はじめの一歩 呪いの性別逆転騒動
『はじめの一歩』の世界に、まさかの性別逆転コメディが登場!
ある朝、目覚めた幕之内一歩は、自分の体が女の子になっていることに気づく。しかも、鴨川ジムの仲間たち——鷹村、青木、木村まで、全員が女体化していた。原因は、ジムの地下室に保管されていた古いトロフィーに込められた「性別逆転の呪い」。イタリアからやってきた呪い研究家・マリエは、その呪いを解くために奔走するが、タイムリミットが迫る中、一歩たちの関係にも少しずつ変化が訪れて……。
ボクシングの熱さはそのままに、女の子になった体での戸惑いや恥ずかしさ、そして仲間たちとの掛け合いが笑いを誘う。元に戻る日は来るのか? そして、一歩と宮田の関係にも思わぬ波紋が——?
性別逆転×呪い×ボクシングの異色コメディ、開幕!
はじめの一歩 呪いの性別逆転騒動 - 涙のトロフィー~伝説のボクサーの悲恋と、女の体で見つけた本当の強さ~
工場の外に出ると、夕日が空を赤く染めていた。
一歩は、トロフィーを両腕で抱え直す。
ずっしりと重い。ブロンズの表面は、手のひらにひんやりと冷たかった。
「……戻ってきたんだな」
声は、まだ出ない。
喉の奥で、空気が擦れるだけだった。
でも、トロフィーの重さだけが、確かにここにある。
(これで、また一歩、前に進める)
長い黒髪が、風に揺れた。
女の子の影が、地面に長く伸びている。
でも、その影は、もう前だけを向いていた。
ジムに戻ると、みんなが待っていた。
マリエが、青い瞳を潤ませて駆け寄ってくる。
「一歩さん……! よかった、本当によかったわ……!」
マリエは、一歩の肩に手を置いて、何度も頷いた。
長い金髪のポニーテールが、ぴょこぴょこと揺れる。
「トロフィー、見せてくれる?」
一歩は、こくりと頷いて、トロフィーを差し出した。
マリエは、革製のバッグから、呪力感知用の振り子を取り出す。
銀色の鎖の先で、小さな水晶が、ゆらゆらと揺れた。
「……やっぱり。強い悲しみが、まだ残っているわ」
マリエは、振り子をトロフィーにかざしたまま、眉をひそめた。
「でも、さっきの光……一歩さんが、悲しみを受け止めたことで、少しだけ、癒されたみたい」
「光?」
青木が、首をかしげた。
女体化した青木は、ボーイッシュなショートカットで、やけに元気がいい。
「なにそれ、俺たちにも見せてくんない?」
木村も、青木の隣から、興味津々で覗き込む。
女体化した木村は、ふわふわのパーマヘアで、青木とお揃いのジャージを着ていた。
「まだ完全じゃないんだ。一歩が触れた時にだけ、反応するみたいで」
マリエは、振り子をバッグにしまいながら、首を振った。
「とにかく、一歩さん。あなたがこのトロフィーの持ち主の、愛した人の名前を知ることができれば……呪いを解く、大きな手がかりになるはずよ」
一歩は、マリエの言葉に、もう一度頷いた。
(愛した人の、名前……)
一歩は、トロフィーを見つめた。
黒ずんだ表面に、夕日が反射して、鈍く光る。
(必ず、見つける)
一歩は、声が出ないまま、心の中で、そう強く誓った。
夜になった。
ジムの二階、会長宅の居間を借りて、一歩はトロフィーと向き合っていた。
マリエが、静かに言った。
「一歩さん。さっき、工場でトロフィーが光った時……何か、見えなかった?」
一歩は、首を振った。
(何か……?)
「あの光は、トロフィーに込められた記憶が、一歩さんに触れようとした反応なの。だから、もう一度、意識を集中させてみて」
マリエは、一歩の手を、トロフィーの上に導いた。
「怖がらなくていいわ。あなたが受け止められるって、トロフィー自身が教えてくれたんだから」
一歩は、マリエの手の温かさに、少しだけ安心した。
(大丈夫だ。俺が、見るんだ)
一歩は、目を閉じた。
両手で、トロフィーを、ぎゅっと握りしめる。
冷たかった表面が、じわり、じわりと温かくなっていく。
ドクン。
心臓の音が、やけに大きく聞こえた。
ドクン、ドクン。
指先から、何かが流れ込んでくる。
悲しみ。痛み。寂しさ。
それらが、濁流のように、一歩の胸に押し寄せた。
——その時だった。
視界が、真っ白に弾けた。
気がつくと、一歩は、見知らぬ場所に立っていた。
歓声。
ものすごい歓声が、四方八方から降り注いでいる。
リングの上だった。
ボクシングのリングの上。
目の前には、レフェリーがいて、自分の腕を高く掲げている。
「勝者、佐藤武志!」
場内アナウンスが、割れんばかりの声で響いた。
(佐藤、武志……?)
