反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~
魔族というだけで人間に狩られ、奴隷に堕とされた少女・グレイ。角を持つその身に刻まれたのは、焼き印と鎖、そして屈辱の記憶だけだった。
グランヴェルド――大陸最大の奴隷貿易都市。そこでは魔族は「動く財産」でしかなく、抵抗すれば踏みにじられ、黙れば喰い物にされる。オークションで売れ残ったグレイに目をつけたのは、闘技場の興行主ヴァルド。与えられたのは錆びついた短剣一本と、猛獣の待つ死の檻だった。
絶望の底で、彼女の暗い紫の瞳に宿るのは諦めではなく、燃えるような殺意。
――奪われたものは、全部奪い返す。
――私を踏みつけた奴らは、いつか必ずこの手で殺す。
生き延びるためではない。喰らい尽くすために、少女は牙を剥く。
鎖に繋がれた「角の奴隷」が、血と砂の闘技場で、人間たちの作った地獄そのものを喰い破っていく――。
これは、奪われた少女が、奪う側へと成り上がる、復讐と解放の物語。
「反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~」をオーディオドラマ(音声)で無料で聴く — キャラごとの声のフルボイス(AI読み上げ/AI声優/オーディオブック)。
反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~ - 凶刃の女王、死神を産む
闘技場の地下に、朝の光が差し込むことはない。
石壁に染みついた汗と血と黴の匂いが、数ヶ月前と変わらずグレイの鼻腔を刺す。だが、彼女の体は、あの頃とは違っていた。肩の筋肉は剣を振るたびに厚みを増し、太腿は踏み込みのたびに強靭さを増した。手足の古傷は、セラフィナの稽古のたびに増え、そして塞がった。
グレイは房の隅で、木剣を握りしめていた。
夜明け前の自主稽古。セラフィナに叩き込まれた型を、体が覚えているうちに反復する。足運び、腰の入れ方、手首の返し。剣が空を切る音だけが、静かな房に響く。
(まだだ)
(こんなものじゃ、あの女には届かない)
模擬海戦の勝利から、季節が一つ巡った。グレイは奴隷剣闘士として、観客の前で何度も戦い、勝ち続けた。勝つたびに、観客席から「反骨」の声が上がった。ヴァルドは満足げに笑い、グレイの名は賭け札の上位に食い込んでいった。
だが、グレイにとって、試合はただの稽古の延長に過ぎなかった。
本当の戦いは、いつも夜明け前の訓練場にあった。
「いいねぇ、その踏み込み。昨日より鋭くなってるよ」
声がして、グレイは木剣を止めた。
房の鉄格子の向こうに、セラフィナが立っていた。長く艶のある黒髪。褐色の肌。長く尖った耳。頭には金の月桂冠を戴き、黒地に金糸のコルセットが豊満な胸とくびれた腰を強調している。背中には、いつものように処刑用の大剣。
凶刃の女王。
グレイの師匠。
「……盗み見か。趣味が悪い」
グレイは木剣を下ろし、短く言った。
「盗み見じゃないよ。あたしの弟子が、あたしの教えをちゃんと復習してるか、見に来たんだ」
セラフィナは房の鍵を開けた。ガチャリ、と鉄格子が開く。
「朝飯だよ。今日は、あんたの好きな干し肉を多めにした」
セラフィナは、木の皿を差し出した。黒パン、薄いスープ、塩漬けの干し肉。剣闘士の房で出される食事よりも、ずっとまともな量だ。
グレイは、無言で皿を受け取った。
「汗、すごいね。ちょっと拭こうか」
セラフィナが、腰に下げていた布を手に、グレイの額に近づけた。
「いらない」
グレイは、身を引いた。
「自分でできる。世話を焼くな」
「つれないねぇ。師匠が弟子の汗を拭いて何が悪いんだい」
セラフィナは笑いながらも、布をしまわなかった。
「あんた、汗をそのままにすると、風邪をひくよ。この地下は冷えるからね」
「……私は、灰の底で育った。風邪ごときで死ぬかよ」
グレイは、皿を寝台に置き、自分の腕で額の汗を拭った。
(この女は、いつもこうだ)
(剣を教えるだけでなく、飯を食わせ、傷の手当てをし、汗を拭こうとする)
(まるで、本当の母親みたいに)
