勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録 ――転移詩人の鎮魂歌
教室の片隅で息を潜めるように詩集を読む少年・久遠奏は、ある日図書館で見つけた古い本の力で異世界へと飛ばされてしまう。目覚めた先で彼の首に浮かんだのは、穢れた色をした「聖印」だった。聖印を持つ者は勇者として徴用される――それがこの大陸の掟。何もしていないのに罪を着せられ、彼は「懲罰勇者」として最前線の要塞へ送られることになる。殺されても蘇生され、死ぬことすら許されない使い捨ての兵士として。
同じ護送車に乗せられたのは、窃盗千件超えのドッタ、詐欺と横領の常習犯ベネティム、そして兜を被ったまま一言も発しない謎の男。そして、やたらと人懐っこい笑顔の裏に何かを隠した男ツァーヴ。犯罪者たちと共に送り込まれた先は、減員率四割という懲罰勇者9004隊だった。
詩を愛し、歌うことを奪われた少年が、言葉の力を武器に絶望の最前線を生き抜く。声なき詩が、いつか鎮魂歌となる日まで――。
勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録 ――転移詩人の鎮魂歌 - 詩集を開いたら異世界の刑務所送りになった件
「……ああ」
久遠奏は、誰にも聞こえない声で、そう漏らした。
教室の喧騒が、窓の外の蝉時雨みたいに遠く聞こえる。昼休み。クラスメイトたちはそれぞれのグループで机を寄せ合い、笑い声を上げている。楽しそうな声。誰かを呼ぶ声。肩を組んで廊下へ出ていく影。
その全部が、奏の周りだけ避けて通っていく。
自分が透明人間になったみたいだ、と奏は思った。いや、むしろ空気よりも薄い存在。視界に入っていても、誰も気にしない。それが奏の教室での立ち位置だった。
高校二年生。クラス替えから三ヶ月。未だに、まともに話をした相手は一人もいない。
別にいじめられているわけじゃない。無視されているわけでもない。ただ、誰も近づいてこない。奏も近づかない。そうしているうちに、この距離が当たり前になった。
奏は机の上に広げた弁当箱を、音を立てないように閉じた。半分も食べられなかった。食欲がない。
(早く、図書館に行こう)
奏にとって、昼休みの図書室だけが、唯一息のできる場所だった。
図書室の奥、窓際の一番隅っこ。誰も来ない、埃っぽい一角。
奏はそこで、いつものように詩集を開く。学校の図書室にある詩集は、もうほとんど読み尽くしてしまった。それでも、何度も読む。活字を追っている間だけは、教室のことも、自分のことも、忘れられるから。
奏は、詩が好きだった。
歌が好きだった。
物心ついた頃から、言葉を紡ぐことが、奏の唯一の取り柄だった。
小学生の頃、将来の夢を作文に書く授業があった。奏は「詩人になりたい」と書いた。
教室中が笑った。先生も、困ったように笑った。
「詩人なんて、お金にならないよ」「男のくせにキモ」
その日から、奏は夢を口にしなくなった。
歌うことも、やめた。
人前で歌うと、笑われる。変な目で見られる。だったら、誰にも聞こえないところで、小さく口ずさむだけでいい。
奏は、図書室の片隅で、詩集を胸に抱くようにして、小さく息を吐いた。
放課後。
奏は学校を出ると、まっすぐ駅とは反対方向へ歩いた。向かう先は、市立の中央図書館。学校の図書室よりずっと大きくて、静かで、誰も奏を知らない場所。
夕方の図書館は、ひんやりとしていて、紙とインクの匂いがした。
奏はいつものように、文学の書架へ足を向ける。その途中、返却棚の前で、ふと足が止まった。
棚の奥。誰かが返し忘れたのか、一冊の本が、横向きに挟まっていた。
(……なんだろ)
奏は手を伸ばした。古い本だった。黒っぽい革の表紙。角は擦り切れ、背表紙の文字はかすれて読めない。
手に取ると、ずしりと重い。
表紙を開く。
そこには、たった一言だけ、金の箔押しで文字が刻まれていた。
――レゾナンス。
(レゾナンス……?)
