はじめの一歩 呪いの性別逆転騒動
『はじめの一歩』の世界に、まさかの性別逆転コメディが登場!
ある朝、目覚めた幕之内一歩は、自分の体が女の子になっていることに気づく。しかも、鴨川ジムの仲間たち——鷹村、青木、木村まで、全員が女体化していた。原因は、ジムの地下室に保管されていた古いトロフィーに込められた「性別逆転の呪い」。イタリアからやってきた呪い研究家・マリエは、その呪いを解くために奔走するが、タイムリミットが迫る中、一歩たちの関係にも少しずつ変化が訪れて……。
ボクシングの熱さはそのままに、女の子になった体での戸惑いや恥ずかしさ、そして仲間たちとの掛け合いが笑いを誘う。元に戻る日は来るのか? そして、一歩と宮田の関係にも思わぬ波紋が——?
性別逆転×呪い×ボクシングの異色コメディ、開幕!
はじめの一歩 呪いの性別逆転騒動 - 絶望の女体化進行!声を失い、仲間を失い、それでも前を向けるか
朝の光が、古い木造のジムの中に、細い筋を作って差し込んでいた。
一歩は、鏡の前で、小さく息を吐いた。
黒くて長い髪。白い肌。丸い輪郭。鏡の中には、今日も、女の子の姿をした自分が立っている。
「……あ」
喉に手を当てる。声を出そうとする。空気が漏れるだけだった。
「あ、あ……」
声が出ない。昨日まで、かすれながらも出ていた声が、今日はまったく出ない。
一歩は、鏡の中の自分を、じっと見つめた。
肩まで伸びた黒髪。昨日より、また少し、輪郭が柔らかくなっている。唇は小さくて赤い。どう見ても、女の子だ。
(声が……出ない)
一歩は、拳を握った。
(呪いが、進んでる)
胸の奥が、ぎゅっと、締めつけられる。
トロフィーを奪われてから、体の変化は、どんどん速くなっていた。
昨日、マリエが言っていた。
『呪いの源から離れると、進行が加速するの』
(このままじゃ、俺は……)
一歩は、鏡から、目を逸らした。
ジムの中央では、マリエが、古い黒電話の前に、座っていた。
長い金髪を、ポニーテールにしている。エメラルドグリーンの瞳は、赤く腫れていた。
「もしもし、ルカ? 私よ、マリエ。……ええ、そうなの。……うん、聞いて。……呪いの源が、奪われてしまったの。……ええ、そう。……それで、進行が、加速していて。……声が、出なくなってしまった人がいるの。……ええ、私のせいよ。……私が、もっと、ちゃんとしていれば。……うん、うん。……え? ……進行を止める方法? ……ないの? ……そう、なの。……今の呪術研究では、確立されていない。……分かった。……ありがとう、ルカ。……また、連絡するわ」
マリエは、受話器を置くと、深いため息を、ついた。
それから、うつむいて、肩を、震わせた。
「……ごめんなさい。……ごめんなさい、一歩さん……」
マリエは、声を殺して、泣いていた。
一歩は、マリエの近くに、腰を下ろした。
(マリエさんが、泣いてる)
一歩は、マリエの肩に、そっと、手を置いた。
マリエが、顔を上げた。涙で、ぐしゃぐしゃの顔だった。
「……一歩さん。……私、私のせいで、あなたに、こんな思いをさせてしまって。……本当に、ごめんなさい。……私、呪い研究家なのに。……何も、できない。……何も」
一歩は、首を振った。
(マリエさんのせいじゃない)
一歩は、そう伝えたかった。でも、声が出ない。
一歩は、近くにあった、トレーニング用のメモ帳を、手に取った。
ペンを走らせる。
『マリエさんのせいじゃない。俺も、一緒に探す』
一歩は、メモ帳を、マリエに見せた。
マリエは、一歩の顔と、メモ帳を、交互に見た。
それから、また、泣き出した。
「……ありがとう、一歩さん。……ありがとう。……でも、私、私……」
マリエは、言葉にならない声で、泣き続けた。
一歩は、マリエの背中を、優しく、叩いた。
(大丈夫だ。俺が、なんとかする)
一歩は、心の中で、そう、呟いた。
でも、その決意とは、裏腹に。
胸の奥では、黒い不安が、どんどん、大きくなっていく。
(声が出ない。力も、前より、出ない。こんな体で、何ができる)
一歩は、唇を、噛みしめた。
