もし、キルヒアイスが生きていたら~銀河英雄伝説IF~
巨大な宇宙戦艦が光の矢を放つ遠未来の銀河――ラインハルト・フォン・ミューゼルは、残酷な陰謀によって親友キルヒアイスを失おうとしていた。しかし、運命のその日、キルヒアイスは奇跡的に生還する。
「無事でよかった……!」
涙の再会もつかの間、ラインハルトの周囲で異変が起こり始める。貴族たちの間で囁かれる不穏な噂、銀河を揺るがす大戦の幕開け、そして何より、姉アンネローゼに暗殺の魔の手が迫っているかもしれないという衝撃の事実! 野望と権力が星々のように激突する中、ラインハルトはキルヒアイスと共に巨大な敵へ立ち向かわねばならない。
だが、真実に近づくほど、二人は巧妙に仕組まれた死の罠へと深く堕ちていく……。果たしてラインハルトの運命は? そして、二人の友情は最後まで輝き続けるのか? 胸躍る、感動の銀河スペクタクル、ここに開幕!
もし、キルヒアイスが生きていたら~銀河英雄伝説IF~ - 金髪の死神、戦場に立つ
【前方、敵艦隊に乱れ発生。包囲陣形、完了しました】
モニターに表示された無機質な文字を、ラインハルト・フォン・ミューゼルは冷たい蒼い瞳で見つめていた。
「第二陣、突入させろ。逃げ道は塞ぐな」
艦橋の空気が、ぴりりと引き締まる。オペレーターたちの指が一斉に踊り、端末の電子音だけが静かに響いた。
ロイテンベルク星系。帝国辺境の、なんの変哲もない宙域だ。だが今、ここには二つの艦隊がひしめいていた。ガルデンブルク帝国の正規軍一万二千隻と、ファルケン自由星域同盟の侵入艦隊九千隻。百年以上も続く戦争の中で、こんな小競り合いは珍しくもない。
でも。
今回は、ちょっと勝手が違った。
「……あの陣形、同盟の標準教範にはない動きです」
艦橋の片隅で、新任の副官が呟いた。まだ二十歳そこそこの若い士官だ。カルテンボルン中佐。三日前に着任したばかりで、まだこの艦の空気に慣れていない。
「あたりまえだ」
ラインハルトは振り返らずに答えた。漆黒の軍服に包まれた細身の肩が、モニターの光を反射して銀色に縁取られている。燃えるような黄金の髪が、わずかな空調の風に揺れた。
「あれは俺がさっき考えた」
「……は?」
カルテンボルン中佐は目を丸くした。今考えた? この戦闘中に?
ラインハルトの指が、コンソールを滑る。味方艦隊を示す光点が、モニターの上で緩やかに弧を描きながら敵を包み込んでいく。動きは優雅ですらあった。まるで宇宙空間に花が咲くみたいに、自然で、ためらいがなかった。
「左右から挟むだけの陣形じゃ、敵は後ろに逃げる。でも、上下からも同時に潰せば、逃げ場はゼロになる。単純な話だ」
「単純って……こんなの見たことありませんよ」
「だから効くんだ」
ラインハルトは、ほんの少しだけ口元を緩めた。笑った、というより、ただ唇の端が上がっただけ。だがその表情に、カルテンボルンは背筋がすくむ思いがした。
なんだ、この若さは。
二十代前半で上級大将。金髪碧眼の美しさ。そして、この圧倒的な戦術眼。帝国軍で「金髪の死神」と呼ばれる理由が、今わかった気がした。
正面モニターで、光が弾けた。
指向性エネルギー砲。兵士たちが「光の矢」と呼ぶ主砲が、敵艦の装甲を蒸発させていく。光速の99.7%で放たれる荷電粒子の奔流は、当たれば戦艦だろうと一撃だ。有効射程三万キロの死の直線が、暗黒の宙域を縦横に切り裂く。
「敵第一陣、壊滅。第二陣、撤退を開始しました」
オペレーターの声が、冷静に状況を読み上げる。
「逃がすな。追撃戦に移れ」
ラインハルトの声には、勝利の熱などなかった。ただ、当然の作業をこなすような、冷めた響きだけがあった。
艦橋の誰もが、この若き提督に畏敬の念を抱いていた。いや、畏敬というより、畏怖に近いかもしれない。人間離れした何かを見るような目。
