膝を屈するな
高校生レン・アリサトは、制服姿のまま戦場のような世界に落ちる。だが彼は慌てない。管理メニューを開けるのだ。震える村人たちの前で、彼は伝説級の神具を何気なく出現させ、「静かに暮らしたいだけだ」と呟いて立ち去る。
村の薬草師リラは、嫌々ながら彼の案内役になる。猫耳の少女キキは自称・彼の公認証人となり、彼のでたらめな話を高値で売りさばく。
悪魔の大群が村を襲った時、現地の騎士たちは凍りつく。レンは神の武器を取り出し、一振りの光で大群を消し去る。生き残った騎士たちは跪き、王国への参加を懇願する。
三つの王国が贈り物、脅迫、求婚を送りつけてくる。レンはそのほとんどを無視する。傲慢な使者が彼に命令しようとした時、レンは城壁ごと彼をぶっ飛ばす。その映像は伝説となる。
紅の尖塔の魔王ドルヴァクが自ら彼を試しに来る。レンは世間話をしながら回避し、コンソールコマンドで魔王最強の呪文をコピーし、倍返しで投げ返す。ドルヴァクは公衆の面前で辱められ、逃走する。
人間の王たちは同盟を組み、軍勢でレンの小屋を包囲し、聖なる武器として服従するよう要求する。レンはあくびをし、/kill @e と入力し、一つの
膝を屈するな - キキ通信創刊!三王国の陰謀
カーヴェの村に、新しい風が吹き込もうとしていた。
いや、風というより、突風だった。
村の入り口に立っていたのは、オレンジ色の短い髪を左右に揺らした小さな少女だった。頭の上には、髪と同じ色の大きな猫耳がピンと立っている。金色の大きな瞳は、好奇心でキラキラと輝いていた。背丈は百四十八センチほど。髪と同じ色の猫耳と、先端だけ白いしなやかな尻尾が、これから始まる何かを期待するかのように、ゆらゆらと揺れている。
猫耳族の運び屋、キキ。十四歳。
彼女は、両手に大きな鞄を抱えて、村の真ん中をずんずんと歩いていった。
「ここがカーヴェの村だにゃ……噂のレン・アリサトがいる場所!」
キキの声は、朝の静かな村にやけに大きく響いた。
畑仕事をしていた大人たちが顔を上げる。井戸端で水を汲んでいた女性が、手を止める。子供たちが物珍しそうに、キキの後ろをついてきていた。
キキはそんな視線を気にすることもなく、ぴょこぴょこと跳ねるように歩いていく。尻尾が機嫌よさそうに左右に振れていた。
彼女が向かったのは、村で唯一の酒場「曲がり角亭」だった。
この酒場は、村の中心広場に面した木造の建物で、セルヴァ河の支流を見下ろす場所にある。店内には、常連の農夫たちや、通りがかりの行商人が、まだ昼前だというのに何人か屯していた。名物料理は猪肉のセルヴァ煮込み。銅貨八枚で食べられる。
キキは勢いよく扉を開けた。
ギィィィ。
古い蝶番が、嫌な音を立てる。
「ごめんくださーい! あたし、キキって言います! 猫耳族の運び屋だよ! ここでちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかにゃ!?」
店内にいた男たちが、一斉に振り返った。
カウンターの奥に立っていたのは、五十代の店主ガロフだった。元傭兵で、左腕には古い火傷の跡がある。村で一番修羅場を知っている男だ。彼は無言でキキをじろりと見据えた。
キキはひるまなかった。
「ねえねえ、レン・アリサトって人、この村にいるんでしょ!? この前、悪魔の王ドルヴァクを一撃でやっつけたっていう、伝説の神の使い!」
その言葉に、酒場の中の空気が変わった。
