エリーゼは、自分の喉に手を当てた。その仕草が、妙に女性的で、けれど指は骨ばっていて。
シェリンは、そんなエリーゼを横目で見た。
(……エリーゼも、ずっと苦しいんだろうな)
でも、口には出さなかった。出せば、エリーゼがもっと気にする。それは分かっていた。
「……よし。配信、やるぞ。視聴者が一人でもいるうちに」
シェリンは、机の上の配信機材に手を伸ばした。
探偵ライバー。この世界では、配信を通じて事件を解決し、視聴者からの投げ銭で暮らす職業だ。ヴェルクライン探偵協会に登録して、初めて名乗れる。シェリンの登録番号は、二万三千人のうちの、二万千八百四十二番。
つまり、ほぼ最下層。
「今日の配信タイトルは、『呪いの花事件・進展あり!』でどうだ?」
「……進展、あったかしら。昨日も一昨日も、何も見つかってないじゃない」
「細かいことは気にするな! 配信は勢いだ!」
シェリンは、配信機材のスイッチを入れた。
画面が明るくなる。視聴者数は——三人。
「……三人か。まあ、ゼロよりマシだな」
その時だった。
ドアの外から、声がした。
「シェリン・バーガンディはいるか?」
低く、湿った、耳に絡みつくような声。
三人の動きが、同時に止まった。
ルカの尻尾が、ぶわっと膨らむ。
「……兄貴、この匂い」
「分かってる。……呪いの花の匂いだ」
シェリンの指が、無意識にルーペを探した。けれど、机の上には何もない。ただ、心臓だけが、早鐘を打ち始める。
「開けるわ」
エリーゼが、シェリンを庇うように前に出た。男の子の体で、けれど、その背中は、いつもより大きく見えた。
ドアを開けた瞬間、黒い影が、部屋の中に流れ込んできた。
いや、影ではない。
黒いローブ。黒い仮面。そして、体の周りにまとわりつくように揺れる、無数の黒い蔦。
黒薔薇の呪詛師。
「……やっと会えたな、シェリン・バーガンディ」
呪詛師の声は、男とも女ともつかない、奇妙に反響する声だった。仮面の奥の目だけが、ぎらぎらと光っている。
「……あんたが、庭園の主か」
シェリンは、一歩後ずさりながらも、呪詛師を真っ直ぐに見た。
「庭園の主? ふふ、違うな。私は、ただの庭師だ。お前という、美しい花を育てるための」
「何を言ってる!」
エリーゼが、シェリンの前に立ちはだかった。
「おや、男の子の姿になった花精か。……どけ。お前に用はない」
「シェリンに指一本触れさせないわ!」
エリーゼの指先が、淡く光り始める。花唄魔術。歌と植物を媒介に、魔力を操る技術。エリーゼは、その使い手だ。
けれど。
「……無駄だ」
呪詛師が、指を鳴らした。
その瞬間、床から、壁から、天井から——黒い蔦が、一斉に飛び出してきた。
「うわっ!」
ルカが飛びのく。けれど、蔦は猫の四肢を狙って、正確に絡みついた。
「にゃっ! 動けないにゃ!」
「ルカ! ……くっ!」
エリーゼも、蔦に足を取られた。男の子の体が、床に縫い止められる。
「さて、シェリン・バーガンディ。お前の秘密を、街中に教えてやろう」
呪詛師が、ローブの袖から、一輪の黒いバラを取り出した。
「……やめろ!」
シェリンが叫ぶ。
けれど、呪詛師は、その黒いバラを、配信機材に向かって放り投げた。
バラが、画面の前で弾けた。
黒い花びらが、部屋中に舞う。
そして——配信画面が、勝手に切り替わった。
『シェリン・バーガンディの体内には、唄の種が宿っている』
『その唄の種が、夜咲きの花と共鳴し、街の呪いを拡大させている』
『彼女こそが、呪いの源だ』
文字が、画面いっぱいに広がっていく。
「……やめろ……やめてくれ……!」
シェリンの声が、震えた。
自分の秘密。誰にも話したことのない、いちばん大事な秘密。それが、今、街中の配信端末に、強制的に流されている。
「これで、お前の秘密は、ヴェルクライン中の人間が知ることになる」
呪詛師の声が、耳の奥にこびりつく。
「……なんで……なんで、あんたが、私の秘密を……」
「なぜだと思う? ……お前を、守るためだよ」
「……え?」
「お前がこれ以上調べなければ、仲間は助かる。だが、お前の存在そのものが、街を滅ぼす。……どうする? 探偵さん」
シェリンは、動けなかった。
足が、床に張り付いたみたいに、動かない。
