BLACK LAGOON:ロックの選択 ― ロアナプラの蜘蛛の巣
廃業寸前のサラリーマンが、地図に載らない無法都市で運び屋として生きることを選ぶ。『BLACK LAGOON』の前日譚を思わせる異色の転生録、ここに開幕——。
岡島緑郎、二十五歳。旭日重工のエリート社員だった彼は、機密ディスクの輸送中に襲撃され、会社から「存在しなかったこと」にされた。目を覚ましたのは、警察も法律もない海上都市ロアナプラ。そこで出会ったのは、ラグーン商会のボス・ダッチだった。
「お前は今日からロックだ」
与えられた新しい名前と、銃を握らないという自らの選択。月収三百万円の危険な運び屋稼業、四つの勢力がにらみ合う街の均衡、そして元社員の顔を買ったホテル・モスクワからのスパイ依頼。ロアナプラの蜘蛛の巣に、一人のサラリーマンが足を踏み入れる。
これは、銃ではなく頭で生き延びようとした男の物語。彼が「ロック」になるまでの、最初の一歩の記録である。
BLACK LAGOON:ロックの選択 ― ロアナプラの蜘蛛の巣 - 炎上する夜 ―― どん底で、それでも銃を捨てない
鉄錆の匂いが、夜の空気に混ざっていた。
ロックは装甲バンの後部座席で、ぐしゃぐしゃになった家族の写真を握りしめていた。指先が白くなっている。汗と涙でふやけた紙の感触だけが、やけにはっきりと残っていた。
第三埠頭から旧市街へ戻る道。街灯の少ない路地を、レヴィは無言で飛ばしていた。ハンドルを切るたびに、タイヤが石畳の上で悲鳴を上げる。
「……おい」
ロックは顔を上げなかった。
「おい、聞いてんの」
「……聞いてます」
声が、自分でも驚くほど掠れていた。
レヴィはバックミラーでロックを一瞥した。鳶色の鋭い瞳が、暗がりの中で光る。首筋から右肘にかけての刺青が、対向車のライトに一瞬照らされた。
「あんた、さっきから写真ばっか見て。そんなもん見たって何も変わんないわよ」
「……わかってます」
「わかってるなら、しまいなさいよ。気持ち悪い」
ロックは写真を胸ポケットに押し込んだ。指が震えていた。
旧市街の入り口に差し掛かる。屋台の明かりが消え、人通りもない。遠くで、ドン、と一発。また銃声だ。もう、体が反応しなくなっていた。
「……レヴィさん」
「何よ」
「僕は、囮だったんですよね」
レヴィは答えなかった。アクセルを踏む足に、わずかに力が入る。
「バラライカの依頼は、最初から僕を張グループにぶつけるためのものだった。大森も、それを知っていた。全部、最初から」
「……今さらでしょ」
「ええ。今さらです」
ロックは窓の外を見た。廃ビルの影が、闇に沈んでいる。
「それでも、僕は……ダッチさんに言われたから、行った。バラライカに利用されるってわかってても、断れなかった。僕には、もう、あれしかなかったから」
「へえ、立派な心がけね」
「……すみません」
「謝んな。イライラする」
車が、旧市街の西端、ラグーン商会の倉庫へ続く通りに曲がった。
その瞬間。
レヴィの手が、ハンドルから銃へと動いた。
「……あんた、伏せて」
「え?」
「伏せろって言ってんの!」
ロックは反射的に身を伏せた。
次の瞬間、フロントガラスに無数の弾痕が走った。ガガガガガッ! と耳を裂く音。防弾ガラスが蜘蛛の巣状にひび割れる。
「くっ……!」
レヴィはハンドルを思い切り切った。装甲バンが急旋回し、路地の壁に車体を擦りつけながら停まる。
「な、なにが——」
「黙って!」
レヴィはドアを蹴り開け、二丁拳銃を抜いた。イスラエル製、口径9mm。銀色のスライドが月明かりを弾く。
「あんたは車から出ないで。いいわね」
「で、でも——」
「いいから!」
レヴィは車外に飛び出した。
銃声が、一気に激しくなる。
パンパンパンッ! と軽い発砲音。レヴィの二挺拳銃が火を噴く。弾丸が闇を切り裂き、路地の奥から悲鳴が上がった。
「何人いるのよ……ったく」
ロックは車内で、身を縮めていた。心臓が耳の奥で鳴っている。手のひらに汗が滲む。
(浄化屋だ。大森の私兵。僕らを追ってきたのか? いや、違う。これは——)
