氷の相棒と穏やかな日々 〜追放された召喚士、ただ一人の騎士と生きる道〜
氷の相棒と穏やかな日々 〜追放された召喚士、ただ一人の騎士と生きる道〜
三十歳の召喚士グレンは、たった一体のリビングアーマーしか喚び出せないという理由で、Bランクパーティ『紅の牙』を追放される。リーダーのゼクスは冷たく言い放った。「お前の召喚じゃ前線が保たない」。グレンはただ「そうか」とだけ呟き、抗わずに去っていった。
しかし、彼が十五年もの間、全魔力を注ぎ込んできたリビングアーマーは、密かに自我を持つ上位存在――“リビングナイト”へと進化を遂げていた。グレン自身もまた、凄まじい鍛錬の末に通常の魔導士の三倍の魔力容量を有し、敵の動きを阻害する氷結魔法を得意としていた。相棒のリビングナイトは重騎士として振る舞い、絶対零度の斬撃を放つ斧と、主を守る鉄壁の盾を操る。二人の絆は、とうの昔に主従を超え、戦友と呼ぶべきものになっていた。
街外れでひっそりと杖工房を開いたグレンは、そこで天職を見出す。素材と刻印を客の魔力に緻密に調律するその手腕は、駆け出しの火魔法使いアリサや、Bランクの風魔導士クラウスなど、様々な冒険者たちの信頼を集めていった。一方、氷による妨害と盾防御という要を失った『紅の
氷の相棒と穏やかな日々 〜追放された召喚士、ただ一人の騎士と生きる道〜 - 戦力外通告
初夏の陽射しが差し込む互助会のホールに、軽い足音が響いた。
グレンは特に急ぐでもなく、いつものようにトレヴァーク冒険者互助会の石造りの建物へと入っていく。朝の空気にはまだ昨夜の雨の湿り気が残っていて、石畳の壁に触れるとひんやりと冷たかった。
受付カウンターの向こうでは、若い受付嬢が慌ただしく書類を整理している。顔なじみの彼女が顔を上げ、グレンに気づいて小さく会釈した。
グレンも軽く手を上げて応える。
互助会——正式にはトレヴァーク冒険者互助会という名のこの組織は、ヘルダインで冒険者として活動する者たちの拠点だった。90年ほど前、灰の氾濫と呼ばれる魔獣の大発生を機に設立されたと聞く。以来、依頼の仲介からランク審査まで、冒険者の活動に必要なあらゆる業務を一手に引き受けている。
依頼を受け、こなし、報酬を得る。その当たり前の循環が、この場所で回っていた。
グレンは壁に貼られた依頼書の束をぼんやりと眺めた。薬草採取から魔獣討伐まで、難易度も報酬もピンからキリまで。これらすべてが、誰かの助けを必要としている誰かの依頼だ。
(さて、今日は何を……)
「グレン」
その声は、グレンの思考を遮るように後ろから飛んできた。
振り返るまでもない。聞き慣れた、しかし今日はいつもより硬い口調。パーティリーダー、ゼクスの声だった。
ゼクスは腕を組み、壁に背を預けるように立っていた。
魔法剣士としての実力を示すように、腰には炎の魔石を埋め込んだ長剣を帯びている。切れ長の瞳には常に自信が漲り、その表情はまるで周囲を値踏みするかのようだった。彼の赤みがかった髪が、窓から差し込む光を受けて燃えるように輝いている。
その背後に、あと二人の仲間がいた。
一人はミレイユ。豊かな琥珀色の髪を今日は後ろで一つに束ねている。深い森の緑色をした瞳が、何かを言いたげに揺れていた。彼女は土魔導士として、主に遠距離からの支援と防御陣の構築を担当している。燃えるような赤茶色のローブが、彼女の小さな体躯を覆っていた。
もう一人は重戦士のガルド。スキンヘッドに小さく鋭い灰色の瞳。身長195cmの巨体を厚い鋼鉄の鎧で包み、背後には身の丈を超える大斧を背負っていた。いつもは無愛想なその顔が、今日はさらに硬い。
「どうした?」
グレンは穏やかな灰色の瞳でゼクスを見返した。
朝のホールには既に数十人の冒険者たちが屯していて、それぞれに朝の時間を過ごしている。依頼書を吟味する者、連れ立って出かけていく者、隅の長椅子でまだ眠り足りなさそうにあくびをしている若者。いつもと変わらぬ光景だった。
