氷の相棒と穏やかな日々 〜追放された召喚士、ただ一人の騎士と生きる道〜
氷の相棒と穏やかな日々 〜追放された召喚士、ただ一人の騎士と生きる道〜
三十歳の召喚士グレンは、たった一体のリビングアーマーしか喚び出せないという理由で、Bランクパーティ『紅の牙』を追放される。リーダーのゼクスは冷たく言い放った。「お前の召喚じゃ前線が保たない」。グレンはただ「そうか」とだけ呟き、抗わずに去っていった。
しかし、彼が十五年もの間、全魔力を注ぎ込んできたリビングアーマーは、密かに自我を持つ上位存在――“リビングナイト”へと進化を遂げていた。グレン自身もまた、凄まじい鍛錬の末に通常の魔導士の三倍の魔力容量を有し、敵の動きを阻害する氷結魔法を得意としていた。相棒のリビングナイトは重騎士として振る舞い、絶対零度の斬撃を放つ斧と、主を守る鉄壁の盾を操る。二人の絆は、とうの昔に主従を超え、戦友と呼ぶべきものになっていた。
街外れでひっそりと杖工房を開いたグレンは、そこで天職を見出す。素材と刻印を客の魔力に緻密に調律するその手腕は、駆け出しの火魔法使いアリサや、Bランクの風魔導士クラウスなど、様々な冒険者たちの信頼を集めていった。一方、氷による妨害と盾防御という要を失った『紅の
氷の相棒と穏やかな日々 〜追放された召喚士、ただ一人の騎士と生きる道〜 - 蒼き進化の咆哮
クラーゲン坑道を抜けた先にある、その場所は、ただ静かだった。
調査団の冒険者たちが掲げるランタンの灯りが、暗がりの壁を舐めるように這っていく。光魔法の松明が照らし出すのは、人の手では到底積み上げられないほどの巨大な石材で組まれた壁。石と石の隙間は、何か黒い物質でぴっちりと埋められていて、千年の時を経てもなお、ひび一つ入っていない。
グレンは、先頭を歩く団長の背中越しに、その異様な光景を見つめていた。
彼のすぐ後ろでは、リビングナイトが無言でついてきている。蒼黒い重鎧の足音は、石の床に吸い込まれてほとんど響かない。慣れた人でなければ、すぐ後ろに二メートルを超える鎧の兵士がいることすら気づかないだろう。
「すごい……これが第三層」
誰かが息を呑むように呟いた。
グレンもまた、胸の内で同じ言葉を繰り返す。
(これが、未踏破領域か)
空気が違った。ひんやりと冷たく、どこか甘いような、それでいて腐葉土の匂いとは違う、清浄すぎる空気。肺の奥まで入ってくるその感覚は、むしろ警戒心を煽った。
「全員、気を引き締めろ。ここから先は、何が起きてもおかしくない」
団長の鋭い声が、隊列を引き締める。
総勢十二名。CランクからBランクで構成された調査団だ。グレンはその中で唯一、互助会のドルグ支部長から直々に指名された防御・阻害要員だった。みな一様に緊張した面持ちで、重そうな調査機材を抱えている。
グレンは杖を握る手に、ほんの少しだけ力を込めた。
(まあ、いいか)
いつものように、小さく心の中で呟く。
彼の仕事は、前線を支えることだ。それ以上でも、それ以下でもない。
——だが。
その時だった。
最深部と思われる、ドーム状の広大な空間に足を踏み入れた瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
地の底から響くような、重く鈍い振動が、遺跡全体を揺るがせた。
「な、なんだ!?」
「地震か!? 坑道が崩れるぞ!」
悲鳴が上がる。
グレンは足を止め、目の前の光景を見た。
空間の中央にそびえ立っていた、巨大な壁の彫像——それが、動いたのだ。
高さは優に八メートルを超える。人の形を模したそれは、しかし人の何倍もの質量を持つ、石と鋼鉄でできたゴーレムだった。両腕は丸太のように太く、指の一本一本が、子供の胴体ほどの太さがある。その手が、ゆっくりと持ち上がる。
ガーディアンゴーレム。
この遺跡を守るために作られた、古代の守護者。
光のない眼窩が、調査団を——正確に捉えた。
「…………」
言葉はない。
ただ、その巨体が、一歩、踏み出した。
ドォン!!
床が陥没し、石畳がめくれ上がる。衝撃波だけで、隊列がよろめいた。
「ひ、ひいいっ!」
「に、逃げろ!」
「馬鹿! 背を向けるな! 迎え撃つぞ!」
団長の怒号が飛ぶが、悲鳴は収まらない。
そして、ゴーレムの右腕が、無造作に振り下ろされた。
——その時。
ガキィィィン!!!
