勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録 ――転移詩人の鎮魂歌
教室の片隅で息を潜めるように詩集を読む少年・久遠奏は、ある日図書館で見つけた古い本の力で異世界へと飛ばされてしまう。目覚めた先で彼の首に浮かんだのは、穢れた色をした「聖印」だった。聖印を持つ者は勇者として徴用される――それがこの大陸の掟。何もしていないのに罪を着せられ、彼は「懲罰勇者」として最前線の要塞へ送られることになる。殺されても蘇生され、死ぬことすら許されない使い捨ての兵士として。
同じ護送車に乗せられたのは、窃盗千件超えのドッタ、詐欺と横領の常習犯ベネティム、そして兜を被ったまま一言も発しない謎の男。そして、やたらと人懐っこい笑顔の裏に何かを隠した男ツァーヴ。犯罪者たちと共に送り込まれた先は、減員率四割という懲罰勇者9004隊だった。
詩を愛し、歌うことを奪われた少年が、言葉の力を武器に絶望の最前線を生き抜く。声なき詩が、いつか鎮魂歌となる日まで――。
勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録 ――転移詩人の鎮魂歌 - 女神降臨、そして最悪の日
訓練場の土が、夕暮れの光に赤く染まっていた。
久遠奏は、木剣を握る手にじっとりと汗をかくのを感じていた。あの初任務から二日。ドッタの血の匂いも、震える声で歌った詩も、ザイロの「捨てるな」という短い言葉も、まだ体の奥に残っている。
(僕の歌は、誰かを守れる)
そう信じたい。でも、キヴィアの冷たい声が、何度も耳の奥で繰り返される。
「たまたまだ」
違う。そう言い返せたらどんなに楽だろう。奏は唇を噛んだ。
「おい、久遠」
低い声が、訓練場の空気を裂いた。振り返る。黒に近い焦げ茶の短髪を無造作に跳ねさせた男が立っていた。左頬に古い傷。無精髭。鋭い琥珀色の瞳が、奏をじっと見据えている。ザイロ・フォルバーツ。懲罰勇者9004隊の隊長だ。
「は、はい」
奏は背筋を伸ばした。
「来い。見せたいものがある」
「見せたいもの……ですか?」
「いいから来い」
ザイロはそれだけ言うと、背を向けて歩き出した。奏は慌てて後を追う。
二人は、要塞の西側にある簡易神殿へ向かった。
「テオリッタ・チャペル」
石造りの小さな建物で、懲罰勇者たちが戦勝祈願に使う場所だ。でも、今は違った。
チャペルの入り口には、見慣れない兵士が二人、槍を構えて立っていた。聖騎士団の紋章が入った青い旗が、風にはためいている。
「あの、ザイロさん……何が?」
「黙って見てろ」
ザイロは兵士たちに顎で合図した。兵士たちは一礼し、扉を開ける。
薄暗いチャペルの中に、一歩踏み入れた瞬間。
奏は、息を止めた。
部屋の中央に、棺があった。
いや、正確には、棺だったもの。黒い石でできた古びた棺が、開かれている。その中から、淡い金色の光が漏れ出ていた。
「な、なんですか……あれ」
奏の声が震えた。
「ドッタが盗んできた」
「ドッタさんが……?」
「あいつ、また余計なものを盗みやがった。軍部が極秘で輸送中だった代物らしい。面倒くせぇことになりかけてたところだ」
ザイロは苦々しげに言った。
「じゃあ、あの棺は……」
「見ての通りだ。中に、女神が眠ってた」
「女神……?」
その時だった。
棺の中の光が、一気に強くなった。
――ガッ。
重い音がして、棺の蓋が完全に開く。
中から、手が伸びた。
白い、細い、少女のような手。
奏は、後ずさりした。
「ひっ……」
声にならない悲鳴が、喉から漏れる。
光の中で、影が起き上がった。
雪のような白い肌。炎のような金髪。燃えるような赤い瞳。
少女だった。
いや、少女ではない。
その存在は、空気ごと周囲を塗り替えていた。立っているだけで、チャペルの中の温度が上がった気がする。神々しい、という言葉が、あまりに陳腐に感じられるほどの圧倒的な存在感。
「……我が騎士」
声が、響いた。
鈴を転がすような、それでいてどこか威厳のある声。
テオリッタ。剣の女神。
彼女は、真っ直ぐにザイロを見ていた。
