新妹魔王の日常契約
魔王の血を引く義妹との、甘くて危険な二重生活が始まる——。
母を亡くし、海外出張ばかりの父を持つ高校生・東城刃更。ある日突然、父から「お前には義理の妹ができる」と告げられる。しかも、相手は魔族で、一人は先代魔王の血を引いているという。戸惑いながらも、かつて自分も居場所を失った経験から、二人を迎え入れる決意をする刃更。
しかし、妹たちとの日常は、決して穏やかなものではなかった。魔族と勇者の血を引く者が出会うとき、運命の歯車が静かに動き出す。守りたいものと、封印してきた力の狭間で揺れる刃更。そして、義妹たちが抱える秘密とは——。
夕暮れの台所、交わされる契約、紫に輝く瞳。日常の裏側に潜む非日常が、いま幕を開ける。
新妹魔王の日常契約 - 幼馴染は監視役!? 澪姫VS柚希姫、仁義なき恋の戦争
教室の窓から差し込む朝の光が、黒板の上で白く跳ねていた。
東城刃更は、自分の席でぼんやりと外を眺めていた。霧ヶ丘学園の正門から、ぽつぽつと生徒たちが流れ込んでくる。みんな、それぞれの朝を運んでいる。
「……今日も、平和だな」
小さくつぶやく。
成瀬澪と成瀬万理亜が東城家に来てから、数日が経った。あの夜、窓の外に現れた赤い目の影——ヴァルグリンド派の斥候。あれ以来、気配は消えている。でも、刃更は毎晩、寝る前に家の周りを見回るのが癖になっていた。
「ったく、しょうがねぇな」
誰に言うでもなく、もう一度つぶやく。
澪は今日も朝から機嫌が悪かった。理由は簡単だ。刃更が作った目玉焼きが、少しだけ焦げていたから。
「バカ刃更!あんた、私の目玉焼き、半熟じゃないって言ったわよね!?」
「いや、言ってない。お前が勝手に半熟がいいって言ったんだろ」
「うるさいわね!百回殺す!」
澪は長い黒髪を振り乱して、フォークを振り回した。紫の瞳が、怒りで濃く輝いている。
「お姉ちゃん、朝から元気だね~」
万理亜は、ピンクのツインテールを揺らしながら、パンをちぎって口に運んだ。その笑顔は、年齢の割にやけに大人びている。
「万理亜、あんたは黙ってなさい!」
「はーい」
そんな朝の騒ぎも、もう日常になっていた。
刃更は、口元がわずかに緩むのを感じた。
(……まあ、悪くない)
一人だったあの頃より、ずっと騒がしい。でも、その騒がしさが、今は妙に心地よかった。
■
朝のホームルーム。
教室の扉が、がらりと開いた。
担任の坂崎守が、教壇に立つ。三十代半ば、眼鏡をかけた穏やかな男だ。
「おはよう。今日は、転入生を紹介する」
教室が、ざわりと揺れた。
「転入生?」
刃更は、何の気なしに顔を上げた。
坂崎が、廊下に向かって声をかける。
「入ってきて」
扉が、静かに開いた。
——水色のショートヘア。
頭頂部で、一本のアホ毛が、ぴょこんと跳ねている。
澄んだ水色の瞳。白い肌。すらりとした手足。
「野中柚希です」
少女は、教壇の前に立つと、淡々とした声で言った。
「よろしく」
ぺこりと、小さく頭を下げる。
教室中が、しんと静まった。
(……柚希?)
