セラフ隊、性転換騒動!〜おれの彼女が彼氏になった日〜
ある朝、士官候補生のカレンは目を覚ますと、世界がひっくり返っていることに気づく。
鏡を見て、彼女は悲鳴をあげた。映っている顔は精悍で、あごにはうっすらと無精ひげが生えている。慌ててシャツの中を確認すると、胸はぺったんこ。そして、下の方に見慣れないものがついている。「ちょっと待って、これって…俺、男になってるの!?」
廊下に出ると、軍の寮全体が大混乱に陥っていた。クールな女性教官ユイは筋骨隆々の男性に、物静かな先輩リョウは可愛らしい女の子に変貌している。男は女に、女は男に——まさに大騒動だ。
やがて原因が判明する。前夜、敵対するセラフ隊が残していった呪いの箱だ。開けた瞬間、黒い霧が基地中に広がり、眠っている間に全員の性別を入れ替えてしまったのだ。
こんな状態では戦えない。呪いを解く方法を探るため、カレンたちは基地の禁断の地下階層へと足を踏み入れる。そこで見つけた古びたノートには、謎めいたメッセージが記されていた。「心が通い合うとき、雨の口づけが降り注ぐ」。どうやら呪いを解くには、二人が互いの気持ちを真に理解し合う必要があるらしい。
だが、事態はさらに複雑になる。身体が入れ替わっ
セラフ隊、性転換騒動!〜おれの彼女が彼氏になった日〜 - 金曜日はどん底!リョウがいなくなるなんて絶対イヤ!の巻
空気が、冷たかった。
金曜日の朝。食堂「メス・ホール」に漂うカツカレーの約束された匂いも、今朝は胸を締め付けるだけだ。
カレンはトレイを持ったまま、入り口で足を止めた。
(リョウだ……)
配膳台の前。腰まである黒髪が、朝日に照らされてさらりと揺れた。女性化したリョウが、お盆を持って俯いている。
昨晩の、あの会議室での言い合いが、耳の奥でこだまする。
——もう知らない! リョウなんて大嫌いだ!
自分の声が、刃物みたいに胸を刺す。
違う。そんなこと、思ってない。
「邪魔だ」
背後から低い声がして、カレンは飛び上がった。ムキムキの大男と化したユイ教官が、不機嫌そうに立っている。
「す、すみません!」
カレンは慌てて道を譲った。教官の背中を見送り、再びリョウの方を見る。
視線が、一瞬だけ交わった。
リョウの大きな黒い瞳が、何かを言いたげに揺れる。でも、すぐに伏せられた。
リョウは何も言わずに、トレイを持ったまま、カレンから一番遠い席へ歩いていく。
カレンは拳を握りしめた。
(謝れよ、俺)
声をかけるんだ。昨日は言い過ぎた、って。
でも、足が動かない。喉が張り付いて、言葉が出ない。
結局、カレンは何も言えず、リョウに背を向けて、空いている席にどっかりと腰を下ろした。
メニューは、トーストにスクランブルエッグ。温かいのに、味がしない。
その時、食堂全体が、水を打ったように静まり返った。
入口に、スーツ姿の一団が立っていた。
先頭の女性は、銀縁の眼鏡をかけた、背筋のピンと伸びた人物だ。年齢は四十代半ば。冷たい視線が、食堂中をゆっくりと見回している。
シマダ・レイカ。AVO第7管区、作戦部長。合理主義者で、無駄と非効率を何よりも嫌うことで有名だ。
「これはこれは。お揃いで、ずいぶんと静かな朝食だな」
シマダの鋭い声が、静寂を切り裂いた。
全員が、息を詰める。
「シマダ作戦部長、お待ちしておりました!」
ユイ教官が、張り裂けんばかりの声を張り上げ、敬礼をした。盛り上がった筋肉のせいで、教官服が今にも破れそうだ。
シマダは、ユイを品定めするかのように、頭のてっぺんからつま先までじっくりと眺めた。
「……ああ、君がユイ教導官か。ずいぶんと、立派な体躯をしている。まるで熊だな。報告書の写真とは、大違いだ」
ユイのこめかみに、ピキリと青筋が浮かんだ。
食堂のあちこちで、何人かの候補生が、笑いをこらえて肩を震わせる。
「さて。時間がない。さっそく施設を見せてもらおうか。ここの士気と規律が、どれほどのものか——」
シマダの目が、カウンターの隅に座るハセガワ・ミキを捉えた。立派な中年男性の姿で、豪快にコーヒーをすすっている。
「——じっくりと、評価させてもらう」
「来たよ、視察団」
ミキは気にした風もなく、にこやかに手を振った。
「ほら、訓練を始めるぞ! 全員、五分で訓練棟に集合だ! 遅れた者は這わせる!」
教官の怒号で、食堂は一気に慌ただしくなった。カレンは食べかけのトーストを口に押し込み、席を立つ。
リョウの姿を探した。
でも、もう見当たらなかった。
訓練は、地獄だった。
シマダが腕を組んで見守る中、ユイ教官は普段の三倍は厳しく指導する。ムキムキの体で模範の受け身を取るたびに、床がドシンと揺れた。
候補生たちは必死に堪えるが、滑稽な光景に、つい笑いが漏れる。
「笑うな! 気合いが足りん!」
教官の怒鳴り声に、シマダは冷ややかな視線を向けるだけだ。
訓練の合間、カレンはどうしてもリョウのことが気になって、コッソリと寮の廊下へ抜け出した。
リョウの部屋の前で、足を止める。
「……リョウ、いるか? ちょっと話があんだけど」
ノックをする。
返事がない。
もう一度、強くノックした。
「リョウ?」
ドアノブに手をかける。鍵はかかっていなかった。
ギィ、と音を立てて扉が開く。
部屋は、きれいに片付いていた。
