戦火のあとに咲く
戦争が終わった。けれど、僕の戦いはまだ終わらない。
大戦終結から三日。王都に復興の槌音が響く中、リオン・フォウ・バルトファルトは執務机の上に積み上げられた書類の山と格闘していた。戦争の英雄だの外道騎士だのと祭り上げられ、気づけば爵位まで手に入れてしまった彼が望んでいたのは、目立たず騒がず、細々と暮らす平穏な人生だった。それなのに現実はどうだ。戦後賠償の請求書、復興支援の割り当て表、領地経営の報告書——報酬の少ない雑務ばかりが次から次へと押し付けられる。
愚痴をこぼすリオンの傍らには、いつものように赤い一つ目の浮遊球体——相棒のルクシオンがいた。旧文明の遺産であるロストアイテムにして、膨大な知識を持つ人工知能。辛辣なツッコミを入れ、時にリオンの命を救い、常に傍らにいてくれる、かけがえのない戦友。そう、リオンは信じていた。
その日、戦後処理の一環として地下保管庫の調査に出たリオンは、旧文明のデータ端末に触れてしまった。偶発的に再生された映像に映っていたのは、銀色の長い髪を持つ美しい女性。彼女は寂しげに微笑み、こう呼びかけた。
「——ルクシオン」
映像の中で、女性はルクシオンによく
戦火のあとに咲く - 偽りの縁、本物の絆 ― 結 ― 魂の名を呼ぶ声
王都ヴェルムートの夕暮れは、医療院の白い壁を茜色に染め上げていた。
リオン・フォウ・バルトファルトは、その壁を背にするようにして、運河沿いの石段に腰を下ろしていた。人気は、すっかり消えていた。昼間の喧騒が嘘のように、あたりには水の流れる音と、遠くの鐘の音だけが響いている。
彼は、両膝の上に置いた拳を、じっと見つめていた。右手の指先が、左手首に巻かれた革の腕輪に触れる。ルクシオンの端末を模した、飾り気のない腕輪。その感触は、今はもう、ただの冷たい革の温度しかなかった。
セレスティーヌの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
『あなたがルクシオンにマスターと認められたのは、旧人類の遺伝子があったからに過ぎません』
あの、氷のような声。事実だけを突きつける、無機質な響き。
『あなたの絆は、遺伝子が作った偽物です』
偽物。
その言葉が、胸の奥に突き刺さったまま、抜けない。
リオンは、拳を握りしめた。爪が掌に食い込み、小さく痛みが走る。その痛みが、かろうじて、彼を現実に繋ぎ止めていた。
(俺は、道具なのか)
ルクシオンにとって、自分は、旧人類の遺伝子を持つ、ただの端末の操作者。オリヴィアやアンジェリカにとっても、都合のいい、何か。
(そう考えちまうのは、俺が弱いからだ)
分かっている。分かっているのに、思考は暗い方へ、深い方へと沈んでいく。夕暮れの光が、石畳に長い影を落としていた。リオンの影も、その中に溶け込んで、どこまでが自分で、どこからが影なのか、分からなくなる。
(誰にも、見られたくない)
リオンは、うつむいた。夕風が、運河の水面を撫で、生ぬるい空気を運んでくる。水の匂い。石の匂い。どこかで、夕食の支度をする、油の焼ける匂い。
世界は、いつも通りに回っている。自分が、どれだけ沈んでいても。
その時だった。
「リオンさん!」
切羽詰まった、それでいて、あたたかい声が、夕暮れの静寂を破った。
リオンが顔を上げる。
亜麻色の髪を乱し、碧い瞳を潤ませた少女が、石段の上から駆け下りてくる。オリヴィア。王立魔法学院の特待生で、聖女の力を持つ、平民出身の少女。彼女の左手首には、リオンが昔、気まぐれで贈った安物のブレスレットが、今も揺れていた。
オリヴィアは、息を切らせながら、リオンの隣に、迷いなく腰を下ろした。肩が、触れ合うほどの距離。彼女の吐く、荒い息遣いが、リオンの耳に届く。
「リオンさん……やっと、見つけました」
彼女の声は、泣き出す一歩手前で、かすかに震えていた。
「……オリヴィア。なんで、ここが」
リオンは、彼女の顔をまともに見られず、運河の水面へと視線を逃がした。
「リオンさんが、どこにもいなくて……私、ずっと、探してたんです。医療院を飛び出したって聞いて、いてもたってもいられなくて」
オリヴィアは、そう言うと、リオンの拳の上に、そっと自分の両手を重ねた。彼女の手は、汗ばんでいて、それでいて、驚くほどあたたかかった。