(私のせいで……私がいたから……)
頭の中が、真っ白になっていく。
「シェリン! しっかりして!」
エリーゼの声が、遠くから聞こえる。
「兄貴! 逃げるにゃ!」
ルカの声も、遠い。
呪詛師は、そんなシェリンを見下ろして、ゆっくりと笑った。
「……いい顔だ。絶望の顔だ。お前は、自分が何者かを、ようやく理解したようだな」
呪詛師は、黒い蔦を一振りした。
窓ガラスが、割れた。
外から、怒号が聞こえてくる。
「呪いを持ち込んだのはお前だ!」
「金返せ!」
「街から出ていけ!」
石が飛んできた。窓枠に当たって、ガラスの破片が散る。
「……ほら、街の人間が、お前を探しに来たぞ。お前のせいで、みんな苦しんでる。お前が、呪いの源だ」
「……違う……私が、呪いを広めたんじゃない……」
シェリンの声は、もう、か細いものになっていた。
「だが、お前の体内の唄の種が、呪いを増幅させている。それは事実だ。お前が生きている限り、この街の呪いは終わらない」
呪詛師の言葉が、ナイフみたいに、胸に突き刺さる。
(私が……私がいるから……)
涙が、こぼれた。
女の子の体になってから、涙もろくなった。いや、そうじゃない。これは、体の問題じゃない。
心が、折れかけている。
「シェリンから離れて!」
その時、エリーゼが、蔦を振りほどいて、立ち上がった。
男の子の体の、銀色の短髪が、乱れる。紫の瞳が、怒りに燃えている。
「……ほう。まだ動けるか」
「シェリンを守るって、決めたんだ。僕は、絶対に、あんたなんかに負けない!」
エリーゼが、歌い始めた。
花唄魔術。歌と植物を媒介に、魔力を操る技術。エリーゼの歌は、低い男の子の声で紡がれていく。
「——風よ、花よ、我が声に応えよ」
エリーゼの周りに、銀色の光が集まっていく。
「……無駄だと言っている」
呪詛師が、手をかざした。
黒い蔦が、エリーゼの喉元に、一直線に飛んでいく。
「エリーゼ!」
シェリンが叫んだ。
けれど、エリーゼは、避けなかった。
いや、避けられなかった。
黒い蔦が、エリーゼの首に巻きつく。
「……ぐっ……!」
エリーゼの歌が、途切れた。
それでも、エリーゼは、歌うのをやめなかった。
「——我が身を、盾に……!」
エリーゼの体が、光に包まれる。
体内の唄の種を、限界まで酷使している。
「……やめろ。お前の唄の種が、壊れるぞ」
「……それでも……シェリンを……守る……!」
エリーゼの声が、ひび割れていく。
「——散れ!」
最後の一節。
銀色の光が、爆発した。
黒い蔦が、焼き払われていく。
「……ほう」
呪詛師が、一歩後ずさる。
けれど。
エリーゼの喉から、血が噴き出した。
「エリーゼ!」
シェリンが、エリーゼに駆け寄る。
エリーゼは、その場に崩れ落ちた。
「……あ……ぁ……」
エリーゼの口が、動く。
けれど、声が出ない。
「エリーゼ……エリーゼ……!」
シェリンは、エリーゼを抱きしめた。
エリーゼの唇が、かすかに動いた。
『あなたを守れて、よかった』
声にならない声。
唇の形だけの、言葉。
「……ごめん……ごめんなさい……私のために……私のために……!」
涙が、止まらなかった。
「……無駄なことをしたな。花精の唄の種は、もう二度と、花唄魔術を紡げないだろう」
呪詛師の声が、冷たく響く。
「……あんた……絶対に……許さない……」
シェリンが、呪詛師を睨んだ。
「その目だ。……だが、もう遅い。街の人間が、ここに押し寄せてくる。お前は、この街で、もう生きていけない」
呪詛師が、指を鳴らした。
新しい蔦が、ルカの四肢に絡みつく。
「にゃっ! 離せにゃ!」
「この猫がどうなってもいいのか? ……お前が大人しくしていれば、この猫は助かる」
「ルカを離せ!」
「なら、お前が、この街から消えるんだな。今すぐに」
シェリンは、唇を噛んだ。
血の味がした。
(エリーゼは、声を失った。ルカは、捕まっている。私が……私が動かなければ)
シェリンは、エリーゼの手を引いた。
「……ルカ……ごめん……必ず……必ず助けに来るから……!」
「兄貴! 気にすんな! あたしは大丈夫にゃ! 早く逃げるにゃ!」
ルカが、猫の体で、精一杯の笑顔を作った。
