勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録 ――転移詩人の鎮魂歌
教室の片隅で息を潜めるように詩集を読む少年・久遠奏は、ある日図書館で見つけた古い本の力で異世界へと飛ばされてしまう。目覚めた先で彼の首に浮かんだのは、穢れた色をした「聖印」だった。聖印を持つ者は勇者として徴用される――それがこの大陸の掟。何もしていないのに罪を着せられ、彼は「懲罰勇者」として最前線の要塞へ送られることになる。殺されても蘇生され、死ぬことすら許されない使い捨ての兵士として。
同じ護送車に乗せられたのは、窃盗千件超えのドッタ、詐欺と横領の常習犯ベネティム、そして兜を被ったまま一言も発しない謎の男。そして、やたらと人懐っこい笑顔の裏に何かを隠した男ツァーヴ。犯罪者たちと共に送り込まれた先は、減員率四割という懲罰勇者9004隊だった。
詩を愛し、歌うことを奪われた少年が、言葉の力を武器に絶望の最前線を生き抜く。声なき詩が、いつか鎮魂歌となる日まで――。
勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録 ――転移詩人の鎮魂歌 - 歌よ、届け――キヴィアの冷たい宣告とイブリス封じ
朝の光が、崩れた城壁の向こうから差し込んでいた。
ミューリッド要塞の作戦会議室は、昨夜の戦いの熱をまだ壁に残している。机の上には、誰かの血で汚れた地図。割れたランタン。折れた矢。
久遠奏は、部屋の隅で小さく縮こまるように立っていた。指先がまだ震えている。昨夜、歌い続けた喉は、熱い鉄を飲み込んだみたいに痛んだ。
(イブリスは、まだ生きている)
再生の霧が薄れたのは、ほんの一時だった。夜明け前、偵察兵が「霧が再び濃くなり始めた」と報告した。あの巨人は、また甦る。
「おい、久遠」
低い声。ザイロが、壁に背を預けて立っていた。黒に近い焦げ茶の短髪は煤で汚れ、左頬の古い傷跡が朝日に浮かぶ。両手足に刻まれた雷撃の聖印が、疲れのせいか、かすかに明滅していた。
「は、はい」
奏は背筋を伸ばした。
「水でも飲んどけ。倒れられると面倒だ」
ザイロが、乱雑に置かれた水差しを顎で指した。
「ありがとう、ございます」
奏は水差しに近づき、欠けた木のコップに水を注いだ。喉に流し込むと、痛みが少しだけ和らぐ。
会議室には、他の隊員たちも集まっていた。
ドッタ・ルズラスは、包帯だらけの体を丸めて椅子に座っている。腹部の傷はまだ塞がっていない。小柄な体が、さらに小さく見えた。
ベネティム・レオプールは、窓の外をちらちら見ながら、指先で机をとんとんと叩いていた。逃げ出した昨夜のことが、まだ頭から離れないのだろう。
タツヤは、ひしゃげた兜を両手で押さえたまま、壁際に立っている。後頭部の割れ目から、中身が零れないように。
ツァーヴは、魔導式ライフルを抱えて床に座り、銃身を布で拭いていた。その口元は、相変わらず薄い笑みを浮かべている。
「なあ、兄貴」
ツァーヴが、顔を上げた。
「あの監督官、まだ来ないんすか? 呼び出しといて遅刻とか、いいご身分っすね」
「……黙って待て」
ザイロは、窓の外を見たまま言った。
その時だった。
廊下から、規則正しい足音が近づいてくる。
コツ。コツ。コツ。
迷いのない、硬い靴音。
扉が、勢いよく開かれた。
立っていたのは、一人の女だった。
真っ直ぐな黒髪を後ろで一つに束ね、鋭い切れ長の黒い瞳で室内を一瞥する。身長は百七十センチほど。左腰には、聖騎士団長時代の剣。深い青の軍服は、ほこりひとつ付いていない。
パトーシェ・キヴィア。元第十三聖騎士団団長。勇者制度の監督官。
「……揃っているな」
キヴィアの声は、冷たかった。
彼女は、真っ直ぐに中央の机へ歩み寄り、地図を見下ろした。
「報告を聞いた。イブリスの再生は、想定より早い。お前たちの昨夜の戦果は、時間稼ぎにもなっていない」
奏は、その言葉に、指先が冷たくなった。
「……ちっ」
ザイロが、舌打ちした。
「援軍が来ていれば、話は違ったはずだ。あんたが、独断で遅らせたんだろ」
キヴィアは、顔を上げた。
「ああ、そうだ」
あまりにも、あっさりと。
「私は、援軍を独断で遅らせた。謝罪する気はない」
会議室の空気が、凍った。
「懲罰勇者は、切り捨て可能な駒だ。今回の戦いで、それが証明されたわ。お前たちが前線で時間を稼ぎ、その間に本隊が後方で態勢を整える。それが、最も効率的な戦術」
キヴィアは、奏たち一人一人を、順番に見た。
ドッタ。ベネティム。タツヤ。ツァーヴ。そして、奏。
最後に、ザイロ。
「異論は認めない」
奏は、膝が震えた。
(切り捨て可能な、駒)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。怖い。でも、それだけじゃない。
(この人は、本当にそう思っているの?)
