生存者のための遺書
西暦2247年、人類は地上を失い、垂直都市ケージに押し込められた。支配者ホルダーと、人権を持たないリソース。その歪な構造の底で、少年カイトは「生きろ」と笑った少女の言葉だけを抱えて生きている。
年に一度のデスゲーム〈トケイバコ〉。本選の舞台はスナドケイ区——指輪を奪い合い、三点に満たなければ爆死する地獄の遊戯だ。カイトは地下組織クサビの密命を背負いながら、誰にも悟られず「所持ゼロ」を装う独自の戦法で人混みから姿を消そうとする。
だがそこで出会ったのは、自分と同じ戦法を選んだ、琥珀色の瞳を持つ少年だった。
名前も声も交わさぬまま、二人は確信する。
——また会う。そして、何かが動き出す。
生き延びることは罪なのか、それとも誰かへの誓いなのか。
壁の中に閉じ込められた人間たちの、絶望と希望が交錯する近未来サバイバル。
これは、死にゆく者たちが残す、生者への遺書である。
生存者のための遺書 - 見習いの顔 ―― 地下への共犯
タワー・オブ・ヴェルナーの朝は、光の色からして、スナドケイ区のそれとは違っていた。
カイトは、与えられた部屋の窓辺に立ち、眼下に広がるケージ上層の景色を眺めていた。白い壁、磨かれた金属、整然と並ぶ緑地。空気は清潔で、温度は一定に保たれ、遠くで動く人々の姿は、まるで精巧な模型のようだった。
(ここには、何もない)
カイトは、そう思った。
スナドケイ区の廃墟には、風があった。鉄と血と埃の匂いがあった。足元に転がる瓦礫の一つ一つに、誰かの生きた痕跡があった。だが、この塔には、それがなかった。
豪奢な晩餐の席で、ヴェルナー公爵が微笑みながら告げた言葉が、まだ耳の奥に残っている。
――君たちは私のものだ。
人権とは、所有される権利のことだったのか。カイトは、その言葉の意味を、昨夜からずっと噛み締めていた。
部屋の隅には、灰色の使用人服が畳んで置かれていた。カイトとレンに与えられた、この屋敷での「役割」を示す服。優勝者としての特権ではなく、管理される側としての制服。
カイトは、その服を手に取った。
布地は、スナドケイ区で着ていた作業着よりも、ずっと上等だった。縫い目は丁寧で、ほつれもない。だが、首元には、リソースであることを示す小さな刻印が、しっかりと縫い付けられていた。
(結局、同じだ)
カイトは、服を着替え、部屋を出た。
廊下は、静かだった。
分厚い絨毯が足音を吸い込み、空気は動かない。壁には、歴代の優勝者たちの肖像画が、等間隔で並んでいる。どの顔も、似たような微笑みを浮かべ、目はどこか遠くを見ていた。
(こいつらは、その後、どうなった?)
カイトは、肖像画の一つを見上げた。
金色の額縁に収まった、若い男の肖像。スナドケイ区の砂時計モニュメントを背に、胸を張って立っている。その顔は、希望に満ちていた。
(今は、どこで、何をしている?)