グレイは、その距離感に、いまだに戸惑っていた。灰の底で、誰かに世話を焼かれたことなど、一度もなかった。パン屑は奪い合うものだった。傷は自分で舐めて治すものだった。
なのに、この女は、当然のように、グレイの世話を焼こうとする。
(気に入らない)
グレイは、心の中で呟いた。
(でも、……悪くない)
その二つ目の感情を、グレイは認めたくなかった。
「ほら、手を出して。昨日の稽古で、手のひらの皮が剥けてたろ」
セラフィナが、グレイの左手を取ろうとした。
「触るな」
グレイは、手を引いた。
「自分でやる。薬草なら、房に置いてある」
「……あんたは、ほんとに頑固だねぇ」
セラフィナは、少しだけ悲しそうな顔をした。
だが、すぐに、いつもの笑みに戻った。
「まあ、いいさ。そういうところも、あんたの強さの一つだからね」
セラフィナは、そう言うと、グレイの房の入り口に、どかりと腰を下ろした。
「食べな。冷めるよ」
グレイは、セラフィナを一瞥してから、皿の上の黒パンを手に取った。
固い。だが、腹は満たされる。
グレイは、黒パンをかじりながら、セラフィナを見た。
(この女は、なぜ、私に構う)
(私が、この女から技を奪い、いつか超えると知っていて)
(それでも、笑って、世話を焼く)
グレイには、セラフィナの考えが、どうしても理解できなかった。
「……なあ」
グレイは、黒パンを飲み込んでから、口を開いた。
「お前は、私に、何を求めている」
セラフィナは、金色の瞳を、グレイに向けた。
「何を、って?」
「剣を教え、飯を食わせ、世話を焼く。お前は、私に、何をさせたいんだ」
セラフィナは、少しだけ考えてから、にっこりと笑った。
「強くなってほしい。ただ、それだけだよ」
「……それだけか」
「それだけさ。あんたが強くなって、あんたの望むものを、あんたの手で掴む。あたしは、その手伝いがしたいんだ」
「……私の望むもの」
グレイは、自分の首輪に、指を触れた。
黒鉄の首輪。冷たい。
「私は、自由になりたい。この首輪を外して、この闘技場を出る。それだけだ」
「そうだね。あんたなら、きっと、自由になれるよ」
セラフィナは、そう言って、グレイの頭に、そっと手を置いた。
グレイは、その手を振り払わなかった。
(……なぜだ)
(なぜ、この女の手は、振り払えない)
グレイは、自分の中に、初めて、誰かを信じようとしている自分がいることに、気づいていた。
それは、灰の底で生きてきたグレイにとって、恐怖に近い感情だった。
信じるということは、裏切られるということだ。
グレイは、そのことを、痛いほど知っていた。
なのに、この女の前では、その警戒心が、少しずつ、溶けていく。
(気に入らない)
グレイは、心の中で、もう一度、呟いた。
(この感情も、この女も、何もかもが、気に入らない)
だが、その日は、ついに、やってきた。
出会いから、半年が近づいた、ある日のことだった。
闘技場の地下通路を、憲兵が一人、グレイの房まで歩いてきた。
「おい、グレイ。興行主が呼んでる。事務所まで来い」
無精髭の憲兵。いつもの、見下したような口調。
グレイは、寝台から体を起こし、無言で房を出た。
ヴァルドの事務所は、闘技場の地上階、観客席の最上段にあった。
石造りの廊下を抜け、階段を上がる。
地上に出ると、久しぶりの日差しが、グレイの目を刺した。
(眩しい)
グレイは、目を細めながら、ヴァルドの事務所へと向かった。
事務所の扉の前で、憲兵が立ち止まった。
「入れ。興行主が待ってる」
グレイは、扉を押し開けた。
室内は、地下牢や房とは、まるで別世界だった。
磨き上げられた木の床。壁には高価な絵画。天井からは、魔石を使った照明が、柔らかな光を放っている。
部屋の中央には、重厚な木の机。
その向こうに、興行主ヴァルドが、深々と椅子に腰掛けていた。
短く整えた黒髪に白髪が混じる。後退気味の生え際。利益を測るような冷たい灰緑の瞳。指にはめる宝石の指輪が、照明の光を反射して、ぎらりと光った。
「やあ、来たね。反骨のグレイ」
ヴァルドは、口元だけを笑みの形にした。目は、笑っていない。
