反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~
魔族というだけで人間に狩られ、奴隷に堕とされた少女・グレイ。角を持つその身に刻まれたのは、焼き印と鎖、そして屈辱の記憶だけだった。
グランヴェルド――大陸最大の奴隷貿易都市。そこでは魔族は「動く財産」でしかなく、抵抗すれば踏みにじられ、黙れば喰い物にされる。オークションで売れ残ったグレイに目をつけたのは、闘技場の興行主ヴァルド。与えられたのは錆びついた短剣一本と、猛獣の待つ死の檻だった。
絶望の底で、彼女の暗い紫の瞳に宿るのは諦めではなく、燃えるような殺意。
――奪われたものは、全部奪い返す。
――私を踏みつけた奴らは、いつか必ずこの手で殺す。
生き延びるためではない。喰らい尽くすために、少女は牙を剥く。
鎖に繋がれた「角の奴隷」が、血と砂の闘技場で、人間たちの作った地獄そのものを喰い破っていく――。
これは、奪われた少女が、奪う側へと成り上がる、復讐と解放の物語。
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反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~ - 潮騒の予兆
潮の匂いがした。
グレイは、その匂いを、生まれて初めて嗅いだ。塩と、魚と、濡れた木と、何かが混ざり合った、鼻腔の奥を刺すような匂い。内陸の闘技場で、汗と血と砂埃にまみれて生きてきた彼女の肺に、その空気はあまりにも異質だった。
街道の最後の丘を越えたとき、視界が、突然、開けた。
グレイは、足を止めた。
目の前に、青があった。
どこまでも続く、青。空の青とは違う、もっと深く、もっと重い、生き物のような青。それが、大地の果てで、空と溶け合っていた。
(海)
グレイは、その言葉を、頭の中で反芻した。灰の底のスラムで、物語の中でしか聞いたことのない言葉。商人たちが、酒場で、自慢げに語る、遠い場所の名前。それが、今、自分の目の前に、広がっていた。
「わあ……! すごい! グレイ、見て、海だよ、海!」
隣で、ユウトが、子供のようにはしゃいでいる。少年は、荷物を放り出して、丘の斜面を駆け下りようとした。
「待て」
グレイは、ユウトの襟首を、ぐいと掴んだ。
「わっ……! な、なに?」
「……荷物を、置いていく気か」
グレイは、ユウトが放り出した革袋を、指差した。中には、旅の路銀と、ユウトの聖剣が入っている。
「あ……ご、ごめん。つい、嬉しくて」
ユウトは、慌てて荷物を拾い上げた。耳の先が、わずかに赤い。
グレイは、ため息を一つ吐いた。
(こいつは、いつもこうだ)
(私が、目を離したら、すぐに、どこかへ行く)
(……気に入らない)
グレイは、再び、海へと視線を戻した。
風が吹いた。
生温かい、湿った風。グレイの伸びた灰色の髪を、乱暴に攫っていく。ポニーテールに結わえた髪が、後ろで、暴れる。
(広い)
(どこまで、続いているんだ)
水平線。その言葉も、グレイは、知っていた。だが、実際に目の当たりにすると、それは、想像を絶していた。
海の向こうには、何がある。
別の国。別の街。別の、人間。
(自由、というやつが、あるのか)
グレイの胸の奥で、何かが、ちりりと疼いた。それは、痛みにも似た、渇望だった。首輪の下の烙印が、かっと熱を持ったような気がして、グレイは、無意識に、胸元を押さえた。
「……グレイ、海、初めて?」
ユウトが、グレイの顔を、覗き込むようにして、尋ねてきた。
「……ああ」
グレイは、短く答えた。
