セラフ隊、性転換騒動!〜おれの彼女が彼氏になった日〜
ある朝、士官候補生のカレンは目を覚ますと、世界がひっくり返っていることに気づく。
鏡を見て、彼女は悲鳴をあげた。映っている顔は精悍で、あごにはうっすらと無精ひげが生えている。慌ててシャツの中を確認すると、胸はぺったんこ。そして、下の方に見慣れないものがついている。「ちょっと待って、これって…俺、男になってるの!?」
廊下に出ると、軍の寮全体が大混乱に陥っていた。クールな女性教官ユイは筋骨隆々の男性に、物静かな先輩リョウは可愛らしい女の子に変貌している。男は女に、女は男に——まさに大騒動だ。
やがて原因が判明する。前夜、敵対するセラフ隊が残していった呪いの箱だ。開けた瞬間、黒い霧が基地中に広がり、眠っている間に全員の性別を入れ替えてしまったのだ。
こんな状態では戦えない。呪いを解く方法を探るため、カレンたちは基地の禁断の地下階層へと足を踏み入れる。そこで見つけた古びたノートには、謎めいたメッセージが記されていた。「心が通い合うとき、雨の口づけが降り注ぐ」。どうやら呪いを解くには、二人が互いの気持ちを真に理解し合う必要があるらしい。
だが、事態はさらに複雑になる。身体が入れ替わっ
セラフ隊、性転換騒動!〜おれの彼女が彼氏になった日〜 - ハグしてもダメだった!?スキンシップ検証大作戦の巻
水曜日。
訓練棟の廊下に、カレンの足音が響いていた。
ここ数日こびりついた、変な重さを振り払うみたいに、わざと大股で歩く。なのに、背中に感じるリョウの視線が気になって、首の後ろがむずむずした。
地下から戻った後、二人の間には見えない壁ができたみたいだった。
あの、地下室での抱き合い——いや、リョウが転びそうになったのを助けただけだ。
でも、リョウの大きな瞳が、ランプの光で濡れたみたいに揺れていたこと。吐息が、ほんの少しだけ頬に触れたこと。
思い出すたび、胸の真ん中が熱くなって、ぐるぐると変な気持ちになる。
「おはよう、カレン」
後ろから聞こえた、鈴を転がすみたいな声。
カレンはぎくっとして立ち止まった。
「は、はよ!」
振り返ると、リョウが腰まである黒髪をゆらして立っている。
日差しを受けて、さらさらと光る髪。切れ長だけど優しい目が、今はなんだか、気まずそうに揺れている。
「……なんともないか」
「な、なにが!?」
「いや。その、昨日のことを、変に思ってないかと」
「変って、なにが! 別に変じゃないし! というか、あれは、リョウが転びそうになったからで!」
「そうだな。うん。それなら、いいんだ」
二人の間に、また沈黙が落ちた。
「おまえら、朝からなにをやっている」
低くて、岩が割れるみたいな声が響いた。
振り向くと、そこにはムキムキの大男——ユイ教官が立っている。盛り上がった筋肉が、訓練用のタンクトップをパンパンに張らせて、腕には太い血管が浮き出ていた。
「教官! おはようございます!」
「よし。ついて来い。打ち合わせだ」
教官はそれだけ言うと、くるりと背を向けて歩き出した。
その背中は、やっぱりまだ、ちょっと元気がない。
訓練場の片隅。
古びた木の机に、地下で見つけたノートの束が広げられている。
「あの呪いの箱に刻まれていた文句を、もう一度言うぞ」
教官は、太い腕を組んで、二人を見下ろした。
「想いが、かようとき、キスの雨が、ふる」
その言葉に、カレンの頬がかあっと熱くなる。
リョウも、うつむいて、耳まで真っ赤だ。
「そこで、今日はこの文句を検証する。具体的には、お前たち二人に『肌のふれあい』から検証してもらう」
「は? 肌のって、具体的に何を」
「手をつなぐ。肩を組む。ハグをする。それで呪いが解けるかどうか、ひとつずつ試す」
「はあああ!?」
「な、なんで僕たちが……」
カレンの声は裏返った。
