反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~
魔族というだけで人間に狩られ、奴隷に堕とされた少女・グレイ。角を持つその身に刻まれたのは、焼き印と鎖、そして屈辱の記憶だけだった。
グランヴェルド――大陸最大の奴隷貿易都市。そこでは魔族は「動く財産」でしかなく、抵抗すれば踏みにじられ、黙れば喰い物にされる。オークションで売れ残ったグレイに目をつけたのは、闘技場の興行主ヴァルド。与えられたのは錆びついた短剣一本と、猛獣の待つ死の檻だった。
絶望の底で、彼女の暗い紫の瞳に宿るのは諦めではなく、燃えるような殺意。
――奪われたものは、全部奪い返す。
――私を踏みつけた奴らは、いつか必ずこの手で殺す。
生き延びるためではない。喰らい尽くすために、少女は牙を剥く。
鎖に繋がれた「角の奴隷」が、血と砂の闘技場で、人間たちの作った地獄そのものを喰い破っていく――。
これは、奪われた少女が、奪う側へと成り上がる、復讐と解放の物語。
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反骨のグレイ~魔族の少女は奴隷から這い上がる~ - 名を呼ぶ夜——自由の輪郭と新たな旅立ち
礼拝堂の奥から、かすかな呻き声が聞こえていた。
石壁に染みついた黴と古い蝋の匂いが、夜の冷気と混ざり合い、肺の奥にへばりつく。床にはスケルトンだった骨の残骸が散らばり、青白い燐光が名残のように、その表面を這っていた。
グレイは、大剣を片手で支えながら、奥へと足を踏み入れた。
ユウトが、その隣を歩く。肩を貸す形だった。少年の体はまだ熱く、時折、痛みで小さく息を漏らす。
「……無事か」
「うん、平気」
ユウトは、わざと明るい声を出した。だが、その声は、石の壁に吸い込まれて、すぐに消えた。
奥の小部屋。鉄格子が、かすかに軋んでいた。
グレイは、大剣の柄を握り直す。指の腹に、乾いた血の感触が、こびりついていた。自分の血か、ユウトの血か、それとも、あの骨の兵士たちのものか。もう、分からなかった。
鉄格子の向こうに、人の形が、いくつも重なって見えた。
村の行方不明者たち。
老いた男、若い女、そして、痩せ細った子供。全員が、青白い顔で、こちらを見ていた。目だけが、ぎょろりと動く。
「助けに、来た」
グレイの声は、低く、短く、石の部屋に響いた。
誰も、応えなかった。
鉄格子を、大剣で断つ。
ガギン、と重い音。鉄が、悲鳴を上げて、折れる。
グレイは、壊れた格子を、手で押し開いた。
「歩ける者は、歩け。歩けない者は、誰かに担がせろ」
人々は、お互いの顔を見合わせた。
そして、ゆっくりと、立ち上がる。
その時、一人の老婆が、グレイの顔を、まじまじと見た。
老婆の視線が、グレイの頭部に、吸い寄せられる。
牡牛のような、大きな二本の角。
黒鉄の首輪。
老婆の口が、震えた。
「ま、魔族……」
その一言が、小部屋の空気を、一瞬で変えた。
助け出されたはずの人々が、一斉に、グレイから一歩、距離を取る。
まるで、汚物にでも触れたかのように。
(……慣れている)
グレイは、心の中で、そう呟いた。
(この視線には、慣れている)
(闘技場で、何度も、浴びてきた)
(奴隷商人の、検品官の、憲兵の、観客の——)
(みんな、この目で、私を見た)
グレイは、何も言わずに、背を向けた。
大剣を、背中の革帯に、戻す。
「行くぞ」
ユウトが、慌てて、その後を追う。
「グレイ、待ってよ」
グレイは、足を止めなかった。
礼拝堂を出ると、外は、深い夜だった。
風が、頬を打つ。
冷たい。
空には、無数の星が、張り付いていた。
(星は、変わらない)
グレイは、空を見上げた。
(三年前も、同じ星だった)
(灰の底の、あの空も)
(闘技場の、天窓から見えた空も)
(そして、今、この空も)
(何も、変わらない)
村へと続く、細い道。
グレイは、歩き出した。
後ろから、ユウトの足音が、追いかけてくる。
村の入り口に、松明の光が、いくつも揺れていた。
