六花の勇者 外伝 ~凶魔統率者テグネウの愛と絶望~
六花の勇者たちの敵、凶魔統率者テグネウ。その知られざる過去が、今明かされる――。
ヨルムンガルド山脈の奥深く、無名の洞窟に潜むテグネウは、黒蜥蜴の群れを人間領へと放っていた。三百十二年もの生涯、誰にも触れられず、異端と罵られ、同族からさえ距離を置かれてきた男。彼の胸に去来するのは、冷たい孤独と、決して満たされない渇望。
そんな折、黒蜥蜴の目を通して見たのは、小さな村で薪を運ぶ少年と少女の姿だった。無造作に伸びた茶色の髪の少年アドレットと、その姉シェトラ。髪を撫で、抱きつき、笑い合う二人の、何気ない、しかし疑いようのない愛情の光景。
その光景が、テグネウの胸の奥で何かを焼き焦がした。嫉妬。三百十二年、決して与えられたことのない温もりへの、制御不能な激情。
「火を放て」
冷徹な策士の仮面の下で、彼は苦渋の決断を下す。この村を焼き、姉を奪い、少年を凶魔への復讐者へと仕立て上げる――。それは、六花の勇者に匹敵する最強の駒を作るための、計算し尽くされた計画のはずだった。
だが、燃え盛る納屋の前で立ち尽くす少年を見つめながら、テグネウの頬を伝ったのは、自分でも意味のわからない涙だった。
六花の勇者 外伝 ~凶魔統率者テグネウの愛と絶望~ - 偽りの愛が本物に変わる夜——操り手の鱗が剥がれ落ちる
秋の夜気が、森の奥まで染み渡っていた。
野営地の焚き火は、もうずいぶん小さくなっている。赤い火の粉が時折ぱちりと弾け、闇の中へ吸い込まれていった。木々の向こうでは、夜の虫たちが途切れ途切れに鳴いている。
アドレット・マイアは、焚き火のそばで膝を抱えていた。明るい茶色の髪が、汗と埃で額に張り付いている。左手首に巻かれた焦げた布——姉の形見——を、無意識に右手の指でなぞっていた。
隣には、フレミー・スピッドロウが座っている。雪のように白い長髪が、夜風にそっと揺れた。右目が桃色、左目が青のオッドアイ。焚き火の残り火が、その瞳にちかちかと映り込んでいる。
二人の間には、ほんの少しだけ距離があった。
手を伸ばせば届く。けれど、どちらもその距離を縮めようとはしない。
あの戦いの後、何かが変わってしまった。ナッシェタニアが攫われ、ゴルドフが地面に跪いていたあの瞬間から、空気そのものが重くなったような気がする。
「……なあ、フレミー」
アドレットが、ぽつりと呟いた。
「なに」
フレミーの返事は、いつも通り素っ気ない。だが、その声には微かな疲れが滲んでいた。
「俺さ、やっぱり、お前のことを守りたいって思ってる」
焚き火の火が、また小さく爆ぜた。
「それが、俺の中から出てきたものなのか、それとも誰かに入れられたものなのか、正直わかんねえんだ」
アドレットは、左手首の布をぎゅっと握った。
「でもな、たとえ偽物でも、今こうして隣にいて、お前に何かあったら嫌だって思ってる。それだけは、確かなんだ」
フレミーは、答えなかった。
彼女の白い指先が、膝の上で微かに震えている。アドレットは、その震えに気づいていた。けれど、何も言わなかった。
——その時だった。
ざわり、と。
森の空気が、一瞬で変わった。
焚き火の炎が、まるで何かに押し潰されるように、ふっと揺らいで小さくなる。
虫の声が、ぴたりと止んだ。
風も、止まった。
「……来る」
フレミーが、すっと立ち上がった。手のひらの中で、金属球が転がる。それが薬莢と火薬に変わり、指の間に銃弾が並ぶ。
アドレットも、腰を上げた。剣の柄に手をかける。
木々の間から、ぬるりと黒いものが這い出してきた。
一匹、二匹、三匹——。
黒い蜥蜴の群れだ。体長三十センチほどの、鱗に覆われた小型の凶魔。それが、野営地の周囲を、音もなく取り囲んでいく。
十匹、二十匹、いや、もっとだ。
焚き火の明かりが届かない闇の奥まで、無数の小さな目が光っている。
「ちっ……囲まれてる」
アドレットが、剣を抜いた。
だが、黒蜥蜴たちは、攻撃してこなかった。
ただ、じっと、二人を見つめている。
まるで、何かを待っているかのように。
「アドレット、下がって」
フレミーが、銃を構えた。