頭の中がぐるぐる回る。手をつなぐ。肩を組む。ハグ。
どれも、昨日までのリョウとなら何も考えずにできたことだ。でも今は、女の子の姿のリョウとだ。
「文句があるのか。お前たちは演習でも一番連携が取れていた。適任だろう」
「そ、そういう問題じゃ……!」
「ない。やれ」
教官は、壁際に置いてある古い椅子を引っ張ってきて、どっかりと腰を下ろした。
その態度は、完璧に「見物」だ。
「えっと、その……まずは、手から?」
リョウが、おそるおそると言った。
訓練場の真ん中で、二人は向き合って立った。窓から差し込む午前の光が、リョウの長いまつ毛の影を白い頬に落としている。
「そうだな。手。うん、手だ」
カレンはごくりと唾を飲み込んだ。
ゆっくりと、右手を持ち上げる。
リョウも、ためらいがちに、白くて細い指を伸ばしてきた。
指先が、触れる。
その瞬間、カレンの胸の奥がぎゅうっとなった。
リョウの手は、小さくて、ほんの少し冷たかった。でも、触れているところだけ、じんわりと温かくなる。
(こんなに、リョウの手って小さかったんだ……)
今までは、自分より大きな手のひらだった。
それが今は、すっぽりと自分の手の中に包まれている。
リョウの顔を見た。
大きな黒い瞳が、不安そうに揺れている。
その瞳が、カレンの目をとらえた瞬間、リョウの白い頬が、ふわりと桜色に染まった。
「リョ、ウ」
「……な、に」
「あったかいな、手」
言葉が、自分でもびっくりするくらい、かすれた声だった。
「……カレンの手も、あったかい」
リョウのまつ毛が、ふるりと震える。
時間が、ゆっくりになった気がした。
心臓の音がうるさくて、このまま耳をすませば、リョウの心臓の音も聞こえそうだ。
——でも、何も起きない。
鏡の前に移動して、つないだ手を映してみた。
男のままだ。リョウも女のままだ。
「……効いてないな」
「そう、だね」
二人は慌てて手を離した。
手のひらに、じんわりと汗が滲んでいる。
「次だ。肩を組め」
教官の無慈悲な声が飛んでくる。
「ほ、肩……」
肩って、どうやるんだ。
カレンはおそるおそる腕を持ち上げて、リョウの背中に腕を回そうとした。
でも、今の自分は男の体で、リョウは女の体だ。身長も、肩幅も、全部がちぐはぐだ。
「あれ? こう?」
「ちょっと、カレン、手が」
「え? あ、ごめん」
「いや、僕こそ、もっとこっちか?」
ぎこちない動きで、リョウの肩に手を置いた。
途端に、リョウの細い肩がびくっと跳ねる。
「あ、わりい」
「だ、大丈夫だ。平気だ」
互いに顔を真っ赤にして、視線をあらぬ方向に向けたまま、へんな体勢で固まった。
まるで、壊れ物に触るみたいな遠慮がちな手つきだった。
「これじゃ肩組んでるって言えないよ、カレン」
「だって、なんか、こう……」
リョウが、ふっと笑った。
釣られて、カレンも笑う。
「あはは、なんだこれ」
「変だな、僕たち」
二人は、へんな体勢のまま、小さく笑い合った。
こんなふうに笑うのは、何日ぶりだろう。
「笑っている場合か! 次、ハグを試すぞ!」
教官の一声で、笑顔が吹き飛んだ。
「は、ハグ……」
「ハグ、だな」
二人は再び向き合った。
ハグ。腕を伸ばして、相手の体を抱きしめる。
言葉にするとたったそれだけだ。
でも、今、目の前にいるリョウは、腰まであるつややかな黒髪の、小柄で華奢な女の子で。
その体を抱きしめるイメージが、頭の中で何度も再生されて、熱暴走しそうだった。
「……いくぞ、カレン」
「う、うん」
リョウが一歩、前に出た。
いい匂いがした。日向の、洗い立ての布みたいな、リョウの匂い。
カレンは思い切って腕を伸ばした。
リョウの背中に腕を回す。頼りないほど細い体が、腕の中にすっぽりと収まった。
リョウの手が、おそるおそる、カレンの背中に触れる。
