女体化呪いで婚約者候補が全員男に!? 暗殺貴族ルーグの地獄のラブコメ
トウアハーデ家の次期当主にして、前世が暗殺者の少年ルーグ。彼には幼い頃から共に育ってきた、3歳年上の幼馴染・ディアがいた。魔術の師匠であり、姉のような存在。そんな平穏な日々は、ある朝、突如として終わりを告げる。
「ルーグ……私、私ね、朝起きたら、胸が……胸が平らになっているの」
そう言って現れたディアは、なぜか男の体になっていた。しかも、領内では同じ現象が多発。村の女将が男に、鍛冶屋の親方が女に——領全体を巻き込む性別入れ替わりが発生していたのだ。
そして、謎の手紙にはこう書かれていた。「たまたま起こったことよ。元に戻りたければ、本物の愛の告白をなさいな」差出人は、ルーグをこの世界に転生させたあの女神。つまり、この呪いを解く鍵は「愛の告白」——それも、対象はおそらくルーグただ一人。
元は女だったのに今は男。しかも、そんな婚約者候補たちが、ルーグの心を奪おうと次々と動き出す。極端に恋愛ごとに不器用なルーグは、果たしてこの地獄のラブコメを生き抜けるのか。
笑いと恋の嵐が、今、幕を開ける。
女体化呪いで婚約者候補が全員男に!? 暗殺貴族ルーグの地獄のラブコメ - 師匠は男になってもスカートを穿きたい
馬車の車輪が、石畳の上で軽い音を立てる。
ルーグ・トウアハーデは、揺れる座席の上で目を閉じていた。馬車はヴェルミナ男爵領の中心部を抜け、王都アルヴェインへと続く街道を進んでいる。窓の外からは、夏の日差しに照らされた小麦畑と葡萄園が、どこまでも続いているのが見えた。
「……ねえ、ルーグ」
声が聞こえて、ルーグは目を開けた。
目の前の座席に、ディアが座っている。銀色の長い髪。藤色の瞳。その顔立ちは、ルーグが幼い頃から知っているディア・ヴィコーネのものだ。
でも、体つきが違う。
肩幅は広く、胸は平らで、喉には喉仏がある。男の体だった。昨日の朝までは、確かに女性だったはずのディアが、今は男の体になっている。
「私、まだ信じられないの。鏡を見るたびに、誰か別の人が映ってるみたいで」
ディアは自分の手を見つめた。その手は、以前よりもずっと大きくて、指も太い。
「……慣れるしかない。今はまだ、呪いの正体も分かっていないんだ」
「呪いよ! これは絶対に呪いよ! だって、私が男になるなんて、そんなの魔法の失敗か呪い以外にありえないもの!」
ディアは声を荒げた。男の体で、女性の口調で。
ルーグはため息をついた。
(……そうか。面倒なことになった)
これは、ルーグの口癖のようなものだった。前世の記憶——地球という世界で、組織の暗殺者として生きていた頃の記憶が、いつも冷静さを保つための呪文のように頭の中に浮かぶ。
現状を整理する。
まず、ルーグ自身の体に異常はない。18歳の男の体のままだ。黒髪のショートヘア、深い茶色の瞳、身長172センチ。右手の甲にはトウアハーデ家の暗殺者紋、左耳には小さな銀のピアス。いつも通りだ。
だが、ディアは違う。
そして、ディアだけではない。ヴェルミナ男爵領のあちこちで、性別が入れ替わる現象が起きている。村の女将さんが男になったり、鍛冶屋の親方が女になったり。領内は大混乱だった。
さらに、屋敷の応接間には一通の手紙が届いていた。差出人は「女神」とだけ記されていた。手紙には、こう書かれていた。
『たまたま起こったことよ。元に戻りたければ、本物の愛の告白をなさいな』
ルーグは、その手紙を読んだ時のことを思い出した。
(本物の愛の告白……? 何を言っているんだ)
意味が分からなかった。
でも、今は考えるのをやめよう。まずは王都アルヴェインの王立魔術学院アルカディアへ行き、呪いの正体を調べる。それが最優先だ。
「ディア、星詠みの羅針盤はどうなってる?」