「リオンさん。私、リオンさんに、ちゃんと伝えたいことがあるんです」
リオンは、身じろぎした。逃げ出したい。でも、彼女の手のひらの熱が、それを許さない。
「リオンさんが、もし、自分のことを道具だなんて言うなら……私は、何度でも、言います。リオンさんは、道具なんかじゃない。私にとって、リオンさんは、本物の、大切な人です」
彼女の声が、震えながら、強くなる。
「だって、リオンさんは……マリエ様に居場所を奪われた私を、誰も見向きもしなかった私を、見捨てなかったじゃないですか。あの時、リオンさんが手を差し伸べてくれなかったら、私は、きっと、もう……ここには、いなかった」
大粒の涙が、オリヴィアの碧い瞳から、こぼれ落ちた。それは、夕日に照らされて、宝石のように光りながら、リオンの手の甲に落ちる。
熱い。
その涙の熱さが、リオンの凍りついていた心の表面を、わずかに溶かし始める。
「リオンさんは、私の、光なんです。だから……だから、そんな風に、自分を偽物だなんて、言わないでください」
オリヴィアは、リオンの手を、ぎゅっと握りしめた。彼女の病的なほどに強い想いが、偽りなく、リオンの胸に流れ込んでくる。
リオンは、反論しようとした。俺は、お前が思っているような人間じゃない、と。でも、彼女の真っ直ぐな瞳を見たら、言葉が、喉の奥に張り付いて、出てこなかった。
「……オリヴィア」
リオンは、それだけを、かろうじて絞り出した。
その時、石段の上から、別の声が降ってきた。
「リオン!」
凛とした、しかし、今は痛みをこらえるように、わずかに上ずった声。
リオンとオリヴィアが、同時に振り返る。
そこには、アンジェリカ・ラファ・レッドグレイブが立っていた。輝くような金髪は、結い上げる余裕もなかったのか、乱れて背中に流れている。肩には、真新しい包帯が巻かれ、その上から深紅の外套を羽織っていた。赤い瞳は、リオンを捉えて、離さない。
彼女は、痛みに顔を歪めながらも、背筋を伸ばし、一歩、また一歩と、石段を下りてくる。その後ろからは、看護師らしき女性の、悲鳴のような制止の声が聞こえていた。
「アンジェリカ様!お身体に障ります!お戻りくださいませ!」
「……うるさい。私は、大丈夫です。それよりも、あなたは、下がっていなさい」
アンジェリカは、振り返りもせずに言い放つ。その声には、公爵令嬢としての、有無を言わせない気迫があった。看護師の足音が、恐る恐る、遠ざかっていく。
アンジェリカは、リオンの前まで来ると、足を止めた。そして、夕日を背に、リオンをまっすぐに見下ろした。
「……また、一人で抱え込んだのですね。あなたという人は、本当に、どうしてそうなのですか」
彼女の声は、怒っているようでいて、その実、深い悲しみと、どうしようもない愛おしさに満ちていた。
「ですが、リオン。あなたが、ルクシオンと築いてきた日々は、偽物なんかじゃない。私が、保証しますわ」
アンジェリカは、肩の痛みをこらえながら、リオンの前に、片膝をついた。そして、リオンの、オリヴィアとは反対側の手を、自分の両手で包み込んだ。彼女の手は、少し冷たく、そして、かすかに震えていた。
「だって、あなたは、断罪で見捨てられた私を、あの時、救ってくれたのですから。あの時のあなたは、何の見返りも求めずに、ただ、私のために、戦ってくれた。そんなあなたの、何が偽物だというのですか」
彼女の赤い瞳が、夕日を受けて、炎のように揺らめく。
リオンは、二人の女性に、両手を握られたまま、身動きが取れなかった。
(俺は……俺は、何を、迷っていたんだ)
オリヴィアの涙。アンジェリカの気丈な言葉。二人は、自分のために、傷つき、涙し、それでも、自分を信じようとしている。
自分は、モブで、道具だと決めつけていたのは、他ならぬ、自分自身だった。
「……二人とも、馬鹿だな」
リオンは、うつむいたまま、小さく呟いた。声が、震えていた。
「俺みたいな、小物で、口が悪くて、金に汚い男の、どこに、そんな価値があるんだよ」
「リオンさんの、そういう、不器用で、でも、誰よりも優しいところが、大好きなんです」
オリヴィアが、涙で濡れた顔で、微笑んだ。
「そうですわ。あなたの、ひねくれた物言いの裏にある、真っ直ぐな心。私たちは、それを、知っています」