「一歩くん!」
ジムの入り口から、久美が、駆け込んできた。
茶色のセミロングの髪が、揺れる。優しい茶色の瞳が、一歩を、まっすぐに、見つめている。
「一歩くん、大丈夫? 顔色、悪いよ。……あ、これ、持ってきたの」
久美は、一歩に、一冊のノートを、差し出した。
表紙には、可愛らしい花のシールが、貼ってある。
「声が出ないって、マリエさんから、聞いたの。……だから、これで、お話しよう? 私、一歩くんと、いっぱい、お話したいから」
一歩は、ノートを受け取った。
(久美さん……)
一歩は、ノートを開いて、ペンで、書いた。
『ありがとう。でも、俺、もう女のままかもしれない』
一歩は、そのページを、久美に見せた。
久美の、目が、大きく、見開かれた。
「……そんなこと、ない! 絶対に、戻れる! 私、絶対に、一歩くんを、元に戻すから! だから、諦めないで!」
久美は、涙ぐみながら、一歩に、抱きついた。
一歩の体を、ぎゅっと、抱きしめる。
「……一歩くん。……一歩くん」
久美の、温かい体温が、伝わってくる。
一歩は、久美の、背中に、そっと、手を回した。
(久美さんは、いつも、俺のために、泣いてくれる)
一歩は、胸の奥が、じわり、と、温かくなるのを、感じた。
でも、その時だった。
久美の、心臓が、ドキン、と、大きく、跳ねた。
一歩の、女の子の体の、柔らかさ。甘い、香り。
久美は、自分でも、気づかなかった、感情に、戸惑っていた。
(な、なに、これ。……一歩くんの体、柔らかくて、いい匂いで。……私、なに、考えてるの)
久美は、顔を、真っ赤にした。
一歩は、そんな久美の、変化に、気づかなかった。
ただ、その温もりに、救われていた。
その夜だった。
ジリリリリリリリリ!!!
ジムの、黒電話が、けたたましく、鳴り響いた。
一歩は、びくっ、と、肩を、震わせた。
(……また、あの電話か)
一歩は、黒電話に、近づいた。
受話器を、取る。
「……もしもし」
声が、出ない。空気が、漏れるだけだ。
「……おや、声が出ないのか。……まあ、いい。……トロフィーが、欲しくば、明日の夜、一人で、河川敷の、廃倉庫に、来い。……仲間を、連れてきたら、トロフィーは、粉々だ。……分かったな」
男は、それだけを、言うと、一方的に、電話を、切った。
ツー、ツー、ツー……
受話器から、無機質な、音が、聞こえる。
一歩は、受話器を、握りしめたまま、立ち尽くした。
「一歩、どうした?」
木村が、一歩の、異変に、気づいて、駆け寄ってきた。
一歩は、メモ帳に、書いた。
『明日の夜、一人で、河川敷の廃倉庫に来い。仲間を連れてきたら、トロフィーは粉々だと』
「……なに!?」
木村の、顔色が、変わった。
「……罠だろ! そんなの、絶対に、罠だ!」
青木が、叫んだ。
一歩は、また、メモ帳に、書いた。
『でも、行かなければ、トロフィーを、取り戻せない。俺が、行く』
「……一歩、お前、一人で、行くつもりか?」
鷹村が、一歩を、じっと、見つめた。
一歩は、鷹村の、目を、見つめ返した。
そして、強く、頷いた。
「……馬鹿野郎! 危険に、決まってるだろ! 俺も、行く!」
鷹村が、声を、荒げた。
一歩は、首を、振った。
メモ帳に、書く。
『鷹村さんが来たら、トロフィーを壊されるかもしれない。俺一人で行く』
「……だったら、俺が、こっそり、後をつける。……それなら、大丈夫だろ」
鷹村は、一歩の、肩を、掴んだ。
「……私も、近くで、待機します。……何か、あれば、すぐに、駆けつけますから」
マリエが、一歩の、隣に、立った。
「……一歩くん、私も、行く。……絶対に、一人に、しないから」
久美が、一歩の、手を、ぎゅっと、握った。
一歩は、皆の、顔を、見回した。
そして、メモ帳に、書いた。
『ありがとう。でも、大丈夫。俺、一人で、行ってくる』
一歩は、そう書いて、皆に、深く、頭を、下げた。
翌日の夜。
月明かりが、鴨川の、水面を、銀色に、照らしていた。
一歩は、一人で、河川敷の、廃倉庫に、向かっていた。
河川敷は、静かだった。