ディアは、左手首に巻いた銀の腕輪に触れた。星霊族の血を引く証の腕輪だ。そして、腰に提げていた小さな羅針盤を取り出した。
「……動いてないわ」
ディアの声が、急に小さくなった。
「星詠みの羅針盤は、星の配置を読み取る補助具よ。星詠み魔術師なら、これを使って星の力を借りるの。でも、今は針が微動だにしないの。星の配置が、読み取れないのよ」
「つまり、星詠み魔術が使えないのか?」
「……そういうことになるわね。少なくとも、私の力では」
ディアは、羅針盤をじっと見つめた。藤色の瞳が、悲しそうに揺れている。
「性別攪乱魔法の文献も、私が知る限り存在しないの。王立魔術学院の図書館にも、理論上の研究論文が数点あるだけ。実際に性別を入れ替える魔法なんて、成功例は歴史上、一度も記録されていないわ」
「……そうか」
「私、師匠なのに……魔術のことなら何でも知ってるつもりだったのに、何も分からないの。ルーグの役に立てないのが、悔しい……」
ディアは、うつむいた。男の体で、肩を震わせている。
ルーグは、そんなディアを見た。
(ディアは、昔からそうだ。俺が困っていると、自分のことのように悲しむ)
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
「……役に立ってる。お前がいてくれるだけで、俺は助かってる」
「え?」
ディアが顔を上げた。
「お前は、俺の師匠だ。魔術の知識がなくても、お前が隣にいてくれるだけで、俺は冷静でいられる。……だから、そんな顔をするな」
ルーグは、ディアの目をまっすぐ見て言った。
ディアは、ぽかんと口を開けた。それから、ふにゃりと笑った。
「……もう。ルーグは、昔からそうやって、すぐに私を甘やかすんだから」
「甘やかしてない。事実を言っただけだ」
「ふふ。そういうところよ。ルーグのそういうところが、私は……」
ディアは、そこまで言って、急に口をつぐんだ。
「……?」
「な、何でもないわ! それより、ほら、外を見て! もうすぐ村に着くわよ!」
ディアは、慌てて窓の外を指さした。男の体で、頬を赤らめている。
ルーグは、首をかしげた。
(……何を言おうとしたんだ?)
恋愛ごとになると、極端に不器用になる。相手の気持ちに鈍感なわけではない。むしろ、過剰に考えすぎて空回りする。
だから、今も、ディアの言葉の続きを、あれこれ考えてしまった。
(いや、深く考えるな。今は、呪いの調査が先だ)
ルーグは、窓の外に目を向けた。
馬車は、小さな村に差し掛かっていた。
村の入り口に、人だかりができている。何か騒ぎが起きているようだった。
「……何だ?」
「降りてみましょう」
二人は馬車を降りた。
村の広場には、村人たちが集まっていた。みんな、困惑した表情を浮かべている。
その中心で、老夫婦が言い争っていた。
「わしは、お前の夫じゃ! 何を言っておる!」
声を張り上げているのは、白髪の老人だった。でも、その体つきは、どう見ても女性のものだった。腰がくびれていて、胸が膨らんでいる。
「何を言ってるのよ! あんたこそ、私の妻でしょ! 鏡を見なさいよ、その格好!」
言い返しているのは、小柄な老婆だった。でも、その体つきは、どう見ても男性のものだった。肩幅が広く、髭が生えている。
ルーグは、状況を理解した。
(この二人も、性別が入れ替わったのか)
「おじいさんがおばあさんになって、おばあさんがおじいさんになったのね……」
ディアが、ルーグの隣でつぶやいた。
「私だけじゃなかった。よかった……って、よかったのかしら、これ」
ディアは、複雑そうな顔をした。
その時、村人たちの一人が、ディアに気づいた。
「おい、あんた。男かい? 女かい?」
ディアは、びくっとした。
「え? わ、私は……女よ。体は、こうなってしまったけど」