その時、遠くから、別の音が聞こえた。
ゴォォォ……
低く、腹に響くような音。
ロックは窓から顔を出した。
ラグーン商会の倉庫がある方角。旧市街の西端。空が、赤い。
(倉庫が——燃えてる)
「レヴィさん! 倉庫が!」
「見えてるわよ!」
レヴィは路地の敵を片付けながら、倉庫の方を見た。炎が、夜空を舐めている。
「くそっ、先回りされてた!」
彼女は無線機を手に取った。
「ダッチ! 聞こえる!? ダッチ!」
無線からは、ノイズだけが返ってくる。
「ダッチ! 応答しなさいよ!」
ノイズ。
「……ベニー! ベニー、あんたも! 誰か応答して!」
ノイズ。
レヴィの顔が、一瞬で強張った。
「……行くわよ。あんたも来なさい。ただし、あたしの後ろから離れないこと」
「はい」
ロックは車を飛び出した。足が震える。膝が笑う。それでも、走った。
倉庫へ続く通りは、すでに戦場だった。
浄化屋の男たちが、路地の陰から銃を撃ってくる。黒い戦闘服。顔は覆面で隠している。手にした自動小銃が、火を噴くたびに、壁の破片が飛び散った。
「邪魔くさいわね!」
レヴィは跳んだ。
壁を蹴り、空中で一回転しながら、二丁の銃を同時に撃つ。パン、パン、パン、パン。四発。四人の浄化屋が、ほぼ同時に倒れた。
「ったく、数だけは一人前ってわけ」
ロックはその後ろを必死で走る。息が切れる。肺が焼けるように痛い。
(倉庫が、燃えてる。ダッチさんは? ベニーは?)
倉庫の前に出た。
熱風が、顔を焼いた。
ラグーン商会の倉庫——二階建ての、あの古びた建物が、炎に包まれていた。一階の整備場から火の手が上がり、二階の窓から黒煙が噴き出している。屋上の無線アンテナが、熱で傾いでいた。
「ダッチ! ベニー!」
レヴィが叫ぶ。
返事はない。
炎の音だけが、ゴウゴウと鳴っている。
「……ベニー」
レヴィの声が、初めて震えた。
ロックは、倉庫の裏口の方を見た。
瓦礫が積み重なっている。その下から、細い腕が伸びていた。
「レヴィさん! あそこ!」
ロックは走った。
裏口の脇。崩れた壁の下敷きになって、ベニーが倒れていた。
「ベニー! ベニー、しっかりして!」
眼鏡が割れ、顔は血と煤で真っ黒だった。細身の体が、瓦礫の下で折れ曲がっている。腹部と脚から、血が流れていた。
「……ロック……か」
ベニーの声は、かすれていた。
「喋らないで。今、助けるから」
ロックは瓦礫を掴んだ。熱い。指先が焼ける。それでも、必死で持ち上げようとする。
「ぐ……っ」
瓦礫はびくともしない。
「レヴィさん! 手伝って!」
レヴィが駆け寄り、二人で瓦礫を持ち上げた。
「んの……っ!」
ギギギ……と音を立てて、瓦礫が動く。
「今よ! 引っ張って!」
ロックはベニーの体を引きずり出した。
ベニーの右脚は、ありえない方向に曲がっていた。腹部の傷から、血が止めどなく流れている。
「ベニー、ベニー! 目を開けて!」
「……うるせえな……ちょっと休ませろよ」
ベニーが、薄く笑った。
「バカ……今寝たら死ぬわよ」
レヴィの声が、また震えた。
「ダッチは……?」
ロックとレヴィは、顔を見合わせた。
「……まだ、見つかってない」
「そうか……」
ベニーは、天を仰いだ。炎に照らされた空が、赤く染まっている。
「……あいつ、また俺らを助けに……行ったんだな」
「喋らないで。今、安全な場所に運ぶから」
ロックはベニーを背負おうとした。
「やめろ、ロック。……俺はいいから、ダッチを探せ」
「何言ってるんですか! 置いていけるわけない!」
「あんたが背負ったら、二人とも死ぬわよ。あたしが運ぶ。あんたは先に、安全な場所を確保して」
「でも——」
「でもじゃない! あんたに力仕事は無理でしょ!」
レヴィはベニーを軽々と背負った。
「ほら、行くわよ。パサージュ闇市の裏手に、あたしの知ってる医者のとこがある。そこまで走る」
「ダッチさんは——」
「後で探す。まずはこいつを助けるのが先よ」
三人は、燃える倉庫を背に、路地を走った。
背後で、倉庫の屋根が崩れ落ちる。
ゴォォォ……ドシャァァァン!