「僕も! 本物の海は、初めて! ねえ、後で、砂浜まで行ってみようよ。貝殻とか、拾えるかな」
「……好きにしろ」
グレイは、そう言って、歩き出した。
丘を下ると、ノルン港都の街並みが、眼下に広がっていた。
白い石造りの建物。赤や青の屋根。入り組んだ路地。そして、港には、何十艘もの船が、ひしめき合っていた。帆柱が、林立している。港のクレーンが、きしみながら、荷物を積み降ろしている。
(これが、港都)
グレイは、闘技場の街、グランヴェルドを思い出した。あの街も、大きかった。だが、ここは、空気が違う。
グランヴェルドは、奴隷と金と暴力の街だった。空気は、いつも、血と汚物の匂いで、澱んでいた。
だが、ノルン港都は、もっと、開けている。海からの風が、街の匂いを、絶えず洗い流している。
(自由都市、か)
グレイは、旅の途中で、商人から聞いた言葉を、思い出した。ノルン港都は、特定の王国に属さない、自治都市。奴隷貿易の中継地でもあるが、同時に、多彩な種族と旅人が行き交う、開かれた街。
(だが、奴隷貿易の中継地であることに、変わりはない)
グレイは、街の入り口に立つ、憲兵の姿を見た。濃紺のマントに、銀の胸章。ヴェルムント憲兵隊。あの制服は、大陸のどこに行っても、同じだ。
グレイは、無意識に、首輪を隠すように、外套の襟を立てた。
(気に入らない)
街の門をくぐる。
途端に、雑踏が、二人を包み込んだ。
「らっしゃい、らっしゃい! 南の果物だよ!」
「干し魚はいらないかい! 安いよ!」
「靴を直すなら、こっちだ!」
商人たちの呼び声。荷馬車の車輪の音。どこかで、子供が泣いている。異国の言葉が、あちこちから聞こえる。
グレイは、眉をひそめた。
(うるさい)
人混みが、グレイの体に、ぶつかる。人間の体温。汗の匂い。酒の匂い。香水の匂い。すべてが混ざり合って、吐き気がしそうだった。
「すごい人だかりだね! グレイ、はぐれないように、手を繋ごうか?」
ユウトが、無邪気に、そう言った。
「……殺すぞ」
グレイは、低く唸った。
「ひえっ……じょ、冗談だよ」
ユウトは、大げさに、肩をすくめた。
グレイは、ユウトを無視して、歩き続けた。
(この街には、情報が集まる)
(吟遊詩人や情報屋も、多いはずだ)
グレイは、旅の目的を、頭の中で整理した。ユウトを、聖地へ送り届けること。そして、その過程で、グレイ自身の渇望を満たす何かを見つけること。
(私の、自由を)
(私の、力を)
(私の、名前を)
グレイは、拳を握りしめた。
港の広場に出た。
海風が、ひときわ強く吹き抜ける。広場の中央には、古い石造りの噴水があり、その周りを、鳩が、群れをなして歩いていた。
そして、その噴水の縁に、一人の男が、座っていた。
吟遊詩人だった。
男は、色褪せた緑の外套を羽織り、つばの広い帽子を、深く被っていた。歳は、四十代半ばだろうか。顔には、深い皺が刻まれ、長い指が、膝の上の竪琴を、ゆっくりと撫でていた。
竪琴の弦が、かすかに、風に震える。
男は、目を閉じたまま、ぽつりと、語り始めた。
「……遠い北の、氷の下に、奪われし者の、王国がある」
低い、しわがれた声。だが、その声は、不思議と、広場の雑踏を、切り裂くように、響いた。
グレイは、足を止めた。
「洞穴の王国——岩と氷と、暗黒の神に、祝福されし、魔族たちの、隠れ里。そこには、かつて、光り輝く、宝玉があった。太陽の光を、その身に宿す、宝玉が」
グレイの心臓が、どくりと鳴った。
(魔族の、王国)
「だが、ある日、空から、一匹の龍が、舞い降りた。鱗は、夜よりも黒く、吐く息は、炎ではなく、闇そのもの。暗黒の邪龍——奴は、宝玉を奪い、王国を、氷の底へと、沈めた」