「我が騎士……って、俺のことか」
ザイロは、辟易したように頭を掻いた。
「そうだ。お前だ。私は、お前に会うために目覚めた」
テオリッタは、棺からゆっくりと立ち上がった。身長は百五十五センチほど。小柄な体から、想像もできないほどの力が溢れ出している。
「……ちっ、面倒くせぇ」
「面倒くさい、ではない。これは運命だ。お前は私の騎士。私はお前の女神。契約は、もう結ばれている」
「はあ? 契約? 俺は何もしてねぇぞ」
「契約は、魂の共鳴によって結ばれる。お前が私の棺に触れた瞬間、私の聖印はお前を選んだのだ」
テオリッタは、自分の左頬から首、胸元、心臓にかけて走る聖印を指でなぞった。
「お前の体の一部を、私は受け取る。それが契約の証。お前の痛み、お前の過去、お前の罪。すべてを、私は知っている」
ザイロの表情が、一瞬だけ強張った。
「……知ってる、だと?」
「知っている。お前が女神を殺したことも。お前が背負っているものも。だからこそ、私はお前を選んだ」
沈黙が、チャペルを満たした。
奏は、息をすることすら忘れて、二人のやりとりを見つめていた。
(女神……本物の、女神……)
心臓が、胸の奥で激しく脈打っている。
「……ふん」
先に沈黙を破ったのは、ザイロだった。
「勝手に選んだのはお前だ。俺は知らねぇぞ」
「素直ではないな。だが、それでいい。お前は私を褒め讃え、そして頭を撫でる。それだけで十分だ」
「はあ!? 頭を撫でる!? 何言ってやがる!」
「敵を殲滅した暁には、この私を褒め讃え……そして頭を撫でなさい。これが、私とお前の契約の条件だ」
テオリッタは、当然のように言い放った。
「ふざけんな! なんで俺が、女神の頭なんか撫でなきゃならねぇんだ!」
「私は、褒められるために戦う。褒め讃えられるために、剣を振るう。それが女神というものだ。お前は私の騎士として、私を褒め讃え、頭を撫でる義務がある」
「どんな理屈だ! 意味が分からん!」
「分からなくていい。従えばいい。さあ、今すぐ頭を撫でなさい」
テオリッタは、ザイロの前に歩み寄り、金色の髪を差し出した。
「……ちっ」
ザイロは、しばらくテオリッタを睨みつけていたが、やがて観念したように、大きな手をテオリッタの頭に置いた。
「……こうか」
ザイロの手が、恐る恐る、テオリッタの髪を撫でる。
「うむ。悪くない。もう少し丁寧に、だ」
「注文が多いんだよ!」
ザイロは怒鳴ったが、手は止めなかった。
奏は、その光景を呆然と見つめていた。
(女神に、頭を撫でろって……)
理解が追いつかない。
でも、確かに、そこには女神がいた。
――その時だった。
「……お前」
テオリッタの視線が、奏に向けられた。
燃えるような赤い瞳が、奏の首元をじっと見つめている。
「え……あ、あの、僕は……」
奏は、思わず一歩後ずさった。
「お前の聖印……濁っているな。だが、その奥に、何かがある」
テオリッタは、奏に近づいた。
「歌の力だ。お前の聖印には、歌の力の残滓が宿っている」
「歌の力……?」
「その歌、私に聞かせなさい」
テオリッタは、有無を言わさぬ口調で命じた。
「え……でも、僕の歌は、大したものじゃ……」
「聞かせなさい」
テオリッタの赤い瞳が、奏を射抜く。
奏は、ごくりと唾を飲み込んだ。
(歌う……女神の前で……)
怖い。でも、逃げられない。
奏は、震える手で、いつもの革表紙の手帳を開いた。
――風よ、吹け。
最初の一節が、震える声で漏れた。
――この胸の、痛みごと。
――運んでおくれ。
――遠い、遠い、空の果てへ。
チャペルの中に、奏の歌声が響く。
首元の聖印が、かすかに光った。
歌い終わった。
静寂。
テオリッタは、目を閉じていた。
「……ふむ」
テオリッタが、目を開けた。
「悪くない。お前の歌、私をもっと褒め讃えるための歌にしなさい」
「……え?」
「私の偉大さを、私の美しさを、私の強さを、歌で褒め讃えるのだ。そうすれば、お前の歌はもっと輝く」
テオリッタは、無邪気に言った。
「あ、あの……僕の歌は、人を癒すためのもので……」
