反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~
魔族というだけで人間に狩られ、奴隷に堕とされた少女・グレイ。角を持つその身に刻まれたのは、焼き印と鎖、そして屈辱の記憶だけだった。
グランヴェルド――大陸最大の奴隷貿易都市。そこでは魔族は「動く財産」でしかなく、抵抗すれば踏みにじられ、黙れば喰い物にされる。オークションで売れ残ったグレイに目をつけたのは、闘技場の興行主ヴァルド。与えられたのは錆びついた短剣一本と、猛獣の待つ死の檻だった。
絶望の底で、彼女の暗い紫の瞳に宿るのは諦めではなく、燃えるような殺意。
――奪われたものは、全部奪い返す。
――私を踏みつけた奴らは、いつか必ずこの手で殺す。
生き延びるためではない。喰らい尽くすために、少女は牙を剥く。
鎖に繋がれた「角の奴隷」が、血と砂の闘技場で、人間たちの作った地獄そのものを喰い破っていく――。
これは、奪われた少女が、奪う側へと成り上がる、復讐と解放の物語。
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反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~ - 廃教会の影——剣を下ろす夜
朝の光が、まだらに村の石畳を照らしていた。
グレイは、宿を出たところで足を止めた。肩に食い込む大剣の重さが、いつもより強く感じられる。昨夜の暗殺者たちの血の匂いが、まだ鼻の奥に残っている気がした。
(気に入らない)
胸の奥で、泥のような感情が渦を巻く。あの夜、自分の意思で人を斬った。命令でも、興行でもなく、守るために。その手応えは、三年間闘技場で培ってきた殺戮の感触とは、どこか違っていた。
「グレイ! 見て見て!」
ユウトの明るい声が、朝の空気を切り裂いた。
振り返ると、十三歳の少年が村の掲示板の前で、ぴょんぴょん跳ねながら手を振っている。くたびれた白いシャツに、肩から下げた小さな革の鞄。異世界から召喚された勇者には到底見えない、どこにでもいる子供の姿。だが、その無垢な瞳だけが、この薄汚れた世界に似合わないほど澄んでいた。
「何だ」
グレイが近づくと、ユウトは掲示板に貼られた一枚の羊皮紙を指さした。
「これ! 廃教会の依頼だって。行方不明者が続出してるんだって。僕たち、これをやろうよ」
羊皮紙には、読みにくい筆記体で「村はずれの廃教会にて、夜な夜な人が消える。調査求む。報酬は銀貨三十枚」と書かれていた。村の名主らしき署名が、かすれたインクで記されている。
「廃教会、か」
グレイは羊皮紙を一瞥し、それから周囲を見渡した。
村人たちの視線が、こちらに突き刺さっている。朝の市場へ向かう女たちが、足を止めてひそひそと囁き合う。パンを売る男が、露骨に顔を背けた。家の窓から、幼い子供がこちらを覗いている。母親が慌てて窓を閉める音がした。
(魔族連れ、か)
グレイの頭部から前方へ伸びる、牡牛のような二本の大きな角。胸元に焼き鏝で押された烙印。首に嵌められた黒鉄の首輪。どれもが、この村の人間にとっては恐怖と嫌悪の対象でしかない。
「あの魔族、まだ村にいるのか」
「憲兵に突き出せばいいのに」
「勇者様も、なんであんなのを連れてるんだ」
聞こえよがしの陰口が、朝の空気に溶けていく。グレイは、その声を無視した。慣れていた。この三年間、闘技場の外でも中でも、浴び続けてきた言葉だ。
「よし、決めた! この依頼、受けるよ!」
ユウトが、屈託なく笑った。
「なぜだ」
グレイの声が、低く響く。
「え?」
「なぜ、こんな村を助ける。あいつらは、私を魔族だと蔑み、お前のことも陰で笑っている。そんな連中が消えようが死のうが、私には関係ない」
グレイは、掲示板の羊皮紙を指で弾いた。
「お前が受ける義理はない」
ユウトは、きょとんとした顔でグレイを見上げた。それから、あっけらかんと言った。
「だって、困ってる人がいるからだよ」
グレイの眉が、ぴくりと動いた。
「……それだけか」
「うん。それだけ。困ってる人がいたら、助ける。それって、勇者として当たり前でしょ?」
ユウトの瞳は、一点の曇りもなかった。