奏は、キヴィアの目を見た。
鋭い黒い瞳。
でも、その目尻が、ほんの少しだけ、揺れていた。
(……あれ?)
奏は、息を止めた。
キヴィアの目は、冷たくて、鋭くて、それなのに。
(必死だ)
奏には、そう見えた。
この人は、本心から「駒」と言っているわけじゃない。そう言わなければ、自分が立っていられないのだ。
「ふざけるな」
ザイロが、机を拳で叩いた。
木の机が、鈍い音を立てる。
「俺たちは、お前の駒じゃねぇ。死んでいった奴らも、駒なんかじゃなかった」
「感傷か。戦場では無意味だ」
キヴィアは、表情を変えない。
「無意味でも何でもねぇ。俺は、部下を無駄に死なせたくない。それだけだ」
「……ならば、勝てる手を出せ。お前たちに、それができるのか」
キヴィアの声が、わずかに低くなった。
「私が知る限り、お前たちは昨夜、イブリスに有効な打撃を与えられなかった。再生の霧を止める手段もない。違うか」
沈黙。
誰も、何も言えない。
事実だった。
ザイロの雷撃も、ツァーヴの狙撃も、タツヤの斬り込みも。
イブリスには、届かなかった。
「……あります」
声が、震えた。
でも、奏は言った。
「僕の、歌で……イブリスを、封じられるかもしれません」
全員の視線が、奏に集まった。
キヴィアが、ゆっくりと奏の方を向いた。
「……何だ、それは」
「ドッタさんが、敵の通信機を盗み出してくれて……そこに、イブリスの弱点が書いてあったんです。特定の音律、つまり、歌で……封じられるって」
奏は、必死に言葉を繋いだ。
「成功例は、数件しかないそうです。でも、昨夜、僕の歌で、再生の霧が薄くなった。だから、もしかしたら……」
「成功率は」
キヴィアが、遮った。
「……え?」
「封じの成功率だ。聞いている」
「……記録に残る成功例は、数件だけだと」
奏の声が、小さくなる。
キヴィアは、鼻で笑った。
「非効率な祈祷に、命を懸ける気? 歌で魔王現象が封じられるなど、前例が少なすぎる。お前の歌が、昨夜たまたま霧を揺らしただけかもしれない」
「たまたま、じゃ……」
「たまたまだ。根拠がない」
キヴィアの言葉が、鋭い刃のように、奏の胸に突き刺さる。
(また、たまたまって言われた)
初任務の後も、そうだった。
キヴィアは、奏の歌を「何の価値もない」と切り捨てた。
「いい加減にしろよ」
ザイロが、奏の前に立った。
「こいつの歌が、たまたまじゃねぇことは、俺が知ってる。ドッタの出血を止めた。恐怖で動けなくなった兵士を、立ち上がらせた。お前が見てなくても、事実だ」
「俺も見たっすよ。兄貴の言う通り、あの歌には何かある」
ツァーヴが、ライフルを肩に担ぎ直しながら言った。
「……う、あ」
タツヤが、ひしゃげた兜の下で、小さく唸った。
「わ、私も……あの歌がなければ、昨夜は逃げ出したままだった。……多分」
ベネティムが、目を泳がせながら言った。
「おれも……歌が聞こえた時、ちょっとだけ、痛いのが楽になった」
ドッタが、包帯の上から自分の腹を押さえて、小さく笑った。
キヴィアは、しばらく奏を見ていた。
黒い瞳が、奏の顔を、じっと。
「……他に有効打がない以上、その歌とやらに賭けるしかない、ということか」
キヴィアが、小さく息を吐いた。
「認める。ただし、作戦は私が指揮する。お前たちは、私の指示に従え。いいな」
「……あんたが前線に出るのか」
ザイロが、意外そうに言った。
「当然だ。私が立てた作戦だ。私が責任を取る」
キヴィアは、それだけ言うと、地図に視線を落とした。
「作戦を説明する。イブリスは、今夜までに完全に再生する。迎え撃つ場所は、要塞前庭。そこで、お前たちの歌で動きを鈍らせ、私とザイロで畳みかける」
「……僕も、前線に?」
「歌うのはお前だ。最前線で歌え。ただし、私がお前の盾になる。勝手に死ぬな」
キヴィアの言葉は、冷たかった。
でも、奏には、それが、彼女なりの「守る」という意思表示に聞こえた。
(この人は、本当は……)
奏は、こくりと頷いた。
