反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~
魔族というだけで人間に狩られ、奴隷に堕とされた少女・グレイ。角を持つその身に刻まれたのは、焼き印と鎖、そして屈辱の記憶だけだった。
グランヴェルド――大陸最大の奴隷貿易都市。そこでは魔族は「動く財産」でしかなく、抵抗すれば踏みにじられ、黙れば喰い物にされる。オークションで売れ残ったグレイに目をつけたのは、闘技場の興行主ヴァルド。与えられたのは錆びついた短剣一本と、猛獣の待つ死の檻だった。
絶望の底で、彼女の暗い紫の瞳に宿るのは諦めではなく、燃えるような殺意。
――奪われたものは、全部奪い返す。
――私を踏みつけた奴らは、いつか必ずこの手で殺す。
生き延びるためではない。喰らい尽くすために、少女は牙を剥く。
鎖に繋がれた「角の奴隷」が、血と砂の闘技場で、人間たちの作った地獄そのものを喰い破っていく――。
これは、奪われた少女が、奪う側へと成り上がる、復讐と解放の物語。
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反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~ - 渇きの果てに凶刃を…
闘技場の空は、血のように赤く染まっていた。
夕陽ではない。昼を過ぎたばかりの太陽が、砂塵と熱気に霞んで、鈍い赤銅色に見えているのだ。観客席を埋め尽くした一万二千の人影が、どよめきを重ねるたびに、その赤い空気が揺れた。
ゴルドバッハ闘技場。大陸最大の殺戮劇場。
今日の主役は、凶刃の女王セラフィナ。そして、彼女が自ら育て上げた死神の卵、反骨のグレイ。
「セラフィナ様の勝ちに決まってんだろ!」
「当たり前だ! あの小娘が、凶刃の女王に勝てるわけがねえ!」
「だが、あの『反骨』も、只者じゃねえぞ。模擬海戦で見せたあの目……獣の目だった」
「獣が何匹集まろうが、女王には届かねえよ」
賭け札は、セラフィナに十対一で傾いていた。それでも、グレイに賭ける者がいるのは、彼女がここまで見せてきた反骨の輝きゆえだった。
地下の控え房。
グレイは、支給された剣闘士の装備を身につけていた。肩と腕、腰を覆う茶色い革の防具。額の銅のプロテクター。汚れた黒いサラシとふんどし。灰色の髪は、一本の紐でポニーテールに纏められている。頭から前方へ伸びる、牡牛のような二本の角。胸元には、焼き鏝で押された烙印。首には、重苦しい黒鉄の首輪。
そして、ハイライトのない暗い紫の瞳。
(今日で、終わらせる)
グレイは、無骨な長剣を握りしめた。刃渡り九十センチ。セラフィナから教わった、真っ当な剣闘士の剣。
(あの女を、殺さずに、無力化する)
関節を外し、腱を切り、戦闘不能にする。殺さない。殺したくない。
(でも、あの女は、私を殺す気で来る)
昨夜のセラフィナの言葉が、耳の奥にこびりついている。
『期待しているわ。私の可愛い死神さん』
耳元に触れた吐息。首輪を撫でた指先。あの女は、本気だ。
(それでも、私は)
ガチャリ、と鉄格子が開いた。
牢番が、無言で顎をしゃくる。出番だ。
グレイは、長剣を腰の帯に差し、地下通路を歩き出した。石壁に染みついた汗と血と黴の匂い。何度も通った道。だが、今日は、その匂いが、やけに濃く感じられる。
通路の先に、光が見える。
闘技場の熱気が、波のように押し寄せてくる。
——そして、グレイは、砂の上に立った。
「うおおおおおおおおお!!」
万雷の歓声。だが、その声は、グレイの耳には、遠い潮騒のようにしか聞こえなかった。
向かい側の門が、開く。
セラフィナが、姿を現した。
長く艶のある黒髪。褐色の肌。長く尖った耳。頭には金の月桂冠。黒地に金糸のコルセットが、豊満な胸とくびれた腰を強調している。そして、背中には、あの処刑用の大剣。
凶刃の女王。
観客の熱狂が、一際大きくなる。セラフィナは、その歓声に応えるように、ゆっくりと大剣を抜いた。刃渡りはグレイの背丈ほどある、両刃の大剣。彼女が振るえば、人間の首など、木の枝のように飛ぶ。
セラフィナの灰緑の瞳が、グレイをまっすぐに捉えた。
「よく来たね、グレイ。今日は、最高の天気だよ」
グレイは、長剣を抜き、正眼に構えた。
「……お前を、殺しに来た」
「いいねぇ、その目。あたしが欲しかったのは、そういう目だよ」
セラフィナは、大剣を片手で軽々と構えた。その切っ先が、グレイの喉元を指す。
「始めようか、グレイ。あたしとあんたの、本当の戦いを」
開始の銅鑼が、鳴り響いた。
グレイは、地面を蹴った。
一歩、二歩、三歩——間合いを詰める。狙うは、セラフィナの右腕。大剣を握る、その腕の関節だ。
(殺さない。無力化する)
長剣を、セラフィナの肘に向けて振り抜く。
ガキィン!!
