勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録 ――転移詩人の鎮魂歌
教室の片隅で息を潜めるように詩集を読む少年・久遠奏は、ある日図書館で見つけた古い本の力で異世界へと飛ばされてしまう。目覚めた先で彼の首に浮かんだのは、穢れた色をした「聖印」だった。聖印を持つ者は勇者として徴用される――それがこの大陸の掟。何もしていないのに罪を着せられ、彼は「懲罰勇者」として最前線の要塞へ送られることになる。殺されても蘇生され、死ぬことすら許されない使い捨ての兵士として。
同じ護送車に乗せられたのは、窃盗千件超えのドッタ、詐欺と横領の常習犯ベネティム、そして兜を被ったまま一言も発しない謎の男。そして、やたらと人懐っこい笑顔の裏に何かを隠した男ツァーヴ。犯罪者たちと共に送り込まれた先は、減員率四割という懲罰勇者9004隊だった。
詩を愛し、歌うことを奪われた少年が、言葉の力を武器に絶望の最前線を生き抜く。声なき詩が、いつか鎮魂歌となる日まで――。
勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録 ――転移詩人の鎮魂歌 - 役立たずの初日、それでも歌は口から零れる
朝の光が、ミューリッド要塞の石壁を白く照らしていた。
転移から三日目の朝。久遠奏は、冷たい石畳の上に立っていた。
目の前に広がるのは、広大な訓練場。土埃が舞い、男たちの荒い息遣いと、木剣が打ち合う鈍い音が響いている。
奏の手には、一本の木剣が握られていた。
重い。たったこれだけのものが、どうしてこんなに重いのか。
指先が震えている。心臓の音が、耳の奥でうるさいほどに鳴っている。
「……あの、すみません」
声は、訓練場の喧騒にかき消された。
誰も聞いていない。聞く気もない。
奏の向かいには、筋骨隆々とした男が立っていた。懲罰勇者の一人。名前は知らない。いや、知りたくもなかった。
男は、奏を上から下までじろりと眺め、鼻で笑った。
「おいおい、なんだこの細っこいのは。剣、持ったことあんのか?」
「あ、あの、僕は……」
「まあいい。どっちみち、すぐに終わる」
男が、木剣を構えた。
奏は、反射的に目を閉じた。
ドッ、という衝撃。
地面が、背中から奏を打った。
息が止まる。視界が、ぐるりと回る。
何が起きたのか、一瞬、分からなかった。
遅れて、腹に鈍い痛みが走る。
「……え?」
奏は、地面に倒れていた。
木剣は、手から離れ、土の上に転がっている。
男は、つまらなそうに木剣を肩に担いだ。
「終わり。話にならねえな」
周囲から、どっと笑い声が上がった。
「なんだありゃ、一瞬で終わったぞ」
「あれが異世界人か? 弱すぎるだろ」
「あんなのが勇者刑だって? 笑わせるな」
笑い声。
嘲りの視線。
奏は、起き上がれなかった。
いや、起き上がる気力が、なかった。
(俺は……何をしているんだ)
土の匂いが、鼻の奥にへばりつく。
唇の端に、鉄の味が広がった。切れたらしい。
遠くで、誰かが心配そうにこちらを見ている気配があった。
小柄な男。ドッタだ。
護送車で一緒だった、窃盗犯の男。
ドッタは、おどおどと周囲を窺いながら、それでも奏のことを見ていた。
でも、助けには来ない。
来られないのだ。この場所では、誰もが自分のことで精一杯だった。
「……立てよ」
男が、奏の足を小突いた。
「いつまで寝てんだ。訓練にならねえだろ」
奏は、ゆっくりと体を起こした。
腕が震える。膝が笑う。
(怖い)
ただ、それだけだった。
——その時だった。
「おい、てめえら、何してやがる」
訓練場の空気が、一瞬で変わった。
笑い声が、ぴたりと止む。
兵士たちが、一斉に声のした方へ顔を向け、背筋を伸ばした。
奏も、声のした方を見た。
男が、立っていた。
黒に近い焦げ茶の短髪。無造作に跳ねた髪の下から、鋭い琥珀色の瞳が、訓練場をねめつけている。
左頬に、古い傷跡。無精髭。
身長は、百八十五センチはあるだろうか。
両手足には、奇妙な紋様が刻まれていた。雷撃の聖印。
ザイロ・フォルバーツ。
懲罰勇者9004隊の隊長。
奏は、その男を初めて見た。
「お前ら、朝っぱらから何をだらだらしてやがる。訓練なら訓練らしくやれ。それとも、死にてえのか」
ザイロの声は、訓練場の隅々まで響き渡った。
怒鳴っているのに、不思議と耳に心地よい、通る声だった。
兵士たちは、誰一人として反論しない。
ただ、黙ってザイロを見つめている。
その時、小柄な男が、ザイロの前に駆け寄ってきた。
「あ、兄貴! 聞いてくださいよ! こいつら、全然使えねえんです!」
陽気な声。
護送車で、ずっとドッタをからかっていた男。ツァーヴだ。
ツァーヴは、奏を指差した。
「特にあいつ! 異世界から来たって奴! 剣も持てねえ、走りも遅え、何もできねえ! おまけに、さっき一瞬でぶっ倒れました! 兄貴、こいつ、本当に使えねえっすよ!」