「癒す? それもいい。だが、私を褒め讃える歌こそが、最高の歌だ。お前の歌の力は、私のために使うのだ」
「……は、はい」
奏は、よく分からないまま頷いた。
すると、テオリッタの表情が、ふっと真剣なものに変わった。
「……この子の歌には、何かがある」
小さな呟きだった。
でも、その声には、先ほどまでの無邪気さはなかった。
「単なる癒やしの力ではない。もっと深い、もっと根源的な……何かが、この子の歌には眠っている」
テオリッタは、奏の目を真っ直ぐに見つめた。
「お前、自分の歌の本当の力を、まだ知らないな」
「……はい。僕も、まだよく分からなくて」
「いずれ分かる。だが、急ぐな。力は、必要な時に目覚めるものだ」
テオリッタは、そう言って、ふっと笑った。
その笑顔は、不思議と温かくて、奏の胸の奥が、じわりと温かくなった。
(僕の歌には……何かがある)
テオリッタの言葉が、胸に染み込んでいく。
自分の歌が、女神に認められた。
それが、嬉しかった。
――その時だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ。
警報が、要塞全体に響き渡った。
低く、重い、空気を震わせるような警報音。
「な、なに!?」
奏は、飛び上がった。
ザイロの顔色が、一瞬で変わった。
「敵襲か」
ザイロは、チャペルの扉を蹴破るようにして外へ出た。
夕暮れの空が、不気味な紫色に染まっていた。
いや、違う。
あれは、空の色じゃない。
「歪み……!」
ザイロが、低く唸った。
要塞の北側、アルヴェイン山脈の方角から、黒い霧のようなものが、ゆっくりと迫ってきている。
あれが、歪み。魔王現象の出現に伴って発生する空間異常。
「まさか……イブリスか」
ザイロの声が、震えた。
イブリス。魔王現象十五号。二本の湾曲した角と黒曜石のような皮膚を持つ、体高十二メートルの巨人型魔王現象。
「ザイロさん……あれ、あれって」
奏の声は、恐怖で裏返っていた。
「お前は下がってろ。テオリッタ、行くぞ」
「うむ。我が騎士の初陣だ。見せてみせよ」
テオリッタは、不敵に笑った。
――ドォォォォォン!!!
地響きが、要塞を揺らした。
城壁の向こうで、何かが爆発した。
悲鳴。怒号。破壊音。
戦いの音が、一気に近づいてくる。
「久遠! 後方支援だ! 治療院の手伝いに行け! 歌で、負傷者を癒せ!」
「は、はい!」
奏は、走り出した。
心臓が、胸の奥で激しく脈打っている。
怖い。
足が、震える。
でも、今は、やるしかない。
――要塞は、総力戦に突入していた。
城壁の上では、兵士たちが弓を放ち、魔法を撃ち、必死に抵抗している。
しかし、イブリスの巨体は、そんな攻撃をものともしない。
「くそっ! 効かねぇ!」
「再生の霧が……! 傷が、塞がっていく!」
イブリスの体は、黒い霧に包まれていた。
その霧が、傷を癒やし、再生させていく。
何度倒しても甦る。
それが、イブリス。
「おい、なんで援軍が来ないんだ!?」
「聖騎士団は!? キヴィア様は何をしてる!?」
兵士たちの怒号が飛び交う。
――その時だった。
「――――――」
イブリスが、口を開けた。
黒い霧が、イブリスの口元に集まっていく。
次の瞬間。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
轟音。
城壁の一部が、粉々に吹き飛んだ。
「うわあああああああ!!!」
悲鳴が、響き渡る。
逃げ遅れた民間人たちが、瓦礫の下敷きになった。
「たすけて……!」
「おかあさん……!」
子供の泣き声。
血の匂い。
崩れた城壁の隙間から、イブリスの巨体が、要塞内に侵入してくる。
「ひっ……!」
奏は、その場に立ちすくんだ。
体が、動かない。
(怖い……怖い……怖い……)
足が、地面に張り付いたように動かない。
呼吸が、浅くなる。
視界が、狭くなる。
――その時だった。
「奏!」
声がした。
振り返ると、ドッタが立っていた。
小柄な体を震わせながら、それでも奏の前に立とうとしている。
「に、逃げるんだ! 早く!」
ドッタは、奏の手を引こうとした。
――ドォォォォン!!!