グレイは、部屋の入り口に立ったまま、ヴァルドを睨みつけた。
「……何の用だ」
「まあ、そう急くな。座りたまえよ」
ヴァルドは、机の前の椅子を、顎で指した。
グレイは、椅子には座らなかった。
「用件を言え。私は忙しい」
「ほう、奴隷の分際で、忙しいとは、大きく出たねぇ」
ヴァルドは、机の上に置かれた書類を、指先で弄びながら、続けた。
「まあ、いい。今日は、お前さんに、いい知らせがあるんだよ」
「いい知らせ?」
「ああ。次の大興行の話だ。お前さん、主役だよ」
グレイは、眉をひそめた。
「……主役?」
「そう。特別興行だ。題して——」
その時、部屋の奥の扉が、静かに開いた。
「——『凶刃の女王、死神を産む』。いい題だろう?」
セラフィナが、部屋に入ってきた。
いつもの、金の月桂冠。黒地に金糸のコルセット。背中には、処刑用の大剣。
だが、その表情は、いつもの明るい笑みではなかった。
狂気と、妖艶が、混ざり合った、深い笑み。
金色の瞳が、爛々と、グレイを捉えていた。
「……なんだ、それは」
グレイは、低い声で言った。
「次の興行の題さ。あたしと、あんたの、師弟対決」
セラフィナは、ゆっくりと、グレイに近づいてきた。
「冗談だろ」
グレイは、吐き捨てるように言った。
「冗談なんかじゃないよ。あたしが、あんたと、本気で殺し合いたいんだ」
セラフィナは、グレイの目の前で、立ち止まった。
「あんたなら、あたしの命に、刃が届くかもしれない。あたしの、愛しの死神さん」
セラフィナは、そう囁くと、グレイの頭を、豊満な胸に、抱き寄せた。
柔らかな感触。
師匠の体温。
そして、胸の奥から伝わる、規則正しい鼓動。
グレイは、一瞬、硬直した。
(なにを、されてる)
(この女は、なにを、言ってる)
グレイの頭の中が、真っ白になった。
「あんたは、あたしの死神になるんだよ。あたしが、そう育てた。あんたの剣は、あたしの命を、奪うために、磨かれてきたんだ」
セラフィナの声が、グレイの耳元で、甘く、恐ろしく、響く。
「ふざけるな!!」
グレイは、セラフィナの体を、両手で突き飛ばした。
セラフィナは、一歩、後ろに下がったが、笑みは崩さなかった。
「ふざけるな! お前は、私の師匠だ! 私に剣を教えた! それを、今度は、殺し合いだと!?」
グレイは、歯を食いしばり、唸るように叫んだ。
「そうだよ。だから、あんたを、死神に育てたんだ」
セラフィナは、金色の瞳を、細めた。
「あたしは、戦うことが、何よりも好きだ。全身全霊で、命を懸けて、戦える相手を、ずっと、探してきた。そして、見つけた。あんただ」
「私は、お前の、殺し合いの相手じゃない!」
「いいや、あんたは、あたしの死神だよ。あんたの反骨も、執念も、貪欲さも、全部、あたしを殺すために、あるんだ」
セラフィナは、一歩、グレイに近づいた。
「あんたなら、あたしを、殺せる。あたしの命に、刃を、届かせられる。……ああ、考えるだけで、体が震えるよ」
セラフィナの頬が、紅潮していた。
その瞳は、狂喜に、潤んでいた。
グレイは、背筋に、冷たいものが、這い上がるのを感じた。
(この女は、本気だ)
(本気で、私と、殺し合うつもりだ)
(そして、本気で、私に、殺されることを、望んでいる)
グレイは、セラフィナの狂気を、初めて、目の当たりにした。
「はは、見事な熱演だねぇ。お二人とも、実に、いい」
ヴァルドが、机の向こうで、手を叩いた。
「興行として、これ以上ないカードだ。凶刃の女王と、反骨の新人。師弟の殺し合い。観客は、熱狂するだろうねぇ」
ヴァルドは、灰緑の瞳で、グレイを値踏みするように見た。
「賭け札も、面白いことになる。セラフィナの勝利は、固い。だが、お前さんに賭ける馬鹿も、一定数は出るだろう。……まあ、お前さんの勝ち目は、微塵も計算しちゃいないがね」
ヴァルドは、そう言って、くつくつと笑った。
グレイは、ヴァルドを、殺意のこもった目で、睨みつけた。
「……お前も、グルか」
「グルも何も、私は興行主だよ。金になる見世物を、提供するのが、私の仕事だ。師弟の殺し合いほど、金になる見世物は、そうないからねぇ」