大剣が、それを弾いた。
「甘いよ。そんなんじゃ、あたしの腕は取れない」
セラフィナの大剣が、横薙ぎに迫る。グレイは、身を沈めてかわし、足元へ踏み込んだ。狙いは、左膝の裏。腱を断ち、動きを止める。
だが、セラフィナの膝は、すでにそこにはなかった。
ドッ。
腹に、衝撃。
セラフィナの膝蹴りが、グレイの鳩尾を捉えていた。
「がっ……!」
体が浮き、砂の上に叩きつけられる。息ができない。胃液が込み上げる。
「なんだい、グレイ。あたしに、情けをかけてるのかい?」
セラフィナは、倒れたグレイを見下ろして、首を傾げた。
「……殺さない。お前を、殺したくない」
グレイは、歯を食いしばり、立ち上がった。
「ナニぬるいことしようとしてんだ」
セラフィナの声が、初めて、鋭さを帯びた。
「あたしは、あんたを殺す気で来てるんだよ。それなのに、あんたは、あたしを殺さない? 無力化? そんな生温いもん、あたしの命に届くわけがないだろ!」
大剣が、唸りを上げて振り下ろされる。
グレイは、長剣で受け流そうとした。だが、その重さは、長剣ごと体を地面に叩きつけるほどの威力だった。
ゴッ!!
砂が爆ぜる。グレイの体が、再び地面に転がった。
「自由になれってトモダチくんとの約束は、そんな軽いモンだったのかよ!」
——カイン。
その名前を、セラフィナは知らない。だが、彼女の言葉は、グレイの胸の奥底に、焼き鏝を押し当てた。
『自由になれ』
あの日、灰の底で、カインと交わした約束。
(あの女に、何が分かる)
(あの女に、カインとの約束を、侮辱する資格はない)
グレイの視界が、真っ赤に染まった。
怒り。
今まで感じたことのない、純粋な殺意が、腹の底から噴き上がってくる。
(殺す)
(この女を、殺す)
(カインとの約束を、踏みにじったこの女を、絶対に殺す)
グレイは、ゆっくりと立ち上がった。
その瞳から、迷いが消えていた。ハイライトのない暗い紫の瞳が、セラフィナだけを、獲物として捉えている。
「……お前を、殺す」
グレイの声は、低く、静かだった。だが、その静けさが、かえって恐ろしい。
「そうだよ。そうでなくちゃ。あたしが欲しかったのは、その目だ」
セラフィナは、嬉しそうに笑った。
「来な、グレイ。あたしの命に、刃を届かせてみせろ!」
グレイは、地面を蹴った。
——本気の戦いが、始まった。
長剣が、セラフィナの首を狙う。セラフィナは、大剣で弾き、反撃に転じる。グレイは、その一撃を、紙一重でかわし、懐へ飛び込む。
ガキン! ガキン! ガキィン!!
