真白の記憶、茜の想い
『ごめんね、ましろ君』——忘れていた声が、深夜の配信終わりに蘇る。
ミナモ大学心理学部二年のましろは、都市伝説の検証配信を生業にしていた。ホラーは怖くない、むしろわくわくする。そんな彼の機材が、ある夜、勝手に起動した。映し出されたのは、知らないはずの記憶。白い天井、消毒液の匂い、誰かに手を引かれて走る自分。そして、泣き出す寸前みたいな、女性の声。
「オレは、何を忘れてるんだ——」
その頃、ましろが秘密組織クロノス機関に監視されていることを、彼だけが知らなかった。失われた記憶、揺れる能力、冷たい水しか喉を通らない奇妙な癖。すべては、2年前に消された何かへと繋がっている。
明日、あの声の主がましろの前に現れる。学園×青春×記憶ミステリー、開幕。
真白の記憶、茜の想い - 深夜二時の共鳴——忘れた声がノイズに混ざる
深夜二時。ミナモ市の繁華街、ネオン・ストリート。
看板の光が路面ににじみ、酔っ払いの笑い声が路地の奥から聞こえてくる。そんな街の片隅で、ましろは配信機材をたたんでいた。白いシャツに黒のジャケット、首には赤いスカーフ。黒髪のショートヘアの上で、安全ピンの髪飾りが街灯の光を鈍く反射している。
「……終わった」
声は自分でも驚くほどかすれていた。二時間の配信、その最後を締めたのは、人形を水に沈める儀式めいた手順だった。本当なら、ここでお祓いをして、人形はお焚きあげに出す。でも、正直、面倒くさい。
(まあ、どうせ何も起きないだろ)
ましろは人形をビニール袋に突っ込むと、機材バッグのポケットに押し込んだ。配信中、視聴者から「最近ノイズ多くない?」というコメントが何件か流れていた。あれも、機材の接触不良か何かだろう。安物のマイクだし。
「また今度な」
スマホの画面に向かって小さく手を振り、配信を切る。視聴者数は少なかった。まあ、いつものことだ。
彼はミナモ大学心理学部の二年生で、昼間は講義に出て、夜はこうして都市伝説の検証配信をしている。この街には、そういう噂がやたらと多い。カゲロウ山の迷い人、ミナセ川の夜泣き、旧工業地帯の消える工場。どれもこれも、ましろにとっては検証する価値のある題材だった。
ホラーは怖くない。むしろ、わくわくする。
昔からそうだった。中学生の頃、同級生の女子に何をされても、ましろは夜になると怖い話を求めて街を歩いた。あの頃の記憶は、今も断片的にしか残っていないけれど。
機材を背負い直し、ましろは立ち上がった。
その時だった。
ザッ、と耳障りな音がして、機材バッグの中のモニターが勝手に起動した。画面が激しく明滅し、白と黒のノイズが走る。
「……は?」
ましろはバッグを下ろし、モニターを覗き込んだ。砂嵐のような画面の向こうに、何かが映っている。人影。いや、これは——自分だ。配信中の自分の姿。だが、その背景が違う。
白い天井。消毒液の匂い。誰かに手を引かれて、走っている。
「っ……!」
頭の奥が、鋭い痛みで弾けた。知らない記憶。いや、知っているはずの記憶。白い天井が、冷たい手が、走る足音が、全部、体のどこかに刻まれている。
スピーカーから、声が聞こえた。
『ごめんね、ましろ君』
女性の声だった。柔らかくて、震えていて、泣き出す寸前みたいな声。
「だれ……?」
ましろはその場にうずくまった。胸の奥が締めつけられ、呼吸が浅くなる。モニターのノイズは、数秒でぱたりと消えた。画面は真っ黒に戻り、機材は何事もなかったように静かに動き続けている。
(気のせい……か?)