その時。
「——よい夜だな」
低く、静かな声が、闇の奥から響いた。
二人の背筋が、同時に強張る。
焚き火の光が、ゆらりと揺れた。
木々の間から、一つの影が、ゆっくりと歩み出してくる。
漆黒の鱗。黄金の瞳。左頬から首筋にかけて走る、古い裂傷の痕。肩の上には、一匹の黒い蜥蜴が止まっている。
凶魔統率者、テグネウ。
その姿が現れた瞬間、周囲の温度が、はっきりと下がった。
冷たい。
肌に触れる空気が、氷のように冷たい。
「テグネウ……!」
アドレットが、剣を構えた。
「ほう。私の名を知っているか」
テグネウの口元が、ゆっくりと歪む。
「当然だ。お前のせいで、どれだけの人が死んだと思ってる」
「人、か。お前にとって、人は何だ。ただの数か。それとも、復讐のための道具か」
テグネウの声は、丁寧で、静かだった。
だが、その一語一語が、肌に突き刺さるように冷たい。
「何を言ってやがる……」
アドレットの手が、剣の柄を強く握りしめる。
「アドレット・マイア。私は、お前に話があって来た」
テグネウが、一歩、前に出た。
「三統率者の契約——六花の勇者を最も多く倒した者に、他の二体が従う。お前たち人間の言葉で言えば、そういう取り決めだ」
テグネウの黄金の瞳が、アドレットをじっと見据える。
「私は、その契約を果たすために、お前を必要としている」
「は……?」
「お前は、私が作り上げた駒だ。地上最強などと虚勢を張り、復讐に燃え、勇者を狩るために育てられた。お前の姉を殺したのは、この世界の凶魔だ。お前は、凶魔を憎んでいる。ならば、私の手駒として、勇者候補を一人ずつ始末すればいい。それこそが、お前の本来の役目だ」
テグネウの言葉は、静かで、淡々としていた。
まるで、最初から決まっていたことを、ただ読み上げるように。
「ふざけんな……誰が、お前なんかの言いなりになるかよ!」
アドレットの声が、夜の森に響いた。
「そうか。では、聞こう」
テグネウの視線が、ゆっくりと、フレミーへと向いた。
「フレミー・スピッドロウ。お前の隣にいるその少女。お前は、彼女に恋をしている。そうだろう」
フレミーの肩が、びくりと震えた。
「だが、それは偽りの愛だ。私が、お前の心に植え付けた、偽りの感情。お前は、私の力によって、彼女を愛しているように錯覚させられているに過ぎない」
アドレットの顔から、血の気が引いていく。
「……なにを、言ってるんだ」
「そのままの意味だ。お前のフレミーへの想いは、私が作ったもの。お前自身の感情ではない」
テグネウの唇が、三日月のように吊り上がる。
「お前は、私の掌の上で、愛という名の糸に操られて踊っているだけだ。そして、その糸は、今この瞬間も、私の手の中にある」
「やめろ……!」
アドレットの叫びが、空気を震わせた。
「なぜ、やめる必要がある。真実を告げているだけだ」
テグネウの視線が、再びフレミーへ向く。
その黄金の瞳が、フレミーの全身を、値踏みするように、じっくりと舐め回した。
頭の先から、足の先まで。
「フレミー・スピッドロウ。お前は、私の『黒の徒花』。私が育て、私が使い、私が捨てるはずだった道具。お前のその白い髪も、その桃色と青の瞳も、すべては私の計画のためにあった」
フレミーの顔が、強張っていく。
「お前は、アドレットの姉を殺した。その手で、確かに、シェトラという名の少女を殺した。違うか」
フレミーの呼吸が、止まった。
右目が、桃色に、淡く光る。
「黙れ……!」
フレミーの声が、震えていた。
「なぜ黙る。事実だろう。お前は、アドレット・マイアの姉を殺した。そして今、その弟の隣で、愛されている顔をしている。その罪を隠したまま、偽りの愛に縋って生きている」
「ちがう……私は……」
フレミーの指が、銃を握りしめたまま、細かく震える。
「何が違う。お前の存在そのものが、偽りと罪で出来ている。お前がアドレットに愛されていると思うのは、私が仕組んだ幻想だ。お前は、私の掌の上で、ただ転がされているだけの、哀れな道具に過ぎない」
「やめろぉおおお!」
アドレットが、叫んだ。
剣を構えたまま、テグネウの前に踏み出す。
