ゴーレム転生者、異世界をプロレスで制す 〜二体の猿が最強への道を拓く〜
日本の大学院生カイは、不慮の事故で命を落とし、気がつくと剣と魔法の異世界に転生していた。気まぐれな神に選ばれ、ゴーレム召喚スキルを授かる。召喚されるゴーレムは二体の巨大な猿型で、常時起動しているが自我はなく、カイの命令でのみ動く。冒険者ギルドでは嘲笑の的。ベテランのゴダンは「ゴーレム二体など役立たずだ」と吐き捨てる。
だが、カイには秘密の武器があった。前世で培った理系学生としての知識と、筋金入りのプロレスファンとしての観戦歴だ。ゴーレムに独自のファイトスタイルを命じ、モンスターをスープレックスやドロップキック、コブラツイストで叩きつける。依頼を次々と成功させ、ギルド内で存在感を増していくカイ。安全のはずの薬草採取クエスト中、ヒューネのパーティが特殊モンスターに壊滅寸前まで追い込まれる。偶然居合わせたカイは、完璧な二体連携でこれを撃破。彼の評価は一夜にして一変する。
やがてカイは、初めての真の壁に直面する。幻影系の魔物・マロウノ影。物理攻撃がまったく効かない。カイは生まれて初めて撤退を余儀なくされる。霊体に対抗すべくゴーレムの素材構成を改良しつつ、王都に便利な現代知識を広めていく。
ゴーレム転生者、異世界をプロレスで制す 〜二体の猿が最強への道を拓く〜 - 敗走からの再起、霊体対策と生活改善の日々
朝の光が、薄い木の板の隙間から差し込んでくる。
カイはベッドの上で、ぼんやりと天井を見つめていた。古い木目が、昨夜見た夢の残骸みたいにぐにゃぐにゃと歪んで見える。
(あー……最悪の目覚めだ)
体が重い。鉛でも詰め込まれたみたいだ。マロウノ影に生命力を吸われた後の、あの嫌な感覚がまだ体の芯に残っている。手足の先が冷たくて、頭の奥がじんわりと痛む。
ラムの角亭の二階。カイの自室は、ここ数日で見違えるほど散らかっていた。
床一面に、羊皮紙の設計図が広げられている。石と鉄の素材サンプルが机の上に山積み。壁には、ゴーレムの構造を書き殴ったメモが何枚も貼ってあった。
「……敗因は、はっきりしてる」
カイは体を起こすと、枕元の水差しから直接水を飲んだ。冷たい水が、乾いた喉を流れ落ちていく。
(物理攻撃が全部透過した。質量を持たない霊体に、岩の拳は意味がない。なら、どうする。ゴーレムの構成物質を、物理的なものから魔法的なものへ変えるしかない)
頭の中で、ゴーレムの構造図がくるくると回転する。外装、内骨格、魔力の回路。前世の材料工学の知識が、異世界の素材と結びついて、新しい可能性を模索し始める。
「聖属性、魔法的な素材……この世界には、魔鉱石ってのがあるんだよな。ヴォルガ山脈で採れる、魔法を吸う石」
カイは床に広げた設計図の一枚を手に取った。ゴーレムの外装に、魔鉱石を組み込むイメージ図。何度も書き直した跡が、羊皮紙をくしゃくしゃにしている。
(問題は、維持コストだ。魔鉱石を組み込むたびに、ゴーレムの制御に必要な魔力が跳ね上がる。常時二体維持してるだけでも、睡眠時の消耗が課題なのに)
カイは深く息を吐いた。
「……はあ。先は長いな」
その時だった。
ドンドンドン!