聞いたことのない言葉。奏は首をかしげながら、次のページをめくった。
その瞬間だった。
本から、まばゆい光があふれ出した。
「え――」
声を上げる間もなかった。
光が、奏の全身を包み込む。視界が真っ白に染まる。体が浮き上がる感覚。床が消える。重力が消える。
――落ちている。
いや、飛ばされている。
何も見えない。何も聞こえない。ただ、手の中の詩集だけが、やけに熱い。
奏は、意識を手放した。
冷たい。
石の床の冷たさが、頬に伝わってくる。
奏はゆっくりと目を開けた。
天井が、見えた。
ものすごく、高い天井。石造りのアーチが、どこまでも続いている。
(ここ……どこだ)
体を起こす。周囲を見回して、奏は呼吸を止めた。
巨大な書架。
見上げるほど高い本棚が、整然と、どこまでも並んでいる。
図書館だ。
でも、さっきまでいた市立中央図書館じゃない。
規模が、まったく違う。
石造りの壁。ステンドグラス。高い天井。
そして、行き交う人々。
奏は、目を疑った。
耳の尖った人がいる。
小柄で、がっしりとした体格の、髭を生やした人もいる。
服装も、まるで映画の中から抜け出してきたみたいだ。マントを羽織った人。鎧を着た人。ローブをまとった人。
そして、彼らが話す言葉は、奏の知らない異国の言葉だった。
なのに。
なぜか、意味だけは、すっと頭の中に入ってくる。
「――聞いたか、北の砦でまた魔王現象が」
「ああ。勇者様がたの出陣が近いらしい」
「聖印を持つ者が足りないと、聖騎士団も頭を抱えているそうだ」
魔王現象。勇者。聖印。聖騎士団。
聞いたことのない単語が、次々と流れ込んでくる。
(何を言ってるんだ……?)
言葉の意味は分かるのに、理解が追いつかない。
奏は、自分の手の中に、あの黒い詩集がまだ握られていることに気づいた。
(この本が、俺をここへ……?)
そんなはずはない。そう思うのに、他に説明がつかない。
その時だった。
奏の首筋に、焼けるような熱が走った。
「っ、あ――」
思わず声が漏れる。
首の右側。鎖骨の上あたりが、じりじりと熱い。
まるで、誰かに焼き印を押されているみたいだ。
奏は、震える指で、首元を押さえた。
その拍子に、近くを通りかかった女の人が、奏の顔を見て、はっとしたように立ち止まった。
「……あ、あんた、その首――」
彼女の視線は、奏の首元に釘付けだった。
「聖印……? なんで、あんな濁った色を……」
聖印。
さっき、周りの人たちが話していた単語。
女の人は、青ざめた顔で、一歩、二歩と後ずさった。
「だ、誰か! 衛兵を! ここに聖印持ちが――それも、穢れた聖印だ!」
彼女の悲鳴のような声が、静かな図書館に響き渡った。
ざわめきが、波のように広がっていく。
人々が、奏から距離を取る。
好奇の目。恐怖の目。侮蔑の目。
(なに、なにが起きてる……?)
奏は、その場に立ちすくむことしかできなかった。
「動くな!」
鋭い声が飛んできた。
金属の擦れる音を立てて、数人の衛兵が駆け寄ってくる。
銀色の鎧。腰に剣。手には槍。
「そこの小僧だな、穢れた聖印を持つというのは」
衛兵の一人が、奏の腕を乱暴につかんだ。
「ち、違います! 俺は、なにも――」
「黙れ!」
奏の抗議は、一喝で遮られた。
「聖印を身に宿す者は、すべからく勇者として徴用される。それが、この大陸の掟だ。抵抗すれば、ただでは済まんぞ」
勇者。
さっきまで、物語の中の言葉だった。
それが今、現実のものとして、奏の目の前に立ちはだかっている。
「お前、名前は? どこの出身だ?」
「く、久遠奏……日本から……」
「ニホン? 聞いたことのない国だな。まあいい。どこの辺境の生まれだろうが、聖印が発現した以上、お前は勇者だ」
「ま、待ってください! 俺、勇者とか、そんなの――」
「うるさい! 連れて行くぞ!」
奏は、両腕を後ろに回され、冷たい金属の感触を手首に感じた。
鎖だ。
「なんで……俺、何もしてないのに……」
奏の声は、震えていた。
涙が、にじむ。
怖い。
意味が分からない。
助けてほしい。
でも、誰も助けてくれない。
周りの人たちは、ただ遠巻きに、こちらを見ているだけだ。
「聖印持ちの罪人だと? 本当か?」
低い声がして、人垣が割れた。
現れたのは、黒い制服を着た、いかめしい顔の男だった。
「おお、これは勇者刑務局の方。ご足労いただき恐れ入ります」
衛兵が、ぴしりと姿勢を正す。
勇者刑務局。
また、知らない言葉。
黒服の男は、無表情で奏の首元を検めた。
「……確かに聖印だ。しかも、この濁り。罪を犯した勇者のものだな」
「ち、違います! 俺は、罪なんて――」
「黙れ」
男の声は、氷のように冷たかった。
「聖印保持者にして、罪状不明。勇者徴用令および勇者刑に該当する。よって、お前を懲罰勇者として拘束する」
男は、感情のこもらない声で、一方的にそう告げた。
「懲罰……勇者……?」
「この世界で最悪の刑罰だ。殺されても蘇生され、死ぬことすら許されない。魔王現象と戦い続ける、使い捨ての兵士になるんだよ」
男の言葉は、奏の頭の中を真っ白にした。
(殺されても、死ねない……?)
