反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~
魔族というだけで人間に狩られ、奴隷に堕とされた少女・グレイ。角を持つその身に刻まれたのは、焼き印と鎖、そして屈辱の記憶だけだった。
グランヴェルド――大陸最大の奴隷貿易都市。そこでは魔族は「動く財産」でしかなく、抵抗すれば踏みにじられ、黙れば喰い物にされる。オークションで売れ残ったグレイに目をつけたのは、闘技場の興行主ヴァルド。与えられたのは錆びついた短剣一本と、猛獣の待つ死の檻だった。
絶望の底で、彼女の暗い紫の瞳に宿るのは諦めではなく、燃えるような殺意。
――奪われたものは、全部奪い返す。
――私を踏みつけた奴らは、いつか必ずこの手で殺す。
生き延びるためではない。喰らい尽くすために、少女は牙を剥く。
鎖に繋がれた「角の奴隷」が、血と砂の闘技場で、人間たちの作った地獄そのものを喰い破っていく――。
これは、奪われた少女が、奪う側へと成り上がる、復讐と解放の物語。
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反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~ - 叫び——自由の在り処を斬り開け
冷たい石の床に、ユウトの血が広がっていた。
青白い光が、その赤黒い染みを照らし出す。礼拝堂の空気は、黴と古い蝋と、そして血の匂いが混ざり合って、肺の奥にへばりつく。舌の根に、鉄の味が残っていた。
グレイは、背中にユウトの体温を感じながら、大剣を構えていた。
刃渡り百五十センチ。凶刃の女王が遺した、あの女の重さそのもの。両手で握る柄には、自分の汗と、ユウトの血が滲んでいる。柄の革が、ぬるりと滑った。
(この感触)
指先に、あの日の感触が甦る。
三年前。闘技場の地下牢で、カインを刺した。肉を貫く、生温かい手応え。血が手首を伝い、滴り落ちる感覚。そして、自分の手の中で、光が消えていく、あの瞬間。指の腹に、いまだに残る、あの温もり。
(気に入らない)
胸の奥で、泥のような感情が脈打つ。心臓の裏側で、どろりと重いものが、ゆっくりと形を変えていく。
「ククク……どうした、化け物」
祭壇の奥から、湿った声が響く。エルダー・リッチ。青白い光が、その骸骨の指先で揺らめいている。光が揺れるたび、祭壇の影が、礼拝堂の壁で、ぐにゃりと歪んだ。
「その小僧の血が、そんなに堪えるか。お前の剣は、奪うための剣。守るための剣などではない。今更、何を迷う」
リッチの言葉が、グレイの心を抉る。語尾が、骨の奥で笑うように、しゃがれていた。
(違う)
(私は——)
「死霊どもよ」
詠唱。
カタカタカタ、と骨が擦れ合う音。礼拝堂の四方から、白い骨の兵士が、再び湧き出してくる。石畳の隙間から、骨の指が、にゅっと突き出た。
グレイは、歯を食いしばった。奥歯が、ぎりりと鳴る。
「……来い」
スケルトンの群れが、波のように押し寄せる。
グレイは、大剣を横薙ぎに振るった。
ガギンッ!!