「お前が何を言おうと、関係ねえ。フレミーを傷つける奴は、俺が許さねえ!」
「ほう。偽りの愛で、そこまで熱くなれるか」
テグネウが、嘲笑うように言った。
「ならば、その偽りの感情ごと、私が操ってやろう。お前の意思など、私の力の前では無力だ」
テグネウが、右手を持ち上げた。
黒蜥蜴の群れが、一斉にざわめく。
その時。
アドレットが、振り返った。
フレミーの手を、強く握る。
「フレミー」
フレミーが、目を見開いた。
「お前への気持ちが、本物かどうか、わからねえ。正直、今も、自分の心が自分のものなのか、自信がねえ」
アドレットの手が、フレミーの冷たい指を、ぎゅっと包み込む。
「でもな、今、お前を守りてえと思ってる。それは、俺の意思だ。誰に植え付けられたものでもねえ。俺が、今、ここで、お前を守るって決めたんだ」
フレミーの唇が、わなないた。
「アドレット……」
「だから、テグネウ。お前の力なんかに、俺は屈しねえ。俺は地上最強の男だからな!」
アドレットが、テグネウを真っ直ぐに見据えた。
その瞳に、迷いはなかった。
——その瞬間。
テグネウの体が、びくりと震えた。
「……なに……?」
テグネウの胸の奥で、何かが、弾けた。
内側から、焼け焦げるような痛みが、全身を駆け抜ける。
「ぐ……っ……!」
テグネウが、胸を押さえて、よろめいた。
漆黒の鱗が、ぱきり、と音を立てて剥がれ落ちる。
一枚、二枚、三枚——。
肩から、腕から、頬から。
無数の鱗が、血を伴って、地面に落ちていく。
「な、なんだ……これは……!」
テグネウの口から、赤黒い血が、どっと溢れ出した。
膝が、地面に突く。
「テグネウ……!?」
アドレットが、驚愕の声を上げた。
テグネウの体が、見る見るうちに、鱗を失っていく。
漆黒の鱗の下から、生々しい皮膚が覗く。血が、流れ落ちる。
「なぜだ……なぜ、こんなことが……」
テグネウの黄金の瞳が、深紅に変色していく。
「愛を操る力の……反動……だと……?」
テグネウは、地面に手をついた。
指先が、自分の剥がれ落ちた鱗に触れる。
「なぜだ! なぜお前たちばかりが、そんなにも簡単に——!」
テグネウの叫びが、夜の森に、木霊した。
その声には、怒りと、痛みと、そして——微かな、悲しみが、混じっていた。
「お前たちは、偽りの愛を、本物に変えていく。私が、三百十二年もの間、一度も手に入れられなかったものを、迷いながらも、手にしていく。なぜだ。なぜ、私には与えられない。なぜ、お前たちばかりが——」
テグネウの言葉は、もはや、アドレットたちに向けられたものではなかった。
闇の奥へ。自分自身の、空虚な胸の奥へ。
吐き出すように、溢れ出る、渇望の叫び。
「テグネウ……お前、まさか……」
アドレットが、言葉を失った。
フレミーは、アドレットの腕の中で、震えながらテグネウを見つめていた。
「……アドレット、私……」
フレミーが、何かを言おうとした。
「私、あんたの……姉を……」
その言葉が、途切れた。
フレミーの喉が、ひくりと動く。
「フレミー……?」
アドレットが、フレミーの顔を覗き込む。
フレミーの右目が、桃色に、強く光っていた。
「……なんでもない」
フレミーは、そう言って、唇を噛んだ。
テグネウは、その光景を、地面に膝をついたまま、じっと見つめていた。
(偽りの愛が、本物に、上書きされている)
(私の力が、通用しない。いや、私の力が、彼らの中で、別のものに変わっていく)
(私には、決して起こらない変化。私には、決して与えられないもの)
テグネウの胸の奥で、嫉妬と渇望が、炎のように燃え上がる。
——その時。
「にゃあ、大将」
茂みの奥から、のんびりとした声が聞こえた。
三人の視線が、一斉にそちらへ向く。
焦げ茶色の短髪。頭頂部で跳ねた二つの癖毛。黄緑色の猫目が、暗闇の中で、ゆっくりと瞬いている。
ハンス・ハンプティが、茂みを掻き分けて姿を現した。
両手には、鉈のような二本の剣。
「そろそろ潮時じゃねえか?」
ハンスは、にやりと笑った。
「お前さんの黒蜥蜴、全部、場所を把握してるぜ。囲んでるつもりが、囲まれてるって気づかねえか、大将」