「はあ? 女? その体で? 冗談だろ?」
「あんた、本当に女だったのか? それとも、最初から男だったんじゃないのか?」
村人たちが、ディアに詰め寄る。好奇の視線が、ディアに突き刺さる。
ディアは、一歩後ずさった。男の体で、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「ち、違うの。私は、昨日まではちゃんと女だったの。鏡を見て、自分でも驚いたのよ……」
「怪しいな。男が女のふりをしてるんじゃないのか?」
「やめてよ! 私の何が分かるっていうの! 私は、女よ! 心も、魂も、女のままなの!」
ディアが叫んだ。
その声は、震えていた。
ルーグは、ディアの前に立った。
「……そこまでだ。この人は、俺の師匠だ。男とか女とか、そういう問題じゃない。失礼なことを言うな」
ルーグは、静かに言った。でも、その声には、有無を言わせない迫力があった。
村人たちは、ルーグの鋭い眼光にたじろいだ。
「な、なんだ、あんたは……」
「トウアハーデ家の者だ。この村も、ヴェルミナ男爵領の一部だ。領主の家の人間が、領民に無礼を働くのを黙って見ていると思うか?」
ルーグは、右手の甲にある暗殺者紋を、さりげなく見せた。
村人たちは、ざわめいた。
「トウアハーデ家……あの、武術指南の……」
「す、すみませんでした! 失礼なことを言って!」
村人たちは、頭を下げて散っていった。
ディアは、ルーグの背中を見つめていた。
「……ルーグ」
「大丈夫か?」
ルーグが振り返った。
ディアは、こくりと頷いた。でも、その目には、涙が溜まっていた。
「……私、男の体になっても、女として扱われないのが、こんなに寂しいなんて、思わなかったわ」
ディアは、小さな声で言った。
「当たり前のことよ。女の子が、男の子の体になって、それでも女の子として生きていきたいって思うのは。……でも、誰も分かってくれない。体が男になったら、もう女じゃないって、みんな思うのね」
「……ディア」
「私、この体で、スカートを穿くことすら許されないの? 女の子でいたいって思うことすら、間違いなの?」
ディアの涙が、こぼれた。男の体で、彼女は泣いていた。
ルーグは、何も言えなかった。
(……何と声をかければいい?)
(俺は、ディアの気持ちを、本当に理解できているのか?)
ルーグは、ディアの手を握った。
「……お前は、お前だ。体が変わっても、ディアはディアだ。俺は、そう思ってる」
ディアは、ルーグの手を見つめた。
「……ありがとう、ルーグ」
ディアは、涙を拭いた。
「さあ、行きましょう。王都は、まだ先よ」
ディアは、無理に笑った。男の体で、でも、その笑顔は、昔と変わらない優しい笑顔だった。
二人は、馬車に戻った。
馬車は、再び走り出した。
窓の外には、夏の日差しに照らされた小麦畑が広がっている。
「……ねえ、ルーグ」
「何だ?」
「私、やっぱり、スカートを穿きたいわ。この体でも、穿けるスカートを探そうと思うの」
「……そうか」
「ええ! 王都には、大きな仕立て屋さんがたくさんあるでしょう? 男の体に合うスカートを、特注で作ってもらうの! それでね、ルーグ、一緒に選んでくれる?」
ディアは、目を輝かせた。
ルーグは、思わず苦笑いした。
(……さっきまで泣いてたのに、もう立ち直ってる)
(そういうところも、昔から変わらないな)
「……ああ。付き合うよ」
「やった! 約束よ!」
ディアは、ルーグの腕に抱きついた。男の体で。
「……ディア。近い。暑い。離れろ」
「え? あ、ごめんなさい! つい、いつもの癖で……」
ディアは、慌てて離れた。顔を真っ赤にしている。
(……いつもの癖、か)
ルーグは、心の中でつぶやいた。
ディアは、昔から、嬉しいことがあると、ルーグの腕に抱きつく癖があった。女の子だった頃の癖が、男の体になっても抜けないらしい。