イブリスの拳が、すぐ近くの建物を粉砕した。
瓦礫が、飛んでくる。
「――――!」
ドッタが、奏を突き飛ばした。
「え……?」
奏は、地面に倒れた。
ドッタの体が、瓦礫の下に消えた。
「……ドッタさん……?」
奏は、震える声で呟いた。
瓦礫の下から、血が流れ出している。
「ドッタさん! ドッタさん!!」
奏は、瓦礫に駆け寄った。
ドッタの体は、下半身が瓦礫に挟まれていた。
「……に、げ……ろ……」
ドッタの声は、かすれていた。
「いやだ……いやだ……!」
奏は、瓦礫をどかそうとした。
でも、動かない。
「歌え……お前の歌で……癒せ……」
ドッタが、血を吐きながら言った。
「う、歌……歌を……」
奏は、口を開けた。
――風よ、吹け。
声が、出ない。
――この胸の……
喉が、引きつる。
(出ない……声が出ない……!)
恐怖が、奏の喉を締め付ける。
「うぁ……あぁ……」
涙が、溢れてくる。
歌えない。
ドッタの血が、地面に広がっていく。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「おい、何してやがる!」
怒鳴り声。
ザイロが、血まみれで立っていた。
「ドッタを運べ! 治療院だ!」
ザイロは、瓦礫を力任せにどかした。
「ザイロさん……僕、僕、歌が……」
「今はいい! 運ぶぞ!」
ザイロは、ドッタを抱え上げた。
「お前も来い! 死ぬなよ!」
奏は、必死に立ち上がった。
足が、震える。
でも、走った。
――治療院は、地獄だった。
負傷者があふれ、血の匂いが充満している。
医者も看護師も、数が足りない。
「ドッタ! ドッタを頼む!」
ザイロは、ドッタをベッドに寝かせた。
ドッタの顔は、青白く、呼吸も浅い。
「……死ぬなよ、ドッタ」
ザイロは、ドッタの手を握った。
「……すみません……俺、また……余計なこと……」
「喋るな。体力を使う」
「……奏、の……歌……聞きたかった……」
ドッタが、かすかに笑った。
奏の胸が、締め付けられる。
(僕のせいだ……僕が、歌えなかったから……)
奏は、拳を握りしめた。
――その時だった。
「ザイロ! 状況はどうなってる!?」
声がした。
振り返ると、パトーシェ・キヴィアが立っていた。
真っ直ぐな黒髪を後ろで一つに束ね、鋭い切れ長の黒い瞳が、治療院の中を睨みつけている。
「見ての通りだ。地獄だよ」
「援軍はまだ来ないのか!?」
「はあ? お前が言うのか? お前が、援軍を遅らせたんじゃねぇのか?」
ザイロの声が、低く、冷たくなった。
「……何の話だ」
「とぼけんな。お前が、聖騎士団に連絡を入れたのは、ついさっきだろ。お前が独断で、援軍の要請を遅らせたんだ」
キヴィアの表情が、強張った。
「……私は、最善の判断をしただけだ。懲罰勇者を前線に出し、消耗させてから、聖騎士団を投入する。それが、被害を最小限に抑える方法だ」
「てめぇ……!」
ザイロが、キヴィアに詰め寄った。
「俺たちを、使い捨ての駒だと思ってやがるな!」
「違う。私は、勇者制度の監督官として、最も効率的な戦術を選んだまでだ。お前たち懲罰勇者は、そのためにいる」
「ふざけんな! 俺たちは、てめぇの道具じゃねぇ!」
「勇者を信じるな。規律を守れ。それが、私のやり方だ」
キヴィアは、冷たく言い放った。
「……お前は、それでいいのか。ドッタが死んでも、俺たちが全滅しても、『規律を守った』って言うのか?」
ザイロの声は、怒りで震えていた。
「……私は、女神のための戦いに、私情を挟まない。お前たちの命は、女神のために捧げられるべきものだ」