乱暴なノックの音が部屋に響いた。
「おーい、カイ! あんた、また部屋を散らかしてるんだって? 朝飯、食べないのかい?」
宿の女将、ミラ・ホルンの声だ。四十代の世話好きな女性で、ラムの角亭を一人で切り盛りしている。
カイは慌てて部屋のドアを開けた。
「おはよう、ミラさん。いやー、ちょっと考え事してて。今行くよ」
「全く、あんたの部屋はいつも紙くずだらけじゃないか。たまには片付けな」
ミラは腰に手を当てて、呆れたように首を振った。その視線が、床の設計図の山を一瞥する。
「まあ、若いのに熱心なのはいいことだけどね。でも、飯はちゃんと食べな。昨日からろくに食べてないだろ?」
「へへ、バレた?」
カイは頭をかいた。黒いショートヘアが、いつも以上に撥ねている。寝癖だ。
「当たり前だよ。あんたの顔色、幽霊みたいに真っ青じゃないか。さ、下においで。猪肉のシチュー、温めてあるから」
ミラの言葉に、カイの腹がぐう、と鳴った。
「……おっと。こりゃ、確かに腹減ってるわ」
「ほらね。さ、早く」
ミラが先に立って階段を降りていく。カイは苦笑いしながら、その後を追った。
一階の食堂は、朝の光で明るく照らされていた。宿泊客が何人か、朝食を取っている。パンとスープの匂いが、胃を刺激する。
カイは隅の席に座ると、ミラが運んできたシチューを受け取った。
「ありがとう、ミラさん」
「おや、素直だね。どうしたんだい、らしくない」
ミラはにやりと笑った。
「いや、なんか、温かいもん食うと元気出るなって思って」
「そうかい。なら、たくさんお食べ」
カイはスプーンを手に取った。濃厚なシチューを一口すすると、体の芯から温まっていく。
(うまい。……よし、食ったら、素材探しだ)
カイはシチューをかき込みながら、今日の予定を頭の中で組み立てていた。
——
王都フォルクハルトの朝は、活気に満ちている。
ガラテアの広場では、毎朝開かれる露天市がもう始まっていた。約百五十の露店が所狭しと並び、食料品から日用品、低級素材まで、あらゆるものが売られている。
カイは人混みを縫うように歩きながら、まずは薬草店「緑露堂」へと向かった。
緑露堂は、クレヴァスの森から採取された薬草を専門に扱う店だ。店主のエルマ・リートは、三十代の穏やかな女性で、値引き交渉には一切応じないことで冒険者たちの間では有名だった。
カランカラン、と鈴の音。
「いらっしゃい」
エルマが顔を上げた。柔らかな茶色の髪を後ろで束ね、落ち着いた笑みを浮かべている。
「ああ、カイさん。お久しぶりですね。今日は回復薬ですか?」
「いや、今日はちょっと聞きたいことがあって。聖属性の素材って、扱ってる?」
「聖属性、ですか」
エルマは首をかしげた。
「申し訳ありません。うちで扱っているのは、回復薬や解毒薬の材料になる薬草が中心でして。聖水のような聖属性のものは、教会の管轄になるんです。うちではお取り扱いしていないんですよ」
「やっぱり、そうか。教会かあ……」
カイは顎に手を当てて考え込んだ。
「聖水なら、中央教会の売店で買えますよ。ただ、お値段が張りますけど」
「いくらくらい?」
「小瓶で銀貨十枚、だったかしら。それも、信徒向けの価格です。冒険者の方だと、もう少し高くなるかもしれません」
「銀貨十枚……それで、どのくらいもつの?」
「そうですね、一回の浄化に使う量なら、小瓶の半分ほどでしょうか」
カイは頭の中で計算した。
(銀貨十枚で二回分。一回あたり銀貨五枚。……ゴーレムの素材に混ぜるなら、もっと大量にいる。聖水を素材に使うのは、現実的じゃないな)
「参考になったよ。ありがとう、エルマさん」
「お役に立てず、すみません」
「いやいや、情報だけで十分。また回復薬買いに来るよ」
カイは軽く手を振って、緑露堂を後にした。
——
次に向かったのは、鍛冶工房「テッペン」だった。
ギルド支部から徒歩五分の鍛冶通りにある、武具店兼工房。店主のドルク・ハンマーは、五十代の矮躯の元鉱夫で、腕は確かだが口が悪いことで知られている。
カイが店に入ると、カンカンカン、と鉄を打つ音が響いていた。
「おう、ゴーレムの兄ちゃんか。今日は何の用だ? また鉄鉱石の端材か?」
ドルクは作業の手を止めずに、ぶっきらぼうに言った。
「今日は、聖銀の話を聞きたくて。扱える?」
「聖銀? ああ、あの白い銀か。扱えるぜ。だが、高いぞ」
ドルクは金槌を置くと、カイの方を向いた。皺だらけの顔が、値踏みするようにカイを見る。
「いくらだ?」
「そうだな、ゴーレムの外装に使う量なら、金貨二十枚は下らねえな」