(……厄介だな。色々と)
ルーグは、窓の外に目を向けた。
王都アルヴェインは、もうすぐだ。
王都アルヴェインの城門は、いつもより騒がしかった。
「……何だ、あれ」
ルーグは、馬車の窓から、城門の前の光景を見た。
衛兵たちが、行き交う人々を一人ずつ呼び止めている。何かを確認しているようだった。
「身分証を見せろ! それから、性別を申告しろ!」
「性別ですと!? 見ての通り男でしょうが!」
「その体で男? 嘘をつくな。お前は女だろ。戸籍を見せろ」
「戸籍は男です! 体が勝手に変わったんです! 昨日までは、ちゃんと男だったんです!」
「はいはい。みんなそう言うんだよ。とにかく、戸籍と体が一致しない者は、こっちの列に並べ」
城門の前には、長い列ができていた。性別が入れ替わった人々が、衛兵に事情を説明している。
「……王都も、大混乱みたいね」
ディアが、不安そうにつぶやいた。
「……だな」
馬車は、城門を通過するのに、かなり時間がかかった。
ようやく王都アルヴェインに入ると、街の中も、外と同じように混乱していた。
商業区の店先では、性別が入れ替わった商人たちが、客と口論している。
「だから、私は昨日まで女将だったんだよ! それが、今朝起きたら、このザマだ! 店の看板に書いてある『女将の店』は、どうしてくれるんだい!」
「知るかよ。俺は、パンが買えればそれでいいんだ」
「パンは売ってるだろ! 女将が男でも、パンの味は変わらんわ!」
「いや、男が作ったパンは、なんか嫌だ」
「なんだと!? この野郎!」
ルーグは、ため息をついた。
(……どこもかしこも、これか)
「……急ごう。学院に向かうぞ」
「ええ」
二人は、王立魔術学院アルカディアへ向かった。
王立魔術学院アルカディアは、王都アルヴェインの北西に位置する。石造りの本館、蔵書2万冊を誇る図書館、魔術実験用の防護結界を備えた実験棟、男子寮と女子寮。生徒数約800名、教師50名。星詠み魔術の最高研究機関だ。
ルーグは、この学院の生徒でもある。王立騎士学園Sクラスの首席として通っている。ディアは、この学院の非常勤講師だ。
二人が学院の門をくぐると、そこは、外の混乱とは比べ物にならないほどの大騒ぎだった。
「うわあああん! 私の制服が! スカートが穿けないよおおお!」
「お前、なんで男子寮にいるんだよ! 出て行けよ!」
「だって、僕、昨日まで男子寮に住んでたんだもん! 今朝起きたら、体が女の子になってて、女子寮に行けって言われたけど、荷物が男子寮にあるんだもん!」
「知るか! 今のお前は女だろ! 男が女子寮に入るなって言うなら、女が男子寮に入るのもダメに決まってるだろ!」
「でも、僕の心は男の子なんだもん! 男の子が女子寮に入る方が変だよおおお!」
廊下は、性別が入れ替わった生徒たちで溢れかえっていた。
「……すごいことになってるわね」
ディアが、呆然とした表情で言った。
「……ああ」
その時、女子寮の方から、悲鳴が聞こえた。
「きゃあああ! 誰か! この男を追い出して!」
「違うんです! 私は、昨日までここの寮生だった女の子なんです! 体が男になっちゃっただけで、心は女の子のままなんです! お願いです、私の部屋に帰らせてください!」
「ダメです! 男の体で女子寮に入るなんて、言語道断! 出て行きなさい!」
「そんな……私の部屋……私の服……私のスカート……」
ディアは、その光景を見て、自分のことのように悲しそうな顔をした。
「……私も、同じよ。スカートを穿きたい。女の子の服を着たい。でも、この体じゃ、誰も許してくれない」
ディアは、自分の胸に手を当てた。平らな胸。男の体。
「……ディア」