一歩は、自分の体を見下ろした。
違う。これは、俺の体じゃない。
もっと、がっしりしていて、腕も太い。
(これは……記憶の中?)
一歩は、佐藤武志という男の記憶の中にいた。
武志は、トロフィーを掲げた。
ブロンズのトロフィーが、リングのライトを浴びて、きらきらと輝いている。
「武志さん!」
声がした。
観客席の最前列に、一人の女性が立っていた。
白いワンピース。黒くて長い髪。
(雪乃、さん……?)
一歩は、直感で、そう思った。
女性は、涙を流しながら、武志に向かって手を振っていた。
武志は、リングの上から、雪乃に向かって、トロフィーを掲げて見せた。
「見てろよ、雪乃! これが、俺の一番の宝物だ!」
武志の声が、一歩の頭の中に、直接響いてくる。
場面が、変わった。
病室だった。
白い壁。白いベッド。
窓の外では、雪が、しんしんと降っている。
ベッドの上には、雪乃が横たわっていた。
さっきまで、あんなに元気だったのに。
今の雪乃は、頬がこけ、目元には深い隈ができている。
「武志さん……」
雪乃が、か細い声で、武志を呼んだ。
武志は、ベッドの脇に座り、雪乃の手を握った。
「雪乃……俺が、ついてるからな」
雪乃は、ゆっくりと、首を振った。
「私、もう……だめみたい」
「何言ってるんだ。すぐに、良くなる。お前は、強い女だろ」
武志の声が、震えていた。
雪乃は、武志の手を、弱々しく握り返した。
「……あなたのボクシング、本当に、強かったわ」
雪乃は、そう言って、微笑んだ。
「私ね、リングの上のあなたが、一番好きだった。誰よりも、強くて、誰よりも、優しかった」
「雪乃……」
「だから、悲しまないで。あなたは、私の、自慢のチャンピオンなんだから」
雪乃の目から、涙が、こぼれた。
「……ありがとう。武志さん。あなたに出会えて、本当に、幸せだった」
それが、雪乃の、最後の言葉だった。
雪乃の手から、力が抜けていく。
「雪乃……? おい、雪乃……!!」
武志は、雪乃の体を、揺さぶった。
「雪乃! 雪乃!!」
武志の叫び声が、病室に響き渡る。
「嘘だろ……嘘だって言ってくれよ、雪乃……!!」
武志は、雪乃の遺体に、すがりついた。
涙が、止めどなく溢れてくる。
「お前がいなきゃ、俺は……俺は、どうすればいいんだ……!!」
武志の慟哭が、一歩の胸を、締めつけた。
場面が、また変わった。
薄暗い部屋だった。
武志は、床に座り込み、トロフィーを握りしめていた。
「雪乃……お前の笑顔を、俺は、絶対에忘れない」
武志は、トロフィーに、何かを刻み込むように、強く、強く、指を押し当てた。
「この悲しみは、俺が背負う。誰にも、渡さない」
武志の声は、低く、暗かった。
「お前を失った、この痛みだけが、俺とお前を繋ぐ、最後の絆なんだ」
武志の手の中で、トロフィーが、ぼんやりと光を放った。
「だから、消えないでくれ。この悲しみを、俺から、奪わないでくれ」
武志の想いが、呪いとなって、トロフィーに封じられた瞬間だった。
「……っ!」
一歩は、目を開けた。
現実の世界に、戻ってきていた。
一歩の頬を、涙が伝っていた。
「一歩さん……!」
マリエが、心配そうに、一歩の顔を覗き込む。
一歩は、トロフィーを見た。
黒ずんだ表面が、少しだけ、輝きを取り戻している。
(佐藤武志……雪乃……)
一歩は、二人の名前を、心の中で、繰り返した。
「……あ」
一歩は、自分の喉に、手を当てた。
「あ、あ……」
かすれていたが、声が出た。
「マリエ、さん……俺、見たよ。武志さんと、雪乃さんのこと」
一歩の声は、まだ完全ではなかった。
でも、確かに、言葉を紡いでいた。
マリエは、目を見開いた。
「声が……戻りかけているわ!」
マリエは、嬉しそうに、一歩の手を握った。
「トロフィーの悲しみが、少しだけ、癒されたのよ! 一歩さんが、あの人の気持ちを、受け止めたから!」
一歩は、トロフィーを、そっと抱きしめた。
「奥さんの気持ち、わかるよ」
