そして彼女は、夜だけひらく
【あらすじ】
魔塔大学で主席を務めるエリース・ヴァンハイムは、才気溢れる魔法剣士。普段は辛辣な言葉で周囲を遠ざけているが、それには理由があった。彼女は呪われているのだ。毎夜、制御不能な熱が身体を灼き、衰弱し切羽詰まった状態に陥る。そんなある晩、誰もいない図書室で、最も見られてはいけない相手――リオン・アッシュフォードに、その姿を目撃されてしまう。
リオンは口先ばかり達者な落第生で、常に女生徒を追いかけ回している。エリースは彼が大嫌いだった。だが今や、リオンは彼女の秘密を知ってしまった。彼は悪辣な笑みを浮かべて、取引を持ちかける。「今夜のことは誰にも言わない。その代わり、その呪いを解く手伝いをさせろ」
彼の彷徨う指が、呪いの印が浮かび敏感に反応する肌をなぞるたび、エリースは甘い吐息を必死に噛み殺す。「やめて……そんなところ触られたら……あぁ、だめ……!」しかし彼女はすぐに気づく。リオンの指だけが、呪いの責め苦から解放される唯一の術なのだと。
昼間は互いに毒舌と罵倒を浴びせ合い、夜は後ろめたく秘密の訓練を重ねる二人。しかし、麗しき理事長の娘でリオンの元恋人でもあるセラ・セラフィスが、
そして彼女は、夜だけひらく - 血の手と握り返した指——遊び人の仮面が、砕ける夜
夜明け前の薄闇が、星都ルクスの街並みを包み込んでいた。
ヴァンハイム邸の自室。机に突っ伏したエリース・ヴァンハイムの手には、くしゃくしゃになった一枚のメモ。リオンの走り書き——『呪いの鍵は書庫の外にある』。
泣き腫らした碧眼が、ぼんやりとそれを見つめる。
(戻ってくるの——本当に)
瞼が重くなり、浅い眠りに落ちかけた——その瞬間。
ガンッ、ガンッ、ガンッ!!
窓を叩く、激しい音。
エリースは飛び起きた。反射的に剣の柄を掴む。カーテンを引き裂くように開けた——
「[whispers]頼む、開けてくれ」
血と泥にまみれたリオンが、外壁の蔦にしがみついていた。左目は腫れ上がり、唇は切れて血が滲んでいる。それでも、金色の瞳だけは真っ直ぐにこちらを見ていた。
「[angry]あんた——」
窓を開ける。
「助かった」
リオンはそう言って——そのまま部屋の中に転がり落ちた。
ドサッ。
勉強用の座布団の上に、見事に着地する。
エリースは呆然とそれを見下ろした。
「[angry]……なんでそこだけに綺麗に落ちるのよ」
「運だけは良いんだ」
リオンが苦笑いする。でも——
立ち上がれない。
床に片手をついたまま、肩で息をしている。脇腹と肩に、魔法のやけど痕。右手の指が二本、紫色に腫れ上がっている。
エリースの顔から、笑いが完全に消えた。
「[serious]どこで、何をしていたの」
声が震えた。怒りでも、詰問でもない。
リオンは顔を上げ、腫れた目でエリースを見た。
「セラの別荘だ」
——
救急箱を取り出し、治癒薬を手に取る。
エリースはリオンの傷に薬を塗りながら、すべてを聞いた。
セラに呼び出された。エリースに不利な証言をするか、協力するかの二択を迫られた。表向きはセラ側についたふりをして、別荘への出入りを許可させた。その隙に——オズワルド・セラフィスの書斎に忍び込んだ。
「影の魔法の隠密術式でな」
リオンは腫れた右手を見下ろした。
「厳重に鍵のかかった金庫の中から、これを盗み出してきた」
懐から、一冊の古文書を取り出す。
「読め」
エリースはページを開いた。
古い文字。三世代前の日付。
——ヴァンハイム家の血に宿る封印鍵の呪いを、セラフィス家当主が外部から強制付与した記録。
——契約の灼印は、元来ヴァンハイム家が保持していた封印式を、セラフィス家が奪うために改造した呪い。
手が、震えた。
「[whispers]封印指定じゃ……なかった」
「奪われたものだ」
リオンは淡々と言った。
「撤退する時、書斎の警備魔法が発動した。セラの護衛魔法使いに追われて、嘆きの峡谷に通じる裏路地を逃げ回った」
「[whispers]それで、ここに」
「お前の顔が見たくなった」
軽薄な笑みを浮かべようとして——痛みに顔を歪める。
エリースの胸の奥で、何かが弾けた。
「[whispers]私は——」
声が詰まる。
「セラの別荘に入るのを見た。信じることができなかった。裏切ったと——決めつけた」
リオンは黙って聞いている。
「[crying]ごめんなさい」
腫れた右手に治癒薬を塗る手が止まった。
エリースは、その手を両手で包んだ。
「痛い」