「てめぇ……本当に、ぶっ殺してやる」
ザイロの手が、キヴィアの胸ぐらを掴んだ。
「やめなさい、我が騎士」
声がした。
テオリッタが、治療院の入り口に立っていた。
「テオリッタ……」
「今は、争っている場合ではない。敵は、すぐそこにいる」
テオリッタは、キヴィアを見た。
「お前が、私の本来の契約者だった者か」
「……テオリッタ様」
キヴィアは、テオリッタの前で片膝をついた。
「お前の忠誠は、評価する。だが、今は、お前のやり方では、誰も救えない」
「……しかし、私は」
「黙りなさい。私の騎士は、ザイロだ。お前ではない。お前は、自分の役割を果たしなさい」
テオリッタの声は、冷たかった。
キヴィアは、唇を噛みしめ、立ち上がった。
「……了解しました」
キヴィアは、背を向けて、治療院を出て行った。
「……ちっ」
ザイロは、舌打ちした。
「あいつは、あれでいいのか」
「いいわけがない。だが、今は、あれに構っている余裕はない」
テオリッタは、ドッタのベッドに近づいた。
「……この子は、死にかけているな」
「え……!」
奏は、ドッタの顔を見た。
呼吸が、弱くなっている。
「……テオリッタ様、何とかならないんですか!?」
「私の力は、剣を召喚する力。癒やしの力はない」
「そんな……」
奏は、絶望した。
「だが、お前には、歌がある」
テオリッタは、奏を見た。
「でも、僕、声が出なくて……」
「歌いなさい。私が、お前の声を支える」
テオリッタは、奏の手を握った。
「え……?」
「お前の歌には、力がある。私が保証する。だから、歌いなさい。この子のために」
テオリッタの赤い瞳が、奏を真っ直ぐに見つめる。
奏は、震える息を吸い込んだ。
(歌うんだ。僕にできるのは、歌うことだけだ)
奏は、口を開けた。
――風よ、吹け。
声が、出た。
震えている。でも、出た。
――この胸の、痛みごと。
――運んでおくれ。
――遠い、遠い、空の果てへ。
首元の聖印が、光る。
テオリッタの手から、温かい力が流れ込んでくる。
――光よ、癒やせ。
奏は、新しい歌を紡いだ。
――傷ついた者に、安らぎを。
――苦しむ者に、救いを。
――私の声が、届く限り。
聖印の光が、強くなる。
ドッタの体を、淡い光が包み込んだ。
「……あ……」
ドッタの口から、小さな息が漏れた。
出血が、止まっていく。
「効いてる……!」
奏は、歌い続けた。
涙が、頬を伝う。
でも、歌う。
ドッタのために。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――その夜。
戦いは、まだ終わっていなかった。
イブリスは、要塞の北側を完全に破壊し、今もなお、再生を繰り返しながら進軍を続けている。
「ちっ、援軍はまだか!」
ザイロは、要塞の司令室で、地図を睨んでいた。
「……連絡が取れません。聖騎士団は、まだ帝都を出ていないようです」
「キヴィアの野郎……!」
ザイロは、拳を机に叩きつけた。
「ツァーヴはどうした!?」
「城壁の上で狙撃中です。ですが、再生の霧のせいで、決定打にならないと……」
「タツヤは!?」
「正面から斬り込んでいますが……何度倒しても、すぐに再生します」
「ベネティムは!?」
「……それが、その、逃げ出そうとして、見張りに捕まりました」
「あの野郎……! 後でぶっ殺す!」
ザイロは、怒りで髪を掻きむしった。
「……どうする、我が騎士」
テオリッタが、静かに尋ねた。