剣と剣が、火花を散らす。
観客の歓声が、遠くなる。
グレイの意識は、ただ、セラフィナの命を奪うことだけに集中していた。
(殺す。殺す。殺す)
(この女を、殺す)
セラフィナの大剣が、グレイの肩をかすめた。革の防具が裂け、血が飛ぶ。だが、痛みは感じない。
(もっと速く。もっと鋭く)
グレイは、セラフィナの右腕を狙った。大剣を握る、その腕を。
ザシュッ。
長剣の切っ先が、セラフィナの右前腕を切り裂いた。
「——っ!」
セラフィナが、初めて、苦痛の声を漏らした。
血が、砂の上に滴る。
「やるじゃないか、グレイ。あんたの剣、ちゃんとあたしに届いてるよ」
セラフィナは、傷ついた右腕を、それでも大剣から離さなかった。
「でも、これで終わりじゃないだろ? もっと、深く、えぐりな」
グレイは、無言で、再び間合いを詰めた。
(あの腕を、斬り落とす)
(大剣を、奪う)
長剣が、セラフィナの右腕を、根本から断つ軌道で振り抜かれる。
セラフィナは、それを、大剣で受け止めた。
ギィィィン!!
金属音。力と力が、正面からぶつかり合う。
(重い……!)
セラフィナの腕力は、傷を負ってもなお、グレイを圧倒していた。
「どうした、グレイ! その程度か! あたしの腕一本、斬れないのか!」
セラフィナが、一気に押し返す。
グレイの体が、後方へ弾き飛ばされた。
だが、グレイは、空中で体勢を立て直し、着地と同時に、再び駆け出した。
(諦めるか)
(絶対に、殺す)
長剣を、下段から、セラフィナの右肘を狙って、斬り上げる。
セラフィナは、それを読んでいた。大剣が、長剣を弾き、グレイの体勢が崩れる。
「甘いよ」
大剣が、グレイの頭を狙って、振り下ろされる。
——死。
グレイは、とっさに、左腕を差し出した。
ガギィッ!!
大剣が、グレイの左腕の防具を砕いた。革が裂け、中の肉が断たれ、骨が砕ける音がする。
「がああああっ!!」
グレイは、初めて、大声で叫んだ。
左腕が、使い物にならなくなる。激痛が、脳を焼く。
だが——
(この隙を、待っていた)
グレイは、砕かれた左腕を、そのままセラフィナの大剣に絡め、動きを封じた。
「なっ——!?」
セラフィナが、目を見開く。
グレイは、右手の長剣を、セラフィナの右腕——大剣を握る、その腕の肘に、思い切り突き立てた。
ザシュウウッ!!
刃が、肉を断ち、骨を砕き、腕を貫く。
「があああああっ!!」
セラフィナの絶叫が、闘技場に響き渡った。
大剣が、彼女の手から、滑り落ちる。
ドサリ。
砂の上に、処刑用の大剣が、重く沈んだ。
「……やったね、グレイ。あたしの、腕を……斬った」
セラフィナの右腕は、肘から先が、だらりと垂れ下がっていた。血が、滝のように流れ、砂を赤黒く染めていく。
「これで、お前の大剣は、振れない」
グレイは、砕けた左腕を押さえ、荒い息を吐いた。
「……そうだね。大剣は、もう振れない」
セラフィナは、傷ついた右腕を、左手で抱きしめるようにして、笑った。
「でも、あたしは、まだ、戦えるよ」
次の瞬間——
セラフィナは、地を蹴り、グレイの懐へ飛び込んでいた。
大剣を捨てた彼女は、その身ひとつで、最後の戦いを挑んできた。
「あたしの命を、欲しいんだろ! なら、この喉を、噛み切ってみせな!」
セラフィナは、グレイの肩に、左手を食い込ませた。
そして——
彼女の口が、グレイの喉笛を狙って、大きく開かれた。
白い歯。
狂気と、歓喜に満ちた、灰緑の瞳。
(噛みついてくる……!)
グレイは、とっさに、右腕の防具を、喉の前に差し出した。
ガチィッ!!