刃更は、自分の目を疑った。
野中柚希。
勇者の里で、幼い頃を一緒に過ごした、幼馴染。
「柚希、お前……なんでここに」
刃更は、思わず立ち上がっていた。
柚希の水色の瞳が、刃更をまっすぐに捉える。
「……久しぶり、刃更」
柚希の声は、驚くほど落ち着いていた。でも、その頬が、ほんの少しだけ、赤い。
「また会えたね」
「あ、ああ。久しぶりだな。元気だったか」
「うん。刃更こそ、変わりないみたいで」
柚希の口元が、ほんのわずかに緩んだ。
その瞬間、教室の空気が、ぴりっと張り詰めた。
「……ちょっと待ちなさいよ」
澪が、ゆっくりと立ち上がった。
紫の瞳が、柚希をじっと睨みつけている。
「あんた、刃更と知り合いなの?」
「……ええ」
柚希も、澪を見つめ返した。
水色の瞳と、紫の瞳。
教室の温度が、一気に下がった気がした。
「幼馴染よ。刃更とは、小さい頃からずっと一緒だったの」
柚希の声は、あくまで冷静だった。でも、その言葉には、はっきりとした主張があった。
「……幼馴染、ね」
澪の瞳が、さらに濃い紫色に変わる。
「ふーん。そう」
澪は、それだけ言うと、どすんと椅子に座った。
でも、その横顔は、明らかに不機嫌だった。
坂崎が、困ったように眼鏡を押し上げる。
「えーと、野中の席は……東城の隣が空いてるな。あそこに」
「……はい」
柚希は、静かに歩き出した。
澪の横を通り過ぎる時、二人の視線が、一瞬、交差した。
火花が散ったように見えたのは、気のせいじゃない。
■
休み時間。
教室の空気は、朝からずっと、なんだか落ち着かなかった。
「ねえ、見た?転入生の子、すごい美人」
「澪様と、どっちが可愛いと思う?」
「うーん、タイプが違うっていうか……」
教室のあちこちで、そんなひそひそ声が聞こえる。
刃更は、自分の席で、ため息をついた。
(……なんで、こんなことになってんだ)
隣の席では、柚希が、教科書を開いている。その横顔は、昔と変わらない。
いや、少しだけ、大人になった気がする。
「……お前、本当に転入してきたんだな」
「うん。今日から、この学校」
「なんでまた、急に」
柚希の手が、ぴたりと止まった。
「……刃更に、話さなきゃいけないことがあるの」
「話?」
「うん。でも、今はまだ。放課後でもいい?」
「……わかった」
柚希の横顔は、真剣だった。
昔から、柚希がこの顔をする時は、決まって大事な話があった。
(……嫌な予感がするな)
刃更は、窓の外に目をやった。
空は、朝の青さを失って、薄い雲に覆われ始めていた。
■
昼休み。
刃更は、一人で屋上に向かっていた。
教室にいると、澪と柚希の間に挟まれて、息が詰まりそうだった。
「……ったく、なんで俺が」
屋上の扉を開けると、風が吹き抜けた。
誰もいない。
フェンスの近くに座って、購買で買ったパンをかじる。
(柚希が転入してきた。澪は不機嫌。万理亜は……)
そういえば、万理亜は朝から妙に静かだった。
「……まあ、いいか」
パンを食べ終えて、空を見上げる。
雲が、ゆっくりと流れていく。
——その時だった。
「おい、東城」
低い声が、背後から聞こえた。
振り返ると、大柄な男子生徒が、腕を組んで立っていた。
三年の武田剛。澪姫ファンクラブの会長だ。
「……なんだ、武田先輩」
「なんだ、じゃない。お前、今日、澪様の隣に座ってた転入生と、何者だ」
武田の後ろには、数人の男子生徒が控えている。みんな、澪姫ファンクラブの会員だ。
「……幼馴染だけど」
「幼馴染だと!?」
武田の顔色が変わった。
「お前、澪様がいながら、他の女と幼馴染だと!?」
「いや、澪様がいながらって、澪は俺の義妹で……」
「言い訳するな!この不届き者め!」
武田が、ずいっと詰め寄ってくる。
「ちょっと待て。話が飛躍してるだろ」
「黙れ!澪様を悲しませる者は、この俺が許さん!」
「だから、悲しませてないって」
——がらり。
屋上の扉が、また開いた。
「何を騒いでるの」
水色の髪が、風に揺れる。
柚希が、無表情で立っていた。