「ねえ、ルーグ。私、やっぱり、スカートを穿きたいわ。今すぐにでも。この学院の制服のスカートを、この体で穿いて、廊下を歩きたい」
「……やめておけ。色々と、面倒なことになる」
「どうして? 私がスカートを穿いて何が悪いの? 女の子がスカートを穿くのは、当たり前の権利よ!」
ディアは、そう言うと、女子寮の方へ歩き出した。
「待て、ディア! お前、今の体で女子寮に入る気か!」
ルーグは、ディアの腕を掴んだ。
「離して! 私は、女の子の服を着たいの! 女の子の部屋に帰りたいの!」
「落ち着け。お前の気持ちは分かる。でも、今の体で女子寮に入れば、騒ぎが大きくなるだけだ。それに、お前は、この学院の講師だ。生徒たちの手本になる立場だぞ」
ディアは、ルーグの言葉に、はっとした。
「……そうね。私、講師だったわ」
ディアは、肩を落とした。
「ごめんなさい、ルーグ。私、取り乱してしまって」
「……気にするな。お前の気持ちは、分かってるつもりだ」
ルーグは、ディアの腕を離した。
その時、周囲の生徒たちが、ルーグとディアに気づいた。
「あれ、あの人、ディア先生じゃないか?」
「え!? ディア先生!? あの、銀髪の美人講師の!? でも、あの体……男?」
「うわ、ディア先生も性別変わったのかよ。男の体で、女の口調って、なんかキモくね?」
「あはは、確かに! 男のくせに『私』とか言ってるし! スカート穿こうとしてるし! やばくない?」
生徒たちが、ディアを指さして笑った。
ディアは、顔を真っ青にした。
ルーグは、ディアを守るように、生徒たちの前に立った。
「……お前ら。その口を、今すぐ閉じろ」
ルーグの声は、氷のように冷たかった。
生徒たちは、びくっとした。
「ディア先生は、この学院の講師だ。お前たちの教師だ。その教師を、笑いものにするとは、どういう了見だ?」
「し、しかし、あの体で『私』はないだろ……」
「体が変わったから何だ? 心は、昨日までと同じ、ディア先生だ。お前たちは、体しか見えないのか? それとも、心が見えないほど、お前たちの目は曇っているのか?」
ルーグは、生徒たちをじっと見据えた。
生徒たちは、気まずそうに目を逸らした。
「……すみませんでした」
「……ごめんなさい」
生徒たちは、謝って、その場を離れた。
ディアは、ルーグの背中を見つめていた。
「……ルーグ、ありがとう」
「……礼はいい。それより、教授のところへ行くぞ。セオドール・ヴェイン教授の研究室だ」
「ええ」
二人は、学院の本館へ向かった。
セオドール・ヴェイン教授は、学院の古参教授で、星詠み魔術の権威だった。白い髭を蓄えた、70歳近い老魔術師だ。
ルーグとディアが研究室を訪ねると、セオドールは、難しい顔をして書類を読んでいた。
「……おお、ルーグ君。それに、ディア君。来たかね」
セオドールは、顔を上げた。
「教授、状況を教えてください。この呪いは、どこまで広がっているんですか?」
セオドールは、書類を机に置いた。
「……王国全土じゃ。王都アルヴェインだけでも、数百名の性別が入れ替わっておる。地方の領地からも、続々と報告が上がってきておる。ヴェルミナ男爵領も、例外ではないようじゃな」
「……王国全土、ですか」
「さらに、厄介な噂がある。勇者エポナ・リアンノンの性別も、入れ替わったらしい。エポナ聖教国は、大混乱に陥っておる。勇者の性別が変わったことで、聖教国の教義が揺らいでおるのじゃ」
「勇者エポナ……あの、魔族と魔王を倒せる唯一の存在、ですか」
ルーグは、勇者エポナのことを思い出した。
(エポナ・リアンノン。戸籍上は男性だが、実際は女性。そして、俺の暗殺対象だ)
(女神の依頼で、転生から18年後までに、勇者を暗殺しなければならない。ただし、勇者が魔王を倒すまでは、暗殺してはならないという制約がある)
(その勇者が、性別が入れ替わった……?)