農夫たちが、ちらりと互いの顔を見合わせる。ある者は首を振り、ある者は下を向いて黙り込んだ。
ガロフは、ごつごつした手でカウンターを拭きながら、低い声で言った。
「……あんた、どこでその話を聞いた」
「どこでって、今、三王国中で大騒ぎだよ! 本物の魔王が、人間の村に落ちてきた謎の男に、たった一振りで丸焦げにされたんだって! それを知らないのは、この村の人間だけだにゃ!」
キキは得意げに胸を張った。
ガロフの眉が、ぴくりと動く。
「……お前さん、何者だ」
「だから言ったにゃ! あたしはキキ! 猫耳族の運び屋! それと、今日からは——」
キキは、くるっとその場で一回転すると、鞄から一冊の小冊子を取り出した。
「レン・アリサト公認、公式目撃者のキキだよ! これから、あたしの目で見たレンくんの真実を、全部この『キキ通信』に書いて売るの! 記念すべき創刊号は、なんと銅貨五枚! 安いでしょ!?」
酒場の中に、しばらく沈黙が落ちた。
「……公式目撃者?」
「そう! あたし、ドルヴァクが逃げていくところを、しっかりこの目で見てたんだよ! まだレンくんとは会ってないけど、会う前から公式ってことにすれば、こっちのもんでしょ!」
ガロフは、大きくため息をついた。
「……物好きなのが来たもんだ」
しかし、村人たちの反応は違った。
「キキ通信だって? おい、それ、レン様のことが載ってるのか?」
「買った! 俺も買うぞ! レン様の秘密が書いてあるかもしれん!」
「私も一冊ちょうだい!」
酒場のあちこちから、村人たちがキキのところに集まってくる。彼らは皆、あの日のレンの活躍を目の当たりにした者たちだ。悪魔の斥候隊を一瞬で消し去り、魔王を一振りで吹き飛ばした神の使い。その謎の男の情報が欲しくないわけがない。
キキは尻尾をぶんぶん振りながら、次々と小冊子を売りさばいていった。
「はい、ありがとうにゃ! 銅貨五枚ね! おつりはないから、ちょうど出して!」
村人たちは、奪い合うようにしてキキ通信を買い求めた。
そして、最初に冊子を開いた農夫が、不思議そうな顔で呟いた。
「……なんだこれ?」
小冊子の中身は、キキがこれまでの人生で集めてきたレン・アリサトの噂を、箇条書きにしたものだった。
「レン・アリサト、朝はだいたい昼まで寝ている」
「レン・アリサト、昼食後は日向ぼっこをしていることが多い」
「レン・アリサト、夕方、小屋の前で大きなあくびをする」
「レン・アリサト、夜は早めに寝る」
酒場のあちこちから、笑い声が上がった。
「なんだこれ! ただの昼寝の記録じゃないか!」
「おい、お前、本当にレン様を見たのか!?」
キキは、ぷんすか怒った。
「失礼だにゃ! これは貴重な観察記録だよ! 伝説の男が、普段どんな生活をしてるか、みんな知りたいでしょ!? 特にこの『あくびの長さ約四秒』は、あたしが命がけで測った超貴重なデータだにゃ!」
酒場に、また笑いが起きた。
キキは、村人たちから集めた情報を、小冊子に書き込みながら歩いていた。
「なるほどね。レンくんの小屋は、村の外れの丘の上にあるんだにゃ」
キキの耳が、ぴょこぴょこと動く。
「それで、薬草師のリラって人が、勝手にPR担当を名乗ってるんだ。ふぅん、あたしと似たようなことをしてるにゃ」
キキは、丘の上の小さな小屋を見上げた。
元羊飼いの小屋は、外から見るとかなりボロい。壁は苔むし、屋根の一部は抜けかかっている。しかしキキは知っていた。見た目とは裏腹に、この小屋の中は、とんでもなく快適だという噂があることを。