そう思おうとした。でも、動悸が治まらない。手のひらに汗がにじんでいる。
ましろはゆっくりと立ち上がり、ネオン・ストリートを歩き出した。看板の光が、彼の黒いジャケットを赤や青に染めていく。深夜の街はまだ眠っていない。カラオケの呼び込みの声、ゲームセンターの機械音、遠くの救急車のサイレン。
そのすべてが、さっきの声をかき消してくれればいいのに。
「オレは、何を忘れてるんだ……」
心理学部で記憶の研究をしている自分が、自分の記憶について何もわからない。その矛盾が、胸の奥でざわつく。ましろは足を止め、空を見上げた。ネオンの光で星は見えない。
(あの声、どこかで聞いたことがある)
いや、聞いたことがある、なんてものじゃない。もっと深いところで、あの声を知っている気がする。名前も顔も思い出せないのに、声だけが、心の底に引っかかっている。
ましろが去った後、路地の闇から、スーツ姿の男が姿を現した。
男は手にしたスマートフォンをましろの後ろ姿に向け、静かにシャッターを切った。無機質な目。感情の読めない顔。
「対象確認。記憶反応あり。リコールの兆候を確認しました」
男は通話先に、淡々と報告した。
「はい、第7研究所にデータを送ります。……玄葉様、次の指示を」
通話の向こうから、低い声が返ってくる。男は小さく頷き、通話を切った。路地の闇に、再び溶けるように消えていく。
読者だけが知っている。ましろが、クロノス機関という秘密組織に監視されていることを。
ましろの家は、市東部の古い一軒家だった。
廃墟と間違われても仕方ないくらい、壁はひび割れ、庭は荒れ放題。玄関の鍵はかろうじて機能しているが、それ以外は正直、いつ崩れてもおかしくない。でも、ましろにとっては、ここが唯一の帰る場所だった。
「ただいま」
ドアを開けると、三毛猫のぱわこが足元にすり寄ってきた。人懐っこい子で、ましろが帰ると必ずこうして出迎えてくれる。その後ろから、黒猫のニアが警戒しながらも、ちらりとこちらを見た。
「ふたりとも、いい子にしてたか?」
ましろはしゃがみ込み、ぱわこの頭を撫でた。ニアは少し離れた場所から、じっとこちらを観察している。この距離感が、ニアらしい。
荒れた部屋の中、猫たちに餌をやりながら、ましろは今日の配信で起きたことを思い返していた。ノイズ。声。白い天井の記憶。
「都市伝説の検証ばかりしてるから、変なもんでも拾ったかな」
苦笑いを浮かべてみた。でも、手の震えは止まらない。
冷蔵庫を開け、ペットボトルの水を取り出す。常温のそれは、もう何日も前からそこにある。ましろはそれを見つめ、小さくため息をついた。
(冷たいの、買ってくればよかった)
常温の飲み物が飲めない。昔からの変な癖だ。喉が受けつけない。冷たいものしか、体が欲しがらない。
ましろはペットボトルを冷蔵庫に戻し、代わりに冷えたミネラルウォーターを手に取った。冷たい水が喉を通る。それでも、手の震えは治まらなかった。
深夜。
ましろはベッドに横になり、天井を見つめていた。隣ではぱわこが丸くなって眠っている。ニアは部屋の隅で、目を開けたままこちらを見ていた。
『ごめんね、ましろ君』
また、あの声が聞こえた気がした。
(誰の声なんだ)
思い出せない。なのに、胸が苦しい。声を聞くだけで、泣きたくなる。
ましろは目を閉じた。失った記憶の断片を追いかけるように、意識が沈んでいく。白い天井、消毒液の匂い、誰かの手。走る足音。そして、あの声。
『一緒に逃げよう』
その言葉が、深い闇の底から響いた。
——その頃。
ミナモ市北西、旧工業地帯アッシュ・レーン。廃工場が立ち並ぶその地下深く、クロノス機関の第7研究所。
壁一面のモニターが、ネオン・ストリートの監視カメラの映像を映し出していた。その中央に、ましろの後ろ姿が映っている。
「リコールの兆候、か」
銀色の短髪に、額には一本だけ白い筋が入っている。冷たい灰色の瞳が、モニターの映像をじっと見つめていた。黒いスーツを着た長身の男、玄葉什。クロノス機関の幹部であり、ましろの記憶を消した実験の責任者。
彼の前のモニターには、ましろの配信データから抽出された波形が表示されていた。微弱な記憶共鳴の波形。それは、ましろの失われた記憶が、何らかの刺激で揺れ動いている証拠だった。
「2年か……」
玄葉は静かに微笑んだ。感情の読めない笑み。
「そろそろ戻ってきてもらおうか、ましろ爻」
モニターに映るましろの姿は、すでに路地を曲がり、見えなくなっていた。
玄葉は手元の端末を操作し、あるデータを呼び出した。そこには、ましろの顔写真と、詳細な経歴が並んでいる。その中の「特記事項」の欄に、赤い文字でこう記されていた。
『被験体M-07:記憶共鳴能力。詳細不明。要再検証』
玄葉はその文字を指でなぞり、目を細めた。
「君の力は、まだ誰にもわかっていない。……私にも、な」
その声は、誰に聞かせるでもなく、静かな部屋に溶けていった。
ましろは、自分が組織に狙われていることを、まだ何も知らない。
ただ、眠りの中で、あの声だけが繰り返し響いていた。
『ごめんね、ましろ君』
そして、その声の主が、明日、自分の前に現れることになるなんて。
ましろは、まだ何も知らなかった。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。