ヴァルドは、指輪の嵌った指を、机の上で、とんとん、と鳴らした。
「日程は、十日後だ。それまで、しっかり、稽古に励みたまえ。いい試合を、期待しているよ」
グレイは、何も言わずに、事務所を飛び出した。
廊下を走り、階段を駆け下り、地下の房へと、戻ってきた。
房の鉄格子を、自分の手で、乱暴に閉める。
ガシャン。
鉄の音が、地下通路に、響き渡った。
グレイは、房の隅で、立ち尽くした。
(裏切られた)
(あの女に、裏切られた)
(あの稽古も、あの褒め言葉も、あの世話も、全部、殺し合いのための、準備だったのか)
グレイの胸の奥で、何かが、激しく脈打っていた。
怒り。
悲しみ。
そして、それ以上に、深い、絶望。
グレイは、房の石壁を、拳で、思い切り殴りつけた。
ゴッ。
鈍い音。
拳の皮が、裂けた。
血が、滲む。
だが、グレイは、止まらなかった。
ゴッ。ゴッ。ゴッ。
何度も、何度も、壁を殴る。
拳の皮が、破れ、肉が、見えた。
血が、飛び散り、石壁を、赤く染めた。
(気に入らない)
(気に入らない、気に入らない、気に入らない)
(この首輪も、この烙印も、この闘技場も、ヴァルドも、そして——)
(あの女も)
グレイは、壁に、額を、押し付けた。
荒い息。
肩が、上下する。
「……私は、あの女を、信じていたのか」
グレイは、絞り出すように、呟いた。
「信じて、いたから、こんなに、痛いのか」
グレイは、血まみれの拳を、胸の前に、持ち上げた。
震えていた。
(私は、あの女を、殺したくない)
(殺したく、ないのに)
(あの女は、私に、殺されたいと、言っている)
(殺し合わなければ、ならない)
グレイの頭の中で、矛盾した感情が、ぐるぐると、渦巻いていた。
その時だった。
ガチャリ。
房の鉄格子の向こうから、一枚の木札が、投げ込まれた。
牢番の足音が、遠ざかっていく。
グレイは、ゆっくりと、木札を拾い上げた。
そこには、焼き鏝で、文字が刻まれていた。
『特別興行 凶刃の女王、死神を産む』
『十日後 ゴルドバッハ闘技場 師弟殺し合い』
『勝者には、自由獲得の推薦状を与える』
グレイは、木札を、握りしめた。
血まみれの拳に、木札の角が、食い込む。
(自由)
(あの女を殺せば、自由が、手に入る)
(私が、ずっと、望んでいた、自由)
グレイは、房の隅で、ゆっくりと、膝を抱えた。
小さな体を、丸める。
そして、初めて、声を殺して、泣いた。
涙が、血まみれの拳を、伝い、石の床に、落ちた。
(あの女を、殺したくない)
(でも、自由になりたい)
(あの女の、教えを、無駄にしたくない)
(でも、あの女の、命を、奪いたくない)
涙が、止まらなかった。
灰の底で、パン屑を奪い合っていた頃から、グレイは、一度も、泣いたことがなかった。
泣くことは、弱さだった。
泣けば、奪われる。
泣けば、殺される。
だから、グレイは、泣かなかった。
なのに、今、涙が、溢れて、止まらない。
(私は、あの女を、殺すのか)
(それとも、あの女に、殺されるのか)
グレイは、声を殺して、泣き続けた。
房の外では、憲兵が、鉄格子を、ガン、と蹴った。
「おい、うるさいぞ。泣き言は、寝てから言え」
グレイは、憲兵の声を、無視した。
涙が、枯れるまで、グレイは、泣き続けた。
やがて、涙が、止まった。
グレイは、顔を上げた。
ハイライトのない、暗い紫の瞳が、房の闇を、じっと見つめていた。
(私は、決めなければならない)
(あの女を、殺すのか)
(それとも——)
グレイは、血まみれの拳を、ぎゅっと、握りしめた。
答えは、まだ、出なかった。
だが、十日後、すべてに、決着がつく。
グレイは、静かに、目を閉じた。
房の外では、憲兵の足音が、遠ざかっていく。
ガン。
鉄格子を叩く音が、地下通路に、響いた。
その音は、まるで、死刑囚の房に、終わりを告げる、鐘の音のようだった。Noveliaとは?
Noveliaは、AIでライトノベルや二次創作を「読んで・数タップで作って・キャラクターと会話できる」プラットフォームです。挿絵つきの新作が毎日届き、無料で始められます。