——どくん。
カレンの全身の血が、一気に沸騰したみたいだった。
リョウの心臓の音が、自分の体を通して聞こえる。こんなに早い。
「リョウ」
「カレン」
お互いの名前を呼ぶ声が、震えている。
その時だった。
壁の向こうで、がさがさと物音がした。
「……声、抑えろって」
「見える? 見える?」
「あ、ハグした!」
押し殺した声が、いくつも聞こえる。
カレンとリョウは弾かれたように飛びのいた。
「だ、誰だ!」
訓練場の入り口から、数人の候補生たちが雪崩れ込んできた。
みんな、笑いをこらえて顔を真っ赤にしている。
「いやー、いやー、見ちゃったよ! 朝っぱらから熱々だね!」
その中でもひときわ大きな声を上げたのは、きゃしゃな美少女の姿をした候補生——元は小太りでひょうきんな男だった、ヤマダだ。
「ヤマダ! 違う、これは検証で!」
「検証? 何の?」
「呪いを解くには、肌のふれあいが必要って話で、それで!」
「肌のふれあい!? いいねいいね! 俺たちも試したい!」
ヤマダがそう叫ぶと、他の候補生たちもわっと歓声をあげた。
「俺も!」「私も!」
あっという間に、訓練場は即席の呪い解けろスキンシップ大会と化した。
あちこちでペアを組んだ候補生たちが手をつなぎ、肩を組み、へたくそなハグを始める。
「よし、ハグ! ……あれ? 変わんない?」
「俺もだ。全然戻んねえ」
「おかしいなあ。もっとぎゅーってしないとダメ?」
最初は陽気だった声が、だんだんと不安を帯び始める。
誰一人として、元の姿に戻れない。
笑いが乾き、気まずい沈黙が訓練場を満たし始めた。
「おまえらあああっ!」
ユイ教官の怒鳴り声が、訓練場の空気をビリビリと震わせた。
全員の動きがピタリと止まる。
「なにを遊んでいる! これは検証だと言っているだろう! 戻れない者は、全員訓練を三倍にして、たっぷりかわいがってやるからな!」
候補生たちは蜘蛛の子を散らすように、訓練場から逃げ出していった。
その背中には、笑顔よりも焦りの影が、くっきりとへばりついていた。
午後。
訓練場の空気は、汗と鉄の匂いでむんむんしていた。
模擬戦用の木刀を握るカレンの手は、さっきまでリョウの手を握っていたはずなのに、今は別人みたいにぎこちない。
「やあっ!」
相手役の候補生に木刀を打ち込もうとして、バランスを崩した。
男の体は重心が高くて、腕の振りも力強すぎる。
ずでん、と派手な音を立てて、尻もちをつく。
「くそ……」
もう何度目の転倒だ。
体が自分のものじゃないみたいに、言うことを聞かない。
力加減はめちゃくちゃで、すぐに息が上がる。
「カレン、大丈夫か」
リョウが駆け寄ってきて、カレンの腕を取った。
小さな手が、汗で濡れたカレンの腕を、ぎゅっと掴む。
「だめだ。全然だめ。こんな体じゃ、まともに戦えやしない」
地面に座り込んだまま、カレンはうつむいた。
目の奥が、つんと熱くなる。
「笑ってなんとかなる、って言いたいけど、こればっかりは、なんともならなそうだ」
声が震えた。
リョウは黙って、カレンの隣に膝をついた。
そして、そっと手を伸ばして、カレンの左耳に触れた。
「——え?」
リョウの細い指が、そっと星のピアスに触れている。
お揃いの、小さな星のピアス。
カレンがこの基地に来た、入寮の日に、リョウがくれたもの。
「大丈夫だよ、カレン」
リョウの声は、不安を隠すみたいに、少しだけ早口だった。
「一緒に練習しよう。僕もまだ、この体に慣れてない。だから、二人でなら、きっと」
リョウの指が、ほんの一瞬、カレンの耳たぶに触れた。
——どくん。
心臓が、さっきのハグの時よりも、とてつもなく大きく跳ねた。
リョウの顔がすぐ近くにある。
その優しい目が、光の粒を集めたみたいに、きらきらと輝いている。