村人たちが、集まっていた。
手に手に、鍬や棍棒を持った男たち。不安そうな顔の女たち。
そして、グレイの姿を見つけた瞬間、その表情が、一斉に、強張った。
「で、出たぞ!」
「魔族だ!」
「おい、大丈夫なのか!?」
ざわめきが、波のように広がる。
グレイは、足を止めずに、村人たちの間を、歩いた。
人々は、道を開ける。
まるで、穢れたものに触れないように。
「みんな! 無事だったんだ!」
ユウトの明るい声が、夜の空気に、響いた。
「勇者様だ!」
「勇者様が、助けてくださったんだ!」
村人たちが、ユウトに、駆け寄る。
「ありがとうございます、勇者様!」
「お怪我は!? 大丈夫ですか!?」
「すごい……本当に、あの化け物を……」
ユウトは、村人たちに、囲まれた。
感謝の言葉が、雨のように、降り注ぐ。
「僕だけじゃないよ。グレイが——」
ユウトが、そう言いかけた。
だが、その声は、村人たちの歓声に、かき消された。
「勇者様、こちらへ! お体を休めてください!」
「温かいスープを用意します!」
「さあさあ、勇者様は、こっちへ!」
ユウトは、グレイの方へ、振り返った。
助けを求めるような、困ったような顔。
グレイは、その顔を、一瞬だけ見た。
そして、視線を、外した。
(行け)
(お前は、あっちだ)
(私は、こっちだ)
グレイは、村人たちの輪から、離れた。
誰も、彼女を、引き止めなかった。
村の外れ。
井戸のそばに、古い石の台があった。
グレイは、その台に、腰を下ろした。
背中の大剣を、地面に、立てかける。
ずしり、と重い。
(気に入らない)
胸の奥で、泥のような感情が、どろりと動く。
(慣れているはずだ)
(この、孤独には)
(闘技場の地下牢で、何年も、一人だった)
(誰にも、必要とされなかった)
(誰にも、感謝されなかった)
(それが、当たり前だった)
グレイは、首輪に、手をやった。
黒鉄の、冷たい感触。
(そうだ)
(私は、奴隷だ)
(魔族の、犯罪奴隷だ)
(人々が、私を、避けるのは、当然だ)
(怖がるのは、当然だ)
(気味悪がるのは、当然だ)
(……気に入らない)
グレイは、奥歯を、噛み締めた。
ぎり、と、音がした。
(なぜ、こんなにも、気に入らない)
(なぜ、今更、こんなにも)
井戸の水が、月明かりを反射して、揺れていた。
風が、草を、撫でる。
遠くから、村人たちの、歓声が、聞こえた。
「勇者様、本当にありがとうございます!」
「これで、安心して眠れます!」
「神様が、勇者様を、遣わしてくださったんだ!」
グレイは、空を見上げた。
星が、瞬いている。
(私は、神なんて、信じない)
(神がいるなら、なぜ、私を、こんな風にした)
(なぜ、師匠を——)
グレイは、目を閉じた。
カインの顔が、浮かぶ。
(自由になれ)
(お前は、自由になれ)
あの声が、耳の奥で、繰り返される。
(自由って、なんだ)
(こんなにも、苦しいのに)
(これが、自由か)
その時。
かさり、と、草の音がした。
グレイは、目を開けた。
視線を、音のした方へ、向ける。
そこに、小さな影があった。
村の、幼い少女だった。
年は、七つか、八つか。
汚れた貫頭衣を着て、裸足のまま、立っていた。
少女は、グレイの顔を見ると、びくりと、体を震わせた。
だが、逃げなかった。
少女は、両手で、小さな包みを、胸の前に、抱えていた。
グレイは、少女を、じっと見た。
少女は、一歩、また一歩と、近づいてくる。
その足は、震えていた。
(怖いなら、来なければいい)
(なぜ、来る)
グレイは、動かなかった。
少女は、グレイの目の前で、立ち止まった。
そして、震える手で、包みを、差し出した。
「……これ」
声は、蚊の鳴くように、小さかった。
グレイは、包みを、見た。
粗末な、布の包み。
「……何だ」
グレイの声は、低く、冷たかった。
少女は、びくりと、肩を震わせた。
「お、お母さんに……これ、渡してって……」
少女の声は、涙で、濡れていた。
「お母さん……助けてくれた、お礼……だって……」
