戦火のあとに咲く
戦争が終わった。けれど、僕の戦いはまだ終わらない。
大戦終結から三日。王都に復興の槌音が響く中、リオン・フォウ・バルトファルトは執務机の上に積み上げられた書類の山と格闘していた。戦争の英雄だの外道騎士だのと祭り上げられ、気づけば爵位まで手に入れてしまった彼が望んでいたのは、目立たず騒がず、細々と暮らす平穏な人生だった。それなのに現実はどうだ。戦後賠償の請求書、復興支援の割り当て表、領地経営の報告書——報酬の少ない雑務ばかりが次から次へと押し付けられる。
愚痴をこぼすリオンの傍らには、いつものように赤い一つ目の浮遊球体——相棒のルクシオンがいた。旧文明の遺産であるロストアイテムにして、膨大な知識を持つ人工知能。辛辣なツッコミを入れ、時にリオンの命を救い、常に傍らにいてくれる、かけがえのない戦友。そう、リオンは信じていた。
その日、戦後処理の一環として地下保管庫の調査に出たリオンは、旧文明のデータ端末に触れてしまった。偶発的に再生された映像に映っていたのは、銀色の長い髪を持つ美しい女性。彼女は寂しげに微笑み、こう呼びかけた。
「——ルクシオン」
映像の中で、女性はルクシオンによく
戦火のあとに咲く - 偽りの縁、本物の絆 ― 承 ― 聖女の微笑みと広場の影
夕暮れの王都ヴェルムートは、昨日よりも少しだけ静かだった。
バルトファルト家の仮邸の窓から差し込む光は、橙色を通り越して薄紫色に変わりつつある。リオン・フォウ・バルトファルトは執務机の前に座ったまま、羽根ペンを握る手を止めていた。書類の上に落ちる影が、心の内側に広がる暗がりと重なって見える。
昨日の夜、ルクシオンの記憶データに触れてから、リオンの胸の奥には冷たい何かが居座り続けていた。銀色の髪の女性。寂しげな微笑み。ルクシオンの名を呼ぶ、優しい声。その映像が、目を閉じるたびに蘇る。
(あれは、誰だ)
リオンは羽根ペンを置き、左手首に巻いた革製の腕輪に指を触れた。ルクシオンの端末を模した、飾り気のない腕輪。戦場を共に駆け抜けてきた相棒の証。その相棒が、自分に隠していることがある。
「マスター。書類の進みが遅すぎます。このペースでは、夜明けまでに終わりませんよ」
机の隅に浮かぶ赤い一つ目が、抑揚のない声でそう告げた。ルクシオンは昨日と同じ場所に浮かんでいる。昨日と同じ声で、昨日と同じようにリオンを急かす。何も変わっていない。
「うるせえ。こっちは考え事してんだよ」
リオンは顔を上げずに答えた。声に力が入らない。普段なら、もっと毒舌を返してやるところだ。だが、今日のリオンにはその気力がなかった。
「考え事、ですか。マスターに思考があるとは意外です。てっきり、報酬の計算しかできない頭だと思っていました」
「……ああ、そうだよ。金の計算をしてたんだ。戦後賠償の書類が終わったら、いくらもらえるかってな」
リオンは適当に言い返した。本当は、金の計算なんてしていない。ルクシオンの隠し事が、頭の隅から離れない。でも、それを正直に話す気にはなれなかった。
ルクシオンの赤い一つ目が、ゆっくりと明滅した。何かを言いたげな間。しかし、ルクシオンはそれ以上何も言わなかった。
部屋の中に、重い沈黙が落ちる。窓の外では、荷馬車の車輪が石畳を踏む音が、遠くから近づいては遠ざかっていく。夕暮れの空気が、部屋の中にまで染み込んでくるようだった。
その時だった。
コンコン、と。
控えめなノックの音が、静かな部屋に響いた。
リオンは顔を上げた。来客の予定はない。こんな時間に、誰が訪ねてくるというのか。
「リオンさん、いらっしゃいますか?」
扉の向こうから聞こえてきたのは、柔らかく、それでいてはっきりとした声だった。リオンはその声を知っている。いや、知っているどころではない。ここ数日、何度も思い浮かべていた声だ。
「オリヴィア……」
リオンは小さく呟き、椅子から立ち上がった。足音を立てないように、ゆっくりと扉に近づく。扉を開ける前に、深呼吸をひとつ。昨日の動揺を、顔に出さないように。
