女体化呪いで婚約者候補が全員男に!? 暗殺貴族ルーグの地獄のラブコメ
トウアハーデ家の次期当主にして、前世が暗殺者の少年ルーグ。彼には幼い頃から共に育ってきた、3歳年上の幼馴染・ディアがいた。魔術の師匠であり、姉のような存在。そんな平穏な日々は、ある朝、突如として終わりを告げる。
「ルーグ……私、私ね、朝起きたら、胸が……胸が平らになっているの」
そう言って現れたディアは、なぜか男の体になっていた。しかも、領内では同じ現象が多発。村の女将が男に、鍛冶屋の親方が女に——領全体を巻き込む性別入れ替わりが発生していたのだ。
そして、謎の手紙にはこう書かれていた。「たまたま起こったことよ。元に戻りたければ、本物の愛の告白をなさいな」差出人は、ルーグをこの世界に転生させたあの女神。つまり、この呪いを解く鍵は「愛の告白」——それも、対象はおそらくルーグただ一人。
元は女だったのに今は男。しかも、そんな婚約者候補たちが、ルーグの心を奪おうと次々と動き出す。極端に恋愛ごとに不器用なルーグは、果たしてこの地獄のラブコメを生き抜けるのか。
笑いと恋の嵐が、今、幕を開ける。
女体化呪いで婚約者候補が全員男に!? 暗殺貴族ルーグの地獄のラブコメ - 雷速のメイド、敗れる——学院長の取引と呪いの家系
「……面会謝絶だと」
ルーグの声が、王立魔術学院アルカディアの正門前に落ちた。
石造りの門柱。鉄柵の向こうに、制服姿の学院職員が立っている。顔は無表情。腕を組んで、ルーグを見下ろしていた。
「何度来ても同じです。ディア・ヴィコーネ氏は現在、研究棟にて重要な調査に協力していただいております。面会は許可できません」
「調査だと。誰が決めた」
「学院上層部の決定です」
「俺はディアの弟子だ。顔を見せるくらい、構わないだろう」
「弟子であろうと、面会謝絶です。呪いの研究に集中していただくためです。ご理解ください」
ルーグは、職員の顔をじっと見た。
目が笑っていない。口元だけが、形だけの笑みを作っている。
(……ダメだ。何を言っても無駄か)
ディアが連れ去られてから、三日。
ルーグは毎日、学院に足を運んだ。だが、門前払いは一度も崩れなかった。
「……分かった。また来る」
「お気をつけて」
鉄柵が、ゆっくりと閉じられていく。
カチャリ、と錠の下りる音が、やけに大きく響いた。
——
王都アルヴェインの空は、鉛色に曇っていた。
夏の日差しはどこへやら。湿った風が、石畳の上を這うように吹き抜ける。
ルーグは学院の門を背に、歩き出した。
(ディアは、無事なのか)
(飯は食えているのか)
(あの体で、無理をしていないか)
考えるたびに、胸の奥がざらつく。
前世の記憶が、頭の隅で囁く。
——組織に捕まった人間は、どうなるか知っているだろう。
ルーグは、拳を握った。
「……くそ」
小さく、吐き捨てた。
——
トウアハーデ家の王都別邸。
石造りのこぢんまりとした館。ルーグたちが王都で拠点にしている場所だ。
扉を開けると、廊下の奥から足音が聞こえた。
「ご主人様。おかえりなさいませ」
栗色の髪を後ろで一つに束ねた、男の体のメイドが立っていた。明るい茶色の瞳。メイド服の白いエプロンは、糊がきっちりと効いている。スカートの中には、槍と拳銃。いつもの姿だ。
「ああ。……学院は、今日もダメだった」
「……そうですか」
タルトの瞳が、一瞬、曇った。