(使い捨ての、兵士……?)
「連れて行け」
男が命じる。
衛兵たちが、鎖を引っ張った。
奏は、されるがままに、図書館の外へと引きずられていった。
石造りの巨大な建物を出ると、そこには、信じられない光景が広がっていた。
中世ヨーロッパのような街並み。
石畳の道。馬車。露店。
遠くには、白亜の城壁。
そして、その向こうに、そびえ立つ巨大な王城。
(ここは……本当に、異世界なんだ)
奏は、絶望的な気持ちで、その景色を眺めた。
奏が放り込まれたのは、鉄格子のはまった護送車だった。
馬に引かれた、檻のような車。
中には、すでに数人の人影があった。
奏が押し込まれると、全員の視線が、一斉にこちらを向いた。
「お、新入りか?」
明るい声がした。
声の主は、若い男だった。
年は二十歳前後だろうか。
ぼさぼさの茶髪。無精ひげ。
どこか人懐っこい笑顔を浮かべているが、その目は、まったく笑っていなかった。
「俺はツァーヴ。よろしくな。お前、名前は?」
「……く、久遠、奏……」
「奏か。変わった名前だな。どこの出身だ?」
「に、日本……って、言っても、分からないと――」
「日本? 知らねえな。でもまあ、ここにいる連中は、みんな一癖も二癖もある奴ばかりだ。出身なんて、あってないようなもんさ」
ツァーヴと名乗った男は、からからと笑った。
その笑い声が、かえって不気味だった。
「おい、うるさいぞツァーヴ。これから取り調べ官と話をするんだ。静かにしろ」
別の声が割って入った。
今度は、護送車の隅で、小柄な男が震えていた。
年の頃は、奏とそう変わらない。
いや、もしかしたら、もっと若いかもしれない。
「ひっ……す、すみません……あ、あの、俺、本当に何もしてなくて……ただ、その、ちょっと、物を借りただけで……」
小柄な男は、ガチガチと歯を鳴らしながら、隣に座る黒服の男に必死に言い訳をしていた。
「ドッタ・ルズラス。お前の『ちょっと借りた』は、千件を超える窃盗事件のことを言うのか? 今更言い訳は通用せん」
黒服の男は、ため息混じりにそう返した。
ドッタ。
この小柄な男の名前らしい。
窃盗。千件超え。
(この人も、犯罪者……)
奏は、改めて護送車の中を見回した。
ツァーヴ。
ドッタ。
それから、黒服の男と話している、もう一人。
「いやいやいや、待ってくださいよ。これは何かの間違いですって。私、ベネティム・レオプールと申しますが、本当に人違いでして。詐欺だの横領だの、心当たりがなさすぎて逆に困っちゃいますよ」
ヘラヘラと笑いながら、取り調べ官らしき男に食い下がっている男。
スーツのような服を着ているが、ネクタイは曲がり、髪も乱れている。
「ベネティム、お前の罪状は詐欺、横領、聖権侵害、内乱予備だ。いい加減、観念しろ」
「だから、人違いだって言ってるじゃないですかー。世の中には、私にそっくりな悪人がいるんですよ、きっと」
「……お前、この前も同じこと言ってたぞ」
「え? そうでしたっけ? ははは、いやー、人間、往生際が悪いと、つい同じ言い訳を繰り返しちゃうものなんですよ」
詐欺師。
この男は、詐欺師だ。
そして、護送車の一番奥。
一人だけ、まったく喋らない男がいた。
錆びた兜を、すっぽりと被っている。
顔は、見えない。
兜の隙間から、ぼんやりと、虚ろな目だけが覗いている。
その男は、ただ、じっと、何も言わずに揺られていた。
(……この人も、懲罰勇者?)