扉を開けた。
そこに立っていたのは、亜麻色の髪を肩口で揃えた、小柄な少女だった。碧い瞳が、夕暮れの光を反射してきらきらと輝いている。白いブラウスに、深い緑色のスカート。質素な服装だが、その姿はどこか神々しささえ感じさせる。
オリヴィア。王立魔法学院の特待生であり、平民出身でありながら大戦で聖女の力を開花させ、今や王都でその名を知らぬ者はいない存在。だが、リオンにとって彼女は、そんな肩書きよりも先に、いつも笑顔で駆け寄ってくる、あの少女だった。
「リオンさん! よかった、お会いできました!」
オリヴィアは、ぱあっと表情を輝かせた。まるで、夕暮れの薄暗い廊下に、突然太陽が現れたかのようだった。
「お、おう。どうしたんだ、急に」
リオンは一歩後ずさりながら尋ねた。オリヴィアの勢いに、少し気圧されている。
「あの、その……今日は、リオンさんにお会いしたくて。お邪魔でしたか?」
オリヴィアは、上目遣いにリオンの顔を覗き込んだ。碧い瞳が、不安そうに揺れている。リオンが迷惑がっているのではないか、と心配しているのだ。
「いや、別に邪魔じゃねえよ。入れよ」
リオンは、ぶっきらぼうにそう言って、扉を大きく開けた。本当は、今は一人でいたかった。ルクシオンのことを、もっと考えたかった。でも、オリヴィアの顔を見たら、追い返すなんてできなかった。
「ありがとうございます! お邪魔します!」
オリヴィアは嬉しそうに笑って、ぴょこんと部屋の中に入ってきた。小さな体から、ほのかに石鹸の匂いがする。清潔で、柔らかな香りだった。
リオンは、オリヴィアを部屋に通し、自分は執務机の前に戻った。椅子に座ろうとして、オリヴィアが立ったままなのに気づく。
「適当に座れよ。散らかってるけど」
「はい。では、お言葉に甘えて」
オリヴィアは、部屋の隅にある来客用のソファに、ちょこんと腰を下ろした。背筋を伸ばし、両手を膝の上に置く。行儀の良い座り方だ。
「マスター。女性を書類だらけの部屋に通すとは、相変わらずの無神経さですね」
ルクシオンの赤い一つ目が、リオンをじっと見つめた。
「うるせえ。どうせお前が片付けねえからだろ」
「私に家事を求めるとは、マスターは私を何だと思っているのですか」
「便利な浮遊球体だよ」
「ふふっ。ルク君とリオンさんは、本当に仲良しですね」
オリヴィアが、小さく笑った。その笑顔は、部屋の空気を一瞬で和らげた。
「仲良し? どこがだよ」
「だって、リオンさんがルク君にそんなに気軽に話しかけるの、私にはできないですから。きっと、それだけ信頼し合ってるんだなって」
オリヴィアは、真剣な表情でそう言った。その言葉に、リオンの胸がちくりと痛む。
(信頼、か)
リオンは、ルクシオンの赤い一つ目をちらりと見た。ルクシオンは、何も言わずに浮かんでいる。その無表情な球体に、リオンは信頼を寄せていた。いや、今も寄せている。でも、ルクシオンはリオンに隠し事をしている。
「……まあ、なんだ。それより、何か飲むか? 茶くらいしかねえけど」
リオンは話題を変えた。これ以上、ルクシオンとの関係について話したくなかった。
「あ、お気遣いなく。すぐに帰りますので」
「遠慮すんなよ。来たからには、茶の一杯くらい出させろ」
リオンは立ち上がり、部屋の隅にある小さな給湯台へ向かった。魔石で熱を起こす簡易的な給湯器で、水を沸かす。湯気が立ち上り、茶葉の香りが部屋に広がる。
リオンは手早く茶を淹れ、オリヴィアの前にカップを置いた。自分用にもう一杯。それから、執務机の前に戻る。
「ありがとうございます。いただきます」
オリヴィアは両手でカップを包み込み、一口すすった。ほっと息を吐く。その仕草が、妙に様になっていた。
「おいしいです。リオンさんが淹れてくれたお茶、嬉しいです」
「そりゃどうも。茶葉は安物だけどな」
リオンは、自分のカップを手に取り、一口飲んだ。温かい液体が、喉を通り過ぎる。ほんの少し、気分が落ち着いた。