答えは、返ってこない。
カイトは、廊下を進んだ。
使用人たちの控え室へ向かう途中、廊下の突き当たりで、一列に並んだ見習い使用人たちの姿が見えた。
灰色の服を着た、若い男女。
皆、うつむき加減で、壁際に整列している。使用人頭らしき中年の男が、彼らの前で、今日の業務を淡々と説明していた。
カイトは、その列の端を通り過ぎようとした。
その時だった。
列の中央にいた一人の男の顔が、視界の隅に引っかかった。
(……あいつ)
カイトの足が、止まった。
短く刈り込まれた黒い髪。鋭い目つき。左の頬に走る、古い傷。
間違いなかった。
スナドケイ区で、カイトが確かに「脱落」したはずの参加者だった。
確か、北区画の罠に掛かったグループの一人。オッズマンが撒いた偽の指輪反応に誘き出され、三人組に襲われ、頭蓋を砕かれた——そう、カイトは記憶していた。
(死んだはずだ)
カイトは、男を凝視した。
男は、虚ろな目で、正面の壁を見つめていた。焦点が合っていない。口元は、わずかに開いたまま。頬はこけ、肌は青白い。
使用人頭が、男の名前を呼んだ。
「十七番。今日の持ち場は、地下区画の清掃だ」
男は、反応しなかった。
「十七番、聞こえているか」
使用人頭が、やや語気を強めた。
男は、ゆっくりと、首を傾げた。
「……は、い」
声は、かすれ、感情がなかった。
自分の名前を呼ばれても、反応が遅れる。まるで、言葉の意味を、一つ一つ確認しているかのような、ぎこちなさ。
(記憶を、消されている)
カイトは、確信した。
スナドケイ区で脱落した参加者は、殺されていなかった。記憶の一部を消され、この屋敷の使用人として、別の区画へ再配置されていたのだ。
(そういうことか)
カイトの胸の奥で、何かが、冷たく沈んでいく。
自分の生存が、この男の再配置と引き換えだったのではないか。そんな考えが、頭をもたげる。
(俺が生き残ったから、こいつは、ここにいるのか)
カイトは、男から目を離せなかった。
男は、使用人頭の指示で、列を離れ、廊下の奥へと歩き出した。地下区画へ続く、薄暗い階段の方へ。
その背中は、小さく、頼りなかった。
(レンに、伝えるべきか)
カイトは、一瞬、そう考えた。
だが、すぐに、首を振った。
(いや、やめておく)
伝えれば、レンはどう動くか分からない。任務に支障が出るかもしれない。今は、まだ、動く時ではない。
カイトは、拳を握りしめ、その場を離れた。
罪悪感が、喉の奥に、苦く張り付いていた。
――
夜が来た。
タワー・オブ・ヴェルナーの夜は、昼間よりも、さらに静かだった。
照明が落とされ、廊下は闇に沈む。壁の肖像画たちが、非常灯の淡い光の中で、ぼんやりと浮かび上がっていた。
カイトは、自室のベッドに横たわっていた。
眠れなかった。
目を閉じると、昼間見た、あの男の虚ろな目が、まぶたの裏に浮かぶ。
(脱落者は、殺されない)
(記憶を消され、使われる)
(俺たちは、その事実を知った上で、この屋敷にいる)
カイトは、寝返りを打った。
その時だった。
廊下の向こうから、かすかな物音が聞こえた。
金属が、こすれるような、小さな音。
カイトは、目を開けた。
(……何だ)
耳を澄ませる。
また、音がした。
今度は、もう少しはっきりと。何かを、こじ開けようとしているような、断続的な音。
カイトは、音もなくベッドから抜け出した。
扉を開け、廊下に出る。
冷たい空気が、素足に触れた。
音のする方へ、慎重に歩く。
非常灯の緑色の光が、廊下をぼんやりと照らしていた。
やがて、地下へ続く階段の前に、人影が見えた。
(レン)
カイトは、足を止めた。
レンだった。
茶色の癖毛が、暗がりの中でも、わずかに揺れている。レンは、地下への階段を封鎖している金属製の扉の前に、しゃがみ込んでいた。
手には、細い金属片。
それを、扉の鍵穴に差し込み、こじ開けようとしている。
(あいつ、何をやってる)
カイトは、息を潜めた。
レンの手つきは、慣れたものだった。施設育ちの子供が、施錠された倉庫から食料を盗むために覚える、あの手つき。カイトにも、覚えがあった。
だが、この屋敷の封鎖扉は、施設の倉庫とは、作りが違う。
レンが、小さく舌打ちをした。
「……固い」
その声は、低く、真剣だった。
普段の軽口は、どこにもない。
その時だった。
天井の隅から、赤い光が、ゆっくりと動いてきた。
監視ドローン「ハエ」だ。
全長十五センチの小型ドローン。静音設計で、近づくまで、その存在に気づかなかった。
赤い走査光が、廊下を、左右に、ゆっくりと、舐めていく。
レンの体が、硬直した。
「……見つかった」
レンが、低く呟いた。
その瞬間、カイトは、体が動いていた。
考えるより先に、足が前に出ていた。
「動くな」
カイトは、レンの腕を掴み、力任せに、廊下の隅へ引き寄せた。
そこには、使用人用の洗剤台車が、壁際に置かれていた。
カイトは、レンを台車の陰に押し込み、自分も、その横に身を隠した。
ハエの赤い走査光が、二人のいた場所を、ゆっくりと通過していく。
カイトは、息を殺した。
心臓が、胸の内側を、激しく叩いている。
(見つかったか?)