「金貨二十枚!」
カイは思わず声を上げた。
(金貨二十枚って、銀貨二千枚だぞ。Cランククエストの報酬が金貨三枚から十枚って相場だろ。つまり、二、三回のクエスト報酬が丸ごと飛ぶ)
「高すぎるって顔してるな。だが、聖銀は希少なんだよ。ヴォルガ山脈の限られた鉱脈でしか採れねえ。教会の注文も多いから、市場に出回る量が少ねえんだ」
「……そっか。分かった。ちょっと考えてみるわ」
カイは軽く笑って、引き下がるしかなかった。
(手持ちの金じゃ、到底届かない。聖銀は、今は無理だ)
「まあ、急いでるなら中古の聖銀の武器を買って、溶かして使うって手もあるぜ。それなら金貨十枚くらいで済むかもしれねえ」
「なるほど、中古を溶かすか。……参考にするよ、ドルクさん」
カイは礼を言って、テッペンを後にした。
——
素材探しは、振り出しに戻った。
聖水は高価すぎて素材には使えない。聖銀は金貨二十枚。中古を溶かしても金貨十枚。
(どっちも、今の俺には手が出ない。……金を貯めるか、別の方法を考えるか)
カイはガラテアの広場を歩きながら、頭を抱えた。
その時、目の前で荷馬車が立ち往生しているのが見えた。
「くそっ、また車輪が溝に嵌った!」
商人風の男が、汗だくで荷馬車を押している。車輪が、石畳の溝にがっちりと嵌り込んで動かない。
周りの人々は、気の毒そうに見ているだけで、誰も手を貸そうとしない。
(……あれ、滑車があれば楽に抜けられるんじゃないか?)
カイの理系頭脳が、即座に反応した。
「おっちゃん、ちょっと待ってて」
カイは近くの露店から、丈夫な縄と数本の角材を借りた。
「なんだい、兄ちゃん?」
「滑車の原理で、力の向きを変えるんだよ。こうやって、角材で支点を作って……」
カイは手早く、即席の滑車装置を組み立てた。角材を荷馬車のフレームに固定し、縄を通す。
「よし、じゃあこの縄を引いてみて。真上に引くより、ずっと軽い力で済むはずだ」
商人風の男が、半信半疑で縄を引く。
すると、さっきまでびくともしなかった荷馬車が、ぐぐぐ、と動き始めた。
「お、おお!? すげえ、軽い! こりゃあ不思議だ!」
周りの人々から、どよめきが起こる。
「なんだあれ、魔法か?」
「いや、魔法じゃない。あの若いの、何か仕掛けをしたんだ」
カイは、にやりと笑った。
「魔法じゃなくて、物理だよ。力の方向を変えて、増幅してるんだ」
「へえ、すごいねえ、兄ちゃん。お礼に、うちの店で果物でも持ってきな」
「お、マジ? ラッキー。遠慮なくもらうわ」
カイは商人から果物を一籠もらうと、その場を離れた。
(そうか。素材探しは行き詰まってるけど、こっちの方向は可能性があるな。現代知識を活かした便利な道具。これで小金を稼ぎながら、素材の資金を貯めればいい)
カイの頭の中で、新しい計画が動き始めた。
——
それから数日、カイはギルド周辺で、現代知識を活かした便利な工夫を広め始めた。
まず作ったのは、荷運び用の滑車装置。それから、雨水を濾過する簡易浄水器。折り畳み式の日除け棚も作った。
ガラテアの広場の片隅で、カイは自作の道具を並べて、実演販売を始めた。
「さあさあ、見てってよ! この滑車を使えば、重い荷物もらくらく持ち上がる! 力のいらない、夢の道具だ!」
カイの掛け声に、人々が集まってくる。
「おい、あれが噂のゴーレム使いか?」
「ゴーレム使いが、なんで日用品を売ってるんだ?」
カイは気にしない。
「ほら、こちらのお姉さん、試してみて! この縄を引くだけで、水桶が持ち上がるから」
「え、私? じゃあ、ちょっとだけ」
若い女性が、おそるおそる縄を引く。すると、重そうな水桶が、するすると持ち上がった。
「うそ、軽い! これ、すごい!」
「だろ? 魔法なしで、これだよ。理系の力、舐めんなって話」
カイは得意げに胸を張った。
「兄ちゃん、その浄水器ってのは、本当に泥水がきれいになるのかい?」
「おう、見てて。この泥水を、ここに注ぐと……」
カイは泥水を簡易浄水器に注いだ。砂と炭の層を通った水が、下の容器にぽたぽたと落ちてくる。
「ほら、この通り。完全に透明ってわけにはいかないけど、煮沸すれば飲めるレベルになる」
「おお……こりゃあ、ありがたい。井戸の水が濁る季節に、重宝するわい」
老人は感心して、浄水器を一つ買っていった。
(よし、商売は順調。これで少しずつ、聖銀の資金を貯めるんだ)
カイは心の中で、ガッツポーズをした。
——
その日の夕方。
カイはヴァンドゥールの酒場に立ち寄った。