ゼクスは一歩前に出た。その動作がやけに芝居がかっているように見えたのは、グレンの思い過ごしだろうか。
「グレン。お前に話がある」
周囲の会話の音量が、ほんの少しだけ下がった。
ゼクスの声が、妙に通る。まるで最初から、皆に聞かせるつもりでいるかのように。
「単刀直入に言う。お前をパーティから外す」
グレンは何も言わなかった。
「リビングアーマー一体だけだ。それでBランクの依頼に対応できると思うか?」
ゼクスの口調は冷静だったが、その目はグレンをじっと見据えている。
「火力不足だ。いつもいつも守りに徹して、冷気で敵を遅延させて……そんな臆病者のやり方で通用するほど、これからの依頼は甘くない」
臆病者。
その言葉がホールに響いた。
誰かが息を呑む気配がした。別の誰かが、興味深げにこちらを見ている。
グレンは立ったまま、ゼクスの言葉を聞いていた。黒に近い濃紺の短髪が、わずかに風に揺れる。動きやすさを重視した黒のローブ。その下に軽量の黒染め革鎧。首元には魔力制御用の銀のペンダント。左手の薬指には魔力安定の銀の指輪。そして右手には、いつもの金属製の杖——先端に青く輝く魔石を埋め込んだ、彼自身が調整した品だ。
彼の指先や手のひらには、長年の細かい杖調整作業でできた無数の小さな傷跡があった。それらが今、窓からの光を受けて白く浮かび上がっている。
「ゼクス、言い方が……」
ミレイユが口を開きかけた。しかしゼクスは手で制する。
「これは必要な決断だ。ミレイユ、お前もわかっているだろう」
ミレイユは顔を伏せた。唇を噛みしめ、何かを堪えるように。
ガルドはずっと黙ったままだった。腕を組んで、ただ床を睨んでいる。大きな体躯が、今日はやけに小さく見えた。
グレンは二人を、それからゼクスを見た。
「……そうか」
短く、そう答える。
かつてこれほどまでに短い言葉で全てを済ませたことがあっただろうか。怒りもなければ、悲しみもない。ただ、事実を受け入れた。それだけの声だった。
ゼクスは一瞬、面食らったような顔をした。
「わかってくれたか。ならば手続きを」
グレンはカウンターに歩み寄り、先ほどまで書類を整理していた受付嬢に声をかけた。
「パーティ登録の抹消をお願いできますか」
受付嬢は戸惑ったようにグレンとゼクスを交互に見たが、やがて黙って冒険者証を受け取った。
互助会のパーティ登録抹消は、こんなにも簡単な手続きだ。書類にサインを一つ。それで全てが終わる。15年間、一緒に戦ってきた仲間との関係が、一枚の紙で切れてしまう。
(あっけないものだな)
グレンはぼんやりと思った。
手続きを終えると、彼はパーティの共有物を保管している奥の小部屋へと向かった。
「ちょっと、私物を取ってくる」
誰に言うでもなく呟いて。
背後でゼクスが何か言っていたが、耳には入らなかった。
共有物庫は薄暗く、埃っぽい。グレンは迷わず自分の私物が置いてある棚へと歩いた。手製の杖調整キット——小さな革袋に小刀や彫金針、ヤスリなどがぎっしりと詰まっている。それと、魔石の小箱が一つ。
それだけだった。
彼がこのパーティに残したものは、たったそれだけ。
グレンはキットを抱え、共有物庫を出た。
ゼクスはまだホールにいた。出口に向かうグレンの背中に向かって、声を張り上げる。
「せいぜいその鉄くずと仲良くやれよ!」
嘲笑だった。
グレンは振り返らなかった。
ミレイユが何か言いたげに半歩、足を踏み出した。けれど結局、声にはならなかった。彼女の緑の瞳が、悲しげに揺れている。
ガルドは組んでいた腕を解き、拳をぎゅっと握りしめた。しかしそれだけだ。ゼクスを止めることも、グレンを呼び止めることもできない。
グレンは互助会の重い扉を押し開けた。
初夏の陽光が、肌に心地よい。
街の喧騒が耳に届いた。市場の商人たちの呼び声。馬車の車輪が石畳を軋ませる音。遠くで子供たちが笑っている。