三体の頭蓋骨が、同時に砕ける。白い破片が、月明かりに舞う。破片の一つが、グレイの頬をかすめ、薄い血の筋を引いた。
(一匹、二匹、三匹——)
返す刃で、迫る二体の肋骨を、まとめて断つ。骨の粉が、鼻腔の奥を、乾いた匂いで満たした。
(四匹、五匹——)
だが、刃筋が、わずかにブレる。
ユウトの血が、柄を滑らせる。あの感触が、指先から腕へ、腕から肩へ、じわじわと広がっていく。肩の筋肉が、こわばり、指の間接が、言うことを聞かない。
(師匠)
(私が、刺した)
(私の、この手で)
ゴシャッ。
一体のスケルトンの首を、刎ね損じた。刃が肩口に食い込み、骨を砕く。だが、致命傷には至らない。砕けた骨の断面が、ぐらりと傾ぎ、刃を、噛んだ。
(くそっ)
グレイは、舌打ちした。口の中に、血の味が広がる。いつの間にか、唇を噛んでいた。
(斬るたびに、あの感触が、私の手を狂わせる)
(守るために斬っているのに、私の剣は、まだ、奪うための剣のまま)
「グレイ……」
背中から、か細い声。声の主が、息をするたびに、背中に当たる空気が、震えていた。
「後ろは、任せて……」
「動くな! お前は、そこで、じっとしていろ!」
グレイは、振り返らずに叫んだ。喉の奥が、ひりつく。
(私が、)
(私が、何とかする)
(なのに、なぜ)
(なぜ、手が震える)
グレイは、大剣を握り直した。指の関節が、白くなる。柄に巻かれた革が、きしんだ。
「クハハハハ!!」
リッチの笑い声が、礼拝堂に響き渡る。天井の梁が、その声に、みしりと鳴った。
「いいぞ、化け物! その顔だ! 苦しめ! 迷え! お前のその剣は、結局、奪うための剣。守るための剣などではない! その小僧を、お前の剣で、守れるものか!」
グレイは、答えない。
ただ、大剣を振るう。
ガギンッ!! ガラガラガラ!! ゴシャッ!!
骨が砕ける音。白い破片。腐った肉の欠片。グレイの頬に、骨の粉と、汗が、混ざって流れた。
グレイの体は、すでに、あちこちに傷を負っていた。肩から血が流れ、額から汗が滴る。息が上がり、視界の端が、白く霞む。膝が、笑うように、震えていた。
(キリがない)
(このままでは、ジリ貧だ)
(だが——)
グレイは、背後のユウトを、ちらりと見た。
ユウトは、痛みに耐えながらも、グレイの背中を見つめていた。その瞳が、まっすぐに、グレイの背中を、射抜いていた。
(私が、何とかする)
グレイは、大剣を、正面に構えた。柄を握る手に、力が、ぐっと入る。
「来い」
スケルトンの群れが、再び、押し寄せる。
グレイは、一歩も引かずに、大剣を振るった。
だが、その時だった。
「なんで、そんなに強いのに……」
ユウトの声が、震えていた。その声が、背中に、しみこむように、届く。
「自由が、分からないんだ……」
グレイの手が、止まった。
一瞬の隙。
スケルトンの爪が、グレイの肩を裂く。
ズシャッ。
肉が裂け、血が飛び散る。生温かいものが、腕を伝った。
(痛い)
(だが、それよりも)
「グレイは……」
ユウトの声が、消え入りそうなほど、弱々しい。その声を、聞き逃すまいと、グレイの耳が、ぴくりと動いた。
「強いよ……」
その言葉が、グレイの胸に、深く、深く、突き刺さった。胸骨の裏で、何かが、鈍く、軋む。
(強い)
(私が、強い)
(ならなぜ、自由が、分からない)
グレイの手が、初めて、止まった。
大剣を握る手が、震える。
(私は、何のために、剣を振っている)
(自由のためでも、守るためでもない)
(ただ、気に入らない現状を、斬り捨てるためだけに)
(でも、それで、何が変わる)
(何も、変わらない)
(私は、ただ、斬り続けるだけ)
胸の奥で、声が重なる。
『自由になれ』
カインの声。
『自由になって、何をする』
セラフィナの声。
(自由になって、何をする)
(私は、自由になって、何をしたい)
(何が、したい)
(分からない)
(分からない、分からない、分からない)
グレイの視界が、滲む。目の奥が、熱い。まぶたの裏で、光が、にじんだ。
(でも)
(それでも)
グレイは、大剣を、握り直した。手のひらに、傷の痛みが、走る。その痛みが、なぜか、支えになった。
(なんなんだ?)
(自由ってのは、)
(なんなんだよ!?)
