時をかける猫 全10話 ―時間の隙間を、猫だけが知っている― - ゼッケン:過去は変えられない。でも、意味は変えられる
部室の壁から、結果表を外したい、と涼太は浩二に頼んだ。
「外して、どうするんだ」
「自分のところだけ、もらえないかなと思って」
浩二は少し考えて、結果表の隅、涼太の名前が書かれた部分を切り取ってくれた。小さな紙切れだった。
その夜、涼太は部屋の壁から、貼ったままのゼッケンを外した。一年間、剥がさなかった紙だ。糊の跡が、壁に薄く残った。
ゼッケンと、切り取った結果表の紙。二つを並べて、机に置いた。
指先で、ゼッケンの番号をなぞった瞬間、部屋の空気が変わった。
***
部屋が、今より片付いていない。壁には、まだ何も貼られていない。鏡の前に、自分が立っていた。今より一年若い、レース当日の朝の自分だった。
涼太は、その自分を見ていた。
若い涼太は、ゼッケンを服に付けようとして、何度もやり直していた。手が震えていた。
「お前――」
声をかけたが、若い涼太はこちらを見なかった。見えていないようだった。
鏡の前の自分は、しばらく動きを止めて、それから小さく呟いた。
「今日、勝たなくていい。ただ、最後まで、ちゃんと走ればいい」
それだけ言って、ゼッケンを付け終えた若い涼太は、部屋を出ていった。
涼太は、その後ろ姿を見送った。何も言えなかった。何も、変えられなかった。
部屋の空気が、また変わった。
***
涼太は自分の部屋に立っていた。壁には、糊の跡だけが残っている。机の上に、ゼッケンと、切り取った結果表があった。
あの日の自分が、何を考えていたのか、涼太は初めて知った。勝つことを、最初から目指していなかった。最後まで走ることだけを、目指していた。
それなら、二位という結果は、失敗ではなかったのかもしれない。
涼太はゼッケンを、もう一度机の上に置いた。今度は、壁には貼らなかった。引き出しの中に、しまった。
スマホを開いて、達也にメッセージを送った。
「来年の大会、一緒に出ないか」
返信は、すぐに来た。
「出る」
それだけだった。涼太は、しばらくその二文字を見ていた。
翌朝、涼太はハル坂を上った。苔の境目に、猫はいなかった。
それでも涼太は、迷わず坂を上った。Noveliaとは?
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