赤い光が、台車の端を、かすめた。
そして、止まった。
「……音声認識を開始します。所属と、現在の業務を、述べてください」
機械的な声が、静かな廊下に響いた。
記録モードだ。
カイトは、一瞬で、頭を切り替えた。
(見習いの、掃除当番)
(夜間巡回中)
(新入りの下働きを、指導している)
嘘の筋書きを、脳内で、素早く組み立てる。
カイトは、ゆっくりと、台車の陰から、顔を出した。
無表情で、ハエの赤いレンズを見上げる。
「……見習いの、夜間巡回です」
声は、落ち着いていた。
恐怖を顔に出さない技術は、施設で、嫌というほど身につけていた。
「巡回の、確認です。担当区域と、現在時刻を、報告してください」
ハエが、わずかに高度を下げた。
赤いレンズが、カイトの顔を、じっと見つめている。
「担当は、西側回廊の清掃区画です。時刻は、深夜の一時を、回ったところです」
カイトは、淀みなく答えた。
嘘をつくときだけ、少し饒舌になる。
「……後ろの者は、誰ですか」
ハエのレンズが、台車の陰に向けられた。
「新入りの下働きです。今、掃除の手順を、教えているところです」
カイトは、振り返り、レンを見た。
「……おい、出てこい。ちゃんと、挨拶しろ」
カイトは、レンに向かって、使用人頭が新入りに使うような、ぞんざいな口調で言った。
レンは、一瞬、カイトの目を見た。
そして、すぐに、状況を理解した。
「……す、すみません。新入りの、下働きです」
レンは、台車の陰から、おずおずと顔を出した。
声は、わざと、震えさせている。
(うまい)
カイトは、心の中で、舌を巻いた。
こいつは、演じるのが、本当にうまい。
「新入りは、まだ、夜間の巡回に慣れていません。私が、付き添って、指導しています」
カイトは、ハエに向かって、淡々と続けた。
「……確認しました。記録を、終了します」
ハエは、赤いレンズを、一度、明滅させた。
そして、静かに、天井の方へ、戻っていった。
羽音は、聞こえなかった。
静寂が、再び、廊下を包んだ。
カイトは、ゆっくりと、息を吐いた。
「……助かった」
レンが、小さく言った。
「礼は、言わない」
レンは、カイトの目を見ずに、そう言った。
「……知るか」
カイトは、短く答えた。
レンは、封鎖扉の方へ、再び歩き出した。
「……まだ、やるのか」
カイトは、低い声で、レンの背中に言った。
「ああ。今日は、無理かもしれないけど、確認だけはしておきたい」
レンは、振り返らなかった。
「あんた、なんで、あそこで庇ったんだ?」
レンの声は、静かだった。
「……別に。お前が捕まると、俺も面倒だからだ」
カイトは、即答した。
「ふうん。そういうことに、しておくよ」
レンは、軽く、そう言った。
「ま、いっか。そういうこともあるって」
レンの口癖。
だが、その声には、いつもの軽さがなかった。
二人は、封鎖扉の前で、しばらく、黙っていた。
非常灯の緑色の光が、二人の影を、壁に長く伸ばしている。
「……なあ、カイト」
レンが、口を開いた。
「……何だ」
「本選の裏には、もう一つ、別の仕組みがある」
レンの声が、低くなった。
「この屋敷の地下には、ゲームの規則書の原本が、保管されているらしい」
カイトは、レンの横顔を見た。
非常灯の光の中で、レンの琥珀色の瞳が、静かに光っていた。
「……お前、それを、どこで」
カイトは、言いかけて、やめた。
(聞くな)
(聞いては、いけない)
カイトは、そう思った。
レンが、クサビの構成員だということは、もう、薄々、確信していた。
左手首に刻まれた、楔型の刻印。
スナドケイ区で、互いに見せ合った、あの印。
レンも、カイトの正体を、知っているはずだ。
だが、互いに、それを、言葉にはしない。
(問わないことが、この屋敷での、唯一の安全だ)
カイトは、そう理解していた。
「……地下区画の見取り図が、必要だ」
レンが、静かに言った。