吟遊詩人の指が、竪琴の弦を、強く弾いた。
ポロン、と、低い音が、響く。
「奪われし者たちは、今も、氷の下で、叫んでいる。我らの宝玉を、我らの王国を、我らの誇りを、返せ、と。だが、その叫びは、誰にも、届かない。凍てつく北風が、その声を、かき消してしまうからだ」
吟遊詩人は、ゆっくりと、目を開けた。
「……されど、歌は、残る。奪われしものを、取り戻すために。歌は、歌い継がれる。洞穴王国の、名もなき王の、帰還を、願って」
ポロロン、と、最後の音が、風に溶けていった。
広場に、静寂が、降りた。
いつの間にか、人々が、足を止めて、吟遊詩人の歌に、聞き入っていた。
グレイは、その場に、立ち尽くしていた。
(奪われしものを、取り戻す)
(洞穴王国)
(我らの誇りを、返せ)
(奪われしものを、取り戻すために。)
歌の一節一節が、グレイの胸の奥に、突き刺さった。
奪われたもの。自由。名前。誇り。すべてを奪われた、自分。
(気に入らない)
グレイの胸の奥で、泥のような感情が、どろりと、渦を巻いた。
グレイは、吟遊詩人に、近づいた。
足音に、吟遊詩人が、顔を上げた。
「……その歌、どこで、覚えた」
グレイは、吟遊詩人を、真っ直ぐに見下ろした。
吟遊詩人は、グレイの頭部の角と、首輪を、ちらりと見た。だが、その表情は、変わらなかった。
「北の生まれの、老詩人から、教わった。もう、二十年も前の話だ。この歌を、知る者は、もう、ほとんど、いないだろう」
吟遊詩人は、静かに、そう答えた。
「北の、どこだ」
「さあ、そこまでは。老詩人は、北の荒野、ゼルカの生まれだと、言っていたが」
(ゼルカ荒野)
グレイは、その名前を、記憶に刻んだ。
グレイは、懐から、一枚の金貨を取り出した。
そして、それを、吟遊詩人の足元に、放り投げた。
チャリン、と、金貨が、石畳に、跳ねる。
「こ、これは……金貨!? 嬢ちゃん、こんないいのかい?」
吟遊詩人が、驚いた声を上げた。
「歌の、代金だ」
グレイは、それだけを言って、背を向けた。
「グレイ、すごい! 金貨を、ぽんと! かっこいい!」
ユウトが、目を輝かせて、グレイの後を追ってきた。
「……黙れ」
グレイは、歩きながら、心の中で、歌の内容を、反芻した。
(洞穴王国。暗黒の邪竜。奪われた宝玉)
(ただの、おとぎ話かもしれない)
(だが、もし、本当なら)
(そこに、何かが、ある)
グレイは、海の向こう、北の空を、見つめた。
北の空には、厚い雲が、垂れ込めていた。
(いずれ、行く)
グレイは、そう、心に決めた。
午後になって、二人は、街の中心部へと向かった。
ノルン港都の中心部には、陽光の女神の大聖堂があった。白亜の石で築かれた、巨大な建物。その尖塔は、雲を突き刺すように、天高く伸びている。
「わあ……すごく、綺麗な聖堂だね。グレイ、入ってみようよ。僕、陽光の女神様の聖堂には、初めて入るんだ」
ユウトは、聖堂の大きさに、圧倒されながらも、目を輝かせていた。
「……お前は、勇者だろ。聖堂に入るのに、許可がいるのか」
グレイは、そう言って、聖堂の門を、見上げた。
(私は、入りたくない)
(こんな、神聖な場所に、魔族の私が、入れるわけがない)
グレイは、足を止めた。
「グレイも、一緒に入ろう? 大丈夫だよ。誰も、追い出したりしないよ」
ユウトが、グレイの手を、引いた。
「……触るな」
グレイは、ユウトの手を、振り払った。
だが、ユウトは、めげなかった。
「お願い。一人じゃ、ちょっと、心細いんだ。勇者として、聖堂で、挨拶をしておかないといけないんだよ。でも、僕、何をすればいいか、分からなくて」