グレンは建物の外に出ると、大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
(ああ、これで楽になった)
彼の口元に、わずかに笑みのようなものが浮かんだ。
怒りではない。悲しみでもない。
それは、解放感だった。
長い間、パーティの中での居場所に悩んできたわけではない。むしろ、彼は自分なりに役割を果たしていると思っていた。防御と阻害。誰かが後方から支援しなければ、前衛はただの的だ。彼の冷気は、敵の動きを鈍らせ、リビングアーマーは仲間を守る盾となった。
だが、それも今日で終わった。
終わってしまえば、どうということはない。
グレンはヘルダインの街を南東へと歩き始めた。
商業都市ヘルダインは、ファルニカ連合自治領で二番目に大きな街だ。人口は約4万5千人。エルダ河の支流であるニーレ川の河畔に位置し、周辺には複数のダンジョンや魔獣生息域が広がっている。そのため冒険者の往来が多く、街は常に活気に満ちていた。
中央広場を抜け、城壁へと向かう。
石造りの建物が立ち並ぶ大通りから、少しずつ道は細くなっていく。人通りもまばらになり、やがて城門をくぐった。
城壁の外に出ると、空が広い。
遠くにニーレ川渓谷の方角を示す山並みが見えた。あの渓谷には、魔導樹が自生している。杖の材料になる貴重な木材だ。何度も素材採取に通った場所だった。
もう少し歩くと、目的の場所に着いた。
街の南東外れ、城壁から徒歩10分ほどの場所。そこに、小さな平屋がぽつんと建っている。元は廃棄された鍛冶小屋だった。石造りの基礎に、半分以上が木造の簡素な建物。屋根には苔が生え、壁板はところどころ腐食している。
だが、悪くない。
グレンはそう思った。
彼は扉を押し開け、中に入った。
室内は薄暗く、かび臭い。かつて鍛冶場だった部分には古い炉が残されていて、作業台の跡や煤けた壁が当時の名残をとどめている。奥には小さな居住スペースがあり、さらにその裏手には素材倉庫になりそうな小部屋もあった。
「さて」
グレンは杖を床に置き、左手を前に差し出した。
彼の魔力が、銀の指輪を通して安定し、そして集中する。
「来い」
短い詠唱。彼の召喚魔法は、これで十分だった。15年間、たった一つの存在にだけ魔力を注ぎ続けてきた。それ以外の何も必要としなかった。
足元の床に、蒼い光の魔法陣が広がる。幾何学模様が複雑に回転し、空間そのものがわずかに震えた。
そして。
光が収束し、そこに現れた。
蒼黒い重鎧の巨体。身長は210cm。全身を分厚い鋼鉄の鎧で覆い、右腕には人間の頭ほどもある巨大な戦斧。左腕には鉄壁の大盾。面頬の奥には、意志を持つかのような蒼白い光が静かに輝いている。
召喚体——リビングナイト。
元はリビングアーマーと呼ばれる、無機物に魔力を定着させて動かす鎧の兵士だった。普通、召喚士は3体から5体の召喚体を使役する。
必要に応じて使い分け、状況に応じて攻撃や防御に用いる。
一体だけに魔力を集中させるなど、効率が悪いとされる。だがグレンは、15年間、この一体だけに全てを注いできた。
その結果が、これだ。
リビングナイトはもう、ただの鎧人形ではない。自我らしきものを持ち、グレンとは言葉を交わさずとも意思疎通ができる。単体の戦闘力ならば、Bランク冒険者の上位に匹敵するほどの力を持っている。
それはまだ、誰も知らない事実だった。
グレンはリビングナイトの盾に手を触れた。冷たい鋼鉄の感触が、手のひらに伝わる。
「ここが、俺たちの新しい居場所になりそうだ。今まで戦いばかりだったからな。」
リビングナイトは無言だった。もともと話すことのない存在だ。
だが、その盾が、わずかに傾いた。
グレンの方を向くように。
鎧の奥の魔力光が、穏やかに脈打つ。肯定の意思表示だった。
「ありがとう」
