亜空のゆるゆる大作戦〜黄門様と従者たちの商会繁盛記〜
女神に「不細工」の一言で勇者をクビになり、荒野にポイされた男・深澄真。彼が手にしたのは、腹の中に広がる異世界「亜空」と、ドワーフたちが作る魔法の絆創膏だった——ただし、魔力をじわじわ吸い取る欠陥品つき。商売人「クズノハ・ライドウ」として再出発を誓う真のもとに、時代劇オタクの竜娘・巴、料理上手の澪、冷静な不死の魔術師・識、外出禁止のオッドアイ少女・環が集まり、にぎやかな商会が開店。だがその夜、届いたのは女神からの脅迫状だった。「虫の分際で、生意気よ。お前の大事なもの、全部壊してあげる」——笑って商売、時に真面目に、果たして成り上がれるのか。異世界ゆるゆる商会コメディ、開店!
亜空のゆるゆる大作戦〜黄門様と従者たちの商会繁盛記〜 - 黄門様、蜃気楼広場に立つ——巴、推参!
朝の光が、蜃気楼広場の石畳を白く照らしていた。
空は高く、雲ひとつない。遠くでカモメの鳴き声が聞こえる。潮の匂いが、街の真ん中まで流れてきていた。
深澄真は、露店の前に立っていた。
古びた木の台。その上に、白い布を敷く。小さな木箱を三つ。中には、亜空のドワーフたちが作った魔法の絆創膏が、一枚ずつ丁寧に並べられている。
看板は、昨日のうちに自分で取り付けた。
クズノハ商会。
たった四文字の看板が、朝日に照らされて、きらりと光っている。
「……さて」
真は、マスクの位置を直した。
黒い布のマスク。素顔を隠すためのものだ。女神に「不細工」と罵られた顔を、わざわざ他人に見せる必要はない。
(それに、商人は顔を売るんじゃない。品物を売るんだ)
そう自分に言い聞かせて、真は台の前に立った。
蜃気楼広場は、ツィーゲの街の中心にある大きな市場だ。
毎朝、夜明けとともに商人たちが集まり、露店を広げる。野菜、魚、肉、布、武器、魔石。ありとあらゆる物が、この広場で売られている。
真の店は、広場の東の端。
人通りの多い通りに面しているが、露店の数が多すぎて、目立たない場所だった。
「おい、あれ見ろよ。また変な店が出てるぞ」
「クズノハ商会? 聞いたことねえな」
「絆創膏だってよ。傷が治るらしいぜ」
「はっ、魔法薬の劣化品だろ。どうせ」
通りすがりの男たちが、こちらをちらりと見て、笑いながら去っていく。
真は、黙って聞き流した。
(最初はこんなものだ)
商売を始めたばかりの店に、客がすぐ来るわけがない。
だが、それでも。
胸の奥に、ちくりと刺さるものがあった。
昨日の夜、届いた手紙のことを思い出す。
『虫の分際で、生意気よ。お前の大事なもの、全部壊してあげる』
あの女神の文字。あの嫌な気配。
(俺は、ここで商売を始める。あんたに負けるつもりはない)
真は、静かに拳を握った。
その時だった。
「黄門様ーーーーっ!!!」
広場の向こうから、銀色の髪をなびかせて、一人の女が全力で走ってくる。
長い髪を後ろで束ね、腰には日本刀。金色の瞳が、朝日に輝いている。
深澄巴。
真の第一の従者だ。
「黄門様! お待たせいたしました! この巴、ただいま推参つかまつりました!」
巴は、真の前でぴたりと止まると、片膝をついて、時代劇の家来のように頭を下げた。
周囲の商人や通行人が、ぎょっとしてこちらを見る。
「……おい、巴」
真は、額に手を当てた。
「はっ! なんでございましょう、黄門様!」
「その呼び方はやめろ。何度言えばわかる」
「これは失礼。されど、黄門様は黄門様にございますれば、呼び方を変えるわけにはまいりませぬ」
「……もういい」
真は、深くため息をついた。
巴は、この世界に来てからずっと、真のことを「黄門様」と呼び、自分を「格さん」に見立てて行動している。
理由は、巴が時代劇マニアだからだ。
日本文化をこよなく愛し、亜空の中にまで時代劇の要素を持ち込もうとする、困った竜である。
「それで、黄門様。本日は、この巴が店の用心棒を務めさせていただきまする!」