鉄と石が激突する、耳をつんざく金属音が、空間全体にこだました。
ゴーレムの拳を受け止めたのは、蒼黒い大盾だった。
リビングナイトが、グレンと調査団の正面に立ちはだかっていた。全長二メートルを超える重騎士の全身が、ギシリ、と軋む。衝撃を打ち消す盾の向こうで、ゴーレムの拳が、なおも容赦なく押し込んでくる。
「……っ」
グレンは歯を食いしばり、杖を地面に突き立てた。
瞬間、リビングナイトの足元の床が、白く凍りつく。氷の結晶が、騎士の脚を床に固定し、衝撃を地面に逃がす。彼の氷魔法「領域凍結」による、防御補助だった。
「今のうちに、態勢を!」
グレンの声に、団長が我に返る。
「き、聞いたな! 魔導士は後方から援護射撃! 前衛は左右に散開しろ! 盾役はグレンに任せる!」
冒険者たちが慌ただしく動き出す。
だが。
グレンの額を、冷たい汗が伝った。
(重い)
拳を受け止めるたびに、リビングナイトと自分の魔力が、ごっそりと削られていく感覚があった。ゴーレムの質量攻撃は、一撃一撃が必殺だ。盾で受け止めても、衝撃は術者であるグレンの身体にも響く。
ドゴン!!
左の拳が、盾を横から殴りつける。
ドガン!!
右の拳が、盾の上部をハンマーのように打ち下ろす。
リビングナイトは、ただ無言で耐え続けた。
だが——その鎧の表面に、ピシリ、と細かい罅(ひび)が走るのが、グレンの目にも見えた。蒼い魔力光が、不安定に明滅し始めている。
「や、やばい……! 盾が、耐えきれてない……!」
「こっちの攻撃、まったく効いてねえぞ! 魔法も剣も弾かれる!」
焦りが隊列に広がる。
グレンは、リビングナイト越しに伝わるゴーレムの腕の動きを感じながら、奥歯を噛み締めた。
(これ以上は、もたない)
彼の魔力は、まだ底をついてはいない。だが、防御に魔力を割きすぎれば、肝心のリビングナイトの活動限界が早まる。何より——。
——グオオオオオン!!!
ゴーレムが、まるで息を吸い込むかのように、巨体を反らせた。
そして、渾身の力を込めた、右のストレートが、真正面からリビングナイトの大盾を捉えた。
バキィッ!!
嫌な音がした。
リビングナイトの大盾の一部が、砕け散ったのだ。蒼い魔力の粒子が、破片となって宙を舞う。リビングナイトは衝撃で片膝をつき、全身の魔力光が消えかかった。
「うわあああっ! 盾が!」
「もうダメだ! 撤退を——!!」
撤退の言葉が、空気を切り裂く。
その時だった。
「————」
グレンは、無意識のうちに、叫んでいた。
言葉ではなかった。
それは、十五年もの歳月を共に過ごした相棒の——名だった。
瞬間。
世界が、蒼く染まった。
リビングナイトの全身を、眩い光が包み込む。片膝をついていた鎧が、光の中で、ゆっくりと立ち上がる。砕けた盾の破片が宙に浮き、光の粒子となって鎧に吸い込まれていく。鎧は、まるで生き物のように脈動しながら、一回り、二回りと、その質量を増していった。
蒼白く輝く、精緻な装飾が鎧の表面に走る。まるで古代の英雄を称える冠のような、一対の角のような飾りが、兜の両側から生えた。
それは、もはや「鎧の兵士」ではなかった。
それは、戦場そのものを支配する、上位存在——。
リビングジェネラル。
「な、なんだ……あれは……!」
ゴーレムでさえも、この予期せぬ現象に、一瞬だけ動きを止めた。
そして、進化したジェネラルが、その手をかざす。
瞬間、虚空から、四つの人影が出現した。
銀色の鎧を纏った、リビングアーマーたち。ジェネラルが、短時間ながら自らの力で召喚した、自律型の下位兵士だ。
「よ、四体だと……!? 一瞬で召喚したのか!?」
リビングジェネラルは、無言のまま、手にした戦斧をわずかに動かした。
ただそれだけで。
四体のリビングアーマーは、完璧な連携を見せた。二体が瞬時に前方に走り、がっちりと盾を構えて防御陣を形成する。残る二体は、槍と剣を手に、左右に散開し、攻撃の構えを取った。
「バカな……まるで軍団だ……!」
ゴーレムが、再び拳を振り下ろす。
だが、今度は盾のリビングアーマー二体が、交差させるようにしてその拳を受け止めた。衝撃で、彼らの足元の石床が砕ける。しかし——倒れない。
そして、その隙を突いて、槍と剣の二体が動いた。
槍のアーマーは、ゴーレムの右膝の関節に狙いを定め、正確な突きを放つ。剣のアーマーは、左肩の継ぎ目に回り込み、隙間に刃をねじ込んだ。
石と鋼鉄の繋ぎ目をこじ開けるように、二体の兵士が動きを封じていく。
グオオオオ……!