「規則書の原本がある場所を、特定する。そのためには、この屋敷の構造を、正確に知る必要がある」
「……そうか」
カイトは、それだけを言った。
「あんたに、手伝ってほしいとは、言わない。でも、知っておいてほしい。俺は、これから、地下に、何度も潜る」
レンは、カイトの方を向いた。
「あんたが、もし、俺のことを、止めたいなら、今のうちに、言ってくれ」
レンの目は、まっすぐだった。
カイトは、その目を見返した。
「……止めない」
カイトは、静かに言った。
「お前が、何をしようと、俺には、関係ない」
「……そう。ありがとう」
レンは、ほんの少しだけ、口元を緩めた。
「礼は、言わないって、言っただろ」
「これは、礼じゃない。ただの、確認」
二人は、それ以上、何も言わなかった。
静寂が、廊下を満たした。
――
翌朝、二人は、ヴェルナー公爵の執務室に呼び出された。
執務室は、タワー・オブ・ヴェルナーの最上階にあった。
カイトとレンは、案内役の使用人に連れられ、厚い扉の前に立っていた。
(また、あの男か)
カイトは、心の中で、そう思った。
扉が、音もなく開かれた。
「……入れ」
二人は、執務室に足を踏み入れた。
そこは、晩餐の広間よりも、さらに異様な空間だった。
天井は、高く、壁一面に、無数のモニターが並んでいる。
モニターには、スナドケイ区の映像が、映し出されていた。
廃墟の風景。崩れた壁。錆びたパイプ。
そして、所々に、赤い点が、ゆっくりと動いている。
(あれは、参加者の位置情報か)
カイトは、モニターの一つを見つめた。
「……よく来たね。生存者諸君」
部屋の奥から、声がした。
ヴェルナー公爵が、巨大な黒い机の向こうに、座っていた。
銀髪を後ろに流した長髪。冷たい薄い青の瞳。常に微笑んでいるような口元。左手には、大きな宝石の指輪が、光っている。
「昨夜は、よく眠れたかな?」
公爵は、穏やかな口調で、そう尋ねた。
「……ええ、おかげさまで」
レンが、笑顔で答えた。
「私は、あまり眠れなかったよ。君たちのことを、考えていたらね」
公爵は、椅子の背にもたれかかった。
「君たちは、実に興味深い。スナドケイ区での、あの結末。脱落者として演出されながら、実際には、二人とも、生き延びた。あの夜、屋上で、君たちが何を話していたのか、私は、とても気になっている」
公爵の薄い青い瞳が、二人を、順番に見つめた。
カイトは、無表情のまま、公爵を見返した。
「……まあ、いい。過去の話は、もう、どうでもいい」
公爵は、机の上に、分厚いファイルを置いた。
「今日は、君たちに、新しい仕事を、与えよう」
公爵は、ファイルを、二人の前に、滑らせた。
「次の余興の、準備だ」
カイトは、ファイルを、手に取った。
表紙には、何も書かれていなかった。
「開いてみたまえ」
カイトは、ファイルを開いた。
中には、無数の名前が、羅列されていた。
数字と、記号と、短い文字列。
「それは、再配置者たちの名簿だ」
公爵の声が、静かに響いた。
「スナドケイ区で脱落した者たちは、死んではいない。記憶の一部を消され、この屋敷の使用人として、再配置されている。君たちも、もう、気づいているだろう?」
カイトは、答えなかった。
「その名簿には、彼らの、記憶を消される前の参加者番号と、現在の配置先が、記されている」
公爵は、微笑んだ。
「次の余興では、その再配置者たちを、戦わせる」
カイトの指が、ファイルのページを、強く握った。
「君たちには、その催しの、運営補助を、任せたい」
「……運営、補助」
レンが、低く、繰り返した。
「そうだ。具体的には、この名簿の管理だ。誰を、どの区画に配置するか。誰を、どの戦いに、参加させるか。そういったことを、君たちに、決めてもらう」
公爵は、立ち上がった。
「君たちが、誰を選び、誰を落とすか。それを、私に、見せてもらおう」
公爵は、窓辺に歩いていった。
「これは、試練だよ、生存者諸君」
公爵は、窓の外を見下ろした。
