サンドイッチ王国の魔法シェフ
高橋裕樹は、何よりも料理を愛する普通の高校生。ある日、学校の食堂でハムチーズサンドイッチに何を加えようか考えていると、天井から黄金の光が降り注ぐ。ふわふわとした小さな精霊「レシピ」が現れ、裕樹の料理への情熱が異世界への扉を開いたと告げる。
裕樹がたどり着いたのは、すべてが食べ物でできたサンドイッチ王国。パンの山々、ジュースの川、野菜の実る木々が広がる世界だ。しかし王国は暗い雲に覆われ、人々は悲しみに沈んでいた。レシピは、悪の魔法使いトースト伯爵が支配し、厳格なレシピ以外の料理を禁じていると説明する。自由に料理をする者は投獄されてしまうのだ。
裕樹は「味の魔法」という、料理で笑顔を生み出す力を持っていることに気づく。王国を救う決意を胸に、彼は旅立つ。最初の使命は、宮殿の地下牢に囚われたキャラメル姫を救出すること。鍵穴から溢れ出してコミカルに変身する魔法のマヨネーズを使い、姫を助け出す。キャラメル姫は素材を大切にする心を持ち、二人はトースト伯爵の兵士、辛味のマスタード軍団や酸っぱいピクルス騎士団の追撃を、姫の特製キャラメルソースでかわしながら脱出する。
次に裕樹は「スパイシー国」の料
サンドイッチ王国の魔法シェフ - 味覚の導き手、異世界へ! ——マヨネーズで世界は救えるか?
マヨネーズのチューブを持ったまま、裕樹は異世界に落ちた。
それが全ての始まりだった。
---
昼休みの食堂は、いつも通りうるさい。
椅子が床を引っ搔く音、友達の笑い声、誰かが落としたトレーの響き。白いシャツに黒のスラックス姿の高橋裕樹は、その喧騒の真ん中で、サンドイッチを眺めて首をかしげていた。
身長170センチのスレンダーな体。黒いショートヘアはやや寝癖が残っていて、深い茶色の瞳が、ハムとチーズだけのサンドイッチを真剣に見つめている。指先には小さなやけど跡がいくつかある——料理をしているとどうしてもついてしまうものだ。
「……物足りない」
「[sarcastic]また始まった」
向かいに座る田中が、牛乳パックをストローで刺しながら言う。クラスメイトで、昼飯をよく一緒に食う仲だ。
「[serious]いや、聞いてくれ。ハムとチーズは悪くない。でも隠し味がないんだよ。何か一品、アクセントになるものがあれば全然違う味になる」
「[sarcastic]いやそれ普通のサンドイッチだし。食堂にそんな期待するな」
「[serious]料理はコンセプトだって言ってるんだよ、俺は」
「[laughing]お前、ほんとにこだわりすぎ」
田中が笑う。裕樹は笑い返しながら、内心では少し別のことを考えていた。
こだわりすぎ、か。
自分でもそうだとは思う。でも、料理って結局それなんだ——こだわった一点が、食べた人の表情を変える。母がカレーパンに蜂蜜をひと垂らしするだけで、あの甘辛い香りが台所に広がったあの感覚。料理への好きという気持ちの原点は、たぶんあそこにある。
だから物足りないサンドイッチは、物足りないままにしておきたくない。
そう思いながら、裕樹はポケットからマヨネーズのチューブを取り出した。自前だ。食堂のマヨネーズは少ない。いつも自分で持ってくる。
チューブの先をサンドイッチの端に向け、ゆっくりと絞り始めたその瞬間——
天井が、割れた。
いや、正確には割れたわけではない。天井から金色の光が降り注いだのだ。食堂の蛍光灯を全部足しても出ないような、眩しくて温かい光。田中が「え」と言い、裕樹が「は」と言い、食堂全体がざわめいた、その0.3秒後に——
裕樹の体が、引っ張られた。
上でも下でもなく、どこかへ。マヨネーズのチューブを持ったまま。
---
地面が消えた。
次に足の裏に何かが触れた時、そこはもう食堂ではなかった。
「……は?」
裕樹は立っていた。広い空の下に。でもその空は、灰色だった。分厚い雲が全体を覆い、光が薄く、重い。
周囲を見回す。
遠くに山脈が見える——いや、あれは山脈なのか。なんというか、ふわっとしている。パンのような、こんがりした丸みのある稜線。近くには川が流れていて、流れに乗ってオレンジ色の液体がゆったりと動いている。甘い香りが鼻をつく。ジュースだ。どう考えてもジュースだ。そして道沿いに並ぶ木の枝には、ブロッコリーやにんじんが、まるで果物みたいにぶら下がっている。
(どこ、ここ)
視覚情報が多すぎて、脳が処理を一時停止している感覚がある。
人が歩いていた。道を行く人々——見た目はほぼ人間だが、よく見ると肌の色がほんのりパン色だったり、髪がパスタのような艶を持っていたりする。みんな、うつむいて歩いている。話し声もない。笑っている人間が、一人もいない。
「[gentle]やあ、高橋裕樹」
声がした。
裕樹の肩の上から。
そこに、光の玉がいた。ふわふわと浮く、手のひらに乗るくらいの小さな球体。淡い金色で、ときどき形が変わる。ちょうど今は、小さな手足らしきものが生えていた。