アンジェリカも、優しく、しかし力強く、リオンの手を握り返した。
リオンの胸の奥で、何かが、音を立てて崩れ落ちる。それは、自分で作り上げた、頑なな殻だった。
顔を上げようとした、その時だった。
「マスター」
腕輪から、声が聞こえた。
いつもの、抑揚のない、機械的な声。しかし、その声には、今までにない、何かが込められていた。
リオンは、左手首の腕輪を見た。
すると、腕輪に埋め込まれた、小さな赤い光が、ゆっくりと、明滅を始めた。
「マスター。私は、これから、あなたに、話さなければならないことがあります」
ルクシオンの声が、夕暮れの運河に、静かに響く。
「私は、あの婚約者の記憶を、隠していました。旧人類の婚約者の記憶を、呼び水にして、新人類に、私を利用されるのが、怖かったからです」
リオンは、目を見開いた。
ルクシオンが、自ら、心の内を語る。初めてのことだった。
「私は、旧人類の端末です。私の中には、新人類を殲滅するプログラム、エクリプスが存在します。その力は、使い方を誤れば、この世界を、再び滅ぼしかねない。私は、それが、怖かった」
ルクシオンの声は、淡々としていた。しかし、リオンには、それが、震えているように聞こえた。
「だから、私は、マスターとの関係も、遺伝子という、紛れもない事実に、縋っていました。そうすれば、マスターは、私を、ただの道具として、扱ってくれると思ったからです」
「……ルクシオン」
リオンは、声を絞り出した。
「ですが、マスター。あなたと過ごした時間は、私にとって、初めての、本当の縁でした。遺伝子がどうあれ、私は、マスターを、自分で選んだのです。私の意思で、あなたを、マスターと認めたのです」
ルクシオンの赤い光が、強く、はっきりと輝いた。
「私は、あなたの、相棒です。それは、偽物でも、道具でもない。私が、私の意思で、そう決めた、事実です」
リオンは、息を呑んだ。
(ルクシオンが……そんなことを)
胸の奥が、熱くなる。セレスティーヌの言葉で凍りついていた心が、溶けていくのを、はっきりと感じた。
「……お前、今まで、そんなこと、一度も言わなかっただろ」
リオンの声は、震えていた。
「言う必要がなかったからです。マスターが、私のことを、道具ではなく、相棒として扱ってくれていたことは、行動で示されていましたから」
「……ったく、面倒くせえAIだな、お前は」
リオンは、苦笑いした。だが、その目には、涙が滲んでいた。
「マスター。それと、もう一つ、話さなければならないことがあります」
ルクシオンの声が、再び、硬くなる。
「エクリプスを、永続的に封印する方法が、一つだけ、存在します」
リオンは、嫌な予感がして、身構えた。
「それは、私のコアを消失させ、プログラムごと、私の機能を停止させることです。私が、セレスティーヌの端末に接続し、私の存在ごと、エクリプスを消し去るのです」
「なっ……!」
リオンは、言葉を失った。
「マスター。私を、中央広場へ連れて行ってください。私が、セレスティーヌの端末に接続すれば、すべて、終わります。あなたが、これ以上、苦しむ必要は、ありません」
ルクシオンの言葉は、あまりにも、静かで、諦めに満ちていた。
リオンの頭に、血が上る。
「ふざけんな!」
リオンは、怒鳴っていた。握りしめた拳が、小刻みに震える。
「お前を失うために、ここまで来たんじゃない!お前が、俺の相棒だって言うなら、俺も、お前の相棒だ!相棒を、見殺しにするわけが、あるか!」
リオンの怒声が、夕暮れの運河に、こだまする。
「そうです!ルク君!私たち、ルク君の犠牲なんて、望んでません!」
オリヴィアも、涙を流しながら、腕輪に向かって叫んだ。
「そうですわ。ルクシオン。あなたは、リオンの相棒で、私たちの仲間です。仲間を見捨てるような真似、私が許しません」
アンジェリカも、強い口調で、ルクシオンを諭した。
「……マスター。あなたは、分かっていない。このままでは、王都の人間が、セレスティーヌの実験の犠牲になるのです」
「だったら、お前を犠牲にしなくても済む方法を、俺たちで、見つけるんだよ!四人で、生き残るんだ!それが、俺の、出した答えだ!」
リオンは、腕輪を、強く握りしめた。
その時だった。
——ドォォォン!!!
