勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録 ――転移詩人の鎮魂歌
教室の片隅で息を潜めるように詩集を読む少年・久遠奏は、ある日図書館で見つけた古い本の力で異世界へと飛ばされてしまう。目覚めた先で彼の首に浮かんだのは、穢れた色をした「聖印」だった。聖印を持つ者は勇者として徴用される――それがこの大陸の掟。何もしていないのに罪を着せられ、彼は「懲罰勇者」として最前線の要塞へ送られることになる。殺されても蘇生され、死ぬことすら許されない使い捨ての兵士として。
同じ護送車に乗せられたのは、窃盗千件超えのドッタ、詐欺と横領の常習犯ベネティム、そして兜を被ったまま一言も発しない謎の男。そして、やたらと人懐っこい笑顔の裏に何かを隠した男ツァーヴ。犯罪者たちと共に送り込まれた先は、減員率四割という懲罰勇者9004隊だった。
詩を愛し、歌うことを奪われた少年が、言葉の力を武器に絶望の最前線を生き抜く。声なき詩が、いつか鎮魂歌となる日まで――。
勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録 ――転移詩人の鎮魂歌 - 初任務、震える歌と血の匂い
訓練場の土が、朝の光に白く乾いていた。
久遠奏は、木剣を握る手にじっとりと汗をかくのを感じていた。あれから五日。ザイロに「歌え」と命じられた翌朝のことを、奏は何度も思い返していた。歌うたびに、首の聖印がほんの少しだけ光る。体の痛みが和らぐ。それが何を意味するのか、奏にはまだ分からない。でも、確かに何かが変わり始めている。
(でも、戦う力にはならない)
奏は唇を噛んだ。訓練場では、他の懲罰勇者たちが汗を流している。鉄の匂い。土埃。怒号。そのすべてが、奏には遠い世界のもののように感じられた。
「おい、久遠」
低い声が、後ろから聞こえた。
振り返る。そこには、黒に近い焦げ茶の短髪を無造作に跳ねさせた男が立っていた。左頬に古い傷。無精髭。鋭い琥珀色の瞳が、奏をじっと見据えている。ザイロ・フォルバーツ。懲罰勇者9004隊の隊長だ。
「は、はい」
奏は背筋を伸ばした。
「今日、お前も来い。初任務だ」
「……え?」
初任務。その言葉が、奏の頭の中に重く響いた。
「要塞の北の森に、霧喰らいの小隊が出た。数は多くねえ。偵察がてら、掃討する」
霧喰らい。奏は護送車の中で聞いた言葉を思い出した。歪みの周辺に発生する小型の魔物。体長は一メートルほど。群れで行動し、生きた生物の生命力を吸う。危険度は低い。でも、それは戦える人間にとっての話だ。
「あの……僕、戦えません」
奏の声は、自分でも情けなくなるほど小さかった。
「分かってる」
ザイロの返事は、驚くほどあっさりしていた。
「だが、来い。後方で見てるだけでいい。戦場の空気を知れ」
戦場の空気。奏はゴクリと唾を飲み込んだ。怖い。行きたくない。でも、断る勇気もない。
「……分かりました」
奏は小さく頷いた。
「死ぬなよ」
ザイロはそれだけ言うと、背を向けて歩き出した。その広い背中を、奏はただ見つめていた。
――死ぬなよ。
たった一言。でも、その言葉が、奏の胸の奥にじわりと染み込んでいく。この人に「死ぬな」と言われた。それだけで、ほんの少しだけ、怖さが和らいだ気がした。
装備庫は、要塞の東側にあった。
薄暗い石造りの部屋の中に、武器や防具が整然と並んでいる。鉄と油の匂いが鼻をついた。奏は、言われるままに古びた革の胸当てを受け取った。重い。これだけで肩が凝りそうだ。