しばらく、二人は黙ってお茶を飲んでいた。窓の外では、夕暮れの空が、だんだんと濃い藍色に変わっていく。遠くで、夜警の騎士たちが交代する合図の鐘が、一度だけ鳴った。
「……リオンさん」
沈黙を破ったのは、オリヴィアだった。
「ん?」
「あの、何か、あったんですか?」
オリヴィアの碧い瞳が、まっすぐにリオンを見つめた。その視線は、真剣で、心配そうで、でもどこか鋭かった。
「は? 何でだよ」
リオンは、とぼけてみせた。しかし、オリヴィアの視線は揺るがない。
「だって、リオンさん、ずっと上の空でした。私が来た時も、何か暗い顔をしてたし。今も、時々、遠くを見てる」
オリヴィアは、カップを膝の上に置き、両手をぎゅっと握りしめた。
「私、リオンさんのことは、よく見てます。だから、分かるんです。リオンさんが、何か悩んでるって」
リオンは、返す言葉を失った。オリヴィアの観察眼は、思っていた以上に鋭い。それとも、リオンの動揺が、よほど顔に出ていたのか。
「……別に、大したことじゃねえよ。戦後処理の書類が多くて、うんざりしてただけだ」
リオンは、またもや言葉を濁した。ルクシオンの婚約者の話を、オリヴィアに話すわけにはいかない。まだ、自分の中でも整理できていない。それに、オリヴィアを巻き込みたくなかった。
「……そう、ですか」
オリヴィアは、少しだけ肩を落とした。リオンの言葉を、信じていない。それは、その表情から明らかだった。
「でも、リオンさん。無理はしないでくださいね。リオンさんは、いつも一人で抱え込もうとするから」
オリヴィアは、顔を上げ、リオンを見つめた。その瞳には、強い意志が宿っていた。
「私、リオンさんの力になりたいんです。何でも話してほしい。私にできることなら、何だってします」
オリヴィアの声は、真剣そのものだった。その言葉は、リオンの胸の奥深くに、じんわりと染み込んでいく。
「……オリヴィア」
リオンは、オリヴィアの名前を呼んだ。何と言っていいか、分からなかった。
「リオンさんが、私に話したくないなら、それでもいいんです。でも、私の気持ちだけは、知っていてほしいんです」
オリヴィアは、カップをテーブルに置き、立ち上がった。リオンの前に、まっすぐに立つ。
「私、リオンさんの力になりたい。ずっと、そう思ってるんです。大戦の時も、今も、これからも」
オリヴィアの言葉は、重く、温かく、リオンの心に突き刺さった。
(こいつは、なんでこんなに真っ直ぐなんだ)
リオンは、オリヴィアの純粋さに、気圧されていた。同時に、救われてもいた。ルクシオンの隠し事で冷え切っていた心に、オリヴィアの言葉が、温かい光を灯してくれた。
「……ありがとな」
リオンは、小さく呟いた。精一杯の感謝の言葉だった。
「いえ。私こそ、リオンさんの顔が見られて、嬉しかったです」
オリヴィアは、にこっと笑った。その笑顔は、夕暮れの部屋の中で、ひときわ輝いて見えた。
オリヴィアが帰った後、部屋の中は、また静寂に包まれた。しかし、先ほどまでの重苦しい沈黙とは、どこか違っていた。
リオンは、オリヴィアが座っていたソファを、ぼんやりと見つめた。そこには、彼女の温もりが、まだ残っているような気がした。
「マスター。オリヴィアに話さなかったのですか」
ルクシオンの赤い一つ目が、リオンを見た。
「……何をだよ」
「私の記憶データのことです。話す機会は、十分にありました」
「話せるかよ。まだ、俺の中でも整理できてねえんだ」
リオンは、吐き捨てるように言った。
「マスターが何を整理する必要があるのですか。あれは、マスターには関係のないデータです」
「関係あるだろ! お前は、俺の相棒だ。その相棒が、何を隠してるのか、気にならねえわけがねえだろ!」
リオンは、声を荒げた。自分でも、こんなに感情的になるとは思っていなかった。
ルクシオンの赤い一つ目が、ゆっくりと明滅した。
「……マスター。私は、あなたの相棒です。それは、今も変わりません。しかし、私の過去のデータは、あなたに関係のないものです」