セラフィナの歯が、グレイの腕の防具に、深く食い込んだ。
革が裂け、下の金属が、悲鳴を上げる。
「ぐ……うう……っ!」
セラフィナは、防具に噛みついたまま、唸り声を上げた。
(この女は、ここまでして……)
(私を、殺そうとしている)
(私に、殺されようとしている)
グレイの右腕に、セラフィナの歯が、さらに食い込む。
血が、防具の隙間から、滴り落ちる。
(このままでは、腕を噛み千切られる)
グレイは、右手の長剣を、逆手に持ち替えた。
(殺す)
(今、この瞬間に、殺す)
長剣の切っ先が、セラフィナの喉元に、触れる。
その時——
セラフィナが、防具から、ゆっくりと顔を離した。
彼女の口元は、血で赤く染まっていた。
「……アンタなら、やると思った」
セラフィナは、穏やかな笑みを浮かべていた。
「あたしの命に、刃を届かせるのは、あんたしかいないって、ずっと、信じてた」
その言葉が、グレイの背中を、押した。
(——師匠)
グレイは、長剣を、セラフィナの喉に、突き立てた。
ズブリ。
刃が、肉を貫く、鈍い音。
セラフィナの体が、びくり、と震えた。
「……ありがとう、グレイ」
セラフィナの唇が、かすかに動いた。
「あんたは……あたしの……最高の……」
そこまで言って、セラフィナの体から、力が抜けた。
グレイは、倒れ込んでくるセラフィナを、反射的に抱きかかえた。
小柄なグレイの体に、セラフィナの大きな体が、のしかかる。
(重い)
(温かい)
(……死んでいく)
セラフィナの血が、グレイの体を、赤く染めていく。
その時——
セラフィナの首が、ゆっくりと、動いた。
彼女の口が、グレイの喉笛を狙って、再び、開かれる。
(まだ、生きている……!)
(最期の瞬間まで、私を、殺そうとしている……!)
グレイは、動けなかった。
長剣を突き立てたまま、セラフィナの最期の噛みつきを、ただ、見つめていた。
カチ。
セラフィナの歯が、グレイの喉の、数ミリ手前で、空を噛んだ。
そして——
彼女の体から、完全に、力が抜けた。
安らかな笑みが、彼女の顔に、浮かんでいた。
凶刃の女王セラフィナは、弟子の腕の中で、静かに、息を引き取った。
——勝った。
グレイは、セラフィナの体を、そっと、砂の上に横たえた。
(勝ったのに)
(なぜ、こんなに、苦しい)
グレイの胸の奥で、何かが、激しく脈打っていた。
(あの女を、殺した)
(私が、あの女を、殺した)
グレイは、自分の手を見た。
血に染まった、自分の手。
師匠を殺した、自分の手。
(自由になるために、あの女を殺した)
(これで、自由になれる)
(……自由って、こんなに、重いのか)
グレイは、空を見上げた。
赤銅色の空。
観客の歓声が、遠くで、響いていた。
だが、その声は、グレイの耳には、もう、何も届いていなかった。
「……勝者、反骨のグレイ!!」
審判の声が、闘技場に響き渡る。
観客席が、割れんばかりの歓声に包まれた。
「うおおおおおおおお!!」
「あの小娘が、本当に、凶刃の女王を倒したぞ!!」
「とんでもねえ番狂わせだ!!」
だが、グレイは、その歓声を、ただ、ぼんやりと聞いていた。
(私は、勝ったのか)
(あの女に、勝ったのか)
(……ああ、そうだ。私は、勝ったんだ)
グレイは、セラフィナの亡骸を見下ろした。
安らかな笑み。
(あの女は、最後に、笑っていた)
(私に殺されて、笑っていた)
(……気に入らない)
グレイは、血まみれの拳を、ぎゅっと握りしめた。
砕けた左腕が、激しく痛んだ。
その痛みだけが、自分がまだ生きていることを、教えてくれた。
——控え房へ戻る地下通路。
グレイは、ふらふらと、歩いていた。
左腕の痛みが、歩くたびに、全身を貫く。
血が、砂の上に、点々と落ちる。
「おい、お前」
憲兵が、通路の壁に寄りかかって、グレイを見ていた。
いつもの、見下すような黒い瞳。
だが、その瞳に、いつもの嘲りは、なかった。
「……あの凶刃の女王を、本当に殺しやがったのか」
憲兵の声は、低く、どこか、警戒を含んでいた。