戦闘は、あっという間に終わった。
残存した同盟艦隊は降伏し、帝国側の損害はほぼゼロ。完勝だった。
「……総員、よくやった。戦闘態勢を解け」
ラインハルトが短く命じると、艦橋に緊張が解ける気配が走った。何人かが小さく息をつき、何人かが顔を見合わせて笑みを交わす。
カルテンボルンもまた、こっそりと安堵の息を吐いた。
よかった。これで戦闘は終わりだ。あとは戦勝報告をまとめて、帝都に送れば——
「副官」
「は、はいっ!」
ラインハルトが振り返っていた。アイスブルーの瞳が、じっとカルテンボルンを見下ろしている。身長178センチ。軍服の左胸には、姉からもらったという小さな銀のブローチが光っていた。
「紅茶を頼む。アッサムで。温度は85度、蒸らし時間はきっかり3分だ。ミルクはいるな」
「アッ、アッサム……?」
「知らないのか?」
冷たい声ではない。でも、どこか温度のない響きだった。
カルテンボルンは冷や汗をかいた。紅茶の種類なんて、士官学校では習わない。せいぜい合成コーヒーの淹れ方ぐらいだ。アッサムってなんだ? インドの何かか?
「……すぐに、ご用意します」
とりあえず食器庫に向かう。給湯器の前で立ち尽くし、備え付けの茶葉のパッケージを必死に漁った。ダージリン、セイロン、アールグレイ……アッサムがない。いや、ある。隅っこに押し込まれていた。ラベルには「アッサム・マンガラム」と書いてある。なんか強そうな名前だ。
温度85度? そんなのどうやって測るんだ。蒸らし3分? 時計を見ながら待てばいいのか。ミルクはいるな、って言ってたけど、どのくらい入れれば——
結局、ぐだぐだの紅茶が出来上がった。
「……お待たせしました」
差し出したカップを、ラインハルトは無表情で一口含んだ。
沈黙。
「……ぬるい」
「すみません……」
「それに、蒸らしすぎだ。渋みが出すぎている。ミルクの量も多すぎる。これではただの茶色い牛乳だ」
容赦ない。でも、怒っている感じではない。ただ事実を述べているだけの口調。それがよけいに堪えた。
ラインハルトはカップを置いて、窓の外を見た。戦闘の残骸が、まだ微かに光っている。
「……キルヒアイスなら、こんな失敗はしない」
その名前を、カルテンボルンは知っていた。ジークフリード・キルヒアイス。ラインハルトの幼馴染で、彼が最も信頼する副官。赤毛の温厚な青年で、いつもラインハルトのそばにいる男。でも今、彼は帝都に出張中で、この艦にはいない。
「キルヒアイスは、俺の紅茶の好みを全部知っている。温度も、茶葉も、蒸らし時間も完璧に覚えている。ミルクの量も、俺がその日の気分で変えても、ちゃんと察して調整する」
「はあ……」
「まあ、仕方ない。お前はまだ三日前に来たばかりだしな」
ラインハルトは、ほんの少しだけ肩をすくめた。その仕草が、なんだか妙に人間らしくて、カルテンボルンはちょっとだけ気が抜けた。
この人も、二十歳の若者なんだ。
なんて思った瞬間——
「上級大将、緊急通信です。帝都から、暗号レベル・ガンマ」
通信士官の声が、艦橋の空気を凍らせた。
暗号レベル・ガンマ。それは、平時にはほとんど使われない最高機密クラスの通信だ。戦闘中ですら、ここまでの暗号は滅多に使わない。
ラインハルトの指が、コンソールを叩いた。
「回線を俺の個人モニターに。音声はヘッドセットで」
「了解」
艦橋のモニターに、文字が浮かび上がる。ラインハルトだけが、それを読んだ。
三秒。
五秒。
十秒。
ラインハルトの顔から、表情が消えた。
いや、消えたというより、抜け落ちた、という方が近い。それまでそこにあった二十歳の若者の気配が、音を立ててどこかへ消えていった。