「お、お前は……転入生の」
「野中柚希。それで、刃更に何か用?」
柚希の声は、氷のように冷たかった。
「な、なんだと。俺は、澪様のファンクラブ会長の武田剛だ。お前こそ、澪様の隣の席を……」
「それが、何?」
柚希が、一歩前に出た。
「あんたら、刃更に、何の権利があって文句言ってるの?」
「なっ……」
「刃更は、私の幼馴染。あんたらが、口出すこと、ちゃうやろ」
——関西弁。
武田たちが、ぽかんと口を開けた。
「……え?」
「聞こえへんかった?あんたらに、関係ないって言うてんの」
柚希の水色の瞳が、きらりと光った。
武田が、ごくりと唾を飲む。
「……お、覚えてろよ、東城!」
武田たちは、足早に屋上から去っていった。
「……柚希、お前、関西弁」
「……あ」
柚希が、はっとしたように口を押さえた。
「……忘れて。今の、なし」
柚希の頬が、みるみる赤くなっていく。
「いや、懐かしいな。お前、昔から、感情が高ぶると関西弁出てたよな」
「……言わないで」
柚希が、ぷいっと横を向いた。
その耳まで、真っ赤だった。
(……なんだ、変わってないな)
刃更は、おかしくなって、小さく笑った。
■
放課後。
刃更は、校門の前で、柚希を待っていた。
「お待たせ」
柚希が、小走りでやってくる。
「おう。で、話って何だ」
「……場所、変えた方がいい。ここだと、誰が聞いてるかわからない」
柚希の表情は、真剣だった。
「……わかった。うちに来るか?澪と万理亜もいるけど」
「うん。むしろ、その方がいい」
■
東城家。
リビングに入ると、澪がソファに寝転がっていた。
「遅かったじゃない!って、なんであんたが来てるのよ!」
澪が、飛び起きて、柚希を指差した。
「……お邪魔します」
柚希は、澪の剣幕を無視して、靴を脱いだ。
「ちょっと!あんた、なんで刃更と一緒に帰ってきてるのよ!」
「刃更に、話があるから」
「話!?あんた、刃更と何を話すって言うの!?」
「澪、落ち着けって」
「うるさいわね!バカ刃更!百回殺す!」
澪が、クッションを投げつけてきた。
「って、おい!」
クッションをキャッチしながら、刃更はため息をついた。
「あはは、お姉ちゃん、顔真っ赤だよ~」
いつの間にか、万理亜がキッチンから顔を出していた。
「万理亜!あんたは引っ込んでなさい!」
「はいはい」
万理亜は、ぴょこぴょことリビングにやってきた。
「柚希お姉ちゃん、初めまして。私、成瀬万理亜。お姉ちゃんの妹で、サキュバスなの」
「……サキュバス」
柚希の目が、すっと細くなった。
「知ってる。澪の護衛役でしょ。穏健派から送られた」
「あら、詳しいのね」
「当然よ。私は、澪の監視役だから」
リビングの空気が、張り詰めた。
「……監視役?」
「そう。私、クレセント・ウォッチャーから派遣されたの。澪の監視、そして、もし危険な兆候があれば……」
柚希は、そこで言葉を切った。
「……場合によっては、抹殺する許可も下りてる」
静かな声だった。
でも、その言葉は、リビングに冷たく響いた。
「……なんだって?」
刃更の声が、低くなった。
「待って。今は、その話じゃない。私が来たのは、別の用件だから」
柚希は、刃更の目をまっすぐに見た。
「……刃更、お願いがあるの」
「お願い?」
「私も、ここに住ませてほしい」
——一瞬、時が止まった。
「……は?」
「はああああ!?」
澪の叫び声が、家中に響き渡った。
「なんであんたがここに住むのよ!百回殺す!百回殺す!」
「監視のためよ。対象に近い方が、任務を遂行しやすい」
「ふざけないで!あんたなんか、絶対に認めないんだから!」
「あんたに拒否権はない。これは、私の任務」
「何よ、その言い方!」
「事実を言っただけ」
澪の瞳が、濃い紫色に輝いた。
柚希の水色の瞳も、冷たく光っている。
「……二人とも、ちょっと落ち着けって」
「うるさいわね!バカ刃更は黙ってなさい!」
「刃更は、私の話を聞いて。澪ちゃんは、後で」
「澪ちゃんって呼ぶな!」
「わあ、お姉ちゃん、すごい顔~」