「……わかりました。僕、歌います」
「死ぬなよ、お前ら」
ザイロが、低く言った。
「死ぬかよ、兄貴」
「死にたくないです……」
「……う」
「おれ、また何か盗んでくる」
ドッタの言葉に、誰もが、ほんの少しだけ、笑った。
――その時だった。
ドォォォォン!!!
地響き。
会議室の壁が、揺れた。
「来たぞ!」
廊下から、兵士の叫び声が響く。
キヴィアが、剣を抜いた。
「全員、配置につけ。イブリスが、再生を完了した」
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要塞前庭は、地獄だった。
黒い霧が、うねりながら空を覆っている。
その中心に、あの巨人が立っていた。
二本の湾曲した角。黒曜石のような皮膚。体高十二メートル。
魔王現象十五号、イブリス。
昨夜よりも、さらに巨大に見える。
イブリスが、腕を振るう。
――ガゴォォォン!!!
城壁が、粉々に砕けた。
石の破片が、雨のように降り注ぐ。
「ひっ……」
奏は、足がすくんだ。
(あれが、再生したイブリス)
(僕の歌で、本当に、あれを封じられるの?)
怖い。
怖くて、怖くて、逃げ出したかった。
「久遠」
ザイロが、奏の肩を掴んだ。
「お前の歌は、俺が信じる。だから、歌え。俺たちが、お前を守る」
「……はい」
奏は、古い詩集を胸に抱いた。
「配置につけ! まずは、異形の群れを引き離す! ツァーヴ、狙撃でイブリスの目を狙え! タツヤ、前衛! ベネティム、陽動で退路を塞げ! ドッタ、通信妨害を続行しろ!」
キヴィアの声が、戦場に響く。
彼女は、聖印武器を手に、前線へ駆け出した。
「了解っす! 狙撃、始めます!」
ツァーヴが、瓦礫の上に伏せ、魔導式ライフルを構えた。
「……う、あああ!」
タツヤが、戦斧を振り上げ、異形の群れに突っ込んでいく。
「わ、私が陽動……!? 無理無理無理……でも、やるしかないか……!」
ベネティムが、悲鳴のような声を上げながら、反対側へ走る。
「通信機……通信機……あ、あった」
ドッタが、這いつくばりながら、敵の通信機を探り当てた。
奏は、震える足で、前庭の中央に立った。
周りでは、兵士たちが倒れ、血を流し、それでも剣を振るっている。
(歌わなきゃ)
(僕の歌で、みんなを)
奏は、深く息を吸い込んだ。
――風よ、吹け。
声が、出た。
震えていた。
かすれていた。
でも、確かに、歌だった。
――この胸の、痛みごと。
――運んでおくれ。
――遠い、遠い、空の果てへ。
奏の歌声が、戦場に流れ始める。
その瞬間。
奏の首の聖印が、淡く光った。
光が、歌声に重なり、波紋のように広がっていく。
「な、なんだ……?」
倒れていた兵士が、顔を上げた。
「体が……軽い……?」
別の兵士が、震える手で剣を握り直す。
傷ついた者たちが、立ち上がる。
恐怖で凍えていた者たちが、動き出す。
奏の歌が、彼らを、支えていた。
「……これが」
キヴィアは、異形の一体を斬り伏せながら、振り返った。
奏の歌が、戦場を包んでいる。
傷が癒えていく。
恐怖が和らいでいく。
(勇者は、駒だ)
(切り捨てて、当然の)
(……そう、思っていた)
キヴィアの胸の中で、何かが、音を立てて崩れていく。
「くっ……!」
キヴィアは、歯を食いしばり、再び前を向いた。
「私の常識が、間違っているだと……? いや、まだだ。まだ、認めない」
彼女は、自分に言い聞かせるように呟き、剣を振るった。
――イブリスが、動いた。
「グォォォォォォォン!!!」
咆哮。
再生の霧が、濃くなる。
でも。
奏の歌が、その霧を、揺らした。
霧が、薄れていく。
イブリスの動きが、明らかに、鈍くなった。
「効いてる! 効いてるぞ!」
ベネティムが、叫んだ。
「まだだ! もっとだ、奏! もっと、歌え!」
ザイロが、雷撃の聖印を輝かせ、イブリスに向かって駆ける。
「目を狙います! 一発で仕留めるっす!」
ツァーヴが、引き金を引いた。
――バシュッ!