巴は、すっくと立ち上がり、刀の柄に手を置いた。
「用心棒?」
「左様! クズノハ商会の商品を狙う不届き者があらば、この巴が成敗いたしまする! 黄門様の印籠にかけて!」
「印籠は持ってない。……まあ、いてくれると助かる」
真は、小さく笑った。
巴の大げさな物言いには、いつも呆れさせられる。
だが、巴の忠誠心だけは、本物だ。
この竜は、真のために、命を懸けることを惜しまない。
(……ありがたい)
心の中で、そう呟く。
「では、黄門様。わたくしめが、お客を呼び込んでまいりまする!」
巴は、そう言うと、露店の前に仁王立ちした。
そして、大きく息を吸い込む。
「さあさあさあ! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! クズノハ商会の魔法の絆創膏! どんな傷もぴたりと塞ぐ、夢のような品物でございまするよ! 本日は特別に、お試しあれ!」
巴の声が、広場に響き渡る。
通りすがりの人々が、驚いたように足を止めた。
「なんだ、あの女。やけに元気だな」
「絆創膏? 魔法の?」
「どんな傷も塞ぐって、本当かよ」
人だかりが、少しずつでき始める。
真は、その様子を見て、苦笑した。
(客引きは、巴に任せた方がいいな)
自分が呼び込むよりも、ずっと効果的だ。
「お姉さん、それ本当に効くのかい?」
一人の中年の男が、巴に声をかけた。
「もちろんでございまする! こちらは、亜空のドワーフたちが丹精込めて作り上げた逸品! 嘘偽りは一切ございませぬ!」
「へえ……じゃあ、一枚くれ」
「毎度ありがとうございまする!」
巴は、にこやかに笑って、銀貨を受け取った。
真は、その様子を静かに見守る。
(……巴は、商売に向いてるな)
あの明るさと、人懐っこさ。
自分にはないものだ。
その後も、巴の客引きは続いた。
「さあさあ、お若い冒険者様! 旅のお供に、絆創膏はいかがでございまするか? 傷は、早く治すに越したことはございませぬぞ!」
「お子様連れのお母様! 転んで擦りむいたお子様に、いかがでございまするか? 貼るだけで、痛みが和らぎまするよ」
巴の声に惹かれて、次々と客がやってくる。
一時間もすると、用意していた絆創膏の半分以上が売れていた。
「……すごいな」
真は、素直に感心した。
「ふふん。黄門様、この巴にかかれば、この通りでございまする」
巴は、得意げに胸を張った。
その時だった。
「おい、あんた」
隣の露店から、不機嫌そうな声が飛んできた。
見ると、隣で香辛料を売っている商人が、こちらを睨んでいる。
四十代くらいの、太った男だ。
「あんたのとこの商品、本当に効果あるのか?」
「……どういう意味だ」
真は、静かに聞き返した。
「どういう意味も何も、そのまんまだよ。『どんな傷も塞ぐ』なんて、胡散臭いこと言ってるからな。偽物を売ってるんじゃないのかって聞いてるんだ」
男の声は、わざと大きく。
周囲の客が、ざわざわとし始める。
「……偽物ではない。亜空のドワーフが作った、本物だ」
真は、落ち着いた声で言った。
「へえ、ドワーフがねえ。そんな話、誰が信じるんだか。あんたの店、昨日まで無かっただろ。急に出てきて、魔法の絆創膏だあ? 笑わせるなよ」
男は、にやにやと笑いながら、真の台の上に置かれた絆創膏を、指でつまみ上げた。
「こんな薄っぺらい布切れが、傷を塞ぐ? 馬鹿馬鹿しい」
「おい、無礼者!」
巴が、鋭く声を上げた。
銀色の髪が、ふわりと揺れる。
金色の瞳が、男を射抜くように見据えた。
「黄門様の商品に、そのような言い草は許しませぬぞ! この巴が、黙って聞き流すとでも思ったか!」
巴の手が、腰の刀の柄に伸びる。
その瞬間、空気が、ぴりりと張り詰めた。
周囲の客が、一斉に後ずさる。
「……巴」
真は、静かに言った。
「ここは商売の場だ。刀を抜くな」
「しかし、黄門様!」