一日の売り上げを数えて、ほくほく顔でカウンターに座る。エールを一杯注文して、ぐいっと飲んだ。
「くーっ! 仕事の後の一杯は最高だな!」
その時だった。
「おい、見ろよ。ゴーレム野郎が、エール一杯でいい気分になってやがるぜ」
聞き覚えのある、耳障りな声。
カイが振り返ると、ゴダンが数人の取り巻きを連れて、酒場の中央の席に座っていた。赤茶の短髪、無精ひげ、血走りがちな赤褐色の目。いつものように、見下すような半開きのまぶたで、カイを睨んでいる。
「ヘッ、Cランクに手出して、霊体に逃げ帰ってきたってのに、よくもまあ呑気に酒が飲めるもんだな」
ゴダンは、わざと周囲に聞こえるように、大きな声で言った。
酒場の空気が、一瞬で張り詰める。
「人形ごっこが通じるのは、せいぜいDランクまでだ。霊体には、てめえのゴーレムなんざ、ただの石ころだってことを思い知っただろ?」
ゴダンの取り巻きたちが、くくく、と笑う。
カイは、エールのジョッキを置いた。
(あーあ、今日はいい気分だったのにな。まあ、予想通りってやつだ)
カイは、にっと笑って、ゴダンの方を向いた。
「ご忠告どうも。でもな、ゴダンさん。石ころだって、投げ方次第で人を殴れるんだぜ」
「ああ? 何が言いたい」
「まあ、見てろって。次の機会に、あの影をどう料理するか、楽しみにしててくれよ」
カイは軽口で返した。
ゴダンは、フン、と鼻を鳴らした。
「ヘッ、減らず口を。まあ、せいぜい恥の上塗りをして、ギルドから追い出されねえようにな」
ゴダンはそう言い捨てると、取り巻きたちと共に、酒場の奥へと去っていった。
カイは、残ったエールを一気に飲み干した。
(……見てろよ、って言ったはいいけどな)
心の奥で、冷たいものが揺れる。
(物理無効の敵に、有効打を与えられる方法。まだ、何も見つかってない)
カイは、空になったジョッキをカウンターに置いた。
——
その夜。
カイはヴァンドゥールの三階にある書庫にいた。
支部長室の隣にある、ギルドが管理する資料室。古い依頼書や、モンスターの調査記録が、棚にびっしりと並んでいる。
カイは、マロウノ影に関する資料を片っ端から引っ張り出して、床に座り込んで読み耽っていた。
「……お、これだ。マロウノ影の討伐記録」
古い羊皮紙に、かすれた文字で記録が残されていた。
『マロウノ影、討伐。聖職者三名の協力により、聖水と聖銀の武器で浄化に成功。討伐後、低確率にて「幽核石」を採取。幽核石は、霊体の凝縮核であり、魔法触媒やエンチャント素材として高価。金貨十五枚相当』
「幽核石……金貨十五枚!」
カイは身を乗り出した。
(待て待て。幽核石があれば、ゴーレムに魔法的な攻撃属性を付与できるかもしれない。霊体に干渉できるようになる可能性がある。しかも、金貨十五枚の価値がある)
カイの頭の中で、ピースがかみ合い始めた。
「これだ! 幽核石をゴーレムのコアに組み込めば、物理攻撃に魔力を纏わせられる! そうすれば、マロウノ影にもダメージが通る!」
しかし、次の瞬間。
カイの顔から、笑みが消えた。
「……いや、待てよ。幽核石は、マロウノ影を倒さないと手に入らない。マロウノ影を倒すには、幽核石が必要。……これって」
カイは、ゆっくりと書庫の床に寝転がった。
「卵が先か、鶏が先か……ってやつかよ」
天井を見上げて、乾いた笑いが漏れた。
(笑うしかない。幽核石を手に入れるには、マロウノ影を倒すしかない。でも、マロウノ影を倒すには、幽核石が必要だ。完全に、詰んでる)
カイは、しばらく床に寝転がったまま、天井の木目を眺めていた。
——
それから数日。
カイは、幽核石のことを一旦棚上げにして、別のアプローチを試み始めた。
「ゴーレムに、魔力を集中させる回路を簡易的に組み込む。物理攻撃に、微量の魔力を纏わせるんだ」
ラムの角亭の裏庭で、カイは二体のゴーレムと向き合っていた。
ゴーレムの外装の一部を外し、内部の魔力回路に、魔鉱石の小片を組み込んでいく。魔鉱石は、ドルクから安く分けてもらった端材だ。
「よし、一号、軽くパンチしてみろ」
ゴーレム一号が、ゆっくりと拳を突き出す。
その拳に、うっすらと青白い光が宿った。
「おお! 魔力が乗ってる! これなら、霊体に触れるかもしれない!」
その瞬間だった。
ゴーレム一号の動きが、突然おかしくなった。
ぎぎぎ、と関節が軋む音。拳が、制御を失ったように、めちゃくちゃに振り回される。
「おい、一号、止まれ! ストップ!」
しかし、ゴーレム一号は止まらない。
その巨体が、裏庭の庭木に向かって突っ込んでいった。
ドゴォォォン!!!