ユウトは、困ったように、笑った。
グレイは、ユウトの顔を、じっと見た。
(こいつは、私を、対等に扱う)
(魔族の私を、護衛として、ではなく、相棒として)
(……気に入らない)
「……分かった。だが、私は、中には入らない。外で、待っている」
グレイは、そう言って、聖堂の門の外にある、石柱の影に、身を寄せた。
「そっか……うん、分かった。すぐに、出てくるね」
ユウトは、少し残念そうに、聖堂の中へと、入っていった。
グレイは、聖堂の壁に、背を預けた。
石の冷たさが、背中に、伝わる。
(神聖な場所)
(私には、縁のない場所だ)
グレイは、自分の首輪に、触れた。
黒鉄の首輪。奴隷の証。冷たい金属が、首筋に、食い込んでいる。
(私は、異物だ)
(どこに行っても、異物だ)
グレイは、目を閉じた。
聖堂の中から、聖歌隊の歌声が、微かに、聞こえてくる。
清らかな、歌声。
(あの中には、光がある)
(私のいる場所には、光はない)
グレイは、唇を、噛みしめた。
どれくらい、そうしていただろうか。
「グレイ! ただいま!」
ユウトが、聖堂から、飛び出してきた。
その顔は、少し、青ざめていた。
「……どうした」
グレイは、ユウトの異変に、すぐに気づいた。
「……神官様に、話を聞いたんだ。僕の、加護について」
ユウトは、聖堂の門の外に出ると、その場に、しゃがみ込んだ。
「僕の加護は、陽光の女神様の加護。通常の傷なら、すぐに、癒える。でも……骨を砕くほどの、重傷を負ったら、数日は、動けないんだって。加護の回復力にも、限界があるんだ」
ユウトは、自分の手を、じっと見つめた。
「僕は、勇者なのに、全然、強くない。グレイがいなかったら、廃教会で、死んでた。加護があるからって、調子に乗ってたら、ダメなんだ。もっと、強くならないと」
ユウトの声は、震えていた。
グレイは、ユウトの隣に、しゃがみ込んだ。
(こいつは、自分の弱さを、知った)
(そして、それでも、強くなろうとしている)
(……気に入らない)
(なぜ、こいつは、そんなに、真っ直ぐなんだ)
「……立て」
グレイは、短く、言った。
「え?」
「強くなりたいなら、まず、立て。地面に、座ってる奴が、強くなれるか」
グレイは、立ち上がり、ユウトを、見下ろした。
ユウトは、ゆっくりと、立ち上がった。
「……行くぞ。宿を、探す」
グレイは、歩き出した。
「……うん。ありがとう、グレイ」
ユウトが、グレイの後を、追った。
夕暮れが、近づいていた。
聖堂を出て、港の倉庫街を通り抜けようとしたときだった。
「おい、そこの、魔族」
低い、濁った声が、グレイを、呼び止めた。
グレイは、足を止めた。
振り返ると、三人の男が、立っていた。
憲兵風の男たち。濃紺のマントは着ていないが、腰に、剣を帯びている。いずれも、酒の匂いを、ぷんぷんと、漂わせていた。
「へえ、角が、立派だなあ。おい、その首輪、奴隷だろ? お前みたいな、魔族の奴隷が、なんで、こんなところを、うろついてるんだ?」
男の一人が、グレイの角を、指差して、笑った。
「主人は、どうした? 逃げ出してきたのか? それとも、捨てられたのか?」
「捨てられたんだろ。こんな、汚らしい魔族、誰が、飼うもんか」
男たちは、下品な笑い声を、上げた。
グレイは、男たちを、無言で、睨みつけた。
ハイライトのない、暗い紫の瞳。その奥に、殺意が、ちろりと、燃えた。
(殺す)
グレイの指が、背中の大剣の柄に、伸びる。
「やめてください! 彼女は、僕の、護衛です!」
ユウトが、グレイの前に、飛び出した。