グレイは、スケルトンの群れに向かって、踏み出した。石畳を、踏み砕く音が、礼拝堂に、響いた。
「うおおおおおおおおおお!!!」
雄叫び。
大剣が、唸る。
ガギンッ!!
一体のスケルトンを、真っ二つに叩き斬る。骨の破片が、雨のように、降り注いだ。
「自由って、なんなのか!!!」
叫びながら、大剣を横薙ぎに振るう。風を切る音が、遅れて、耳に届いた。
ゴシャッ!!
三体のスケルトンが、まとめて吹き飛ぶ。壁に叩きつけられ、粉々に砕けた。
「知りたい!!!」
突き。
グシャッ!!
スケルトンの胸を、大剣が貫く。骨の奥の、空虚な闇を、刃が、貫いた。
「私が、知りたいんだ!!!」
グレイは、力の限り、叫んだ。喉が、裂けるかと思うほどに。
その叫びは、礼拝堂の石壁に、反響する。壁の隙間から、埃が、はらはらと落ちた。
割れた窓から、外へ、漏れ出る。
だが——
礼拝堂の外にいた村人には、届かない。風が、その声を、さらっていった。
奥に囚われた行方不明者たちにも、届かない。石の壁が、その声を、遮った。
ただ、遠くで、ユウトだけが、その声を聞いていた。
ユウトは、何も言わなかった。
ただ、グレイの背中を、じっと見つめていた。その瞳に、涙が浮かんでいるのか、いないのか。月明かりが、その頬で、揺れていた。
グレイには、分からなかった。
(でも)
(それでいい)
(私の叫びは、誰にも届かなくていい)
(ただ、私が、叫んだ)
(それだけで、いい)
グレイは、大剣を振るい続けた。
叫びながら、スケルトンを斬り伏せ、リッチへと迫る。一歩、また一歩。骨の破片を踏み砕きながら、祭壇へと近づいていく。踏むたびに、足の裏に、骨の硬い感触が、伝わった。
「なに……!?」
リッチの声が、驚愕に染まる。その声が、わずかに、裏返った。
「ば、馬鹿な……お前ごときに、何ができる……」
リッチが、後ずさる。祭壇の蝋燭が、その動きに、ふわりと揺れた。
「死霊の矢よ!!」
詠唱。
青白い光が、リッチの指先に集まり、太い矢の形を取る。空気が、ざわりと、震えた。
ヒュン!!
光の矢が、グレイに向かって、放たれた。
グレイは、避けない。
大剣を、正面に構える。柄を握る手に、力が、みなぎる。
(カインとの約束)
(セラフィナの問い)
(ユウトの言葉)
(全部、抱えたまま)
(私は、斬る)
グレイは、大剣を、振り下ろした。
「お前を斬れない理由は、もうない!!!」
ザシュッ!!
青白い光の矢を、大剣が、真っ二つに斬り裂いた。
光の破片が、月明かりに、散り散りに砕ける。きらきらと、星屑のように、宙を舞った。
「な、なに……!?」
リッチの声が、恐怖に震える。骨の顎が、かたかたと、鳴っていた。
「魔法を、斬った……だと……!?」
グレイは、答えない。
ただ、大剣を、リッチに向けて、突きつけた。切っ先が、青白い光を、一点に、貫いた。
「お前は、ここで、終わりだ」
グレイの声は、静かだった。
だが、その瞳は、暗い紫の奥に、燃えるような光を宿していた。瞳孔の底で、炎が、揺れていた。
グレイは、大剣を、振りかぶった。
「や、やめろ……! 我は、不死者……! 我を倒せる者など、いるはずが……!」
リッチが、両手を掲げて、最後の抵抗を試みる。青白い光が、リッチの周囲に、渦巻く。空気が、びりびりと、震えた。
だが——
グレイの大剣が、その光ごと、リッチを斬り裂いた。
ズバァァァン!!!