グレイは、少女の顔を、見た。
大きな瞳が、涙で、いっぱいになっていた。
(助けてくれた、お礼)
(私に、か)
グレイは、包みを、受け取らなかった。
ただ、じっと、少女を見つめた。
「……私は、魔族だ」
グレイは、自分の頭の角を、指で、なぞった。
「怖くないのか」
少女は、グレイの角を、見た。
それから、首輪を、見た。
そして、もう一度、グレイの顔を、見た。
少女は、ゆっくりと、首を、横に振った。
「……お母さんを、助けてくれたから」
少女は、そう言って、小さく、笑った。
涙で濡れた顔で、笑った。
「ありがとう、お姉ちゃん」
お姉ちゃん。
その言葉が、グレイの胸に、突き刺さった。
(お姉ちゃん)
(私が、か)
(私は、誰かの、姉になったことなど、ない)
(私は、奴隷だ)
(魔族だ)
(人殺しだ)
(なのに、なぜ)
少女は、グレイの手を、小さな両手で、包んだ。
温かかった。
人間の、体温。
グレイの手は、冷たかった。
血と、汗と、骨の粉で、汚れていた。
少女の手は、柔らかくて、温かかった。
「これ、お母さんがね、お姉ちゃんに、どうしても渡してほしいって」
少女は、包みを、グレイの手のひらに、押し付けた。
グレイは、包みを、受け取った。
ずっしり、と、重い。
いや、重くは、ない。
軽い。
だが、グレイの手には、とても、重く感じられた。
「……開けても、いいのか」
グレイの声は、自分でも驚くほど、掠れていた。
少女は、こくん、と、頷いた。
グレイは、布を、ゆっくりと、開いた。
中から出てきたのは、一輪の野花だった。
白い、小さな花。
夜露に濡れて、月明かりに、淡く光っていた。
花の下に、小さな紙切れが、一枚。
そこには、震える字で、こう書かれていた。
「たすけてくれて、ありがとう。かみさま、どうか、あのかたに、しあわせを」
グレイは、その文字を、じっと見た。
読めない。
グレイは、文字を、読むことができなかった。
奴隷に、教育は、与えられない。
だが、その言葉の意味は、なんとなく、分かった。
少女の手の温もりが、まだ、グレイの手に、残っていた。
(ありがとう)
(私に、感謝を、伝えようとしている)
(私が、助けたから)
(私の剣が、誰かを、守ったから)
グレイの胸の奥で、何かが、ちりちりと、燃え始めた。
怒りでも、憎しみでもない。
もっと、別の、熱。
(師匠)
(私は、今、誰かに、感謝された)
(私が、剣を振るったことで)
(私が、守ったことで)
(これが、お前の言っていた、自由に、繋がるのか)
グレイは、野花を、ぎゅっと、握り締めた。
花びらが、少し、潰れた。
「……名前は」
グレイは、少女に、尋ねた。
「ミリア」
少女は、小さな声で、答えた。
「ミリア」
グレイは、その名前を、口の中で、繰り返した。
「……覚えた」
グレイは、そう言って、立ち上がった。
大剣を、背中に、背負い直す。
「もう、戻れ。お前の母親が、待っている」
「……うん」
ミリアは、こくんと、頷いた。
そして、くるりと、背を向けて、駆け出した。
だが、少し走ったところで、立ち止まる。
振り返って、グレイに、手を振った。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
その声は、夜の空気に、澄んで、響いた。
グレイは、手を、振り返さなかった。
ただ、その小さな背中が、村の灯りの中に、消えるまで、じっと見ていた。
村の広場では、まだ、ユウトを囲む歓声が、続いていた。
「勇者様、本当に、本当に、ありがとうございます!」
「この村の、救世主だ!」
「勇者様、万歳!」
ユウトは、困ったように、笑っていた。
「あの、みんな、聞いて。あのね、リッチを倒したのは、僕じゃなくて、グレイなんだ」
ユウトの声は、真剣だった。
だが、村人たちは、聞き流した。
「勇者様は、謙虚でいらっしゃる!」
「なんと、お優しい!」
「魔族に、手柄を譲るなんて、聖人君子だ!」
「違うんだ! 本当に、グレイが——」
ユウトが、声を張り上げた。