「さて、と」
キキは、小屋から少し離れた場所に、背負っていた大きな荷物を降ろした。
中から出てきたのは、簡易テントだった。
キキは慣れた手つきで、あっという間にテントを張ってしまう。猫耳族は、旅を生業とする者が多い。キキも、その例に漏れなかった。
「ここが、あたしの新しい拠点にゃ! レンくん観察小屋だよ!」
キキは満足げに、テントの前で腰に手を当てた。
その時だった。
ガラガラ。
小屋の窓が開いた。
中から顔を出したのは、寝ぐせのついた黒いショートヘアに、眠たげな焦げ茶色の瞳をした少年だった。十七歳。レン・アリサト本人だ。
彼は、半目でキキを見下ろした。
「……何してんの、お前」
キキは、ぱあっと顔を輝かせた。
「あっ! 噂のレンくん! 初めまして! あたし、キキ! 猫耳族の運び屋で、今日からあなたの公式目撃者にゃ!」
キキは、ぴょこんとお辞儀をした。尻尾がぶんぶん振れている。
レンは、じーっとキキを見た。
「……公式目撃者」
「そう! あたしがレンくんのことを見て、記録して、世界中に伝える、大事な役職だよ! よろしくにゃ!」
レンは、しばらく無言だった。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「ふーん」
それだけだった。
レンは、ばたりと窓を閉めた。
その後、小屋の中からは、再び静かな寝息が聞こえてきた。
「……あれ? あたし、無視された?」
キキは首をかしげた。
「まあいいにゃ! 観察対象が無反応なのは、こっちとしては好都合だよ! 自由に記録し放題だにゃ!」
キキは、小冊子を取り出すと、さっそく何かを書き始めた。
「レン・アリサト、他人の勝手な宣言に対して、『ふーん』とのみ発言。その後、窓を閉めて昼寝を開始。この無関心さ、実に伝説の男らしい……にゃ、これは売れる!」
キキの尻尾が、また大きく揺れた。
一方、その頃。
村の中心広場に面した薬草店「葉脈堂」では、店主のリラ・ファーネルが、大きなため息をついていた。
十九歳の薬草師リラは、灰褐色の長い髪を左側で三つ編みにして、落ち着いた緑色の瞳を細めていた。鼻筋に散ったそばかすが、心配そうに曇っている。腰の小さな薬草バッグからは、乾燥ハーブの匂いがふわりと漂っていた。
「また面倒なのが来た……」
リラは、店の前を通りかかった村人から、キキのことを聞いていた。
「公式目撃者? キキ通信? 何よ、それ。あの子、あたしの知らないところで、レンを勝手に商売に使う気じゃないでしょうね」
リラは、エプロンの端をぎゅっと握った。
レン・アリサトは、彼女にとって頭痛の種だった。いや、頭痛の種どころか、この一ヶ月、胃に穴が開くかと思うほど心配をかけられ続けている。伝説級の神アイテムをポンポン出し、悪魔を消し、魔王を吹き飛ばし、王国の調査隊を追い返した。そのすべてが、三王国と悪魔領の均衡を揺るがす国際問題になり得る。
リラは、レンが本人の意思とは無関係に、世界の中心になりつつあることを、誰よりも早く察知していた。
「……一応、レンに会って、あの猫耳の子について警告しておかないと」
リラはそう呟くと、店を飛び出した。
丘の上の小屋。
レンは、毛布にくるまって目を閉じていた。
コンコンコン。
「レン! 起きて!」
返事はない。
コンコンコンコンコン!