「お、兄貴の歌い手さん、初陣っすね!」
陽気な声が響いた。ツァーヴだ。護送車で一緒だった、殺人罪の男。彼は魔導式ライフルを軽々と肩に担ぎ、ニコニコと奏に近づいてきた。
「あ、はい……」
奏は思わず一歩後ずさった。
「大丈夫っすよ、後ろにいれば。僕が全部撃ち抜きますから!」
ツァーヴは、まるで遠足にでも行くかのような明るさだった。その無邪気さが、逆に怖い。
「ツァーヴ、うるせえ」
ザイロが低く言った。
「へーい」
ツァーヴは笑いながら、狙撃用の魔導式ライフルを手際よく点検し始めた。長い銃身が、薄暗い装備庫の中で鈍く光る。
その隣では、タツヤが無言で戦斧を手に取っていた。錆びた兜をかぶり、失われた後頭部から中身が出ないようにしている男。彼は何も言わない。ただ、巨大な斧を片手で持ち上げ、その重さを確かめるように軽く振った。ブン、という空気を裂く音。奏は息を呑んだ。
(あんなの、当たったら一瞬で死ぬ)
奏は、自分の手に握られた木剣を見下ろした。これが、自分の武器。おもちゃみたいだ。
「お前、それで戦う気か?」
声がした。振り返ると、ベネティムがヘラヘラと笑いながら立っていた。口先だけの天才詐欺師。彼は軽装で、武器らしい武器も持っていない。
「いえ……護身用に、って言われて」
「護身用ねえ。まあ、気休めだな」
ベネティムは肩をすくめた。
「俺は交渉担当だから、後ろで見てるよ。君も一緒に、安全な場所で祈ってようぜ」
「……そうします」
奏は素直に頷いた。
「ベネティム、お前も来るんだ。逃げたら殺す」
ザイロが、冷たい声で言った。
「え、殺す? それ本気? 冗談きついなあ」
ベネティムは笑っているが、その声はわずかに震えていた。
「俺は逃げねえよ。逃げるより、兄貴の近くにいる方が安全だって知ってるからな」
「だったら喋ってねえで準備しろ」
「へいへい」
ベネティムは、軽い足取りで装備庫の奥へ消えていった。
奏は、ドッタの姿を探した。小柄な窃盗犯の男は、装備庫の隅っこで、小さな短剣を手に震えていた。
「ドッタさん」
奏が声をかけると、ドッタはビクッと肩を跳ねさせた。
「あ、ああ……奏くん」
ドッタは、泣きそうな顔で振り返った。
「大丈夫ですか? 顔色が……」
「大丈夫なわけないよぉ……俺、戦いとか無理なんだよ。盗むのは得意だけど、殺し合いとか……怖いよぉ」
ドッタの声は、今にも消え入りそうだった。奏は、この小柄な男が、自分と同じくらい怖がっていることを知った。
(この人も、怖いんだ)
奏は、ほんの少しだけ、心が軽くなった気がした。自分だけじゃない。怖いのは、自分だけじゃない。
「僕も、怖いです。でも、一緒に頑張りましょう」
奏は、自分に言い聞かせるように言った。
「うん……うん、そうだね」
ドッタは、涙を拭いながら、何度も頷いた。
――北門。
重い鉄の門が、ゆっくりと開いていく。朝の光が、要塞の外の景色を照らし出した。
アルヴェイン山脈の稜線が、青空に鋭く浮かび上がっている。山の麓には、深い森が広がっていた。あの森に、霧喰らいがいる。奏は、手に汗をかきながら、その森を見つめた。
「隊列は、俺、タツヤ、ドッタ、奏、ベネティム、ツァーヴは後方から自由狙撃。異形を見つけたら、俺が指示を出す。勝手に動くな」
ザイロの声は、戦場の空気を切り裂くように鋭かった。
「了解っす!」
ツァーヴは、ライフルを抱えて、ひらりと城壁の上へ駆け上がっていった。あっという間に、その姿は小さくなる。
「行くぞ」
ザイロが先頭に立ち、歩き出した。タツヤが無言で続く。奏は、震える足で、その後を追った。