テグネウの黄金の瞳が、細められた。
「……ハンス・ハンプティ」
「おっと、俺の名前も知ってるか。光栄だねぇ」
ハンスが、鉈剣を肩に担いだ。
「にゃあ、それ以上暴れるなら、付き合うぜ。ただ、今のお前さん、結構ボロボロだろ。無理はしねえ方がいいんじゃねえか?」
ハンスの猫目が、テグネウの剥がれ落ちた鱗と、流れる血を、冷静に観察している。
テグネウは、ゆっくりと立ち上がった。
「……面白い。お前の観察眼、噂以上だな」
テグネウの声は、まだ震えていた。
だが、その瞳には、再び冷たい光が宿り始めている。
「だが、今夜はこれで十分だ。私は、見たかったものを見た」
テグネウの視線が、アドレットへ向いた。
「アドレット・マイア。お前の本来の姿を、忘れるな。お前は、復讐以外に興味を持たぬ、凶暴な獣。私が、そう作った。その本性は、いずれ、必ず目覚める」
「お前は、何を言って……」
「さらばだ。六花の勇者たちよ」
テグネウが、片手を上げた。
黒蜥蜴の群れが、一斉に動き出す。
無数の黒い影が、テグネウの体を包み込み、渦を巻く。
そして、次の瞬間。
テグネウの姿は、黒蜥蜴の群れとともに、闇の中へ消えていた。
後には、剥がれ落ちた鱗と、血の跡だけが残っている。
「……行ったか」
ハンスが、鉈剣を下ろした。
「アドレット、フレミー、大丈夫かぃ?」
ハンスの声が、いつもの猫口調に戻る。
「ああ……なんとか」
アドレットは、まだフレミーの手を握ったままだった。
「フレミー、大丈夫か」
「……ええ」
フレミーは、小さく頷いた。
その指先は、まだ微かに震えている。
「にゃあ、それにしても、あの蜥蜴野郎、まだ何か仕込んでるぜ」
ハンスが、地面に落ちた黒い鱗を、爪先でつついた。
「あの様子じゃ、今夜は退いたが、次はもっと陰湿に来る。お前さんたちの関係を、内側から壊すつもりだ。気をつけな」
ハンスの猫目が、アドレットとフレミーを、交互に見つめた。
「……わかってる」
アドレットが、力強く頷いた。
「俺は、フレミーを守る。何があっても」
フレミーが、アドレットの横顔を見上げた。
その瞳に、一瞬、泣き出しそうな色が浮かぶ。
けれど、彼女は何も言わなかった。
ただ、アドレットに握られた手を、ほんの少しだけ、握り返した。
——
洞窟の中は、冷たい空気が澱んでいた。
ヨルムンガルド山脈の南麓、人間の地図からは存在ごと消された無名の洞窟。その奥深く、光の届かない暗がりで、テグネウは岩壁にもたれていた。
剥がれ落ちた漆黒の鱗を、掌で握りしめている。
愛を操る力の反動で、身体はボロボロだった。
あちこちから血が滲み、呼吸は浅く、指先は氷のように冷たい。
だが、それ以上に。
テグネウを苛んでいたのは、あの瞬間の、アドレットの言葉だった。
『今、お前を守りてえと思ってる。それは、俺の意思だ』
あの言葉が、本物の感情として、フレミーに届いていた。
偽りの愛を、本物に上書きする。
テグネウには、決してできないこと。
テグネウには、決して与えられないもの。
「……なぜだ」
テグネウは、暗闇の中で呟いた。
「なぜ、私は、こんなにも苦しい」
答えは、なかった。
あるはずもなかった。
——ぽたり。
何かが、テグネウの頬を伝った。
テグネウは、ゆっくりと、自分の頬に手を当てた。
濡れていた。
「……なんだ、これは」
指先に、透明な液体が触れる。
「涙……?」
テグネウは、初めて、自分の頬を伝う涙に気づいた。
三百十二年生きてきて、初めての感覚だった。
「これは、何の涙だ。嫉妬か。悔しさか。それとも、別の何かか」
テグネウは、自分の涙を、指先で拭った。
「……わからない」
彼は、剥がれ落ちた鱗を、さらに強く握りしめた。
鱗の縁が、掌に食い込み、血が滲む。
「だが、これだけは確かだ」
テグネウの黄金の瞳が、暗闇の中で、深紅に変色した。
「私は、お前たちの愛を、絶対に許さない」
テグネウは、ゆっくりと立ち上がった。
洞窟の床に、剥がれ落ちた鱗が散らばっている。
その中から、一匹の黒い蜥蜴が、テグネウの足元に這い寄ってきた。