だが、すぐに顔を上げる。
「ご主人様。お茶を淹れました。少し、お休みになってください」
「いや、いい。……タルト、マーハから連絡は」
「まだです。ただ、夜にはこちらに来ると」
「そうか」
ルーグは、応接間のソファに腰を下ろした。
身体が、鉛のように重い。
三日間、まともに眠っていない。
目を閉じると、ディアの顔が浮かぶ。
銀色の長い髪。藤色の瞳。笑うとできる、えくぼ。
男の体になっても、あの笑顔だけは変わらなかった。
(ディアは、俺の師匠だ)
(幼い頃から、ずっとそばにいた)
(魔術を教えてくれた。姉のように接してくれた)
(なのに、俺は——)
ルーグは、唇を噛んだ。
——
「ご主人様」
タルトの声で、ルーグは顔を上げた。
いつの間にか、タルトが目の前に立っていた。
紅茶の入ったカップを、盆に載せて。
「お茶、冷めてしまいます。どうぞ」
「……ああ、すまない」
ルーグはカップを受け取り、一口含んだ。
温かい。だが、味がしない。
「ご主人様」
タルトが、静かに言った。
「私が、ディア様を取り戻してきます」
ルーグは、カップを置いた。
「何を言っている」
「学院の研究所に、私が乗り込みます。ご主人様が行けば、学院との正面衝突になります。ですが、私なら——」
「馬鹿を言うな」
ルーグは、強い口調で遮った。
「学院の警備は、お前が一人でどうにかできる規模じゃない。魔術師の数も、結界の厚さも、王都随一だ。行けば死ぬぞ」
「ご主人様」
タルトは、まっすぐにルーグを見た。
「私は、ご主人様に拾われた命です」
「……タルト」
「ディア様は、ご主人様にとって大切な方です。その方を、学院が人質のように閉じ込めている。ご主人様が毎日、門前払いを受けて、悔しい思いをしている。……私、黙って見ていられません」
「だからといって、無茶をする理由にはならない」
「無茶ではありません。私には、身体強化と風属性の加速魔法があります。雷速の異名は、伊達ではありませんよ」
タルトは、にこりと笑った。
男の体になっても、その笑顔は、昔と変わらない。
ルーグは、何か言おうとした。
だが、その前に——
「ご主人様。行ってきます」
タルトの体が、消えた。
いや、消えたように見えただけだ。
風が、部屋の中を駆け抜けた。
カップの中の紅茶が、波打つ。
「タルト!」
ルーグが叫んだ時には、もう遅かった。
窓が開いている。
タルトの姿は、どこにもなかった。
——
王立魔術学院アルカディア。研究棟。
学院の北西に位置する、三階建ての石造りの建物。
周囲は、高さ三メートルの石塀で囲まれている。
正門には、警備の魔術師が二人。
さらに、敷地内には、結界が張り巡らされている。
タルトは、石塀の影に身を潜めていた。
スカートの裾を翻し、内側から短槍を取り出す。
銀色の穂先が、曇天の下で鈍く光る。
(正面から、最短距離で)
(ご主人様が通れないなら、私が道を作る)
タルトは、深く息を吸った。
身体強化。
全身の筋肉が、膨張する。
風属性の加速魔法。
足元に、風が渦巻く。
——行く。
「っ!」
地面が、爆ぜた。
タルトの体が、一直線に研究棟の正門へ突っ込んでいく。
音速に近い速度。
石畳が、タルトの通った後にめくれ上がる。
「な——!?」
門の前に立っていた魔術師が、振り返った。
だが、もう遅い。
タルトの槍が、門の鉄柵を貫いた。
ギィィィン!!