「わかってるのよ! あんたが起きてることくらい! さっき窓から顔を出したって、村の人が教えてくれたわ!」
しばらくして、小屋の中から、のそっとした声が聞こえた。
「……うっさいなぁ。寝てたのに」
「寝てないでしょ。あんた、今、窓のところにいたでしょ」
「あれは……夢だ」
「夢の中で、あくびをしながら窓を開け閉めする人がいるの!?」
リラは、ため息をついた。
小屋の隣には、キキの簡易テントが立っている。キキ本人は、小冊子を片手に、小屋の壁に耳をくっつけて、中の様子をうかがっていた。
リラは、キキの前に立った。
「あんた、キキっていうの?」
キキは、にこっと笑った。
「おっ、あたしの名前を知ってるにゃ! あなたはリラさんでしょ? レンくんのPR担当って噂の、薬草師さん! あたし、あんたのことは調べてあるよ!」
「……あたしの何を調べたの」
「えっとね、リラ・ファーネル、十九歳。葉脈堂の店主。料理はそこそこ。寝起きが悪い。レンくんに呆れつつも、世話を焼くのが癖になってきてる」
「最後の、どこで知ったの!?」
「村の人に聞いたにゃ」
リラは、こめかみを押さえた。
「……あのね、いい? レンは、あんたが商売すること自体は、たぶん気にしないと思う。でも、あの男は、自分から何かする気はない分、面倒なことになると周りがとばっちりを受けるのよ。だから、あんたも絶対に彼を怒らせないようにしなさい」
キキは、首をかしげた。
「怒らせる? レンくん、寝てるか、あくびしてるかしか見たことないにゃ。本当に怒るの?」
「怒るっていうか、機嫌を損ねると、『めんどくせー』って言って、あたしたちの前から消えるわよ。あるいは、とんでもない方法で解決するか。どっちにしても、周りが大変なの」
リラの言葉には、この一ヶ月の実体験に基づく重みがあった。
キキは、口元に手を当てて、考えるような仕草をした。
「そっかぁ。レンくん、無関心そうに見えて、意外とめんどくさがりなんだにゃ」
「意外と、じゃなくて、あれが素よ」
「なるほど。……あんた、苦労してるにゃ」
「……今、一番言われたくないことを言われた気がするわ」
その時だった。
小屋の窓が、再びガラガラと開いた。
「うるさくて眠れないんだけど」
レンが、寝ぼけた顔で二人を見下ろしていた。
リラは、腰に手を当てて、レンを睨んだ。
「あんたの隣に、野良猫がテントを張ってるのよ。しかも、あんたのことを観察して、それを売るんだって。文句はないの?」
レンは、キキの方をちらりと見た。
キキは、ぱあっと笑顔で手を振った。
「あたし、今日からレンくんの公式目撃者だよ! よろしくにゃ!」
レンは、しばらく無言だった。
「……好きにすれば。ただ、うるさくするなよ」
「やった! 許可が出たにゃ!」
キキが、ぴょんぴょこ跳ねて喜ぶ。
リラは、額に手を当てた。
「……あんた、それでいいの?」
「別に。減るもんじゃないし」
「あのね……そういう問題じゃないのよ」
レンは、ふぁあ、と大きなあくびをした。
「じゃ、寝るわ」
ぴしゃりと窓が閉まる。
リラは、しばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて、深いため息をついて、キキに向き直った。
「……あんた、レンのことを書くのは勝手だけど、村の揉め事の種になるようなことは書かないで。あと、私のことは書かないで」
キキは、にんまりと笑った。
「えー、リラさんのこと、書いちゃダメかにゃ? 苦労人ポジションとして、なかなか需要あると思うんだけど」
「ないわよ、そんな需要!」
その夜。
ヴァステリア北西部。
ベルクハイン王国、首都ハルトムント。
人口二十二万のこの都市は、城壁に囲まれた丘陵都市だった。丘の頂上には、高さ四十五メートルの主塔を持つ王城「グラオシュタイン城」がそびえている。