「……作戦を変える。イブリスを、北の城壁跡地に誘い込む。そこで、俺の雷撃とテオリッタの剣で、一気に畳みかける」
「再生の霧がある限り、決定打にはならないぞ」
「分かってる。だが、やるしかねぇ。このままじゃ、要塞が持たん」
ザイロは、地図に印をつけた。
「久遠、お前は治療院で負傷者の手当てを続けろ。歌で、一人でも多く救え」
「は、はい」
「……死ぬなよ」
ザイロは、奏の肩を軽く叩き、司令室を出て行った。
――治療院。
奏は、歌い続けた。
喉が、張り裂けそうだ。
でも、歌う。
「お前の歌は、何の役にも立たない」
声がした。
負傷した懲罰勇者の一人が、奏を睨んでいた。
「え……」
「聞こえねぇのか? お前の歌は、何の役にも立たないって言ってるんだ」
「そ、そんなこと……」
「実際、お前の歌で、誰が救われた? ドッタは、まだ死にかけてる。他の奴らも、どんどん死んでる。お前の歌なんか、何の意味もない」
男の言葉が、奏の胸に突き刺さる。
「でも……でも……」
「うるせぇ! 歌いたきゃ、どっか行って歌え! ここは、死に場所だ!」
男は、奏に唾を吐きかけた。
奏は、立ち尽くした。
(何の役にも立たない……)
キヴィアの言葉が、蘇る。
(たまたまだ)
違う。そう信じたかった。
でも、現実は、これだ。
ドッタは、まだ死にかけている。
タツヤは、深手を負った。
ベネティムは、逃げ出した。
ツァーヴの狙撃も、効かない。
ザイロの作戦も、成功するか分からない。
――全部、僕のせいだ。
僕が、もっと強ければ。
僕の歌が、もっと強ければ。
「……うぅ……」
奏は、その場に崩れ落ちた。
涙が、止まらない。
――その時だった。
「歌いなさい」
声がした。
顔を上げると、テオリッタが立っていた。
「テオリッタ……様……」
「歌いなさい。お前の歌は、確かに、この子を生かした。今も、生かし続けている。それは、事実だ」
テオリッタは、ドッタのベッドを指差した。
ドッタの胸が、ゆっくりと上下している。
「でも……僕の歌は、何の役にも……」
「誰が言った? あの男か? あの男の言葉に、何の価値がある? お前の歌を聞いて、救われた者がいる。それが、答えだ」
テオリッタは、奏の前にしゃがみ込んだ。
「私が、お前の声を支える。だから、歌いなさい。お前の歌は、世界を変える力になる」
テオリッタの手が、奏の頭に触れた。
温かい。
「……はい」
奏は、涙を拭い、立ち上がった。
――風よ、吹け。
声が、出た。
さっきより、少しだけ、強い声。
――この胸の、痛みごと。
――運んでおくれ。
――遠い、遠い、空の果てへ。
奏は、歌い続けた。
ドッタのために。
負傷者のために。
そして、自分のために。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――夜が、更けていく。
要塞の外では、イブリスの咆哮が、断続的に響いていた。
戦いは、まだ終わらない。
奏は、歌いながら、思った。
(僕は、歌で誰かを守る)
(ザイロさんが、言ってくれた)
(テオリッタ様が、信じてくれた)
(だから、僕は、歌う)
(声が枯れても、倒れても、歌い続ける)
奏の歌声は、治療院の外にまで、響いていた。
その歌声は、戦場の喧騒の中で、確かに、希望の光のように、響いていた。
――だが、イブリスは、まだ、そこにいる。
再生の霧を纏い、その巨体は、要塞を睨みつけていた。Noveliaとは?
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