火の粉が、夜空に舞い上がった。
振り返ると、ラグーン商会の倉庫は、もう骨組みだけになっていた。
(僕たちの……帰る場所が)
ロックは、唇を噛んだ。
鉄の味がした。
パサージュ闇市の裏通り。
古い看板が並ぶ路地を抜けた先に、小さな診療所があった。看板はなく、扉には南京錠がかかっている。
「ここの医者、金は取るけど腕は確かよ。あたしが何度か世話になった」
レヴィは扉を蹴り開けた。
中から、初老の男が顔を出す。白衣は黄ばみ、目は血走っている。
「……レヴィか。また面倒なもん運んできたな」
「いいから、こいつ見て。腹と脚。かなりやられてる」
闇医者はベニーを見て、顔をしかめた。
「こりゃひどい。助かるかどうかは五分五分だぞ」
「助けなさい。金なら払う」
「へいへい。ベッドに運べ」
ベニーは診療台に横たえられた。
「ベニー、しっかりして。あんた、まだ死なないわよ」
「……ああ……死ぬ気はないさ。俺が死んだら、あのバンの整備、誰がやるんだ」
ベニーは、血の混じった唾を吐きながら、笑った。
「……そうよ。あんたがいないと、あのポンコツ、すぐに止まるんだから」
レヴィは、ベニーの額に手を置いた。
ロックは、診療所の外に出た。
路地の壁に背をつけて、ずるずると座り込む。
(ダッチさん。ベニー。倉庫。全部、僕のせいだ)
膝に顔を埋めた。
歯を食いしばる。奥歯がギリギリと鳴った。
(僕がバラライカの依頼を受けたから。僕が囮になったから。僕が、弱かったから)
「……ロック」
顔を上げる。
レヴィが、診療所の入り口に立っていた。
「あんた、そこで何してんの」
「……すみません。足手まといで」
「わかってるなら、もっと役に立ちなさいよ」
レヴィはロックの隣に座った。
しばらく、沈黙。
遠くから、消防のサイレンが聞こえる。いや、この街に消防はない。あれは、火事場泥棒を追うパトカーでもない。ただの、遠くの喧騒だ。
「……あんたさ」
「はい」
「あんたがバラライカの話なんか受けるからよ」
レヴィの声が、低く、震えていた。
「あんたが、あの女の話に乗ったから。あんたが、スパイなんてやるから。ダッチもベニーも、倉庫も、みんな、みんな——」
「……はい」
「あんたが、弱いくせに、強がって、バカみたいに正義感出して、余計なことするから——」
「……はい」
「あんたが……あんたが……」
レヴィは、言葉を切った。
肩が、震えている。
「……ごめんなさい」
ロックは、地面に額を擦りつけた。
「謝って済むと思ってんの」
「思ってません。でも、謝ることしかできない」
「……バカじゃないの」
レヴィは、天を仰いだ。
炎の色が、雲に映っている。
「……あたしね、あんたのこと、最初はほんとに、ただの使えないサラリーマンだと思ってた」
ロックは黙って聞いていた。
「でも、ガルシアのとき、あんた、数字の嘘を見抜いたでしょ。あれ、ちょっと見直したわ。……ほんのちょっとだけよ」
「……」
「それに、埠頭で大森に捕まって、ボコボコにされて、それでも写真握りしめて泣いてるあんた見てたら……なんか、腹が立った」
「……すみません」
「謝んなっつってんでしょ!」
レヴィはロックの肩を掴んだ。
「あんた、自分が囮にされたってわかって、それでもラグーンに戻ってきた。写真なんか握りしめて、みっともなく泣いて。……そういうとこ、ムカつくのよ」
レヴィの鳶色の瞳が、炎を映して揺れていた。
「あんたが裏切るなら、容赦なくぶっ殺すからね」
声が、震えていた。
「……はい」
「でも、あんたが家族のとこに戻るなら、あたしが弾込め直してやるから」
ロックは、何も言えなかった。
「……あたしは、あんたを見捨てないわ。ダッチもベニーも、あんたを見捨てなかった。だから、あたしも、見捨てない」
レヴィは、ロックの肩から手を離した。
「でも、次に同じことしたら、今度こそ撃つから。二丁とも弾込めして、頭を吹き飛ばしてやる」
「……はい」
「返事は一回でいい」
「はい」
「……バカ」
レヴィは、小さく笑った。
泣きそうな顔で。
夜が更けていく。