庭木が、根元からなぎ倒された。
「うわっ! やばい!」
カイは慌てて、ゴーレムへの魔力供給を遮断した。
ゴーレム一号は、ぴたりと動きを止めた。
「……はあ、はあ。あぶねえ……」
カイは、崩れ落ちた庭木を見て、青ざめた。
「おい、カイ! 何やってんだい、あんたは!」
ミラが、鬼のような形相で裏庭に飛び出してきた。
「あー……その、すみません。実験に失敗して」
「実験に失敗して、じゃないよ! あんた、うちの庭木を何本なぎ倒せば気が済むんだい! この前は壁に穴を開けたし、今日は庭木だよ! 宿屋の経営者として、看過できないね!」
「ご、ごめんなさい! すぐに片付けます! 弁償もします!」
カイは、ぺこぺこと頭を下げた。
「当たり前だよ! 全く、あんたは何を考えてるんだか……。まあ、でも、若いのに一生懸命なのは分かるけどね。ほどほどにしな」
ミラは、呆れたようにため息をついた。
カイは、倒れた庭木を片付けながら、しかし内心では手応えを感じていた。
(暴走はしたけど、魔力を纏わせることはできた。微かながら、霊体に干渉できる可能性がある。この方向性は、間違ってない)
夕暮れの空が、裏庭を赤く染めていた。
カイは、庭木の残骸を抱えながら、遠くの空を見上げた。
(でも、まだ足りない。あの影に、決定的な一撃を与えるには)
胸の奥で、冷たい焦りが、じわりと広がる。
(幽核石。あれがあれば、すべてが変わる。でも、あれを手に入れるには、あの影を倒さなきゃいけない)
カイは、唇を噛んだ。
(卵が先か、鶏が先か。……答えは、まだ出ない)
夜の帳が、静かに下りてくる。
カイの影が、地面に長く伸びていた。
カイは、ふと、自分の影を見つめた。
(……ああ、そうか。影か)
その時、入口のランプが揺れて、影がぐにゃりと不自然に歪む。カイの足元から伸びる影の先端が、地面から浮き上がるように、ゆらり、と持ち上がった。
(——違う。あれは俺の影じゃない)
カイが振り返るより早く、影はカイの背中に覆いかぶさった。
「————っ」
喉が、凍りつく。
声が出ない。いや、出していたのかもしれない。耳の奥で、自分の叫び声が遠くに聞こえた後、何もかもが水の底に沈んでいくような感覚だけが残った。
腕が、足が、指先から順番に、感覚を失っていく。立っていることさえできず、膝が折れて地面に落ちる。視界の隅で、二号ゴーレムが起動しようとしていた。しかし、こちらの魔力供給が乱れ、その動きはぎちぎちと空回りし、起動できない。
(あの時の——マロウノ影が、どうして、王都の中に)
冷たい何かが皮膚の下に入り込み、骨を撫でる。体温が、心臓から引き抜かれていく。指先から冷たくなっていくのが分かる。息が浅い。空気が口に入っても、肺がそれを吸い込む力を持たない。
視界の端で、ランプの光が揺れて、消えた。
暗闇の中で、影が、カイの中へと沈み込む。
(ああ——詰みだ)
意識の最後で、彼は静かにそう思った。
幽核石には、届かなかった。Noveliaとは?
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