奏は、背筋が寒くなるのを感じた。
ここにいる全員が、犯罪者。
殺人犯。詐欺師。泥棒。
そして、何もしていないのに、勇者刑に処された自分。
(俺は、これから、どうなるんだ……)
奏は、手の中の詩集を、ぎゅっと抱きしめた。
これだけが、元の世界との繋がり。
奏の唯一の心の支えだった。
護送車は、揺れ続けた。
一日。二日。三日。
奏は、ろくに眠れなかった。
硬い板張りの床。冷たい風。鉄格子の向こうから聞こえる、馬の蹄の音。
そして、隣で聞こえる、ドッタのすすり泣き。
「うう……俺、死にたくないよぉ……」
「大丈夫だって、ドッタ。お前は運がいいから、きっと生き残れるさ」
ツァーヴが、明るい声で慰める。
「運がいいから、窃盗で捕まったのかよぉ……」
「ははは、違いない」
ツァーヴの笑い声。
ドッタの泣き声。
ベネティムの言い訳。
タツヤの沈黙。
それらが、ごちゃ混ぜになって、奏の頭の中でぐるぐると回る。
(俺は、ここで、何をすればいいんだ……)
奏は、誰にも聞こえないように、小さく、詩集を開いた。
元の世界の言葉で書かれた、見慣れた文字。
奏は、その中の一編を、声に出さずに、口の中で転がした。
――風よ、吹け。
――この胸の、痛みごと。
――運んでおくれ。
――遠い、遠い、空の果てへ。
口ずさんだ瞬間だった。
奏の首元の聖印が、ほんの一瞬だけ、かすかに光った。
「……あれ?」
奏は、自分の首に手を当てた。
聖印が、微かに、温かい。
(今、光った……?)
でも、それは、あまりに小さな変化で。
奏自身も、すぐに気のせいだと思った。
周りの誰も、気づいていない。
ツァーヴは、まだドッタをからかっている。
ベネティムは、まだ言い訳を続けている。
タツヤは、まだ、無言で揺られている。
(……気のせいだ)
奏は、詩集を閉じた。
そして、鉄格子の向こうに広がる、見知らぬ世界の空を眺めた。
三日目の夕方。
護送車が、大きな門の前で止まった。
「降りろ。着いたぞ」
黒服の男が、鉄格子を開ける。
奏たちは、鎖に繋がれたまま、護送車から引きずり出された。
目の前に、巨大な要塞がそびえ立っていた。
高さ十八メートルはあろうかという、分厚い城壁。
周囲を囲む堀。
城壁の上には、無数の兵士たちの姿が見える。
「ここが、ミューリッド要塞だ」
黒服の男が、抑揚のない声で言った。
「帝都アストレアの北西、アルヴェイン山脈の南麓。魔王現象十五号、イブリスの侵攻路に位置する最前線基地だ」
ミューリッド要塞。
帝都アストレア。
アルヴェイン山脈。
イブリス。
知らない言葉ばかりが、奏の頭の上を通り過ぎていく。
「お前たちの配属先は、懲罰勇者9004隊。この要塞に駐留する、懲罰勇者の部隊だ」
懲罰勇者9004隊。
「9004隊は、9000番台の懲罰部隊の中でも、特に危険な任務を割り当てられる部隊群に属する。減員率は、年間約四割。生きて戻れるかどうかは、運次第だ」
減員率、四割。
つまり、十人いれば、一年で四人は死ぬ。
「そんな……」
奏の声は、かすれていた。
「死んでも、蘇生される。だから、安心しろ。お前たちは、簡単には死ねない」
男の言葉は、慰めにも、脅しにも聞こえた。
「さあ、行くぞ。隊長が待っている」
男は、鎖を引っ張った。
奏は、よろめきながら、一歩を踏み出した。
夕日に染まる、巨大な要塞。
その門が、ゆっくりと開いていく。
中から、鉄と油と、汗の匂いがした。
(ここが……俺の、これから生きる場所……)
奏は、手の中の詩集を、もう一度、ぎゅっと握りしめた。
涙は、もう出なかった。
ただ、腹の底から込み上げてくる、どうしようもない恐怖だけがあった。
「……お母さん」
誰にも届かない声で、奏は、そう呟いた。
夕日が、奏の影を、長く長く、地面に伸ばしていた。
その影の先で、要塞の門が、重々しい音を立てて、閉じた。Noveliaとは?
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