風が、草を、揺らす音だけが、聞こえる。
(……ここか)
一歩は、廃倉庫の、前に、立った。
古い、トタン張りの、倉庫だった。
扉は、半分、開いている。
一歩は、深呼吸を、して、中に、入った。
中は、真っ暗だった。
かび臭い、匂いがする。
「……来たか」
暗闇から、低い、男の声が、聞こえた。
一歩は、身構えた。
男が、ゆっくりと、姿を、現した。
黒いコートを、着た、痩せた男だった。
「……ほう。……本当に、一人で、来たのか。……感心だな。……で、トロフィーは、どうした? ……ああ、そうか。……お前、声が、出ないんだったな」
男は、嘲笑うように、言った。
一歩は、メモ帳を、取り出して、書いた。
『トロフィーを返してほしい』
男は、一歩の、メモ帳を、見て、笑った。
「……返してほしい、か。……馬鹿なことを。……あれは、もう、俺のものだ。……お前には、関係ない。……それに、お前、その体で、何ができる? ……声も出ない、力もない、女の体で。……俺に、逆らえると、思っているのか?」
男は、一歩に、近づいた。
一歩は、後ずさった。
「……お前のような、か弱い女が、俺に、何ができる。……トロフィーは、もう、別の場所に、移した。……お前には、もう、関係ない。……さあ、帰れ。……それとも、俺と、遊んでいくか?」
男は、一歩の、腕を、掴んだ。
一歩は、振り払おうとした。
でも、女の体では、力が、入らない。
「……抵抗するな。……大人しく、していろ」
男は、一歩を、倉庫の、外に、引きずり出そうとした。
(くそっ……離せ!)
一歩は、必死に、抵抗した。
でも、男の力は、強かった。
一歩は、地面に、引き倒された。
「……お前、結界の、中に、いたのか。……なるほど。……だから、こんなに、弱いのか。……だが、もう、終わりだ。……結界の、外に、連れ出してやる。……そうすれば、お前の、呪いは、もっと、進行する。……面白いだろう?」
男は、一歩の、髪を、掴んで、引きずった。
一歩は、声にならない、悲鳴を、上げた。
(誰か……助けて!)
一歩は、心の中で、叫んだ。
その時だった。
「何をしている」
冷たい、声が、響いた。
男が、動きを、止めた。
振り返る。
そこには、女体化した、宮田が、立っていた。
肩までの、ストレート黒髪。切れ長の、黒い瞳。クールな、美貌。
「……なんだ、お前は。……邪魔をするな。……これは、俺と、この女の、問題だ」
男は、宮田を、睨みつけた。
「その女から、手を離せ」
宮田は、静かに、言った。
「……なに?」
「聞こえなかったか。その女から、手を離せと言ったんだ」
宮田は、一歩を、見た。
「……一歩、大丈夫か」
一歩は、宮田の、顔を、見た。
(宮田……)
一歩は、涙が、溢れてきた。
「……ほう。……一歩だと? ……お前、幕之内一歩か。……あの、女になった、ボクサーか。……面白い。……だが、お前も、女の体だ。……二人まとめて、相手をしてやる」
男は、一歩から、手を離して、宮田に、向き直った。
「……お前、ボクシングを、舐めているのか」
宮田は、静かに、構えた。
「……女の体でも、ボクサーは、ボクサーだ。……来い」
男が、宮田に、殴りかかった。
宮田は、軽やかに、それを、かわした。
そして、カウンター。
ガッ!
宮田の、左ストレートが、男の、顔面に、突き刺さった。
「……ぐあっ!」
男は、よろめいた。
「……女の体でも、パンチは、打てる。……お前、思い知ったか」
宮田は、冷たく、言った。
男は、悔しそうに、宮田を、睨みつけた。
「……くそっ。……覚えていろ!」
男は、そう言い残すと、闇の中に、逃げていった。
宮田は、一歩の、そばに、駆け寄った。
「……一歩、立てるか」
一歩は、宮田に、支えられて、立ち上がった。
(宮田が、助けてくれた)
一歩は、メモ帳に、書いた。
『ありがとう。宮田。助かった』
宮田は、一歩の、メモ帳を、見た。
それから、一歩の、顔を、じっと、見つめた。
「……一歩。……お前、前より、可愛くなったな」
一歩は、一瞬、何を言われたか、分からなかった。
(……へ?)