グレンは笑みを浮かべ、今後の間取りを頭の中で組み立て始めた。工房兼店舗のスペースは炉のあった場所がいい。作業台もそこに置く。奥の部屋を居住スペースにして、裏手の小部屋は材料庫だ。
(看板も作らないと)
そんなことを考えているうちに、日は傾き始めた。
夕暮れが近づき、窓から差し込む光の色が変わっていく。
グレンは蝋燭に火を灯した。小さな灯りが、室内をぼんやりと浮かび上がらせる。
彼は持ち込んだ荷物から、帳簿と材料の在庫リストを取り出した。それから棚に並べ始めた材料を、一つひとつ手に取って確認していく。
魔導樹の枝が12本。どれもニーレ川渓谷で採取した良質のものだ。それぞれに魔力の通り方が微妙に異なる。手に取ると、冷たく硬い感触と、奥に宿る微かな魔力の気配を感じる。
魔石粉は3種類。火属性用、風属性用、そして無属性用。小瓶に詰められた粉末が、蝋燭の灯りにキラキラと輝いている。
芯材にする鱗と牙。岩蜥蜴の鱗は硬く、魔力を通しにくいが、特定の属性と共鳴する性質がある。灰熊の牙は魔力増幅に優れているが、扱いが難しい。
一つひとつを手に取り、状態を確認しては帳簿に記入する。
彼の手つきは無駄がなかった。職人の手つきだ。
(あとで道具も整えないと)
グレンは道具棚に向かった。
杖削り用の小刀。刃を砥石で研ぎ、切れ味を確かめる。
刻印用の彫金針。先端が少し丸くなっているのを見つけ、細かいヤスリで慎重に整形した。
魔力計測用の水晶板。曇りがないか、光にかざして確かめる。
これらの道具は、かつて彼が独学で杖調整の技術を身につける過程で、手に入れ、使い込んできたものだ。師匠はいない。全てが手探りだった。それでも、今では既製品の杖が魔力伝達効率60〜70%なのに対し、グレンが調整した杖は85〜95%に達する。
その技術を買われ、紅蓮の牙にいた頃から、個人的に杖の調整を頼まれることも多かった。
(今なら、もう少し値段を高くしてもいいかもしれないな)
銀貨80枚は取ってもいい。材料費と技術料を考えれば、決して高すぎる額ではない。既製品が銀貨15枚から40枚なのを考えれば、性能差を理解している冒険者なら納得する額だ。
そうこうしているうちに、夜は更けていった。
蝋燭が一本、燃え尽きる。
グレンは新しいものに火を移し、小さくあくびをした。
リビングナイトは部屋の隅で静止している。まるでただの鎧人形のように、動くこともなく。
しかし、深夜。
グレンが作業台に突っ伏して仮眠をとり始めた頃だった。
リビングナイトの蒼黒い鎧の表面に、一瞬だけ、蒼い光の線が走った。
幾何学的な模様が、鎧の表面をなぞるように現れ、そしてすぐに消える。
グレンは気づかなかった。
小さな寝息を立て、疲れた体を休めている。
リビングナイトは、再び静かに静止した。鎧の奥の魔力光が、いつもよりわずかに強く輝いているようにも見えたが、それもまた、すぐに穏やかなものへと戻っていった。
翌朝、グレンは眩しい朝日に目を覚ました。
窓から差し込む光が、部屋の中の埃をキラキラと踊らせている。彼は体を起こし、軽く伸びをした。
(さて)
今日やることはたくさんある。
何よりまず、看板だ。工房の名前を決めて、字を書いて、外に掲げる。それから店舗スペースの掃除と整理。材料の追加発注も必要かもしれない。
グレンは道具箱から、木の板と彫刻刀を取り出した。
看板を作るために。
「鉄槌と刻印」
彼は小声で呟き、板の表面に文字を彫り始める。鉄槌——かつてこの場所が鍛冶場だった名残。刻印——杖に細かな魔法刻印を施す、彼の技術。
悪くない名前だ。
道具を手に、木屑を散らしながら、グレンは黙々と作業を続けた。
部屋の隅で、リビングナイトが静かにその姿を見つめている。その鎧の奥の光は、今日も穏やかだった。
工房の外では、初夏の風が草を揺らし、遠くから朝の市場のざわめきが聞こえてくる。
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