診療所の中では、闇医者がベニーの治療を続けていた。金属音と、血の匂い。時折、ベニーのうめき声が漏れる。
ロックは、路地の壁に背をつけたまま、空を見ていた。
炎の色は、まだ消えない。
「……これ、あんたに」
レヴィが、白い封筒を差し出した。
「なんですか」
「倉庫の前に落ちてた。あんた宛よ」
封筒には、何も書かれていない。
ロックは、封筒を受け取った。
手が、震える。
開けた。
中から出てきたのは、一枚の書類と、一枚の写真。
写真には、日本の家が写っていた。
庭先に、三人の人物。
父。母。兄。
ロックの家族。
全員、笑っている。
写真の裏に、ボールペンで走り書きがあった。
『旭日重工へ戻れば、この三人は無事だ。戻らなければ、この写真はお前への弔辞になる。大森』
書類には、旭日重工への復帰を条件に、家族の安全を保証する旨が、事務的な文章で綴られていた。
そして、もう一枚の紙。
そこには、家族がロックを「厄介者」として会社に売った経緯が、事細かに記されていた。
父が、ロックの拉致を知りながら、会社に「息子は死んだものとして処理してくれ」と伝えたこと。
母が、保険金の話を真っ先に持ち出したこと。
兄が、ロックの私物を売り払い、自分の借金の返済に充てたこと。
日付と、署名と、実印の跡。
「……あは」
笑いが漏れた。
「あはは……」
笑いが止まらない。
「あはははは……」
腹がよじれる。涙が溢れる。息ができない。
「ロック……」
レヴィが、心配そうに覗き込む。
「……僕、笑っちゃいけないのに。笑っちゃいけないのに……」
「おい、しっかりしなさいよ」
「だって、こんなの……あんまりじゃないですか」
ロックは、写真を握りしめた。
くしゃり。
「僕、ずっと……家族のためにって、思ってた。会社に見捨てられても、家族のためならって。写真、見て、泣いて。戻らなきゃって。……でも、違った。僕の家族は、僕がいない方が幸せだったんだ」
「ロック……」
「僕が、いない方が、みんな、笑ってる。この写真、そうでしょ。僕がいない家族。僕が消えた後の、幸せな家族」
ロックの声が、裏返った。
「……要するに、僕は、最初から、いらない人間だったんですよ」
ロックは、地面に手をついた。
指先が、石畳に食い込む。
「僕が、いなければ。僕が、バラライカの話を受けなければ。ダッチさんも、ベニーも、倉庫も、全部、無事だった」
「……違うわよ」
「違わない! 全部、僕のせいだ! 僕が弱いから! 僕が、何もできないから!」
ロックは、地面を殴った。
拳が、割れた。血が滲む。
「やめなさい!」
レヴィが、ロックの腕を掴んだ。
「あんたが自分を責めたって、何も戻らないわよ。ダッチも、倉庫も、あんたの家族も、全部、もう、変わらないの」
「……わかってる。わかってるんです。でも……」
「でもじゃない。あんたがここで潰れたら、あたしはもっと腹が立つ。あんたに何もかも押し付けて、楽になろうとしてるみたいで、ムカつくのよ」
レヴィは、ロックの手を握った。
「あんたは、生きなさい。死ぬまで、足掻きなさい。それが、ロアナプラで生きるってことよ」
「……」
「あたしは、あんたを見捨てない。さっきも言ったでしょ。だから、あんたも、自分を見捨てんじゃないわよ」
レヴィの手は、温かかった。
血と硝煙の匂いがする、その手。
「……レヴィさん」
「何よ」
「ありがとうございます」
「……バカ」
レヴィは、ロックの手を離した。
「あんたの家族が、あんたを売った。でも、あたしは、あんたを売らない。ダッチも、ベニーも、あんたを売らなかった。それだけ、覚えてなさい」
ロックは、頷いた。
涙が、止まらなかった。
夜が明けようとしていた。
空が、東の端から白み始める。
炎は、まだくすぶっていた。
ラグーン商会の倉庫は、もう、骨組みさえ残っていなかった。
診療所の中から、闇医者が出てきた。
「とりあえず、出血は止めた。脚は、下手したら切断だ。命は……まあ、もつだろう」
「……そう」
レヴィは、壁に寄りかかったまま、煙草に火をつけた。
「ダッチは?」
「まだ、見つかってない」