ルクシオンの声は、いつも通り、抑揚がなかった。しかし、その言葉の端々に、リオンは、ほんの少しの拒絶を感じ取った。
「……そうかよ」
リオンは、それ以上何も言わなかった。言いたいことは山ほどあった。聞きたいことも、たくさんあった。でも、ルクシオンの態度が、それ以上踏み込むことを許さなかった。
(越えられない壁、か)
リオンは、心の中で呟いた。
翌日。
王都ヴェルムートの中央広場は、戦後の復興で活気に満ちていた。焼け落ちた家屋の再建が進み、市場には商人たちの威勢の良い声が飛び交う。石畳の上を、荷馬車や人々が行き交い、活気に満ちた喧騒が、空高くまで響いていた。
リオンとオリヴィアは、その中央広場を並んで歩いていた。目的は、旧文明の遺物調査に必要な資料の買い出しだ。リオンは、昨日のオリヴィアの訪問で、少しだけ心が軽くなっていた。
「リオンさん、見てください! あそこのお店、綺麗な布がたくさん売ってます!」
オリヴィアは、リオンの隣で、あちこちに視線を向けながら、嬉しそうに言った。
「お前、買い出しに来たんだろ。布を見てる場合かよ」
「だって、王都の中央広場に来るの、久しぶりなんです。それに、リオンさんと一緒に歩けるのが、嬉しくて」
オリヴィアは、少し照れたように笑った。その笑顔は、今日も変わらず輝いている。
リオンは、オリヴィアの笑顔を見て、思わず目を逸らした。
(こいつ、無自覚にこういうことを言うから、タチが悪いんだよ)
リオンは、心の中で毒づいた。しかし、その心の奥底では、オリヴィアと一緒に歩くのが、自分も嬉しいと感じていた。
「マスター。資料の買い出しは、あちらの古書店です。道を間違えていますよ」
ルクシオンの声が、リオンの耳に届いた。ルクシオンは、リオンの左腕の腕輪から、通信で話しかけている。
「うるせえ。寄り道くらいさせろ」
「マスターの寄り道は、いつも無駄に終わります。時間の無駄です」
「時間の無駄は、お前のその説教だよ」
「ふふっ。ルク君、リオンさんとお話しするのが楽しそうですね」
オリヴィアが、また笑った。
「どこがだよ。こいつは、俺をからかってるだけだ」
「でも、リオンさん、ルク君と話してる時、少しだけ口元が緩んでますよ」
オリヴィアは、リオンの顔を覗き込んだ。
「は? 緩んでねえよ」
リオンは、慌てて顔を背けた。オリヴィアに、自分の表情を読まれている。それが、なんだか気恥ずかしかった。
その時だった。
リオンの背筋に、冷たいものが走った。
首筋から腰へ、冷たい何かが、這うように伝わる。広場の喧騒の中に、一瞬だけ、異質な気配が混ざった。
リオンは、足を止め、周囲を見回した。
「リオンさん? どうかしましたか?」
オリヴィアが、心配そうにリオンの顔を覗き込む。
「……いや、何でもない」
リオンは、そう答えながらも、視線を広場の片隅に向けた。人混みに紛れて、動く影。いや、影というよりは、何か機械的な動きをする、小さな物体。
「ルクシオン」
リオンは、小声でルクシオンを呼んだ。
「マスター。あれは、旧文明の監視ユニットです。この時代に、動くはずのない代物です」
ルクシオンの声が、リオンの耳に、緊張感を帯びて響いた。
「監視ユニットだって? 誰が、何のために」
「分かりません。しかし、あのユニットは、明らかにマスターを追跡しています」
ルクシオンの言葉に、リオンは、唇を噛んだ。
(俺を追跡? 一体、誰が)
リオンの脳裏に、一つの可能性が浮かんだ。旧文明の遺産を狙う、何者か。昨日、ルクシオンの記憶データに触れた時、リオンは、旧文明の遺産の価値を、改めて思い知った。それを狙う者がいても、おかしくはない。
「リオンさん、あれ……なんでしょう?」
オリヴィアが、震える声で言った。彼女も、広場の片隅の異変に気づいたようだ。
リオンは、オリヴィアの視線の先を見た。
人混みの隙間から、小型の機械が、ゆっくりとこちらに向かって動いてくる。蜘蛛のような形をした、金属製の物体。その中心には、赤いレンズが光っていた。