鉄が、悲鳴を上げる。
「通してもらいます」
タルトは、柵をこじ開け、敷地内へ飛び込んだ。
「侵入者! 侵入者だ!」
警備の魔術師が、杖を掲げた。
詠唱。
「氷よ、彼の者を捉えよ——」
氷の矢が、タルトに迫る。
だが、遅い。
タルトは、体を捻って回避。
風の加速が、さらに一段上がる。
(速い。私の方が、速い)
タルトは、研究棟の入り口へ。
——その時。
「侵入者、一名確認。結界、起動」
低い声が、敷地内に響いた。
瞬間。
空気が、変わった。
目に見えない壁が、タルトの前に立ちはだかる。
「くっ——!」
タルトは、槍を突き出した。
だが、結界はびくともしない。
それどころか、槍が、弾かれる。
「結界を破るには、魔力が足りませんよ」
建物の影から、ローブを着た男が現れた。
学院上層部が配置した、警備の魔術師。
一人ではない。
二人、三人、四人——
次々と、姿を現す。
「包囲しろ。逃がすな」
「了解」
魔術師たちが、杖を構えた。
詠唱の声が、重なる。
「火よ」「風よ」「雷よ」「氷よ」
四方向から、魔法が放たれた。
タルトは、歯を食いしばった。
(引けない。ここで引いたら、ディア様は——)
タルトは、加速した。
炎をかわし、風を斬り、雷を槍で弾く。
氷の矢が、肩をかすめた。
「っ……!」
痛み。
だが、止まらない。
タルトは、結界に向かって、もう一度、槍を突き出した。
「はああああっ!!」
全力の一撃。
身体強化のすべてを、穂先に込める。
ギリギリギリ——
結界が、軋む。
「何だと……?」
警備責任者の顔色が、変わった。
「増援を呼べ! 結界を二重に張れ!」
「は、はい!」
魔術師が、詠唱を始める。
タルトは、叫んだ。
「ディア様——!!」
その声は、研究棟に届いただろうか。
——届いた。
三階の窓が、開いた。
銀色の髪。
藤色の瞳。
「タルト……!?」
ディアの声が、聞こえた。
「ディア様……!」
タルトは、笑った。
その瞬間。
「捕らえろ」
二重の結界が、タルトを押し包んだ。
「ぐ——ああああっ!!」
目に見えない力が、タルトの全身を締め付ける。
骨が、軋む。
「タルト! タルト!!」
ディアの叫びが、遠くに聞こえた。
「ご主人……様……」
タルトの意識が、薄れていく。
——その時。
「氷よ、貫け」
氷の槍が、タルトの右肩を貫いた。
ザシュッ。
肉を裂く音。
血が、飛び散った。
「あああああああっ!!!」
タルトの悲鳴が、曇天に響いた。
さらに、二本目の氷の槍が、左の太腿を貫く。
「がっ……あ……!」
タルトは、膝をついた。
槍が、手から落ちる。
カラン、と乾いた音。
「侵入者を確保しました」
「……殺さず、追い出せ。学院の名に傷がつく」
「了解」
タルトの体が、結界ごと持ち上げられた。
そして、研究棟の外へ、放り投げられた。
——
ルーグが研究棟の前に駆けつけた時、タルトは地面に倒れていた。
メイド服は血に染まり、右肩と左太腿から、血が流れ続けている。
「タルト!」
ルーグは、タルトを抱き起こした。
「……ご主人……様……」
タルトの唇が、微かに動く。
「ごめん……なさい……私……力不足で……」
「喋るな。今、手当てをする」
ルーグは、自分の上着を破り、タルトの肩に巻き付けた。
血が、止まらない。
ルーグの手が、血で染まる。
「……すみません……ご主人様の服が……汚れて……」
「そんなことを気にするな」
ルーグは、タルトを背負った。
「……重いか」
「いえ……ご主人様の背中……温かいです……」
タルトの声が、消え入りそうだった。
ルーグは、走った。
学院の石塀を背に、王都の通りを、全速力で。
(俺の判断が、甘かった)
(タルトの忠誠心を、止められなかった)
(ディアを守れず、タルトまで傷つけた)