ツァーヴは、まるで自慢話でもするかのように、明るく報告した。
その無邪気さが、奏の胸を深くえぐった。
ザイロは、ツァーヴの報告を聞きながら、奏の方をちらりと見た。
そして、目を細めた。
奏の首元。
濁った聖印が、朝の光の中で、どす黒く浮かび上がっていた。
一瞬の沈黙。
ザイロは、何も言わなかった。
ただ、もう一度、奏の顔をじっと見た。
その瞳に、何が映っているのか、奏には分からなかった。
「……ベネティムはどこだ」
「へ? あ、ああ、ベネティムの旦那なら、たしか……あっちで言い訳してましたよ」
ツァーヴが指差した先。
訓練場の隅で、一人の男が、兵士たちに囲まれていた。
ベネティムだ。
護送車で、ずっと自分の無実を訴えていた、詐欺師の男。
「だから、違うんです! これは盗んだんじゃない! 預かってただけです! あの小さいのが勝手に持ってきたんです!」
ベネティムは、必死に言い訳をしていた。
その手には、訓練用の聖印式木剣が握られている。
国が管理する訓練器具だ。
「うるせえ! 盗んだのはお前だろうが!」
「違います! 俺はただ、盗まれたものを回収しただけです! むしろ感謝してほしいくらいですよ!」
「何が感謝だ! この前も同じこと言ってただろうが!」
「あれはあれ、これはこれです! ほら、この木剣、ちゃんと返しますから! ね? これでチャラってことで!」
ベネティムは、木剣を兵士に押し付けようとした。
しかし、兵士はそれを払いのけた。
「チャラなわけあるか! 責任者を呼べ!」
騒ぎは、どんどん大きくなっていく。
ザイロは、その様子を、心底面倒くさそうな顔で見ていた。
「……ちっ」
小さく舌打ちをして、ザイロは歩き出した。
ザイロが近づくと、兵士たちが道を開けた。
「ベネティム」
「ひっ! ザ、ザイロさん! これはですね、深い事情が……」
「黙れ」
たった一言で、ベネティムの口が止まった。
「てめえ、また盗みやがったな。何度言わせる。訓練用の木剣は、国が管理してる代物だ。盗めば、どうなるか分かってんだろうが」
「す、すみません! つい、出来心で……」
「出来心で済むか。お前のその手癖のせいで、隊全体が罰を受けるんだぞ」
「そ、それは……申し訳ないというか、なんというか……」
ベネティムは、目を泳がせた。
その時、ドッタが、おずおずと手を挙げた。
「あの……実は、俺が盗ったんです。ベネティムさんは、俺をかばって……」
「おい、ドッタ! お前、何言ってんだ!」
「だって……本当のことだし……」
「本当のこと言えばいいってもんじゃねえんだよ! バカ野郎!」
ザイロは、二人を交互に見た。
「……どっちでもいい。盗んだのは事実だ。二人とも、後で武器庫の掃除をしてこい。一週間だ」
「い、一週間!?」
「そんな……俺、掃除とか無理なんですけど……」
「文句があるなら、今ここで首を刎ねてやる。どっちがいい?」
ザイロの声は、冗談を言っているようには聞こえなかった。
ドッタとベネティムは、青ざめて黙り込んだ。
ザイロは、それから、奏の方を振り返った。
「……おい、異世界人」
「は、はい……」
「てめえも、さっさと訓練に戻れ。ここは遊び場じゃねえ」
奏は、小さく頷いた。
逃げ出したい。
今すぐ、この場から。
でも、足が動かない。
(ここで逃げたら……もう、終わりだ)
奏は、震える足で、訓練場の中央へ戻った。
ザイロは、そんな奏の背中を、無言で見送った。
——訓練は、地獄だった。
ザイロは、容赦なく奏を実戦形式の訓練に放り込んだ。
剣を振る。倒される。
避ける。倒される。
受ける。倒される。
何度も、何度も、何度も。
「立て」
ザイロは、倒れた奏に、それだけを言った。
手を貸すことは、一度もなかった。
奏は、歯を食いしばって立ち上がった。
膝が、笑っている。
腕が、上がらない。
それでも、立つ。
(立て、立て、立て)
心の中で、自分に言い聞かせる。
また、倒される。
「立て」
また、立つ。
その繰り返し。
周囲の兵士たちは、もう笑わなかった。
ただ、無言で、奏が倒れるのを見ていた。
何度目かの模擬戦で、奏は、地面に倒れたまま、動けなくなった。
息が、できない。
全身が、痛い。
視界が、霞む。
(もう……無理だ)
奏は、心の中で、そう思った。
「……立て」
また、声がした。
でも、体が動かない。
「立てって言ってんだ。聞こえねえのか」
奏は、ゆっくりと首を横に振った。
「……もう、無理です」
声が、かすれた。
ザイロは、しばらく奏を見下ろしていた。
「……そうか」
それだけ言って、ザイロは背を向けた。
「今日はここまでだ。全員、解散」
兵士たちが、ぞろぞろと訓練場を去っていく。
奏は、地面に倒れたまま、空を見上げていた。
(……見捨てられた?)