「いいから」
真の声は、低く、有無を言わせないものだった。
巴は、悔しそうに唇を噛むと、ゆっくりと刀から手を離した。
真は、隣の商人に向き直る。
「……あんた、香辛料を売ってるんだな」
「ああ、そうだ。それがどうした」
「いい香りだ。質のいい品を扱ってるんだろう」
真は、男の台の上に並べられた香辛料を、じっと見た。
「は? あ、ああ……まあな」
男は、突然褒められて、戸惑ったように言葉を詰まらせた。
「俺の絆創膏も、同じだ。質のいい品を扱ってる。信じられないなら、試してみればいい」
真は、台の上から絆創膏を一枚取ると、男に差し出した。
「これは、サンプルだ。あんたが自分の目で確かめてくれ。効果が無ければ、文句を言いに来ていい」
「……ふん」
男は、絆創膏を受け取ると、しばらくじっと眺めていた。
「……わかった。試すだけ試してやる。だが、効果が無かったら、この広場から出て行ってもらうぞ」
「ああ、それでいい」
真は、静かに頷いた。
男は、それ以上何も言わず、自分の店に戻っていった。
「……黄門様」
巴が、真の隣に立って、小声で言った。
「よろしかったのでございますか。あのような無礼者に、サンプルを渡してしまって」
「構わない。ああいう奴は、言葉で言い負かすより、実際に使わせた方が早い」
真は、静かに言った。
「効果が本物なら、あいつは何も言えなくなる。それでいい」
「……黄門様は、お優しいのでございますな」
「優しいんじゃない。面倒なことが嫌いなだけだ」
真は、小さく息をついた。
その時、人だかりの中から、一人の男が進み出てきた。
革の鎧を身につけ、腰に剣を差した、若い冒険者だ。
「おい、あんた」
男は、真の前に立つと、台の上に置かれた絆創膏を、乱暴に掴み上げた。
「こんな怪しい店、信じられるかよ。傷が治る絆創膏だ? ふざけんな」
男は、そう言うと、絆創膏を台の上に叩きつけた。
バンッ、と音が響く。
「おい、お前!」
巴が、再び声を上げる。
だが、真は、片手で巴を制した。
「……試してから言ってください」
真は、静かに、はっきりとした声で言った。
「効果が無いと思うなら、使わなければいい。だが、試しもせずに否定するのは、ただの思い込みだ」
「あ? なんだと?」
冒険者の男は、真を睨みつけた。
「俺は、この街で十何年も冒険者をやってるんだ。怪しい品物がどういうものか、よく知ってる。あんたみたいな新顔が売ってる物が、本物なわけがない」
「……そうか」
真は、短く言った。
「なら、あんたは、自分の経験だけが正しいと思ってるんだな。新しいものを信じられない、古い頭の人間だ」
「な、なにを!」
男の顔が、真っ赤になる。
「俺の絆創膏は、あんたの経験則では測れない。試せば分かる。試さなければ、永遠に分からない。……それだけだ」
真は、静かに言い切った。
「……ちっ」
男は、舌打ちすると、絆創膏を掴んだまま、人混みの中へ消えていった。
「……黄門様」
巴が、心配そうに真の顔を覗き込む。
「大丈夫でございますか。あのような者どもに、好き放題言われて……」
「大丈夫だ。慣れてる」
真は、小さく笑った。
「……言い返すより、効果で黙らせる方が早い。そうだろ」
「……黄門様」
巴の金色の瞳が、揺れた。
「黄門様は、やはりすごいお方でございまする。拙者などでは、あのような者どもに、つい刀を抜いてしまいそうになる」
「お前は、それでいいんだ。俺が止める。だから、お前はお前のままでいろ」
真は、静かに言った。
「……それが、俺たちの役割分担だろ」
「……黄門様」
巴は、深く頭を下げた。
「ありがたきお言葉。この巴、生涯、黄門様にお仕えいたしまする」
「……大げさだな」
真は、苦笑した。
だが、胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなった。
(……巴がいてくれて、良かった)
