1860年代、アメリカ合衆国は北部と南部に分かれ、国を二分する激しい内戦(南北戦争)の渦中にありました。当時の戦場や軍の陣営(キャンプ)は、兵士の食料である「硬パン(ハードタック)」や塩漬け肉、そして馬の飼料が大量に保管されていたため、凄まじい数のネズミが繁殖する温床となっていました。 さらに、兵士たちの間では、塹壕(ざんごう)の孤独やいつ死ぬか分からない恐怖から、陣営で飼われる猫や犬が「マスコット(幸運の象徴)」として驚くほど深く愛されていました。これは、ある北軍の歩兵連隊に寄り添った、一匹の黒猫の長い旅路の記録です。 『漆黒の煙と琥珀の星(ステラ)』 オハイオ州の農村から出征した若き北軍兵士、サミュエルがその猫に出会ったのは、バージニア州の泥深い前線キャンプでした。 その猫は、夜のキャンプファイザー(焚き火)の灰の中にでも隠れそうな、見事な漆黒の短い毛並みを持っていました。無駄のない引き締まった体躯に、汚れの目立たない短い毛。過酷な戦場を生き抜くために誂えられたかのような姿でしたが、何より兵士たちの目を引いたのは、その顔の真ん中で燦然と輝く大きな瞳でした。夕暮れの戦場に差し込む斜光を浴びると、それはまるで、戦火の煙の向こうで怪しく輝く「最高級の琥珀」そのものの色彩を放ったのです。 兵士たちは彼女を**「ステラ(星)」**と名付け、第23オハイオ歩兵連隊の正式なマスコットとして迎え入れました。 ステラの仕事は過酷でした。数百人の兵士たちの命を繋ぐ食料庫に忍び込み、革袋を食い破るネズミを片端から仕留めていくのです。当時の兵士にとって、ネズミに食料を汚されることは、飢えだけでなく恐ろしい発疹チフスなどの伝染病に直結する死活問題でした。ステラが毎朝、仕留めたネズミをテントの前に並べるたび、サミュエルたちは「よくやった、小さな大尉殿!」と称え、自分たちの貴重な牛肉の缶詰を分け与えました。 しかし、ステラの本当の価値は、その琥珀色の瞳に宿る「不気味なほどの予知能力」にありました。 1862年9月。のちに歴史上、最も血生臭い一日と呼ばれることになる「アンティータムの戦い」の前夜のことです。 メリーランド州の深い霧の中、両軍は翌朝の総攻撃を控え、静まり返っていました。サミュエルや仲間たちは、恐怖で一睡もできず、銃を抱えて塹壕の中に身を潜めていました。 その時、サミュエルの膝の上で丸くなっていたステラが、突然弾かれたように立ち上がりました。 短い黒毛を限界まで逆立て、尾を太く膨らませたステラは、まだ霧に包まれて何も見えない東の空をじっと見つめました。その琥珀色の瞳は、恐怖か興奮か、限界まで見開かれて怪しく明滅しています。 「おい、サミュエル、猫の様子がおかしいぞ」 先輩兵士が声を潜めて言いました。 人間の耳には、まだ何も聞こえません。しかしステラは、数マイル先で南軍の砲兵たちが大砲の信管に火をつけ、大気を震わせる「微振動」を、その鋭い髭と肉球で完全に捉えていたのです。ステラはサミュエルの衣服を激しく噛んで引っ張ると、塹壕のさらに深い防空壕の影へと走り出しました。 「狂ったんじゃない、敵襲だ! 伏せろ!!」 サミュエルが叫び、仲間たちが頭を抱えて泥の中に身を沈めた、まさにその数秒後。 ドォォォォン!!! 凄まじい地鳴りとともに、南軍の強烈な先制砲弾が、彼らがさっきまで頭を出していた塹壕の直撃を吹き飛ばしました。爆風と土砂が雨のように降り注ぐ中、ステラが示した退避場所にいたサミュエルたちは、奇跡的に全員が軽傷で助かりました。 「あの琥珀の目が、俺たちの命を救ってくれたんだ」 サミュエルは、耳鳴りのする頭を抱えながら、自分の胸の中で小さく震えるステラを強く、強く抱きしめました。 激しい戦争は数年間に及び、ステラは常に第23オハイオ連隊と共にありました。戦火を潜り抜けるたび、彼女の短い黒毛には煤(すす)が混じり、耳には小さな名誉の負傷の傷跡が増えましたが、あの琥珀色の瞳の輝きだけは、決して失われることはありませんでした。 やがて1865年、長い戦争が終わりを告げました。 連隊の指揮官であり、ステラを大層気に入っていたラザフォード・ヘイズ(のちのアメリカ第19代大統領)は、復員するサミュエルにこう告げました。 「サミュエル、この忠実な戦友を、ぜひ君の故郷へ連れて帰ってやってくれ。彼女には、もう硝煙の匂いではなく、平和な農場の草の匂いを嗅ぐ権利がある」 サミュエルはステラをバスケットに入れ、生まれ故郷のオハイオ州の農場へと帰郷しました。 そこには、大砲の轟音も、飢えも、泥にまみれた塹壕もありません。広大なトウモロコシ畑と、緑豊かな大草原が広がっていました。ステラは、新しく作られた木製のベランダがお気に入りになりました。 かつて戦場を揺るがした黒猫は今、平和なアメリカの、柔らかな午後の木漏れ日を浴びています。ネズミを追って草むらを跳ね回るその姿は、まるでただの無邪気な飼い猫のようでした。 しかし、夕暮れ時、地平線が真っ赤に染まる頃。 ステラはベランダの特等席に座り、じっと西の空を見つめるのでした。その短い黒毛は、平和な田舎の夜の闇に静かに溶け込み、その顔の中では、かつて多くの兵士たちを救い、激動の歴史を見届けてきたあの琥珀色の瞳が、夜空のどの星よりも深く、優しく輝き続けているのでした。