一歩は、トロフィーに語りかけた。
「武志さん。あなたのボクシング、本当に、強かったんだな。雪乃さんが、一番好きだって言ってた」
一歩の目から、また、涙が溢れた。
「でも、その悲しみを、ずっと閉じ込めてたら、雪乃さんも、悲しむんじゃないかな」
一歩は、トロフィーを、胸に抱いた。
「雪乃さんは、あなたに、幸せになってほしかったんだと思う。だから、その悲しみ、少しずつでいいから、手放していこう」
一歩の声は、かすれていたが、真っ直ぐだった。
すると、トロフィーから、微かな光が放たれた。
黒ずんでいた表面が、少しずつ、輝きを取り戻していく。
「……光ってる」
「すげえ……」
青木と木村が、声を揃えた。
一歩の体からも、苦しさが和らいでいく。
「一歩さん……あなたの、優しさが、呪いの核に、届いたのよ」
マリエは、目を潤ませて、一歩を見つめた。
翌朝。
一歩は、鏡の前で、自分の姿を確認した。
黒くて長い髪。白い肌。丸い輪郭。
相変わらず、女の子の姿だった。
でも、昨日までのような、息苦しさはない。
「……おはよう」
一歩は、鏡に向かって、声を出した。
かすれているが、昨日より、はっきりと聞こえる。
(声が、戻ってきてる)
一歩は、拳を握った。
(まだ、女の体だけど。でも、前に進める)
一歩は、鏡の中の自分に、小さく頷いた。
ジムに降りると、マリエが、テーブルに地図を広げていた。
「おはよう、一歩さん。声、だいぶ良くなったわね」
「ああ。マリエさんのおかげだよ」
一歩は、マリエの隣に座った。
「トロフィーから、色々な情報が読み取れたわ」
マリエは、ノートを開いた。
「持ち主の名前は、佐藤武志。妻は、雪乃。雪乃さんの出身地は、東北の小さな村よ」
マリエは、地図の一点を指差した。
「武志さんは、戦後、その村を訪れて、雪乃さんの遺品を探したそうよ。でも、見つからなかった」
「遺品……」
一歩は、地図を覗き込んだ。
「雪乃さんの遺品、特に二人の思い出の品があれば、武志さんの悲しみを、完全に癒せる可能性があるわ」
マリエは、真剣な表情で言った。
「フィレンツェの研究所に照会したの。そうしたら、戦争で失われた品々の中に、武志さんが雪乃さんに贈った日記帳があるっていう記録が見つかったの」
「日記帳……」
一歩は、呟いた。
「その日記帳があれば、呪いを完全に解けるかもしれない。でも、まだ、どこにあるかまでは、分かっていないの」
マリエは、少し悔しそうに、唇を噛んだ。
「必ず、見つけましょう。私、絶対に、一歩さんを元に戻すから」
マリエは、一歩の手を、ぎゅっと握った。
一歩は、マリエの手の温かさを感じながら、頷いた。
「ああ。俺も、諦めないよ」
夕方、ジムの入り口で、宮田が一歩を待っていた。
女体化した宮田は、肩までのストレート黒髪を、風に揺らしていた。
切れ長の黒い瞳が、一歩を真っ直ぐに見つめている。
「一歩」
「宮田……」
一歩は、宮田の前に立った。
「声、戻ったんだな」
「ああ。まだ、完全じゃないけど」
一歩は、自分の喉に手を当てた。
「そうか」
宮田は、小さく頷いた。
それから、一歩の目を、じっと見つめた。
「一歩。お前が女になっても、俺のライバルは、お前だ」
宮田の声は、静かだった。
「女だからって、手加減はしない」
一歩は、宮田の真剣な眼差しに、ドキッとした。
(宮田……)
「あ、ああ。当たり前だろ。俺だって、手加減なんて、してほしくない」
一歩は、声が少し上ずった。
宮田は、一歩の反応を見て、少しだけ、口元を緩めた。
「早く、元に戻れよ」
宮田は、一歩に一歩、近づいた。
「じゃないと、俺が、本気でお前のこと——」
宮田は、そこまで言って、急に口を閉じた。
「な、なんだよ?」
一歩は、宮田の言葉の続きを、待った。
「……何でもない」
宮田は、顔をそらした。
その耳が、ほんのり赤くなっている。
(宮田……?)
一歩は、宮田の様子に、首をかしげた。
(今、なんて言おうとしたんだ?)