万理亜が、けらけら笑いながら、澪の腕にしがみついた。
「万理亜!笑い事じゃないでしょ!」
「だって、お姉ちゃん、柚希お姉ちゃんにライバル心むき出しなんだもん。お兄ちゃん、モテモテだね」
「モテモテじゃない!」
「違うわよ!あんた、何言ってんの!」
刃更は、頭を抱えた。
(……帰りたい)
でも、ここは、自分の家だ。
■
夕食の時間。
澪が、台所に立った。
「……今日は、私が作るわ」
「え、お姉ちゃんが?」
「文句あるの?」
「いや、ないけど……お兄ちゃん、消化薬の準備しといた方がいいよ」
「え、そこまでか?」
「お姉ちゃんの料理、見た目は普通なのに、味がね……あれは、もう、呪いの域だよ」
「呪いって」
「こら、万理亜!聞こえてるわよ!」
澪が、包丁を振り回した。
「ひえっ」
「あんたは、座って待ってなさい」
澪は、柚希をじろりと睨んだ。
「……別に、手伝うわよ」
「結構よ!あんたに手伝われるくらいなら、一人で作るわ!」
澪は、鼻息荒く、冷蔵庫を開けた。
「……澪ちゃん、包丁の持ち方、逆」
「うるさい!これで合ってるの!」
「合ってない。刃先が上向いてる」
「細かいわね!どうでもいいでしょ!」
澪は、まな板の上に、野菜を乱暴に置いた。
ざくざくと、キャベツを切る。
——ぼとっ。
キャベツの塊が、床に落ちた。
「……あ」
「お姉ちゃん……」
「今のは、手が滑っただけよ!」
澪は、床のキャベツを拾い上げると、そのまま鍋に放り込んだ。
「おい、拾ったやつ、そのまま入れるなよ」
「うるさいわね!火を通せば大丈夫よ!」
「大丈夫なわけあるか」
「澪ちゃん、衛生観念、大丈夫?」
「あんたに言われたくないわよ!」
澪は、フライパンを火にかけた。
油をひく。
——じゅわっ。
油が、はねた。
「きゃっ!」
澪が、後ろに飛びのいた。
「おい、大丈夫か」
「だ、大丈夫よ!これくらい、なんでもないわ!」
澪は、強がったが、手が震えていた。
「……澪、無理すんな。俺が作るから」
「嫌よ!私が作るって言ったら、作るの!」
澪は、フライパンに、キャベツと肉を放り込んだ。
——じゅわわわ。
油と水分が、激しく音を立てる。
「あっ、あっ、あっ……」
澪は、おたまを握りしめて、フライパンから距離を取っていた。
「……澪ちゃん、貸して」
柚希が、澪からおたまを奪い取った。
「な、なにすんのよ!」
「見てられないから。私がやる」
柚希は、手際よく、フライパンの中身を炒め始めた。
「ちょっと!私の料理を勝手に!」
「料理になってないから、大丈夫」
「なっ……!」
「柚希お姉ちゃん、料理できるの?」
「一応。一人暮らしが長かったから」
柚希の手際は、鮮やかだった。
澪は、唇を噛みしめて、その様子をじっと見ていた。
(……澪、あんな顔するんだな)
刃更は、澪の横顔を盗み見た。
怒っている。でも、それだけじゃない。
どこか、悲しそうだった。
■
夕食後。
万理亜が、お風呂を沸かしてくれた。
「お兄ちゃん、お風呂沸いたよ!一緒に入る?」
「入らない!」
「えー、つれないなあ。お兄ちゃんの精気、最近吸ってないのに」
「吸わなくていい!」
「照れなくていいのに。お兄ちゃん、私のこと、そういう目で見てるんでしょ?」
「見てない!」
刃更は、顔を真っ赤にして、リビングを出ようとした。
「……刃更」
柚希が、後ろから声をかけてきた。
「お風呂、私が先に入ってもいい?」
「あ、ああ。いいぞ」
「ありがとう」
柚希は、着替えを持って、浴室に向かった。
「ちょっと!なんであんたが先に入るのよ!」
「私が先に聞いたから」
「ずるいわよ!私だって、まだ入ってないんだから!」
「じゃあ、後で入ればいいでしょ」
「あんたが先に入るのが気に入らないのよ!」
「……澪ちゃん、そういうの、子供っぽい」
「なっ!?百回殺す!」
澪が、叫んだ。
「お姉ちゃん、落ち着いて~」
万理亜が、澪の背中をなでる。
「うるさい!離しなさい!」
刃更は、また頭を抱えた。
(……これ、毎日続くのか?)