その王城の最奥。通常、誰も入ることのできない秘密の一室に、三人の男が集まっていた。
「……先日、カーヴェの村から、衝撃的な知らせが届いたのは、ご存知の通りだ」
重々しい声で口を開いたのは、ベルクハイン王国の王だった。五十代後半。白髪交じりの髭を蓄え、その目は、長年の政務で培った鋭さを持っている。
部屋の中央にある円卓には、ベルクハイン王国の王、フィルセーナ聖邦の大司教、トラバス商盟の盟主が、それぞれの随員を連れて座っていた。
三王国の首脳が、こうして顔を合わせるのは、実に数年ぶりのことだった。
「レン・アリサト——あの男が、悪魔の王ドルヴァクを、一撃で退けたというのは、本当か」
フィルセーナ聖邦の大司教は、白い法衣を纏った初老の男だった。聖都フロスティアにある大聖堂「オーラム聖殿」の最高位に立つ聖職者であり、その言葉には、聖典に基づく絶大な権威がある。
「間違いなく。我が国の騎士団から報告が上がっております。悪魔の斥候隊十二体を、投げた一本の杭で全滅させ、さらに、赤い塔のドルヴァク自身を、たった一振りの剣で、行動不能に追い込んだ、と」
ベルクハインの騎士団長は、表情を硬くして言った。
部屋の中の空気が、さらに重くなった。
「……信じられん。あのドルヴァクを、人間が、たった一人で、だと」
トラバス商盟の盟主は、指を組み、眉をひそめた。
「さらに問題なのは、その男が、我々の誰の庇護にも入っていない、ということだ」
「つまり、今、カーヴェの村には、三王国のどの勢力にも属さない、規格外の力を持った人間が、野放しになっている、と」
「その通りだ。この男の存在は、グランクレバス南北の均衡を、根底から揺るがす可能性がある」
「……我々の三王国と悪魔領の間には、長い年月をかけて築かれた、暗黙の均衡がある。あの男の力が、どちらかの手に渡れば、戦争は避けられぬだろう」
「だからこそ、我々が先手を打たねばならん」
王は、円卓に広げられた地図に、指を置いた。
カーヴェの村。
三王国のどこからも遠く離れた、ベルクハイン王国の辺境だ。
「レン・アリサトを、聖なる武器として、我が国に迎え入れる」
「我が聖邦も、同じ考えです。彼は、神の恩寵を体現した、聖者であると布告する準備があります。彼の力が、聖典に記された『救済の光』であると、民に伝えれば、我々の正統性はさらに盤石なものになるでしょう」
「我が商盟は、富をもって彼に援助を申し出ます。金に不自由させねば、いずれ我々になびくでしょう」
三人の首脳は、それぞれの目論見を口にした。
表面上は協調。しかし、その腹の内では、互いに出し抜くことしか考えていない。
「……では、こうしよう。それぞれの方法で、レン・アリサトに褒美を贈る。彼がどの国になびくか、それを見極めるのだ」
「それで決まりですね」
「異論はない」
三人は、静かに頷き合った。
こうして、レンを巡る三王国の水面下の争いが、始まったのだった。
翌日。
カーヴェの村は、朝から大騒ぎになった。
まず最初に村に到着したのは、ベルクハイン王国の騎士団だった。
銀色の鎧を着込んだ騎士たちが、王都からの正式な使いとして、立派な馬車を連ねてやってきた。先頭に立つのは、白いマントを翻した若い騎士だ。
「我々は、ベルクハイン王国の使者である! レン・アリサト殿に、王からの親書と、忠誠の誓いをお届けに参った!」
村人たちが、ざわざわと集まってくる。
その直後。
今度は、東の街道から、白い法衣を纏った一団が現れた。
「フィルセーナ聖邦の使者です! レン・アリサト様に、聖なる婚姻の申し出を携えてまいりました!」
聖職者たちの後ろには、豪華な花で飾られた駕籠があった。中には、かの聖邦が誇る名家の令嬢が乗っているという。
村人たちのざわめきが、さらに大きくなる。