だが、その声は、またしても、歓声にかき消された。
グレイは、遠くから、その光景を、見ていた。
(馬鹿だ)
(あいつは、本当に、馬鹿だ)
(なぜ、私のことを、そんなに、必死に、伝えようとする)
(私が、魔族だから、怖がられるのは、当然だ)
(私が、奴隷だから、軽んじられるのは、当然だ)
(それを、お前が、声を張り上げたところで、何も、変わらない)
(……気に入らない)
グレイは、ユウトの背中を、じっと見つめた。
(だが、なぜだ)
(なぜ、あいつの、その姿を)
(以前のように、突き放せない)
(なぜ、あの眩しさを、目を細めずに、見ていられる)
ユウトが、村人たちの輪から、抜け出した。
グレイの方へ、駆けてくる。
「グレイ!」
ユウトは、息を切らせて、グレイの前に、立った。
「ごめん、グレイ。みんな、グレイがやったって、信じてくれなくて……」
ユウトの顔は、悔しさで、歪んでいた。
「別に、構わない」
グレイは、短く、言った。
「私が、どう思われようと、どうでもいい」
「でも、僕は、嫌だよ!」
ユウトは、グレイの顔を、真っ直ぐに、見上げた。
「グレイが、すごく強いのに、すごく頑張ったのに、それを、誰も知らないなんて、おかしいよ!」
グレイは、ユウトの瞳を、見た。
真っ直ぐで、濁りのない、十三歳の瞳。
(おかしい、か)
(おかしいのは、お前だ)
(この世界で、魔族が、認められることなど、ない)
(それが、当たり前だ)
(お前の方が、おかしい)
グレイは、そう思った。
だが、口には、出さなかった。
「それより、グレイ! 次の冒険、どこに行こうか!」
ユウトは、ぱっと、表情を、明るくした。
懐から、折り畳まれた地図を、取り出す。
「ほら、見て! ここから北に行くと、もっと大きな街があるんだ! それか、西には、古代遺跡があるって聞いたよ! あと、南の海もいいなあ!」
ユウトは、地面に、地図を、広げた。
月明かりに、古びた羊皮紙が、白く浮かび上がる。
「ねえ、グレイは、どこに行きたい?」
グレイは、地図を、見下ろした。
自分が、三年間、閉じ込められていた闘技場のある、グランヴェルド。
その名が、地図の中央に、小さく、記されていた。
(グランヴェルド)
(私が、奴隷として、売られた街)
(私が、師匠を、殺した街)
(私が、自由を、奪われた街)
グレイは、地図の、別の場所に、目を向けた。
ユウトが、指差している場所。
西の、古代遺跡。
ノルン高地。
魔族の、隠れ里が、点在するという、西の山地。
グレイは、その地名を、声に出した。
「……ノルン高地」
ユウトが、ぱっと、顔を上げた。
「え!? 今、グレイ、自分から、行き先、言った!?」
ユウトの目が、丸くなっている。
「すごい! 初めてだ! グレイが、自分から、行きたい場所、言ったの!」
ユウトは、ぴょんと、飛び跳ねた。
「よし、じゃあ、ノルン高地に、決まりだね!」
ユウトは、嬉しそうに、地図を、畳んだ。
グレイは、ユウトの、その笑顔を、見た。
(気に入らない)
(なぜ、そんなに、嬉しそうなんだ)
(私が、行き先を、言っただけで)
(そんなに、喜ぶことか)
グレイは、胸の奥で、泥のような感情が、また、どろりと動くのを、感じた。
だが、その感情は、以前よりも、少しだけ、温かかった。
夜が、更けていく。
村の広場では、まだ、松明の光が、揺れていた。
グレイとユウトは、村の外れの、馬小屋で、夜を明かすことになった。
宿屋の主人は、ユウトには、丁寧に、頭を下げた。
だが、グレイには、目も合わせなかった。
「……お前は、宿に行け」
グレイは、馬小屋の、藁の上に、大剣を置いた。
「やだよ。僕も、ここにいる」
ユウトは、グレイの隣に、腰を下ろした。
「グレイが、馬小屋にいるのに、僕だけ、宿になんて、行けないよ」
「……お前は、勇者だ。客だ。金を、払っている」
「関係ないよ。僕は、グレイの、相棒だもん」
ユウトは、にこりと、笑った。
グレイは、ため息を、ついた。
(相棒)
(こいつは、私を、相棒と呼ぶ)
(奴隷の、魔族の、私を)