■
しばらくして。
刃更は、自分の部屋で、宿題をしていた。
「……ふう」
ノートを閉じて、伸びをする。
風呂に入ろう。
そう思って、立ち上がった。
脱衣所に向かう。
浴室の電気が、ついている。
「……あれ?誰か入ってるのか?」
さっき、柚希が先に入ると言っていた。
でも、あれから結構時間が経っている。
「……まさか、まだ入ってるのか?」
刃更は、脱衣所の扉を開けた。
——そこには。
「……あ」
柚希が、立っていた。
バスタオル一枚を、体に巻いて。
水色の髪から、雫が落ちている。
白い肌。細い肩。すらりとした脚。
「……っ!」
刃更は、固まった。
「……刃更」
柚希が、顔を真っ赤にして、刃更を見た。
「……見た?」
「み、見てない!何も見てない!」
「……嘘。目、合った」
「合ってない!」
「合った。……私の体、見たでしょ」
柚希の声が、震えている。
「ご、ごめん!本当に、何も見てないから!」
刃更は、後ずさりした。
「……どこまで見たの」
「だから、見てないって!」
「……見たんやろ」
——関西弁。
柚希の目が、じわりと潤んでいた。
「……私、恥ずかしい」
柚希は、バスタオルをぎゅっと握りしめた。
「ご、ごめん!悪かった!俺、出てくから!」
刃更は、脱衣所から飛び出した。
心臓が、ばくばくと鳴っている。
(……見てない。見てないけど、見えた)
頭の中で、さっきの光景が、ぐるぐる回る。
「……はあ」
壁に手をついて、深く息を吐いた。
「……柚希、あんな顔するんだな」
昔は、一緒に川で泳いだこともあった。
でも、今は、違う。
柚希は、もう、立派な女の子だった。
「……俺、なに考えてんだ」
首を振って、リビングに戻った。
■
夜。
刃更は、庭に出ていた。
風が、生ぬるい。
「……刃更」
後ろから、声がした。
振り返ると、柚希が立っていた。
髪は、まだ少し濡れている。
「……さっきは、ごめん」
「……ううん。私も、鍵をかけ忘れたから」
「いや、確認しなかった俺が悪い」
「……そういうことにしておく」
柚希は、刃更の隣に並んだ。
二人の間に、沈黙が流れる。
「……話、続きがあるの」
「監視の話か」
「うん。私、里から命令されてる。澪の監視。それから、もし澪に危険な兆候があれば……」
柚希は、空を見上げた。
「……場合によっては、抹殺する許可も下りてる」
「……本気で言ってるのか」
「本気よ。これが、私の任務」
柚希の横顔は、月明かりに照らされて、青白く見えた。
「……澪は、俺が守る」
刃更は、静かに言った。
「柚希、お前は、どうしたいんだ?」
「……私は」
柚希の唇が、震えた。
「私は、……わからない」
「わからない?」
「任務を、果たさなきゃいけない。里の命令だから。でも……刃更が、澪ちゃんを守るって言うなら、私は……」
柚希は、俯いた。
「……私は、刃更の邪魔を、したくない」
小さな声だった。
「柚希……」
「でも、里の命令は、絶対なの。逆らえば、私も……家族も」
柚希の声が、震えている。
「……そうか」
刃更は、柚希の肩に、手を置いた。
「柚希。お前は、一人で抱え込みすぎだ」
「……え?」
「昔から、そうだった。なんでも、一人で決めて、一人で苦しんで。……でも、もう一人じゃないだろ。俺がいる。澪も、万理亜もいる」
「……刃更」
「俺は、お前のことも、大切な幼馴染だと思ってる。だから、一人で抱え込むな」
柚希の目が、大きく見開かれた。
「……ずるい」
「何がだ」
「……そういうこと、言うの、ずるい」
柚希は、目をこすった。
「……私、刃更に、そんなこと言われたら、ますます、どうしていいか、わからなくなる」
「……それでいいんじゃないか。わからないなら、一緒に考えればいい」
「……うん」
柚希が、小さく頷いた。
——その時だった。
ざわり。
庭の木々が、不自然に揺れた。
「……!」
刃更は、柚希を庇うように、前に出た。
「刃更、どうしたの」
「……気配だ」
刃更の目が、鋭くなった。
「この感じ……前にも、あった」
「前にも?」
「澪が来た夜。窓の外に、赤い目が現れた」
「赤い目……ヴァルグリンド派の斥候ね」
柚希の表情が、一瞬で戦闘モードに変わった。
「どこにいる?」
「……わからない。でも、近い。澪の魔力を探ってる」
刃更は、左手首の腕輪を見た。
契約の腕輪が、ほんのりと熱を持っている。
「……澪の位置を、探られてる」
「止めないと」
「ああ」
二人は、同時に走り出した。
■
家の裏手。
生け垣の影に、黒い影が蠢いていた。
「……見つけた」
刃更は、影に向かって、鋭く叫んだ。
「そこにいるのは、わかってる。出てこい」
影が、ぴたりと止まった。
ゆっくりと、闇の中から、二つの赤い目が浮かび上がる。
「……グルルル」
低い唸り声。
「ヴァルグリンド派の斥候ね。こんな街中にまで」
柚希が、右手を掲げた。
「……霊刀咲耶」
水色の光が、柚希の手に集まる。
光は、一振りの刀の形を取った。
「……消えなさい」
柚希が、刀を振り下ろした。
——ザシュッ!