シェリンは、エリーゼを抱えて、窓から飛び出した。
後ろで、ルカの声が聞こえた。
「兄貴! 絶対に、戻ってくるにゃ!」
その声が、胸に突き刺さった。
走った。
エリーゼを背負って、夜の街を、ただ走った。
路地を曲がり、階段を駆け下り、人気のない裏通りを、息が切れるまで。
街のあちこちから、怒号が聞こえる。
「呪いの源は、チューリップ組だ!」
「あの探偵を、捕まえろ!」
「俺たちの体を、元に戻せ!」
石が飛んでくる。
シェリンの肩に当たった。
痛い。
でも、それ以上に、心が痛い。
(みんな、私のことを、呪いの源だと思ってる)
(私が、街を壊したんだって)
涙が、夜風に流れていく。
やがて、シェリンは、人気のない路地裏にたどり着いた。
エリーゼを、積み上げられた木箱の影に、そっと横たえる。
「……エリーゼ……ここで、少し休んでて。私、ルカを助けに行くから」
エリーゼが、シェリンの手を握った。
声は出ない。
けれど、その手の力が、強かった。
『行かないで』
そう言っているみたいだった。
「……ごめん。でも、私が行かなきゃ。ルカを、置いてきたのは、私だから」
シェリンは、エリーゼの手を、そっと外した。
そして、路地裏の奥へと、一人で歩いていった。
膝を抱えて、座り込んだ。
冷たい石畳の上。
月明かりさえ届かない、暗い場所。
「……俺が……私が……いなければよかったのか……」
声が、震えた。
女の子の体。探偵の心。
どちらも、もう、ぼろぼろだった。
「……エリーゼの声も……ルカの自由も……みんなの体も……全部、私のせいで……」
涙が、止まらなかった。
これまでの人生で、いちばん深い絶望。
(私が、唄の種なんて宿してなければ)
(私が、あの庭園に行かなければ)
(私が、探偵なんてやってなければ)
後悔が、頭の中をぐるぐる回る。
「……誰か……助けて……」
その時だった。
「これはこれは、面白い探偵さんだ。ずいぶんと惨めな姿じゃないか」
声は、上から降ってきた。
シェリンが、顔を上げる。
涙でにじむ視界の先。
屋根の上に、仮面の男が立っていた。
黒い長髪に、白いメッシュ。深い紫の瞳。顔の上半分を覆う白い仮面。左手の薬指には、黒い石の指輪。
怪盗ノクト・ファントム。
「……あなたは……怪盗ノクト・ファントム……」
「ご名答。……おや、その顔。泣いてたのかい? 女の子の涙は、宝石より美しいが、君の涙は、なんだか痛々しいねえ」
ノクトは、屋根から軽やかに飛び降りた。
音もなく、シェリンの前に着地する。
「……君の秘密——体内の唄の種と夜咲きの花の共鳴——について、私は全部知ってる。そして、君の秘密をばらした犯人のこともな」
「……なぜ……あなたが、私の秘密を……」
「なぜ、か。……それを知りたければ、まず立ち上がることだ。今はそれどころじゃないだろ。君の仲間が、呪詛師のアジトで、殺されかけてるぜ」
「……ルカ! エリーゼ!」
シェリンは、弾かれたように立ち上がった。
「……探偵さん。君の秘密を守るために動いてる奴が、君を一番危険な場所に立たせてる。それでも、君は信じるのか?」
ノクトの紫の瞳が、仮面の下から、シェリンを真っ直ぐに見つめた。
シェリンは、涙を拭った。
「……信じるかどうかは、私が決める。でも、今は仲間を助ける。それだけだ」
「いいね、その顔。なら、ついてこい」
ノクトが、背を向けて、歩き出した。
シェリンは、その後ろを、ふらふらと追いかけた。
足は、まだ震えている。
心も、まだ折れたままだ。
でも。
(ルカ。エリーゼ。待ってて)
(私が、私が、みんなを守るんだ)
シェリンは、女の子の細い拳を、ぎゅっと握りしめた。
夜の街は、まだ、怒号に満ちていた。
けれど、シェリンの足は、もう止まらなかった。
ノクトの黒いマントが、月明かりの下で、ひらりと揺れる。
「……急ぐよ、探偵さん。呪詛師のアジトは、思ったより、ずっと深い場所にある」
「……ああ。分かってる」
二人は、夜の闇の中へと、消えていった。
遠くで、誰かの悲鳴が聞こえた。
風が、黒い花びらを、空高く舞い上げていた。Noveliaとは?
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