「[gentle]驚かせてごめんね。急だったと思う」
「[scared]喋った」
「[laughing]喋るよ。僕は精霊だから」
「[surprised]精霊」
「レシピって呼んでください。今から大事な話をするので、聞いてほしいな」
聞いてほしいな、という割には、裕樹に選択肢がないことをレシピはよく知っているようだった。裕樹が何か言う前に、ゆっくりと話し始める。
「ここは食彩異界——あらゆるものが食材でできた世界です。あの山脈はパン生地でできていて、川はジュース、木の実の代わりに野菜が育つ。かつてはここに住む人たちが自由に料理を作り、笑い合っていた。それが今の空みたいに、全部灰色になってしまった」
レシピの声は穏やかだが、どこかに重さがある。
「[serious]12年前から、サンドイッチ王国を支配するトースト伯爵という人が、統一調理令という法律を出しているんです。決められた47種類の献立以外の料理を作ることは全部禁止。見つかれば牢屋に送られる。密告した人には報奨金が出るから、住民同士がお互いを疑っている。そのせいで、みんなが料理することへの喜びを失ってしまった。大地の食材も、少しずつ痩せていっています」
裕樹は聞きながら、道を歩く人々を目で追った。
うつむいた老人。荷物を抱えて急ぎ足の女。子供が一人、壁際に座って何も食べていない。誰も笑っていない。誰も喋っていない。街全体が、息を殺しているみたいだ。
そこへ、別の住民が近づいてきた。
「[surprised]なんだその服、食材でできてるのか?」
「パスタか? すごく白い」
「[surprised]小麦粉? こんなに薄いの初めて見た」
人が集まってくる。みんな、裕樹の白いシャツを物珍しそうに見ている。
「[angry]これ日本の高校の制服なんですけど!!」
全員が首をかしげた。日本、という言葉が通じていない。
「[sarcastic]……服の素材は追々説明します」
住民たちはまだ首をかしげたまま散っていく。レシピが「自動翻訳はかかってるんだけど、日本っていう概念がないから難しくて」とフォローになっていないフォローを入れた。
---
「[serious]で、君が来た理由を話しますね」
レシピが改めて言う。
「[gentle]君は数百年に一度だけ現れる存在——味覚の導き手、です。料理に込めた思いを超自然的な力、僕たちが呼ぶところの味の魔法に変えられる。その力で、この世界に失われた味の共鳴を取り戻してほしい。料理を楽しむ喜びが集まって生まれるエネルギーのことで、それが大地を豊かにしていたんです。でも今は、統一調理令のせいでほとんど消えてしまっている」
裕樹はしばらく黙った。
(味の魔法。味覚の導き手。そういうことを、急に言われても)
「[serious]……無理だよ」
正直に言った。
「[serious]僕ただの高校生だし、世界を救うとかそういうこと全然できない。だいたい、どうやって帰るの? 学校まだ昼休みのはずだよ。田中、一人でサンドイッチ食べてるじゃないか」
「[serious]帰る方法は……統一調理令が解放されないと、ちょっと難しいかも」
「[surprised]かも!?」
「[whispers]かも……です」
「[angry]曖昧すぎる!! てかかもって何、かもって!」
レシピが光を弱めて縮んだ。申し訳なさそうな雰囲気を出している。
裕樹がさらにツッコもうと口を開けた、その瞬間——
怒鳴り声が聞こえた。
---
「離せ! 離してくれ!」
声のした方を向くと、黄色い鎧を全身に纏った男が、白髪の老人の腕をつかんで引きずっていた。
鎧は辛子色というか、毒々しいくらい黄色い。その色の名前は、裕樹にはわからなかったが、威圧感を醸し出すのには十分だ——これが、レシピが言っていたトースト伯爵直属の取締官、味覚監査官というやつだろう。全土に百五十名いると、さっき聞いた。
老人は痩せていた。腰が曲がっていて、足がおぼつかない。監査官につかまれた腕を必死に引いているが、力でどうにかなる相手ではない。
「[crying]孫が風邪をひいていたんだ。あったかいものを食べさせたかっただけだ。それだけなんだ」
監査官は聞いていない。
「統一調理令第六条。禁止食材を使った調理の実施。密告により確認済み。王宮地下牢への移送を執行する」
老人の声が震える。周りを行く人々は、目を逸らして歩き続けている。見て見ぬふりをするのが、ここでの生き方なのかもしれない。
(孫のために、あったかいものを作っただけ)
裕樹の足が、動いた。
考えたわけじゃない。気づいたら走っていた。ポケットのマヨネーズのチューブを引っ張り出して、監査官の足元に向けて、全力で絞った。
にゅるにゅる、と白い半液体が石畳に広がる。チューブの底まで使い切る勢いで、盛大にぶちまけた。
監査官の足がマヨネーズを踏んだ。