一歩は、顔を、真っ赤にした。
声にならない声で、抗議する。
「あ、あ……!」
宮田は、ふっと、笑った。
「……冗談だ。……でも、お前が、無事で、よかった」
宮田は、真剣な表情で、言った。
一歩は、宮田の、言葉に、涙ぐんだ。
(宮田……)
一歩は、メモ帳に、書いた。
『トロフィーは、もう、別の場所に、移されたみたいだ』
「……そうか。……なら、俺も、探す。……お前一人で、抱え込むな」
宮田は、一歩の、肩を、叩いた。
一歩は、宮田の、顔を、見た。
(宮田が、俺も探すって……)
一歩は、胸の奥が、じわり、と、温かくなるのを、感じた。
二人は、廃倉庫の、中を、調べ始めた。
すると、倉庫の、隅に、一枚の、紙切れが、落ちていた。
一歩は、それを、拾い上げた。
『トロフィーは、別の場所に、移した。探したければ、俺の取引相手に、会え。場所は、後で、連絡する』
そう、書かれていた。
一歩は、そのメモを、宮田に、見せた。
「……取引相手、か。……なら、待つしか、ないな。……一歩、お前は、弱くない。……声が出なくても、力がなくても、お前は、お前だ。……ボクサー、幕之内一歩だ」
宮田は、一歩の、目を、まっすぐに、見つめた。
一歩は、宮田の、言葉に、勇気を、もらった。
涙を、拭いて、強く、頷いた。
その時、マリエと、鷹村、久美が、駆けつけてきた。
「一歩さん!」
「一歩! 無事か!」
「一歩くん!」
三人は、一歩の、無事を、確認して、安堵の、表情を、浮かべた。
一歩は、メモ帳に、書いた。
『宮田が、助けてくれた』
「……そうか。……宮田、ありがとうな」
鷹村は、宮田に、言った。
宮田は、照れくさそうに、顔を、そらした。
「……別に。……偶然、通りかかっただけだ」
「……でも、ありがとう。……宮田さん」
マリエは、宮田に、深く、頭を、下げた。
「……一歩くん、よかった。……本当に、よかった」
久美は、一歩に、抱きついた。
一歩は、久美の、背中を、優しく、叩いた。
(みんな、ありがとう)
一歩は、心の中で、そう、呟いた。
でも、トロフィーは、まだ、戻っていない。
声も、出ない。
女の体の、まま。
一歩は、空を、見上げた。
月明かりが、一歩の、長い黒髪を、銀色に、照らしていた。
(俺は、まだ、諦めない)
一歩は、拳を、握りしめた。
その手は、まだ、小さく、震えていた。
でも、その目は、まっすぐに、前を、向いていた。
風が、河川敷を、吹き抜けていった。
草が、ざわざわと、音を、立てる。
新しい、手がかりを、胸に。
一歩たちの、戦いは、まだ、終わらない。
マリエは、紙切れを、一歩の手から、そっと、受け取った。
「……これが、手がかり、ね」
マリエの指が、紙の端を、つまんだ。震えていた。
「……待つしか、ないの?」
久美の声が、しぼんだ。
一歩は、頷いた。
メモ帳を、開く。ペン先が、紙に、触れた。
『待つ』
その二文字を、書いて。
ペンが、止まった。
一歩は、しばらく、そのまま、動かなかった。
やがて、メモ帳を、閉じた。
乾いた、音が、した。
「……とりあえず、今日は、帰りましょう」
マリエが、全員に、言った。
誰も、反対しなかった。
廃倉庫の、扉を、くぐる。
外の、空気が、冷たかった。
一歩は、振り返った。
トタンの、扉が、半分、開いたまま、暗がりを、覗かせている。
その、暗がりの、奥に。
男は、もう、いない。
でも、一歩には、分かっていた。
あの、逃げ方が、終わりじゃ、ないことくらい。
河川敷の、道を、皆で、歩く。
誰も、口を、開かなかった。
足音だけが、砂利を、踏む。
一歩は、自分の、足元を、見ながら、歩いた。
小さな、靴。
昔の、スニーカーじゃ、ない。
いつの間にか、サイズの、合わない靴を、履かされていた。
(いつ、履いたんだ、これ)
一歩は、立ち止まり、靴を、見下ろした。
「……一歩くん?」