一歩の胸が、少しだけ、ざわついた。
その夜。
一歩が、ジムの二階で休んでいると、部屋のドアが、控えめにノックされた。
「一歩くん、いる?」
久美の声だった。
「久美さん、どうぞ」
一歩は、ドアを開けた。
久美は、茶色のセミロングを揺らして、部屋に入ってきた。
優しい茶色の瞳が、一歩を見つめる。
「声、少し戻ったんだってね。良かった……!」
久美は、一歩の顔を見て、ぱあっと笑顔になった。
「ああ。久美さんのおかげだよ」
一歩は、かすれた声で、そう答えた。
久美は、一歩の声を聞いて、目を丸くした。
「……一歩くんの、声だ」
久美は、呟くように言った。
「女の子の体でも、一歩くんは、一歩くんなんだね」
久美は、一歩を見つめながら、そう言った。
一歩は、久美の言葉に、胸が、じわりと温かくなった。
「久美さん……」
「あ、あのね、一歩くん。私……」
久美は、何かを言いかけた。
でも、すぐに、口を閉じてしまった。
「……なんでもない! また、来るね!」
久美は、顔を真っ赤にして、逃げるように部屋を出て行った。
一歩は、久美の後ろ姿を、呆然と見送った。
(久美さん……?)
一歩は、自分の胸に、手を当てた。
ドキドキと、心臓が、少しだけ、速くなっている。
(なんで、俺……)
一歩は、首をかしげた。
宮田の耳が赤かったこと。
久美の顔が赤かったこと。
そして、自分の胸の高鳴り。
(なんか、変だ……)
一歩は、恋愛に超鈍感な、自分の頭を、抱えた。
その夜遅く。
マリエは、ジムの一階で、古い黒電話を握りしめていた。
受話器の向こうから、イタリア語の早口が、流れてくる。
「……ええ、ええ、分かったわ。……本当? ……そう、なの。……分かった。ありがとう、ルカ。……うん、また連絡する」
マリエは、受話器を置くと、深いため息をついた。
それから、二階に向かって、声を張り上げた。
「一歩さん! みんな! 大変なことが分かったの!」
一歩と、青木、木村、鷹村が、一階に集まった。
「なんだ、マリエ。うるせえぞ」
女体化した鷹村が、腰まで届く黒髪ロングを、かき上げながら、あくびをした。
「フィレンツェの研究所から、緊急の連絡があったの」
マリエは、真剣な表情で、みんなを見渡した。
「雪乃さんの遺品、武志さんが贈った日記帳が、終戦直後に、東北の古い旅館の蔵に保管されたっていう記録が見つかったの」
「おお! それで、どこにあるんだ?」
青木が、身を乗り出した。
「問題は、そこなの」
マリエは、声を潜めた。
「その旅館は、今は廃業していて、蔵は、取り壊しの危機にあるの」
「取り壊し!?」
木村が、驚きの声を上げた。
「日記帳を取り戻せば、呪いを完全に解ける可能性が高いわ。でも、タイムリミットは、一週間。それまでに蔵が取り壊されたら、日記帳も、失われてしまう」
一歩は、拳を握った。
(一週間……)
「行くよ」
一歩は、かすれた声で、はっきりと言った。
「東北の、その旅館に。俺が、日記帳を、取り戻してくる」
一歩の声は、まだ完全ではなかった。
でも、その目は、強い決意に満ちていた。
「一歩さん……」
マリエは、一歩の決意に、胸を打たれた。
「ああ、俺も行くぜ。面白そうじゃねえか」
鷹村が、ニヤリと笑った。
「俺たちも、行くっすよ!」
「当然だろ!」
青木と木村も、声を揃えた。
「俺も行く」
いつの間にか、宮田も、ジムの入り口に立っていた。
「一歩。お前を、一人で行かせるわけにはいかない」
宮田は、一歩を、真っ直ぐに見つめた。
「私も、行くわ! 私が、呪いの専門家だもの!」
マリエも、力強く頷いた。
一歩は、みんなの顔を、一人ずつ、見渡した。
(みんな……)
一歩の胸が、熱くなった。
「……ありがとう、みんな」
一歩は、涙をこらえて、笑った。
(絶対に、日記帳を見つけて、この呪いを、終わらせるんだ)
一歩は、固く、決意した。
ジムの外では、夜風が、長い黒髪を揺らしていた。
一歩は、空を見上げた。
月が、雲の切れ間から、顔を出している。
(武志さん、雪乃さん。もう少しだけ、待っていてください)
一歩は、トロフィーを、そっと胸に抱いた。
(俺が、必ず、二人の悲しみを、終わらせます)
一歩の影が、地面に、長く伸びていた。
女の子の影。
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