「あ? なんだ、ガキ。お前、人間か? 人間のガキが、魔族の奴隷を、護衛に、だと?」
男が、ユウトを、値踏みするように、見た。
「僕は、勇者です。彼女は、僕の、大切な、旅の仲間です。彼女に、ひどいことを言わないでください」
ユウトは、震える声で、しかし、はっきりと、そう言った。
「勇者だあ? このガキが? 笑わせるな! 勇者様が、なんで、魔族の奴隷なんかと、一緒に、歩いてるんだよ!」
男たちは、腹を抱えて、笑い出した。
グレイの奥歯が、ぎりりと鳴った。
(こいつらを、殺す)
(今すぐ、ここで、全員、殺す)
グレイの手が、大剣の柄を、握りしめた。
その時だった。
グレイは、気配を、感じた。
倉庫の陰。
誰かが、こちらを、見ている。
グレイは、視線を、そちらへ、向けた。
倉庫の壁際に、一人の男が、立っていた。
地味な、商人風の男。だが、その目つきは、明らかに、商人のものではなかった。値踏みするような、観察するような、鋭い視線。
(あれは、密偵だ)
グレイは、直感した。
貴族派閥の密偵。グレイを、護衛に据えた、あの貴族の、息のかかった者。
(見張られている)
グレイは、大剣から、手を離した。
(ここで、騒ぎを起こせば、面倒だ)
(密偵の前で、憲兵風の男を、殺せば、後々、問題になる)
グレイは、殺意を、胸の奥に、押し込めた。
「……行くぞ、ユウト」
グレイは、ユウトの腕を、掴んだ。
「え? でも、グレイ……」
「行くぞ」
グレイは、有無を言わさず、ユウトを、引っ張って、その場を、離れた。
「おう、逃げるのかよ! 魔族の分際で、生意気だぞ!」
男たちの罵声が、背中に、突き刺さる。
グレイは、振り返らなかった。
(気に入らない)
グレイの心の中で、怒りが、ぐつぐつと、煮えたぎっていた。
だが、それ以上に、あの密偵の視線が、グレイの神経を、逆撫でしていた。
(私の素性を、探っているな)
(あの貴族は、私を、どこまで、監視している)
(私の、首輪を、握っているのは、)
グレイは、首輪に、手をやった。
(ゲー・レッツ)
グレイの頭に、興行主の顔が、浮かんだ。
(私を、奴隷に、落とした男)
(私を、闘技場に、売った男)
(私の、首輪を、今も、握っている男)
グレイは、ゲー・レッツの、赤ら顔を、思い出した。
(あの男は、私を、自由にしない)
(あの男は、私を、操ろうとしている)
グレイの胸の奥で、暗い炎が、燃え上がった。
(だが、私は、もう、誰にも、利用されない)
(誰のものでもない、私になる)
グレイは、拳を、握りしめた。
その夜、二人は、港に近い、安宿に、部屋を取った。
部屋は、狭かった。
ベッドが、一つ。小さな机が、一つ。窓が、一つ。
「ごめんね、グレイ。お金、節約しなきゃって、思って。部屋、一つで、我慢してくれる?」
ユウトは、申し訳なさそうに、そう言った。
「……別に、構わない。私は、床で、寝る」
グレイは、そう言って、窓辺に、歩み寄った。
窓の外には、夜の海が、広がっていた。
月明かりが、海面に、銀の道を、作っている。波の音が、静かに、聞こえてくる。
(海)
グレイは、昼間の、海の青を、思い出した。
(広かった)
(あんなに、広いのか)
グレイは、窓枠に、肘をついた。
「……グレイ、僕、先に、寝るね。おやすみ」
ユウトは、ベッドに、潜り込んだ。
「……ああ」
グレイは、窓の外を、見つめたまま、答えた。
やがて、ユウトの、寝息が、聞こえ始めた。
グレイは、一人、窓辺に、立っていた。
波の音が、耳に、心地よかった。
(師匠)
グレイの脳裏に、セラフィナの顔が、浮かんだ。
(師匠は、私の首輪に、触れた)