グレイは、その視線に、かつての少年の面影を重ねた。
(カイン)
あの闘技場で、ただ一人、グレイにまっすぐな視線を向けてきた少年。魔族の孤児だったグレイに、優しさを教えた少年。
『自由になって……』
カインも、ユウトと同じように、何の打算もなく、ただ困っている者に手を差し伸べた。
(気に入らない)
グレイは、歯を食いしばった。
「……勝手にしろ」
「やった! じゃあ、早速村長さんのところへ行こう!」
ユウトは、グレイの返事を聞く前に、駆け出していた。
グレイは、少年の後ろ姿を、暗い紫の瞳で追った。ハイライトのない瞳が、朝の光を吸い込んで、底なしの闇のように見える。
(なぜ、こいつは)
(なぜ、私を、こんなにも苛立たせる)
答えは、出なかった。
---
村の宿は、二階建ての木造家屋だった。一階は食堂を兼ねた居間になっており、暖炉の火が、湿った空気をじわじわと温めている。
グレイが扉をくぐると、宿の主人が、カウンターの向こうから顔を上げた。五十代半ばの、痩せた男。油で汚れた前掛けをして、手にした布巾で、何度も同じ皿を拭いている。
「……おや、魔族の方」
主人の声は、わざとらしく明るかった。
「申し訳ないがね、あんたの部屋は、もう塞がっちまった。勇者様は二階の客間を使ってくださって結構だが、あんたは……そうだな、裏の馬小屋が空いてる」
主人の視線が、グレイの角から胸元の烙印へ、それから首輪へと滑っていく。その目に、好奇心と軽蔑が混ざっているのを、グレイは見逃さなかった。
「ちょっと! 何言ってるんですか!」
ユウトが、カウンターに駆け寄った。
「グレイは僕の連れです! 一緒に泊まらせてください!」
「いやあ、勇者様。そうおっしゃられても、うちは小さな宿でして。それに、ほら、他のお客様の手前もございますし」
主人は、困ったように笑ったが、その目は全く笑っていなかった。
「魔族が同じ屋根の下で寝るなんて、他のお客様が嫌がりますでしょう。何か盗まれたら、私の責任ですし」
「グレイはそんなことしない!」
「もういい」
グレイが、ユウトの言葉を遮った。
「慣れている。馬小屋で十分だ」
「でも……!」
「お前は二階で寝ろ。明日は早い」
グレイは、それだけ言うと、背を向けて宿の裏手へと回った。
「グレイ!」
ユウトの呼び声を背中で聞きながら、グレイは薄暗い馬小屋へと足を踏み入れた。
藁の匂いが鼻を突く。馬が二頭、壁際の仕切りの中で、落ち着きなく首を振っていた。グレイが近づくと、一頭が怯えたように嘶く。
(獣にも、嫌われる)
グレイは、壁際の藁の山に腰を下ろした。背中の大剣を、ゆっくりと下ろす。
ドスッ。
重い音。刃渡り百五十センチの処刑用大剣。凶刃の女王が遺した、あの女の重さそのもの。
グレイは、その剣を両手で抱え込むようにして、じっと見つめた。
(まだ、振れない)
心の中で、そう呟いた。
いや、正確には違う。振ることはできる。闘技場で、何百人もの敵を斬ってきた。聖騎士団の騎士たちも、昨夜の暗殺者たちも、この剣で斬った。
だが——
(剣を振る感触に、違和感が纏わりつく)
グレイは、右手を開いたり閉じたりした。
三年前の、あの瞬間の感触が、まだ指先に残っている。セラフィナを刺した時の、肉を貫く嫌な手応え。温かい血が、手首を伝って流れ落ちる感覚。そして、自分の手の中で、命が消えていくあの瞬間。
(気に入らない)
胸の奥で、同じ言葉が何度も繰り返される。
グレイは、大剣を握り直した。藁の上に立ち上がり、ゆっくりと素振りの構えを取る。
息を吸う。
一閃。
ブン、と空気を裂く音。
だが——違和感があった。剣の軌道が、わずかにブレる。手のひらに残る、あの感触。セラフィナを刺した時の、あの感覚が、剣筋を狂わせる。
(三年前から、ずっと)
(剣を振るたびに、あの感触が、私の手を狂わせる)
グレイは、大剣を下ろした。
「……まだ、振れない」
声にならない声が、藁の匂いの中に消えていく。
---
翌朝。
空は曇り、冷たい風が村の通りを吹き抜けていた。
グレイは、馬小屋の入り口で、ユウトを待っていた。
「グレイ、おはよう! よく眠れた?」
ユウトが、宿の裏口から駆けてくる。昨夜のことを気にしている様子はない。
「別に」
グレイは、背中の大剣を背負い直した。