「そうじゃ。勇者の性別が変わったことで、聖教国では、『勇者は男性であるべき』という教義を信じる者と、『勇者の本質は性別ではない』と主張する者に分かれて、対立が起きておる。アルヴァン王国との同盟にも、影響が出るかもしれん」
「……面倒なことになったな」
ルーグは、小さくつぶやいた。
「それだけではない。学院上層部は、この呪いを国家的な管理対象として、研究を進めようとしておる。呪いの解析、影響範囲の特定、解除方法の模索……すべてを学院が独占しようと企んでおるのじゃ」
「国家的な管理対象……つまり、呪いを政治的に利用しようとしている、ということですか?」
「そういうことじゃ。学院上層部は、王国の権力構造と密接に結びついておる。呪いの原因を突き止め、その情報を独占することで、学院の地位を高めようとしておるのじゃ。……いや、もしかすると、もっと別の思惑があるかもしれん」
セオドールは、声を潜めた。
「ルーグ君、ディア君。君たちは、呪いの調査を続けるつもりじゃろう。じゃが、気をつけなさい。学院上層部は、君たちの調査を、快く思わないかもしれん」
ルーグは、セオドールの目を見た。
(……呪いは、個人の問題ではなくなった。政治的な思惑に、巻き込まれ始めている)
(面倒なことになったな)
「……忠告、ありがとうございます。教授」
「何かあれば、いつでも相談に来なさい。わしは、君たちの味方じゃ」
セオドールは、微笑んだ。
ルーグとディアは、セオドールの研究室を後にした。
「……ルーグ、どうする?」
「まずは、呪いの解析を続ける。ディア、お前の星詠み魔術で、何か分からないか?」
「……やってみるわ。でも、羅針盤が動かないの。星の配置が読み取れないのに、星詠み魔術が使えるかどうか……」
「……それでも、やってみる価値はある。お前の魔術の腕を、俺は信じてる」
ディアは、ルーグの言葉に、少しだけ笑った。
「……ありがとう。じゃあ、私の研究室に行きましょう」
ディアの研究室は、学院の実験棟の一角にあった。星図や魔術書が所狭しと並んでいる。
ディアは、机の上に星図を広げた。
「……星詠み魔術は、夜空の星々の配置を読み取り、その魔力を借りる魔術体系よ。詠唱よりも、星図の瞬時の読み取りが重要なの。だから、まずは星図を見て、現在の星の配置を確認するわ」
ディアは、星図をじっと見つめた。
「……おかしい」
「どうした?」
「星の配置が、乱れているわ。本来なら、この時期は、星々が安定した配置になるはずなのに、まるで嵐の中のように、星の位置が定まっていないの。……こんなの、見たことがない」
ディアは、星図から目を離せないでいた。
「……それで、魔術は使えるのか?」
「試してみるわ」
ディアは、星詠みの羅針盤を手に取った。
「……星よ、我に力を」
ディアが、詠唱を始めた。
その瞬間、羅針盤の針が、激しく振れた。
「え……?」
羅針盤の針が、狂ったように回転し始めた。
「何これ……針が、止まらない……」
ディアの顔から、血の気が引いていく。
「ディア! やめろ!」
ルーグが叫んだ。
でも、ディアは、羅針盤から手を離せなかった。
「だめ……手が、離れない……」
羅針盤が、青白い光を放ち始めた。
「ディア!!」
ルーグは、ディアに駆け寄り、羅針盤を叩き落とした。
羅針盤は、床に落ちて、ガシャンと音を立てた。
ディアは、その場に崩れ落ちた。
「……ディア! 大丈夫か!」
ルーグは、ディアを抱き起こした。
「……ルーグ、ごめんなさい。私、軽い目眩がして……」
ディアは、青白い顔で、弱々しく笑った。
「……無理をするな。今日は、もうやめろ」
「……でも、私、何も分からなかった。星図は乱れてるし、羅針盤は暴走するし……私の魔術の知識は、何の役にも立たないのね」
ディアは、涙を浮かべた。