ベッドは整えられ、机の上には何もない。まるで、誰も使っていなかったみたいに。
カレンの背筋を、嫌な汗が伝った。
机に近づく。
その真ん中に、白い封筒が一つだけ置かれている。
手に取った。
震える指で、中身を開ける。
『全部俺の責任です。迷わくをかけてごめん』
走り書きの、短い言葉。
そして、便箋を揺らすと——チャリ、と小さな金属音がした。
星のピアスだ。
カレンの左耳にあるものと、お揃いの。
いつも、リョウが肌身離さずつけていたもの。
——カレンには関係ない。
昨夜の、冷たいリョウの声が頭の中でリフレインする。
違う。違うんだ。あれは、守ろうとして。全部一人で背負い込んで。
手紙を握りしめる。
紙が、ぐしゃりと音を立てた。
カレンは弾かれたように部屋を飛び出した。
「ユイ教官! 教官!」
訓練場に転がり込むように駆け込む。ユイはシマダに何やら必死に説明している最中だ。
「カレン! 今は視察中だぞ!」
「リョウが、リョウがいないんです! 部屋にこれが!」
カレンは握りしめていた手紙とピアスを差し出した。
ユイの顔色が、サッと変わる。
「自首、だと……馬鹿な!」
「なんだ、その手紙は。見せなさい」
シマダがユイから手紙をひったくる。
「フン……これは明らかに、性別反転騒動に関わる人間の自白だな。こんなものを視察中に突きつけられるとは。ユイ教導官、君の管理体制はどうかしているぞ」
「……申し開きもございません」
ユイは唇を噛みしめ、深々と頭を下げた。
カレンの膝から、力が抜けた。
その場に、ペタンと座り込む。
リョウがいない。一人で、全部を終わらせに行った。
もう、アイツの声は聞けないのか。あの、優しい笑顔も。
後悔が、溶岩みたいに胸の奥から噴き出した。
「リョウ……っ」
涙が、止めどなく溢れた。
視察団がいることも、ユイの窮地も、もう関係ない。
カレンは訓練場のど真ん中で、子どものように声を上げて泣きじゃくった。
リョウを傷つけた。自分だけは味方でいるんだって、伝えられなかった。最後に言った言葉が、あんなひどい嘘だった。
「う……うあああっ! リョウ! リョウ……!」
拳で床を叩く。痛みすら感じない。
ただ、胸の真ん中にぽっかりと穴が開いて、冷たい風が吹き抜ける。
もう、手遅れだ。全部、終わった。
その時、後ろから、大きな、分厚い手が、そっとカレンの肩に置かれた。
「まあまあ、若いモンがそんなに泣きなさんな。立派な泣き顔が台無しだよ」
顔を上げると、そこには中年男性の姿をしたハセガワ・ミキが、困ったような、でもとても優しい顔で立っていた。
「ミキ……さん。リョウが……俺、リョウに……」
「ああ、だいたい話は聞こえてたさね。あの子、あんたを守ろうとしたんだよ。優しすぎるのが、あの子の欠点だねえ」
ミキは、たくましい腕でカレンの肩を抱き寄せた。
いつもの食堂の匂いがした。玉ねぎと、出汁と、ちょっと焦げた醤油の匂い。
「でもね、カレン。こういう時、自分が動かないと、大切なものは二度と戻ってこない。誰かがなんとかしてくれるのを待ってても、ダメなんだよ」
ミキの声は、低く深い男性の声なのに、お母さんみたいに温かかった。
「リョウは、よくコマチ商店街に行ってたよ。あの辺りを探せば、まだ間に合うかもしれない」
コマチ商店街。タチバナ・シティの、あの賑やかな通り。
カレンの頭の中で、ぐちゃぐちゃだった思考が、一本の線になった。
「でも、俺……嫌われた」
「馬鹿だねえ、あんたは! あんたに嫌われるくらいなら、一人で消えたほうがマシだって思うくらい、好かれてるんだよ。行っておやり。そして、目ぇ覚まさせてきな!」
カレンは、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。
手のひらにある、二つの星のピアスを見つめる。
一つは自分の。もう一つはリョウのだ。
(まだ、終わってない)
カレンは立ち上がった。膝が震える。
「待て、候補生! 許可なく基地を出ることは——」
「うるせえ! リョウを連れ戻す! それ以外、今はどうでもいいんだよ!」
カレンは、シマダ作戦部長を真っ直ぐに睨みつけて叫んだ。
自分でも驚くほど、大きな声だった。
ユイ教官が、一瞬だけ、驚いた顔をして——それから、小さく息を吐いた。
「……行け」
ぼそりと、聞こえるか聞こえないかの声で、教官が言った。
シマダが信じられないという顔でユイを見る。
「責任は俺が取る! 行け、カレン! 絶対にリョウを連れ戻すんだ!」
教官の怒号が、背中を叩いた。
カレンは、リョウのピアスを握りしめ、全速力で走り出した。
廊下を駆け抜け、寮の出口を飛び出す。
夕暮れが近い空が、燃えるように赤い。
エバーグリーン林を抜ける獣道を、全速力で駆け下りる。
肺が痛い。心臓が破裂しそうだ。それでも、足を止めない。
「待ってろ、リョウ! 今、行くから! 絶対に、追いつくから!」
風が、涙の痕を乾かしていく。
手の中のピアスが、体温で温かくなっていた。
タチバナ・シティへと続く、長い坂道を、カレンは一人、影を追うように駆けていく。Noveliaとは?
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