ゴーレムの巨体が、バランスを崩した。
関節を破壊され、身動きが取れなくなったのだ。
その、無防備になった巨体の前に——リビングジェネラルが、ゆっくりと歩み寄る。
静寂。
周囲の冒険者たちが、息を呑む。
誰もが、その一瞬を、ただ見つめていた。
リビングジェネラルは、両手で戦斧を握りしめる。蒼い魔力が、刃の先へと凝縮していく。空気中の水分が凍り、無数の白い結晶が舞った。
絶対零度。
振り抜かれた戦斧が、ゴーレムの核——胸の中央に埋め込まれた、巨大な魔石——を、横薙ぎに捉えた。
——閃光。
ッッッッッッッ!!!
音が、消えた。
冷気が、爆発的に広がり、ゴーレムの全身を一瞬で凍結させる。身長八メートルを超える巨体の表面に、厚い氷の結晶がぶ厚く張り付いていく。
次の瞬間——。
パァァァン!!!
凍りついた巨体が、内側から粉々に砕け散った。
無数の氷片と、石と鋼鉄の破片が、滝のように降り注ぐ。それはまるで、蒼白い雪が遺跡の中に舞うような、美しくも恐ろしい光景だった。
戦闘の余波で、遺跡の壁にまで霜が走り、天井からは氷柱が垂れ下がる。
調査団の冒険者たちは、あまりの威力に、口を開けて天を仰ぐばかりだった。
リビングジェネラルは、ゆっくりと戦斧を下ろした。その身に宿る蒼い魔力光を静かに輝かせながら、主人であるグレンの方を、静かに振り返る。
「……ああ」
グレンは、自分でも気づかないうちに、小さく声を漏らしていた。
何か気の利いたことを言うべきなのかもしれない。だが、そんな言葉は何も浮かばなかった。ただ、十五年共に歩んできた相棒が、また一歩、自分の隣を歩くために進化してくれた。
その事実だけで、胸の奥がじわりと温かくなるのがわかった。
——。
——翌日。
ヘルダインの街は、朝からお祭り騒ぎだった。
「聞いたか! クラーゲン坑道の第三層がついに踏破されたらしいぜ!」
「古代遺跡のゴーレムを、グレンって召喚士が一人で倒したんだってな!」
「一人じゃねえ、あのデケェ鎧と一緒だ。なんでも、鎧が突然進化して、四体も兵隊を召喚したって話だ!」
酒場「角笛のラグナ」は、朝から冒険者たちの熱気でむせ返るようだった。
カウンターの端では、昨日から今朝まで酒を飲み続けているらしい重戦士が一人、赤ら顔でビールジョッキを空けている。
「あんた、朝から飲みすぎだよ、ガルド」
店主のラグナが呆れ顔で声をかけると、ガルドはジョッキをカウンターにドンと置いた。
「うるせえな。酒ぐらい好きに飲ませろ」
ラグナは肩をすくめて、別の客の相手に戻っていく。
ガルドは、手にしたグラスの中の、泡が消えた麦酒を見つめた。
昨日の噂は、もう耳にタコができるほど聞いた。
リビングアーマーが上位存在に進化した。
四体の兵士を召喚した。
古代の守護者を、一撃で粉砕した。
耳を塞ぎたくなるほど、奴の名前が街中に溢れている。
「あいつは、最初から俺たちとは格が違ったんだな」
誰に言うともなく、低く呟いた。
かつてパーティ「紅蓮の牙」で、グレンのリビングアーマーと共に前線を張っていた重戦士。今はもう、あの盾の後ろに立つこともない。
(俺たちは、何を見ていたんだろうな)
ゼクスは、奴を「火力不足だ」と切り捨てた。パーティの穴だと公然と罵った。
だが、今となっては、その言葉がどれほど愚かだったかは、街中の誰もが知っている。
「……お前は、一人でも大丈夫なんだな」
手にしたジョッキに映る、自分の顔を見つめる。左頬の古い傷跡が、酒のせいでいつもより赤く見えた。
彼を簡単に手放してしまった紅蓮の牙の愚かさ。ゼクスは今、どこで何をしているのか。ミレイユは罪悪感に苛まれ、自分はこうして酒に逃げている。
何もできなかった。
何も言えなかった。
ただ、友の無事と成功を祈ることしかできない自分への無力感が、胸の奥に重く沈んでいく。
「……ふん」
彼は、残りの麦酒を一気に煽り、空になったジョッキをカウンターに叩きつけるように置いた。
周囲の冒険者たちは、まだグレンの武勇伝に夢中で、彼のことなど誰も気にしていない。
ガルドは席を立つ。
「ラグナ、代金はそこに置いておく」
「え? あ、ちょっと、釣りが多いよ!」
ラグナの声を背に、ガルドは酒場を出て行った。
初夏の陽光が、容赦なく照りつける通りを、彼は一人で歩く。
街は今日も、平和だ。
だが、彼の心の中だけは、まだあの頃のまま——グレンが穏やかな笑みを浮かべながら、隣で盾を構えてくれていたあの頃のまま、時が止まっていた。
(次に会ったら、何て言えばいいんだろうな)
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