ルーグは、奥歯を噛み締めた。
口の中に、血の味が広がる。
——
王都別邸。
ルーグは、タルトをベッドに横たえた。
肩の傷は深い。太腿の傷も、骨に達しているかもしれない。
「……麻酔が、ない」
ルーグは、止血と縫合の準備をしながら、呟いた。
「だい……じょうぶ……です……」
タルトは、弱々しく笑った。
「私……痛みには……慣れていますから……」
「嘘をつくな」
ルーグは、針と糸を手に取った。
「噛め。舌を噛むなよ」
ルーグは、折り畳んだ布をタルトの口元に差し出した。
タルトは、小さく頷いて、布を噛んだ。
ルーグは、傷口を消毒した。
タルトの体が、びくんと跳ねる。
「……っ!」
布越しに、くぐもった悲鳴。
ルーグは、針を刺した。
一針。
また一針。
タルトの額に、脂汗が浮かぶ。
「……ご主人……様……」
タルトが、布を吐き出して、言った。
「私……まだ……戦えます……」
「……タルト」
「だから……ディア様を……取り戻しに……行きましょう……」
タルトは、血の気のない顔で、笑った。
ルーグは、何も言えなかった。
ただ、針を動かし続けた。
——
夜。
マーハが、王都別邸にやってきた。
亜麻色のショートボブ。琥珀色の瞳。男の体になっても、きっちりと手入れされた身なりは、いつも通りだ。
「兄さん。タルトの具合は」
「命に別状はない。だが、しばらくは動けない」
「……そう」
マーハは、短く息をついた。
「兄さん。話があります」
「俺もだ。……こっちへ」
二人は、応接間へ移動した。
暖炉の火が、静かに燃えている。
「学院上層部の動きを、商会の情報網で探りました」
マーハは、手帳を開いた。
「学院長セオドール・ヴェイン。彼が、性別攪乱の呪いを『研究対象』として封じ込め、情報を独占しようとしています」
「……やはりな」
「さらに、内部文書を入手しました。学院上層部は、呪いを管理・利用することで、貴族社会における発言力を高めようとしている。呪いの解除方法を探すのではなく、呪いを『支配の道具』にしようとしているんです」
「……学院長が、か」
「ええ。兄さん、これは学院長が呪いを政治の道具にしようとしているということです。ディア様は、そのための研究素材として、閉じ込められている」
マーハの声は、いつもの営業用の笑顔を消していた。
切れ者の顔。
だが、その瞳の奥に、微かな焦りがある。
「……マーハ。お前、何かあったか」
ルーグは、マーハの様子に気づいた。
「……いいえ。何も」
マーハは、首を振った。
「それより兄さん。学院の研究所には、どうやって潜入しますか。私が、警備の配置図を入手します」
「いや。俺が、今夜、潜入する」
「一人でですか」
「ああ。タルトが傷ついた。お前まで巻き込むわけにはいかない」
「……兄さん」
マーハが、ルーグの袖を掴んだ。
「私も、行きます」
「ダメだ」
「兄さん!」
「お前は、商会の情報網で、外から俺を支援しろ。もし俺が捕まったら、お前が残るんだ」
「……兄さん」
マーハの手が、震えていた。
「……分かりました。でも、必ず、戻ってきてください」
「ああ」
ルーグは、立ち上がった。
「行ってくる」
——
夜の王立魔術学院アルカディア。
研究棟は、闇に沈んでいた。
月は雲に隠れ、星も見えない。
ルーグは、黒い外套をまとい、石塀を乗り越えた。
前世の暗殺者としての技術が、身体に染みついている。
足音を消し、気配を殺し、影から影へ。
警備の魔術師たちの巡回ルートを、昼間に確認済みだ。
(タルトが、結界の位置を教えてくれた)
(正門は無理でも、西側の結界は、夜間は薄くなる)
ルーグは、西側の壁に貼り付いた。
右手の甲の暗殺者紋が、微かに熱を持つ。
トウアハーデ家の秘術。