心の中で、そう思う。
日が傾き、蜃気楼広場に夕暮れが訪れた。
空が、オレンジ色に染まっていく。
商人たちは、次々と露店を畳み始めた。
真も、店じまいの準備をしていた。
「黄門様、本日はお疲れ様でございました」
巴が、台の上の絆創膏を、木箱に丁寧にしまいながら言った。
「ああ、お前も、よくやってくれた。助かった」
真は、素直に礼を言った。
「もったいないお言葉でございまする! この巴、明日も、もっとお客を呼び込んでみせまするぞ!」
「……ほどほどにな」
真は、小さく笑った。
その時だった。
「……ん?」
真は、ふと、店の前の通りに、一人の男が立っていることに気づいた。
白いフードを目深にかぶり、顔を隠している。
男は、ゆっくりと、店の前を通り過ぎようとしていた。
だが、その歩みは、あまりにも遅く、不自然だった。
男の視線が、フードの下から、真の店をじっと観察している。
台の上に残った絆創膏の箱。
店の奥に積まれた在庫。
そして、真と巴の姿。
男は、それらを、ねっとりとした視線で舐め回すように見ると、再びゆっくりと歩き出した。
やがて、人混みの中に消えていく。
「……黄門様」
巴が、真の隣に立って、低い声で言った。
「今の男……ただ者ではない匂いがいたしますぞ」
「……ああ」
真は、静かに頷いた。
「黄門様、あの男、店の在庫を探っておりました。まるで、盗賊が下見をするかのように」
「……分かってる」
真は、夕暮れの通りを見つめたまま、静かに言った。
「あの男は、おそらく、俺たちの店を調べに来たんだ」
「黄門様……」
「あの手紙のことを、覚えてるか」
「女神アウレリアからの脅迫状でございますな」
「ああ。あの女は、俺の大事なものを、全部壊すと言った。あの男は、そのための下見に来たのかもしれない」
真の声は、静かだった。
だが、その瞳の奥には、冷たい光が宿っていた。
「……黄門様」
巴が、真の前に片膝をついた。
「この巴、命に代えても、黄門様とクズノハ商会をお守りいたしまする。例え相手が女神の使徒であろうと、この刀で切り捨ててみせまするぞ」
「……巴」
真は、巴の顔を見た。
銀色の髪。金色の瞳。
そこには、揺るぎない忠誠心があった。
「……ありがとう」
真は、静かに言った。
「だが、無理はするな。お前は、俺の大事な従者なんだから」
「黄門様……」
巴の瞳が、うるりと潤んだ。
「さあ、店じまいだ。今日はもう、帰ろう」
真は、そう言うと、台の上の木箱を持ち上げた。
「はい、黄門様」
巴は、立ち上がり、真の後を追った。
夕日が、蜃気楼広場の石畳を、金色に染めていた。
二人の影が、長く伸びる。
真は、歩きながら、考える。
(あの男は、誰だ)
(女神の使徒か。それとも、別の誰かか)
(……どちらにせよ、警戒は必要だ)
胸の奥に、重いものが沈んでいく。
だが、真の足取りは、しっかりとしていた。
(俺は、負けない)
(女神にも、あの男にも。俺は、自分の場所を守る)
クズノハ商会の看板が、夕日に照らされて、静かに輝いていた。
その光は、まるで、真の決意を映し出すかのように、強く、鋭く、街の空に伸びていた。
夜の帳が、ツィーゲの街を包み込む。
蜃気楼広場の喧騒は消え、代わりに、静かな闇が広がっていた。
真は、店の裏手で、一人、空を見上げていた。
星が、ぽつりぽつりと瞬いている。
(……明日も、店を開ける)
(巴と一緒に。クズノハ商会を、この街で一番の店にする)
(そして、あんたに……)
真は、ゆっくりと目を閉じた。
(あんたに、俺の居場所を守り抜くことを、見せてやる)
夜風が、真の黒髪を、そっと撫でていった。
その風は、どこか、女神の嘲笑を含んでいるようにも感じられた。
だが、真は、もう振り向かなかった。Noveliaとは?
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