森の入り口は、思ったより近かった。
木々が生い茂り、朝の光が葉の隙間から細く差し込む。地面は湿っていて、足を取られそうになる。どこからか、鳥の声が聞こえた。それ以外は、不気味なほど静かだ。
(これが、戦場の空気)
奏は、胸の奥が冷たくなっていくのを感じた。
「……おい、ドッタ。先行して、周囲を探ってこい」
ザイロが、低い声で命じた。
「え……俺が? 一人で?」
ドッタの顔が、真っ青になった。
「お前の夜目と気配を殺す技術は、この中で一番だ。行け」
「で、でも……」
「死ぬなよ。何かあったら、大声を出せ。すぐに駆けつける」
ドッタは、泣きそうな顔で奏をちらりと見た。奏は、何も言えなかった。ただ、小さく頷くことしかできなかった。
「……行ってくるよぉ」
ドッタは、短剣を握りしめ、木々の間に消えていった。
奏は、その後ろ姿を見送りながら、祈るような気持ちだった。
(どうか、無事で)
それから、どれくらい経っただろう。
ザイロは、腕を組んで、じっと森の奥を見つめていた。タツヤは、微動だにせず、戦斧を地面に突き立てている。ベネティムは、落ち着きなく周囲をきょろきょろと見回していた。
奏は、自分の心臓の音が、やけに大きく聞こえるのを感じていた。
――その時だった。
「ギャアアアアアッ!!」
悲鳴が、森の奥から響き渡った。
ドッタの声だ。
「ドッタさん!」
奏の体が、勝手に動いていた。
「おい、待て!」
ザイロの制止の声も、奏の耳には届かなかった。
奏は、木々の間を駆け抜けた。枝が頬をかすめ、切れた。血の味が、唇に広がる。足がもつれる。転びそうになる。それでも、走る。
(ドッタさん! ドッタさん!)
悲鳴のした方へ、全速力で。
――開けた場所に出た。
奏は、息を呑んだ。
そこには、ドッタが倒れていた。腹から、血が流れている。その周りを、五体の異形が取り囲んでいた。
霧喰らい。
体長一メートルほどの、黒い霧をまとった獣のような生き物。その体は、輪郭がぼやけていて、目だけが赤く光っている。彼らは、低い唸り声を上げながら、倒れたドッタにじりじりと近づいていた。
「……あ」
奏の喉から、かすれた声が漏れた。
怖い。
体が、震える。
声が、出ない。
(助けなきゃ)
頭では分かっている。でも、体が動かない。足が、地面に張り付いたように動かない。
「う……うあ……」
ドッタが、苦しそうに呻いた。血が、どんどん流れ出ている。このままだと、死んでしまう。
(死んじゃう)
奏の頭の中に、その言葉がぐるぐると回る。
(ドッタさんが、死んじゃう)
――その瞬間だった。
奏の手が、無意識に、胸のポケットにあった詩集を握りしめていた。
(歌えば……何かできるかもしれない)
奏は、震える唇を開いた。
「……風よ」
声が、出た。
かすかで、震えていて、今にも消えてしまいそうな声。
「吹け……」
奏は、詩集の一節を、声に出して読み始めた。
――風よ、吹け。
――この胸の、痛みごと。
――運んでおくれ。
――遠い、遠い、空の果てへ。
声は、震えていた。音程も、外れていた。でも、奏は歌った。
その時だった。
奏の首の聖印が、光った。
ぼんやりと、でも確かに。濁った聖印が、淡い光を放ち始めた。
光は、奏の体から、空気の中へと広がっていく。
そして――。
ドッタの腹から流れていた血が、わずかに、ほんのわずかに、その流れを緩めた。
「……え?」
奏は、自分の目を疑った。
出血が、止まったわけじゃない。でも、明らかに、勢いが弱くなっている。
(歌が……効いてる?)