水色の斬撃が、闇を裂く。
「ギャアアア!」
斥候の影が、二つに裂けた。
でも、裂けた影は、すぐにまた蠢き始める。
「……しぶとい」
「柚希、こいつは、光に弱い。光を!」
「わかってる」
柚希は、霊刀を掲げた。
「……咲耶、照らして」
刀身が、まばゆい光を放った。
「ギャアアアアア!」
斥候の影が、光に溶けるように消えていく。
「……終わった」
柚希が、霊刀を消した。
「……ありがとう、柚希。助かった」
「……別に。これが、私の任務だから」
柚希は、そう言ったが、その顔は、少しだけ安堵していた。
「……でも、これでわかった。ヴァルグリンド派は、まだ澪を狙ってる」
「ええ。警戒を強めないと」
「……ああ」
刃更は、家の窓を見上げた。
二階の澪の部屋の明かりが、まだついている。
(……守る。絶対に)
刃更は、拳を握りしめた。
■
リビングに戻ると、澪がソファに座っていた。
「遅かったじゃない。何してたのよ」
「……ちょっと、庭の見回り」
「見回り?あんた、また一人で危ないことしてるんじゃないでしょうね」
「してない。柚希と一緒だった」
「柚希と!?あんた、あの女と、夜中に何してたのよ!」
澪が、立ち上がった。
「何って、見回りだよ。さっき言っただろ」
「信じられない!あんた、私がいない間に、あの女とイチャイチャしてたんでしょ!」
「してない!」
「嘘!あんたの顔、なんか、にやけてるもの!」
「にやけてない!」
「百回殺す!バカ刃更!」
澪が、クッションを投げつけてきた。
「お姉ちゃん、またヤキモチ~?」
万理亜が、リビングに顔を出した。
「ヤキモチじゃないわよ!」
「顔、真っ赤だよ?」
「うるさい!万理亜も、百回殺す!」
澪は、万理亜にもクッションを投げた。
「きゃっ」
万理亜が、クッションをキャッチする。
「……ったく、しょうがねぇな」
刃更は、ため息をついた。
でも、口元は、少しだけ緩んでいた。
(……これで、いいのかもしれない)
騒がしくて、めちゃくちゃで、落ち着かない。
でも、この家に、人がいる。
それだけで、心が温かくなる。
「……お前ら、もう寝ろ。明日も学校だぞ」
「あんたが寝なさいよ!」
「お兄ちゃん、おやすみなさい♡」
「……おやすみ」
刃更は、自分の部屋に向かった。
廊下で、柚希とすれ違った。
「……刃更、おやすみ」
「おう。おやすみ」
柚希の頬が、ほんのり赤い。
(……風呂のことを、まだ気にしてるのか)
刃更は、そう思ったが、何も言わなかった。
■
自室に戻り、ベッドに横たわる。
天井を見上げて、今日一日を思い返した。
柚希が転入してきた。
澪が、百回殺すを連発した。
万理亜が、相変わらずだった。
風呂で、柚希と鉢合わせた。
庭で、ヴァルグリンド派の斥候を倒した。
「……盛りだくさんすぎるだろ」
刃更は、小さく笑った。
左手首の腕輪が、静かに脈打っている。
(……澪の位置が、わかる)
澪は、隣の部屋で、まだ起きている。
(……守るって、決めたんだ)
刃更は、目を閉じた。
でも、なかなか眠れなかった。
柚希の、震える声が、耳に残っている。
「……場合によっては、抹殺する許可も下りてる」
(……そんなこと、させるか)
刃更は、心の中で、強く誓った。
窓の外では、月が、雲に隠れようとしていた。
風が、カーテンを、静かに揺らす。
——夜は、まだ、長い。Noveliaとは?
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