ズルッ、と派手な音がして、監査官は前のめりに倒れた。鎧が石畳を打つ音が、通りに響く。老人の腕が解放された。
「[surprised]わ……わわ」
老人がよろけながら、でも何とか立っている。
裕樹は老人に駆け寄った。
「[serious]大丈夫ですか」
老人が顔を上げた。その目が濡れていた。しわだらけの頬に、涙がひと筋流れている。でも——泣き顔と笑顔が混ざったような、奇妙で温かい表情をしている。
「[crying]ありがとう……ありがとう……」
繰り返す老人の声が、かすれている。
裕樹の胸の奥で、何かがじわりと温かくなった。
母がカレーパンを焼いてくれた時に感じた、あの感覚に少し似ている。食べた人が笑顔になる瞬間の、あのじわじわした嬉しさ。それと同じものが、今確かにある。
(やってみよう。僕の料理で、みんなを笑顔にしてみせる)
心の中で、決めた。
そこへレシピが、何とも言えない真顔で裕樹の肩に着地した。
「[serious]……ちなみに、今のが君の初めての味の魔法だよ」
「[angry]いや魔法じゃないよこれ! ただの物理!! マヨネーズを足元に撒いたら人は滑る、それだけだよ!!」
「でも、料理に込めた思いで動いたんでしょう」
「[angry]動機と魔法は別物だよ!!」
レシピが「そうかなあ」と呑気な声を出した。
裕樹が「そうだよ!」と叫んだ、その瞬間——
石畳に倒れていた監査官が、ゆっくりと顔を上げた。
その目が、まっすぐ裕樹を見た。
石のような視線だった。感情が読めない。でも確実に、裕樹の顔を、記憶に刻んでいる。
「まずい」
レシピの声が、低くなった。
「[scared]まずい! 手配されちゃう! 走って!!」
監査官が懐から細い笛を取り出して、高く鋭い音を吹いた。
遠くで、足音が始まった。重い、整列した足音。複数。鎧が揺れる音も混じっている。
「走れ!!」
裕樹は走った。老人に「気をつけて!」と叫ぶ暇だけあった。老人が何か言おうとするのが見えたが、振り向いている余裕はない。路地に飛び込んで、角を曲がって、また路地に入って。石畳の街が迷路みたいに続く。
焦げ茶色のトースト色をした城壁が、遠くにそびえているのが見える。あれが王宮か、とぼんやり思いながら走る。
やがて人通りのない薄暗い路地に滑り込んで、壁に背中をつけた。呼吸が荒い。膝に手をついて、ゼエゼエと空気を飲み込む。
「[sad]……ここまで来れば大丈夫かな。しばらく」
レシピが裕樹の肩で光を弱めている。こっちも消耗しているのかもしれない。
「[serious]……聞いてもいい?」
「何?」
「[serious]王宮って、あのお城? さっきのでかいやつ」
「[gentle]そうだよ。クルトン城っていうんだけど。あそこの地下3層に——」
「[scared]……ちょっと待って」
裕樹は路地の隙間から外を覗いた。石畳の向こう、ずっと先にそびえる城。高さは50メートルくらいはありそうだ。5層構造で、城壁はトースト色。見るからに堅牢で、近寄りがたい。
「[serious]あそこの、地下3層に……何がいるの」
レシピが小さく光った。
「[gentle]キャラメル姫。このサンドイッチ王国の、正しい王位継承者。トースト伯爵に捕まって、ずっと囚われているんだ。彼女を助ければ、大きな力になる」
裕樹は天を仰いだ。
灰色の空。厚い雲。光が届かない。
「[whispers]……隠し味探しにきたはずなんだけどな、僕」
遠くから声が響いてきた。整然とした、複数の声。
「味覚の導き手と思われる不審者を発見。全土に手配。繰り返す——全土に手配」
カラシ兵だ、とレシピが囁く。トースト伯爵直属の歩兵部隊、二百名。全身黄色い辛子色の鎧。触れると痛い。
声は、近づいてくる。
裕樹は壁に背中をつけたまま、少しの間、目を閉じた。
老人の涙と笑顔が浮かんだ。あったかいものを食べさせたかっただけだ、という声。孫のために料理を作った、それだけのことで牢屋に送られかけた人の顔。
それから、誰も笑っていないこの街の空気。
裕樹は目を開けた。
——無理かもしれない。正直、全然自信ない。世界を救うとか大それたことを言えるほど、自分がすごい人間だとは思っていない。でも。
逃げて帰って、「物足りないサンドイッチ」を食べ続けるのは、嫌だ。
「[serious]……地下3層への行き方、教えてくれる?」
レシピが、ふわりと光を強めた。
「[excited]うん。一緒に考えよう」
路地の向こうで、足音が通り過ぎていく。裕樹は息を詰めて、その音が遠ざかるのを待った。
食彩異界の空は、今日も灰色だ。でも——どこかの台所で、誰かがこっそり料理を作っているかもしれない。誰かのために、温かいものを作ろうとしている人が、今この瞬間もいるかもしれない。
それを守れるなら、やってみる価値はある。
たぶん。
(……隠し味が見つかるといいな、この世界にも)
裕樹はそっと思って、腹を決めた。