奏は、歌い続けた。声が震えても、喉が張り裂けそうでも、歌い続けた。
――風よ、吹け。
聖印が、また光る。
霧喰らいたちが、動きを止めた。赤い目が、一斉に奏の方を向く。
「ギシャアアアア!!」
一匹が、奏に向かって飛びかかってきた。
「……!」
奏は、反射的に目を閉じた。
――ドゴォッ!!
轟音。
目を開けると、飛びかかってきた霧喰らいが、黒い煙となって消えていくところだった。
「馬鹿野郎が! 勝手に突っ走りやがって!」
ザイロの怒声が、響き渡った。
ザイロは、両手に雷をまとっていた。掌から、青白い火花が散っている。雷撃魔法。彼の聖印が、眩い光を放っていた。
「タツヤ! 右の二匹をやれ! ツァーヴ、左から狙撃しろ!」
ザイロの指示が飛ぶ。
タツヤが、無言で戦斧を振りかぶった。
ズバァッ!!
空気が裂ける。霧喰らいの一匹が、胴体を真っ二つにされて、黒い霧となって消えた。
――パァン!
乾いた銃声。
遠くから放たれた弾丸が、もう一匹の霧喰らいの頭を吹き飛ばした。ツァーヴの狙撃だ。
「おらおら、次はどいつだ!」
ツァーヴの陽気な声が、森に響く。
ザイロが、雷撃を放つ。
バチィッ!!
青白い光が、霧喰らいを貫く。
「ギャアアアッ!」
断末魔。
残った霧喰らいは、逃げようとした。だが、タツヤの斧が、それを許さない。
ズシャッ!
最後の一匹が、地面に叩きつけられ、黒い霧となって消えた。
戦闘は、一瞬で終わった。
奏は、その場にへたり込んでいた。足が、ガクガクと震える。心臓が、胸の奥で激しく脈打っている。
(終わった……?)
奏は、震える手で、ドッタの方を見た。
ドッタは、まだ倒れていた。でも、出血は、さっきよりずっと少ない。ザイロが、ドッタのそばに膝をつき、止血の聖印を刻んだ布を腹に押し当てた。
「ドッタ、聞こえるか」
「う……うぅ……痛いよぉ……」
ドッタの声は弱々しいが、意識はある。
「大丈夫だ。すぐに戻る。死なせるかよ」
ザイロは、ドッタの体を抱え上げた。
「ベネティム、お前も手伝え。タツヤ、周囲の警戒。ツァーヴ、先に要塞に戻って治療院に連絡しろ」
「りょーかいっす!」
ツァーヴの声が、遠くから聞こえた。
奏は、まだ動けなかった。
「……おい」
ザイロが、奏の前に立った。
「は、はい……」
奏は、顔を上げた。
ザイロの琥珀色の瞳が、奏をじっと見下ろしていた。怒っている。でも、その奥に、何か別の感情があるような気がした。
「お前の歌、捨てるな」
短い、一言だった。
「……え?」
「ドッタの出血が、お前の歌で弱まった。それだけじゃねえ。俺の雷撃も、タツヤの斧も、あの歌の後、なんか調子が良かった気がする。気のせいかもしれねえがな」
ザイロは、ドッタを抱えたまま、背を向けた。
「帰るぞ。立てるか」
「……は、はい」
奏は、震える足で立ち上がった。
涙が、出そうだった。でも、必死にこらえた。
(僕の歌が……誰かの役に立った)
その事実が、奏の胸の奥で、じんわりと熱くなった。
――要塞の治療院。
白い壁。消毒液の匂い。
ドッタは、治療院のベッドに寝かされ、治療魔法と薬草による手当てを受けていた。奏の歌で出血が抑えられていたおかげで、傷は深いが、命に別状はないらしい。
「よかったぁ……死ぬかと思ったよぉ……」
ドッタは、ベッドの上で泣いていた。
「本当に、よかったです」
奏は、心からそう言った。
「お前の歌、使えるじゃねえか」