蒼い瞳が、ゆっくりと細められる。その奥で、何かが燃え始めていた。冷たい炎だ。氷のように冷たくて、それでいて、触れたものを焼き尽くすような——殺意。
「……提督?」
カルテンボルンが、おそるおそる声をかけた。
ラインハルトは答えなかった。彼はヘッドセットを外し、艦橋の全員を見渡した。その視線だけで、誰もが言葉を失った。
「キルヒアイスが撃たれた」
艦橋の空気が、完全に凍りついた。
「軍務省の廊下で、至近距離からレーザー銃だ。たった今、帝都中央病院に搬送された。生死は不明。犯人はその場で射殺された。背後関係は、まだわかっていない」
淡々とした声だった。感情を、きれいに削ぎ落とした声。でも、だからこそ、その奥にあるものが艦橋の全員に伝わってきた。
「帝都に戻る。全艦、即時帰還準備。航路は最短ルートを取れ。ワープの冷却時間は無視する。機関部に伝えろ。ぶっ壊れてもいいから、とにかく速度を出せと」
「で、ですが提督、冷却時間を無視すると艦が——」
「艦がどうなってもいいと言ったんだ」
カルテンボルンは、それ以上なにも言えなかった。
ラインハルトは、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……お前を傷つけた者は、誰であろうと許さない」
その声は、艦橋の誰の耳にも届かなかった。でも、その言葉に込められた冷たい殺意だけは、艦橋の空気そのものになって、全員の肌を刺した。
ラインハルトは窓の外を見た。
星々が、無数に瞬いている。その中に、帝都ヴァルトハイゼンがある。人口四十五億の帝国の中心。そして、キルヒアイスが今、生死の境を彷徨っている場所。
ふと、彼は軍服の内ポケットに手を入れた。
取り出したのは、一枚の古い写真。
若い女性が、静かに微笑んでいる。柔らかな栗色の髪。優しい目元。姉、アンネローゼ。十一年前、まだラインハルトが九歳だった頃、その美貌ゆえに皇帝の後宮に召し上げられた。
「お姉ちゃん、行かないで」
泣き叫ぶラインハルトを、姉は抱きしめた。
「大丈夫よ、ラインハルト。私はあなたの心の中にずっといるから」
でも、それは違った。姉は連れていかれた。ラインハルトは無力だった。九歳の子供に、帝国の権力に逆らう力なんてあるわけがなかった。
あの日から、彼は誓った。
強くなる。誰よりも強く。この腐った貴族制を叩き潰せるくらい、強く。
写真をそっとしまう。
「……キルヒアイス」
もう一人の、かけがえのない存在。
幼い頃からずっと一緒だった。姉が連れていかれたあの日も、キルヒアイスはそばにいた。泣きじゃくるラインハルトの肩を、無言で抱いていてくれた。
「いつか、お姉さんを取り戻そう」
そう言ってくれたのは、キルヒアイスだけだった。
彼なしでは、自分はここまで来られなかった。野望も、復讐も、すべてキルヒアイスがいてくれたからこそ——
ラインハルトは、拳を握りしめた。
「……帝都まであとどのくらいだ」
「ワープを強行すれば、約二日です。ただし艦に——」
「構わん。やれ」
「了解」
艦が微かに震動する。エンジンが唸りを上げ、ワープ航法の準備が始まった。空間を「折り畳む」超光速航行。通常なら跳躍の間に六時間の冷却が必要だが、ラインハルトはそれを無視した。
艦が、星々の海に消える。
ロイテンベルク星系の勝利は、もう過去のものだった。今、ラインハルトの心の中には、たった一つの思いしかない。
キルヒアイス。生きていてくれ。
そして——お前を撃った奴は、俺が必ず見つけ出す。
その蒼い瞳に宿る冷たい炎は、まだ誰も見たことのない色だった。Noveliaとは?
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