魔導弾が、イブリスの左目に命中する。
「グギャァァァァァ!!!」
イブリスが、顔を押さえてよろめいた。
「今だ! タツヤ!」
「……う、おおおおお!」
タツヤが、戦斧を両手で振り上げ、イブリスの右足に叩きつけた。
――ガキィィィン!!!
黒曜石の皮膚が、砕ける。
「退路は塞いだっす! こっちからは逃げられないっすよ!」
ベネティムが、崩れた瓦礫を積み上げて、異形の退路を塞いでいた。
「通信……妨害……もっと……もっと……」
ドッタが、通信機に何かを仕掛けている。
イブリスの動きが、さらに遅くなる。
奏の歌が、イブリスの再生の霧を、確実に弱らせていた。
「あと少し……あと少しで……!」
キヴィアが、イブリスの注意を引くように、正面から斬りかかる。
だが。
――ドォォォォン!!!
イブリスが、最後の力で、腕を振り回した。
「きゃあっ!」
「うわああああ!」
兵士たちが、吹き飛ばされる。
「くっ……!」
キヴィアも、衝撃波で体勢を崩した。
その時。
奏の声が、かすれた。
「――――っ」
喉が、焼けるように痛い。
声が、出ない。
(限界……なのに)
(まだ、歌わなきゃ)
奏は、必死に声を絞り出そうとした。
でも、空気が漏れるだけだった。
「奏! まだだ! 立て!」
ザイロが、叫ぶ。
でも、奏の膝が、折れた。
「……う、あ……」
奏が、地面に崩れ落ちる。
その瞬間。
イブリスが、奏に向かって、腕を振り下ろした。
「――っ!」
死ぬ。
そう思った。
――ガキィィィィン!!!
金属音。
目の前に、影が立った。
真っ直ぐな黒髪。
青い軍服。
聖騎士団長の剣。
「歌いなさい」
キヴィアが、イブリスの腕を、剣で受け止めていた。
「あんたの歌、確かに届いてるわ。だから、歌いなさい。最後まで、歌い切るのよ」
キヴィアの声が、震えていた。
いや、違う。
剣が、軋んでいる。
彼女の両腕が、イブリスの圧力に、押し潰されそうになっている。
「……でも、声が……」
「出しなさい! あんたの歌を、待ってる者がいる! 私が、守る! だから!」
キヴィアが、叫んだ。
奏は、キヴィアの背中を見た。
小さい。
自分と同じくらいの、華奢な背中。
それなのに。
この人は、僕を守るために、立っている。
(歌わなきゃ)
(僕の歌を、信じてくれてる人がいる)
(だから)
奏は、震える手で、地面を掴んだ。
立ち上がる。
喉が、裂けそうだ。
それでも。
奏は、口を開いた。
――闇よ、明けろ。
声が、出た。
かすれた、小さな声。
――この声が、届くなら。
――どうか、彼の者に。
――最後の、光を。
奏の歌が、イブリスに、届いた。
その瞬間。
イブリスの動きが、完全に止まった。
再生の霧が、消えた。
黒曜石の皮膚が、白く、白く、結晶化していく。
「今だ! ザイロ!」
キヴィアが、叫んだ。
「おおおおおおおお!!!」
ザイロが、雷撃の聖印を最大出力で輝かせ、イブリスの胸に、掌を叩きつけた。
――ズドォォォォォォン!!!