「オリヴィア、下がってろ!」
リオンは、オリヴィアを庇うように、前に出た。
「マスター、あのユニットは、攻撃機能を持っています。注意してください」
ルクシオンの警告が、リオンの耳に届く。
その瞬間、監視ユニットの赤いレンズが、一際強く光った。
「リオンさん、危ない!」
オリヴィアが、叫んだ。
その時だった。
オリヴィアの体から、眩い光が溢れ出した。
光は、瞬く間にリオンとオリヴィアを包み込み、半透明の障壁となって、監視ユニットの攻撃を防いだ。
「な……っ」
リオンは、目の前の光景に、言葉を失った。
オリヴィアが、聖女の力を、無意識に発動させたのだ。
光の障壁は、監視ユニットの放った光弾を、弾き返した。弾かれた光弾は、監視ユニットに直撃し、小さな爆発を起こす。
「マスター、今です。あのユニットを破壊してください」
ルクシオンの声に、リオンは我に返った。
「ああ、任せろ!」
リオンは、腰に差していた短剣を抜き、監視ユニットに向かって駆け出した。
爆発で動きが鈍った監視ユニットに、リオンは一気に接近する。短剣を逆手に持ち、赤いレンズ目がけて、思い切り突き立てた。
ガキィン!
金属が砕ける音が、広場に響き渡る。監視ユニットは、リオンの一撃で、完全に破壊された。
破壊されたユニットから、小さな火花が散り、内部から、かすかな電子音が漏れ出る。それは、まるで、断末魔の悲鳴のようだった。
「……終わった、か」
リオンは、息を整えながら、破壊されたユニットを見下ろした。
「マスター。あのユニットから、微弱な信号が漏れ出ています。解析します」
ルクシオンの声が、リオンの耳に届く。
「信号だって? 何の信号だ」
「……解析しました。この信号は、旧文明の殲滅プログラム、エクリプスの断片と酷似しています」
ルクシオンの言葉に、リオンは、全身の血の気が引くのを感じた。
「エクリプス……だって? そんな、馬鹿な」
エクリプス。それは、旧人類が新人類を滅ぼすために作った、最終兵器。ルクシオンの中に眠っている、危険なプログラム。
「断定はできません。しかし、あのユニットを放った者が、エクリプスに関わる何かを知っている可能性は、高いです」
リオンは、唇を噛んだ。
(旧文明の遺物を狙う、何者か。しかも、エクリプスに関わる可能性がある)
リオンの胸に、言い知れぬ不安が広がる。
「リオンさん……あの、今のは……」
オリヴィアが、青ざめた顔で、リオンの側に駆け寄ってきた。
「オリヴィア、大丈夫か? 怪我はねえか?」
リオンは、オリヴィアの肩に手を置き、心配そうに尋ねた。
「はい、私は大丈夫です。それより、リオンさんは……あの、今、私、変な力が……」
オリヴィアは、自分の両手を見つめながら、戸惑ったように言った。
「あれは、お前の聖女の力だ。無意識に発動させたんだな。おかげで、助かった」
リオンは、オリヴィアに微笑みかけた。
「聖女の力……私が、無意識に……」
オリヴィアは、驚いた表情で、自分の手を握りしめた。
「お前、また強くなったな。あの光の障壁、すげえ威力だったぜ」
リオンは、オリヴィアの成長を、素直に称賛した。
「そ、そうですか? 私、リオンさんを守らなきゃって、それだけを考えてて……」
オリヴィアは、顔を赤らめ、もじもじと言った。
「ったく、無茶しやがって。でも、ありがとな」
リオンは、オリヴィアの頭に、ぽんと手を置いた。
「……はい!」
オリヴィアは、嬉しそうに笑った。
その時、オリヴィアが、リオンの手を、ぎゅっと握った。
「お、おい、オリヴィア?」
リオンは、突然のことに、動揺した。
「リオンさん。私、もっとリオンさんの力になりたいんです」
オリヴィアは、真剣な表情で、リオンの目を見つめた。
「さっきの戦いで、私、思ったんです。私、まだまだリオンさんに守られてばかりだって。でも、私も、リオンさんを守りたい。リオンさんの力になりたい」
オリヴィアの手は、熱を持っていた。その熱が、リオンの手を通して、心の奥底まで伝わってくる。