結界の薄い部分を、探り当てる。
——ここだ。
ルーグは、短剣「ナイトフォール」を抜いた。
暗闇で、刃が淡く発光する。
結界に、刃を当てる。
ジジジ……
結界が、小さく波打つ。
ルーグは、魔力を込めた。
「……開け」
ピシリ。
結界に、髪の毛ほどの裂け目ができた。
ルーグは、その隙間を、すり抜けた。
——
研究棟の中は、静まり返っていた。
廊下の灯りは、等間隔に並んだ魔導灯だけ。
ルーグは、壁伝いに進む。
ディアが隔離されているのは、三階の奥の研究室。
マーハが入手した配置図が、頭に入っている。
階段を上がる。
二階。
三階。
廊下の突き当たり。
重厚な木の扉。
その前に、一人の警備魔術師が立っていた。
ルーグは、懐から小さな筒を取り出した。
吹き矢。
トウアハーデ家特製の、即効性の眠り薬を仕込んである。
ルーグは、息を止め、吹いた。
プシュッ。
小さな針が、警備魔術師の首に刺さる。
「……あ」
警備魔術師は、崩れ落ちた。
ルーグは、その体を支え、壁に寄りかからせた。
扉に手をかける。
鍵がかかっている。
ルーグは、針金を取り出し、錠を外した。
カチリ。
扉が、開いた。
——
研究室の中は、薄暗かった。
窓から、わずかな月明かり。
机の上に、無数の魔術書。
壁一面に、星図。
そして、部屋の隅の簡易ベッドに——
「……ルーグ……?」
銀色の髪。
藤色の瞳。
男の体の、ディアがいた。
「ディア」
ルーグは、駆け寄った。
「ルーグ……本当に、ルーグなの……?」
ディアの声が、震えている。
「ああ。俺だ。迎えに来た」
ルーグは、ディアの手を握った。
冷たい。
「ルーグ……ルーグ……!」
ディアの瞳から、涙が溢れた。
「会いたかった……ずっと……会いたかった……」
ディアは、ルーグの胸に、縋りついた。
男の体になっても、その泣き方は、幼い頃から変わらない。
「……よく耐えたな」
ルーグは、ディアの背中を、そっと抱きしめた。
「ごめん……俺が、もっと早く来ていれば……」
「ううん……来てくれただけで……十分よ……」
ディアは、涙でぐしゃぐしゃの顔で、笑った。
えくぼが、できる。
「……さあ、行こう。こんな所から、連れ出す」
ルーグは、ディアの手を引いた。
——その時。
「残念だが、それはできない相談だ」
声がした。
部屋の中央に、光が集まる。
魔術による転移。
光の中から、一人の老人が現れた。
白い髪。白い髭。深い皺。
王立魔術学院アルカディア学院長、セオドール・ヴェイン。
「……学院長」
ルーグは、ディアを背に庇った。
「ルーグ・トウアハーデ。トウアハーデ家の次期当主。暗殺貴族の若き俊英」
セオドールは、ゆっくりと、ルーグを見た。
「そして、ディア・ヴィコーネ。星霊族の血を引く、優秀な星詠み魔術師」
セオドールの声は、静かだった。
「二人とも、私の学院の大切な人材だ。だからこそ、言っておこう」
セオドールは、一歩、前に出た。
「この性別攪乱の呪いは、30年前の星暦798年の性別攪乱事件と関係がある。そして、その事件には——」
セオドールは、ルーグの目を、真っ直ぐに見た。
「トウアハーデ家の祖先が、何らかの形で関与していた」
ルーグの呼吸が、止まった。
「……何だと」
「事実だ。当時の記録に、トウアハーデの名が残っている。何をしたのかは、まだ分からん。だが、呪いの根源に、お前の家が関わっている可能性は高い」
「……それが、なんだ」
ルーグは、声を絞り出した。
「呪いを解く方法を探すより、学院の管理下に置く方が、王国のためになる。お前の家の汚点を、これ以上広げないためにもな」
「……ディアを、人質にする気か」
「人質などと、人聞きの悪い。彼女は、研究に協力しているだけだ。だが、お前が学院に逆らえば、彼女の身の安全は保証できんな」