いや、違う。
ザイロは、最後まで奏を責めなかった。
無理に立たせようともしなかった。
ただ、立てと言い続けた。
その冷たさの奥に、奏は、奇妙な安心感を覚えていた。
(あの人は……俺を見捨ててない)
なぜか、そう思った。
——訓練後。
奏は、治療院のベッドに横たわっていた。
治療院は、要塞の一角にある小さな建物だった。
薬草の匂いと、消毒液の匂いが混ざっている。
奏の体には、無数の打ち身と擦り傷があった。
治療院の男が、無言で奏の傷に軟膏を塗っていく。
奏は、天井を見つめながら、考えていた。
(俺は、勇者刑という制度の中で……完全に戦力外だ)
勇者刑。
罪を犯した勇者に科される、最悪の刑罰。
聖印を維持したまま懲罰部隊に編入され、最も危険な戦場に送られる。
減員率は、年間約四割。
(十人いれば、一年で四人は死ぬ)
奏は、護送車の中で聞いた言葉を思い出した。
その時、隣のベッドから、声が聞こえてきた。
「なあ、聞いたか? 懲罰勇者9004隊って、減員率四割らしいぜ」
「ああ。あの部隊は、特にやばいらしいな。この前も、何人か死んだって」
「で、あの異世界人。来月まで持つと思うか?」
「はっ、無理だろ。今日の訓練見たか? あれじゃ、雑魚にも勝てねえよ」
兵士たちは、奏に聞こえるように、わざと大きな声で話していた。
奏は、唇を噛んだ。
(来月まで……持たない?)
怖い。
でも、それ以上に、悔しかった。
(俺は……ここで死ぬのか?)
奏は、枕元に置いてあった古い詩集を、ぎゅっと抱きしめた。
黒い革表紙。
異世界に来るきっかけになった、あの詩集。
(これだけは……手放せない)
奏は、詩集を胸に抱いたまま、目を閉じた。
——夜。
要塞の片隅。
誰もいない城壁の物陰で、奏は、一人で座っていた。
空には、見知らぬ星が、無数に瞬いていた。
月の光が、石畳を青白く照らしている。
奏は、詩集を開いた。
ページをめくる。
元の世界の言葉で書かれた、見慣れた文字。
奏は、小さく、息を吐いた。
そして、自然と、口が動いた。
——風よ、吹け。
——この胸の、痛みごと。
——運んでおくれ。
——遠い、遠い、空の果てへ。
誰にも聞かせるつもりのない、小さな歌。
声は、夜の空気に溶けて消えていく。
その時だった。
奏の首元の聖印が、かすかに光った。
「……え?」
奏は、自分の首に手を当てた。
聖印が、微かに、温かい。
そして、全身を覆っていた打ち身の痛みが、ふっと和らいだ。
「なんで……?」
奏には、理由が分からなかった。
ただ、歌を口ずさんだだけだ。
それなのに、聖印が反応した。
(歌うと……聖印が光る?)
奏は、もう一度、詩を口ずさんでみた。
——風よ、吹け。
聖印が、また、かすかに光った。
体の奥から、じんわりと温かいものが広がっていく。
(本当だ……痛みが、消えていく)
奏は、自分の体に何が起きているのか、理解できなかった。
でも、確かに、歌には力があった。
——その様子を、物陰から、一人の男が見ていた。
ザイロ・フォルバーツ。
ザイロは、腕を組み、壁に寄りかかって、奏の歌を最後まで黙って聞いていた。
奏が歌い終わり、詩集を閉じる。
ザイロは、何も言わずに、その場を去った。
ただ、その琥珀色の瞳には、これまでとは違う光が宿っていた。
——翌朝。
訓練場に、朝日が差し込む。
奏は、昨日の疲れがまだ残る体で、訓練場に立っていた。
そこへ、ザイロがやってきた。
ザイロは、奏の前で足を止めた。
「おい」
「は、はい……」
「昨日の夜、何を歌ってた」
奏は、一瞬、言葉に詰まった。
(聞かれてた……?)
「……詩集の……ただの詩です」
「詩集?」
「はい。元の世界の……古い詩集です」
ザイロは、奏の手に握られた黒い詩集を、じっと見た。
そして、短く、命じた。
「歌え」
「……え?」
「今日の訓練の前に、もう一度歌ってみせろ」
奏は、戸惑った。
でも、ザイロの冷たい目が、どこか真剣であることに気づいた。
(この人は……本気だ)
奏は、深呼吸をした。
そして、震える声で、歌い始めた。
——風よ、吹け。
——この胸の、痛みごと。
軍靴の音が響く訓練場の朝に、異世界の詩の旋律が、小さく溶けていく。
ザイロは、目を閉じて、その歌を聞いていた。
朝の光が、奏の首元の聖印を、ほんの少しだけ、照らしていた。Noveliaとは?
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