「[angry]黙って」
沈黙。
でも——その沈黙が、すべてだった。
「[serious]……そうだよな」
リオンが珍しく直球で返す。
「俺の計画だったのに、お前には何も言えなかった」
エリースは黙って手を握り続ける。
(信じると決めた)
心の中で、そう繰り返した。
——
夜明けの光が、窓から差し込み始める。
古文書を読み込むエリースの体に、熱が走った。
鎖骨から肩甲骨へ——光の紋様が浮かび上がる。今まで見たことのない広さだ。腰まで、模様が延びている。
「[serious]……広がってる」
リオンの表情が真剣になる。
「今夜は処置しなかったのか」
「術封石の粉末は——あんたが処分したんでしょ」
リオンは懐から小瓶を取り出し、無言で机に置いた。
「[surprised]まだ持ってたの」
「お前が困ったときのために決まってる」
「怪我人がそんなもの持ち歩いて——」
「いいから」
リオンは左手の指先で、紋様の流れを丁寧になぞっていく。
いつもより不器用で、でも——慎重な手つき。
呪いの熱が、リオンの体温と混ざり合う。
エリースは、耐えることに費やしていた力を全部手放した。
「……んっ」
甘い吐息が漏れる。
「[whispers]ごめんなさい」
小さく呟く。
「何が」
手を止めずに問う。
「[whispers]信じなかったことが」
リオンは無言で作業を続け、紋様の最後の一筋を消し終えた。
「俺も、言葉が足りなかった」
呪いの熱が完全に引く。
でも——二人はそのままの距離でいた。
「[serious]あなたがいないと、呪いは解けない」
振り返らないまま言う。
「知ってる」
「[whispers]それだけじゃない」
沈黙。
リオンが自分から、その沈黙を埋めた。
初めて——呪いのためではなく、互いのために触れ合う。
エリースは、リオンの胸に顔を埋めた。
「[whispers]好きよ」
声が震える。
リオンの腕が、そっと背中に回された。
——
夜が明け切った。
机を挟んで、古文書を広げる。
さっきのあれはその——呪いの症状による一時的な感情の混乱——そうだな——俺もそう思う——そうよね——うん。
微妙な間で続く会話。二人ともまったく信じていないのが顔に出ている。
「[serious]……問題がある」
リオンが切り替えた。
「この古文書は盗難品だ。聴聞会でそのまま提出すれば、俺が窃盗犯として逮捕される」
「そんなの——」
「オズワルドが審問前に盗難を届け出れば、証拠を隠滅した上で逆に俺を告発できる」
エリースは古文書を握りしめた。
「[angry]あなたを罪に問わせない」
「それを言うなら、俺もお前を牢獄に入れるつもりはない」
道徳的ジレンマ。どちらかが必ず危険を負わなければならない。
リオンが地図を広げた。
「——ヴェールの書庫に、同じ記録が残っているはずだ」
「ヴェールの書庫?」
「封印式の強制付与は国家記録として残っている。それを証人として引き出せれば、盗難品に頼らずに済む」
「でも——」
「学生立入禁止の最上階を通じてしかアクセスできない」
「聴聞会まで、残り二日しかない」
沈黙が落ちる。
エリースは窓の外を見た。星都ルクスの屋根が、朝日に染まっている。
「[serious]ヴェールの書庫に入る方法はあるの」
「13階への隠し通路なら知ってる」
リオンが答える。
エリースは深呼吸した。
「[serious]聴聞会で——この呪いの紋様を、公衆の前で晒す」
リオンが顔を上げる。
「今まで家の名誉のために隠し続けてきた秘密。今度は——真実を暴くための武器として、自分から晒す」
言い終えて、リオンを見た。
——半分、眠りかけている。
「[angry]……聞いてた?」
「全部」
「[sarcastic]かっこいいと思った」
「なんで眠そうな顔で言うの」
空気が緩む。
リオンの怪我の処置を改めてやり直しながら、エリースは静かに言った。
「[serious]聴聞会が終わったら——私に本当のことを全部話しなさい」
リオンの手が止まる。
「あなたが何者で、なぜ影の魔法にそんなに詳しいのかを」
リオンはようやく真剣な顔になった。
「……終わったら、話す。約束する」
エリースは古文書のコピーを鞄に収めた。
二人は、聴聞会に向けて動き始める。
でも——オズワルド・セラフィスは、間違いなく先に動いている。
時間がない。
証拠は盗難品。
書庫は最上階の先。
エリースは拳を握りしめた。
今度こそ——真実を暴く。
自分の手で。