声がした。振り返ると、ベネティムが壁に寄りかかって立っていた。彼は、いつものヘラヘラした笑みではなく、少しだけ真面目な顔をしていた。
「……え?」
「いや、だから。お前の歌、使えるって言ったんだ。ドッタの血、あのままだったら、多分、要塞に着く前に死んでた。お前の歌がなかったらな」
ベネティムは、肩をすくめた。
「珍しく、素直に認めるじゃねえか」
ザイロが、治療院の入り口から入ってきた。
「俺だって、たまには本当のことを言うさ」
「どうだか」
ザイロは、ドッタのベッドのそばに立ち、その顔を覗き込んだ。
「ドッタ、生きてるか」
「兄貴……俺、もう駄目かと思った……」
「馬鹿野郎。死なせるかよ」
ザイロは、ドッタの頭を軽く小突いた。
「それより、お前、あの場で一人で突っ込んだな。命令違反だ。後で反省文書け」
「ええっ!? あ、あれは、その、体が勝手に……」
「言い訳すんな」
ザイロの声は厳しいが、その目は、どこか優しかった。
奏は、そのやり取りを、ほっとした気持ちで見ていた。
――その時だった。
「お話し中、失礼する」
冷たい声が、治療院に響いた。
全員が、入り口の方を見る。
そこには、一人の女性が立っていた。
真っ直ぐな黒髪を後ろで一つに束ね、鋭い切れ長の黒い瞳。左腰に、聖騎士団長時代の剣を携えている。身長は百七十センチほど。常に真剣な表情を崩さない、氷のような雰囲気の女性。
パトーシェ・キヴィア。
元第十三聖騎士団長。勇者制度の監督官。
奏は、この女性を初めて見た。
(この人が……)
キヴィアは、無言で奏の前に立った。
「お前が、異世界から来たという、久遠奏か」
「は、はい……」
奏は、背筋を伸ばした。キヴィアの視線が、氷のように冷たい。
「今日の任務でのお前の行動を、報告で読んだ。戦闘中に、勝手に持ち場を離れ、独断で前線に飛び出したそうだな」
「……すみません」
奏は、小さく謝った。
「謝罪など求めていない。事実を確認しているだけだ」
キヴィアの声は、感情が全く感じられなかった。
「懲罰勇者の歌など、何の価値もない。お前の歌がドッタの出血を抑えた? たまたまだ。たまたま、あの場の魔力の流れが、お前の歌と共鳴しただけのこと」
奏の胸に、冷たい刃が突き刺さった。
「……そんな」
「次はないわよ」
キヴィアは、奏を真っ直ぐに見据えた。
「お前は戦力ではない。足手まといだ。それでも、懲罰勇者として前線に立つのなら、規律を守れ。勝手な行動は、部隊全体の死につながる」
「……はい」
奏は、俯いた。
(僕は……足手まとい)
キヴィアの言葉は、事実だった。奏は、何も言い返せなかった。
「おい」
ザイロが、一歩前に出た。
「キヴィア、そいつは俺の部隊の歌い手だ。外野が口を挟むな」
ザイロの声は、低く、怒りを帯びていた。
「歌い手? 笑わせるな。懲罰勇者に、歌い手などという役職は存在しない。お前の部隊の規律が緩んでいるから、今日のような命令違反が起きるのだ」
キヴィアは、一歩も引かなかった。
「俺の部隊の規律は、俺が決める。お前に指図される筋合いはねえ」
「私は勇者制度の監督官だ。お前たちの行動を監視し、必要とあれば報告する義務がある」
「好きにしろ。だが、こいつの歌を否定するなら、それは俺の部隊への干渉だ。覚えておけ」
ザイロとキヴィアの視線が、火花を散らす。
治療院の空気が、張り詰めた。
「……分かった。だが、次に命令違反があれば、勇者刑務局に報告する。それだけは忘れるな」