セオドールの口元が、微かに歪んだ。
「協力しろ、ルーグ・トウアハーデ。お前の暗殺技術と、トウアハーデ家の秘術。それらは、呪いの管理に有用だ。お前が従えば、ディアの待遇は保証する。逆らえば——」
セオドールは、言葉を切った。
沈黙。
「……ふざけるな」
ルーグの声が、低く響いた。
「ふざけるな!!」
ルーグは、短剣を抜いた。
ナイトフォールが、暗闇で光る。
「ルーグ! ダメよ!」
ディアが、ルーグの腕を掴んだ。
「学院長は、この学院で最も強い魔術師なの。あなたが敵う相手じゃないわ!」
「……だが」
「お願い。お願いよ、ルーグ。ここで戦って、あなたまで傷つくのは、私が耐えられない」
ディアの声は、涙で濡れていた。
ルーグは、歯を食いしばった。
短剣を持つ手が、震える。
「……賢明だ。その娘の言う通りだよ」
セオドールは、杖を床に突いた。
「では、返事を聞こうか。協力するか、否か」
ルーグは、セオドールを睨みつけた。
怒りで、視界が赤い。
だが、ディアの手が、ルーグの腕を離さない。
(……俺は、ここで、何もできない)
(学院長の権力に、ディアの命を握られて)
(短剣一本で、どうしろというんだ)
ルーグは、ゆっくりと、短剣を下ろした。
「……ディアを、傷つけるな」
「もちろん。彼女は、私の大切な研究協力者だからな」
セオドールは、満足そうに頷いた。
「では、今夜は帰りたまえ。返事は、後日でいい。……ただし、あまり待たせるなよ」
セオドールが、杖を掲げた。
光が、ルーグを包む。
「ルーグ……!」
ディアの声が、遠ざかる。
「ディア——!」
ルーグは、手を伸ばした。
だが、その手は、空を切った。
——
気がつくと、ルーグは学院の外に立っていた。
夜風が、冷たい。
「……くそ……くそっ……!!」
ルーグは、地面を殴った。
拳の皮が破れ、血が滲む。
「俺は……何も……できなかった……」
ルーグは、夜空を見上げた。
星は、見えない。
曇天が、すべてを覆っていた。
——
王都別邸に戻ると、マーハが待っていた。
「兄さん! ご無事でしたか!」
マーハが、駆け寄ってくる。
「……ああ。だが、ディアは連れ戻せなかった」
「……そうですか」
マーハの表情が、曇った。
「マーハ。タルトの様子は」
「眠っています。熱が少し高いですが、峠は越えたと」
「そうか」
ルーグは、タルトの部屋へ向かった。
ベッドの上で、タルトが眠っている。
顔色は、まだ青白い。
ルーグは、タルトの額に手を当てた。
熱い。
「……ご主人……様……」
タルトが、うわごとのように呟いた。
「ご主人様……私……まだ……戦えます……」
ルーグは、唇を噛んだ。
「……タルト。お前は、よくやった。もう、休め」
ルーグは、タルトの汗を、布で拭った。
——
応接間に戻ると、マーハが、窓の外を見ていた。
「マーハ。どうした」
「……兄さん」
マーハは、振り返らなかった。
「商会の取引先から、通告を受けました」
「通告?」
「呪いに関わる者との取引を、停止する、と。学院上層部が、商会に圧力をかけているんです。このままだと、オルナの取引網が、根こそぎ断たれます」
「……マーハ」
「兄さん、私は大丈夫です」
マーハは、振り返って、笑った。
営業用の、完璧な笑顔。
だが、その手は、微かに震えていた。
「私は、兄さんの妹ですから。このくらいのことで、へこたれたりしません」
「……マーハ、手を」
ルーグは、マーハの手を取った。
冷たい。
震えている。
「……兄さん」
マーハの笑顔が、崩れた。
「私……怖いです……」
マーハの瞳から、涙が溢れた。