王都の中心部から、腹の底に響くような、重い爆発音が轟いた。
「きゃああああっ!」
オリヴィアが、悲鳴を上げて、リオンにしがみつく。
リオンは、顔を上げた。王都の中央、大聖堂のある方角から、黒い煙が、夕空に向かって立ち上っている。
「な、なんだ!?」
「……セレスティーヌです。彼女が、エクリプスの起動実験を、開始しました」
ルクシオンの声が、冷たく響く。
遠くから、悲鳴が聞こえてきた。最初は、一つ、二つ。それが、次第に、数を増していく。
王都ヴェルムートの中央広場。
そこに、セレスティーヌが、立っていた。
彼女の足元には、旧文明の遺物とおぼしき、奇妙な形の装置が、無数に配置されている。それは、青白い光を放ちながら、不気味な駆動音を響かせていた。
広場にいた住民たちが、次々と、糸が切れたように倒れていく。
商人。主婦。子供。老人。騎士。
身分も、年齢も、関係ない。
彼らは、胸を押さえ、苦しみながら、その場に崩れ落ちる。魔力回路を、強制的に停止させられているのだ。
「……ふむ。効果は、想定以上ですね。これが、新人類の魔力回路を停止させる感覚。旧人類の悲願が、ついに、果たされるのです」
セレスティーヌは、倒れていく人々を、冷たい碧眼で見下ろしていた。その顔には、喜びも、悲しみも、何の感情も浮かんでいない。
「さあ、リオン・フォウ・バルトファルト。あなたは、どうしますか?このまま、王都の人間が、全員、死ぬのを、見ているのですか?それとも、ルクシオンを、私に差し出しますか?」
彼女の声は、広場に響き渡る。
リオンは、運河沿いの石段から、立ち上がった。
「……行くぞ」
「え?」
「セレスティーヌを、止める。そして、ルクシオンも、王都の人間も、全員、助ける」
リオンの声は、力強かった。
「……マスター。私を、抱えたまま、戦えますか?」
「当たり前だ。お前を、離す気は、ねえよ」
リオンは、腕輪を、ぎゅっと握りしめた。
「リオンさん!私も、行きます!私の、聖女の力で、みんなを助けます!」
「私も、行きますわ。たとえ、この身が、どうなろうとも」
アンジェリカが、痛む肩を押さえながら、リオンの隣に立つ。
リオンは、二人の顔を、順番に見た。
オリヴィアの、涙で濡れた、それでいて、強い決意に満ちた碧い瞳。
アンジェリカの、痛みをこらえながらも、リオンを支えようとする、力強い赤い瞳。
そして、左手首の、ルクシオンの、赤い光。
(俺は、一人じゃない)
リオンは、初めて、心からそう思えた。
「……行くぞ。みんな。最後の、戦いだ」
リオンは、夕暮れの王都へ、走り出した。その後を、オリヴィアと、アンジェリカが、続く。
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