青白い雷が、イブリスの巨体を貫く。
「頭を撃ち抜くっす!」
ツァーヴが、最後の一発を、イブリスの頭部に撃ち込んだ。
――バシュッ!
結晶化した頭部が、粉々に砕ける。
「……う、おおおおお!」
タツヤが、戦斧を振り下ろし、結晶化した右足を、完全に破壊した。
――ガシャァァァァン!!!
イブリスの巨体が、音を立てて、崩れ落ちていく。
白い結晶が、朝日に照らされて、キラキラと輝いた。
「やった……のか……?」
ベネティムが、呆然と呟いた。
「やりました! 兄貴! やりましたよ!」
ツァーヴが、ライフルを掲げて叫んだ。
「……おわった」
ドッタが、地面に大の字に倒れた。
「……ああ、終わった」
ザイロが、結晶の山を見上げて、小さく息を吐いた。
その時。
「――――っ」
奏が、声にならない声を上げて、倒れた。
「奏!」
ザイロが、駆け寄る。
だが、その前に。
キヴィアが、奏の体を、抱きかかえていた。
「……よくやった。あんたの歌が、イブリスを封じた」
キヴィアの声が、柔らかかった。
奏は、声を失っていた。
喉が、動かない。
「喋らなくていい。休め。あんたは、駒なんかじゃない。……この子は、駒じゃない。あんたたちも、ね」
キヴィアが、奏の頭を、そっと支えた。
「……キヴィア」
ザイロが、キヴィアの前に立った。
キヴィアは、奏をザイロに託した。
「お前たちを駒扱いしたことを、謝罪するわ。……すまなかった」
キヴィアが、深く、頭を下げた。
ザイロは、何も言わなかった。
ただ、一度だけ、頷いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
夜が、来た。
戦いの混乱が収まった要塞には、静けさが戻っていた。
治療院の一角。
奏は、ベッドの上で、目を閉じていた。
声は、まだ戻らない。
でも、呼吸は、穏やかだった。
枕元には、テオリッタが、静かに寄り添っていた。
雪のような白い肌。炎のような金髪。燃えるような赤い瞳。
女神は、奏の髪を、そっと撫でた。
「よくやった、我が騎士の歌い手よ。お前の歌は、確かに、世界を変えた。この私が、褒め讃えてやろう」
テオリッタの声は、いつもの尊大さよりも、ずっと優しかった。
「……だから、早く目を覚ませ。褒め讃えた暁には、お前の頭を撫でてやる。約束だ」
テオリッタは、そう言って、奏の額に、そっと手を置いた。
――一方。
ザイロは、要塞の城壁に、一人で立っていた。
手には、古い詩集。
自分が、かつて詩人を志していた頃に、読み耽っていたものだ。
「……歌、か」
ザイロは、月を見上げた。
「俺が、詩人になろうとしたのは、言葉で誰かを救えると思ったからだ。……あいつの歌は、本当に、人を救いやがる」
ザイロは、小さく笑った。
「ちっ、面倒くせぇ。だが……悪くねぇ」
城壁の上。
キヴィアも、一人で立っていた。
彼女は、遠くの山々を眺めていた。
「……奏の歌がなければ、私はまた、同じ過ちを繰り返していただろう」
キヴィアは、自分の手を見た。
剣だこだらけの、女の手。
「勇者を、信じるな。規律を守れ。……そうやって、私は、何を守ってきた?」
彼女は、静かに、空を見上げた。
「勇者制度そのものが、間違っているのかもしれない。……いや、違う。私が、間違っていた」
キヴィアは、深く息を吸い込んだ。
「だが、今は、まだ。私にできることを、やるだけだ」
彼女は、そう呟いて、城壁を降りていった。
――要塞の外。
結晶化したイブリスの残骸が、月明かりに照らされていた。
白く、冷たく、静かだった。
だが。
その遥か遠く。
アルヴェイン山脈の向こう。
新たな歪みが、微かに、揺らぎ始めていた。
誰も、まだ、気づかない。
夜風が、結晶の上を、音もなく通り過ぎていった。Noveliaとは?
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