「……あの男が、そう簡単に死ぬわけないわ」
「ええ」
ロックは、握りしめていた写真を見た。
家族の笑顔。
(もう、戻れない。戻る場所も、ない)
写真を、破った。
びり、びり、びり。
破片が、風に舞う。
「……あら、いいの?」
「いいんです。これが、僕の答えです」
「ふうん」
レヴィは、煙を吐いた。
「じゃあ、決まりね。あんたは、ロアナプラで生きる。あたしたちと一緒に」
「……はい」
「なら、まずはダッチを探すわよ。あの男がいないと、商会が回らないんだから」
「ええ」
ロックは、立ち上がった。
足は、まだ震えていた。
でも、もう、座り込んではいられなかった。
(僕は、弱い。何もできない。でも、それでも——)
ロックは、拳を握った。
割れた拳から、血が滴る。
「行きましょう、レヴィさん」
「……あんた、その手、治療してもらいなさいよ」
「後でいいです」
「バカ。後でじゃなくて、今よ。あんたが死んだら、あたしが困るんだから」
レヴィは、ロックの手首を掴んで、診療所の中へ引っ張っていった。
「ったく、世話のかかるサラリーマンね」
「……すみません」
「謝るなっつってんでしょ」
診療所の中は、血と消毒液の匂いが充満していた。
ベニーは、眠っていた。
胸が、かすかに上下している。
(生きてる)
ロックは、ベニーの手を握った。
「ベニー……必ず、ダッチさんを連れてくる。だから、待っててください」
ベニーは、答えなかった。
でも、その指が、わずかに動いた。
ロックは、笑った。
涙で、ぐしゃぐしゃの顔のまま。
外に出ると、朝日が、旧市街の廃ビルを赤く染めていた。
遠くで、また、銃声が一発。
ロアナプラの朝は、今日も、血の匂いがする。
「……ダッチは、どこにいると思う?」
「わかりません。でも、無線が通じないってことは、無線を持ったまま、どこかにいるか、あるいは——」
「死んでるか、ね」
「……はい」
「あたしは、死んでない方に賭けるわ。あの男、そう簡単にくたばらない」
「僕も、そう思います」
「なら、探すわよ。まずは、倉庫の周辺。それから、第三埠頭。大森の野郎が、ダッチを拉致った可能性もある」
「……大森」
ロックは、朝日を見た。
眩しい。
「大森は、僕を旭日重工に戻そうとしてる。家族を人質に、僕を。……でも、もう、家族は、僕を売った。大森の思惑通りにはいかない」
「へえ、やっと頭が回ったわけ」
「……僕は、もう、逃げない。大森にも、バラライカにも、張にも。誰にも、振り回されない」
ロックは、真っ直ぐ前を見た。
「僕は、ラグーン商会の一員として、この街で生きる。ダッチさんと、ベニーと、レヴィさんと、一緒に」
「……あんた、そういう恥ずかしいセリフ、平気で言うのね」
レヴィは、呆れたように笑った。
でも、その目は、少しだけ、優しかった。
「ま、いいわ。あんたがそう決めたなら、あたしも、それに付き合う。ただし、足引っ張ったら、置いてくから」
「はい。足手まといにならないよう、頑張ります」
「あんたが頑張っても、たかが知れてるけどね」
「……ひどい」
二人は、歩き出した。
燃え尽きた倉庫の前を通り、旧市街の路地を抜け、まだ暗い街の奥へ。
朝日が、長い影を、石畳に落としていた。
ロアナプラの一日が、始まる。
血と、炎と、硝煙の匂いに満ちた、新しい一日が。
その影を、遠くから見つめる者がいた。
ホテル・モスクワの最上階。
バラライカは、窓際に立ち、燃え尽きた倉庫の方角を見ていた。
手には、ウォッカの入ったグラス。
「……ロック。君は、思ったより、しぶといようだ」
彼女は、グラスを傾けた。
「だが、それでいい。君が足掻けば足掻くほど、張も大森も、君に引きずられる。その隙に、私は、私の目的を果たすだけだ」
バラライカの唇が、美しく、そして冷たく、弧を描いた。
「さあ、踊りなさい、ロック。この街の、蜘蛛の巣の上で」
グラスの中の氷が、カラン、と鳴った。
ロアナプラの朝が、血の色に染まっていく。Noveliaとは?
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