そして、その後を追うように、北の街道から、商隊が現れた。
「トラバス商盟の者です! レン・アリサト殿に、金貨千枚と、八十種の珍品を贈呈いたします! どうかお受け取りください!」
商人たちの荷車は、金貨の入った箱や、遠い異国の織物や、珍しい宝石で、山のように積まれていた。
村は、三つの王国の使者と贈り物で、ごった返した。
畑仕事をしていた村人も、店番をしていた主婦も、みんなが家から飛び出してきた。
「な、なんなんだ、これは!?」
村長のドーマ・ヘプナーは、六十八歳になる元下級官吏だ。彼は、村の広場を埋め尽くす三王国の使者たちを見て、腰を抜かしそうになった。
「村長! 三王国が全部、レン様に何か贈りに来たぞ!」
「わ、わかってる! わかってるが、どうすれば……」
その時、村人をかき分けて、リラ・ファーネルが飛び出してきた。
「……信じらんない。三王国が全部、一気に来るなんて」
リラは、昨日から予感していた最悪の事態が、現実になったことを悟った。
「リラさん! あの、レン様はどこに?」
「小屋よ。たぶん、まだ寝てる」
「こんな時に寝てるのか!?」
「あの人、こんな時だからこそ、余計に寝るのよ。面倒なことから逃げたがるから」
リラは、ため息をつくと、使者たちの前に立った。
「皆様! お静かに! 私は、レン・アリサトのPR担当をしております、薬草師のリラ・ファーネルと申します」
騎士、聖職者、商人の三者が、一斉にリラを見た。
「レン殿は、ただいま、非常に重要な瞑想をなさっております。本日の謁見は、少々難しいかと……」
「瞑想? しかし、王からの親書がある。何としても、本人に直接お渡ししなければならない」
「聖なる婚姻の申し出も、本人の意思を確認する必要があります」
「我々の贈り物も、本人の手に渡さなければ、商談が成立しないのです」
リラは、頭を抱えた。
(どいつもこいつも、話を聞かない……!)
その時、キキが、どこからともなく現れた。
「わー! すごい! これは大スクープだにゃ! 三王国の使者が、レンくんに贈り物合戦! あたしのキキ通信、大増刊号が出せるにゃ!」
キキは、目を輝かせて、小冊子に猛烈な速さで書き込みを始めた。
リラは、キキを睨んだ。
「あんた、こんな時に、商売のことを考えてるの!?」
「商売っていうか、ジャーナリズムだにゃ! 真実を記録して伝えるのは、公認目撃者の使命だよ!」
「公認って、いつ誰が公認したのよ!」
「レンくん! さっき、『好きにすれば』って言ったにゃ! あれは公認ってことだにゃ!」
「あれのどこが公認なのよ……!」
リラとキキが言い争っている間にも、使者たちは、じりじりと小屋の方へと押し寄せていく。
リラは、結局、三王国の使者たちを、レンの小屋の前に案内せざるを得なかった。
「……あの、レン? 来客よ。それも、三王国の正式な使者が、三人も」
リラは、小屋の扉をノックした。
中から返事はない。
「レン? 聞こえてる? 王様からの手紙と、聖邦からの縁談と、商盟からの金貨千枚よ」
不意に、さっきまで騒がしかった使者たちが、静かになった。
のろのろと、小屋の窓が開く。
レンが、寝ぼけた顔で、外を見た。
「……何? 朝っぱらから。うるさいんだけど」
騎士が、一歩前に出た。
「レン・アリサト殿! 我がベルクハイン王国は、あなたに忠誠の誓いを捧げ、この国で不自由ない生活を保障いたします。こちらを一読ください!」
騎士は、羊皮紙に書かれた立派な親書を差し出した。
レンは、それを見た。
「……いらねーし」
騎士の顔が、固まった。
「な、何と……しかし、こちらは王直々の……」
続いて、聖職者が前に出た。
「レン・アリサト様! 我がフィルセーナ聖邦は、あなたを聖者としてお迎えし、名家の令嬢との婚姻を申し出ます。生涯、神の恩寵の中でお暮らしください!」