久美が、隣で、首を、かしげた。
一歩は、首を、振って、また、歩き出した。
(覚えて、ない。……履いた、記憶が、ない)
冷たい、汗が、背中を、伝った。
ジムに、戻る。
一歩は、自分の、ロッカーを、開けた。
中には、トロフィーが、あった。
「……え?」
声が、出た。
かすれて、小さい。でも、確かに、出た。
一歩は、喉を、押さえた。
「あ……あ……」
もう一度、声を、出そうとする。
出ない。
さっきの、一声だけ、だった。
でも、トロフィーは、そこに、ある。
一歩は、手を、伸ばした。
指先が、触れる。
冷たい。
本物だ。
一歩は、トロフィーを、抱き上げた。
重い。
(戻った。……俺の、トロフィー)
一歩は、胸に、抱きしめた。
その時、トロフィーの、底に、何かが、貼りついているのに、気づいた。
一歩は、それを、剥がした。
一枚の、写真だった。
女の子の、写真。
黒くて、長い髪。白い肌。丸い、輪郭。
一歩は、鏡を、見た。
写真の、女の子と。
鏡の、自分が。
同じ、顔を、していた。
写真の、裏に、文字が、あった。
『次は、声だけじゃ、済まない』
一歩の、手が、震えた。
トロフィーが、床に、落ちた。
鈍い、音が、ジムに、響いた。
「……一歩?」
木村が、近づいて、トロフィーを、拾おうとした。
一歩は、その手を、掴んだ。
メモ帳に、書く。
指が、震えて、字が、歪んだ。
『触らないで』
木村は、メモ帳を、読んで、手を、引っ込めた。
一歩は、写真を、握りしめた。
紙が、手のひらに、食い込む。
(声だけじゃ、済まない、って……)
一歩は、喉に、手を、当てた。
さっき、出た、一声。
あの声は、本当に、自分の、声だったのか。
一歩は、写真を、ポケットに、しまった。
皆が、一歩を、見ている。
誰も、何も、言わない。
マリエが、口を、開きかけて、閉じた。
久美が、一歩の、袖を、掴んだ。
一歩は、久美の、手を、そっと、ほどいた。
皆に、背を、向けた。
「一歩、どこに、行く」
鷹村の、声が、背中に、刺さった。
一歩は、歩き続けた。
ジムの、扉を、開ける。
冷たい、風が、入ってきた。
一歩は、外に、出た。
夜が、暗かった。
月が、雲に、隠れている。
一歩は、写真を、取り出した。
暗がりの中で、女の子の、顔が、ぼんやりと、浮かぶ。
一歩は、写真を、ポケットに、戻した。
歩き出す。
どこへ、向かうのか、分からない。
でも、立ち止まる、わけには、いかなかった。
後ろから、足音が、聞こえた。
「……待てよ」
宮田の、声だった。
一歩は、止まった。
振り返らない。
「……俺も、行く」
一歩は、首を、振った。
「……一人で、抱え込むな。……さっき、そう、言ったろ」
宮田の、手が、一歩の、肩に、置かれた。
一歩は、肩を、震わせた。
(宮田……)
一歩は、メモ帳を、出した。
書こうとして、ペンを、落とした。
拾う、気力が、なかった。
宮田が、ペンを、拾って、一歩に、手渡した。
一歩は、それでも、書けなかった。
「……書かなくて、いい」
宮田が、言った。
「……行くぞ」
宮田は、一歩の、隣を、歩き出した。
一歩は、しばらく、その場に、立っていた。
やがて、宮田の、背中を、追いかけた。
二人の、足音が、夜の、道に、重なった。
雲が、切れて、月が、顔を、出した。
一歩の、影が、地面に、伸びる。
長い、髪の、影。
女の子の、影。
一歩は、その影を、見ながら、歩いた。
(俺は、まだ……)
一歩の、頭に、写真の、裏の、文字が、浮かぶ。
『次は、声だけじゃ、済まない』
一歩は、唇を、噛んだ。
口の中に、血の、味が、広がった。
宮田は、何も、言わずに、歩いている。
一歩は、拳を、握った。
握った、指の、隙間から。
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