キヴィアは、そう言い残すと、背を向けて治療院を出て行った。
その後ろ姿を、ザイロは、何も言わずに見送った。
「……すみません」
奏は、ザイロに謝った。
「お前が謝ることじゃねえ。あいつは、いつもああだ」
ザイロは、ため息をついた。
「だが、命令違反は事実だ。次からは、勝手に動くな。お前が死んだら、ドッタも死んでたかもしれねえ。お前の歌が、結果的にドッタを救った。それは事実だ。だが、お前が死んでたら、歌も何もねえ。生きて歌え」
「……はい」
奏は、深く頷いた。
――夜。
要塞の城壁の物陰。
奏は、一人で座っていた。
空には、星が瞬いている。月の光が、石畳を青白く照らしていた。
奏は、詩集を開いた。
今日のことを思い出す。
霧喰らいの赤い目。ドッタの悲鳴。血の匂い。震える声で歌った詩。光る聖印。ザイロの「捨てるな」という言葉。キヴィアの冷たい視線。
(僕の歌は、価値があるのか)
キヴィアの言葉が、胸に突き刺さったままだ。
「たまたまだ」
そうかもしれない。
でも、ザイロは「捨てるな」と言った。
(どっちが本当なんだろう)
奏は、空を見上げた。
――その時だった。
「また、ここか」
声がした。
振り返ると、ザイロが立っていた。
「あ、ザイロさん」
「隣、いいか」
「どうぞ」
ザイロは、奏の隣に、どっかりと腰を下ろした。
しばらく、二人とも黙っていた。
夜風が、城壁の上を吹き抜けていく。
「……俺は、詩人になりたかった」
突然、ザイロが言った。
「……え?」
奏は、ザイロの顔を見た。
「昔の話だ。軍人にならなきゃ、詩人になってた。詩集を読むのが好きでな。今でも、たまに読む」
ザイロは、遠くを見るような目をしていた。
「お前の歌を聞いた時、思い出したんだ。言葉には、力がある。武器にはなれなくても、誰かを生かすことはできる」
ザイロは、奏の方を向いた。
「お前の歌は、武器にはならねえ。だが、誰かを生かすことはできる。今日、ドッタが生きてるのが、その証拠だ」
奏の胸の奥が、熱くなった。
「……ありがとうございます」
奏の声は、震えていた。
「泣くな。うっとうしい」
ザイロは、奏の頭を軽く小突いた。
「でも……キヴィアさんは、僕の歌は価値がないって」
「あいつは、勇者を信じてねえ。勇者ってだけで、何もかも否定する。あいつの言うことなんか、気にするな」
「……はい」
奏は、涙を拭った。
「次こそは、もっと役に立ちたいです」
奏は、自分の手を見つめながら言った。
「僕は、戦えない。でも、歌で、誰かを守れるかもしれない。今日、初めて、そう思えたんです」
「……そうか」
ザイロは、短く答えた。
「なら、死ぬな。生きて、歌い続けろ。それが、お前にできる唯一のことだ」
「はい」
奏は、強く頷いた。
夜風が、二人の間を吹き抜けていく。
奏は、詩集を胸に抱きしめた。
(僕は、歌で誰かを守る)
その決意は、まだ小さくて、脆いものだった。
でも、確かに、奏の心の中に根を張り始めていた。
――その頃。
要塞の外。
北の森の奥深く。
黒い霧が、ゆっくりと蠢いていた。
それは、霧喰らいの死骸から立ち上る、かすかな残滓。
霧は、まるで意思を持つかのように、一箇所に集まっていく。
そして、小さな、しかし不気味な塊となって、夜の闇に溶けていった。
――新たな異形の動き。
それは、まだ誰も知らない。Noveliaとは?
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