「学院に、商会を潰される。兄さんまで、捕まってしまうかもしれない。ディア様は、戻ってこないかもしれない。……私、どうしたらいいのか、分からなくて……」
マーハは、ルーグの胸に、顔を埋めた。
「……マーハ。お前は、一人じゃない」
ルーグは、マーハの頭を、そっと撫でた。
「俺も、タルトも、お前のそばにいる。だから、泣くな」
「……兄さん……」
マーハは、子供のように、泣き続けた。
——
深夜。
ルーグは、一人、応接間のソファに座っていた。
暖炉の火は、消えている。
闇が、部屋を満たしていた。
(ディアを、取り戻せなかった)
(タルトを、傷つけた)
(マーハを、泣かせた)
(学院の権力に、何もできなかった)
ルーグは、自分の手を見た。
血の滲んだ拳。
前世の記憶が、蘇る。
——組織の道具として生きた。
——命令に従い、人を殺した。
——忠実に働いた。
——そして、最後は、組織に始末された。
飛行機ごと、撃墜されて。
(あの時も、俺は、何もできなかった)
(組織の犬として、使い捨てにされた)
(……だが)
ルーグは、顔を上げた。
(あの経験があるからこそ、分かることがある)
(権力に、正面から挑んではいけない)
(組織を相手に、一人で戦ってはいけない)
(別の道を、探すべきだ)
ルーグの脳裏に、ある言葉が浮かんだ。
星詠み評議会。
学院の図書館で、司書から聞いた。
星詠み魔術師の互助組織。
学院とは別の立場で、呪いの調査を行っている。
学院上層部の横暴を、快く思っていない、と。
(……そうだ)
(学院に逆らうには、学院と対等な力がいる)
(評議会なら——)
ルーグは、立ち上がった。
——
翌朝。
ルーグは、タルトとマーハを、応接間に呼んだ。
タルトは、ベッドから起き上がれない。
ルーグが、椅子に座らせた。
マーハは、目の下に隈を作りながらも、きっちりと身支度を整えていた。
「二人とも、聞いてくれ」
ルーグは、言った。
「星詠み評議会に、接触する」
「……星詠み評議会、ですか」
「ああ。学院とは別の、星詠み魔術師の組織だ。学院上層部のやり方を、よく思っていないらしい。呪いの調査も、独自に進めている」
「……しかし、評議会が、私たちに協力してくれるでしょうか」
「分からない。だが、可能性はある。学院に対抗できるのは、今のところ、評議会しかない」
「ご主人様」
タルトが、弱々しい声で言った。
「私も……必ず……参ります……」
「タルト。お前は、まだ動けない」
「ご主人様……私は……ご主人様の……専属メイドです……ご主人様が行くところに……私も……行きます……」
タルトは、血の気のない顔で、笑った。
「……無理はするな。だが、お前の気持ちは、受け取った」
「兄さん」
マーハが、顔を上げた。
「私が、商会の全ネットワークを使って、評議会とのパイプを作ります。学院に圧力をかけられている今でも、まだ使える伝手はあります。必ず、評議会と兄さんを引き合わせます」
マーハの瞳に、強い光が戻っていた。
「……頼む」
ルーグは、二人を見た。
タルトは、傷だらけの体で、それでもルーグを見つめている。
マーハは、震えていた手を、ぎゅっと握りしめている。
(……俺は、一人じゃない)
(タルトがいる。マーハがいる)
(そして、ディアがいる)
(だから、諦めない)
ルーグは、窓の外を見た。
曇天の向こうに、微かに、光が差していた。
「……行くぞ。反撃の糸口を、掴みに」
ルーグの声は、静かだった。
だが、その瞳は、冷たく燃えていた。
前世の暗殺者の目。
組織に始末された男が、今度は、自分の意志で、権力に牙を剥く。
その決意が、三人の間に、静かに満ちていった。Noveliaとは?
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