(……気に入らない)
(だが、もう、追い払う気には、なれない)
グレイは、藁の上に、横になった。
大剣を、抱きしめるようにして。
ユウトも、隣で、横になる。
「おやすみ、グレイ」
グレイは、答えなかった。
馬小屋の、干し草の匂い。
馬の、寝息。
遠くで、虫の声。
(外は、こんなにも、静かだ)
(闘技場の地下牢では、いつも、誰かの、呻き声が、聞こえていた)
(鎖の音、鞭の音、死んでいく者の、断末魔)
(それが、私の、子守唄だった)
グレイは、目を閉じた。
握りしめた野花が、胸の上で、かすかに、香った。
朝が、来た。
馬小屋の、隙間から、白い光が、差し込む。
グレイは、体を、起こした。
ユウトは、まだ、眠っていた。
安らかな、寝顔。
グレイは、ユウトを、起こさないように、立ち上がった。
外に出ると、朝霧が、村を、包んでいた。
空気が、冷たい。
旅支度を、整える。
大剣を、背中に、背負う。
革の帯が、肩に、食い込む。
その重みが、今日は、少しだけ、心地よかった。
「グレイ、おはよう!」
ユウトが、馬小屋から、飛び出してきた。
「行くぞ」
グレイは、短く、言った。
二人は、村の、出口へと、歩き出した。
村人たちは、朝の仕事を、始めていた。
井戸で、水を汲む女。
畑へ、向かう男。
家の前で、子供を、叱る母親。
みんな、グレイの姿を見ると、一瞬、動きを止めた。
そして、目を、逸らした。
冷たい、視線。
(いつものことだ)
グレイは、前を、向いた。
村の出口。
街道へと、続く、道。
その時。
「お姉ちゃん!」
後ろから、澄んだ声が、響いた。
グレイは、足を止めた。
振り返る。
ミリアが、村の入り口に、立っていた。
手を、大きく、振っている。
「ありがとう! またね!」
グレイは、ミリアを、じっと見た。
少女の笑顔が、朝日の中で、輝いていた。
グレイは、何も言わずに、背を向けた。
そして、歩き出した。
街道に出る。
朝の光が、二人の影を、長く、地面に、伸ばしていた。
「いい天気だね、グレイ!」
ユウトが、隣を、歩く。
グレイは、答えなかった。
しばらく、無言で、歩いた。
風が、草原を、渡る。
遠くで、鳥が、鳴いた。
グレイは、ユウトの、横顔を、ちらりと見た。
(こいつは、いつも、こうだ)
(私が、何も言わなくても、ずっと、隣で、笑っている)
(私を、怖がらない)
(私を、避けない)
(私を、相棒だと、呼ぶ)
(……気に入らない)
グレイは、前を向いた。
そして、口を開いた。
「……ユウト」
自分の口から、その名前が、出た。
初めて、だった。
ユウトの、名前を、呼んだのは。
ユウトが、ぴたりと、足を止めた。
「……え?」
ユウトが、驚いた顔で、グレイを、見た。
その目が、大きく、見開かれている。
「今、グレイ、僕の、名前……呼んだ?」
ユウトの声は、震えていた。
グレイは、ユウトを、見返した。
「行くぞ」
グレイは、それだけを、言った。
そして、歩き出した。
ユウトは、一瞬、呆然としていた。
だが、次の瞬間、その顔に、花が咲いたように、笑みが、広がった。
「うん!!」
ユウトは、グレイの後を、駆け出した。
その足取りは、弾んでいた。
グレイは、振り返らなかった。
だが、ユウトの、嬉しそうな気配は、背中で、感じていた。
(私は、まだ、自由ではない)
(首輪は、まだ、私を、縛っている)
(烙印も、消えない)
(角も、消えない)
(私を、怖がる者も、軽んじる者も、まだ、たくさんいる)
(でも)
(今、私の手には、確かに、何かが、ある)
(あの野花の、重み)
(あの少女の、手の温もり)
(あの文字の、意味)
(そして、隣を歩く、この馬鹿の、笑い声)
(これが、自由か)
(まだ、分からない)
(でも、その輪郭は、確かに、私の手に、触れている)
グレイは、大剣を、背負い直した。
空は、青く、高く、どこまでも、広がっていた。
二人は、北へと、歩き出した。
次の地へ。
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