「……そんなことはない。星図の乱れは、重要な手がかりだ。星の配置が乱れているということは、呪いが星詠み魔術の体系そのものに影響を与えている可能性がある。それに、羅針盤の暴走も、呪いの力が星詠み魔術と反応した証拠だ。お前の観察は、無駄じゃなかった」
ルーグは、ディアの目をまっすぐ見て言った。
ディアは、ルーグの言葉に、少しだけ落ち着きを取り戻した。
「……そうね。私、焦ってたわ。師匠なのに、弟子の役に立てないのが、悔しくて」
「……俺は、お前のことを、役に立たないとは思っていない。むしろ、お前がいてくれて、本当に助かってる。……ありがとう、ディア」
ルーグは、ディアの手を握った。
ディアは、ルーグの手の温かさに、胸が熱くなった。
「……ルーグ」
ディアは、ルーグの顔を見つめた。
(……ああ、私、ルーグのことが、やっぱり好きなんだわ)
(可愛い弟分だと思ってた。でも、それは、自分の気持ちから目を逸らすための言い訳だったのかもしれない)
(ルーグが、私を守ってくれた。私のことを、体が変わっても、ディアはディアだと言ってくれた)
(……この気持ちは、もう、隠せない)
ディアは、ルーグの手を握り返した。
「……ねえ、ルーグ。女神の手紙に、『本物の愛の告白をしなさい』って書いてあったわよね」
「……ああ」
「……それって、もしかして、私がルーグに告白すれば、呪いが解けるのかしら?」
ディアは、冗談めかして言った。でも、その声は、震えていた。
ルーグは、言葉に詰まった。
「……は? 意味が分からん」
ルーグは、露骨に動揺した。
(……何を言ってるんだ、ディアは)
(告白? 俺に? 本物の愛の告白?)
(……いや、待て。落ち着け。これは、呪いの解除条件の話だ。恋愛の話ではない。……いや、恋愛の話か?)
ルーグの頭の中は、混乱していた。
ディアは、ルーグの動揺を見て、慌てた。
「あ、あの、今のは忘れて! 冗談よ! 冗談に決まってるわ! 私がルーグに告白するなんて、そんな、あるわけないじゃない! 私は、ルーグの師匠で、お姉さんで、それ以上でもそれ以下でもないんだから!」
ディアは、顔を真っ赤にして、早口で言った。
「……あ、ああ。そうだな。冗談だよな」
「そ、そうよ! 冗談よ! だから、忘れて! 今の、全部忘れて!」
ディアは、ルーグの手を離した。
二人の間に、気まずい沈黙が流れた。
(……冗談、か)
ルーグは、心の中でつぶやいた。
(……本当に、冗談なのか?)
(……いや、深く考えるな。今は、呪いの調査が先だ)
ルーグは、立ち上がった。
「……今日は、もう遅い。宿を取ろう。明日、また調査を続ける」
「……ええ、そうね」
ディアも立ち上がった。
二人は、研究室を出た。
廊下には、まだ、性別が入れ替わった生徒たちが、右往左往していた。
「……ルーグ」
「何だ?」
「……今日は、本当にありがとう。ルーグがいてくれて、よかった」
ディアは、ルーグの隣を歩きながら、小さな声で言った。
「……俺も、お前がいてくれて、よかったと思ってる」
ルーグは、前を向いたまま言った。
ディアは、ルーグの横顔を見つめた。
(……やっぱり、私、ルーグのことが好き)
(この呪いが解けても、解けなくても、この気持ちは変わらない)
(……でも、今は、まだ、伝えられない)
(だって、ルーグは、私のことを、師匠として、お姉さんとしてしか見ていないから)
ディアは、胸の奥で、そうつぶやいた。
学院の廊下を、二人は並んで歩いていく。
外は、夕暮れに染まっていた。
王都アルヴェインの街に、夜の帳が下りようとしていた。
性別攪乱の呪いの謎は、まだ、何も解けていない。
でも、二人の心の中には、確かに、何かが芽生え始めていた。
それは、呪いのせいなのか、それとも、ずっと前からあったものなのか。
ルーグには、まだ、分からなかった。Noveliaとは?
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