二人は、村はずれの廃教会へと向かう道を歩き始めた。石畳の道は、村を外れるとすぐに土の道に変わり、周囲には雑草が生い茂る。遠くの丘の上に、古びた教会の尖塔が、曇り空に突き刺さるように見えた。
「ねえ、グレイ」
ユウトが、グレイの隣に並んで歩きながら、ふと言った。
「グレイはさ、なんでそんなに強いのに、自由が分からないの?」
グレイの足が、一瞬止まりかけた。
(自由)
また、その言葉。
カインの言葉。セラフィナの問い。そして、ユウトの無垢な疑問。
「……分からない」
グレイは、歩き続けた。
「私は、物心ついた時から奴隷だった。自由というものが何か、考えたこともない。ただ、気に入らない現状を、捻じ伏せることだけを考えてきた」
「そうなんだ……」
ユウトは、少し考えてから、明るい声で言った。
「自由って、楽しいことだよ! 行きたいところに行って、食べたいものを食べて、見たいものを見る。一緒に冒険すれば、きっと分かるよ!」
ユウトの笑顔が、曇り空の下で、やけに眩しかった。
グレイは、その眩しさに、思わず目を細めた。
(自由って、楽しいこと)
(そんな単純なものか)
(だが、こいつにとっては、本当にそうなのだろう)
グレイの胸の奥が、軋んだ。
自分が剣を振るう理由。それは、斬り合うためだけになっている。強い相手と戦い、勝つ。それだけが、頭の澱みを消す唯一の方法だった。
(私は、何のために剣を振るっている)
(自由のためでも、守るためでもない)
(ただ、気に入らない現状を、斬り捨てるためだけに)
グレイは、背中の大剣の重みを、改めて感じた。
「グレイ、見て! あれが廃教会だ!」
ユウトが、前方を指さした。
丘の上に、石造りの教会が建っていた。尖塔は傾き、壁には蔦が這い、窓という窓は割れている。長い間、人の手が入っていないことが、一目で分かる荒れ果てた姿。
だが——
グレイは、眉をひそめた。
(何か、いる)
肌を刺すような、冷たい気配。闘技場で何度も感じてきた、殺気に似た、しかしもっと粘着質な、不快な気配が、教会の奥から流れ出ている。
二人は、教会の前に立った。
グレイは、背中の大剣を、地面に突き立てた。
ズシャッ。
湿った土に、刃が深く食い込む。
(私は、何のために剣を振るのか)
(自由を知るためか)
(それとも、ただ斬りたいだけか)
答えは、まだ出ない。
だが——
その時だった。
教会の割れた窓の奥に、青白い光が、ふわりと灯った。
「……え?」
ユウトが、その光に気づいて、一歩前に出た。
その瞬間——
ミシミシミシ。
ユウトの足元の地面が、不気味に軋み始めた。
「グレイ……地面が……」
ユウトの声が、初めて、恐怖に震えた。
グレイは、大剣を引き抜き、ユウトの前に立った。
「下がっていろ」
「でも……」
「お前が来たら、足手まといだ」
グレイの声は、氷のように冷たかった。
ユウトは、一瞬むっとした顔をしたが、グレイの真剣な表情を見て、黙って後ろに下がった。
グレイは、教会の扉を、ゆっくりと押し開けた。
ギィィィ……
錆びた蝶番が、耳障りな音を立てる。
中から、冷たい風と共に、微かな腐臭が流れ出した。
(この匂いは……)
グレイは、嗅いだことがある。闘技場の地下で、死体が腐る時に漂う、あの甘ったるい悪臭。
奥の礼拝堂に、青白い光が揺らめいている。
グレイは、大剣を握り直した。
「ここで待っていろ」
「グレイ……!」
「いいな、動くな」
グレイは、ユウトの返事を待たずに、教会の中へと踏み込んだ。
冷たい空気が、肌にまとわりつく。
(この先に、何かいる)
(人を、消している何かが)
グレイは、暗い教会の奥へと、一歩ずつ進んでいった。
背中に、ユウトの不安げな視線を感じながら。
そして、グレイの脳裏に、昨夜のユウトの言葉が甦る。
『グレイとなら、僕、どこへだって行ける。だから……一緒にいて。相棒』
(相棒、か)
グレイは、歯を食いしばった。
(私は、お前を守れるのか)
(この、剣筋のブレる大剣で)
礼拝堂の奥で、青白い光が、ゆっくりと、グレイを待つように、揺れていた。Noveliaとは?
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