なんで今まで、気づかなかったんだろう。
リョウが、こんなにもきれいだって。
「リョウ」
「なに?」
「……ありがとう」
胸の奥から、熱い言葉が込み上げてきた。
でも、それは「ありがとう」だけじゃ足りない、別の言葉だ。
夕食後。
空が、深い青から藍色に変わる頃。
カレンは、リョウを連れてエバーグリーン林を抜け、ミラー湖のほとりに来ていた。
基地の南端にある、小さな湖。
水は空の色を映して、鏡みたいに静かだ。
湖面を渡る風が、やわらかく二人の頬を撫でていく。
「こんなところに呼び出して、なんだ?」
ベンチに腰掛けたリョウが、不思議そうに首をかしげた。
「聞きたいことがあってさ。……これ」
カレンは、自分の左耳のピアスを指さした。
リョウの耳にも、同じ星のピアスが光っている。
「入寮の日に、リョウがくれたよな。なんで、俺に?」
リョウは少し驚いた顔をして、それから湖に視線を落とした。
「……あの日、カレンはすごく緊張してた。でも、ずっと笑ってた」
そうだっただろうか。不安で、心細くて、泣きそうだったけど、笑うしかなかった。
「それを見てたら、なんだか僕も、元気が出たんだ。知らない場所で、たった一人で、それでも笑ってるカレンを見てたら」
リョウの声は、夕暮れの静けさに溶けて、とても優しかった。
「だから、その笑顔に、ありがとうって伝えたかった。それだけなんだ」
リョウが言った。
その瞳が、夕日を受けて、やわらかく光った。
心臓が、破裂しそうだった。
胸が熱い。空気がうまく吸えない。
(なんだ、その理由は)
ずるい。そんなの、ずるい。
そんなこと言われたら、もう。
「……やっぱり、リョウはリョウだな」
「なんだそれ」
「いい意味でだよ! リョウは優しいなあって!」
カレンは、湖に向かって、叫ぶみたいに言った。
隣で、リョウが小さく笑う気配がした。
二人の手が、ベンチの上で、ほんの少しだけ触れ合っていた。
呪いは、まだ解けない。
でも。
リョウの気持ちがわかった。
それだけで、胸の真ん中が、ポカポカと温かくなった。
その夜。
消灯時間を過ぎて、寮が静まり返った頃。
館内放送が、けたたましく鳴り響いた。
候補生全員、至急、メス・ホールへ集合せよ! 繰り返す、全員集合!
カレンが食堂に駆けつけると、
ユイ教官が、かつてないほど厳しい顔で立っていた。
「たった今、AVO第7管区司令部から連絡が入った」
騒めきが広がる。
「明日の木曜日、司令部から視察団が来る。我々の基地の、管理体制と戦力状態を調査するためだ」
視察団。
その言葉に、カレンの胸がぎゅっと冷たくなった。
「もし、この性別反転状態が視察団に発覚したら、基地の管理に重大な不備があったと見なされる。最悪の場合、私の責任問題では済まされず、基地全体の運営に影響が出る」
言葉の端々に、切実な焦りが滲んでいる。
「そのため、明日の夕方までに、なんとしても解呪する方法を見つけ出す。いいな!」
教官は、カレンとリョウを真っ直ぐに見据えた。
「明日のすべては、お前たちにかかっている。いい加減、想いがかよう、キスの雨、とやらの正体を暴け。これは、命令だ」
「なんとか、なる——」
いつもの口癖が、喉の奥に引っかかって、出てこなかった。
リョウの横顔を盗み見る。
リョウも、心なしか青ざめた顔で、じっと床を見つめている。
まだ、呪いは解けていない。
具体的な方法もわからない。
なのに、明日、敵でもない視察団が、自分たちを追い詰めるためにやってくる。
笑うしかなかった午前中が、遠い昔のことみたいだった。
フォート・ミラージュの夜が、かつてないほど重く、深く、沈み込んでいく。
これ以上ないほど、時間がない。
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