「行け。アドレットとフレミーの元へ。二人が、互いの罪と想いを、どう扱うか。一部始終を、私に伝えよ」
黒蜥蜴は、小さく頷くように頭を下げ、闇の中へ消えていった。
テグネウは、岩壁に手をついた。
「愛を操る力には、限界がある。今回の失敗で、それがはっきりした」
彼は、目を閉じた。
「ならば、より確実な方法を取るまで」
暗闇の中で、テグネウの思考が、冷たく、鋭く、研ぎ澄まされていく。
「アドレットの洗脳で封じ込めた、本来の凶暴な人格。障害を排除する冷たい獣性。それを呼び覚ますには、フレミーがアドレットの姉シェトラを殺めたという真実を、しかるべき時に、アドレットへ告げればいい」
テグネウの唇が、ゆっくりと歪んだ。
「そして、六番。フレミーを案じる、あの母性。それを利用し、フレミーを再び、私の支配下に引き戻す」
遠く、地の底から、低い鼓動が聞こえた。
魔神復活の鼓動。
それは、前触れよりも、はっきりと、大きくなっている。
「次は、お前たちの愛そのものを、喰い破ってやる」
テグネウの声は、洞窟の闇に吸い込まれていった。
——
野営地。
焚き火は、すっかり消えていた。
アドレットとフレミーは、並んで座っていた。
ハンスは、少し離れた木の根元で、猫のように丸まって眠っている。
「……なあ、フレミー」
アドレットが、小声で言った。
「さっき、何か言いかけてたよな。俺の姉のこと」
フレミーの肩が、ぴくりと震えた。
「……なんでもない」
フレミーは、顔を背けた。
「本当に?」
「本当よ。あんたには関係ない」
フレミーの声は、いつもの刺々しさを取り戻していた。
だが、その指先は、まだ震えている。
アドレットは、その震えに気づいていた。
けれど、問い詰めることはしなかった。
「……そうか」
アドレットは、ただ、そう言った。
フレミーが、小さく息を吐いた。
「……ありがとう」
消え入りそうな声だった。
「ん? 何か言ったか?」
「別に。なんでもないわ」
フレミーは、膝を抱えて、顔を伏せた。
白い髪が、夜風に揺れる。
アドレットは、フレミーの横顔を、じっと見つめていた。
(こいつ、何か隠してる)
(でも、今は、それを暴く時じゃない)
(いつか、フレミーが自分から話してくれるまで、待とう)
アドレットは、そう決めた。
——その時。
フレミーの足元に、一匹の黒い蜥蜴が、ぬるりと現れた。
「……!」
フレミーが、息を呑んだ。
黒蜥蜴は、フレミーの足元で、じっと彼女を見上げている。
そして、その口が、微かに動いた。
「今告げれば、彼の本来の人格が目覚める。お前が望む結末か?」
それは、テグネウの声だった。
フレミーの顔から、血の気が引いた。
「……っ」
フレミーは、唇を噛みしめた。
「フレミー? どうした?」
アドレットが、声をかける。
「……なんでもない」
フレミーは、無理やり笑顔を作った。
「なんでもないわ」
その笑みは、ひどく、脆かった。
アドレットは、フレミーの笑顔の裏にある震えに、確かに気づいていた。
けれど、彼は、何も問い詰めなかった。
黒蜥蜴は、音もなく、闇の中へ消えていった。
——
洞窟の奥。
テグネウは、黒蜥蜴の目を通して、その一部始終を観察していた。
フレミーが、告白を飲み込んだこと。
アドレットが、問い詰めなかったこと。
二人の間に、再び、目に見えない亀裂が走ったこと。
「……これでいい」
テグネウは、静かに呟いた。
「お前たちの愛は、まだ、偽りの上に成り立っている。その偽りが、いつか、お前たち自身を喰い破る」
彼は、剥がれ落ちた鱗を、掌で握りしめた。
「私は、待つ。お前たちが、互いの罪を、想いを、どう扱うのか。その時、お前たちの愛が、本物か偽りか、はっきりする」
遠く、地の底から、魔神復活の鼓動が、大きく、大きく、響いていた。
テグネウの黄金の瞳が、暗闇の中で、深紅に輝く。
「次こそ、お前たちの愛そのものを、喰い破ってやる」
その呟きは、洞窟の闇に、静かに溶けていった。Noveliaとは?
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