青白い光が、霧散する。衝撃で、祭壇の蝋燭が、一斉に、消えた。
リッチの体が、骨の破片となって、崩れ落ちる。からからと、乾いた音を立てて、床に、降り積もった。
「ば、馬鹿な……我が……我が……消える……だと……?」
リッチの声が、消えていく。声の主が、空気に、溶けていくようだった。
「いやだ……いやだ……!まだ、我は……魔導の、深淵に、辿り……着くまでは…………」
その言葉を最後に、エルダー・リッチは、完全に霧散した。
静寂。
礼拝堂に、静けさが戻る。蝋燭の煙が、細く、立ちのぼっていた。
スケルトンの群れも、リッチの消滅と共に、崩れ落ちて、ただの骨の山となった。からん、と、最後の骨が、床を転がった。
グレイは、大剣を、ゆっくりと下ろした。
ドスッ。
刃が、石の床に、重い音を立てて、突き立てられる。柄から伝わる振動が、手のひらを、痺れさせた。
(終わった)
グレイの膝が、崩れかける。太ももの筋肉が、ぶるぶると、震えた。
(まだだ)
(まだ、終わってない)
グレイは、歯を食いしばり、膝を叱咤した。爪先に、力を、ぐっと込める。
「……ユウト」
グレイは、背後のユウトに、声をかけた。声が、思ったより、掠れていた。
「立て。終わった」
ユウトは、ゆっくりと、顔を上げた。床に、手をついて、よろよろと、立ち上がる。
「……うん」
ユウトは、痛みに耐えながらも、笑みを浮かべた。口元が、ゆるりと、ほころぶ。
「ありがとう、グレイ」
その笑顔が、月明かりに、白く浮かび上がる。頬の傷が、その笑みで、わずかに、引きつれていた。
グレイは、その笑顔から、目を逸らした。視線が、床の骨の山に、逃げる。
(気に入らない)
(なぜ、こいつは、笑う)
(私は、お前を、守り切れなかった)
(お前は、深手を負った)
(なのに、なぜ、笑う)
グレイの胸の奥で、また、泥のような感情が、渦巻く。喉の奥が、熱くなった。
その時だった。
グレイの首輪が、かすかに、光を放った。
黒鉄の首輪。奴隷の証。冷たい金属が、首筋に、食い込んでいる。
その表面に、淡い、青白い光が、走る。光は、首輪の縁を、なぞるように、流れた。
(……なんだ)
グレイは、首輪に手をやった。指先に、かすかな、熱が、触れた。
光は、すぐに消えた。
だが、その一瞬の光は、確かに、グレイの首を、縛り続けているものの存在を、彼女に突きつけた。首輪の冷たさが、急に、生々しく、皮膚に、よみがえった。
(私は、まだ、自由ではない)
(首輪は、まだ、私を、縛っている)
グレイは、首輪を、ぎゅっと握りしめた。指の腹に、金属の冷たさが、食い込む。
(でも)
(私は、知りたいと、叫んだ)
(自由って、なんなのかを)
(初めて、自分の言葉で)
グレイの胸の奥で、小さな火が、灯った。ちりちりと、消えそうで、消えない、熱。
それは、怒りでも、憎しみでもない。
もっと、別の、何か。
(まだ、分からない)
(でも、確かに、ここにある)
グレイは、大剣を、背中に背負い直した。革の帯が、肩に、食い込む。その重みが、妙に、心地よかった。
「……行くぞ」
「うん」
グレイは、ユウトに肩を貸し、礼拝堂の奥へと、足を向けた。ユウトの体が、寄りかかる。その温もりが、肩に、伝わった。
奥から、かすかに、呻き声が聞こえ始めていた。声は、いくつも、重なって、石の壁を、伝って、届く。
行方不明者たちの、声。
(まだ、終わっていない)
(やるべきことが、ある)
グレイは、一歩、また一歩と、歩き出した。石畳に、足音が、響く。
首輪は、まだ、消えない。
だが、彼女の歩みは、確かに、前へ進み始めていた。Noveliaとは?
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