レンは、面倒くさそうに首を傾げた。
「結婚? ……めんどくさい。いらない」
聖職者の顔が、青ざめた。
商人が、すかさず声を上げた。
「レン・アリサト殿! 我がトラバス商盟は、金貨千枚と、珍品八十種を贈呈いたします! これらの品々が、あなたの快適な眠りの一助となれば幸いです!」
レンは、金貨の山を見た。
「……金? この世界の通貨って、俺、使う当てないし。置いてけば?」
「つ、つまり、お受け取りいただけるのですか!?」
「受け取るっていうか、勝手に置いていけば。好きにすれば」
そう言うと、レンは、ぴしゃりと窓を閉めた。
使者たちは、呆然と立ち尽くした。
後に残されたのは、山のような贈り物と、それを茫然と見つめる使者たちと、頭を抱えるリラと、目を輝かせてメモを取るキキだった。
「……とりあえず、本人に、関心がない、と。まさか、こうまでとは」
「婚姻を、面倒、の一言で断るとは……」
「金貨千枚を『置いてけ』とは。いったい、何が望みであのようなことを……」
使者たちは、それぞれに首をひねりながら、馬車や駕籠に乗り込んだ。
「この結果は、本国に持ち帰り、必ずや、より良い交渉の糸口を探してみせます」
「我々も、聖庁に持ち帰り、次の策を練ります」
「商盟も、今回の反応を理解するため、彼の出自を改めて調査させます」
三王国の使者たちは、結局、持ってきた贈り物をほとんど受け取ってもらえないまま、村を去っていった。
リラは、彼らを見送りながら、深いため息をついた。
「……あの人、面倒くさいものを、全部、私に押し付けて、また寝る気よ。絶対、そう」
キキは、鼻歌を歌いながら、すごい勢いで小冊子に文章を書きつけていた。
「にゃー、これは痛快だにゃ。『レン・アリサト、三王国の巨大な贈り物攻勢を、すべて寝ぼけ顔で一蹴。その無関心、もはや芸術』——これは売れる! あ、リラさん、あんたの悲鳴みたいなため息も、ちゃんと記録しておいたからね!」
「ちょっと、やめなさいってば!」
リラは、キキの手から小冊子を奪おうとした。
キキは、ひらりとかわす。
「やだにゃ! 真実を記録するのが、あたしの仕事だよ!」
「あんたね……!」
その時、小屋の窓が、また開いた。
「……うるさい。眠れないんだけど」
リラとキキは、同時に口を閉じた。
レンは、外に山積みにされた贈り物の数々を、半目で眺めた。
「……これ、全部いらねーし。リラ、あとで片付けといて」
リラのこめかみに、ぴきっと青筋が浮かんだ。
「あんたね……私を何だと思ってるのよ。この山のような贈り物を、私一人に片付けさせようっていうの?」
「んー。まあ、好きにしていーよ」
「好きにしろって、そういう意味じゃ……」
レンは、ぴしゃりと窓を閉めた。
リラは、しばらく、その場で突っ立っていた。
「……ねえ、リラさん。あたし、あんたが、なんでPR担当なんて面倒な仕事を引き受けたのか、少しわかったにゃ」
キキが、小冊子を胸に抱えて、感心したように言った。
リラは、疲れ切った顔で、キキを見た。
「……だれもやらなきゃ、村が滅ぶのよ。あの男、自分からは何もしないけど、面倒ごとを遠ざけるためなら、世界を統べる神様みたいな力も、容赦なく使うんだから」
「世界を統べる……それは、それで、もっと売れるかもしれないにゃ」
「売らないの!」
数日後。
キキ通信は、予想を超える大ヒットとなった。
カーヴェの村の酒場「曲がり角亭」を起点に、行商人たちの手で、王都ハルトムント、聖都フロスティア、港湾都市メルカヴィータへと、小冊子は次々と広がっていった。
「レン・アリサト、三王国の贈り物を、すべて『いらない』と一蹴」
「婚姻の申し出に、『めんどくさい』と回答」
「金貨千枚を『置いてけ』と一言。ただし、その夜、小屋の近くで、その金貨を枕にして昼寝していたのを目撃」