「君たちが、どのような選択をするのか。私は、それを、楽しみにしている」
カイトは、ファイルの中の、ある番号を見つけた。
――十七番。
昨日、廊下で見た、あの男の番号だった。
(こいつも、この名簿に、載っている)
カイトは、息を呑んだ。
「……分かりました」
レンが、明るい声で、答えた。
「運営補助、やらせていただきます」
レンは、笑顔で、公爵に一礼した。
カイトは、無言で、ファイルを閉じた。
「……下がっていい」
二人は、執務室を出た。
廊下に出た瞬間、カイトは、大きく、息を吐いた。
「……最悪だ」
カイトは、呟いた。
「そう? 面白いじゃん」
レンが、軽い口調で言った。
「あの名簿、どう使うか、考えただけで、ワクワクするだろ」
「……お前、本気で言ってるのか」
カイトは、レンを睨んだ。
「本気だよ。あの名簿は、任務に使える。地下区画の見取り図を手に入れるための、手がかりになるかもしれない」
レンの声が、静かになった。
「……あの名簿に載ってる人間を、救う方法を、探りたい」
カイトは、低く言った。
「救う?」
レンは、カイトを見た。
「あんた、本気で、あの連中を、全員、救えると思ってるのか?」
「……分からない。でも、見捨てることは、できない」
「甘いな」
レンは、冷たく言った。
「俺たちにできるのは、せいぜい、自分の命を、少しでも長く保たせることだけだ。他人を救うなんて、考えない方がいい」
「……お前は、それでいいのか」
「いいんだよ。俺は、そうやって、生きてきた」
二人は、廊下で、にらみ合った。
「……結論は、出ないな」
カイトは、目を逸らした。
「ああ。そうだな」
レンも、目を逸らした。
「……俺は、自分の部屋に戻る」
「俺もだ」
二人は、別々の方向へ、歩き出した。
――
その夜、サラ・ノックスが、二人の部屋を、給仕として回っていた。
黒い長髪を後ろで一つに束ね、切れ長の黒い瞳。右耳の後ろに、小さな痣。
サラは、灰色の使用人服を着て、カイトの部屋に、夕食を運んできた。
「……お食事を、お持ちしました」
サラの声は、事務的だった。
「……ああ」
カイトは、短く答えた。
サラは、トレーを、机の上に置いた。
そして、カイトの耳元に、素早く、顔を近づけた。
「……名簿の保管場所は、管理棟の書庫です。鍵は、書庫の前の、三つ目の燭台の、裏側に、磁石で、付けられています」
サラの声は、息がかかるほどの、小ささだった。
カイトは、サラの目を見なかった。
「……なぜ、それを、俺に」
カイトは、低く、聞いた。
「……あなたが、必要としていると思ったからです」
サラは、それだけを言うと、体を離した。
「……ゆっくり、召し上がってください」
サラは、一礼し、部屋を出て行った。
カイトは、机の上のトレーを、じっと見つめた。
(あの女は、信用できるのか)
サラの情報が、公爵の罠ではないか。
カイトは、そう疑った。
サラは、クサビの協力者だ。
だが、その立場は、公爵に、勘づかれ始めている。
(もし、あれが、公爵の差し金だったら)
カイトは、考えた。
(名簿の保管場所を、わざと教えて、俺たちが、そこに近づくのを、待っているとしたら)
カイトは、サラの目を、正面から見なかった。
サラは、それに気づいたように、一瞬、口を噤んでいた。
だが、何事もなかったように、部屋を出て行った。
カイトは、サラの情報を、レンに渡すかどうか、迷っていた。
(渡せば、レンは、すぐに、動く)
(だが、それが、罠だったら)
カイトは、窓の外を見た。
ケージ上層の夜景が、無数の光の点となって、闇の中に浮かんでいた。
(誰も、信じられない)
カイトは、そう思った。
(レンも、サラも、公爵も)
(そして、俺自身も)
カイトは、トレーの上の食事に、手をつけなかった。
夜が、静かに、更けていった。Noveliaとは?
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