グレイは、無言で、憲兵の横を通り過ぎようとした。
「待てよ、エサ」
憲兵が、グレイの肩を掴もうとした。
グレイは、その手を、血まみれの右手で、払いのけた。
「……触るな」
グレイの声は、低く、冷たかった。
憲兵が、一瞬、ひるむ。
「……私に触るな。殺すぞ」
グレイは、ハイライトのない暗い紫の瞳で、憲兵を、じっと見据えた。
憲兵は、しばらく、グレイを睨み返していたが、やがて、ゆっくりと、手を引いた。
「……チッ。調子に乗るなよ、エサ。お前の首輪は、まだ外れちゃいねえんだ」
憲兵は、そう言い捨てると、通路の奥へと、去っていった。
グレイは、その後ろ姿を、しばらく、見つめていた。
(あの憲兵が、私から、目を逸らした)
(あの憲兵が、私に、触れるのを、やめた)
グレイは、自分の首輪に、手をやった。
黒鉄の首輪。
冷たく、重い。
(まだ、外れない)
(自由は、まだ、来ない)
グレイは、ゆっくりと、歩き出した。
——ヴァルドの事務所。
興行主ヴァルドは、窓辺に立ち、闘技場を見下ろしていた。
指にはめる宝石の指輪が、窓から差し込む光を、鈍く反射している。
「……まさか、あの娘が、本当に、セラフィナを殺すとはねぇ」
ヴァルドの声は、驚きよりも、むしろ、感嘆に近かった。
「ゲー・レッツの計算が、外れたよ。奴らは、セラフィナが勝つと踏んで、大金を賭けていた。これで、かなりの額が、こっちに転がり込む」
ヴァルドは、振り返り、机の上の書類を、指でなぞった。
「……だが、困ったねぇ。セラフィナは、ウチの看板だった。あれほどの剣闘士は、そう簡単には、手に入らない」
ヴァルドの灰緑の瞳が、冷たく光った。
「まあ、いいさ。あの娘は、セラフィナを殺した。つまり、あの娘は、セラフィナ以上の商品になった、ということだ。金になる。値打ちがある。……あの娘の首輪は、まだ、外せないねぇ。自由になんて、簡単にやれるもんか。あの娘には、これからも、たっぷりと、稼いでもらわないと」
ヴァルドは、くつくつと、喉の奥で笑った。
——地下の房。
グレイは、房の隅で、膝を抱えていた。
左腕は、応急の包帯が巻かれ、痛みは、少しだけ、和らいでいた。
だが、胸の痛みは、消えない。
(あの女を、殺した)
(私が、あの女を、殺した)
(勝ったのに、何も、手に入らなかった)
(自由は、まだ、来ない)
グレイは、目を閉じた。
セラフィナの最期の笑みが、瞼の裏に、焼き付いている。
『ありがとう、グレイ』
『あんたは……あたしの……最高の……』
(あの女は、なぜ、感謝した)
(私に殺されて、なぜ、笑った)
(……分からない)
(分からないけど、あの女の笑顔を、私は、忘れない)
グレイは、静かに、涙を流した。
声を殺して、静かに、涙を流した。
——その夜。
闘技場の地下牢では、一つの噂が、囁かれていた。
「聞いたか? あの『反骨』が、凶刃の女王を殺したらしいぜ」
「ああ、聞いた。とんでもねえ小娘だ。あの女王を、たった一人で……」
「あいつは、本物だ。あいつなら、もしかしたら……」
「100連勝……自由になれるかもな」
その囁きは、静かな火のように、地下牢の隅々へと、広がっていった。
反骨のグレイ。
その名は、奴隷たちの間で、希望の灯として、静かに、燃え始めていた。
だが、グレイ自身は、まだ、そのことを知らない。
彼女は、ただ、房の隅で、膝を抱え、師匠の笑顔を、思い出していた。
勝ちながら、何かを永久に失った。
その喪失の重さだけが、グレイの胸に、深く、沈んでいた。
——首輪は、まだ、外れない。
だが、下の連中の間で、反骨のグレイの名が、静かな火となって、囁かれ始めていた。
その火は、いつか、この闘技場を、焼き尽くすかもしれない。
あるいは、グレイ自身を、焼き尽くすかもしれない。
どちらに転ぶかは、まだ、誰にも、分からなかった。Noveliaとは?
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