「レン・アリサトの日常は、獣道を歩く者の目には、日々新たなる伝説として映っている」
キキの文章は、お世辞にも洗練されているとは言えなかった。しかし、その場にいた者にしかわからない生々しい空気と、無責任なくらい明るい筆致が、読む者を惹きつけた。
キキは、売上を数えて、毎晩、にんまりと笑っていた。
「一週間で、銀貨五枚! 銀貨五枚だよ、リラさん! あたし、これまで運び屋をしてきて、こんなに稼げたことなんてないにゃ!」
リラは、葉脈堂の店先に座って、薬草を干しながら、呆れたように言った。
「……あんたね、あの記事、書きすぎだから。『金貨を枕にして昼寝』って、あれ、レンがたまたま金貨の箱の上に寝っ転がっただけって言ったでしょ」
「事実は事実だにゃ! あたしは見たことを書いただけ! それに、読者のみんなは、そういう『たまたま』を求めているんだから!」
「……商売根性だけは、たいしたもんね」
リラは、ため息をついた。
しかし、リラは、キキの商売を止めようとはしなかった。
レンも、また、黙認していた。
数日前、リラが、キキのことを、どうにかするべきかとレンに尋ねた時のことだ。
「あの子、あんたのことを、どんどん記事にして、勝手に売ってるわよ。あれでいいの?」
レンは、毛布にくるまったまま、窓の外を眺めていた。
「別にいいんじゃない」
「……いいの? あんたの知らないあんたの話が、三王国中に広がってるのよ?」
レンは、欠伸をした。
「書かれたところで、俺の寝る時間は変わらねーし。知らねーし」
リラは、その言葉に、しばらく何も言えなかった。
その夜。
レンの小屋には、静かな夜が訪れていた。
リラは、自宅の薬草店に戻り、キキは、自分のテントに戻っていた。
月明かりが、丘の上の草原を、青白く照らしている。
不意に、風が、いつもと違う匂いを運んできた。
煙。
それと、何かが焦げる匂い。
レンは、小屋の毛布の上で、目を開けた。
その瞬間、
シュッ、シュッ。
何かが風を切る音がして、
パン! パン!
小屋の外壁に、鋭いものが突き刺さる音が響いた。
「……あ?」
レンが体を起こすのと、
ガシャン!
窓ガラスが割れる音が、同時に鳴った。
割れた窓から、火のついた矢が、何本も小屋の中に放り込まれた。
矢じりに巻かれた布に、何か油のようなものが染み込ませてある。それは、床に落ちた途端、ボッと音を立てて燃え上がった。
「燃えてる……まじか」
レンは、寝ぼけた頭で、現状を把握しようとしていた。
その時、小屋の外から、リラの悲鳴が聞こえた。
「いやぁぁぁっ!! レン! レン! 火が! 火が!!」
リラは、夜道を走ってきたらしい。息を切らしながら、小屋の前で立ちすくんでいる。
彼女が見る小屋は、見た目こそ元の粗末な羊飼いの小屋だが、中にはレンが住んでいる。火が放たれている。
「レン! 逃げて! 早く!!」
リラは、半泣きで叫んだ。
しかし、
燃え盛っていたはずの矢は、次の瞬間、すべて、すうっと消えていた。
火も、煙も、熱も、あとかたもなく。
「……あれ?」
リラは、目を疑った。
小屋の中から、レンが、のろのろと窓際に立った。
レンの目の前には、青く光る半透明のパネルが、静かに浮かんでいた。
「……寝てる時に、火をつけるとか、普通にやばくね?」
レンの声は、いつものように気が抜けていた。しかし、その声には、ほんの少しだけ、冷たいものが混ざっていた。
レンは、パネルの上の、ある項目を指でなぞった。
「とりあえず、投擲物、削除」
その言葉と同時に、小屋の周囲に突き刺さっていた矢が、すべて、きれいに消えた。
リラは、呆然としながら、小屋の中に入った。
「……レン、今のは、何?」
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