「だから、お願いです。私を、リオンさんの側に置いてください。私に、リオンさんの力にならせてください」
オリヴィアの言葉は、告白に近い、切実な想いだった。
リオンは、オリヴィアの手を振りほどくことができなかった。
(こいつは、本当に、俺のことを……)
リオンの胸の奥で、何かが、激しく脈打った。
「……オリヴィア、お前は、十分俺の力になってるよ」
リオンは、絞り出すように言った。
「でも、リオンさんは、私に何も話してくれない。私、リオンさんの力になりたいのに、リオンさんは、いつも一人で抱え込んで……」
オリヴィアの瞳が、涙で潤んだ。
「……悪かった。でも、今はまだ、話せねえんだ。もう少しだけ、待っててくれ」
リオンは、オリヴィアの手を握り返した。
「……はい。待ちます。ずっと、待ってますから」
オリヴィアは、涙を拭い、笑った。
その笑顔は、泣き笑いで、少し歪んでいた。でも、リオンには、それが、とても美しく見えた。
その夜。
バルトファルト家の仮邸に戻ったリオンは、執務室で、ルクシオンと向き合っていた。
「ルクシオン。もう一度だけ、聞く」
リオンは、真剣な表情で、ルクシオンの赤い一つ目を見つめた。
「何でしょうか、マスター」
ルクシオンの声は、いつも通り、冷たく、抑揚がない。
「お前の、婚約者の記憶。あれは、一体、何なんだ?」
リオンは、昨日、触れてしまった記憶データのことを、再び問い質した。
ルクシオンの赤い一つ目が、ゆっくりと明滅した。
「マスター。その話は、やめましょう」
ルクシオンの声が、初めて、明確な拒絶の色を帯びた。
「やめましょうって、お前、それで済むと思ってるのか?」
リオンは、声を荒げた。
「マスターには、関係のないことです。あれは、私の古い記録です。今の私には、何の意味もありません」
「意味がないなら、なぜ隠すんだ? なぜ、俺に話さないんだ?」
リオンは、ルクシオンに詰め寄った。
「隠しているわけではありません。マスターが、知る必要のない情報だと判断しただけです」
「知る必要があるかどうかは、俺が決める!」
リオンは、机を拳で叩いた。
部屋の中に、重い沈黙が落ちる。
「……マスター。私は、あなたの相棒です。それは、今も、これからも、変わりません。しかし、私の過去の全てを、あなたに開示する義務はありません」
ルクシオンの声は、静かだった。しかし、その言葉は、リオンの心に、鋭い刃のように突き刺さった。
「……そうかよ」
リオンは、それ以上、何も言えなかった。
ルクシオンは、リオンの相棒だ。しかし、ルクシオンには、リオンが踏み込めない領域がある。その事実を、リオンは、痛いほどに思い知らされた。
(俺は、ルクシオンの何を知っている?)
リオンは、自問した。
ルクシオンの過去。ルクシオンの本当の目的。ルクシオンが、何を考えているのか。リオンは、その全てを知らなかった。
(相棒のことを、何も知らない)
その事実が、リオンの胸に、冷たい不安を広げる。
リオンは、椅子に深く座り込み、天井を見上げた。
(ルクシオンとの間に、越えられない壁がある)
リオンは、その壁の高さを、改めて実感した。
同時に、オリヴィアの言葉が、脳裏に蘇る。
『私、リオンさんの力になりたいんです』
オリヴィアの、真剣な眼差し。温かい手のひら。あの笑顔。
(オリヴィアは、俺に、あんなに真っ直ぐに想いをぶつけてくるのに)
リオンは、オリヴィアの想いの重さを、改めて感じた。
(俺は、二人の女性と、一つのAIの想いの板挟みになってる)
リオンは、自嘲気味に笑った。
(こんなの、どうすればいいんだ)
答えは、出ない。
出ないまま、リオンは、深い闇の中に、沈んでいった。
王都ヴェルムートの夜は、静かに更けていく。
窓の外では、月が雲に隠れ、街を照らす光が、ほんの一瞬、暗くなった。
リオンの眠りは、浅かった。Noveliaとは?
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