(あの時、師匠は、笑った)
(何かを、決意したような、笑みだった)
グレイは、首輪に、手をやった。
(師匠は、何を、決意したんだ)
(私に、何を、残そうとしたんだ)
グレイの指が、首輪の、冷たい金属を、なぞった。
(カイン)
グレイの脳裏に、カインの顔が、浮かんだ。
(私が、刺した)
(この手で、刺した)
グレイは、自分の右手を、見つめた。
月明かりに、その手が、青白く、浮かび上がる。
(あの感触は、まだ、残っている)
(肉を、貫く、感触)
(血の、温かさ)
(光が、消えていく、瞬間)
グレイは、右手を、ぎゅっと、握りしめた。
(私は、もう、誰も、失いたくない)
(だから、私は、誰にも、近づかない)
(誰にも、利用されない)
(誰にも、利用させない)
(誰のものでもない、私になる)
グレイは、静かに、拳を、握りしめた。
その時だった。
ガチャリ、と、扉が、開く音がした。
グレイは、振り返った。
「……あ」
ユウトが、扉の前に、立っていた。
寝ぼけた顔で、部屋の外から、戻ってきたところだった。
「グレイ、まだ、起きてたんだ……って、え……!?」
ユウトの顔が、真っ赤に、染まった。
グレイは、上半身の装具を、外していた。
黒鉄の防具を、外し、黒いサラシを、解いたところだった。
月明かりが、グレイの、背中から、肩へ、胸元へと、流れる。
闘技場で、鍛え上げられた、しなやかな筋肉。そして、少女の体には、不釣り合いなほどに、成長した、胸の膨らみ。腰の、くびれ。
「ご、ごめん!! 間違えた!! 忘れて!!」
ユウトは、叫ぶように、そう言って、勢いよく、扉を、閉めた。
バタン、と、大きな音が、部屋に、響いた。
グレイは、一瞬、何が起きたのか、分からなかった。
(何を、慌てているんだ)
グレイは、自分の体を、見下ろした。
(ただ、着替えていただけだ)
グレイは、特に、気にすることもなく、着替えを、続けた。
しばらくして、ユウトが、戻ってきた。
「……ご、ごめん、グレイ。本当に、ごめん」
ユウトは、顔を、真っ赤にしたまま、ベッドに、潜り込んだ。
「……別に、構わない」
グレイは、そう言って、床に、横になった。
(何を、そんなに、動揺しているんだ)
(気に入らない)
グレイは、目を閉じた。
波の音が、聞こえる。
遠くで、船の汽笛が、鳴った。
(明日は、海辺に、行く)
(ユウトが、行きたいと、言っていた)
(貝殻を、拾うんだと、言っていた)
(……馬鹿だ)
グレイは、心の中で、そう呟いた。
だが、その口元は、わずかに、緩んでいた。
翌朝。
「グレイ! おはよう! あのさ、お願いがあるんだけど!」
ユウトが、朝日のように、明るい声で、グレイに、飛びついてきた。
「……なんだ」
グレイは、寝起きの、低い声で、答えた。
「僕に、稽古を、つけてほしい! グレイみたいに、強くなりたいんだ!」
ユウトは、真剣な顔で、グレイを、見つめた。
グレイは、ユウトの、その真剣な顔を、じっと、見返した。
(こいつに、稽古)
(私が、誰かに、何かを、教える)
グレイは、その行為を、想像してみた。
(……分からない)
(私には、無理だ)
グレイは、そう思った。
だが、ユウトの、真剣な眼差しが、グレイの心を、揺さぶった。
(こいつは、本気だ)
(本気で、強くなりたいと、思っている)
グレイは、ゆっくりと、口を開いた。
「……後悔するなよ」
グレイは、そう言って、立ち上がった。
窓の外では、朝の海が、きらきらと、輝いていた。Noveliaとは?
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